鈴木大拙先生から学んだこと
 
               鈴木大拙館名誉館長 岡 村(おかむら)  美穂子(みほこ)
1935年アメリカ・ロサンゼルス生まれ。鈴木大拙元秘書。日本民藝館評議員。1951年鈴木大拙と出会い、日本に帯同する。師が鎌倉松ヶ岡文庫で逝去するまで秘書として勤める。1975-1998年まで『ザ イースタン ブディスト』編集委員。1975-1981年まで国際交流基金役員秘書室主任。1992-2006年まで大谷大学非常勤講師。
               き き て     金 光  寿 郎
 
ナレーター:  今日は、鈴木大拙博士の最晩年の十五年間、秘書役を務めた岡村美穂子さんに、「鈴木大拙先生から学んだこと」というテーマでお話いただきます。鈴木大拙博士は、一八七○年(明治三年)のお生まれ、日本の禅仏教をアメリカやヨーロッパに伝えたことで世界的に知られ、一九六六年(昭和四十一年)に九十六歳で亡くなられました。聞き手は金光寿郎ディレクターです。
 

 
金光:  確か岡村さんが、初めて鈴木大拙先生にお会いになったのは、満でいうと十五歳、鈴木先生が八十になっていらっしゃったころじゃないでしょうか。
 
岡村:  そうです。
 
金光:  それだけの歳の差がありながら、
 
岡村:  六十五年の差がありました。
 
金光:  それでいてズバリなんでも思うことを聞かれて、
 
岡村:  「何を言っていらっしゃるんですか! 先生」なんていうような言い方ですよ。十代の半ばというと、今考えてみると反抗期なんですよ。まぁ私はそうでした。それで何を見ても、大人の世界を見ても、こんな世界に自分は生きたくないなという、結論から逆算なんですよね。それで、「先生、どうして人間は悩みを持つんですか?」って、ある時聞くと、そうすると、「人間は、大昔は四つんばいになっているに決まってる」というんですよ。「四つ足でこう地球を歩いていたのに違いないと。ところがある日、突然立ち上がって二本足になる。そうすると、手が自由になる。手が自由になるということが一つあるけども、もう一つは立ち上がったことによって、遠方が見えるようになった」と、そういう説明をしておられました。「遠方を見るということは、自分が立っているところと、そうでないところが分かれるという。主観と客観がそこで分かれたんだ」という説明をしておられますね。「その遠方が見えるということは、美穂子さん、どうなるかと言ったら、脳みそが二つに分かれたんだ」とおっしゃる。「きっと今まで四つんばいの時は必要がなかったのでね。脳みそがきっと主観と客観がこう捉えられるように分かれたに違いないんだ。わしはね、科学者でないから、そんなこときちっと話はできんけども、想像がつく」というんですね。「そうすると、どうなったかと言ったら、意識が発達した」というんです。「意識というものは、主観と客観が分かれるというのが意識なんだ。そうなると、それはいいんだけども、非常に便利になったということは確かだ」というんですね。科学というものも、全部いわば仏教でいう二元性というものが―分別知というのかな―「Duality」という英語を使っていらっしゃいましたけど、それが発達したんだということをね。それは「非常に科学的になるから結構な話だ」と。そして「ものを考えるということも二元的だ」というんですね。「捉える人がいて、とらわれるものがあって、こうなるから理解ができたんだ」ということですね。つまり「捉える」ということは、二つないと捉えられないということを言おうとされるんですね。だから「理解もそうだし、意識というものは、一ついけないのは枠ができちゃうという。それ以上のことを考えないようになる」というわけです。全部意識の中で世界が出来上がってしまうというわけですね。「真実というものは、枠がないところが真実なんだ」という。二元性というもの。だから阿弥陀仏もその名前そのものじゃないですか。「アミター」ですから。量ることのできないということが、阿弥陀さんの名前ですよね。量ることができないって無限ということですよね。枠がないということですよね。それを私たちの本性であり、本来なんだと。分かれない元が。その分かれないものが私たちを動かしてくれているんだから、それが力なんだから、私たちのね。枠が力じゃないんだと。枠は後から出来たもの。だからそのもとが―浄土真宗的にいうと、本願力ですね。本願力が私たちを動かしている。その本願力は何かというと、無限性なんですよね。そういうことに気がつかなくなるんだ、ということを言って下さっておられましたね。つまり意識が発達するということは、意識の本(もと)が見えなくなることで、どこがどこにあったかということが、全然気が付かなくなる。自分が自分が見えなくなる、と一緒なんですよね。
 
金光:  だから「意識は操作した」という有名な言葉がね。
 
岡村:  そういうことなんです。
 
金光:  焦点が当たったところしかわからない。
 
岡村:  わからないんです。一が一が見えないと一緒なんですよね。だけど、私たちは一が絶対だと思っているというところも間違いというかな、それで満足している。そういうお話をしてくださいましたね。それがおかしいことに、昨日だったか一昨日だったか物理学者と話していたんですよ。ドイツ系の物理学者ね。そのこともわからないで、「宇宙とは何ぞや」という話をしておられるんですけど。でもそんなこと言ったら、究極がわからないことになるじゃないですか。そこの宇宙と言ったら外で見ようとしているわけですしょ、彼はね。そうじゃない。「宇宙がここになければ、あそこにもないのよ」と、私がいうんですけどね。「ここにあるからあそこにあるじゃないですか」と言ってみるんですよ。これはダメなんですよね。
 
金光:  確かに宇宙というのは、今はどんどん膨張しているという。
 
岡村:  いかにも何か外にあるというような気分になってしまっているんですけどね。それはそういうことじゃないんですよ、人間の安心(あんじん)決定(けつじよう)が。安心決定は、究極がなければ決定(けつじよう)できないんですよね。
 
金光:  そうですね。しかも自分がいて、究極が別にあってと思っているから、全然究極じゃない。
 
岡村:  自分と関係のないところで、究極を見ようとしているですよね。ここはね理屈に合わないことで、それは本当いうとね。だから結局宗教とはなんぞやと言ったら、「自由」と「安心決定」ですよ。この二つがあれば、宗教はどこに置いていてもいいんですよ、それは。
 
金光:  でも「安心決定」というたら、自由だから安心決定なんですね。
 
岡村:  そうなんですよ。両方言わんでいいわけですよ。一つ言ったら、もう自由も入っているわけなんですから。
 
金光:  自由でないと安心とできない。
 
岡村:  できない。
 
金光:  といって、自由だというと、もう何してもいいみたいなことを思っちゃうから、なんかそれも、
 
岡村:  それも先生、ビート族(1950年代のアメリカに顕著だった、物質文明的な進歩志向に背を向けた若者たち)にその話をしていらっしゃる。ジャック・ケルアックとアレン・ギンズバーグ(アメリカの詩人。ジャック・ケルアックと共にビート文学の代表者のひとり:1926-1997)が二人で先生に会いに来たんです。そうしたら、先生、お茶を立てたりなんかしてあげたりなんかしていましたけどね。「君たちなぁ」って―英語なんですけど―そういうちょっとフレンディな、友達的な言い方を大拙先生されてね。「一つだけ困ったことがあるだ。君たちは自由をはきちがいています」って、そういう話をしていましたね。そうしたらケルアックは、とっても興味を持って、その先生が円覚寺で悟られたということがありますでしょ。それは円覚寺だとおっしゃらなかったけどね。「この臂(ひじ)が外に曲がってごらんなさい」ってこういうの。「この臂が外へ曲がったらね、君たちは自由だというだろう。こんなに不自由なものでないぞ」って。「これが外に曲がってごらんなさい。何の役にも立たないだろう」って。「これが曲がらないから自由なんだ」ということを教えて差し上げている。
 
金光:  『碧眼録』の中に”ひじ臂に曲がらず”の公案が。
 
岡村:  公案なんですよ。一つの公案なんですよね。「これ臂が外に曲がったら、君たちは自由というだろう。しかしこれ曲がったら大変だぞ」と言って。「それは自由なことじゃないぞ」って言って。「痛いだろう」って。しかも「臂というものは曲がらんから役に立つんだ」。
 
金光:  でも、そう言われてもすぐわからんでしょうね。
 
岡村:  ケルアックはわかったんです。
 
金光:  そうですか立派なもんだ。
 
岡村:  それで帰りに階段があったから、その階段を下りながら、「先生、あんたとだったらばね、一生一緒に過ごしたいもんです」と言って、こういう一言を残していきました。たいした人だと私は思いましたね。普通の宗教ですと、一を立てるんですよ。
 
金光:  そうです。
 
岡村:  「一を立てる」ということ、そしてその「一が絶対だ」というんです。この「絶対」と「相対」の違いですよね、宗教の違いというのは。「絶対」を言おうとしているのに、相対的なことを言っている。
 
金光:  そうなんです。俺の宗教でなければダメだという。自分の枠を作っちゃって。
 
岡村:  対立が起きるわけです。「一」と言ったら数字ですから、「一」というたら相対の次元ですよね。
 
金光:  そうです。でもそういう理屈を、まだ十代の子供に言ってもわからないから、「手を出してごらん」というお話、
 
岡村:  そうなんですね。一番最初に「お茶にいらっしゃい」という時ですね。「お茶に来てごらんなさい」と言われて行って、私が今度は具体的に言ったんです。「自分が嫌だって。自分が嫌いだし、それから自分が嫌いなんだけども、うちの両親は夫婦喧嘩する」といったんですよ。先生は全部「なぁ、なぁ」と言って聞いて下さって、耳に手を当てて―ちょっと難聴でしたけども―そうすると、「そうか、美穂子さん」とこうおっしゃってくださってね、「さぁあんたの手を出してごらんなさい」というからね、手を出せとおっしゃるから手を出したら、そうすると手をこう撫でてくださって、「きれいな手じゃないの、美穂子さん」とこうやってくださるんですね。「よぉ〜く見なさい」とおっしゃる。「自分の手をよぉ〜く見なさい」と。こうよく見るんですよ(笑い)。「仏の手だぞ」とおっしゃるんですよね。私の仏といったらば、仏教会にある金ぴかの彫刻なんですよね。どうしてあの金ぴかの彫刻が、私の手と関係があるんだろうと、こう思うわけですよ。そしてそう言われたから、そうですかなと思って帰るわけですね、その日は。「私の手が仏の手だ」と、先生おっしゃった。どうしたらこれが仏の手なんだ、と言ってね。手を出しながら自分で、バスの中でも、ベッドの中でも、一晩中自分の手を眺めるんですけどもね、どうしてもそのきっかけがないんですよね、理解のね。理解のきっかけがないもんですからね、それじゃどうにもならないですよね。もう一回、先生のところの部屋に行ってみるんですよ。ピンポーンと鳴らしてね。「こんにちは、先生」と言ってね。「すいませんけど、これどうして仏の手ですか?」と言って(笑い)。「何でこれ仏の手ですか?」って。「どうやったら、これがそうなるんですか?」と言ってね。「わけが分かりません」って、半分怒っていうんですよ(笑い)。一晩中考えたもんですからね、寝ないで。すると、先生が、「まぁお座りなさい」とおっしゃってね。それで先生のソファーに座らせていただいて、「美穂子さん、その手はね、your handというじゃない。あんたの手だというだろう」とおっしゃるんですね。「それは儂の手じゃない。あんたの手だ、というじゃないか」。「儂の手」とおっしゃらないの。「あんた、your handというじゃないですか」って、英語でおっしゃるんですね。「だけどあんたが作ったのか」とおっしゃるんですよ。当然私、作ったわけじゃないですね。そうすると、「あんた親から生まれたというけど、あんたの親が作ったのか」とこうおっしゃるんですよね。「あんたの親の親が作ったのか」というんです。ズーッと遡ってくださるわけですね。「しかしこうだろう」と言ってね、空中にご自分の手を踊らせるんですよ。「しかしこうだろう。自由だろう」って。「自由に動くだろう」って。その後聞かないんですよ。私に考えさせるわけですね。でも、「あんたの手もそうだろう。いくらでも自由に動くだろう」って、そこから始まりました。
 
金光:  なるほど。一足飛びにまた飛躍しますけども、さっき「本願力」という言葉が出ましたけれども、その「本願」というのは、わかるようで分からん言葉で、松ヶ岡で聞かれるでしょ。「本願てなんですか?」って。一足飛びに本願に行きますけれども、その話を聞かせてください。
 
岡村:  先生が八十八で帰国されたんです、アメリカのニューヨークからね。それでそのちょっと前に、『教行信証(きようぎようしんしよう)』の英訳をして欲しいという東本願寺の依頼があったんですね。英訳をして欲しいと。先生、ちょっとしばらく考えられたんだと思うんですけどもね。「やってみよう」ということに先生決めたんですね。しかし秘書役の私からいうと、先生はたくさんそれまでに先生の命がある限りやりたいというリストがあったんですよ、翻訳のね。語録だとか、特に禅の語録とかね。そういうものがリストがあったことを私は知っているんです。ちゃんとご自分が手で書いておられたもんですから。しかし『教行信証』という依頼が入ってきたもんですからね、不思議なこと先生考えられるんだなぁと思って、私は黙っておりまして。いよいよ日本に着いて、そういう翻訳委員会みたいなものが出来上がりまして、本当に先生本気でおやりになるんだなぁって思ったりしたときにですね、ある朝六時に近かったな、先生は髭を剃っておられましてね、そこにちょうど窓がありますけれどもね、その窓がちょうど円覚寺の山が見えるんですよ、実は。円覚寺の山を見ながら、先生剃っておられたんですね、髭を。私もイライラしていたもんですから―イライラ専門です(笑い)―イライラしていたもんですから、「先生、なぜ『教行信証』の英訳という大事業を引き受けられたんですか?」って。「本願て何なんですか? 先生」と聞いたら、本をちらちらとちょっと読んでみていたもんですからね。「禅と違うんじゃないですか。本願というどういう意味なんですか?」って聞いてみたんですね。先生は髭を剃りながら、「本願かぁ〜」ってね。ちょっと考えるような感じで髭を剃っておられましたね。そして、すぐに返事が返ってこないなって思ったもんですから、ちょっと自分の部屋に戻ったんですね。そうしたらば、二、三分経ったと思ったりしたんですけどね。「さぁ美穂子さん」と言って呼びに来られたんです、私をね。「さぁ来てごらんなさい」と言ってね。「本願見せます」とおっしゃって。それで、いやぁどうしたものかと思って飛んで行ったんですけどね。そうしたら、ちょうど円覚寺の山の上から、太陽が昇ってきたんです、朝日が。本当に頭がちょっと覗いたという感じの朝日だったんですけどね。「ほぅ〜ら、美穂子さん、本願が上ってきたぞ!」と言ってね。「上ってきたぞ!」と言って。あれには私、二の句がつげませんでしたね。「ほぅ〜ら!」と言ってね。私たちを動かしているのと一緒だということと重ねておっしゃるわけなんです。客観的に見せてくれなければ、私は納得しない人間ですからね(笑い)。「ほ〜ら、美穂子さん、本願が上ってきたぞ!」といって、「Here you have "Hongan"!」って、おっしゃってくださったんですね。次に何と言っていいか分からない。〈あ、なるほど〉ということしかなかったですね。だからそういう言葉使いながらも、実は言葉超えているんだということを、元は言葉の問題じゃないんだということを、何重にもしてなんかうつさして下さるというかな。だから字引を見てもダメですしね。一番難しいところなんじゃないですかね。犬と猫はそこから離れてないんです。だからスッといけるんです。先生が「スーッといける」というからね。それも聞いたんです。「みんな男の人って、お寺に入ってお坊さんになって頭剃ってなんとかとやっているんですけど―女はまぁ尼寺もありますけども―先生、何をしに行くんですか?」って聞いたんですよ。「なんでもないぞ、美穂子さん。スーッとすればいいんだ」とおっしゃった。「スーッとすることを覚えに行くんだ」って。「それができないから、あんなこうでもないってね」。それが先生からいうと、「即今(そつこん)」という言葉。「今これなんだ」というわけですね。これはもう二度とないという「即今」なんですよね。エーリヒ・フロムという精神分析の人が、大拙先生と初めてお話したときに、自分がユダヤ系の人ですから、ヒトラーから排斥をされて、ユダヤ系の人みんな困っているような話から、残酷話、それから戦争は嫌だということ―武器ね。一番フロムさんが一番嫌いだったのは、ヘリゲル(オイゲン・ヘリゲル:ドイツの哲学者。大正13年、東北帝国大学に招かれて哲学を教えるべく来日、昭和4年まで講師を務める:1884-1955)という人が、『弓と禅』という書物の本を書かれたんで、結局弓矢というものは武器だというわけですね。フロムさんはとっても興奮してね。「禅と、どうして武器と関係があるんだ」と言って、先生をものすごく攻撃したんですよね、初めて会った時にね。興奮して、汗タラタラみたいな感じで。それほどの情熱の人なんですけどね。そうしたら先生、全部「なぁ、なぁ」と聞いておられましてね。しばらくこうしてね。「そういうことを、それを言っているあんたは誰だ」とおっしゃったんですよ。つまり「一が一」ですよね。つまり「即今」ですよね。即今の自分ですよね。「今それを言っているあんたは誰だ」とおっしゃったんですね。そうしたらもっと怒ったんですよ。「もうあんたとは話ができません」と言って。つまり自分が言っていることを聞いてもらえなかったと思ったんでしょ―誤解ですけどね。そうしたら、立ち上がって、家から出て行ったんですよ。そして二週間経ったんですね。もう二度とお会いできないのかと思っていましたならば、電話かかってきまして、私が電話とったんですけどもね。「自分はあれから―二週間経っているけども―ほとんど寝ていません」とおっしゃるんですよ。彼が、「聞いた質問に対して、自分は考えました」って。「ようやく何か言えるようになったと自分は思っているから、先生にもう一度会わせてください」っていう電話があったんです。「先生、会ってくださるでしょうか?」って、私に聞かれるんですよ、フロム先生がね。そして私はすぐ電話を置いて先生に聞いたら、「なんでもない、どうぞ、どうぞ」ということになって、そしてお会いして、フロムさんと大拙先生とが話し合い。私はそこにおりませんでしたから、どういう話だったかはわかりませんけど。そこで友達になれたみたいなんです。とっても親しい友達になれた感じでしてね。彼はユダヤ系のラビ(ユダヤ教に於いての宗教的指導者であり、学者でもあるような存在)なんですよ、フロムさんはね。だからそういうところからも見ておられたと思いましてね。ただの精神分析医でなくて、宗教もわかっていらっしゃるところがあるんですね。でもそういうところで、つまりそれを今言っている口からもう音が出ている。声が出ている。それは誰か、ということを、先生すぐに。私の場合もそうでしたけどね。つねるんですよ、私の場合は。私、頭がまだ発達していない、つまり大人の頭じゃないから、つねってみるんですよ。私、こうやってね。一番痛いところですね。二の腕のところが一番痛いんですけどね。そこをどういうわけか先生ご存知で、痛いということを。そこをキューッとつねる。しばらくちょっと遠慮してつねるから。先生が、「痛いか、美穂子さん」とおっしゃるから、ちょっと遠慮していらっしゃるから、「まぁまぁまぁ」とこういうじゃないですか。そうしたら、本当に今度ギュ〜ッと先生力を入れるんですよ。そうするとほんとに痛いわけです。「先生!痛いじゃありませんか!」というじゃないですか。そうしたらば、先生ね、「その声はどこから出た」とおっしゃるんです。「今の声はどこから出た」とおっしゃる。そういうふうにして、私に言葉以上のものを、もっと本質的なところに触れろ、ということを言ってくださるんですね。音でもそうでしたね。ポンとテーブルを叩くじゃないですか。私はわからん。「先生!わからんじゃありませんか、先生!」って、まぁいうじゃないですか。そうしたら先生、ポンとこうやって叩くんですよ。「聞いたか、美穂子さん」っていうから。
 
金光:  それは聞こえますわ。
 
岡村:  「聞こえました」と言ったら、「どこで聞えた」とおっしゃるんです。「足の裏か、髪の先か、耳たぶか」というんです。「どこで聞いた、美穂子さん」って、こうやって攻めるんですね。美穂子、賢いから、「全身で聞きました。先生!」と。あっちこっちあっちこっち言わないでいいじゃないですか。お見事だと思うでしょ。先生は、「そんなケチくさいんじゃないぞ」とおっしゃる。
 
金光:  えっ! そうですか。
 
岡村:  「そんなケチ臭いもんじゃないぞ、美穂子さん。全宇宙が聞いたから、あんたが聞いたんだ」とおっしゃるんです。
 
金光:  なるほど。
 
岡村:  つまり「真実」というもの、ここからここまでというもんじゃないということを、私に知らして下さる。つまり「残り余すことのないものが聞こえたらば、それがあんたが聞いたことになるんだ」ということです。これはいろんな方法で、私を攻めてくださるわけなんですよ。つまり言葉を超えるじゃないですか。量ることができないということも―量るというのも言葉ですからね―そうすると、そういう秤にかけるようなものとは、究極のもの。究極のものであれば、そんなもんじゃないという。そのことを「仏だ」と、先生はおっしゃるわけなんですね。
 
金光:  どうもありがとうございました。
 
     これは、平成二十八年十二月四日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである