親鸞聖人からの手紙 F信心よろこぶひとは如来とひとし 第十三通
 
               武蔵野大学名誉教授 山 崎(やまざき)  龍 明(りゆうみよう)
 
ナレーター:  「親鸞聖人からの手紙」その第七回「信心よろこぶひとは如来とひとし」、お話は武蔵野大学名誉教授の山崎龍明さんです。
 
山崎:  本日は、「信心よろこぶひとは如来とひとし」というタイトルでお話致します。親鸞聖人の手紙は、関東の念仏者たちから寄せられた疑問に答えたものであると言われます。しかしその手紙が残っていませんから、どのようなことが書かれていたか、ということについては、聖人の手紙から類推する他にはありません。その面でこの第十三通のお手紙は、親鸞聖人の真筆が残っている非常にユニークな手紙と言います。極めて内容も珍しいものです。このお手紙は、関東におりました念仏者の慶信坊(きようしんぼう)が手紙を送って、自分の領解(りようげ)と言うんですが―これは理解ですね―教えの理解が間違っていないか、親鸞聖人に教えを仰いだ特殊な手紙です。風邪で床についておられた聖人は、慶信坊の手紙を修正したり、あるいは追伸の質問に対してその余白に返事を短く書き記しています。自分の理解について指南を得た手紙ですから、慶信坊は取り分け大切にされたものと考えられます。つまり慶信坊の手紙でありながら聖人の手紙として扱われているのは、聖人の手紙に準ずるものとして大切に長い間伝承されてきたからだと考えられます。この手紙には、親鸞聖人のそばに仕えておりました蓮位(れんに)の添え状が見られます。この添え状には、慶信坊が書いた手紙の事情などが詳しく語られています。しかしその中に聖人が自筆で―自ら書かれた言葉、法語を写しています。さらに覚信坊(かくしんぼう)という念仏者が京都に参ろうとした時の状況や、親鸞聖人のもとで往生を遂げたことなどが具体的に記されています。これらの記述は聖人の身近な動静を知るうえできわめて貴重なものと言わなければなりません。この慶信坊につきましては、前にもしばしば出てまいります『親鸞聖人門侶交名牒(きようみようちよう)』という文献には、「下野(しもつけ)田住」と書いていますから、栃木県の芳賀郡(はがぐん)辺りに居住していた念仏者であるということがわかります。早速第十三通の本文について学んでいきたいと思います。現代語訳で申します。
 
謹んで申し上げます。
『無量寿経』に「信心歓喜(かんぎ)」と説かれています。『浄土和讃』にも、『華厳経』の教えによって、
信心よろこぶそのひとを 如来とひとしとときたまふ
大信心は仏性なり 仏性すなはち如来なり
 
つまり信心を得て喜ぶ人は、阿弥陀如来と等しいと説かれている。大いなる信心は、仏性であり、仏性は即ち如来であると仰せになっています。ところが同じ念仏の道を歩む人の中に誤って理解しているのでしょうか。念仏の仲間のうちで、信心を得て喜ぶ人は如来と等しいと言っているのは、自力であり、真言宗の教えに偏っているという人がいるようです。その人がどんな意味で言っているのかわかりませんが一言申し上げます。
 
まあこういうお手紙であります。日本の浄土教の中にありまして、「親鸞浄土教」と私は言っているんですが、「親鸞浄土教」というのは、きわめてユニークな特異なものです。その一つが、「信心よろこぶ人は、如来とひとしい」こういう教えです。一般にこれは「如来等同(によらいとうどう)」思想と言われています。この如来と等しいという教えは、「即身成仏(そくしんじようぶつ)」、ご存知のように、この身は即ち仏であるという真言宗の方がお説きになる「即身成仏」と言って、父母より生まれた肉体のままで直ちに悟りを得る。こういった真言宗の教えに偏っているのではないか。そしてそれは私たちの阿弥陀仏の教え、他力ではなくて、自力であるという人もいたようであります。しかし聖人の教えは「如来と等しい」と言っても、それは私がここで悟るとか、仏になるということではない。これははっきりとしております。私はさまざまな煩悩―例えば欲望ですとか瞋(いか)りですとか愚かさの中に生きているものです。聖人はこの煩悩が「臨終の一念にいたるまで」消えないのが残念ながら人間である。こういう人間観をもっていました。このような人間、念仏者が如来と等しい人生を生きるとは、なんと素晴らしいことでしょうか。つまり「煩悩具足(ぼんのうぐそく)」の私という人間の否定が、「如来と等しい」と絶対肯定される世界です。この「如来と等しい」ということに関して、お手紙の十一通、あるいは十二通にも詳しく示されています。先ず十一通を見てみますと、ここでは「信心を得たる人は、必ず正定聚(しようじようじゆ)(必ず仏になることが決定している位、不退転の位ともいう)に住するので、等正覚(とうしようがく)(さとりに等しい)の位といってもいい」と示されています。これは仏教における最高の褒め言葉というんでしょうか、賛辞と言ってもいいと思います。同じく十一通に次のように示されます。私が特に心魅(ひ)かれる言葉ですからお聞きください。
 
浄土の真実信心の人は、この身こそあさましき不浄(ふじよう)造悪(ぞうあく)の身なれども、心はすでに如来とひとしければ、如来とひとしと申すこともあるべしとしらせたまへ。
 
つまり「真の信心―教えに生きる人は、この身はなんともあさましく、先ほどの煩悩ですね、欲とか瞋(いか)りとかそういう身である。清浄―清らかなるこころなどどこにもなく、つねに悪をつくりつづけているものです。しかし、そのこころはアミダ如来の教えに生きているものですから、『如来とひとし』といってもいいと知ってください」。
 
まあこういうお手紙であります。そしてその後の手紙には、光明寺(こうみようじ)の和尚(かしよう)―これは中国の浄土教の大成者善導(ぜんどう)大師のことですが―その善導大師のお書物には、
 
信心のひとは、その心すでにつねに浄土に居(こ)す。「居す」といふは、浄土に、信心のひとのこころつねにゐたりといふこころなり。これは弥勒とおなじといふことを申すなり。
 
つまりそれは弥勒菩薩と同じ高い位に就くことであると。ですから体でなくて信心の人の心はすでに浄土と繋がりをもっているんだ。こういう意味にご領解頂けたらよろしいかと思うんですね。親鸞聖人は徹底した人間観の持主でした。どこまでいっても人間は、あさましき不浄造悪の身(どこまでも自己中心的な、清浄さもなく、つねにさまざまな悪を造っているもの)で、清らかな身ではなく、何かあったら常に悪に手を染めてしまいがちな悲しいわたし、こういう言葉をよく用います。まさに煩悩―貪りとか、瞋(いか)りとか、愚かさ、そういうものをこの身いっぱいに抱えたわたし。そういう人間の姿を親鸞聖人は、自己の姿として表現をしているわけですね。その凡夫の人間の心はつねに、しかし浄土に住んでいるんだ。このことは一体どういうことでしょうか。単に心が浄土にあるという解説だけでは不十分だと、私は思うんですね。従ってこの私の体―この身はですね、どこまでも此処いわゆる現実社会(娑婆)にありながら、その私の心は阿弥陀如来の悟りの心、即ち仏の智慧と共にある。こういうことを強調する言葉であります。仏教ではこの世を「娑婆(しやば)」と言います。みなさんお聞きになったことがあるかも知れません。「娑婆」という言葉はインド語を音写したもので、この語意は「忍土(にんど)」つまりこれはさまざまな苦しみに耐え忍ぶところ。そしてもう一つは、「雑会(ぞうえ)」と言いまして、つまりこの娑婆というこの社会はいろんな人が集まっている。それを娑婆というんですが、それはどういうことかというと、さまざまな苦しみに耐え、またさまざまな人が蠢(うごめ)いているのが現実。ということは、思い通りにいかないということでしょうかね。それが「娑婆」ということの基本の意味であります。仏教では「四苦八苦(しくはつく)」(生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦)という教えを説きます。それは老いること、病むこと、死ぬことを初めとして、さまざまな苦しみの中で私たちは生きていかなければなりません。それが先ほどの忍土―堪え忍ぶところという言葉でありましょう。また私たちの周囲は、私の気に入る人、入らない人、素晴らしい人、そうでない人、さまざまな人と関わりながら生きていかなければなりません。好きな人ばっかりなんてことはあり得ないことであります。それが「雑会(ぞうえ)」という言葉になるわけですが、このような現実を生きていくということは、並大抵のことではありません。知識とか教養とか、財産とか、そういうものにどれだけ恵まれていても、なかなか解決のつくものではありません。この現実をしっかり見つめて、それを乗り越える力、それを親鸞聖人は、「信心の智慧(ちえ)」と示されました。その智慧をこの娑婆のただ中で頂いて生きる。その人を「信心の人」とこういうふうに、その人は此処に居ながらにして悟りの世界と繋がりをもっているという意味で「浄土に居(こ)す」と、こういうふうに理解することができます。この智慧を賜りますと、さまざまな世界が開かれてまいります。私は、二つあると思うんです。先ず「自分(私)が見えてくる」。私たちは、自分のことは自分が一番知っていると言いながら、一番知らないのは自分自身であるかも知れません。つまり過大も過信もしていないつもりで生きてきましたけども、実はそれこそ私の自惚れであったという、そういうことが知らされる。二つ目は、「その仏の智慧を恵まれてくると、私は社会とか世間というものがキチッと見えてくる」。もう一つ進んでいうと、それは社会の誤り、世間の偽りと言いましょうか、そういうものがかなりはっきり仏の教えを学ぶところから知らされてくると。こういう二つの世界が、私は仏の智慧を賜るものの世界であると、こういうふうに考えるのであります。その次ですが、阿弥陀如来はしばしば親鸞聖人の文献に出てまいりますが、「光の仏にてまします」と親鸞聖人は言われました。「光」というのは、これは仏教では「智慧」のことを表すんですね。親鸞聖人の書物『一念多念証文』には、
 
方便と申すは、かたちをあらはし、御(み)なをしめして、衆生にしらしめたまふを申すなり。すなわち阿弥陀仏なり。この如来は光明なり、光明は智慧なり、智慧はひかりのかたちなり。智慧またかたちなければ不可思議光仏と申すなり。
 
方便というのは、かたちをあらわし、名前を示して人々に真実(仏法では真如といいます)を知らせる働きのことです。嘘も方便という言い方がありますが、嘘は方便ではありません。方便というのは、真実を知らない人に真実をお伝えする方法・手段なんですね。だから名前を示して人々に真を知らせる働き。これは実は阿弥陀仏の教えなんだというわけです。この光は智慧をあらわしています。智慧は光のかたちで示されます。この智慧の光はかたちがありませんから、言葉や頭でとらえることのできない限りない光ということで「不可思議光仏(ふかしぎこうぶつ)」と、言葉はちょっと難しいんですが、親鸞聖人は表現をします。このあたりを親鸞聖人は、
 
いろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばず、ことばもたえたり」(唯信鈔文意)
 
と示されます。それは真理というものは、色もないし、形もないし、こころや、言葉で言い尽くすこともできない(不可思議)、無限大の光明(智慧)である。これが阿弥陀仏という仏である。親鸞聖人はこういう認識をもたれます。
「阿弥陀仏」の「阿弥陀」とは、「無限、無量」という意味でした。阿弥陀如来の智慧は光のように、いつでも、どこにも、誰にでも届き、注がれていることを示すものです。それは教え(法)の無限なるはたらきを示すものでもあったのです。仏の智慧を光にたとえて、その普遍性を示すものであるといってもいいと思います。
また阿弥陀仏には、十二通りの働きがあるということは、親鸞聖人はいろんなところで述べておられましてね、一々詳しく申し上げることは出来ませんが、浄土真宗の関係の方には身近な『正信念仏偈(しようしんねんぶつげ)』という書物の中に、「十二の光が放ちては、あまたの国を照らすなり」。だから智慧の教えの光というものが、あらゆる国の、それこそ国境を越え、民族を越え、あらゆる人々、領土無差別に、この教えは届けられるんですよということを表現したところもあります。その次でありますが、「信心よろこぶひとはもろもろの如来とひとし」。これは先ほどの『華厳経』というお経に出てまいります。奈良の大仏さんは、ご本山は華厳宗と申しますね。華厳宗の方々が中心とする『華厳経』というお経には、こういうふうに説かれているんですね。それが、
 
信心よろこぶひとはもろもろの如来とひとし。そして「見てうやまい、得て大いによろこべば、すなわち我よき親しき友なり」
 
だから尊い仏の教えを見て尊敬し、教えを頂いて心から喜ぶ人、その人は我が親しきよき友ですから、お釈迦様・釈尊は、「私の友だちである」と、このように述べられています。ですから私は、釈迦牟尼世尊という偉大な釈尊、お釈迦様でありましても、私たちはその釈尊をただ仰ぎ見ると言うんでなくして、私は、「その教えに生きる者は、釈尊と友だちになる」。これが実は仏教の世界だということがよくみなさまにお聞き頂きます。簡単に申しますと、阿弥陀如来の教えを信じ、大いに喜ぶものこそ、私の本当のよき友であると。こういうことになります。そして親鸞聖人の悟り、浄土の教えというのは、浄土というのは、私たちのいのちが終わってから始まるということではない。これがとっても大事なとこなんですね。ただ死んでからそこにいくということになると、実はこれからも既に悟りの世界である浄土への歩みが始まっているんだ。この世は浄土どころではありませんね。煩悩だらけの迷いの土ですから。だからこれを穢れた土と書いた仏教では「穢土(えど)」読みます。我々は先ほどから申し上げたように、煩悩いっぱいに抱えた私ですから、どう考えてもこの世は真実の平等無差別な悟りの世界ではありません。そのように私たちが、真実の信心を恵まれて、いくら如来と等しいと言われましても、迷いの凡夫であることにはかわりはありません。ただその私に届けられている教え、真実によって私たちは新たな智慧をもってこの現実を生きる。先ほど申しましたそこから世間とか、世俗というものの誤りに深く気付かされ、そして少なくともその世間の誤りを、世俗の誤りをなんとか正しいものに導いていかなければならないという世界に向かっての歩みが、私は仏教者の歩みだと思うんです。私たちの方で、私が尊敬する安田理深(やすだりしん)(1900年兵庫県生まれ。1924年、大谷大学選科に入学。1930年、大学を追放された曽我量深、金子大栄を中心とした興法学園を発足させ、雑誌『興法』の編集発行人となる。1935年、曽我の命名による学仏道場、相応学舎を開き、生涯、聞法生活の中心とした。 1943年、東本願寺において得度、法名を「理深」とする。 1944年より1946年まで大谷大学に奉職。1982年没)という先生は、こういうことを言われましてね、「阿弥陀仏の教えに生きるものは、二つの戸籍を持つんだ」。みなさん、戸籍は一つですよね。何故その先生はそう言われたか。一つは、私たちの戸籍は役所にある戸籍。これを安田先生は、「穢土の戸籍」娑婆の戸籍ですね。もう一つは、「浄土の戸籍」と言われたんです。浄土というのは、教えに生きる者の尊い戸籍。つまり仏さまの教えに生きるものの戸籍と、この世俗を生きる戸籍と二つあるんだ。ちょっとおわかり難いかも知れませんが、その先生は、この土に生まれて、そしてこの土だけの世界の中に生きていると、必ず実は苦しみ・悲しみの人生ですから躓(つまず)きがある。時には死んでしまいたいような悲しいことにも突き当たる。それが安田先生が、「穢土の戸籍」と言うんですね。でも教えに出会っている人の戸籍をもつと、そういう辛い苦しい人生をなんとか乗り越えていくという阿弥陀仏の智慧の戸籍、そういうものを持たないと、人間はなかなか生きられないんではないかということを、「穢土の戸籍」「浄土の戸籍」という二つの戸籍をもつことが大切であるということを、安田先生はおっしゃいました。私はこのことをもっと身近で申しますと、親鸞聖人の書かれた詩のような和讃というものがありまして、一般に和讃には入っておりませんが、この和讃の中に、
 
超世(ちようせ)の悲願ききしより
われらは生死の凡夫かは
有漏(うろ)の穢身はかはらねど
こころは浄土にあそぶなり
(『帖外和讃』)
 
ちょっと言葉は難しいです。それに私たちの迷いを超えた阿弥陀仏の教えを聞きながら、残念ながら迷いだらけの私です。相変わらず煩悩の塊の私です。そのことにまったく残念ながら変わりはないんですが、しかし心は阿弥陀如来の浄土に生き生きと飛び回っています。まあこれは私の現代語訳なんですけどね。心は浄土に遊ぶ。だからあくまでも苦しみの世間、私たちは世俗の中を生きながら、心の深いところでは、そういう悟りの教えと結び付いている。だから苦しみを乗り越えられる。こういう和讃であろうと思うんです。教えを大変喜んだ方に、妙好人(みようこうにん)(篤信者)という人がいます。法を大変教えを喜んで人生の拠り所にした浅原才市(あさはらさいち)(1850-1932)という人が、こんな短い詩を詠んでいるんですね。
 
才市は臨終すんで、葬式すんで、
南無阿弥陀仏と此世には居る。
才市は阿弥陀なり、
阿弥陀は才市なり。
 
こんな言葉があります。そして、
 
才市、どこが浄土かい、
ここが浄土のなむあみだぶつ。
 
こういう詩があります。これはとっても誤解されやすいんですがね。私はここに教えを喜ばれた才市さんの真骨頂があるんではないか。向こうの方に浄土を考えるんじゃなくて、阿弥陀の教えというのは、私がここで生きているということ自身が、実は私が阿弥陀仏と共に生きていることと同じなんだ。だから「才市は阿弥陀なり、阿弥陀は才市なり」。お叱りを受けることがよくあるんですけども、教えと一体化してこの現実を私は生きる、あるいは生きている。こういう人の詩が、ただ今申しました詩であります。お時間の関係がありますが、このお手紙の終わりの方に、簡略して申しますと、「阿弥陀仏」という阿弥陀仏の名前を称えながら、もう一つ「帰命尽十方無礙光如来(きみようじんじつぽうむげこうによらい)」、これ阿弥陀仏の別名なんです。と称える人がいるけれども、これは慎むべきである。称えてはいけない、慎むべきであるという疑問があったそうですね。そのことに対して、親鸞聖人は、「いや、それはいっこうに差し支えがない。「南無阿弥陀仏」も、今申しました言葉は難しいですが、「尽十方無礙光如来」これ阿弥陀仏の別の呼び名も、本体は阿弥陀仏の悟りということですから、「南無阿弥陀仏」もいいし、「帰命尽十方無礙光如来」でもいいし、「南無不可思議光如来」、三つあるんですが、これはまったく本質は阿弥陀仏の教えそのものの言葉ですから、どれを称えても差し支えないんですよ」。こういう質問に対する答えが表れております。これも関東の方々が大変悩まれて、お手紙を出されたものに対する答えであったと思うんですね。最後になりますが、このお手紙に、覚信坊という方の名前が出てくるんですね。この方は、関東を出発して、京都の親鸞聖人のところに伺う時に、一日市(ひといち)というところで病気になりました。同行の方々は、関東に帰るべきだとこうおっしゃったんですね。その時に、この覚信という念仏者は、死ぬほどの重い病気なら、ここから関東へ帰っても死ぬでしょう。また病気が治るのなら、帰っても治るでしょうし、ここに居ても治ると思います。どうせ命が終わるならば、聖人のもとで終わりたいと思ってやって来ました、こうお話になったようですね。このような覚信坊の覚悟を添え書きを書いた蓮位は、本当に尊いものであると、このように記されました。親鸞聖人はこのことを、この方が往生―亡くなられるわけですから大変悲しいことである。でも実にそれは尊いことであるというふうに、お手紙に残しておられます。特に先ほど冒頭に申しましたように、慶信坊が、自分が親鸞聖人の説かれた教えを聞いている、あるいは学んでいる。これがもし間違っていたら大変なことになるから、どうか親鸞さま、間違いを指摘してくださいという、このお手紙が、今学んでまいりました第十三通のお手紙でありますね。それに対して親鸞聖人は、お手紙の末尾―終わりの方に、聖人が、「これで十分です。申し分ありません」。ですから慶信という念仏者と仲立ちをした蓮位(れんに)というお坊さんと、そして親鸞さんと、この三者によって成り立っているのが、この手紙の第十三通であります。ですから慶信坊の喜びが、あなたの領解(りようげ)―理解。仏教ではあまり「領解」と言って「理解」と言わない。「理解」というのは、どちらかというと、頭を中心にして納得することを理解というような、そんな意味で仏教は「領解(りようげ)」というのは、「領」は「うなずく」という字ですから、聞いたことを頭だけでなくて、心の底から本当にそうでしたね。いいことことを聞かせて頂きました、というのが「領解(りようげ)」というものですから、私はちょっと拘ってあんまり「理解」と言わずに「領解」とこういうのであります。今お聞き頂きましたように、大変このお手紙は他のお手紙と違って、今申しました三者によって纏められたお手紙、しかもしかも親鸞聖人の筆が残っておりますから、長年これが親鸞聖人の他のお手紙と同列に扱われて大事なものに関東の念仏者たちの中で、私は学びのもとになった。これが第十三通のお手紙ではないか。このような気持ちで、私はこの十三通を拝読を致します。次回は、「アミダ仏はいろもなくかたちもなし。無上仏」とこう書いてある大変大事なとこですが、第八回目はこのことについて少しお話をさせて頂きます。ありがとうございました。
 
     これは、平成二十七年十月十一日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである