われ弱くとも恐れはあらじ―神学者カール・バルトの信仰
 
                 東北大学名誉教授 宮 田(みやた)  光 雄(みつお)
1928年、高知県長岡郡本山町生まれ。旧制第三高等学校卒、東京大学法学部卒。東北大学法学部助教授、教授、法学部長。政治学史講座担当。1992年退官。名誉教授。
                 き き て    浅 井  靖 子
 
ナレーター:  今日は、「われ弱くとも恐れはあらじ―神学者カール・バルトの信仰」と題して、東北大学名誉教授の宮田光雄さんにお話を頂きます。カール・バルト(20世紀のキリスト教神学に大きな影響を与えたスイスの神学者。その思想は弁証法神学や危機神学、あるいは新正統主義と呼ばれる(バルト自身は自らの神学を「神の言葉の神学」と呼んでいる)。1934年、ナチス・ドイツの政策に従うドイツ福音主義教会に対して結成された告白教会の理論的指導者となり、バルメン宣言を起草した: 1886-1968)は、二十世紀のキリスト教世界を代表する思想家であり神学者です。一九三○年代、一党独裁と全体主義を押し進めるナチス・ドイツに対して、信仰の立場から否を突き付けたバルメン宣言の起草者として知られています。宮田さんは、ドイツ政治思想史の研究者として、またキリスト者として、人間バルトの思想と行動を見つめてこられました。聞き手は浅井靖子ディレクターです。
 

 
浅井:  宮田さんは、この度神学者カール・バルトの評伝をお書きになったんですけれども、何故今カール・バルトだったんでしょうか?
 
宮田:  もう丁度二年しますと、バルトの没後五十年になるんですが、私は自分の生涯でキリスト者として信仰の面でも、そしてまた政治思想史の研究者としては、ナチ・ドイツ、あるいは教会闘争の研究者としてのカール・バルトから随分影響を受けたわけです。この際バルト先生の生涯を回顧する。そういうものをできるだけ読みやすい書物にして、ご恩に応えようということで始めたわけです。バルトの生涯というのは、多彩な生涯―ちょうど革命と戦争の時代の中で神学者として生きたわけですが、ナチズム、スターリニズム、戦後はアメリカのマッカーシズム、そういった東と西全体にわたる政治の全体史や起因というものに対して、非常に明確な発言をしたんですね。そういう意味で、私はバルトの魅力的な闘いと生涯、思想というものを、この際お伝えすることが、ちょうど私たちが今直面している暗い時代に生きる場合の励ましになるんではないか、というふうに考えたわけです。
 
浅井:  ご自身もバルト本人にお会いになったということなんですけれども。
 
宮田:  もうほんとに遠い昔でしてね、もう六十年以上になるわけですね。私のドイツ留学の時に出会ったわけですが、それはもうバルトにとって晩年の時代であったわけです。バルトの書物を読みますと、率直に言って非常に難解ですから、そしてなかなか厳しいことをおっしゃっているわけですから、気難しい神学者、大学者というイメージを持っていたのですが、実際に会ってみると、とってもそういうイメージとは離れてですね、実に気さくな老先生。しかもユーモアを交えたとても優しい方という印象を持ったんですね。最初に意外な感じを受けたんですが、お話しているとね、やはり変わらない政治的批判の鋭さとか、関心の高さとかいうことにとても感銘を受けました。しかし私、一層強めたのはバーゼル大学における彼の授業に出た時でした。これは実は非常に幸運にも、バルトの最終講義でしてね、終末論という歴史の最後の段階を我々が目指しながら、今の時代をどのように生きるか、というテーマの講義だったわけですが、一時間半ばかりの授業が、もう最初から最後まで笑いの連続なんですね。偉大な神学者の持つゆとりというか、むしろバルトの政治的な闘いの根底にあるユーモアの精神、それは実は終末論的な信仰からきているということに気付かされて、大変興味を持ちました。そう思っていますと、多くのバルトのゼミナールに関わった優れた神学者が、「バルトの本を読んだだけでは、バルトの偉大さはわからないと。バルトの真の偉大さは書物の彼方に立っている」とかと書いてありましてね、私も同感だと思った次第でした。
 
浅井:  スイスのバーゼル出身のバルトが、ドイツの大学で神学の教鞭を執るのは、ちょうどナチス・ドイツが台頭する時期に重なっています。そのナチスの抵抗運動で知られるバルトなんですけれども、その台頭をどういうように受け止め、どのように行動したのでしょうか?
 
宮田:  そうですね。バルトがスイスの小さい田舎の牧師からドイツ大学に呼ばれたのは、ワイマールの時代の初期なんですが、ヒットラーが権力を握った一九三三年には、彼はボン大学というドイツの有数の大学に来て講義をしておりました。バルトにとってはその当時から学生に人気がありまして、神学部の講義としては、全国で一番学生を集めていたという時代だったんですが、彼自身はスイスのデモクラシーを身に付けた人でありまして、ヒトラー政権が成立したということを聞くと、来たるべきものを直ちに直感して、「ナチ党というものはドイツだけでなく、ヨーロッパ全体に対してとても危険な存在だ」と、既に最初から認識していたようです。ヒトラー政権が、一九三三年の一月三十日に成立しました時には、実は連立政権として成立したんですが、そこにはヒトラー以外には、ナチ党の閣僚はたった二人しかいない。だから保守党の指導者たちは、ナチ党を自分たちが思うように操れると考えていたのですが、それはとんでもない思い違いでして、閣議を開いて数時間後に解散するんですよ。国家の財政とか、報道機関とか、そういうものを自分たちのために全面的に活用できるという体制で、権力をさらに拡大しようという。そういう選挙を始めたわけですね。それが三月に成立しました時に、ナチ党の連立与党も含めて議会の三分の二以上になりまして、ヒトラーに対して全権を委任するという法律。この法律もワイマール憲法の内容を変更する権限も含むという、憲法以外の内容を含んだ法律で「全権委任法」を作ったんですね。そして権力を一旦握りますと、大量のプロパガンダと秘密警察、強制収容所、国家的なテロを用いて日常生活を強制的に統制していこうとしたわけです。教会にも同様に統制しようとしたわけですが、ドイツの教会は日本とは違いまして、組織としても、歴史としても非常に長い大きい力を持っていましたから、最初はとても慎重だったんです。教会の自由は保障するとか、キリスト教は国家の柱であるとか、甘い言葉を撒き散らして教会を安心させたんです。教会の人たちの中には、ナチ党は自分たちを支えてくれる味方であるというふうに錯覚して、ヒトラー礼賛のグループがだんだんと広まっていくという、そういう状況が生まれたんですね。当時インフレとか、大戦によって非常に打ち拉がれていたドイツの民衆を救済してくれる憧れのリーダだったように熱狂する。その熱狂を神学的に根拠を付ける神学者まで出てくるような状況が生まれました。そして最初、ヒトラーは慎重だったんですが、だんだん民衆の人気が高まってまいりますと、自分でも「自分は運命によって選ばれた指導者であると。自分がやることは絶対的に誤りがない」と確信するようになり、挙げ句の果ては、「自分は神からつかわされた人間である」と神格化するような妄想まで抱くようになってしまうんですね。そういう中で教会闘争が生まれざるを得なかったわけです。ドイツの教会をそういうナチ・イデオロギーで統制して、ユダヤ人であるキリスト教の牧師さんたちをも教会から追放するとか、教会組織はナチ党の組織に習ったような国家組織にするとかいったような行動に出ようし始めます時に、批判的なキリスト者が声を合わせて、これまでの教会組織から離れて、自由な「告白教会」というものを組織しまして、そこで信仰の自由のために闘おうという、そういうものを始めた。その時代における危機に対して特別の信仰告白を作り出して闘っていくという。その闘いの中で、一番大事な信仰告白が有名な一九三三年五月の「バルメン宣言」だったわけですね。これには当時の批判的なクリスチャンが、教派の区別に関わらず加わりまして、全会一致で告白の決議を致します。信仰告白の原案は、カール・バルトが起草したものであります。私から見て、政治学的バルメン宣言は、とても興味があるなと思うのは、それまでドイツの教会は、「ローマ書」十三章の言葉に枠付けられて、「国家というものは神によって与えられた神聖な秩序の場だ」というふうに受け取る伝統が強かったんですが、このバルメン宣言では、「国家というものは、神聖な権利を持った絶対的な秩序というような存在ではないと。あくまでも一定の目的、即ち法の支配ですね。それから民衆の平和な生活、そういった目的を守るために神によって定められた―そういう意味では、一定の役割と目的とを与えられた機能的な国家である、機能的な秩序である、ということを規定しているのであります。
 
浅井:  絶対的なものではない、
 
宮田:  絶対的なものではない。一定の目的のために役立つ―だから「事ができなければ権威を失う」ということが裏に秘められているわけです。だから国家がドイツ国民から要求できるのも限定された信頼と服従しか要求できない。既に具体的に国家権力が行っている政策の内容によって改革されたり、変革されたりする。また下からの批判というものの対象になるものだと、そういうことをバルメン宣言は規定してある。これを政治学的に見て、とても素晴らしい規定だと思うんです。ヒトラー自身は、「総統崇拝―自分は国民に崇拝されることによって、国民が自分にのみ服従する存在になる」ということを期待していたわけですが、バルメン宣言はそれを明確に否定したわけです。聖書の言葉を使いますと、「人間に従うよりは、神に従うべきである」という聖書の言葉が、バルメン宣言の根底にあるわけです。
 
浅井:  そういう形に明確に総統崇拝とか、ヒトラーのやることに対して否を突き付けたとすると、バルトの身にもナチスからの排斥の手というか、そういうのも伸びるんでしょうか?
 
宮田:  そうですね。その間にバルト追放の危険が既に迫っておりました。問題になったのは、二つなんですが、一つは、「ハイル・ヒトラー(Heil Hitler:ナチス・ドイツにおける総統ヒトラーへの称賛と忠誠を示す掛け声。「ハイル」(heil)はドイツ語の言祝ぎで、「万歳」に相当する意味の表現)」の敬礼なんです。「ハイル・ヒトラー」の敬礼というのは、ナチ党の初期に作られたものでして、これは党の指導者に対して、「ヒトラー万歳」という挨拶をすると。そのことによって党員の結束と服従とを心理的に強制していたんですね。ナチ政権ができますと、だんだん街中で人々が、それまで「こんにちは」と言っていたのを「ハイル・ヒトラー」と言ってですね、右手を上に上げるという礼をするような人が増えて来始めた。バルト自身は、とてもそれを嫌っていまして、友だちへの手紙の中にも、「最近はもう奇跡が起こっている。みんなハイル・ヒトラーを敬礼するようになったんで、そのうちに我が家で飼っているカナリヤとカメも手を上げて、礼をするようになるんじゃないか」などと言ったりしてたんですが、彼自身はしたくなかったし、強引にそれを拒否したんです。講義をする時に、教授が教室に入ってくると、ナチ党員の学生がパッと立ち上がりまして、「ハイル・ヒトラー!」と言うわけです。それに教授が応えなければいけないというわけです。それでバルトはそれをしたくないから、学生が立ち上がった瞬間に、「ああ、ちょっと明かりを点けねばならん」とか言ってね、後ろごそごそ探したりして、そして振り返ると、すぐ賛美歌を歌い始めて、聖書を朗読して講義を始めると。学長からは非常に非難されるんですが、「私の講義はキリスト教学だからそれでいいんだ」と言って抵抗した。ヒトラー総統に対する宣誓というものを要求されたんですね。しかも無条件の服従を宣誓するという。バルトも国立大学の教授ですから求められたんですが、彼は条件を付けたんです。「プロテスタントのキリスト者として責任を負いうるかぎりにおいてである」と。そうすると、大学当局は突如「御前は、即日免職になった」と。そしてバルトの教室は閉鎖されることになってしまいました。そこでバルトはスイスに帰国することになります。
 
浅井:  ヒトラーの時代の民衆は、一方で熱狂し、あるいはナチスの支配に抗えもなく巻き込まれていったわけですけれども、そういう多くの人がいる中で、そのバルトが時代に対して非常に冷めた目、あるいは先を見通す目を持ち続けることができるのは、何故なんでしょうか?
 
宮田:  それはバルトの神学論、基本的な構造に関わっていますね。そもそもバルトは神学者として世に出たデビュー作は『ローマ書』なんですけれども、その『ローマ書』の基調にあるのは、「神は神であること」という。「人間に対する神の固有の存在と主権を断固として主張する」という立場なんです。それは人間体験に基づく信仰とか、文化の理想とか、そういったすべての被造物―つまり神によって創造された万物を、神として崇めるということを明確に否定しているわけですね。バルトが非常に印象的な言葉を使っているんですが、それは「人間の行動の前には、〈神のマイナス〉という括弧が辛いのだ」ということを言っているんですね。だからこれは人間中心の近代文明を、当時の人々が謳歌し讃美していた時代全体に対する大きなマイナスという括弧という痛烈な批判、警告だったわけです。それじゃそういうマイナスという規定から何が出てくるかといいますと、マイナスを付けたということによって、人間のすべてのイデオロギーというものが絶対的なものではないという。そっぽを向かれるわけです。そうすると、人間はそれまで自分は絶対者だ、絶対だといって、熱烈な激情に駆られて闘争しあっていたわけですが、そういう角を突き合わせるような情熱に水を指されてしまうわけです。物事、自分の周辺の状況をリアルに見つめることができるようになる。それをバルトは、「誠実な人間性と世俗性が生まれ、人間は即事的になる」と言っているんですね。「即事性」というのは、物事に則して冷静に客観的に見えるようになる、と言うんです。こうして今まで対立しあっていた相互から互いに絶対的な主張だと言って言い合っていた絶対的な語調が消えて比較的穏やかな態度で、人間のさまざまな可能性について、ベストでないにしても、ベターな可能性を考えていくという道が開かれてくるわけです。「その時初めて人間は政治というものができるようになるんだ」と。これ素晴らしい言葉です。『ローマ書』の中に、そう書いてあるんですよ。「政治的リアリズムというのは、〈神のマイナス〉という括弧から生まれる」という。こういう考え方が、先ほどご説明したバルメン宣言にもあるわけですよ。実はこれはバルトの主著である『教会教義学』に一貫してあるんですね。これだからバルトの神学の基調だと言っていいんだと思います。
 
浅井:  イデオロギーによらず、その物事を即事的に見るというバルトの態度は、その後の時代も一貫していたんでしょうか?
 
宮田:  そうです。ドイツ敗戦後、バルトは、ドイツの人々を、連合国の人々のように罪人として糾弾するのではなくして、むしろ罪を犯してどん底に堕ちているドイツ人に対して、理解のある友人として発言しようとするんですよ。そしてドイツを再び健康を取り戻して、再建する道を共に見出していこうではないか。連合国の人々をもなだめ、またドイツの人々を激励するという、そういう論文を発表するんですね。同時に厳しい助言することも忘れませんでした。それはどういうことかと申しますと、ドイツの国民は、一九三三年、ヒトラー政権が成立した時に、ヒトラーの下に屈服した。そしてヒトラーに賛美の声をあげた。誤った道を歩んだということ。国民だけじゃない、ドイツの教会や神学者もそういう誤った発言をしたり、また言うべき批判を怠ったって、沈黙したことによって、共同の責任があるということをはっきり自分でも認め声明すべきだという助言をしたわけです。これまあバルトの呼び掛けもありまして、敗戦の年十月に、ドイツプロテスタント教会の代表者は、有名な「シュトゥットガルト戦責告白」というのを公にしたんです。ヒトラー体制の政権に対して、ドイツの国民と共に教会もまた連帯して責任を取らなければならない」という歴史的に有名な宣言であります。
 
浅井:  先ほどバルトの信仰の中で、「人間と神は違うと。人間がなすことをこう神格化することを否定する」という、そういうお話がありましたけど、バルトにとって神というのはどういう存在だったんでしょうか?
 
宮田:  なかなか難しい問題なんですが、確かに『ローマ書』では、バルトは「神は神である」ということを徹底的に強調しました。そして神と人間の間には主従的な区別があるということを強調しました。しかしその後バルトは、「人間の存在を神格化する」ということは批判し続けたんですが、反対に「神は人間に近い存在である」ということを強調するようになったんですね。それが有名な「神の人間性」という、晩年のバルト独特の表現なんです。「神というものは世界のために、人間の神でありつつ神なのである」という。これは神の人間に対する恵みを示す言葉なんですね。この神の身分というのは、信じると否とに関わらず、キリスト教徒でなくとも、すべての人に妥当する普遍的な神の恵みであるということを強調していました。私は、しかしこのバルトの用語を通して、とても重要だと思うのは、この「神の人間性」ということに基づいて、「人間とは何者なのか。キリスト者とは何者なのか」ということを定義されるということなんですね。キリスト者は、神は人間のためにおられるということの証人なんです。人間というものは、その証言を信じて、新しく解放されて生きる存在なのだ、ということなんですね。だから神の人間性の故に、人間兼人間の生命、人間の自由、人間の喜びというものも出てくるというんです。バルトは、バーゼル大学引退後間もなくアメリカに初めての旅を致しました。各地で大歓迎を受けた旅の一コマなんですが、シカゴ大学のチャペルで連続講義とシンポジウム(symposium:聴衆の前で、特定の問題について何人かが意見を述べ、参会者と質疑応答を行う形式の討論会)がありまして、その時一人の神学生が立ち上がりまして、「バルトのライフワークを短い言葉で要約できないか」と質問したんですね。なかなか面白い質問だと思うんですが。聴衆は、学生の大胆さに息をのんだんですが、バルト自身は少しも困った顔を見せないで、「よろしい。私がちっちゃい時に母の膝下で教わった一つの賛美歌でお答えしましょう」と言って、続けて彼の口から出たのは、世界中でよく知られた子どもの賛美歌の「主われを愛す 主は強ければ われ弱くとも 恐れはあらじ」という賛美歌なんですね。「Jesus love me,this I know for the Bible tells me so」というところがあります。聖書はそう書いてあるからと、書いてあるんですが。実はこのバルトの話は、ほんとの事実だったかどうか、はっきりしないところがこれまであったんです。インターネットを使って「目撃証人がいませんか」という手紙を出している人がいたのを私見たんです。どうもこれは聖人伝説ではないかと。この話はとてもいい話だと。それは、バルトの神学の本質をよく射当てているように思えるからだ。バルトの生涯を支えたのは、聖書の教える福音的信仰、すなわち、イエス・キリストに対する「子どものような」素直な全面的な信頼だったと言うことができるであろう。そのことを私の『カール・バルト』という今度の本に書いたんです。それで面白い話が届いたんです。読者の中から私に手紙がまいりまして、関田寛雄牧師さんなんですが、「あれは本当にあった話です。私もその席にいたのです」と書いてあったんです。そしてバルトがその話をすると、もう参加していた人たちから大声が起こって、拍手喝采になったというんですね。これは素晴らしい話だと思いました。
 
浅井:  バルトの没後五十年になるわけですけれども、今バルトから私たちが学ぶものというのは何だというふうにお考えでいらっしゃいますでしょうか?
 
宮田:  私の『カール・バルト』の最後に、「日本人の友に」宛てた手紙というのが入って引用されているんですが、その中でこういうんです。「よい神学者というものは、いつも自分の家から外へ出ます、自分の立場から外へ出ます。例えばいつも途上にあります。彼は神の高い山々、神の無限の海原を眺めます。まさにそうすることによって、西の世界、東の世界の人々を親しい身近な人間仲間と発見し、彼らのために自分がイエス・キリストの証人として生きることができるのです」と書いてあるんですね。この高きにいます神を仰ぎ見る信頼から生まれる力強い生き方、それによって私たちが無力感とか劣等感から解放されて、自分を掛け替えのない一個人として受け入れることのできる落ち着き、またそこから初めて同じ悩みを持つ他者に目を止めて、同じ仲間として生きていく、開かれた心を用いるようになる、ということですね。現在私たちの周りに、あるいは暗い不安を醸し出す状況が取り囲んでいると思います。こうした中でバルトの生涯を貫いた「力強く、落ち着いて、ユーモアをもって、喜びをもって生きていく」という姿勢。このほんとに清朗な精神と言いますか、こういう時だからこそ今我々がバルトから学ぶべきもっとも重要なことではないかと思うんですね。
 
浅井:  今日はありがとうございました。
 
     これは、平成二十八年七月三日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである