私の駆け込み寺―角倉蘿窓老師という人
 
                   文化講座講師 重 盛(しげもり)  一 露(いちろ)
                   き き て  金 光  寿 郎
 
ナレーター:  今日は、「私の駆け込み寺」というテーマで、川崎市で文化講座の講師をなさっている重盛一露さんにお話を頂きます。重盛さんは、昭和八年のお生まれ。若い時から悩みの解決を求めて、さまざまな宗教を訪ねていましたが、四十歳を過ぎて、角倉蘿窓(すみくららそう)(明治三六年広島県生まれ。大正七年、仏通寺丸山雪庭老師に相見、大正一三年円覚寺古川堯道老師に就く。昭和二年東大大学院入学。昭和八年獅子王窟蛮山老師に就く。昭和一一年法嗣正能古巌老師に就く。昭和二四年国会図書調査立法局長、三○年出光興産常勤参与。平成四年遷化)老師という坐禅の師に出会いました。それ以後は、角倉老師一筋に自分のすべての悩みを相談し指導を受け、老師が亡くなった後は、自分も老師から学んだ禅を後世に伝えるため後進の指導をしている方です。聞き手は金光寿郎ディレクターです。
 

 
金光:  この前、重盛さんに、私、お会いした時のお話の中で、非常に印象に残っております言葉が、「角倉老師というお師匠さんは、駆け込み寺のような方でした」と、こういうふうにおっしゃったもんですから、その駆け込み寺というのは、現代においては、ちょっと禅と結び付き難いんじゃないかと。鎌倉の東慶寺(とうけいじ)さんが駆け込み寺ですから、禅宗のお寺で、駆け込み寺で不思議ではないのかも知れませんけれども、私の頭の中では、ちょっと結び付きにくかったもんですから、今日はその辺のお話を伺いたいと思ってお邪魔しているんですが、そもそも角倉老師さんとは、どういうお出会いがあったんでございましょうか。
 
重盛:  角倉老師とは、私ともともと同郷でございまして、
 
金光:  どちらで?
 
重盛:  広島県の府中市上下町(じようげちよう)。昔江戸時代の天領(てんりよう)の町なんでございますけれども、両替商がたくさんいたところなんですけど、遠縁に当たりまして、お互いそれぞれ上京して、また別の生活になっておりましたんですが、ある日『大法輪』という仏教雑誌を買っております。それでその『大法輪』を何となくペラペラと捲っておりましたら、「角倉蘿窓」という字が、目に飛び込んできまして、で、「禅筵筆録集(ぜんえんひつろくしゆう)」と書いてある。あ、これは角倉さんだと。「志朗(しろう)」とご本名はおっしゃるんですが、角倉さんだと。それで「禅筵筆録集(ぜんえんひつろくしゆう)」ということは、禅をなさっておられるんだ。私自身は非常に禅というものは、ちょっと自分からほど遠いもんで、寄り付きにくいような印象をもっておりましたんですが、ここがやっぱり私は勘が働いたというんでしょうか、〈これだ〉と思っちゃったんですね、その時に。それでつい角倉さんにお電話をしまして、それで「禅のことならいらっしゃい」とおっしゃってくださったものですから、すっ飛んで行きまして、それで「よく来た」とおっしゃて迎え入れてくださいまして、それでちょっとその時にストレスからだと思うんですが、非常に息苦しいんですね、鼻が詰まったりして。それでついそれを言ったんです。そうしたら、「あ、息は頭からしてください」とおっしゃったんです。で、〈あ、そうか〉と妙に納得してしまって、〈とらわれるな〉とおっしゃっているんだな、と思ったんですけども。まあそんなことで、なんかもうこの方に就いていくしかないと、その時思ってしまって、「弟子にしてください」と申し上げて、それからもう翌週から参禅の会に出席しました。角倉老師は、杉並公民館という公の場所で、その時は月二回やっておられました。後は夜の夜坐というのを、他でやっておられたんですが、私はちょっと家庭がございますから、昼の杉並公民館へ参禅をするようになりました。私は、どういうことか解らないで手探りでおっしゃる通りにしていたんですが、入室(につしつ)というのがあります。
 
金光:  それは部屋に入る?
 
重盛:  部屋に入ると。で、入室相見(しようけん)でございます。角倉老師と私とが目と目を見つめ合うということなんですが、最初の印象は、私は忘れもしません。角倉老師が「目を見てください」とおっしゃるから、ジッと見たら、何だか底なし沼に引きずり込まれていくような感じでした。目がカチッと返って来ないんです。いくらでも私の視線が入っていくんですね。それでビックリ致しました。その日はそれで終わりますが、だんだん少しずつ私が会を重ねていくと、公案というものが出るんですが、ちょっと私は、他のことは存じませんので、比べようはございませんけれども、女性には女性のやり方というのをおそらく見極めておられて、そしてその人に合った導き方をしておられるなあ、と思いました。まあ後年になりますが、私が参禅したことで、私は実は書を教えたり、いろんなグループを作ってやっておりましたんですが、そういうグループの方たちが、次々次々と入門してこられるわけです。そうすると、仏教語で言います「大姉(だいし)」(比丘尼(びくに)または地位のある在家の女性を敬っていう語)ですね、「大姉園」という禅会ができてしまったんです。で、「大姉園」という女性だけの禅会とは別に、男性も一緒の禅会というものも作られていたんですね。「大姉園」の禅会と居士(こじ)が来られる禅会の両方に私は出ておりますので、そのなさり方というのをジッとこう見ておりましたら、ほんとにその人その人に合った導き方をしておられて、それでどうしてそういうことがおできになりのかな、と非常に不思議に思いました。私は悩みが多いものですから、参禅の会だけでは間に合わない。私の悩みが解消していかない。それで角倉老師にお願いして、特別に喫茶店で私のお話を聞いて頂いて、いろいろ問題に対しての考え方、解決の仕方をお教え頂きました。そういうことをお亡くなりになるまでズッと続きまして、もう二百回ぐらいお亡くなりになるまでお話をお聞きして、最後には何にもお聞きすることがなくなったんですが、そういうふうなことが私の非常に生きていく上の支えになってですね、それで私がまた「何々のことをご相談したいんんですが、会って頂けますか」とお電話しますと、「ああ、いいですよ」とおっしゃって、そして、「あ、難破した船がまたドックに入ってきましたな」とおっしゃるんですね。ですから私もほんとに申し訳ないと思うんですが、「私は今この瞬間が一番充実しているんです。だから気にすることはないんだ。私はこういうことが役に立っているということが、一番私の人生で充実した時間なんだから」とおっしゃってくださるもんですから、随分いろんなくだらない私の悩みを聞いて頂きましたですけども。
 
金光:  禅の公案の場合は、私なんかまったく公案について教わったことなんかないんですけど、印象としてはですね、人間が意識的に〈ああか、こうか〉と、問いと答えを理屈で考えたって、とても問題外で理屈以前というか、理屈じゃない世界を気付けと、そういうところで問答の展開があるような気がするんですが、ところが今のお話を伺っていると、まさにこの世での悩みといのうのは、どうすればいいのか。次はどうですかという、具体的なところにいくわけですが、その関係はどうなんですか。
 
重盛:  勿論室内での公案というのをお出しになります。それでお出しになりましたが、公案の問答では、「如是(によぜ)」―いい時とダメだの時といろいろありますけれども、それは角倉老師の公案の回答が、これならいいと角倉老師が確認して「如是(によぜ)」とおっしゃっているということはよくわかるんですね。後日いろんな公案の回答集みたいなものも頂いたことがあるんですが、まったく違いました。それで女性には女性の公案、そして常におっしゃることは現実の生活の公案、
 
金光:  「現成公案(げんじようこうあん)」という有名な言葉がありますけれども、現実がそのまま公案だと。
 
重盛:  そうなんです。ですから私が駆け込んでいることは、私の考案を引っ提げて駆け込んでいるということになるわけで、〈あ、この問題は、こういうふうにして解くんだ〉といことを納得するわけですね。考え方が違ってくるんですね。要するに何故公案をやるかということは、要するに常識的な価値観というものがそこでは通用しなくなる。
 
金光:  そうですね。片っ端から「ノー(No)」と言われるような、
 
重盛:  そうすると、何故「ノー」と言われるかということから考えていきますから、そうすると、それが家庭生活でも、そういう常識が通らないところがあるということがわかってきますと、別の面から問題を考えていくようになりますんで、ちょっと考え方が違ってくるんですね。例えば私なんかは書道をやっておりましたから、書も実にいろんな柵(しがらみ)がある世界でございましたから、それで悩みをご相談したら、「すぐ辞めなさい」とおっしゃった。それで辞めるまでにちょっと時間がかかりましたが辞めさせて頂いて、
 
金光:  書の方を?
 
重盛:  ある組織に入っておりました。その組織から抜けました。でも二年かかりましたんです、抜けるのに。でも抜けました。私はともかくおっしゃることはストレートに受けていこうと思ったんです。というふうに、私の身辺整理をしてくださいました。それで書の方では、私はお弟子さんを抱えておりましたから、会の所属を離れるということは、お弟子さんにも影響しますので、それでお弟子さんにもその訳を説明して、お弟子さんも禅の方に参禅なさるようになったので、それはお弟子さんも全部納得してくださいまして、お弟子さんへの私の教え方も、ちょっと私の方に会を離れたことで惑いがでましたので、それでもうお手本を書かないことにして、私は仮名だったものですから、古筆(こひつ)というのがあるんですが、平安時代の古典の『古今集』みたいなものを直接写していくということにして貰って、私がお手本を書くことは止めました。そういうふうに書道の方針も変えたり、いろんなことが私の身辺で変わっていったんですね。
 
金光:  角倉老師の日記だと思うんですけれども、ご本になって出ているのを拝見しますと、至るところに、お亡くなりになる前まで、毎日のように、「ソレ自身」というのが書いてありますね、「ソレ自身」(「ソレ自身」とは、「心を心で見つめる」と解説しておられる)というのが、あんなにしょっちゅうしょっちゅう出てくるというのは、これはおそらく極めて大事だと思っていらっしゃるからお書きになったんじゃないかと思うんですが、あの言葉というのは、お弟子さんには直接おっしゃらなかったんですか?
 
重盛:  おっしゃらないですね。日記だけに書いておられるんですね。それで私なんかにおっしゃるのは、「私は、こういうふうにしております。ああいうふうにしております」とおっしゃるんですね。それはご自分にもの凄いいろんなものを課しておられるんですが、歩く速度が決まっております。「経行(きんひん)」と禅では申しますけれど。あれをズッと荻窪のご自宅から荻窪駅まで何歩ある。それで何歩は何分で進むという、もう決まった速度なんですね。ですから「私は時計を持たないことをモットーにしておる。すべて何歩歩いたかで、時間がわかるから」とおっしゃるんですね。で、電車に乗っても、数息観(すそくかん)で乗っている。そうすると大体ご日課としては、荻窪から銀座まで、いつも地下鉄でいらっしゃるんです。出光美術館のあるビルに日本倶楽部というのがあるんですが、そこへ行って奥様をお楽にさせる。そしてそこでいつも私どもにくださる提唱の「会員参照録」を文章になさるわけです。それがご日課なんですね。そこまでが大体電車が三十分と決まっている。その間数息観(すそくかん)をやられている。
 
金光:  「数息観」というのは、「一つ、二つ・・・」と呼吸に合わせて、
 
重盛:  呼吸を数えることですね。それはいくつか存じませんが、三十分。
 
金光:  それも大体決まっている?
 
重盛:  決まっている。そして帰りは本を読んで帰るということに、すべて決められている。それは無心で行うということが条件ですね。そうしますと、「ソレ自身」というのは、無心になりきっている、ということをご自分で点検しておられる言葉だと思うんですね。そのくらい非常にご自分にシビアになさっておられて。ですから「私の心の中は、一種の鏡のようになっていますから、だから入室相見で入って来た人と面座(めんざ)すると、ピタッと向かい合うと、相手の心がわかって仕方がない」とおっしゃる。それはわたしの仲間の女性の禅会の方二十人ぐらいおりましたが、「全部隠している―隠しているというよりも恥ずかしいから言えないようなことを、みなピタピタと言われる。それにはほんとに驚く」と、みなさんおっしゃっておられました。私も例外ではありません、みんな言われちゃいますで。ですから私も何度か怒られましたんですけど。
 
金光:  「ソレ自身」という言葉で、私が連想しますのは、「人間は、自分自身をいくら自分を見ようと思っても、常に見る立場に立っている限り、見る自分を見ることはできない」と。お釈迦さんもセルフ(自己)ですね―自我(エゴ)と、自己(セルフ)と分けると―そのエゴの方はいくらでも見ることができるんですけども、そのセルフ(自己)の方についてはほとんどおっしゃっていないんだそうですね。後は全部エゴをどう処理するか、ということをおっしゃっている。「それ自身」というと、今おっしゃったような鏡のようなものという。鏡というのは、自分自身は見えないわけですけど、相手のことは見えるわけですね。本当の自分自身というのは、掴まえようのない自分自身が、ほんとに無心になると、周りのことは差別なくすべて見えてくる。そういう世界が、〈なるほどある〉と、そう思うんですけども。
 
重盛:  おっしゃる通りだと思います。ただ今ちょっとそこへいくまで、セルフコントロールということがあるわけですね。そうすると、それはどうやってするかと言えば、セルフをもう一つの目が見てコントロールして、ですからそういう一つの目があることはあるんですね。
 
金光:  奈良時代からですけれども、平安時代の恵心僧都(えしんそうず)とか鴨長明なんかも、「心の師となるとも、心を師とせざれ」と、要するに人間の心に随ってはダメだ。心の先生にならんといかん(わが心に対して師とはなっても、わが心を師としてはならない。 自身の弱い心に負け、弱い心を師として従ってはならない、と教えられている)。こう幕末まで偉い人は宗派を超えて、「心の師とはなっても心を師としてはいけない」というこ言葉が、ズッと伝わっているんですね。今おっしゃっているのも、セルフがちゃんと自分を見る、それがあるところでコントロールできるわけで、禅というのは、結局、そこに気付かせる。それが非常に役立つというか、そこを狙っているというふうに伺っていいものでしょうか?
 
重盛:  そうだと思います。だから変わっていけるんです。坐りますと、私の場合は、欠点が多いもんですから、坐っている時は何にも思いません。だけど出場してから、〈ほんとに自分は欠点が多かった。あ、私、こんなところがあったんだ〉と思うことがよくあるんです。
 
金光:  普通気が付きませんものね。自分の都合のいいところばっかり見るようにできているようですから。
 
重盛:  もうほんとに〈私、こんなんだったんだ〉と、それが坐らないとわからない。そうやって少しずつ、私でも少しはましになったかなと思いますけれども、
 
金光:  最初の駆け込み寺(角倉蘿窓老師のこと)に入るんですが、駆け込み寺にいらっしゃった効果というのは、今のお話だと、どういうことになるんですか? 悩みというのは、どこにあって、それがどういうふうに、それ自身セルフから見ると、どうなるのか。
 
重盛:  ものの考え方が変わっていくわけなんで、例えばぶちあけた話申しますと、主人のことで悩みますね。そうすると、「まあ世界中の男性と見合いして結婚して、そういう男性だったら―それは具体的には申しませんけれども、いろいろあったんですが―それは後悔してもいい。だけど手近なところでまあ適当に好きになって結婚したんでしょう。それだったら後悔するのは当たり前なんで、だけど人間というのは、どんな人が来ても、欠点があればあるほど一緒になって面白いものないんだ。自分がどう、そういう人に対応していくか、ということを考えていけばいいんで、相手を変えようなんて思わないんだ。禅というのは、そういうもので、こっちが変わっていくんだ」というふうに言われましてね、〈あ、そうなんだ〉と。またそれも納得しました。だからそういう悩みをお持ちの方はたくさんいらっしゃると思いますけどもね。私は書のグループを抱えておりまして、いろんな人がおられますので、そうするとやはり他人さんでもいろんな方に対応していかないといけない。またそれも変わりました、私の考え方が、〈ああ、そうか。あの方はそういう方なんで、こっちがそういう人に対してどう対応していけばいいか、というのが問題なんだ〉と。そういうふうに思うと、非常に気が楽になりますね。ですからやっぱりストレスが減っていくんでしょうね。それで私はそういうことが嬉しくて嬉しくて仕方がない。
 
金光:  そうしますと、いわゆる唐とか宋の偉い禅のお坊さんが残された問答である公案もさることながら、現実の公案というか、日々の公案というのが、重盛さんご自身を変える大きな提起が続いているというか、
 
重盛:  むしろそっちの方が私の主題になっております。室内の公案は、なんかそう言っちゃ申し訳ないですが、次いでみたいなものになってきているんですね。ですから生きている限り、次から次へと問題が起きる。もう最後の一番酷い私のそういう公案に当たるものは、主人が亡くなる十年前に大病しまして、多臓器不全になって死にかけたんですね。そうい時も自分がどう出たらいいか、ということ。それからその後、今度亡くなる病気は、食道ガンでございました。それも家庭で介護しましたもんですから―それも書道を教えながらの介護でしたんで、非常にその辺の私の対応がまた問題になりましたが、お陰様でその頃はもう大分私も変わっておりましたから、割合淡々と介護できまして、介護士さんからも褒められたり―自分でいうのもおかしいですけれど―そういうふうになってきまして、自分でも不思議なくらいでございました。私が今日あるのは、ほんとに角倉老師のお蔭だということで、ますます禅にのめり込んでいくというようなことになりましたんですが。
 
金光:  最後に、ご自分もいずれは死なねばいけませんね。死んで還った人はいらっしゃらないわけですけれども、生きている今、死についてはどういうふうにお考えですか。
 
重盛:  私は、一度ストレスで心臓にきておりまして、まだ参禅して、そんなに日が経っていない頃なんですが、心臓が苦しかった。そして入室(につしつ)して角倉老師に、「昨夜は心臓が苦しかった」と申し上げたことがあるんです。そうしたら、「如何なるか心臓の苦しみ」とこうおしゃったんです。そして私は、「春の嵐の如し」と申しました。「その心は」とおっしゃって、「過ぎ去れば跡形もなし」と言ったら、「ご名答」とおっしゃった、そういうことがありました。その頃から心臓の苦しみと闘って、それから何故心臓の苦しみが、私の気持ちが苦しいのかと考えた。それは死に直結するからですね。そうすると、死というものをどう捉えたらいいか、ということを悩んでおりました時に、「自分がお棺に入って、そして最後の釘を打たれるというところ想像してもらう。それで自分の気持ちがどう思うかということをやってみなさい」と言われたことがありまして、ちょっと暫くそれをやっておりましたんですけど、結局私は、「父母未生以前(ふぼみしよういぜん)本来の面目」という言葉があるんですが、
 
金光:  両親が生まれる前の本来の自身はどうかという。
 
重盛:  句がございますが、それはちょっと難しいことは申しませんが、要はいのちの本質というものですね。そういうものを考えるようになりました時に、あ、これは平たく言えば、自分のはからいでできた、授かったいのちじゃないんで、死ぬのもそうですから、もう大地にお返しするしかない。だったらお任せでございますが、「なむあみだぶつ(南無阿弥陀仏)」の方でけっこうで、そういうふうに思った時には、もう気が楽になりまた。
 
金光:  そうですね。日々公案が目の前にくるわけですから、それに正面に向かい合って、それをどうするかという、そういう日々を重ねていけば、それがどこまでも続くというふうに考えればいいと思いますが、
 
重盛:  ここにおりますと、こういう不便なところに私一人で、しかも七十七で引っ越しして、そうすると他の私の友人なんか「よくこんなところに一人でいる」と。何から何まで私にとっては新しいことなんですね。それでしかもちょっと病気を抱えておりますので、もうそれでいろいろ大変だったんですけれども、足も怪我しましたし、ですけども割合平気―平気というより、まあ闘う意識も少しはありますね。
 
金光:  禅の言葉というと、いつでも「主人公である」という、そういうところでしょうね。
 
重盛:  はい。
 
金光:  どうもありがとうございました。
 
     これは、平成二十六年五月十八日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである