いのちに意味が問われる時代に
 
            東八幡キリスト教会牧師 奥 田(おくだ)  知 志(ともし)
1963年7月滋賀県大津生まれ。関西学院大学神学部大学院修士課程卒業、西南学院大学神学部専攻科卒業。学生時代に訪れた大阪市・釜ヶ崎(現:あいりん地区)の日雇い労働者の現状を目の当たりにし、ボランティア活動に参加したことがきっかけで、以来、ホームレス支援に関わり続けている。1990年、日本バプテスト連盟東八幡キリスト教会の牧師就任。2000年にNPO法人北九州ホームレス支援機構設立時に、理事長に就任。また、ホームレス支援全国ネットワーク代表等も務めている。現在、北九州を中心に、4カ所の自立支援施設を運営する。北九州で活動開始後24年で1500人以上のホームレスを自立へと導き、自立継続率も9割以上という驚異的な実績を持つ。NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」に2度出演するなど、その活動は、マスコミにもしばしば取り上げられている。
            き き て       浅 井  靖 子
 
ナレーター:  今日は、「いのちに意味が問われる時代に」と題して、北九州市の東八幡キリスト教会牧師の奥田知志さんにお話を伺います。奥田さんは牧師としての仕事の一方で三十年近くホームレス支援の活動を続けてこられました。社会から排除されがちな立場の人たちを支え、共に生きる道を実現してきた奥田さんにとって、今年七月相模原市(さがみはらし)の障害者施設で起きた事件は、大きな衝撃を与えるものでした。生きている意味がないとして多くの命が奪われた事件。今、命に意味が問われる時代に、私たちはどう向き合えばいいのか、お話を伺います。聞き手は浅井靖子ディレクターです。
 

 
浅井:  今回の事件については、私たち、大きなショックを受けたんですけれども、奥田さんご自身とても特別な思いを抱かれたということなんですけど、それはどういうことですか?
 
奥田:  そうですね。正直、事件自体も大きなショックでしたけども、実は私の中にはもう何十年も前から、いつかこんなことが起こるんじゃないかという、そんな不安というか予感があったんですね。事件自体のことは、今取り調べ中でもあるし、容疑者の青年のことも、私は深く知りませんから、それ自体語ることは出来ないんですけども、ただ一人の青年が起こした特異な事件だというふうに、そういう見方もできるでしょうけども、実は彼が生きた時代、今の社会が持っている歪んだ価値観というか、社会全体の空気の中で起こっている、そんな事件なんじゃないか。そんなふうに感じたんですね。今回の事件において最も衝撃を受けたのは、容疑者の青年が、重複(ちようふく)障害という重い障害を持った人たちを殺害した理由として、「生きる意味のない命だ、と。それを安楽死させて良い、もしくは殺して良い」と語った、その点が一番私は大きな衝撃を受けました。そもそも命の中に、「生きる意味のある命」と、「生きる意味のない命」という二つの命が存在しているかのように、この事件は前提を持っているわけですけども、単純に私はそうだろうかと。今ここで立ち止まって考えないと大変なことになるという、そんなことを感じたんです。
 
浅井:  その「生きる意味のある命」、それから「生きる意味のない命」というふうに分けていくというその背後にあるのは、どういう時代だというふうにご自身のご体験の中からお感じになってきたんでしょう。
 
奥田:  私は学生時代からのホームレス状態の方々の支援等々していく中で感じたことなんですけども、今から三十年以上を前のことになるんですが、ちょうど私が大学一年生に入った一九八二年の暮から八三年にかけて、横浜でホームレスの状態の方々を中学生を中心としたグループが襲うという事件がありました。特に八三年の二月十二日に、中学生を含む十人の子供たちが逮捕されたんですね。容疑は傷害致死でありました。 十人のうち、中学生が五人、高校生が一人、無職が四人ということで、当時は「ホームレス」という言葉さえなかったので、「横浜浮浪者襲撃殺人事件」という、どうかなと思うタイトルが付いているんですが、どんな事件だったかというと、横浜スタジアム周辺で、彼らはホームレスの方々を襲撃していたんですね。その後山下公園に移動して、当時六十歳のSさんというホームレスのおじさんを暴行して、最後は公園の掃除用のカゴに押し込んで立ち去るんです。その後Sさん発見されるんですが、救急搬送されたんですが、翌々日亡くなられたという、そんな事件でした。私は、事件自体の残忍さというか、そんな子供がするのかということの衝撃のみならず、彼らが警察署に言った犯行の理由ですね、それを新聞等で知ったときに、非常に恐ろしい思いになったし、それ以来ずっと私は三十年間ホームレス支援を続けているわけですけども、いつかやられるんじゃないかというそんな不安の原点になった事件なんですね。
 
浅井:  と言いますと?
 
奥田:  例えばこういう事を言っているんですね。「横浜の地下街が汚いのは、浮浪者がいるせいだ。俺たちはその連中を始末し、街の美化運動に協力してやったんだ。掃除してやったんだ。乞食なんて生きていたって汚いだけでしょ。しょうがないでしょ。なぜこんなに騒ぐんですか? 乞食が減って喜んでいるくせに」。彼らは欲求不満とか、いろんなことが背景にあったと思うんですが、しかし「本当は喜んでいるくせに」という、いわば大人社会が持っている本音を彼らが先取りしたような形で、大人たちは本当は喜んでいるんだろうと。私は大学一年生十八歳の時に、この春事件に出会って、一体これは何なんだと。野宿状態というのは、それ自体も非常に究極の困窮状態であるにもかかわらず、一方で社会が、しかも子供たちが〈街のゴミだ〉と。そんなことを理由に野宿者を殺していったんですね。私はこの事件をズーッと胸の中に、引っかかりというか、トゲのように刺さった状態でホームレス支援をずっと続けてきました。この事件から二十年後ですね、北九州に移動しておりましたけども、その頃は。やっとですね長く行政との激しいやりとりもあったんですが、それを乗り越えて、官民共同でホームレスの自立支援センターを開所しようと。これは北九州市と一緒にやろう。しかしそのホームレスの自立支援センターを作ろうと言ったその途端に、激しい住民反対運動が起こるんです。私たちも二、三十年こういうことをやっていますけども、どこでやってもだいたい反対運動が起こるということですね。この反対自体の激しさもショックだったんですけども、その反対署名の陳情書の中に書かれた文章が、私にとって大きな衝撃でありました。何が書いていたかというと、「市の中核地域として開発されることを期待していた住民のその期待を裏切るものです。市の中心部の高価な地所を生産性の低い施設で開発するよりも、もっと生産性の高い高生産性の施設を考えていただきたい」と。この短い文章の中に出てくる「開発」とか「生産性」とか「高価な地所」こういう言葉はなんか私は特にこの間「失われた時代」と言われた一九九○年以降ですね、加速度的にこういう価値観が私たちの社会にはベースになっていったと。さらにこの反対運動と同時期にNPOのホームページに、「生産性のない人間が迫害を受けたり、差別されるのは当然のことだと思う」という、一般の市民の書き込みがあったんですね。私、正直「生産性って何なんですか」と。敢えて「生産性」という言葉を使うんだったら、ホームレス状態になって、もう死んだ方がましだと思っていたおやじさんたちが、いろんな人との出会いの中で、もう一回立ち上がって、もう一回仕事について生きようとする。これほど逆に生産性の高い事はないんじゃないかと。私なんかは、敢えて「生産性」という言葉を使うんだったらそう思うんですけども、でもこの時代はそんなふうに使っていないんですね、生産性という言葉は。最終的には、このセンターは住民の理解を得て開所することになりまして、もう既に十数年活動をしているんですね。千人以上のホームレスの人達が自立を果たしました。自立発生率は九割以上ですし、生活継続率も九割を超えている。だからそういう意味では、私は生産性高いじゃないかと言いたいんですけども、しかしこの横浜の事件も、この住民反対運動に於ける根底にあった価値観、そこに言われている生産性ということの中身は、まぁいわゆる経済至上主義、もっと単純にいうとお金がどれだけ儲かるかという。それまでも当然そういう価値あったと思いますよ。でももっと深刻な状態になったのは、この二十数年だったというふうに思うんです。
 
浅井:  人間がどのように生きるか、というよりも、その人が生きていることで、どれだけお金が増えるかということが問題にされてきたという実感ですね。
 
奥田:  そうですね。それがですね、結果的に人を排除する論理の根底に置かれていった時代、その時代の一番末端のところに、今回の相模原の事件が起こったように、私は感じたんですね。しかしこれって遡ってみると、私は実は学生時代、ナチズムの頃のキリスト教の研究をしていましたので、 一九四○年ですねナチスは障害者の抹殺計画、いわゆる「T四作戦」というのを始める。これはその後に起こったホロコースト(英語: The Holocaust 、ドイツ語: Holocaust:第二次世界大戦中のナチス・ドイツがユダヤ人などに対して組織的に行った大量虐殺を指す)ですね。ユダヤ人絶滅計画の前に、まず障害者がやられるんですね。被害者七万人とも十万人とも言われたような出来事だったんです。この時にナチスは障害を持っている人たちに対して、「Lebensunwertes Leben」という「生きるに値しない命」という言葉を、そう名付けるんですね。今回の容疑者の青年が、「生きる意味のない命」と、彼は語った。ほぼ同じ言葉を語っているんですね。このナチスの「障害者抹殺計画」というのは、その後どんどんエスカレートして、まさに「ユダヤ人絶滅計画」につながっていく。私ね、今回の相模原の事件も、ナチズムの時代とあれから七十年、八十年経った私たちの時代は、いろんな経験もしたし、いろんな失敗もした。人間はその分当然成長しているというふうに信じたいんだけども、下手をすると、この先がまだあるんじゃないかと。さらにこの先私たちの社会は何を起こすんだろうかという、そういう私は不安に駆られているんですね。実はナチのホロコーストを生き延びたマルチン・ニーメラーという牧師がおります。この人はもともと潜水艦の船長をやっていたような不思議な経歴の持ち主ですが、軍人だったんですね、しかしヒトラーの時代に牧師になりまして、その後ダッハウ強制収容所に入れられたんですが、戦後まで生き延びるんですね。このニーメラー牧師が、今日においては預言的な意味合いがある言葉を語っているように思うんです。ちょっと引用しますと、
 
ナチスが共産主義者を弾圧した時、私は不安に駆られたが、自分は共産主義者ではなかったので、何の行動も起こさなかった。
その次に、ナチスは社会主義者を弾圧した。私はさらに不安を感じたが、自分は社会主義者ではないので、何の抗議もしなかった。
それからナチスは学生、新聞人、ユダヤ人を順次弾圧の輪を広げていき、そのたびに私の不安は増大したが、それでも私は行動に出なかった。
ある日、ついにナチスは教会を弾圧してきた。そして、私は牧師だった。だから行動に立ち上がったが、その時はすべてがあまりにも遅かった。
 
私は、この言葉を今回の事件後、もう一回読み直しました。この後一体何が起こるのか。ここでみんなちょっと立ち止まって、この社会の中の根底にある価値観、これ本当にいいのか。例えば「生産性」という言葉ですね。それをもう一回再吟味しないとまずいんじゃないかと。
 
浅井:  ニーメラーの言葉というのは、その生きるに値しない命を排除するという波が、それがどんどん拡大されていって、知らない間に足元まで来ていたという、そういう恐ろしさですね。
 
奥田:  そうです。当時はやっぱりナチスの思想というのは大きかったと思います。だからそういう権力者の問題というのは、非常に今日も私たちは注意してみなければならない。でも実際それが一人の権力者で起こせるようなものではないんですよ。そこが一番問題で、そういう人が出てきたときに、それに賛同し、「そうだ」と言ってしまう民衆の姿があるんですね。ですからやはりちょっと私たちは今考えなければならない。例えば障害者の人権があるなんていうことは、もはや当たり前の世界ですよね。しかし今回簡単にそれが覆されたわけです。何十年にもわたって障害者の制度ができてきたにもかかわらずですね、それが簡単にひっくり返る。私はその背景は、社会の動き、社会の流れというものが、ある意味後押ししたんじゃないかと。自分自身もその社会の一員として、今立ち止まりたいと考えているんですね。
 
浅井:  そうすると、そのお金とか経済性とかという意味での生産性が強く問われる、そういう時代を私たちは生きているとしたら、あの事件の容疑者とされている青年、それから横浜でホームレスを襲った中学生たち、その若者達もまたその時代の空気というか、それを自分の身に受けていたということも言えるんですか?
 
奥田:  まさにそうだと思います。被害当事者と加害当事者がいますよね。しかし実は社会全体の中で起こっている事象というのは、この被害・加害というような二律背反的な事柄では捉えられない。例えば横浜の中学生たちは、ひょっとすると日頃学校の中で、まさに学校という価値の中で生産性を問われていたかもしれない。学校という仕組みの中では、彼らはなかなか活躍できる生産性の証明ができなかったかもしれない。それを挽回するために、街のごみを美化運動で掃除してやったんだ。それはある意味で追い詰められた中学生が自らの生産性、すなわち存在の意義ですね、命の意味を証明しようとした出来事だったのかもしれない。今回の二十六歳の容疑者も、私はやっぱりこの価値観の中で、彼自身が曝されていた面があると思う。決してそのことで今回やったことが割引される事はないですよ。そんな事はないんだけども、しかし彼のこの時代の空気の中を生きていたというこの事実は、私たちは踏まえるべきだし、実は私もこのプレッシャーの中で生きているんだということを、私はもういっぺん見直す時が来ていると思うんです。
 
浅井:  奥田さんは、ホームレス支援という実践をなさる一方で、牧師さんという立場でもあって、そういう時代に私たちはじゃどう生きるのか、どう向き合うのかというところには、どのようにお答えになりますか?
 
奥田:  そうですね。私はいちばん大事な前提は、「人間は人間に過ぎない」という事実ですね。人間が人間にとどまる。つまり「人が人に対して生きていいとか、悪いとかということを言うなと。それは言っちゃいけないし、人間はそんなことは言えないんだ」と思うんです。その時に私自身はキリスト者で牧師なんで、そういう人間が人間であり続けるために、私にとっての大事な要素は、やっぱり聖書の神ということを前提としている。神様を前提とするということは、同時に「人間は人間に過ぎない。すなわち人間は神ではない」ということですね。神のごとき振舞いとか、神のごとく判断することをやめろ、と。これが宗教の本質的な意味でもあるというふうに思うんですね。そもそも聖書は、命に対してはあまり私は説明していないと思います。メッセージは単純で「生きよ」というメッセージ。「生めよ、増えよ、地に満ちよ!」 。これは創造の時の神の言葉ですがね。あるいは死していく時で、単純に「殺すな」。「こういう命は殺していい。こういう命は殺しちゃいけない」という、そういう区別していないんですね。単純に「殺すな」という。なぜですか、ということについては、聖書はちゃんと答えていない。答えるとしたら、それは御心だと。神の思いだと。神の命令だというしかない。私たちはそれに対して、それ以上突っ込む必要ないんじゃないかとさえ思うんですね。ここは私たちはその判断を留保をしなければならない。それは神のみぞ知るという世界であって、そこを神になり代わってですね、「お前は生きてよし、お前は死んだほうがいい」こんなことを言っちゃいかんのだと。先ほどの創世記ですね。天地創造の物語の中で、最初の人間が罪を犯す場面が出てきます。これは非常に示唆的でして、神が、「あなたは―エデンの園なんですけども―園のどの木からも心のままにとって食べてよろしい」と。しかし唯一神が禁止したのは、 「善悪を知る木からはとっても食べてはならない。それをとって食べるときっと死ぬ」というんですね。蛇は人間を誘惑して、「それを食べると、あなたの目が開け、神のように善悪を知るものとなる」これが蛇の誘惑の言葉なんですね。この言葉に人間は絡め取られて善悪の判断を我がことにしてしまった。これが罪だと聖書には書いているんですね。人間は本来神の領域に立ち入っちゃならない。最後の言葉を言っちゃいけない。そこは留保しなければいけない。にもかかわらず、しかし人間は禁断の木の実を食べた存在で、善悪を語るんですね。今度の襲撃においては、住民の反対運動においても、相模原のこの事件においても、善悪を知ったかのように、意味があるとか、街のゴミだとか、それを排除することは善なる行為だと。そんなふうに人間が振舞う。これは実は聖書が描く人間の罪の問題だ。しかも聖書がいうところでいうと、全ての人間に共通する問題なんですね。善悪を語ろうとする誘惑。神のようになりたいという誘惑。あの二十六歳の青年だけが反省して済む話ではないんだという。宗教的にはそのような普遍性をみるわけです。しかもこういう善悪の二元論が、最終的には戦争の理屈にもなる。「あの国は滅ぼしていい国、この国は神の選ばれし国」こんなことをやっていると、世界は滅びる。まさに神が「それをとって食べると、お前は死ぬ」という、その言葉が成就する。そんな危険さえ私は感じておるわけです。
 
浅井:  その「生きる意味のある命」「意味のない命」というふうに分けていく考え方ですね。それはホームレス支援の現場での実践者として、そのことは常に考えてこられた、経験してこられたことなんでしょうか。
 
奥田:  これもですね、結構ここの言うは易しで、実は私たち現場でやっぱり「命に、意味のある命と意味のない命なんていうものはない。命に意味があるんだ」というふうに言い切ってきたんですね。「生きることに意味がある。命に意味がある」。しかし命自体に意味があるということは、実はそう簡単でもないし、美しい奇麗事では済まない現実があったわけです。私たちは二十八年前のホームレス支援を九州で始めた時に、周りの人は、「ホームレスの人なんて応援しても、支援しても、自立するはずがないと。怠け者で、何も出来ない人達だ」と。しかし実際にはこの二十八年間にもう三千名近い人が立ち上がっているんですね。好きでホームレスやっている、やる気のない人たちだ。これを彼ら自らが打ち返してきた三十年の歳月だったんです。しかしこれをどんどんやっていく中で、私たちは世間の期待ですね―逆期待なんだけど―やってもムダだというその期待を大きく裏切ってきたので、本当に希望に満ちていましたよ。半年間の自立支援で九割以上は自立していく。人間は出会いによって変わっていくということを、次々に私たちは証明してきた。これを確認しましたね。人は出会いによっていつか変わるということをですね。これが本当に希望だった。でもですね、次々にそれが実現していく中で、私たちは大きな落とし穴にはまるわけです。それは何かというと、私たちの期待に応えて路上から立ち上がっていく。即ち出会いによって変わっていくおじさんたちは、良いおじさんたち。なんぼやっても変わろうとしないような人たち。中には十年十一年十五年と通っても、「もう帰れと。お前たちの話聞きたくない」と言い続けた人もいるわけですね。そんな中でだんだん私たちの中に陥っていった一つの罠は何かというと、まさに変わっていく良いホームレスと、何をやっても変わらない悪いホームレスという、この線引きが私たちの中に生まれ始めるんですね。この線引きこそが、あの相模原の事件に通徹するものであって、そこが非常に大きな問題になった。私たちは考え立ち止まりました、その時に。いや、これは違うんじゃないかと。人は出会いによっていつか変わるというテーマ。これも事実である。でも一方で、変わらなくても人は生きるというこのテーマ。この二つのテーマの中で、その狭間で生きている、常に。この中で人間とは何かということを考えてきたわけですね。これはたぶん障害を持つご家族を、障害がある家族を持つご家庭においても、もしくは介護の現場ですね、子育て、そしてホームレス等のこういう社会的な場面においても、奇麗事では済まないギリギリのところでみんな生きてきたと思うんですね。その人たちはやっぱりこの二つのテーマにさらされたんだと、私は思うんです。特にそんなことを考えさして下さった、ある一人の方との出会いがありまして、仮に「ちよさん」という名前に、今日はしておきますけども、ちよさんと出会ったのは、今から十五年ぐらい前で、小倉駅の近所で野宿されていました。女性のホームレス珍しいですけども、だから非常に印象深い方でした。 二○○四年に自立を決意して、そして地域で暮らしが始まったんです。ある時地域で暮らしが始まって、半年ぐらい経ったときに、ちよさんが私を訪ねてこられて、「どうしたんですか?」と言ったら、「奥田さん、友達が死んだんよ。お葬式に行くから香典貸してくれ」というわけですね。私は、野宿時代の友達関係、人間関係全部切られていくんで「良い機会だからお友達のところへ行っておいで」と言って五千円貸したわけです、具体的にいうと。そうすると数日か一週間経って、まだ来たんですね。「どうしたの?」と言ったら、ちよさんは「いやぁ従兄弟が死んだんよ」と。やっぱり香典代貸せという話なんですね。私は何かおかしいなと思いながらも、身内・親戚と再会できるチャンスだと思って用立てしたんです。さらに一週間してですね、私の前に現れたちよさんは、今度は血相を変えて、「昨日の晩、娘の婿が死んだんだ」というんですね。「今からお葬式行くから、今度一万円貸してくれ」というんですね。さすがの私もですね、いくらなんぼなんでも、死にすぎだろうと。そんなにあんた足かけ三週間で三人もなくなると。「ちょっとあなた前へ座りなさい」と言って座っていただいて、それで私は娘さんに電話するわけです。そうしたら娘さんは第一声「えっ! うちの旦那死んだんですか?」というわけです。「わかりました、わかりました。もう大体そんなことだと思っていました」と言って電話を切って、そのちよさんに、「娘さん、こうこう言っていますよ」と言ったら.このちよさんね、私の顔をこう見ながらびっくりしたような顔をして、こうおっしゃったんですね。「はぁ〜、うちの娘は何でそんな嘘をつくかなぁ」と言ったんですよ。私ね、「えっ!」といって、もう怒りを通り越して、思わず笑ってしまったんですけどね。こんなちよさんだったんですけども、それからその後すぐに癌が見つかったんです。進行性の癌で、彼女はせっかくアパートに入ったからもう病院にはなるべく行きたくない。入院したくないと言って頑張ったんですね。どんどん悪くなられて、ついにお亡くなりになりました。私は牧師ですので、その葬儀の段取りをしてやったわけです。会場には彼女のもとホームレス時代の友達とか、自立してからの自立者仲間がたくさん来ていました。四、五十人きていましたかね。そして最後に棺のフタを開けてみんなで花を手向ける場面があるんですが、その棺に花を手向けている全員が口々に―ほぼ全員が「こいつには騙されたなぁ。金は返ってこんかったな」って、口々に言っているんですよ。俺だけじゃなかった。僕もお金返ってきませんでしたけどね。みんなそんなある意味全員被害者だったんですね。でも最後出棺する時に、その会場からそのおやじさんたちに担がれた彼女の棺が出ようとした時に、ふっと見ると、ほぼ全員が泣いているんです。口々に「ありがとうな。また会おうな」と言っているんですよ。「ありがとう」何がありがとうなんだ。「また会おう」また会ったら、また金貸せと言われるよ、と思うんだけども、思わず私もその姿を見ながら、人と人との出会いとは何か。人間が人間と共に生きるということは一体どういうことか。彼らはそんな彼女だったけども、その別れを惜しみですね、悲しんだんですね。そしてある意味出会いに感謝した。私は、「本当に人が生きるとは何か」ということを、その時深く考えさせられました。ちよさんとの出会いを、自分にとって損得とか、自分にとっての生産性という物差しのみで計っていたら、葬儀には誰も来なかったと思います。もっというと、「やっと死んでくれてありがとう」という人さえいたかもしれません。でもあの日確かにあの会場にいたほとんどの人は、彼女のことを惜しんだんですね。別れに泣いたんです。人が生きるということにおいて、そこに愛があるんだと思うんです。だけど愛というのは、なんか愛される資格があるとか、ないとかの問題じゃなくって、本当の愛というのは命という絶対的な事柄、命という普遍的な事柄の前にのみ成立する。そんなふうに私は感じたんですね。ですからこういう彼女との出会いの中で、まさに人はいつか変わるという希望とともに、変わらなくても人は出会うし、変わらなくても人は生きる。そのことに意味がないとは言ってはいけないという、そんなことも教えて頂いた場面ではありました。そういうふうに考えると、私は今回の二十六歳の彼のことも思わざるを得ないんです。一つは先ほども言いました、同じ時代のある意味空気というか、プレッシャーの中で彼も生きていたということ。今回、彼は許されないようなことをしたわけですね。被害者の家族からすると、とんでもない話だった。しかしですね、あんなことをしたんだから、もう彼は生きる意味はないと。この二十六歳の容疑者に私たちが言ってしまうとするならば、私たちは出口のない暗闇の深淵の中に自らが堕ちていくことにならないか。ここで立ち止まってですね、本当に何が問題だったのかということを、最後の言葉を留保する。そういう中で祈り求めなければならないのではないかと、私はそんなふうに思っています。
 
浅井:  今日はどうもありがとうございました。
 
     これは、平成二十八年十月十六日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである