親鸞聖人からの手紙H念仏のために権力者を利用する
 
               武蔵野大学名誉教授 山 崎(やまざき)  龍 明(りゆうみよう)
 
ナレーター:  「親鸞聖人からの手紙」その第九回「念仏のために権力者を利用する」、お話は武蔵野大学名誉教授の山崎龍明さんです。
 
山崎:  本日は九回目の放送でございます。手紙の十七通に当たりますが、「念仏者のために権力者を利用してはならない」と言われる親鸞聖人の言葉を中心にお話致したいと思います。親鸞聖人が関東におよそ二十年間滞在されました。その間伝道、要するに教えを伝えることに懸命になられました。六十二歳頃、親鸞聖人が京都に帰られてから、後の関東の念仏集団というのは大変な混乱状態に陥りました。そのもっとも典型的な問題がこの手紙第十七通だと考えてもいいと思います。そういう意味で極めて興味深いものと考えられます。やはりここでも親鸞聖人の長男であります善鸞さんが絡んでいることが見られます。聖人の悩みは大変深かったに違いありません。親鸞聖人は、「かへすがへすこころぐるしく候ふ」と記しています。つまり「なんともこころの痛むところです」というわけです。さて、そのこころ痛むという中身は一体なんだったんでしょうか。私はこの手紙の中にある次の言葉に魅き付けられてまいりました。それは、
 
余のひとびとを縁として、念仏をひろめんと、はからひあはせたまふこと、ゆめゆめあるべからず候ふ。
 
簡単に申しますならば、世間の権力者と言いましょうか、力ある人々に取り入って、教えを広めようと企てるようなことは決してあってはなりません。こういう強い口調で述べておられます。ここでは「余のひとびと」となっていますが、具体的にはその地方の在地の権力者のことであると考えても間違いないと思います。要するに権力者に取り入って法をひろめる、教えをひろめる、これはとっても恥ずかしいことであると、聖人は示すのです。このあたりにも私は親鸞聖人らしい教えに対する厳しさが示されていると考えます。教えはひろまる縁があればひろまり、縁がなければそこで尽きてしまっても致し方がない。縁あればまた新たなる場で教えはひろまっていくでしょう。これが親鸞聖人の考えでした。知られる通り親鸞聖人は、門下を離れていく念仏者に対して、憤りをもって聖教(しようぎよう)―仏教の書物、あるいは本尊、そういうものを取り返すべきだという側近―門下生対して、親鸞聖人は、「私に自専(じせん)すべからず」といいました。つまり、そういう大切なものを私物化してはならない。私物化は許されないとこういうわけであります。これは茨城の新提(にいづつみ)という場所なんですが、信楽(しんぎよう)という方が何か理由があったんでしょうね、親鸞聖人のもとを離れていくときのエピソードです。聖人の曾孫(ひいまご)に当たります覚如(かくによ)は次のように記しています。
 
本尊・聖教をとりかへすこと、はなはだしかるべからざることなり。そのゆゑは親鸞は弟子一人(いちにん)ももたず、なにごとををしへて弟子といふべきぞや。みな如来の御弟子なれば、みなともに同行(どうぎよう)なり。
 
今申しましたように、そういうものを取り返すということは甚だ間違っている。何故ならば私は弟子というものを一人も持っていない。何事を教えてお弟子というのであるか。それはみな阿弥陀如来のお弟子なんである。私も阿弥陀仏の弟子、あなたもお弟子、みな共に同じ道をいく同行なりとこう記しております。しかしこういうことはかなり当時の関東の中では多く見られたということが、その文章からも知られるところであります。つまり親鸞聖人にしてみますと、それは誤った師弟関係であると。その辺りを有名な言葉ですが、「親鸞は弟子一人ももたず」「みな如来の御弟子」仏の弟子である。こういうことがここには述べられております。ちょっと詳しく申しますと、こういうふうに書いてあるんですが、
 
このごろ、念仏者の間で意見が異なったとき、本尊や聖教をとり返し、しかも信心をとり返すなどということが、国中に繁昌しているらしい。このことはかえすがえすあってはならないことである。本尊や聖教は衆生が救われていく方便(手だて)であるから、親鸞と別れて他の人についたとしても、それは救いとは関係がない。アミダ如来の教えは世の中にはたらき、ひろまっていくものであるからである。
僧が憎ければ袈裟まで憎いという思いから、たとえ聖教を山や野に捨てたとしても、そのあたりの生きとし生けるものがその聖教に救われて、利益を得るのである。そのときこそ、アミダ如来の衆生救済の本懐が果たされるときである。凡夫の執着するところの財物のように、とり返すというようなことはあってはならないことである。
 
現代語訳しますと、こういう文章であります。これは覚如上人の書物であります。この背後には念仏往生の信心を得るということは、お釈迦様と阿弥陀仏の働きとして起こったものであるから、私が教えを授けたのではないとこういうことになるわけであります。従って「親鸞は弟子一人ももたず、なにごとををしへて弟子といふべきぞや。みな如来の御弟子なれば、みなともに同行なり」とこのように示されております。これは親鸞聖人のお弟子の書かれた『歎異抄(たんにしよう)』という書物の中に同じことが述べられております。第六章にですけど、
 
専修念仏のともがらの、わが弟子、ひとの弟子といふ相論の候ふらんこと、もってのほかの子細なり。親鸞は弟子一人ももたず候ふ。
 
『歎異抄』にはこうありますが、先の覚如上人の言葉とピタッと一致する言葉であります。そしてこの『歎異抄』では、あとに私は大変好きな言葉なんですが、
 
つくべき縁あればともなひ、はなるべき縁あればはなるることのあるをも、師をそむきて、ひとにつれて念仏すれば、往生すべからざるものなりなんどいふこと、不可説なり。
 
こういう言葉があるんですね。要するに縁というのは―仏教では縁ということをよく申しますが、「つくべき縁」要するに出会いですね。素敵な人と出会う。こういう人と出会う。これは縁であります。しかし親鸞聖人はその後に「はなるべき縁あればはなるることのあるをも」と書いてありますから、縁には出会いの縁もあるし、また別れの縁もあるんだ。出会いの縁がなりたつとさまざまな方と出会う。しかし残念ながら別れたくなくとも別れなければならない縁が生ずれば、その人と別れていかなければならない。特に私はそこに縁を、出会いだけでなくて、離れるべき縁もあるんだということに、昔から心惹かれてまいりました。こういうことが親鸞聖人の『歎異抄』の中に見えるわけでありまして、要するに縁が尽きてしまったならば、要するにその土地で縁がないんであるから、また新たな場所に縁が尽きたら他に移るべしと、こういうふうに親鸞聖人が述べるわけですね。それはつまり縁というのは働きですからね。縁というのは一般に「条件」と説明されることがありますけど、縁ですから働き、ですから仏の教えがそこで途絶えてしまったら、それはもうその教えが働く場所ではない。その場を立ち去りなさいということになるでしょうか。そういう大事なことを認識しないで、権力者の力を借りたり、絶大な力を持っている人に取り入って教えをひろめようとしたり、あるいは手段を選ばすに進むということは間違いですよ。簡単にいうと、こういうことを親鸞聖人は信楽坊(しんぎようぼう)というお弟子に書き送ったわけですね。この手紙では教えの取り違い―教えの取り誤りですね―異義というものに動揺する関東の念仏者たちの不安を取り除くために遣わした親鸞さんの息子さんの善鸞(慈信房)さんの行動がかなり大きく要因になっているということは言えると思います。要するに、親鸞聖人は、「善鸞房があれこれといったことによって、人々の心が惑わされてしまったと聞いています。なんとも心が痛むことです」と、お手紙にこのように見られます。結論としましては、すべて仏の働きに委せなければなりません。その土地での縁が尽きてしまったなら、どこへでも縁のあるところに移ることをお考えになることがよいでしょう。こういうお手紙であります。そして手紙には、
 
慈信坊が申し候ふことをたのみおぼしめして、これよりは余の人を強縁(ごうえん)として念仏ひろめよと申すこと、ゆめゆめ申したること候はず。きはまれるひがごとにて候ふ。
 
大変言葉が強いですね。ゆめゆめ申したことはない。そして「きはまれるひがごと」というのは、あってはならないとんでもない間違いであるという強い言葉をもって、そのことの誤りを親鸞聖人は示しております。ここには親鸞聖人の静かな怒りが私は伝わってくるような気が致します。そして次の「親鸞一人がためなりけり」というみだしなるところでありますが、これはあまりにも有名な、やはりさっきの『歎異抄』の書物の中の言葉ですが、
 
弥陀の五劫(ごこう)思惟(しゆい)の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。
 
それは阿弥陀仏の善人も悪人も、賢い者も愚かなる者も、あらゆるものを幸せにしなければ、私は仏にならないと誓われた阿弥陀仏の願い―本願(ほんがん)を言いますが―それをよくよく考えてみると、結局それは私一人のための教えであった。それが「親鸞一人がためなりけり」とこういう言葉であります。時折この言葉は誤解されるんでありますが、教えというものはあらゆる人々に開かれたものでありながら、とことん突き詰めていくと、救われなければならない罪なる存在、おぞましい存在はこのわたし一人であると。こういうふうに親鸞聖人が理解された言葉が「親鸞一人がためなりけり」と、こういう言葉になって表れて私はきたんだというふうに理解致しております。私は信仰といいましょうか、信心の世界というのは、一人ひとりが教えを聞いて、教えに問い、そして深く頷く。これが信仰の世界だと思うんですね。あんなに偉い人が信仰しているから、この信仰は間違いないとか、そういうことでは私はないと思うんですね。それが先の「親鸞一人がためなりけり」という、こういう言葉になって私は表れたんだと、こういうふうに考えております。そしてその次ぎにお釈迦様は常々この教えを信じる人もある、しかし謗(そし)る人もあるとこういうふうに説かれているわけですね。そのことを親鸞聖人はこういうふうにおっしゃっていますね。
 
この法をば信ずる衆生もあり、そしる衆生もあるべしと、仏説きおかせたまひたることなれば、われはすでに信じたてまつる。またひとありてそしるにて、仏説まことなりけりとしられ候ふ。
 
これはどういうことかというと、教えを信ずる人だけがあって、そしる人がないとするならば、お釈迦様の説いたことは嘘になってしまうけど、この教えは信ずる人もいるし、信じられない人もあるんですよ。それは普通のことなんですよと、お釈迦様はお説きになった。だから関東でその阿弥陀仏の教えを信ずる人もあり、逆に謗る人もある。これは当然のことなんで、それ以上でも以下でもないですよということを、関東の念仏者に親鸞聖人が示しておられる。『歎異抄』という書物には「信謗(しんぼう)ともにあるべきむねをしろしめして」とあります。信ずる人も謗る人も共にあるべきことをお示しになって、このようにあります。私はそこに、
 
信順(しんじゆん)を因とし、疑謗(ぎほう)を縁として
 
という親鸞聖人のもっとも大切な書物の『教行信証(きようぎようしんしよう)』というものにありまして、「信順」というのは、信じ従うこと、「因」ですから種として、「疑謗」というのは、疑うことを因としてとこうあるんですね。これは私はただこの教えを信ずるものは救われるんですよとうことではなくて、信ずることのできる人を因として、また謗る方を縁として、私たちは信というものを得ることができるんだと。ちょっと難しいでしょう。別の言い方をしますと、信ずる者もそれを謗る者もみな共にアミダ如来の世界、教えに摂(おさ)め取られて救われていくんだ、こういうふうに申しあげたらよろしいかも知れませんね。『唯信鈔(ゆいしんしよう)』という親鸞聖人が尊敬された聖覚(せいかく)という方の書物に「信謗―つまり信ずることも謗ることも―ともに因として、みなまさに浄土に生まるべし」とこう書いていますから、信ずる者も謗る者も教えから漏れるものは一人もいないと、こういうことになるんでしょうか。そしてこのような関東で混乱が起こったこのことに対しまして、親鸞聖人がこんなことを手紙で述べていらっしゃる。それは
 
ひとびとの日ごろの信のたぢろきあうておはしまし候ふも、詮(せん)ずるところは、ひとびとの信心のまことならぬことのあらはれて候ふ。
 
簡単に申しますと、こういう善鸞の言ったことによって、その関東の人たちが大変迷っていらっしゃるというのは、それはよく考えたらお一人おひとりが真の信心というものを自らの中に持っていなかったということの、逆に現れかも知れない。そのことが明らかになったということは、逆にいうと親鸞聖人は、
 
よきことにて候ふ。
 
こう書いてあるんですね。悲しい出来事であったけれども、それによってお互いの信心が不確かであった。それがわかった。それは実はよきことであった。それが「よきことにて候ふ」こういうふうに親鸞聖人は述べているわけですね。この後には当時大変混乱がありました「一念多念の争い」と言いまして、「念仏は一回でいい」「いや、たくさん称えなければならない」こういう議論が随分当時あったことが知られますね。それに対して親鸞聖人は結論として、「一度でいい、あるいは多く称えなければ救われないということに拘ること自身がおかしいんだ」こういうのが親鸞さんの基本的な姿勢だったんですね。大変心惹かれます。というのは、当時は念仏をたくさん称えることが素晴らしいという常識的な世界なのに、数に拘るんではなくて、阿弥陀仏の教えを私がどのように聞いて頷くことができるか。つまり信ずることができるか。拠り所にすることができるか。そのことがもっとも大切なことなんで、一念、多念に拘るというのは正しくありません。こういうことも当時の関東の中でよく言われています。先ほどの「権力者を利用してはならない」という言葉で申しましたけれども、ちょっとこのことに拘ってみますと、これ私は信心、あるいは信仰と世間と言うんでしょうか、信心と世俗という、社会と言ってもいい、信仰と社会、仏教と社会と言ってもいいですが、こういう問題になると思うんですね。私は宗教の尊さというのは、世間と世俗というものと、その次元を異にするところにその尊さがあると思うんですね。世俗で認められていることをその通り認めるというんでありましたら、世俗順応主義であって、私はこれは信仰とは言えない。つまり世俗への埋没と言ってもいいでしょうかね。日本の仏教というのは、私は大袈裟な言い方をさせて頂くもらうと、日本の仏教の歴史というのは、こういう誤りを犯してきたんではないか。つまり信仰が世俗あるいは道徳を補うものであると。つまり仏教がイコール道徳であるという方がとっても多いですね。道徳を否定するんではありません。道徳は人と人としての尊い道ですから。しかし親鸞さんは信心の道というのは、それを超えて私がどのように生き、どのように死んでいくことができる道、そのことの獲得が信心の世界、つまり宗教の世界だから単なる世俗とは違うと、こういうことになるんでしょうか。それと私は権力者を念仏のために利用するなということの意味は、とっても大切なことでないかなという思いが致します。くどいようですが、信心は世俗にあって、私たちは世俗社会の中にあって世俗を超える。世俗というものを相対的なものと見ている。つまり絶対化しないということですね。お金も地位も名誉も財産も健康も、大変私たちにとっては魅力的ですよね。でもそれは究極的ないのちの問題を解決するものにはならない。それが親鸞聖人のいう信義は世俗を超えるものであるという、そういう世界だろうとこう思っております。親鸞聖人が念仏弾圧で越後・新潟に流罪―流されます。その時も痛烈にその当時のいわゆる島流しにしたり、僧侶を死罪にした人たちに対して激烈な言葉で社会批判している言葉がありまして、それは、
 
主上(しゆじよう)臣下(しんか)、法に背き義に違し、忿りを成し怨みを結ぶ
 
簡単に言いますと、天皇さんもその家臣も真実の教えに背(そむ)いて、道理に背いて、ただ感情的に念仏者を死罪にし、そして流罪―島流しにした。私はこの誤りと悲しみは生涯忘れることができないと、『教行信証』という書物の中に記されました。これは主上臣下と言いましたけれども、お経の中に、
 
主上あきらかならずして、臣下を任用すれば、臣下自在にして機偽(きぎ)多端(たたん)なり。
 
「臣下(しんか)」を仏教読みでは「じんげ」と読むんですが、どういうことか。上に立つ者は能力がない。すると、そしてその能力のないところから部下を任用―用いたりすると、そうすると部下は勝手気ままなことをして、実に機偽(きぎ)ですから偽りだらけになって、収拾がつかなくなるんだ。これは『無量寿経』というお経の中の言葉ですから、お釈迦様の言葉で、これを親鸞聖人は根拠におきまして、やっぱり「主上」というのは、これは天皇さんのことなんですが、天皇もその臣下も―家臣も法に背き道理に反してただ怒りを出し怨みの中で感情的に仏教者を弾圧した。つまり念仏者に対する思想弾圧を、親鸞聖人はこういう形で反論しているという、こういう文章であります。親鸞聖人はこの時から、私は国家から弾圧されて僧籍を剥奪―僧侶ではなくなったわけですからね、親鸞さんは―その後から「しかればすでに僧にあらず俗にあらず」と、大変有名な言葉。僧侶ではない―僧侶でなければ俗人ですよね―親鸞は非俗ですが、「俗にあらず」と言ったんですね。国家の決める僧侶では、私はもうなくなったけれども、しかし心の深いところではブッダ・阿弥陀仏の教えと共に生きる単なる俗人ではありませんよと。自分の内側の中に、そういう仏教という価値観を持って生きるものですよ。これが「僧にあらず、俗にあらず」という。私はまことに親鸞聖人らしい反骨の精神が表れているんではないかなと、昔から読んできたところであります。浄土真宗は、「在家仏教」と言われる方がよくいるんでありますけども、「在家」に対して「出家」というのは、世間を捨てて仏道修行に励む人ですが、男性の出家というのは、南方仏教では二五○の戒律を守りますし、女性の出家は、三四八の戒律―決まり事をこう守りますからね。在家の方というのは、出家でないけど五つの戒律を守るんですね。例えば「殺すな、盗むな、嘘をつくな、みだらな異性関係をもつな、酒を飲むな」という戒律を保つものが在家という人たちなんです。浄土真宗は在家宗教であるという人がいらっしゃるけれども、浄土真宗には守るべき戒律というものがありませんから、私は単に何の手続きもなしに浄土真宗は在家仏教というのは、私は正しくないだろうと。私は浄土真宗は「在俗の宗教」、この社会の中にあって、私たちが社会を超えるアミダの教えに生きるもの。私はそれは「在俗の宗教」と、このように昔から言い表しております。俗の中にあって俗世間の偽り誤り、私たちの周りの中でも社会・政治・経済・人間、いろんな誤りがあるじゃないですか。その誤りにほんとに気付くというのは、やっぱり人間を超えた智慧の世界、真実なるものの世界、そういうものに出会って、その世間・社会の誤りが私は初めて見えてくるんだと思うんですね。その辺りを親鸞聖人は「非俗」俗にあらずと、このように表現をされました。いろいろお聞き頂いてまいりましたけれども、教えを弘めるために手段を選ばずにしゃかりきになってそのことに邁進するというのはどう考えても誤りである。教えはですね、教えそのものとしてあるんで、縁があれば広がっていくし、縁がなければそこで途絶えることもある。それは当たり前のことではないか。そういう道理にきちっと目覚めた中で、教えに背いた者は許すことができないとか、いう心で教えを考えてはならないということが、この手紙の中では表れていると、このように申しあげてもよろしいかも知れませんね。世俗権力者に取り入って念仏の教えを弘めることは、念仏そのものの死である、本末転倒である。これが親鸞聖人の立場でありました。世俗社会を補うものとしての仏教というのは、国民道徳として定着しまして、仏教は道徳としてその働き・機能を発揮することによって、この社会の中で位置を占めてまいりました。これも私は必ずしも正しい方向ではない。このように親鸞聖人の教えを学ぶ中から、私は教えられることであります。
 
     これは、平成二十七年十二月十三日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである