みこころのままにと祈りつつ
 
                    ドイツ文学者 小 塩(おしお)  節(たかし)
一九三一年、長崎県佐世保市生まれ。旧制松本高校及び東京大学独文科卒、同大学院。一九五八年、国際基督教大学専任講師、準教授、一九六七年からNHKの「ドイツ語講座」を一九八五年まで担当。一九七○年、中央大学文学部教授、のち常任理事、在職のまま一九八五年から一九八八年まで駐西ドイツ・日本大使館公使、ケルン日本文化会館館長。一九九七年中大退職、名誉教授、フェリス女学院院長、二○○三年理事長。国際交流基金理事、ひこばえ幼稚園園長などを歴任。ひこばえ学園長、ケルン大学名誉文学博士。
                    き き て  浅 井  靖 子
 
ナレーター:  今日は、「みこころのままにと祈りつつ」と題して、ドイツ文学者の小塩節さんにお話を頂きます。小塩さんは、一昨年悪性リンパ腫と診断され、およそ一年に及ぶ闘病を体験されました。祈りと聖書と共に生きてこられた小塩さんが、どのように病に向き合われたのか伺います。聞き手は浅井靖子ディレクターです。
 

 
浅井:  小塩さんは、一年間厳しい闘病をご経験になったということでございますけれども、今はどのようにお過ごしでいらっしゃいますか?
 
小塩:  ありがとうございます。ちょうど一年、悪性リンパ腫というガンの一種だそうですけれども、ちょっと普通のガンと別の病気で、リンパ腫瘍というものなんだそうですけど、ちょうど一年闘病致しまして、ちょうど一年経ちました。まだ副作用がありまして、手足が痺れております。でも毎日毎日穏やかにというか、朗らかに過ごしております。
 
浅井:  悪性リンパ腫だというふうにわかったのは突然のことでございましたでしょうか。
 
小塩:  ちょっとお恥ずかしいな。でもなんとなく身体が怠(だる)かったんですよ。もともとあんまり丈夫じゃない身体なんですけども、八十年間元気に過ごさせて頂いて、時々診て頂いている病院で、「なんか怠(だる)いんだけど」というので、心臓を先ず診て頂いた。そうしたらば全体の画像をご覧になったお医者さまが、「ちょっと腎臓がおかしいから、腎臓のお医者さまに行きなさい」と、回されて。そうしたら、その腎臓の主任教授が、画面を見た途端、「あっ!ガンだ。すぐ切らなくちゃ」とおっしゃったんですよ。普通、ガンの告知って、今までの私の経験では、家族をソッと呼んで、密かに言うというのが告知だ、と思っていたんですよ。のっけから、真っ正面から、「あんた、ガンだ。すぐ切らなくちゃ」、この率直さと言うかね、非常にダイレクトにおっしゃったので、こう落ち込むということなくて、「あ、そうですか。もう切って頂きましょう」というので、スーッといっちゃったんですよ。それがちょうど二年前ですね。二年前の春。とても自分がそういう病気だとは思いもよらなかったので、ビックリもしたんですが、ビックリしている閑もなく入院して、大きい開腹をして、そして肋骨を切って、腎臓左を一つ取って、副腎も切って、という大きな手術を無事に済ませましてね、「もうこれで良いよ」ということだったんです。ところがその取ったものを調べてみたら、普通のガンじゃなかった。悪性リンパであった。今度は体中いろいろ検査をなさった。すると実は点というのではなくて、身体のいろんなところに発症していたんでしょうね。その発症がわかって、さあ治療を始めなくちゃいけない。ところが腎臓を切った主任教授が、「あなたの身体、あんまり丈夫じゃない。アレルギー体質で、しかもお歳もお歳だ。だから抗ガン剤治療はダメですよ。そんなものやったらもう一遍でまいっちゃうからね。もう経過観察でゆっくりいきましょう」と、こうおっしゃったんです。それでも血液内科―病院によっては「腫瘍内科」とおっしゃるところもあるんだそうですけれども―そこで診て頂いたらば、お医者さん唸るわけですよ。だんだんいろんな検査が積み重なっていくと、これはただ事ではない、ということになってきて、そして初めは、「絶対、抗ガン剤はいけないよ」と言っていらっしゃった主任教授が中心になって、心臓、消化器、呼吸器、それから血液内科のお医者さま方が集まって、何度か会議をなさって、最後に家内と私が呼ばれましてね、そのお医者さま方が坐っているんですよ。先ず第一に、それで病気が―悪性リンパが腎臓から肺や腰の骨や、いろいろなところに発症しているということがわかって相当重い。やがてこの肺がもう無気肺(むきはい)―呼吸ができなくなるということが近づいている。その今まで「抗ガン剤はいけないよ」と言っていたそのお医者さんが、前言を翻(ひるがえ)して、「実は抗ガン剤治療しか方法がない。でもね、何もなさらないという手もありますよ。だけどその時は・・・」と、暗い顔をなさったんですよ。それでお医者さんに暗い顔さしちゃ悪いと思ったから、「あ、お受けします」と言うんで、抗ガン剤治療と言っても、「R―CHOP療法」という新しい、リツキシマブという薬を加えた療法なんだそうです。
 
浅井:  お聞きになった時は、動揺というのはなさらなかったですか?
 
小塩:  私自身はあまり動揺しませんでした。〈あ、そうなのか〉と。今まで知らなくて、自分に対して申し訳ないなと思いました。
 
浅井:  ご自身の身体に対してということ?
 
小塩:  ええ。与えられたいのちに対して。もうちょっと言えば、自分を生かしてくれた両親、友人、あるいは神様に対して、こんなにウカウカとしていて申し訳なかったという気持ちがございました。ただ家族は、家内初め子どもたちは、「頭が真っ白になった」と言っていました。というのは、お医者さまが、「ステージの四だ。四期である」と。末期に近いわけね。〈もっと早く自分で気が付かないのかな〉と思ったんですが、まあしかし日本人は、男は二人に一人はガンを背負っているんですってね。だからこれも仕方がない。そうすると、与えられたこの病気をなんとか乗り越えていこうと、かえってそう思いました。だから落ち込んでいる閑なかった。根治(こんち)ってないんですってね。だけども「病状がなくなる段階までもっていくことは、今の医学でできる筈だ。やりましょう」と。ほんとにやって頂いて良かったなと思います。
 
浅井:  前言を翻して、抗ガン剤治療をしてほしいというふうにおっしゃった。その病に共に向き合うという意味での率直であり、かつ人間的な関係というんでしょうか、お感じになったんでしょうか?
 
小塩:  そうですね。非常に科学的な根拠があって、そのうえで、しかも人間的に率直にこちらに入っていらっしゃった。十分に調べて討議して―勝手に決めるんじゃなくて―しかも面子(めんつ)忘れてというか、これはなんか嘘を言ってとか、誤魔化してとか、あるいは隠しておっしゃっていたら、私は不信を抱いたでしょうね。だからお受けした。その一言に尽きるかなと思うんです。早速入院を致しました。五ヶ月入院でした。抗ガン剤治療というのは、聞いたことあるけど、実際どうなるのかわからなかったです。普通ですと、三週間毎にちょっと家に帰れるんだそうだけど、私はやっぱり身体があまり丈夫ではなかったことと、それから副作用が非常に強かったものですから、結局面会謝絶で五ヶ月一度も家に帰らずに病院で過ごしました。その新しいお薬の投与のその最初の晩にこんなことがあったんですよ。その新しいお薬を投与する前に、いろいろ五種類ぐらいいろんな薬を入れて、そして吐き気を止めたり、いろんなことの注射やその他があった後で、いよいよそのメーンの新しいお薬の注入が始まった途端に、呼吸困難なんです。全身が硬く強(こわ)ばってきて、ものを言えなくなってきた。お医者さまが、足下に三人ぐらいちゃんといらっしゃいました。で、ひそひそ話をしているんですよ。病人に聞こえないだろうと思って、小さい声で、「あのね、これはダメですよ。この患者さんに無理ですから止めましょうよ。普通のお薬でいきましょう」という話をしているんですよ。そうしたら、その血液内科の主任教授が、「やる。絶対にやる。この薬を予定では五時間の予定だけど、二十四時間かけても入れ切る」ということをおっしゃったんです。嬉しかったですよ、僕、身体強ばっているのに。大量のステロイド剤などを新たに注入して強ばりが解けて、そして酸素吸入で、フッと息ができるようになって、〈あ、これでやって頂いていいんだ〉と思いました。さてだけど病気を治すには医療だけではないなと、あるいは治療だけではないな、と思いましたのは、看護師さんたちなんですよ。これが良かったんだなぁ。もう何気ないんですよ。点滴などを打っている時に、普通だったら、一時間に一遍見に来る、様子をね。だけど十五分に一遍は必ず来て見てくれるわけね。ただ見ているだけではなしに、ソッと掛け布団の裾をちょっと押さえたり、何気ない仕草が、〈いやぁ、これは大したもんだ〉と思いました。それから入院して暫く経って、湯呑茶碗がありましたね。お茶滓が溜まっているもんだから、お茶碗の底がちょっと汚れている。ある朝早く六時半に来た看護師さんが―若い人ですよ―黙ってお茶碗持って行って、手洗いのところで、キュッキュッと磨いている音が聞こえるわけ。頼まれもしない。黙ってスーッとお茶碗を置いて出て行っちゃうわけ。そういうなんというかな、心づかいというか、優しさというか、看護師さんの働きというのは大きいなと思いました。だからいろんな注射なんかも、ほんとに安心して受けることができた。多分病気を治すためには、それだけでは足りなくて、家族、親族のやっぱり直接的な支えがあった。それからたくさんの友人、あるいは知人が祈り―祈るって、僕に祈っていても役に立つのと言われるかも知れないけど、ほんとに役に立つのね。本を送ってくれたり、医学の資料を送ってくれたり、あるいはドイツの人形がドイツから届いたりというようなことがあって、つまり医療というのはお医者さまの行動だけではなくて、いろんなものが複合的に治療を完結させるんだな、と思いました。ちょっとお話が長くなりました。
 
浅井:  その新しい治療というのは、非常に厳しい治療でもおありになったんでしょうか?
 
小塩:  その新しいお薬が身体に入っていった直後ですね、先ほどちょっと申し上げましたように、副作用がすぐ出たんですよ、アレルギー体質ですから。その時から副作用が随分出ましてね、一旦強ばりとか、硬直は解けたし、酸素吸入で息もできるようになったんですが、フラフラするんですね。世界がぐるぐる回っているような感じがする。やがてお食事の味覚、それから食欲が完全になくなる。おかしいなと思っていると、ご飯が出てきましたね、病院食がね。それを見た瞬間に恐いんですよ。これを食べなければいけないのか。なんでこんなにたくさんご飯を食べなければいけなの。普通お茶碗にいっぱいの、ちょっと大きめのお茶碗、それに真っ白なホカホカのご飯が載っているんだけども、それを見ると、大きな砂山がこう迫ってくるように恐いの。生まれてああいうのを見て、ご飯が恐いと思いました。味がないんですよ。味覚がない。食欲がない。だけど、これを食べなきゃ僕は生きられないよと思って、無理にご飯を食べますと、ボロボロ涙が出るんですね。男が泣くとはなんだ、と自分で思ってね。ちょっと差別用語ですけども、世の中に自分で自分が泣いたことをおかしくなって笑ったりしてね。人が世の中に一人で泣いている分にはおかしくないんだけど、大の男が一人でクックックッと笑っているのは、自分で自分がおかしかったですよ。
 
浅井:  それは涙を流してまで召し上がろうと思っていらっしゃった。なんとかそのことで生きていきたいという強いお気持ちがおありになったということなんでしょうか?
 
小塩:  あった、と思います。「生きたい」というそういう言葉よりも、〈明日のいのちも与えられたい〉というふうな気持ちでしたね。それからもっと勉強したい。もう一冊本を書きたい。そういう気持ちがありました。子どもたちの顔を見たい。それから髪の毛が、なるほど言われた通り、バサッバサッと落ちる。割と毛があった方なんですけどね。枕の上に束になって落ちているのね。髭も綺麗に無くなったんですよ。眉毛も無くなっちゃうのね。落ちた髪の毛を見ると、自分自身との別れなんだな、というのを感じましたよ。これって、地上のいのちと別れていくんだ、と思いました。その時初めて〈死〉ということを考えましたね。でも死というものをほんとに実感するまでには至らず、その前の段階で、今与えられているいのちを、ご飯を食べて、お薬をちゃんと受けて、そして言われた通りに寝て、安静にして病気を治すんだ、と思っていました。
 
浅井:  例えば何故自分がこのような病気になってしまったんだという、半ば怒りのような思いをお感じになったり、あるいはもうこんな状態だったら、という絶望するような気持ちになったり、そのようなことはなかったですか?
 
小塩:  絶望はございませんでした。絶望はありませんけれども、やがてこうやって生きている、息して、あるいは意識している、ものを考えている、このいのちが完全に無くなるんだ。無くなる、という気持ちね。それから宇宙の一番深いところまでおっこっていっちゃう。何もかも落ちていっちゃう。手が落ちる。身体がスポンと落ちて行ってしまう。落ちる、という感覚がありました。僕、若い時、身体が弱かったんですけど、山登りを始めて丈夫になったんですが、剱岳の上からおっこったことがあるんですよ。その落っこちるというのは、自分が落ちるんじゃなくて、地面が膨れあがってきて、こちらを掴むのね。そういう落ちるという感覚がもう一遍その病床で出てきて、ウ〜ンと思った時に、スーッと頭に浮かんだのがドイツの詩人リルケ(ライナー・マリア・リルケ:1875-1926)の詩でした。その時は秋が始まっていたんですけど、「秋(Herbst)」という詩でしてね、「ちょうど木の葉が空を舞いながら落ちていくように、私の手が落ちる。祈っても落ちる。見てごらん。みんな落ちるんだ。そして夜になると、この地球の孤独の中に落ちていってしまう。何もかも落ちるんだ。だけどその通りなんだけれども、一人の方がいらして、この落下―落ちるということを限りなく優しく両の手に支えきってくださる」という詩があるんですよ。今、私の訳で全部読んでみましょうか。
 
「秋」
木の葉が散る 遠くから落ちてくるように
お空で遥かな庭園がすがれてでもいくかのように
否む身振りで 木の葉が散り落ちる
 
そして夜には 重い地球が落ちる
すべての星から離れ 孤独の中へ
 
わたしたち すべてが落ちる この手が落ちる
そして他の人びとを見てごらん すべてに落下 落ちるということがある
 
そのとおりではあるけれど「一人の方」がいらして
この落下を限りなくやさしく しかと両の手に受けきってくださる
                     (小塩節訳)
Herbst(ヘルプスト)
 
 Die Blätter fallen, fallen wie von weit,
 als welkten in den Himmeln ferne Gärten;
 sie fallen mit verneinender Gebärde.
 
 Und in den Nächten fällt die schwere Erde
 aus allen Sternen in die Einsamkeit.
 
 Wir alle fallen. Diese Hand da fällt.
 Und sieh dir andre an: es ist in allen.
 
 Und doch ist Einer, welcher dieses Fallen
 unendlich sanft in seinen Händen hält.
 
というリルケの詩があってね。そうなんだ。落ちていくというこの感覚を限りなく両の手で支えてくださる永遠者の手があるんだというのを感じた時に、フゥッと楽になりました。つまり横の関係―お医者さま、看護師さんたち、家族、友人たちに支えられる横の関係があって、病気と闘っているんだけども、それだけではなくて、縦の軸があって、落ちるというこの人生の真相を限りなくしっかりと、しかし優しく両方の手で支えきってくださるというこの安心感。お任せする感じ。ほんとに「神様」という言葉を、リルケは使っていないんですよ。「一人の方」とギリシャ語で言っているんですけどね。でも目に見えないものが支えてくれているという。ほんとにその実感がありましたね。横と縦と両方あって、私は病気をズッと耐え抜いてきたな。無理せずに耐え抜いた、という感じがします。
 
浅井:  何者かに支えられているという。おそらく食事をしても、美味しく感じられなかったり、お身体もかなり辛い時もおありになったと思うんですね。でもそれでもやはり生きようというか、そういうお気持ちを持ち続けるための支えでもあったと思われますか?
 
小塩:  それは今になってみればそうであったのであって、その最中はやっぱり精神的には藻掻いていたんだろうと思います。やっぱり生きたい。今日一日いのちが与えられたことを有り難いとは思うんですよ。有り難いとは思うんだけども、もう一日生きたい。明日の朝、いのちがあって目覚めさせてほしい。欲しいだけではなくて、神様いのちくださいよ。神様の胸ぐら掴まえてね、揺するようにして叫ぶというか、心の中で喚(わめ)くというか、言葉を綺麗にすれば、祈っていました。ところが考えてみますと、そのうちにだんだん秋が深まってクリスマスが近づいて来て、そして聖書を読んだんですよ。枕元にあるものですからね。そうしたらその中に、乙女マリアが天の遣いの言葉を聞いて、「み心のままになさってください」と返事をするところがあるんです。ナザレという村に幼いまだ若い娘マリアという子がいて、この子のところに神様の遣えが来て、「夜、あなたは妊って、男の子を、その子をイエスと名づけなさい」と。身に覚えがないわけですね。そんなことが、と思ったんだけれども、神様のみ心であれば、どんな不安でもきっと恵みをくださると思った彼女は、「どうかみ心のままになさってください」と、その天使に告げるわけ。その通りになるわけですよ。でもこの少女は、その後バッハがカンタータの中で歌っているように、非常に力強い芯のある女性だったのね。ほんとに人生をしっかりと生き抜いて、その子どもを育てあげる。その最初の受胎告知のその時の彼女の返事が、ファッとその聖書の中から浮かび上がってきたんですよ。「ルカによる福音書」の中にある言葉ですが、その時に、あぁそうなんだ。自分がとっても恥ずかしかった。何故ってね。今日のいのちを感謝することがまあやっていたんだけど、でもね明日のいのちくださいよ。明日も生かしてください。病気を治してください。ご飯食べられるようにしてください。家族を護ってください。友人を護ってください。病気と人を助けてあげてください。世界に平和をください。「ください、ください、ください」「して頂戴」という要求だけ、僕はお祈りしていたと思うんです。あ、そうだったのか。この僕ってね、浅ましいな。お願いばっかりしていた。それで僕ベッドの上にちゃんと坐りましてね、黙祷止めたんですよ。黙祷って目を瞑って心の中でお祈りしてね、いろんな雑念が混じってくるわけ、いろんなところへ飛んじゃうんですよ。声を出して、自分で目を瞑って、「神様今日一日のいのちを感謝申し上げます。どうぞ明日もみ心のままになさってください」と祈ることがやっとマリアのこの言葉から、私の中に入ってきて、言えるようになりました。身体がスーッと楽になった感じがしましたよ。
 
浅井:  それはどうしてでしょう?
 
小塩:  それはおそらく私が人生に対して、あるいは世界に対して、神に対して要求だけしている厚かましさから、お任せして受け止めるという、そういう態度に自分が変わったんではないかと、今は思います。
 
浅井:  クリスマスが近づいた頃ということですけども、まだ闘病の最中でおありになって、これから先どのようなことが起きるのかというのは、まだ定かではない時でいらっしゃいました?
 
小塩:  だんだん病巣が小さくなっていくということは、絶えずわかっていて、お医者さま方が、「進歩していますよ。薬が効いています」。担当の主治医だけではなくて、心臓のお医者さま、消化器のお医者さま、あるいは腎臓、内科のお医者さま、いろんな方が、外来が終わった夕方に見にくださってね。「進歩している。白血球が酷く悪いな」とかね、いろんなことが出てくるじゃありませんか。
 
浅井:  いろいろな変わりも同時になった時なんですね。
 
小塩:  いっぱいありましたね。それをともかく全力をあげて克服していく。看護師さんたちが助けてくれる。
 
浅井:  その時に、「ルカによる福音書」を読んでいらっしゃった時に、ハッとされて、何故そこでそのように祈ろうというふうにお気持ちを転じることができたんだと思われますか?
 
小塩:  とても苦しかったからだろうと思います。苦しくなかったら、そんなふうには思わなかったんだろうと思いますね。
 
浅井:  苦しかった?
 
小塩:  苦しかった。息も苦しかったし、それから将来というか、何年生きているか保証ないわけでしょう。クリスマスの後、どうなるかわからない。第一お医者さまが、「だんだん病巣の腫瘍が少しずつ少しずつ小さくなっていくけれども、根治(こんち)ということはあり得ない」ということをおっしゃったわけですよ。だって「治す」と言っていらっしゃったじゃにですか。「抗ガン剤でやれ」と言っていたじゃないですか、複数のお医者さまが。何だと思っていたんですけども、そういう中で、ある意味で希望のない、周りの患者さんは亡くなっていく方もあるわけです。人生というのは、もう限りがあるわけですよ。特に末期のガンとなれば、明るい来年、明るい明日があるとはとても思えない。だけれども、その通りなんだけれども、さっきのリルケの詩のように、だけれどもこのいのちは支えられているんだ。自分一人で生きているわけじゃない。このいのちは支えられて、いのちが与えられている。与えられたいのちを大事に生ききっていこうと。いつ絶えるとしても、と思ったから、お任せをする我に、心のままにと祈ることができたし、それから「主の祈り」という祈りがありますが、イエスが弟子たちに教えたお祈りの中に、「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ」というんですが、それもまったく同じ言葉なんですね。「地にみ心がなりますように、み心のままにと祈りなさい」と言われているわけですよ。なるほどね、我々の人生というのは、自分が一人で生まれてきて、勝手に生まれてきて、自分の意思で生きて、自分の意思で死ぬということはあり得ないんであって、生かされているんだから、感謝して、最後のギリギリまで力を尽くす。ご飯を食べる、お薬をちゃんと飲む、眠るというふうに生きていこうと思った中で、聖書の言葉が響いてきた。聖書だけ読んで、ピンときちゃった、というふうな目出度い話ではございませんでした、恥ずかしいながら。
 
浅井:  私もなかなか物事が上手くいっていることは、「み心のままに」ということは、祈りやすいんだと思うんですけれども、自分の願いとは違う方に事が進んでいる時に、なかなかそのことに対して、「み心のままに」というふうには考えられないんじゃないかと思うんですけれども。
 
小塩:  おっしゃる通りですね。逆境の中で、ほんとに素直にお任せをして祈れるか、というのは大問題でして、私もふり返ってみると、よくもあの時祈っていたなとは思いますけど、今ここで例えば急に身体がどうかなった時に、そういう祈りができるかなというのは、ちょっと自信がないですね。恥ずかしいですけども。でも一旦あの道を通った以上は、やっぱり安らかにお任せをして、み心のままにして頂こうと、そう思いますね。
 
浅井:  「み心のままに」というお祈りは、勿論大いなるもの―神様に対して、み心のままにということなんですけど、そのようにお祈りなさった背後には、周りからいろいろな形でお支えくださった方々の思いなり祈りがあった、ということですか?
 
小塩:  そうなんだ。おっしゃる通り。ただ神様のお蔭だけじゃなくて―神様の力は圧倒的なんだけども、目に見えない力―今おっしゃった通りたくさんのこの地上にある私のいのちを支えて護って励ましてくれる非常に多くのもののお蔭。そしてそれにお任せをしたその心、それと神の心と合わさって、私のいのちを今生かしてくださるんだな。ほんとに今、あなたがおっしゃった通りでした。
 
浅井:  まったく新たな人生を与えられたような日々をお過ごしでいらっしゃるんじゃないかと思うんですけども、今、あるいはこれからどのようにというふうに?
 
小塩:  今まだ副作用がかなり残っていまして、手足が痺れたり、クラクラしたりということがありますけれども、でも毎日をこうやって穏やかに朗らかに、まだ我々の人生いつまで許されているかわかりませんけれども、与えられている限りのいのちは、ほんとに力がいっぱいというか、力まずに力がいっぱい生きていこうと思っております。
 
浅井:  ありがとうございました。
 
     これは、平成二十六年五月二十五日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである