念仏詩人 木村無相の仏法
 
                 念仏寺住職 土 井(どい)  紀 明(のりあき)
                 き き て 金 光  寿 郎
 
ナレーター: 今日は、西宮市念仏寺の住職土井紀明さんに「念仏詩人木村無相(きむらむそう)の仏法」というテーマでお話いただきます。木村さんは、一九○四年(明治三十四年)熊本県八代(やつしろ)に生まれ、三歳で家族と共に朝鮮半島から、今の中国東北部―当時の満州に渡ります。十七歳で神戸の工業高校に入り、二十歳の時、煩悩を断じて悟りを得ようと発心します。一時フィリピンに渡りますが、四年後二十九歳で帰国。四国の寺で真言の教えを学び始めます。さらに高野山で真言の学びを続けますが、親鸞聖人の念仏の教えに魅力を感じて京都へ下ります。しかし再び高野山に上り、また京都へ下りるなど、都合三回も京都と高野山を往復して仏法の探求を続けます。その間に、自分の迷いや悟りへの心境を念仏詩の形で発表されました。そして最終的に五十七歳の時、東本願寺(大谷派本山)の同朋(どうぼう)会館の門衛になって後、十二年間ひたすら聴聞に励みます。六十九歳で退職後は、武生市(たけふし)の老人ホームは和上苑(わじようえん)に入居し、一九八四年(昭和五十九年)に七十九歳で亡くなられます。この木村さんが亡くなる前の二年間、土井さんとの質疑応答の中で自分が領解(りようげ)した念仏信心の要を綴った手紙が、土井さんの手元に残されております。それでは念仏詩人木村無相さんの仏法について、聞き手は金子寿郎ディレクターです。
 

 
金光:  木村無相さんという念仏詩をお書きになった方が亡くなられて、ずいぶん年月が経つわけですけれども、最近土井さんがそちらから木村無相さんとのお手紙のやりとりなさったものをまとめて一冊の本にされたのを拝見しまして、実は私もどうもその同じ頃らしいんですけれども、福井県の武生の和上苑だとか、それから林病院なんかの応接室でお会いしてお話を聞かしていただいたことがあるもんですから、非常に懐かしい感じもありまして、土井さんがどういう経緯(いきさつ)で無相さんとの交流を深められて、その後やりとりなんかでどういうふうな感化を受けられたか。その辺のところを聞かしていただければと思ってお邪魔しているんですが、最初のお会いは何年頃でしたか?
 
土井:  昭和四十四年の春でございます。私がその昭和四十四年に東本願寺同朋会館に務めておりまして、
 
金光:  勤めていらっしゃったんですか?
 
土井:  勤めておりました。
 
金光:  そうすると、無相さんはあそこの門衛をなさっていましたね。
 
土井:  そうですね。職員寮にちょっと住んでいまして、その時に私が部屋から玄関に出かけようとしたときに、後ろの方で「ナンマンダブ、ナンマンダブ」という声が聞こえたんです。それでまぁ〈あれっ!〉と。あんまり平生どっかでお念仏の声を聞くということは、東本願寺の中でも案外ないもんでして、ただ非常に珍しい。この方はと思って振り返りましたら、無相さんが鍋を持って台所の方に歩きながら「ナンマンダブ」とこうおっしゃって行っておられた。最初お見かけしたのはその時なんですけども、それはそのままで終わったんです。それから私が教師修練といいますか、坊さんとなって、教師資格というのがあるんですけども、それを受ける修練を二週間本願寺でしておりましたら、その時に二週間そこへ閉じこもって研修をしていたわけです。そのときに富山県の二上久師(ふたがみひさし)さんという方が、「土井さん、いい人紹介してあげよう」と言われたもんですから、それは「是非」ということで、その二上さんについて行きましたら、東本願寺の門衛室に連れて行かれまして、そこで木村さんと言葉を交わすことができました。その時のやりとりは、初めからお念仏の話しかほとんどしないということで、あの人は本当にお念仏一つを真剣に自分の救いとして求めておられ聞いておられるお方だなと。尊い方が本願寺の門衛室におられるわと。気がつかなかったというような感じでございました。
 
金光:  確か東本願寺の同朋会館に行かれる前に、四国の真言のお寺で修行されたり、それから高野山へ行って高野山で勉強されたり、高野山の念仏も―念仏には違いないんですけども、それとそれから親鸞さんの念仏とはだいぶ趣が違うところがあるようでございますし、高野山と京都を何回か往復されたその挙句に、いよいよ最後の腰の落ち着けるところということで同朋会館の守衛さんになられたということのようですが、その頃からも、「私はこの道を行く」ということも決心なさっていらっしゃったようですね。
 
土井:  そうですね。木村さんの五十五、六の時の歌ですけれども、
 
秋彼岸    
しみじみおもう    
身のおろか
 
こういうような歌があります。おそらく長いこと真言の道場での修行とか、いろんなことをされて、ご自身がほんとに愚かな者であるということを身に沁みて感じられたと思います。それでもう私にはこの真宗のお念仏しかないということで、同朋会館に勤められて聞法されると。だから何故同朋会館に勤めたかというのは、真宗の教えを聞き、そこで念仏をするという為に、そこに勤められたことでございます。
 
金光:  私も、その四十年代だと思うんですが、日記なんか付けないもんですから、はっきり覚えていないんですけれども、同じ念仏の信心の方で、詩を作っている方が、鯖江の竹部勝之進(たけべかつのしん)さんと東大阪の榎本栄一(えのもとえいいち)さん、それから木村無相さんがいらっしゃるというのを知ったもんですから、最初は一同に出会ってお話を願おうかと思って集まって頂いたんですけれども、これ三十分の時間で三人のお話というのは、もともと無理な話でございましてね。で後で改めて無相さんは無相さん、それから榎本さんは榎本さんということでお話を伺うようになったわけですが、竹部さんもお一人でお話をして頂くようになったわけですけれども、私が無相さんに最初に三人の座談会の後から何回か福井の方へお邪魔した時に、その話を聞かして頂いたりして、そうしますと非常に熱心に教えを私にも葉書なり手紙なりで教えてくださるというのを、まあほんとに身体がお丈夫でないのに熱心に教えてくださるもんだなと思って、感謝と同時に、これは私なかなかそこまでついていけないな(笑い)という感じもあったんですけれども、今度は改めて年月が経って、ご本を拝見しますと、〈あ、なるほど〉というような、お書きになれる内容もだんだん深まってきているし、それからこちらの土井さんに対するお気持ちもだんだんと相手に応じての内容というのが次第次第に随分深いところまでお話になっていらっしゃる、お伝えになっていらっしゃるんだなということで、感心しながら拝読したんですが、土井さんご自身にとって木村無相さんとの信心の上でのやりとり、応答というのは、これはどういう感じでございましたでしょうか。
 
土井:  なんと言いますかね。木村無相さんが、何度もこう手紙を書かれることの一番のポイントになるんですけれども、実は法然上人が弥陀の本願というのを明らかにされたと。それは善導(ぜんどう)大師の第十八番の解釈をされた。それが、
 
もしわれ成仏せんに、十方の衆生、
わが名号(みようごう)を称すること下(しも)十声(じつしよう)に至るまで、
もし生(うま)ぜずは、正覚(しようかく)を取らじ
 
そう言うんですね。十八願を善導大師が解釈をされて、それによって法然上人が、念仏一つで助かるということで非常に喜ばれたのでございますが、木村無相さんという方は、ここのこの一点、要するに弥陀の本願というのは、「我が名を称えるばかりで助ける」と、こういうお誓いであり、ここに万人が平等に救われていくと。私はこの道のほかに救いはないと。はっきりと無相さんは見定められて、それを何度も何度も繰り返しおっしゃった。まあ繰り返しそうやってお手紙に頂きまして、ただ浄土真宗の原点にほんとに沿ったここが一番の原点であり、そこにズーッとそこから離れないと。そこに立って自らの信心を確かめられたと。こういう方だったと思います。
 
金光:  往復書簡の最初の方に、いろんなエピソードも残っているわけですけれども、「自分の信心なんてのはまったくないんだ」と。何もないみたいなそういうことをおっしゃって、だから「有り難いんだ」とおっしゃっているところを、無相さんは非常に感心されまして、「あそこのところは非常に自分は気に入っている」ようなことを書いていらっしゃるんで、無相さんという人は確かに教学的にはどれだけ勉強されているか知れませんけれども、やっぱりそういう親鸞さんなり法然さんなりの伝統の中で個々の凡夫がどういうふうに信心できるかというところを非常に端的に表して行動なさっていらっしゃる方で、やっぱり無相さんも自分が真言に行ったり、真宗の方へ来たりで、往復なさっている。そのご苦労の間にやっぱり自分の考えというのはこれはまったくダメなんだと。いくら賢そうなことを覚えたってダメなんだということを徹底されたときに、なんか新しい世界のそこで生きていらっしゃるな、というような感じを今度改めて感じさせて頂いたんですけれども、この辺はなかなかあそこまで裸に、というか、これだけというのは、なかなか言い切れないところもあるんじゃございませんでしょうか。その辺は理屈でこうこうということではないところでいろんなお言葉が、無相さんの場合出ているようでございますね。
 
土井:  そうですね。浄土真宗の聞法をしていきますと、まあ念仏を申すと。念仏を申すということは、簡単なんですけども、「信心を頂く」ということになりますと、これは難しいと言われておりますが、その度に誰しも求めていくならば、如何にして信心を得るかというところにぶつかっていくわけです。無相さんもやはりなんとか信心を得たいというようなところにズーッときておられて、先ほどの言葉にもありますけども、「もう自分が信心も仏法もないんだと。こんな私を阿弥陀様が」と、こういうところに信が、木村さんはずいぶん感銘を受けられたようで、「信心というのは自分の中にはないんだと。起こりようがない」ということを本当に徹底してそれを感じられたのが無相さんだったと思います。そのことと、先ほどの「我が名を称えよ」と。「わが名を称えるばかりで助ける」という阿弥陀さんの本願とが、ピタッとそこで初めてピタッと一つになるといいますか、非常に単純ですけども、そこで弥陀の本願のお心、大悲のお心が、いつの間にかと言いますかね、無相さんは、「ひそかに」と。いつの間にか流れ込んで、おのずからそこに信心が生まれたと、こういうようなことをおっしゃっておられますね。
 
金光:  お話を聞かしていただく最初はですね、そういう教えを聞かしていただいて、自分でこうに違いないと、こう思えば間違いないはずだというふうに、思いになるわけですけれども、やっぱり自分でいくらこれが間違いないと思っても、その段階では駄目だということになるわけですね。その辺がしかし、いろんな方のいろんなエピソードを書かれるようなものだとか、もう論理よりも、私は具体的な人間の生き方の方が、信心された方の言い方の方に関心があることは、お会いした最後の頃は捨てていましたけれども。やっぱり生きた人間の中に、そういうお念仏の働きみたいなものが現れている、そういうところを非常に感銘深く受け取っていらっしゃった。例えば讃岐の庄松の『ありのままの記』ああいうものの中にある「なんともない、なんともない」みたいなところに感心されたり、やっぱり讃岐から長浜の方へ呼んでですね、お寺で話をしてもらったら、何も言わなくて、「なんともない、なんともない」というようなことで終わっちゃったんで、ご主人が、「なんでありがたい話の一つもしなくて」とおっしゃったという。それに対して、「いや、ありがたい話、私はいっぱい聞いたんだ」という説明があるんですけれども、そのありがたい話というのは何かというと、「みんなでお念仏を唱えた」ということなんですけどね。こういうところもやっぱり本当にこういろいろ考えた人でないと、自分はダメだったなと思えた人だったら、ピンとくるでしょうけれど、やっぱりなんとなくつかまえると安心できるようについ思いがちなんですが、そこのところは無相さんもおっしゃってますね。
 
土井:  それほど、まあ二十歳ごろから無相さんは道を求められて、そしてその挙げ句にもう自分の考えとか、自分の思いとか、〈ああだの、こうだの〉ということは全く救いには役に立たんと。ゼロだというようなことに身にしみて、自分の考えもゼロで何にも役に立たんと。いよいよ「我が名を称えよという仰せ一つである」と。「如来様の仰せ一つが、仰せ一つでも私は十分だ」というところにいかれたんですね。
 
金光:  これはしかし、今のおっしゃったのを、無相さんがそういうことをおっしゃっていたというのは、私なんかお会いしていてもですね、無相さんはそこで生きていらっしゃるなというのが、そういう言葉のそういう世界で生きていらっしゃるなというのが、こちらに伝わってくるから不思議なことでありますね。その上にこちらの、例えば土井さんなら土井さんが「こういうことでいいんだろうか」みたいな心情を出しになると、それに対してまた縷々といろいろと、お身体はあまり丈夫でないけれど、目も見なくなったとか、疲れたとか言いながら結構長い文章を書いていらっしゃいますね。
 
土井:  ようあんだけ一つの問題に対して書いてくださったなと。もうそれだけで本当に私にとっては本当に菩薩様で、人間業でないと。これだけのことを長く丁寧に詳しく書いてくださる人はいないというような感じで、最近こう思います。
 
金光:  一番最初に無相さんの『念仏詩抄』が出たときに、私今でも覚えているんですけれども、煩悩についての詩がありましてね。
 
「ぼんのうよ」 木村無相
ぼんのうよ――
わたしが わるいのだ
 
ぼんのうは
わたしの いうまま
ぼんのうは
わたしの おもうまま
 
ぼんのうよ――
わたしが わるいのだ
 
というのがあって、煩悩がなきゃなんとかなるのに、煩悩があるから困ると思っていたら、煩悩に対して、私が悪いんだとおっしゃっているんですが、これは面白い言い方をする人がいるなと思って、最初にそのことをお尋ねしたら―あれ六十歳ぐらいのときの詩じゃないかなとおっしゃったんですけどね。やっぱりいくら立派なことを考えるも、結局煩悩の中に入ってしまうみたいなところでのご発言であるのかなと思いながら伺っていましたけれども、まあそこまで徹底できるというのは、すごいものですね。
 
土井:  そうですね。後を考えれば、ごまかさずに、疑問があればそこを通り過ぎる。ジーッとそれに自分の救いということですね、徹底して取り込んで一生涯いかれたという感じがします。最後の方でやっぱり煩悩、本当に我執がないと。自分に対する執着の塊だということを、最晩年にそういう塊の大極重の悪人という、そういう言葉も身にありありと感じられたということでした。
 
金光:  例えば、「?慢(きようまん)」という詩がありますね。
 
「?慢(きようまん)
そうやって
聞き歩くのもよいが
鯛にも骨がある
身だけいただかれよ
能信院師のおんさとし
 
その後が面白いんで、
 
鯛ならよいが
鰯だったら
どうしよう
これを?慢(きようまん)というのでしょう
 
と言われたら、私なんかもどっちかというと、すぐ骨のこと言われたら、イワシとかああいう小骨がいっぱいあるんだったらどうするのかなんていうことを考えないわけじゃないんで、やっぱり同じようなことをちゃんと考えていらっしゃるなと思ったことがあるんですが、そういうような身近な生活とそういうご信心の関係が詩なんかでちょいちょい出てくる。
 
土井:  そうですね。
 
金光:  だから高みから話される感じではなく、手紙なんかでもやっぱりすぐ我が身のことをおっしゃいますから。
 
土井:  木村さんと一対一とか、そういう時に話すとかあって、講演なんかで壇上に立って話をするという感じの人ではなくてね。
 
金光:  そうですね。
 
土井:  ですからよく「ありのままに書け」と、手紙の中で「ありのままを書いてくれ。ありのまま話せ」とよく言われましたですね。あるいはまた語ることだとか、見かけだけの言葉、こういうのは非常に嫌がらでましたんで、どうしても今の現在の自分の姿のありのままを書くとか話すようになりましたですけどね。
 
金光:  ありのままがあって、それがちゃんと如来様はもうお見通しなんだと。だからそこのところを自分の都合のいいように隠すようでは、まだエゴ、自己弁護みたいなとこを殻として大事なところを被ってしまっているというようなことになるわけでしょうから。それだけにご自分をざっくばらんに俺の苦労話聞いてなんになるみたいな。お助け一つ、お念仏一つだみたいなことをよくおっしゃっていますが、ただなかなかそう思えないもんですから、この一つといわれても、そこのところはやっぱりああいう生き証人になっていらっしゃる人がいらっしゃると、やっぱりそういう世界が間違いなく変わるなということがこちらにも伝わってくるんですけれど、なかなか難しいことなんですね。ご本人は明治の生まれで、それで戦争の中でフィリピンなんかで苦労されたリ、しかもそれが一種の仏法に対する求道の念がだんだん歳とともに強くなって、しかもそれが本だけでなくて、実践の道で四国のお寺で修行したり、高野山へ行ったり、高野山でも一つ納得できず、それで京都へ下りてきたり、また上がってみたり、また下りてみたりというような、そういうとにかく自分の体で、理屈だけじゃなくて、生活の中でお念仏ならお念仏というのを味わい尽くそうというところがおありでしたようですね。
 
土井:  そうですね。木村さんのお手紙をズーッと読ませていただいて、本当にいよいよ私は無信のものであると。無仏法のものであると。外道だと。いわゆる無信の聞かんやつ、聞こえんやつと、自分をおっしゃって、本当に無信の、無仏法の、外道の、この私がこのまんまで、阿弥陀さんが「ナンマンダブを称えよ」と。そこの無信の私にナンマンダブツがかかっているというところに非常に喜ばれたように思います。
 
金光:  「無信」というのは、本当に「信がない」というのは「心」じゃなくて、「信ずる」の「信」の方がないということをはっきりと何回もおっしゃってますね。
 
土井:  あれは大事な点ですね。
 
金光:  でも思い込みを信じってけっこうあるようですから、「思い込んじゃったら駄目だ」ということをよく徹底して、ご自分自身もそうおっしゃるし、その世界からの発言があったもんですから、やっぱり人間が生きるうえで、そのお念仏の働きというのがどれだけ強いか、大きなものかというのを、ああいう人が現実にそこに依って立って生きてくださると、ああそういう世界があるんだなというのを、なんとなく納得させられる。自分はできなくとも、納得できるみたいなところがあるようですね。
 
土井:  木村さんの手紙というのは、ある意味でとにかく念仏の信心というものを明らかにしたいと。自分の身の上、そういう人にとっても非常に大事な証言の文章だと思うんです。
 
金光:  そういう意味では、ある年代の中でお会いできるチャンスがあって、ということはなかなか会おうと思って会える人ではないようにですから、良いチャンスを受けられたということで、つかまえられたということで。
 
土井:  ありがたいことですわ。
 
金光:  ありがとうございました。
 
     これは、平成二十八年十一月六日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである