まずは自分自身を愛しなさい
       ―アウンサンスーチーの民主化運動と仏教―
 
                 仏教学者・社会学者 田 崎(たざき)  國 彦(くにひこ)
1953年 栃木県生まれ。東洋大学大学院文学研究科博士前期課程(仏教学専攻)単位取得満期退学。同大学院社会学研究科博士前期課程(社会学専攻)修了。現在、明海大学、武蔵野大学、武蔵野女子学院中学高等学校にて非常勤講師。コミュニケーション論、異文化コミュニケーション論などの講座を担当。東洋大学東洋学研究所客員研究員。
                 き き て     平 位  敦
 
ナレーター:  「まずは自分自身を愛しなさい―アウンサンスーチーの民主化運動と仏教」と題して、仏教学と社会学がご専門の田崎国彦さんにお話いただきます。ミャンマーでは、五十年以上にわたって軍事政権が続いてきましたが、昨年十一月の総選挙でアウンサンスーチー率いる民主化勢力NLD(国民民主連盟)が圧勝しました。アウンサンスーチーは、新政権の国家顧問に就任、ミャンマーに民主主義を根付かせようと改革に乗り出しています。田崎さんにアウンサンスーチーの民主化運動と仏教思想の関係についてお聞きします。聞き手は平位敦ディレクターです。
 
(参考)
【アウンサンスーチーのプロフィル】
1945年生まれ。ミャンマー・首都ヤンゴン生まれ。ミャンマーにおける非暴力民主化運動の指導者、政治家。1945年にビルマの首都だったラングーンにビルマ独立運動を指揮したビルマ建国の父と歌われるアウン・サン将軍の長女として生まれる。インド大使に任命された母とともにニューデリーに移る。デリー大学卒業後、英国オックスフォード大学に留学、哲学、政治学、経済学の博士号を取得。後に講師を務める。1972年に英国チベット研究家マイケル・アリス氏と結婚。英国市民権を獲得。1988年にビルマに帰国。セイン・ルイン政権崩壊。反政府統一戦線結集大会で民主化の早期実現を訴え、反政府勢力の中心的存在として一躍脚光を浴びる。最大野党の国民民主連盟書記長に就任。1989年にソウ・マウン軍事政権によりヤンゴンの自宅に軟禁される。1991年にノーベル平和賞を受賞。2012年1月10日、国民民主連盟中央執行委員会議長に選出される。
 

 
平位:  十一月の初めにアウンサンスーチーさんが来日されて、安倍首相や岸田外相と会談をしましたけども、その時のことで印象に残ったことって何ですか?
 
田崎:  前回二○一三年の四月に来日された時は、結構お疲れな感じの印象を受けたんですが、今回はそれから時間が経っているのに、ずいぶんお元気そうで気力も充実しているなという、まず印象を受けました。彼女は来日した中で発した言葉として、僕、注目したいなと思っているのは、十一月四日なんですが、記者会見でビルマ(ミャンマー)の民主化は始まったばかりだとおっしゃいました。この言葉、もっと考えてみると、なんか説明が必要な感じがするんですね。一九八八年八月に、アウンサンスーチーさんは、ビルマ民主化運動に本格的に参加されて、指導者としてリードしていくわけです。それから二十八年の時間を経ています。つまり民主化が始まって二十八年を経て、「やっと民主化が始まったんだ」という表現は、ある意味でスーチーさんの民主化運動が、どういう流れ、歴史みたいなものを持って、ここに至っているのか。それを思わせるような言葉なので、この言葉をお話するところから始めようかなと思っています。
 
平位:  つまり長い間軍事政権が続いて、今までは何もできなかった。でも、これからは今回スーチーさんが政権を握っていよいよ始まる、そういう。
 
田崎:  そうですね。結局ミャンマーの軍事政権というのは、ほぼ五十年続いているんですね。だからスーチーさんが民主化運動に入る前に約二十五年ぐらい、さらに二十五年、都合(つごう)五十年位の第一期・第二期という軍事政権が続いていくわけです。第二期軍事政権の時に、スーチーさんの民主化運動というのが行われていくわけですけれども、その中で非常に激しい弾圧とか、スーチーさん自身の自宅軟禁ということもあって、直接的には民主化運動の活動というものはなかなか困難な面があったということが、まず一点としてあると思います。僕、本当は「アウンサンスーチー」とか、「ドゥ・アウンサンスーチー」とか、そういう呼び方をしなければ失礼なんですけども、親しみを込めてといいますか、「スーチーさん」という言葉で、今日は話させていただきたいなと思っています。
 
平位:  ミャンマーでは、「アウンサンスーチー」というのが一つの名前ということなんですか?
 
田崎:  そうですね。名字(みようじ)(姓)なしで「アウンサンスーチー」で、お名前ということで、でそのまま一続きで「アウンサンスーチー」という形でカタカナで書くならば、それでよろしいんじゃないかと思います。「ミャンマー」と「ビルマ」と、どちらで呼ぶかということですけど、これは軍事政権が「ミャンマー」という言葉を使って呼び始めたというのがあって、「ミャンマー」そのものは問題のある言葉じゃないんですけれども、軍事政権がそういう言葉で自分たちの国名を呼んだことで、それに対する民主化運動の反対の精神をその言葉の中に対抗させて使わないという。
 
平位:  そうしますと、アウンサンスーチーさんたち、その仲間たちも、「ミャンマー」というよりも「ビルマ」と呼んでおられるんですか?
 
田崎:  そうですね。前回は来日した時も、「ミャンマー≠ナなくてビルマ≠ニ使ってください」と確か正式にお話していたこともあったと思います。そういうこともちょっと意識しながら、「ビルマ」という言葉で、今日は呼んでいきたいなというふうに考えています。
 
平位:  今日の本題としましては、アウンサンスーチーさんの民主化運動、そしてその根底には仏教の思想というものが大きく働いている。そういったお話をお聞きしていきたいと思うんですけど、初めに田崎さんご自身のことを少しご紹介して頂きたいんですが。
 
田崎:  僕、農家の生まれ、全然お寺とも関係ないんですけども、かつてアルバイトしている先の先輩が仏教に詳しくて、その方からいろいろ仏教の教えを教えていただいて、大学に二十四歳で入るんですけど、西洋哲学とかじゃなくて仏教―東洋大学の仏教学科というところに入りまして、それでお釈迦さん―仏陀の勉強をしたいということがあって、お釈迦さんの言葉を直接に知り得るような古い言葉であるパーリ語というのを勉強するようなことになってきます。パーリ語というのは、元々は西インドの方の言葉なんですけども、それがスリランカに仏教と共に伝わって、スリランカからミャンマー(ビルマ)、タイ、カンボジア、ラオスというとこに広がっていきます。上座仏教文化圏ですね。日本では「小乗仏教」なんていう言い方で、ちょっとよくない言葉ですが―今使いませんけども―呼んでいたり、あと「南伝仏教」とか、そんなので呼ばれた地域ですね。だからスーチーさんの大切にしている上座仏教、それはパーリ語で書かれているので「パーリ仏教」と呼ばれる。この仏教は現在はスリランカ、タイ、カンボジアなどに伝わっていますけれども、古くはお釈迦様まで遡るそういう古い伝統を受け継いでいる仏教というふうに言えると思います。スーチーさんとの出会いなんですけど、僕は昔以前チベット問題というのを扱っていて、チベット問題というのは、ある意味で政治問題でもありますんで、政治と仏教が交錯するようなところで仏教を考えるみたいな研究をしていたんですね。チベットが舞台でしたので、関心が広がっていく中で、アジア全体の仏教みたいなことも関心持つようになって、一つは仏教が広まった地域が、決して幸福とか平和というものを享受するような良い時をずーっと経ていないということがありまして、平和なんていう問題から現在の仏教の状況を考えるなんてことを思って、そういうことをやりながら勉強しているときに、アウンサンスーチーさんという方に出会うんですね。つまり彼女が言葉を集めている本を読んでみる、ということになって、とりあえずは日本語の文章で『希望の声』という名前で翻訳されている本とか、あと『自由』という名前の本であるとか、そういうものを読みます。で読んで、まず圧倒的に驚いたのは、〈えっ! こんなに仏教のことを書かれるの〉という。その仏教もある種古臭い埃みたいなものをかぶっているんじゃなくて、生き生きした仏教が語られているんですね。現代の僕らが生きている社会の中で、本当に社会の中で生きている。そういう意味で、これは一体何なんだと正直思いました。それで英語の本なんかも比べながら読んでいくと、これは元々は仏教のこういう言葉だなとか、パーリ語のこういう言葉だなとか、そういうことも多少勉強してきましたんでわかりましたんで、背景にあるパーリ仏教の思想とか、考え方、それもすごく大切に活かしながら、自分の民主化運動を展開していく力に、あるいは民主化運動を根底で支えるようなものに活用しているという姿にびっくりしたし、その力量というか、知性の凄さというものはびっくりしました。 一つは、こんな文章があるんですね。
 
私たち人間は悟りに達しようと努め、そしてこの悟りに達しようとする過程において、獲得された知恵を用いて、他人も苦しみから解放されるように、彼、彼女ら、つまり人々に奉仕しようと努める存在なのです。私たちみんなが仏陀になれるわけではありませんが、私は自分が出来る限り悟りを実現し、そしてその過程で得た悟り―段階的な悟りです―知恵を用いて、他者の苦しみを軽減してするために出来る限りの事をする責任を感じます。
 
と言っています。この文章は、同じことの繰り返が二つあるわけですが、最初は「私たち人間は」という言葉で語っています。私たち人間は、悟りを努めようと努力していく。その過程でいろんな知恵とか、生き方であるとか、作られていく。そういう力を今度は他者が苦しんでいたら、その他者を苦しみから解放するように、救い出すようにサポートをしていこうとする、そういう存在なんだと。そのことを今度は、「私は」というのを主語にして語り直すわけです。その私が、今度は私も同じように、自分が悟りを得られるように努力していく。ある意味で仏教徒の基本的な生き方です。彼女は在家の方ですけど、ある意味で、在家の人間としても、そういう生き方をしていく。その中で培った、あるいは得た知恵を用いて、今度は他者の苦しみを軽くするためにできるだけの努力をしていく。そういう責任を感じる。つまり勉強した力を、今度は人の助けるために使っていく。そういう仏教の生き方を「責任」レスポンスビリティ(responsibility)として引き受けるという考え方です。この「責任」という言葉が、僕も素敵だなと思いますね。意外とこれ言えないんじゃないですかね。すごく謙虚ですよね。努力して悟ったみたいなのと違って、「そういう責任として私は引き受けたいんだ」という。僕はこれ、昔読んだ頃、本当に大感動して、〈あぁ、こういうふうに責任という言葉を使えるんだな〉とか、〈仏教徒は使うんだな〉とか。だから、今言った悟りを求めて生きるというのは、ある意味で自分の心の中に平和な状態を、安らぎを作り出すような、ある意味で個人的な努力の生き方ですよね。その力を自分ばかり占めるんじゃなくて、今度は社会に展開していく。つまり今度は個人の心の平和というものに対して、社会の平和というものを対比させて、それを自分の責任として引き受けていく。まさにスーチーさんの民主化運動の歩みというのは、この文章と重なることですよね。軍事政権下の中で好き勝手な法律を、軍政が都合の良い法律を作って、民衆を逮捕したり弾圧していく。そういう弾圧のもとで苦しんでいる民衆、そういう現実があって、そういう現実の中にスーチーさんは、十五歳でビルマを離れてオックスフォードに留学されたり、それで一九八八年に、お母様の病気で看病のために戻られるんですけども、民主化運動が始まっていて、例えば一九八八年八月八日の民主化要求デモに対する軍部側の発砲というのは、一説では三千人という方が亡くなられたとか、怪我されたという、そういう現実があったんですね。そういう流れの中で民主化運動に入っていくわけですけども、その入っていく中でそういう社会をどう平和な社会にもっていくのか。ビルマはご存知のように、日本の三年間の支配の時期もありましたし、その前は長いイギリスの植民地となって、ある種外国に踏みにじられた歴史とか、あと自分たちの社会の軍政の支配の問題とか、それが長くある意味で暴力の歴史が続いたということですね。だからそれをいかに平和な社会にもっていくのか。それがやっぱりスーチーさんの課題。その時に仏教の伝統がありますんで、「慈悲」という。ある意味で、命あるものをどこまで行っても大切にするという、その伝統に踏まえながら、慈悲にもとづく非暴力の方法というものをとった民主化運動というふうに言えるんじゃないか。もともと仏教の「慈悲」というのは、伝統的な考え方はこういうことです。
一切衆生に対して幸福と利益―福利ということですね―幸福と利益を与えたいと思うことが、「慈悲」の「慈」なんだ。パーリ語でメッタ(mett?)。ビルマ語で「ミィッター」というんですが、になります。もう一つ「慈悲」の「悲」ですけど、これは「カルナー(karun?)」という。ビルマのこれはガユナーというのかな、と言いますけど、これは「一切衆生が苦しんでいたら、一切衆生から苦しみと不利益を取り除きたいと思うことが悲なんだ」と。「慈悲」の「悲」というのは、人が苦しんでいたときに発する音がありますよね。命あるものは「痛い」とか、苦しい時に出す声があって、その出す声に反応するというのがこの慈悲の「悲」なんですね。だから命あるものが苦しくてハッと出したときの声を聞き取って、反応して、その苦しみを取り除いて、不利益を取り除いていきたいなと願う心が―だからどこまでもまずは心の持ち方なんですね。だからある意味で仏教の伝統というのは、瞑想でつくり上げて、心の中につくるということが大事になるわけです。スーチーさんは、さらにそこから一歩進んで、それを社会の中で、あるいは民主化運動とか、具体的な中で活かしたらどうですか、活かしましょう。自らも実践して、たくさんの慈悲をめぐる語りという言葉みたいなものが生まれてくるということですね。こんなふうに言っています。
 
多分彼ら、軍事政権側の人々が努力する人とは、自分自身をもっと愛することです。それは利己的な意味においてではなく、他者に対してだけでなく、自分自身に対してミィッター(慈み)を持つということです。恐怖が自分自身への信頼の欠如によって動機付けられているならば、恐怖は自分の中に何か望ましくないものがあると感じていることの表れなのかもしれません。私の中にも他の大多数の人々と同じように、望ましくないもの、よくないものがあることを認めます。しかし、私たちは、これらを克服するように努め、自己変革をしなければならないのです。
 
だから軍政側も―弾圧する側も恐怖を与えるけども、弾圧する側も自分たちが今度は仕返しされるんじゃないかとか、自分たちのやっていることの酷さをどっかで気付けば、どっかで恐怖を持つ。だから苦しめる者も苦しめられる者も、両方がどっかで恐怖とかそういうものを抱えるというのが恐怖の構造といいますよね。じゃそれを我々は放っといていいのか。いやどうにかしなければいけないんだとするならば、どんな薬があるかと考えたときに、スーチーさんは「慈悲」という。それも「まずは自分を愛しなさい」という仏教の伝統ですね。これはお釈迦様以来の伝統です。あまり「自分自身を愛する」ということを、一般の仏教では言わないようですけど、仏陀が語った言葉の中には、「世界中を見回しても、自分自身以上に愛するべきものは存在しない」。みんな同じように自分自身を愛しているんだ。だから、みんなが自分を愛しているように、自分を愛しているんだから、他の者を傷つけてはいけないよ。だから本当に自分を愛するものは、人を傷つけるな。命あるものを殺すな、という一番の古い仏陀の肉声に近い教えがあるんですね。だからそれがある意味で、仏教の慈悲の土台になるわけですね。自分の中に慈悲の心を持つことが、自分自身が証人になって証明するわけですよ。それを他者に展開して、憎んでいる人にまで展開していく。だから軍政側の人にまで展開するから、和解の対象として軍事政権とか、国軍の人たちを排除しない。やっぱり和解の中に入れてくるという、そういう現われにもなっていきます。
 
平位:  つまり「慈悲」というと、生きとしいけるもの、周りの人を愛しなさいという教えなんですけども、ただその大本(おおもと)はまずは自分を愛すると。
 
田崎:  これは原始仏教の、僕が今研究していることなんです。「自己を愛する」というと、英語で「セルフ(self)」というのがあるんですよ。お釈迦様のおっしゃっているのは、確かに「セルフ」というよりも再帰代名詞、自分自身です。だから僕らは常に自分という感じて生きていて、それは自己とかエゴイズムの対象になるより、もっと素朴な形の自己意識というのがありますよね。ただ子供だったら自我が目覚める以前のなんか素朴な形の自己意識というか、自分自身の存在するものを感じている。そういう自分自身だと思うんです。そういう自分自身を愛するというのが、お釈迦様の原始仏典の中にはかなり出てくるんです。日本のお坊さんは、言わないです。私を無くすとか、そう言っていますんで、あんまり広まってないですけど、スーチーさんはもちろんお釈迦様に基づいて、スーチーさんは自分を愛することをこういうふうに語っている。軍事政権の中で生きていく中で、日々の恐怖の中で生きることで恐怖を感じる。恐怖の中で支配されているありよう、そこからどう抜けられるのかというのでも、こう慈悲を語っているところがあるんで、これをちょっと読んでみます。
 
自らの恐怖に打ち勝つためには、まず他者に憐れみを示すことから始めなければなりません。憐れみ・思いやり、そして理解しようとする心を持って、人々―他者に接し始めると、恐怖は消えてなくなります。
 
この憐れみと思いやりがもちろん仏教でいう慈悲です。「思いやり」の方が、慈悲の「慈」です。「憐れみ」の方が、慈悲の「悲」にあたります。で、他者を理解しようとする。要はおそらく慈悲の心、それを土台にして他者に向かって理解しようと努める。そういう心を持って人々に、つまり他者に接し始めると、実は恐怖というのは起こらなくなるんじゃないか。つまり恐怖に対しては、愛というか、慈悲こそが薬であるとか、治療薬であるという。
 
平位:  その「慈悲の心を持つと、恐怖が消える」ということは、なかなか我々凡人にはわかりにくいところがあるんですけども、スーチーさん自身そういう体験があったんでしょうか?
 
田崎:  これはまだ自宅軟禁に入る前だったと思いますけど、スーチーさんがあるところに遊説に行った時に、軍隊の人たちに止められて、銃口を向けられるんですね。本当にまっすぐ銃口がスーチーさんに向かっていて、その銃口の方に向かって、みんな止めるのをスーチーさんは歩いて行くんですよ。その時のことを回顧して、「自分は恐怖を実際その時に感じなかった」というんですね。その時に彼女が感じ取った自分のマインドというか心は、どこかで恐怖を乗り越えたような、おそらく僕は仏教でいう慈悲の心みたいなのを感じ取ったんじゃないかと。それをおそらくそのときにスーチーさんの中に起こっていた心を、スーチーさんは「慈悲」という言葉で捉え直すとか、見つめ直すとか、おそらくそれは自宅軟禁の中での体験だったろうと思いますね。だから実際その体験を自宅軟禁でおそらく思い出す。なぜ私の恐怖が起こらないのか。その時に仏教の慈悲とか、恐怖を乗り越えていくような大きな力とか、人間愛とか、そういうものをやっぱり感じ取ったんですね。 で、スーチーさんは、恐怖というものをそこで言ってますね。で、その恐怖を抱くたんびに、自分の中で慈悲の心みたいなものをもう一回引き起こしながら、それを今度習慣化していく。習慣として身に付いた恐怖を、習慣として慈悲を持つことで、慈悲に出会うたびに持ち直すことで克服していくという、そういうことなんだろうと思うんですね。だから僕らが、誰もができるというわけじゃなないけども、誰もができる目標にはなるということですね。砂漠で回った人がこう目印として星を見ながら歩いて行くように、そういうものとして、例えばスーチーさんの心の持ち方みたいなものがあって、その中から学べるとしたら、我々はそうは簡単にいかないけれども、否定するんじゃなくて、そこからむしろ目指すべき目標、あるいは目標地点として見て生きていくという位置付けはできるんじゃないですかね。僕はこれねスーチーさんの好きな言葉なんですけど、こんなことをいうんですね。
 
私のビルマについてのビジョンは、私たちみんなが互いに理解し合おうとすることによって、互いに話し合うことによって、そして共に働くことによって、自分たちの問題を解決することができるような国を持つことです。民主主義は、私たちの問題をすべて解決することはないでしょう。民主主義は、今日やってきて、明日にはすべてうまくいくと、ビルマの人々が考えているならば、彼ら彼女らは大変な間違いを犯している。私は常に彼ら彼女ら、ビルマの人々にそのように言ってきました。つまりは民主主義は始まりに過ぎないのです。私は民主主義は完全ではなくて、他の政治システムよりは増しだという見解に同意します。
 
だから民主主義の運動を採るけど、たとい変革をつくり出す方法として、民主主義という選択をしたんであって、それに過大な期待も評価もしない。われわれ自身が努力を怠ったりすれば廃れていくものに過ぎないという捉え方ですよね。
 
平位:  制度的に民主主義ができたからといって終わりではないということですね。
 
田崎:  そういうことですね。だからスーチーさんの本当に面白いなと思うことは、仏教は、自分自身を頼りに生きていく。自分自身を大切にする宗教である。だから自分を愛せともいう。そしてそういう生き方がある意味で、一人として政治に向き合う時に、民主化とか、民主主義みたいなものを作っていく担い手になりうるということでしょうね。だから絶えず努力をして怠ってはいけないとか、そういう意味では本当に仏教的な生き方とも通じていますね。自宅軟禁の生活の中で、いろんな仏教がしている教えをものすごく考えたんじゃないかなと思いますね。そういう中で伝統と現代がこう結ぶような新しい形というか、新しい仏教みたいな、本当に普通の課題の役割、出来上がっているという感じですね。僕が思うのは、民主主義の危機というものが叫ばれ始めてずいぶん長いわけですよね。いろんな意味で民主主義というのは、いろんな国で採用されて、それぞれの国ごとに大切に培われてきたけれども、それがいろんな歪みを生んでいるというのは、これは日本の状況とか、アメリカとか、いろんなものを見てもあると思うんですね。そういう中で、民主主義というものに対して、自宅軟禁下に置かれながら、ビルマ(ミャンマー)の地に居続けながら、民主化を押し続けてきて、「やっと今三十年近くを経て、民主化が始まったんです」と。スーチーさんは、今回日本に来ておっしゃったわけです。僕はその言葉に、今日お話の中で最初にお話しましたけど、世界の民主主義の危機の状況を考えたりするときに、今こうスーチーさんが、仏教に支えられた民主化運動の考え方・やり方というものを、こう今の時代に実現化していく。そういう状況になって、スーチーさんの背景になった思想をよく汲みとった上で、今日言ったような民主化が始まっていく。これから続けていくんだというのを受け止めてもらえると、今日お話した甲斐があるのかなと思うんですね。世界のいろんな国の民主主義の危機―ヨーロッパとか、アメリカとか、あるいは民主主義を踏みにじるような言動というのが、人を惹きつけるような状況の中で、スーチーさんがうまく頑張って少しずつ歩み始めた民主化運動というのは、ある意味で世界中の先んじて民主主義を実現したり、採用した国が、自分たちの社会になるよとか、自分たちの民主主義になれるよというのを、スーチーさんは民主化を通しながら、見つめ直すとか、考え直すとか、そういう機会になったり、あるいはそういう場にビルマの民主化運動というのがなるといいなって、僕は思っていますね。あともう一つ言わなければいけないのは、スーチーさんが、ある意味で崇高な仏教の考え方に支えられたような民主化運動の考え方とか、やり方とかというのを語って、実際に実現化し始めた。じゃ、簡単にその通り行くかというと、行かないと思うんですね。今日お話しできませんでしたけど、スーチーさんが五十年続いた軍政の後に、スーチーさんは立っているわけですから、経済格差であるとか、国軍にいろんな兵器を、あるいは国軍に関わった人が利益を占有しているとか、そういういろんな難問を抱えている中で、スーチーさんが出てきたんで、すぐに結果が出てうまくいくとか、僕は、そうはならない。むしろいろんな困難な話が出てくる。その時にもう一度スーチーさんの民主化運動を支えるような考え方を勉強してみてもらったり、そうすることでスーチーさんの民主化運動の実現化なりを、末永く温かい目で見続けてもらえるといいなって願いますね。
 
     これは、平成二十八年十一月二十七 日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである