初心を忘れず
 
                  臨済宗円覚寺派管長 横 田(よこた)  南 嶺(なんれい)
昭和三九年、和歌山県新宮市生まれ。昭和六二年、筑波大学卒。在学中に出家得度し、卒業と同時に京都建仁寺僧堂で修行。平成三年、円覚寺僧堂に加搭、足立大進前管長に師事。平成一一年、円覚寺僧堂師家に就任。平成二二年、 臨済宗円覚寺派管長に就任した。
 
ナレーター:  今日は、鎌倉の円覚寺(えんがくじ)管長横田南嶺さんに、「初心を忘れず」と題してお話頂きます。横田さんは、昭和三十九年のお生まれ。平成二十二年から円覚寺管長をお務めです。
 
横田:  「初心を忘れず」という題でお時間を頂いております。私が初めてお寺で坐禅をしたのはまだ小学生の頃でありました。すると、「どうしてそんな頃から坐禅をしたのか」とよく聞かれます。別段生まれた家はお寺ではありません。よく「三つ子の魂百まで」ということを申します。幼少の頃の記憶というものは、その人の一生に大きな影響を与えるものでございます。その人の記憶というものがいつ始まるのか。それはその人によってそれぞれあろうかと思います。私の場合は、満二歳の時に祖父が亡くなったということが記憶の始まりです。まだ二歳でしたけれども、そのことはよく覚えております。お爺さんが亡くなったこと、そしてお葬式をして、火葬場―焼き場に行った時のことを鮮明に覚えております。この頃のような綺麗な火葬場ではなくして、薄暗い焼き場でありました。煤けた煉瓦作りの竈に祖父の棺(ひつぎ)を納めて、パタンと蓋を閉めて火を点けた。この頃のように待っている間に焼けるわけではありませんでしたので、一旦家に戻りました。火葬場を出て、外に出て、ふと振り返って見ると煙突から白い煙がスーッと上がっているのが見えました。母に手を引かれながら、その煙を眺めました。そしてその時に母が、「お爺さんはあの白い煙になってお空に帰っていくんですよ」というようなことを教えてくれました。子ども心にも、はて、お爺さんは白い煙になってどこに行くのか不思議に思いました。身近な人の死。人は死ぬということが、私の一番記憶の始まりでした。それから小学生の頃に親しくいつも一緒に遊んでいた友人が白血病で亡くなるということがございました。いつも一緒に遊んでいたのに急に入院をしてしまい、お見舞いにも行きました。きっと退院をしてまた遊ぶことができると思っていたのですが、それが呆気なく亡くなってしまいました。そのお葬式には友人を代表して弔辞を読んだことも覚えております。これには堪えました。祖父のようなお年寄りの死ではなくして、同じ歳の友人の死であります。お葬式の後の精進落としには何も手を付けることができませんでした。こんな子どもが亡くなったというのに、どうして大人たちは平気でいられるのか不思議に思ったくらいでした。人は死ぬ。そしてそれはいつ死がおとずれるかはわからないという、大きな不安に包まれるような気が致しました。そんな頃に近所のお寺で坐禅に通うようになりました。そのお寺で初めて提唱(ていしよう)(禅宗で、教義の大綱を示し、説法すること)という老師さまと言われる方のお話をお伺い致しました。私が子どもの頃は、学校の先生というと偉い方だと思っておりました。またお寺の和尚さまは、更にお偉い方だと思っておりました。私が坐禅に行ったお寺の和尚さんは、学校の先生もしておりましたので、その両方を兼ねた和尚さまは大変にお偉い方であると思っておりました。その普段私どもが一番お偉いと思っている和尚さまが、老師さまという方がお見えになると、もう頭を畳に擦り付けるかのように平身低頭してお出迎えをなさっておりました。子ども心にももっとお偉い方がいらっしゃるんだなと感じ入ったものであります。今にしても思い出しますが、太鼓の合図で和尚さまが平身低頭して迎えなさってお出ましになったのが、茶色の粗末な麻のお衣を召した小柄な老師さまでございました。その老師がご提唱の前に、ご本尊さまの前でお焼香をして礼拝をなされました。そのお姿がなんとも神々(こうごう)しく思われまして、子どもながら大変な感銘を受けました。それは何か学校で学ぶこととは違った確かなものがここにあるという気が致しました。死に対する恐れ不安を解決をする道がここにあるのだと、そう思ったのであります。それから熱心にお寺に坐禅をするように、通うようになって、それがとうとう本職になって今日に至りました。そして未だに毎日坐禅をしております。その頃お聞きしたお話の内容は、残念ながらほとんど覚えておりません。ただ印象に残っていることが一つございます。それはその老師さまがお話の初めに、私たちをズーッと見渡して、そして手を合わせて、「今日、ここにお集まりのみなさまは、みんな仏さまです」と言って拝まれました。これには私は驚きました。どうしてだろうかと。何か勘違いをしているのではないだろうかと不思議に思いました。今までお偉いと思っていた和尚さんよりも、更にお偉い老師さまが見えて、その老師さまが拝まれたのは、なんとこの私たちでありました。確かに私たちは、ほんの少しばかり坐禅をしましたけれども、心の中はというと雑念や妄想ばかりで、とても仏さまなどとはほど遠いものです。坐禅をしていますと、いろんなことを考えてしまいます。お腹が減ったなとか、足が痛いなとか、夏であれば蚊が飛んで来たなとか、そんな雑念だらけの坐禅をしているのに、どうして拝まれたのであろうか不思議に思いました。それから十年が経ち、二十年が経ち、三十年が経って、私も少しばかり坐禅を続けてまいりまして、少しそのお言葉が分かり掛けてまいりました。それは「みんな仏さまの心を持っている」ということであります。お互いに姿形はさまざまであります。性格もそれぞれ違います。親切な人もあれば、怒りっぽい人もあれば、我が儘な人、いろいろありましょうけれども、しかしみんな誰しもが仏さまの心を持っているんだと。また初めて参禅をして老師のお話をお聞きした頃に、その老師さまが私に色紙を書いてくださいました。それは色紙に薄い墨で富士山の絵をお描きくださって、その上に「滑っても転んでも登れ富士の山」と、こういう賛を書いてくださいました。「滑っても転んでも登れ富士の山」と。この言葉も忘れることはできません。それからは滑って転んでの連続であったと思いますけれども、それでも一歩一歩歩みを進めていくその努力の大切さを教えてくださいました。そんな頃に中学生になって、私は有名な松原泰道(まつばらたいどう)(臨済宗の僧侶。東京都港区の龍源寺住職。岐阜県の瑞龍寺で修行したのち、臨済宗妙心寺派教学部長を務める。「般若心経入門」は記録的ベストセラーとなり、第一次仏教書ブームのきっかけを作った。宗派を超えた仏教者の集い「南無の会」前会長。肺炎のため101歳で死去:1907-2009)先生とのご縁を頂きました。紀州の和歌山県の田舎で生まれ育った私は、ある日ラジオを聞いていて、たまたま宗教の時間という番組で、松原泰道先生が『法句経(ほつくきよう)』の講義をなさっていて、それを聞くご縁に恵まれました。その当時はまだテレビというのは、一家に一台ある貴重なものであって、子どもが勝手に見るようなものではありませんでした。そこでラジオが楽しみでよく聞いておりました。そして松原泰道先生の『法句経』の講義が毎月一回、一年間十二回にわたって連続でございました。それはお経の講義ながら如何にも現代的な、そして私たちにも分かり易い明朗な口調で語り掛けてくださいまして、それに引き込まれるように毎月聞いてまして、その十二回の講義が終わった頃、たまたま上京する機会があって、是非ともこの先生に一度お目に掛かりたいと思って手紙を書いて出しました。当時の松原泰道先生というと、『般若心経入門』という本もお書きになって、講演や法話や、あるいは執筆にと、多忙を極める毎日でいらっしゃいました。しかしながら親切な松原泰道先生は、まったく面識のない一中学生の手紙に対しても、親切なご返事をくださって面会の約束をしてくださいました。そして紀州の田舎から上京して三田の龍源寺(りゆうげんじ)で初めて先生にお目に掛かりました。その初対面の時に、私は何とも無礼にも一枚の色紙を持って行って、「仏教のお経はたくさんあります。仏教についての書物もたくさんあります。とてもそれらすべてを学ぶことは不可能です。そこでどうか仏教の教えを一言で表す言葉を書いてください」と、そうお願いを致しました。今思い出しても冷や汗の出る思いです。しかし松原先生は、嫌な顔を一つなさらずに、その色紙に言葉を書いてくださいました。それは短い詩でありました。どういう詩かと申しますと、
 
花が咲いている
精一杯咲いている
私たちも精一杯生きよう
 
そう書いていました。そしてその時先生は、「花は何故咲くのかを考えなさい。それはその種の保存のためであるとか、いろんなことをいうでしょうけれども、しかしその花が咲いている姿を見て、そこから何かを学ぶことが大切です。花は与えられたいのちをその与えられた場所で精一杯咲いている。その姿を見て自分も精一杯生きようと、学ぶことが大切なんだ」と、確かそのようなことをお話くださいました。初めはこんな詩のどこがいいのか、よくはわからなかったのでありますが、この言葉も私の修行時代を支える言葉となりました。何事においてもとにかく精一杯努めるんだと。もうこれしかありません。できるできないという結果を問うのではなくして、今できることを精一杯努めると。このことを教わりました。またそして坐禅をしていた頃には、よく鎌倉の円覚寺の朝比奈宗源(あさひなそうげん)(鎌倉・円覚寺住職。臨済宗円覚寺派管長。日本大学宗教専門部(現存しない)卒。京都妙心寺、鎌倉円覚寺で修行。1942年円覚寺貫主。1945年円覚寺派管長。1963年に賀川豊彦、尾崎行雄らと世界連邦日本仏教徒協議会を結成、会長となった。駒澤大学教授:1891-1979)老師の書物も読んでおりました。それは朝比奈宗源老師というお方は、幼くしてご両親を亡くされて、早くから死の問題について疑いを持って本格的に坐禅の修行をなさった方であると。その方の書物を非常に繰り返し読んでおりました。今日私自身がこうしてその円覚寺にお世話になっているとは、その当時は夢にも思わなかったことであります。高校時代には、仏教詩人としてよく知られております坂村真民(さかむらしんみん)(1909-2006)先生とのご縁を頂きました。坂村先生は、当時愛媛県の砥部町(とべちよう)というところにいらっしゃって、直接お目に掛かることはできなかったのでありますが、先生の書物を通じて、何度か手紙を差し上げてご返事も頂いて、そして毎月坂村先生が『詩国(しこく)』という詩誌を出すのを毎月送って頂いておりました。愛媛県の砥部町に、あの先の東日本大震災から満一年経った日に、坂村真民記念館ができまして、私もそこを先年訪ねさせて頂きました。先生は詩人でありましたけれども、ご自分の詩を書で、大きな書でたくさん書いて残していらっしゃいました。その中で私がもっとも心を打たれたのは、九十二歳の時の先生の作品でした。実に大きな作品です。大きな書を書くということは体力も気力も充実していなければできるものではありません。九十二歳の書。何と書いてあったかというと、それが「初々(ういうい)しさ」という詩でありました。九十二歳で「初々しさ」と書かれておりました。何とも力強く、そして初々しい書でありました。こういう詩です。
 
「初々しさ」
初咲きの花の 初々しさ
この一番大切なものを
失ってしまった 
わが心の悲しさ
 
年々歳々花は咲き
年々歳々嘆きを重ね
今年も初咲きの
花に見入る
 
という詩であります。初々しさ―初心の尊さでありましょう。これを忘れてはならないんだと。九十歳を越えてもなおご自分を戒めていらっしゃることに心打たれました。先生には「初めの日に」という詩もございます。
 
「初めの日に」
なにも知らなかった日の
あの素直さにかえりたい
一ぱいのお茶にも
手を合わせていただいた日の
あの初めの日にかえりたい
 
慣れることは恐ろしいことだ
ああ
この禅寺の一木一草に
こころときめいた日の
あの初めの日にかえりたい
 
こういう詩であります。初心の尊いことはわかっていても、いつの間にか見失ってしまいます。慣れるということは、私たちにとって大事なことではありますが、また同時に慣れるということほど恐ろしいものもございません。では初心を失わないようにするには、どうしたらいいでありましょうか。今年初めて咲く一輪の花の姿や青葉や若葉、新芽、あるいはこの世に初めて生まれてきた赤ん坊の姿。初心を思い起こさせてくれるものは、私たちの周りにいくらでもあります。それらに触れるたびに私たちはこの初心―初々しさを失ってはならないと心に念じることが大切であります。「その道に入らんと思う心こそ、我が身ながらの師匠なりけれ」という歌もございます。よ〜し、この道に入ろうと思う。この道を志すその心こそが、私たちの一番の師匠であると。私どもはお釈迦さまの教えを学んでおります。お釈迦さまの教えというのは、お釈迦さまが悟りを開いた、お悟りになったことが一番の根本であります。お釈迦さまが一体何をお悟りになったかと。それは「あらゆるいのちあるものは、みんな仏さまの心。仏さまの心を持っているんだと。持って生まれたのは仏さまの心一つである」と。ではその仏さまの心というのは、どういうものでありましょうか。それはお経の中には、「慈悲の心」であると説かれております。人を慈しみ思いやる。この心こそが私たちの本心であります。みんな持って生まれてきたのは、この心です。そしてお釈迦さまは、お亡くなりになる時には、「怠らず努めよ」と仰せになりました。みんな素晴らしい心を持って生まれながら、それを見失っている。先ずこの心に目覚めて、みんなにも気が付いてもらうように精一杯努めて、お互いが安らかで幸せに暮らせるように努めましょうというのが、仏さまの教えです。哲学者であり教育者でもあった森信三(もりしんぞう)(1920年広島高等師範学校英語科に入学、福島政雄・西晋一郎に学ぶ。1923年京都帝国大学哲学科に入学し、主任教授西田幾多郎の教えを受ける。神戸大学教育学部教授に就任。同大学退官後の1965年には神戸海星女子学院大学教授に就任。1975年「実践人の家」建設。森はその生涯から「人生二度なし」の真理を根本信条とし、「全一学」という学問を提唱した:1896-1992)先生という方の言葉に、
 
如何にささやかな事でもよい。
とにかく人間は他人のために尽くすことによって
はじめて自他共に幸せとなる。
これだけは確かです
 
という言葉があります。お互いに死はいつ訪れるかわかりません。でも何か自分のできることを精一杯努めて身近な人に喜んで貰える。何か人のために精一杯尽くして喜んで貰えることがあれば、それで十分であろうと、私は思っております。初めてお寺で坐禅をしたあの日のことを胸に刻んで、初めてご縁を頂いた勝れた老師さま方の教えを胸に刻んで一日一日を精一杯努めていきたいと、そう念じているこの頃であります。
 
     これは、平成二十七年十一月十五日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである。
     (初回放送は、平成二十六年二月十六日)