生と死の境を看取って
 
                  日本看取り士会会長 柴 田(しばた) 久美子(くみこ)
1952年、島根県出雲市生まれ。1973年、大阪YMCA 秘書科卒業。1973年、日本マクドナルド株式会社勤務。秘書、ライセンス店店長などを経験。1989年、東京都及び福岡県にて洋食レストラン「Pooh's House」を自営。1993年、福岡県の特別養護老人ホームにて、寮母として勤務。1995年、福岡県の有料老人ホームにて、寮母として勤務。1998年、隠岐諸島知夫里島(隠岐郡知夫村)へ移住。1998年、知夫村社会福祉協議会にて、ホームヘルパーとして勤務。2002年、NPO法人「なごみの里」設立(島根県隠岐郡)。同理事長(代表)。2010年、第1回AJCC(オールジャパンケアコンテスト)企画・主催。2011年、NPO法人解散。一般社団法人「なごみの里」代表理事に就任。2012年、一般社団法人「日本看取り士会」設立。同代表理事に就任。2014年、第1回日本の看取りを考える全国大会主宰。一般社団法人なごみの里 代表理事。一般社団法人日本看取り士会代表理事。介護支援専門員。吉備国際大学短期大学部講師。神戸看護専門学校講師。
                  き き て     金 光 寿 郎
 
ナレーター:  今日は、「生と死の境を看取って」というテーマで、日本看取り士会会長の柴田久美子さんにお話頂きます。柴田さんは、一九五二年(昭和二十七年)のお生まれ。二○○二年(平成十四年)に病院のない離島で看取りの家「なごみの家」を設立して、本人が希望する自然死で終末に臨む人を抱きしめて看取る実践を重ねます。そして現在は岡山市に拠点を移して「なごみの里」を運営している方です。聞き手は金光寿郎ディレクターです。
 

 
金光:  柴田さんのご紹介は、日本看取り士会の会長さんということでご紹介したんですが、看取り士というのはどういう仕事をなさっているんですか?
 
柴田:  看取り士というのは余命を告知をなさった方とか、あるいはもうご飯が食べられなくなったという状態の時に、私どもがご連絡を頂いて、そこからいろんな「どこで死にたいですか?」というようなことと、「誰に看取られたいのか?」とか、「どんな最期を迎えたいのか?」、もう一点は「何にお困りですか?」という、この四点をお聞かせ頂いて、それをプロデュースして、納棺の前までをお付き合いさせて頂く。寄りそうような役割をさせて頂いています。
 
金光:  まだ余命の告知なんかを病状と共に、「あとあなたはどれくらいの寿命ですよ」ということを告げる。その告げることはあんまり昔はなかったようですけれども。
 
柴田:  そうですね。
 
金光:  柴田さんの仕事をなさる頃は、「あなたはあと余命はこのくらいですよ」というのを知らされる方が多くなっていた頃ですか?
 
柴田:  そうですね。「看取り士」と名告(なの)ったのは、今から五年前なんですけれど。
 
金光:  そうですか。
 
柴田:  それ以前はそうではなくて、「看取りの家」ということで、私どもにお預かりして、お一人ひとり丁寧に看取っていくという実践を十年間続けてきて、その十年間の体験をもとに、看取り士とエンゼルチームという無償のボランティアの方々と一緒にお一人の方を丁寧に看取るという仕組みを作って、今五年になるんですけれども、五年前ぐらいからだんだん先生たちが余命告知をなさるようになってきました。
 
金光:  今のお話を伺うと、病院の先生に「あなたの余命はこうですよ」と言われて、その後で患者さんがどうしようかとお考えになった結果、ご相談ということでしょうか?
 
柴田:  患者さんご自身というよりも、私たちのほとんどはご家族の方が―息子さんであるとか、娘さんであるとかが、「お父さんやお母さんを幸せな最期を迎えさせてあげたいので手伝ってください」ということでお電話を頂くケースが圧倒的に多いです。
 
金光:  そうしますと、ご家族の方は、将来これから介護しなければいけないと。余命の告知は受けたけれども、さてでは亡くなって逝かれる方にどう応対すればいいか。そういうことは初めての経験の方が多いもんですから、やっぱりその辺でいろんな戸惑いを感じられる方もいらっしゃるでしょうね。
 
柴田:  もうほとんどがそうなんですね。例えば一人息子さんであるとか、一人っ子さんが、私どものご依頼は圧倒的に多いんですけれども、やっぱり初めての体験で、例えば「家で最期を迎えたい」とお父さんやお母さんがおっしゃっても、その方法がわからなくて、で、ケアマネージャーさんですとか、掛かりつけ医さんまでは辿り着かれるんですが、具体的にどう対応していいのかわからない、というケースが圧倒的に多いですね。
 
金光:  そのご家庭ご家庭で事情は違うと思いますけれども、基本的に先ほどおっしゃったか四つの条件ですか、基本的な条件を踏まえたうえで受け取って介護なさるんでしょうけれども、人間というのはいろんな生き方をなさっていますので、みなさん同じようにスムーズに安心しながら、これで安心だと言って亡くなって逝かれるわけではないんじゃないかと思いますが、その辺いろんなタイプの方がいらっしゃると思いますが、最初の頃のご苦労の話からちょっと聞かせて頂けませんでしょうか。
 
柴田:  はい。初めはご依頼を受けたのが六十四歳のお父さま。「もう癌の末期で余命一ヶ月と告知を受けた」と、三十代のお嬢さんからのご連絡で、幼稚園のお子さんとまだ赤ん坊を抱っこして私どもに相談に見えました。一ヶ月のお父さまに告知を先生がなさって、その後四つの質問をしました中で、お父さまは六十歳の時に癌を発症なさっている。六十四歳まで治療しながら、でも仕事をなさっている。「自分は家族のために一生懸命働いてきた。最期一ヶ月というならば、僕は住み慣れた家で最期を迎えたい」って強く望まれました。ところが最愛の奥様がやっぱり怖いというんですね。
 
金光:  旦那様が亡くなられることに対して、
 
柴田:  そうなんです。
 
金光:  それはそうでしょうね。
 
柴田:  病院死というのが、今現在八割なんですね。「自宅で最期を」というのが、「見たことがない」というのが圧倒的に多くて、「その最期を自分が一人で抱え込むというのは、私にはできない」というふうに、六十代のお母様に言われてしまって、お子様が実は二人いらっしゃるので、「交代で自分たちは泊まりにいくよ」と。ちょっと実家からは出ているんだけれども、「泊まりにいくよ」ということでお伝えさせたんですけど、私どもも勿論お泊まりもさせて頂く。エンゼルチームも日中交代で、ということで迎えて頂くように私も説得したんですけれども、残念ながらやっぱりそこは非常に高い壁があって、それ以前のご夫婦の関係ですとか、家族の事情さとか、本当に多岐にわたるものがそこに集約されて出てくるんですね。
 
金光:  そうでしょうね。
 
柴田:  なので、よく「生き様に死に様」とおっしゃいますけれども、それを毎回それを見せて頂く思いなんですが、その男性も結果的にはお家に帰れなかったんですね。
 
金光:  帰れなかったんですか?
 
柴田:  帰れなかったんですね。やっぱりご家族の高い壁というのは、現場で私は非常によくぶつかる壁でして、やはりもっとみなさんにその旅立ちの真実、人間はどういうふうになって最期を迎えていくのかというのをご理解頂きたいなという思いで、実はこのお父さまに最期旅立ちの二日前にお迎え現象というのが来てですね、「自分の車を友人が四人で畦道に落ちたんだけど揚げてくれたんだよ」という話をなさって、その友人はもう既に旅立たれた方なんですけれども、そういう話を沢山たくさんしてくださるようになって、でもなんとも言えない笑顔に変わられたんですね。ほんとにそのお迎えが来て楽しい嬉しいという凄い満足感を私たちにも存分に見せてくださって、そして二日間というのは、誰が傍に来てもほんとに満面の笑みで受け止めてくださって、感謝の思いを誰にも伝えてくださって、穏やかに最期をお迎えられたんで、私たちは凄い救われたんですけれども。
 
金光:  その方は結局は病院で亡くなられた?
 
柴田:  そうなんです。
 
金光:  それで柴田さん付き添われたわけですか?
 
柴田:  そうですね。最期は実はご依頼頂いたお嬢様と奥様は洗濯物を取りにお帰りになっていたその時だったんですね。ご連絡をすぐ頂いて、ほとんどが最期の時というか、その段階になると、ずっと傍にいるわけではないので、携帯でのやりとりになるんですね。「柴田さん、私は抱いて送りたかったんだけど、間に合わなかった」とおっしゃったんですね、娘さんから。「そうではないですよ。お父さんはまだそこにある。なので間に合ったんですよ、抱いてください!」って申しあげたんですね。そうしたら抱いて、ほんとに抱いてくださって、お嬢様がおっしゃったのは、「温かい」って、言ってくださったんですね。私たち看取り士は、臨終を「臨命終時(りんみようしゆうじ)」というふうに、命の終わりの時に臨む。「ご家族に今から命を受け取ってくださるよ」という、そういう場面だというふうに捉えていますので、「臨終」って、先生に言われても、私たちはまだ温かいうちは「間に合ってよかったんですね」というお声を掛けさせて頂いて、抱いて頂く。あるいは手を握って頂く。で、それまで溜めてこられた命そのものを受け取って頂くという役割をしていまして、お嬢様もそれを素直に受け取ってくださって抱いてくださったんです。
 
金光:  大家族で暮らしている方は、お爺さんとかそういう方のご臨終に立ち会われる経験もおありでしょうけれども、核家族になるとなかなかそこが難しいところがあるだろうと思いますが、ただ今お話を伺いながら、私ももう何十年も前ですけれども、父親が亡くなった後でですね、その亡くなった身体を抱いて場所を移す時に、手や足がほんとに冷たくなっていましてね、これはさっきまで生きていた人間がかくも変わるものかという冷たさと共に人間の死に直面すると身体もこうなるんだなというのが強い印象として残っているんですが、今のお話を聞いて「温かい」とおっしゃるんでビックリしたんですけれど。
 
柴田:  そうですね。私たちは、その身体の冷たさ、確かに手―末端は冷えていくんですね。ところが中、例えばお腹、あるいは背中というところを触ると実は温かいんです。その温もりを感じて頂いて、最期に遺された、そしてまたそれが冷たくなっていくんですね。かなり時間が経つと。そうすると、その冷たさも、今金光さんがおっしゃったようにちゃんと触れて頂いて、それをいわゆるグリーフケアということで、ご家族の悲嘆をそこで取ろうと。身体で人が旅立つという人の死を身体で受け止めて、いわゆる生の別れの後に非常に鬱になられる方が多いんですが、それもその時間のうちに解決していこうということで今活動させて頂いています。
 
金光:  先ほどのお話を伺いながら、最期のこの非常に笑顔で非常に満足した形でこの世を去って逝かれるというお話を聞いて、そんなことがあるのかしらと思いましたけれども、これはお一人だけのことではないんですか?
 
柴田:  いいえ。私たちが看取らせて頂く方すべてがそうなんですね。実は私たちは必ず「触れる、抱く、手を握る」というような身体で受け止めるということを、
 
金光:  頭でなくて感覚を通して相手の人と触れ合うということですね。
 
柴田:  そうですね。それをした時に「旅立つ方と一つになる」と、私はいうんですけれども、一体感を味わった時に、その方々がすべてこう穏やかなんですね、とても。それに私は活動を二十五年しているんですが、何百人も―数えていないんでわからないんですが、身体で最期を見送ってまいりました。その中で体感して感じたのが一つになると、人は最期の時に旅立つ人のその穏やかさをこう頂けて、死というものの恐怖は消えていくというのを凄く感じています。
 
金光:  でも世の中には親子仲の悪いケースもいっぱいあるんだろうし、夫婦も仲が悪く一緒の墓に入りたくないという方もけっこういらっしゃるようですけれども、そういう仲の悪い人の最期の場合でも、そういう結果に仲良くなるというか、和解という気持ちが伝わってくるものですか?
 
柴田:  はい。そう思います。私たちはほんとに本人が死と受け入れられていたら、最期までの時間を「仲良し時間」と呼ぶんですけれども、その時間は旅立つ人が先導して、
 
金光:  先に導いてくださる?
 
柴田:  そういう時間だと思っています。なので、仮に親子のトラブルがあったとしてもそこで和解が成り立っていって、最期は穏やかな関係になって旅立って逝かれるというのをたくさん見せて頂きましたので、私自身はそう思っています。
 
金光:  ご体験からそうおっしゃるでしょうけども、そういう体験のない者は、そういうふうに仲の悪い家族が─親子なり夫婦なりが仲良くなれるものかしらという気がやっぱり残るんですが、実際の実例でその親子仲が悪かった、あるいは夫婦仲が悪かった人が、こういう形で和解して非常に一体感を持ったなかで、この世とあの世の境目がそこでは薄れてきて、この世もあの世も通じ合っているような、そういう世界にどうもお二人ともいらっしゃるんじゃないかという感じがなんとなくしているんですけど、そういう実例ございますか?
 
柴田:  はい。ございますね。実は七十四歳のお母様。そして四十代の女性だったんですが、ご依頼頂いたのは。末期の癌ということで、お母様が―お母さまはもともと病院勤務をなさっていた看護師さんだったんですね。なので、「絶対病院では死にたくない」と。たくさんの死に様を見ながら「自分はああいう死を遂げたくない」ということで、実は十五年間絶縁をなさっていた娘さんがいらっしゃったんです。ところがたまたま癌が余命一ヶ月と宣告を受けた時に、どういうわけわからないんですが、十五年絶縁をしていた娘さんとの復縁がなされたんです。ご自分からではなく、お嬢様からだったんです。娘さんは驚いて私のところに電話なさったんですね。「このままだと母をきちんと看取れない」ということで、「母とは絶縁で、この十五年間私は口も聞いたことがない。住んでいるところもわからなかった。どこで住んでいるのかも知らない。生活に一切関わっていなかった。でも母は余命一ヶ月という宣告を受けたというのを知らずに、私は十五年間親不孝してきたことをなんとなく詫びようと。どうしているかなと思って―思って電話を入れた時、そうしたところたまたま母がその状態だったと。でも私には自信がない」とおっしゃったんですね。「母は非常に頑固な人で―だから疎遠になっていたんですけど―きっと家で最期と言ったら貫く人だから、柴田さん助けてほしい」とおっしゃったんですね。まあすぐに駆け付けてお話をさせて頂いて、
 
金光:  それはどちらに?
 
柴田:  お二人にです。で、これからの問題点ですね、さっきお伝えしたように、「どこで、誰に、どんなふうに、今お困りのことは」その四つを聞かせて頂いて、それがお二人に聞かせて頂いて、お二人の意見も擦り合わせをしていく。体調を調えていく掛かりつけを探したりとか、訪問看護、ケアマネージャー、
 
金光:  そういう方の手伝いというかヘルプを、
 
柴田:  勿論ですよ。社会的な制度をフルに使って頂いて、そして私たちをお使い頂くということで、そのプロデュースをさせて頂いて、日常生活が安心して暮らせるようにセットさせて頂く。それが先ず第一回目の私たちのお仕事です。そしてエンゼルチームという無償のボランティアを組織していく。
 
金光:  それを柴田さんたちのチームが介護なさってやったということですか?
 
柴田:  支えていったということで。そしてだんだん距離が縮まっていって、最後は同居なさったんです、お母様のご自宅に。それはやっぱりだんだん弱ってくる母を見ると、小さな頃育てて頂いた私たちは、赤ん坊の時お育て頂いたご恩というのは、誰しもが持っていたわけですね。だんだん弱ってくると疎遠になっていた期間がグッと縮まっていく。母にして貰ったように、例えばおにぎりを作って渡すとか、たまたまその時は非常に皮膚が痒(かゆ)くてこう軟膏を塗って皮膚を撫でるということをズッとなさっていて、その肌を触れることで距離感がグッと縮まっていった。だんだん触れていることで、自分が母にして貰ったことというのをその時間にたくさん思われるようになって、結果的にはお母様の思い通りに旅立ちをなさるんですね。最後はご自分が母の枕元で母を抱いて、そしてお孫さんがいらっしゃるんですが、お孫さんがこう手を握って、そして足下にというふうに摩ってという形でほんとに立派な最期を遂げられる。
 
金光:  その時は十五年間の疎遠な時の凝り、お二人の間の凝り、家族との凝りというのはどうなっているんですか?
 
柴田:  解けていくんです。言葉ではないんですね。多分私はその時に何が良かったかというのはやっぱり「背中が痒い」とおっしゃっていて、軟膏を塗られたその「痒い痒い」とおっしゃっていた時の肌の触れ合いだと思っています。
 
金光:  ただ人間というのは、どうも生身の身体だと基本的に死というものは恐いというふうに思うということが多いと思うんですが、例えば親子はそうにしてもお孫さんとか、あるいは日本のまだ家族の絆の強いところだと、親戚の方がいろいろ口を出したりですね、横からアドバイスみたいなものをその場合はあんまり気にならないもんですか?
 
柴田:  いや、あります。ただそういうたくさんの方々、親戚の方々とのご縁が深まると、実は残念ながら私たちのご縁が離れていく。
 
金光:  そういうものですか?
 
柴田:  はい。なので、どちらかというと、私たちは核家族のみなさんであるとか、親子世代の家族という括りの中の看取りが圧倒的に多いです。
 
金光:  孤独死とかそういう話もよく聞くわけですけれども、そういう方もやっぱり死というものについては、考え方、これを今恐いと思っているだけだったらなかなか安心して亡くなっていくわけにいかない。私なんかも自分だったらどうかなという気もするんですけれども、その辺はこれまでのご経験でお一人の方でどうでしょうか?
 
柴田:  お一人さまの場合は、意外と自分が死ぬというか旅立ちをイメージなかなかできない方の方が多いですね。
 
金光:  どこでどういうふうな形で?
 
柴田:  やっぱり病状の進行ですね。病状の進行が進んでいくと、どうしても身体的にこう苦痛になってくると受け入れざるを得ないというか、
 
金光:  受容するわけですね。そういう時期がきたと。
 
柴田:  そうですね。それは旅立ちの十日前なのか二日前なのかほんとに一日前なのか、人によってまったく違うんですけれども、その段階に入ってくると、私たちとの関係を密に取ってくださるようになる。
 
金光:  お書きになったものを拝見していますと、ケースはそれまでの生き方はいろいろであっても、最後にそういういよいよお迎えが来るというのは、大体ご本人の様子によっておわかりになるわけですか?
 
柴田:  そうです。
 
金光:  みなさんが安心していけるという感じにおなりですか?
 
柴田:  そうです。私が関わったほとんどのケースが、最後はお迎えが来て、それとともにお会いなられて、だから私は人は旅立つ前に既に仏になると。神仏に変わるというふうに、死して仏になるのではなくて、というふうに思わせて頂いているんですけれども、それが多分私自身が死という場所に立ち続けられる所以だと思います。
 
金光:  具体的にはいろんなこの世の柵(しがらみ)みたいなものはどうしても残ると思うんですけれども―財産のことだとか、子どものことだとか、いろんな気になることがおありだろうと思うんですが、そういうこともいよいよお迎えが来る時期になるとあんまり問題でなくなるんですか?
 
柴田:  まったく問題ではありません。それ以前ですね財産のことですとか、お墓のことですね。一番ご相談の多いのは実はお墓のことなんですけれども、お墓のことだとかはもっと以前にご相談を頂いて対応させて頂く。
 
金光:  そうすると、その問題は過ぎ去った問題ということですか?
 
柴田:  そうです。
 
金光:  そうしますと、まったく違ったお尋ね方になると思いますけれども、日頃からいわば仏教なんかだと昔から「生死一如」というか、「生と死は同じだよ」と、「生き方が死に方だよ」というようなことを教えとしてあって、そういう境地で日々生活している方も中にはお出でかと思うんですが、そういう方もいらっしゃるんですか?
 
柴田:  いらっしゃいますね。実はこれは認知症であり、脳梗塞を患わせた八十四歳の女性のケースなんですが、常日頃からとても「上質な生き方」とおっしゃって―ご主人様がおっしゃったんですね―をなさっていたんですね。「実は母が認知症で脳梗塞の後遺症があって物を食べられなくなりました」ということで、四十七歳のご長男から私どもにお電話を頂いたケースなんですけれども、この方の場合は、最初にお伺いした時に、もう言葉が喋れない状態だったんですね。その後二十日後に旅立ちがあって、その旅立ちの時もお電話を頂いて、「呼吸が乱れています」ということで、携帯をお母様の呼吸のところに近づけて、私の携帯に送って来てくださって、それを聞きながら、私は最期実は「呼吸合わせ」というのをやるんですね。ご一緒に呼吸を合わせて頂いて、息子さんにも合わせて頂いて、それ一旦切らせて頂いて、近くの看取り士を呼ばせて頂くんですね。そして再度電話をさせて頂いて、お電話で看取り士が来るまでは対応させて頂くんですが、その中で最期の呼吸をなさったその時、それは勿論息子さんの腕の中なんですけどね、一五○センチを切った小さなお母様だったので軽々と抱けたわけですね。抱きしめながら最期の呼吸が切れるその時に、実は遠方に嫁いでいらっしゃった娘さんからの電話が入った。で、その電話で家族四人が一つになられたところで、その女性は息を切られたんですね。実にその時に私は「生き切る(息切る)」ということを教えて頂いたんですけれども、その後その晩も、その次の夜も実は息子さんは添い寝をなさっているんですね。これは後でお父さまは、私がお伺いした時におっしゃったのは、「彼女は日本一幸せな女性でした。きっと息子に抱かれてこんなふうに旅立てるというのは日本一幸せだと思います」って。それはどうしてできたかというと、「彼女が上質な人生を生きていた。僕もそれを看取るということを息子に教えて貰って、僕自身こうやって看取って貰えると思うと、もう何も心配ありません」っておっしゃったんですね。これはもう私どもは理想的な見送り方だなあというふうに感じています。
 
金光:  お話を伺っていますと、「息が切れる」というのと、「人生を生き切る」という、両方は共通しているところで人間は演じているんだと。だからそういう意味ではあんまりどうも心配しないでもいいような気がしながらお話を伺いました。どうも有り難うございました。
 
     これは、平成二十七年十二月二十七日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである