神は愛の行為しかなさらない―遠藤周作・心あたたかな医療
 
                遠藤ボランティアグループ代表 原 山(はらやま)  建 郎(たつろう)
1946年(昭和21年)生まれ。主婦の友社の雑誌『主婦の友』編集部で作家・遠藤周作氏の担当記者となり、その後『わたしの健康』編集長時代に遠藤氏が提唱した「心あたたかな医療」キャンペーンに加わる。遠藤ボランティアグループ発足時、遠藤氏の要請を受けて同グループ顧問となる。数年前からは代表に就任している。2003年(平成15)年より、フリーの健康ジャーナリストとして取材・執筆・講演活動を行っている。現在は、武蔵野大学・龍谷大学・文教大学・東洋鍼灸専門学校非常勤講師。一般財団法人東方医療振興財団評議員。医療ジャーナリスト懇話会会員。
                き き て          平 位  敦
 
ナレーター:  今日は、「神は愛の行為しかなさらない―遠藤周作・心あたたかな医療」と題し て、遠藤ボランティアグループ代表の原山建郎さんにお話いただきます。作家遠藤周作は、病気がちで肺結核の手術を三度も受けるなど入退院を繰り返しました。その体験から患者の苦痛に思いが至らない当時の医療のあり方に疑問を抱き、一九八二年新聞や雑誌上への寄稿や対談を通して「心あたたかな医療」キャンペーンを始めます。原山さんに、キリスト教の信仰とともに生きた遠藤周作の医療への願い.そしてその意志を継いで現在まで続く遠藤ボランティアグループの活動についてお聞きします。聞き手は平位敦ディレクターです。
 

 
平位:  今年は、遠藤周作さんの没後二十年にあたるわけでなんですけども、原山さんはその遠藤さんのお名前をまさに冠した「遠藤ボランティアグループ」の代表でおられるということなんですけど、このグループは一体どんな活動をなさっているんでしょうか?
 
原山:  私たち「遠藤ボランティアグループ」というのは、一九八二年の四月に遠藤さんが読売新聞にエッセイを寄稿されました。それは「患者からのささやかな願い」というものなんですが、その中に遠藤さんが、「病人の愚痴や嘆きを、じっと『聞いてあげる』ボランティアになってくださる人はいませんか」というふうに呼びかけ、それに応えて始まった病院ボランティアの活動が「遠藤ボランティアグループ」ということなんです。私は「主婦の友社」という出版社で遠藤番記者を務めていたのですけれども、遠藤さんから「グループの顧問になれ」と命じられて、数年前からは代表として活動しています。現在では主婦を中心とした約七十名のメンバーによって、首都圏にある八つの病院、介護施設で外来受付や各科への案内、車椅子でのお散歩介助など病院のボランティア活動を行っています。
 
平位:  いろんな身の回りの世話ですとか、そういったこともやられるようですけど、病人の愚痴や嘆きをジッと聞いてあげるということが活動ということ、
 
原山:  そうですね。それを目指しているんですが、遠藤さんが長い入院生活の中で、夜の時間が孤独であったり、あるいは話す相手がいなかったときに、掃除の方に、「あんたも大変ね。頑張ってちょうだい」と言われて、その方は作家であることをご存じないんですけども、そういう時に思わず愚痴を言って聞いてもらった。それはやはり自分の心の癒しになった、ということを話されていたので、病人の愚痴や嘆きを聞いてあげるボランティア、それを目指そうというふうになったわけなんです。
 
平位:  そうしましたら、詳しいことは後ほどまたお聞きしようと思いますけども、そもそもですねこのボランティアグループが作られたいきさつというのはどういうことだったんでしょう?
 
原山:  一九八○年に遠藤さんから「新しい企画を一緒にやろうじゃないか」というので、「治った人、治した人」という企画が持ち込まれたんですね。この企画には二つの注文がありまして、 一つは、ある病気や症状が治った人を編集局で取材をして、それが本当であれば、その治した人に自分は対談で理由を聞きたいと。もう一つは、「自分で」試せる治療法は「体験する」という注文である。これは遠藤さんにやってもらうわけにいかないので、いわゆる「からだ」番記者である私が代わりに様々な治療法を体験できるのはみな体験したと。
 
平位:  実際に遠藤さんの代わりに、原山さんが治療を受けるというか、
 
原山:  例えば(マイナス百五十度の治療室で行う)冷凍運動療法」など、マイナス百五十度の部屋に水泳パンツ一丁で入るなど、もっぱら私が、「自分(遠藤さん)」の体験代行を務めたのです。
 
平位:  そうすると健康になるという話?
 
原山:  それはリュウマチの治療なんですけども、
 
平位:  大変ですね。命がけでしたよね。
 
原山:  はい。でもこのことを通じて、遠藤さんが、現代医療を考える上で、治療ということの目がすごく広がっていったんじゃないか。そのことを通じて現代医療の問題点についても、いろいろ明らかにしていこうと思われたんじゃないかと思います。
 
平位:  遠藤さんがそこまで熱心に医療の問題に取り込もうという思われたというのは、何か理由があったんでしょうか?
 
原山:  そうですね。この年の三月に、大きな出来事があったんですね。それは遠藤さんが蓄膿症の手術を受けるために入院をされた。ちょうど時期を同じくして、遠藤家にお手伝いに来ていた若い女性が骨髄癌ということがわかって、余命数ヶ月と言われて、やはり同じ病院に入院をされたということがあったんですね。遠藤さんの方は大丈夫だったんですけれども、そのお嬢さんの方はもう何ヶ月という状態だったんですね。それでも毎日採血をするんですね、余命何ヶ月と言われた方からも。だから遠藤さんは担当医に「もう先があまりないという患者に、こんなに辛い苦しい思いをさせてくれるな。どうしてそういうことをするんですか?」というふうに申し上げたところ、「ここは大学病院ですから」という答えが返ってきた。後になって、大学病院というのは、医学部の付属病院ですから、医学生の教育とか、今後の医学の発展のためにさまざまなデータを取る、ということが、一つのポイントになっていることはわかるんですけれども、遠藤さんは、仮にそうだとあったとしても、患者の苦痛を無視した医療のあり方というものについて非常に大きな疑問を持った。それが「心あたたかな医療キャンペーン」のきっかけになったというふうに思います。
 
平位:  そしてその企画の一環として、原山さんのところに記事の連載の話があり、さらにボランティアグループの話も舞い込んできたということですか?
 
原山:  そうですね。要するに「一緒にやろうじゃないか」という。
 
平位:  具体的には遠藤さんは、どんな医療を思い描いておられたんでしょうか?
 
原山:  同じ年の夏に、『中央公論』という雑誌に、遠藤さんが「日本の良医―良い医者ですね―良医に訴える―私がもらった二百通の手紙から」というエッセイを書かれたんですね。この二百通というのは、読売新聞に書いたことに対して反響がたくさんあったのが二百通。そのことの内容から、「自分はこういうことを望みたい」ということを、六つの項目でまとめられたんですね。
一つは、「医師は診察のおり、患者の病気の背景にはその人の人生を考えてほしい」。
これは、医師は次第に病人ではなく、患者の病気にしか関心がなくなっていると。医学とは、臨床に関する限り、人間を相手にする人間学でもある。医学という学を通してはいるが、医師と患者との人間関係があるのだから、そのことを忘れないで欲しい。そしてその人間関係を医師と一人の苦しむ者との関係であるから、あるいは基調になってほしいと思うのは私だけではないだろう、というふうに訴えていますね。
二つ目が、「患者は普通の心理状態にないことを知ってほしい」。
患者は、患者の日常から病院という非日常に放り込まれてしまう。そうすると、病院は、医師と看護師とコメディカル(医師、歯科医師以外の医療従事者をまとめた呼称。コ・メディカルco-medicalは和製英語。英語ではparamedicで、これを訳したパラメディカルがもともとの呼称である)と患者という、そういう非日常だけれども、病院にとってはそれが日常という医界に放り込まれるという。それがやはり普通の心理状態にない患者ということをおっしゃっているんだと思います。
三番目に、「無意味な屈辱や苦痛を患者に与えてくださるな」。
それは遠藤さんは、患者の治療と関係ない苦痛を強いているのであれば、やはり考え込まざるを得ないと。多くの良心的な医師もこの矛盾にキッとぶつかっているはずである、というふうに良医にそのことを投げかけていますね。
四番目に、「患者の夜の心理をもっと考慮してほしい」。
遠藤さんはこうやって三度の大手術を受けられたわけですけども、夜になって頭痛の痛みが激しくなって、夜勤の看護婦さんに助けを求めると、「お辛いでしょうねぇ」と言って、そっと遠藤さんの手を握ってくれたんですね。すると、その痛みが少し和らいだ感じがしたと。痛みを共有してくれる、自分の痛みを分かってくれる人が傍にいてくれる。その存在感が、安心感が体の痛みを和らげてくれた、という話をよくされていました。
五番目に、「患者の家族の宿泊所や休憩所が欲しい」。
これは日本の病院というのは、戦後アメリカから入ってきた完全看護制ということで、付き添えは要りませんという建前でありますので、患者の家族は泊り込むわけにはいかないんですね。これは遠藤さんが手術で入院しているときに、順子夫人が本当はいけないんですけども、泊まり込みをされたことがある。その時、「病室のわきに付いている畳の小部屋に枕だけ持ってきて、服を着たまま外套を布団がわりにして寝た」という話をよく私に話をしてくださいましたけども、これは本当にそういう宿泊施設が病院の側に欲しいということでずいぶん話しておられました。
 
平位:  ホテルなんかだと高いですし、近くになかったりもする。なかなか不便なわけですね。
 
原山:  六番目に、「心療科の医師をスタッフに加えてほしい」。
これは遠藤さんがフランスで入院された時に、その当時はキリスト教系の病院ですから、チャペルがあったり、それからチャプレン(chaplain:教会・寺院に属さずに施設や組織で働く聖職者(牧師、神父、司祭、僧侶など))という病院付きの神父様がおられたりして、いろんな話を聞いてくれたりなんかしてくれたという、そういう結び付きみたいなものがあるけれども、日本にはそういうのがないので、せめて心療科の先生がみんなおっしゃってますね。
 
平位:  そうすると、今、六つの遠藤さんのお願いというお話をしていただきましたけど、全部共通するのは、患者の心に寄り添う医療ということを考えておられた。
 
原山:  はい。先ほど患者の愚痴や嘆きを聞く。今の言葉でいうと「傾聴ボランティア」ということが出てくるんですけれども。
 
平位:  遠藤ボランティアグループの目指すものですね。
 
原山:  遠藤さんのご友人でユング派心理学の第一人者・河合隼雄(かわいはやお)さんがおられますけども、その方と座談会の中で、遠藤さんが、「チャンスがあれば、ボランティアをやりたい、という方がかなりいるんですけど」というふうに発言をされたんです。すると、河合さんが、「ほんとうのボランティアというのは、非常にむつかしい。ボランティアというのは、善意によって人を傷つけるという、まさに天才的なことをやることがあるんです。これがいちばんこわいですね。傷つけられたほうはわかるけど、傷つけたほうは喜んでいるわけですからね。こんな割の合わんことありませんよ」と釘をさしたのである。遠藤さんは、その鋭い指摘に一瞬たじろいで、「そうなんですか。それを私は考えとったんだけど、ボランティアはむつかしいんですか」と。すると河合さんは言葉を継いで「たとえば私が遠藤さんの髪を散髪してあげましょうかと言ったら、断るでしょう。当然ですわな、私は髪の刈り方よう知らん人間ですから。髪をさわるだけでも相当な訓練がいるのに、なぜ心をさわる人だけが訓練を受けなくていいのか、ということを私は申し上げたいんです」と、たとえ話で解説を加えた。これはすごくいいご指摘をいただいた、というふうに思います。そのことから、遠藤さんとも相談しながら、ボランティアグループの年会費―当時は五千円ですけども、心の触り方、傾聴を学ぶ勉強会の講師謝礼に当てて、学びつつ活動し、活動しつつ学ぶという私たち遠藤ボランティアグループの基本的なスタイルがそこで確立をしたということなんですね。
 
平位:  例えばどんな先生にどんなことを教えていただいたんですか?
 
原山:  そうですね。やはりカウンセリングの専門家であるとか、病院の看護師さんとか、あるいは先ほど出ましたけれどもチャプレンのような病院での宗教職の方ですね。そういう方々にもお話を聞きながら、患者さんはどういうことに悩み、どういうことを求めているのか、ということを学ぶ。その中から一人一人がボランティアの現場に持ち帰りながら、活動していくということを今やっております。ただ傍にいてジッと聞いてあげるというのは、いかにもさっきの河合さんの話じゃないですけど、難しいことですから、やっぱりベッドサイドのテーブル拭きとか、そういうことをしながら、思わず語りかけてこられたら、「そうですねぇ。そうですねぇ」というふうに聞いてあげるということができるかなと、そういうふうに思っているわけですね。遠藤さんの『中央公論』のエッセイの中にこういう一節があります。
 
夜一人で病院の側に行き、病室の灯りに灯る火をじーっと見つめていることがよくある。病室の中で人々が、日常生活が考えられなかった人生や死の不安と向き合っている。日本人の多くが、自分の死のことを初めて考え、自分の人生のことを初めて考えるのは、病院なのではないだろうか。もしそうなら、病院こそ新しい教会であり本当の人間関係が考えられねばならぬ場所なのだろう。
 
平位:  遠藤周作は、キリスト教の信仰を持っておられたということはよく知られていますけど、そういった遠藤さんの活動を支えていた信仰というものは、その辺どういったものだったとお考えでいらっしゃいますか?
 
原山:  そうですね。私はキリスト教についてそう詳しいわけではありませんけれども、遠藤さんのお側にいて、いろんな話を伺う機会がありました。その中で一番印象に残っているのは、「神は愛の行為しかなさらない」。
 
平位:  「神は愛の行為」―行いという意味ですか?
 
原山:  行いですね。「愛の行いしかなさらない」という、そういう言葉がおそらく私たちボランティア活動の一つの原点になっているかなというふうにもちょっと思っています。もちろんボランティアグループは、キリスト教であるとか、仏教だとか、そういう宗教とは直接は関係ございませんけれども、やっぱり遠藤さんの思いというか、考えに共鳴した人たちが集まっているという意味では、とても大事な考え方だというふうに思っています。それで遠藤さんの「神様」とか、「奇跡」とか、そういうことを考える手掛かりに、まるで聖書の物語のような奇跡のエピソードを一つここでご紹介したいというふうに思います。
山崎康広(やまざきやすひろ)(株式会社アクセスインターナショナル代表取締役社長。1960年東京都生まれ。学習院初等科・中等科卒業後米国へ留学。1979年転落事故により脊髄損傷、下半身マヒとなる。1990年株式会社アクセスインターナショナルを設立。1995年障害のある方のためのスポーツ情報誌「アクティブ・ジャパン」を創刊。1999年日本身体障害者社会人協会、日本障害者シンクタンク設立)さんという方のお話なんですね。一九七九年の冬に、康広さんは、留学先の高校で寄宿舎の窓から転落して脊髄損傷を負ったんですね。下半身麻痺となった山崎泰広さんは、病室を訪れた神父から「一緒にお祈りしよう」と声をかけられ、「お祈りの文句を知らない」と答えると、「神さまに感謝することができれば、それがどんな言い方だって、何語であってもいいんだよ」と励まされ、さらにこうも言われた。「たとえば、君には何の障害もない手がある。脳だって完全だね。それから今日はどんな日だった?いい日だったかい。どんな人に会ったかね。楽しかったかい。ほーら、いろんなことに感謝できるじゃないか」というふうに言われたんですね。急遽アメリカに渡った彼の母親で童話作家でもある山崎陽子さんは、まだ深刻な病状を知らない息子に、彼の下半身が絶望的であるということを言い出しかねて、悶々とした思いでいたときに、友人である遠藤さんから、次のような手紙をもらったというですね。
 
神様は愛の行為しかなさらない。自分もかつて何度も病の床に就いて、何故自分だけがこんなに苦しまなくてはならないのか、と神様を恨んだことがありました。しかし今振り返ってみると、やはり神様は愛の行為しかなさらなかったと思います。今回の事故も、坊ちゃんにとって良かったということに、いつかなるでしょう。
 
そしてある日康広さんは、自分の下半身が絶望的であるということを知ります。そのとき彼は、頭を冷やしていたガーゼを目の上にスーッとずらしました。母親の陽子さんは、ハッとしました。しかしその次の瞬間、ガーゼをパッとはね除けた康広さんは、立てないからといって、僕が不幸になるはずはない≠ニ言ってにっこりと微笑んだ、というのです。その後康広さんは、ボストンカレッジ経営学部でマーケテングとコンピューター科学を学び、帰国後は身体障害者関連機器の輸入販売とコンピューターコンサルティングを行う会社を設立、一九九二年のバルセロナパラリンピックでは三種目に出場して百メートル平泳ぎで六位入賞。一九九九年には、「日本身体障害者社会人協会」を設立します。
 
平位:  強い方ですね。
 
原山:  強いですよね。その方は肉体的には車椅子に座っているけれども、精神的には立派に立っている。つまり立てない足が立つことではなく、どんな状況に置かれていようとも、考えもつかない素晴らしい結果を生むこと、それが奇跡だというふうに思います。
 
平位:  遠藤さんも、「神は愛の行為しかなさらない」という言葉に、そういったことを含んで考えておられる?
 
原山:  そう思います。最終的には、それは「愛の行為だった、ということは、いつか わかる日が来る」ということだというふうに思います。しかしそうはいうんですが、奇跡の物語というと、『旧約聖書』に「ヨブ記」というのがあるんですけども、これはヨブという人が出てくるんですね。このことを遠藤さんは非常に関心を持ったものの一つなんですよ。簡単に紹介すると、ヨブという非常に徳の高い人がいて、神の御心に添うように一生懸命努力して、何も悪いことをしない。ところが、彼には次々に禍が降りかかってくるんですね。財産を失うとか、悪魔によって体中膿だらけの皮膚病に苦しめられる。そうすると、ヨブは、それはなぜでしょう。私は何も悪いことをしていないのに、というふうに、神様に申し立てをするんです、抗議をするんですね。「なんでひどいことを。私は悪いことをしていないのに」というふうにいうんですけれども、神様にちょっと叱られて、悔い改めをする。そうすると、悔い改めたヨブの心をみそなわして神様は、再び元の健康をヨブに与えて、百四十歳までの長寿を全うしたという奇跡の物語が「ヨブ記」なんですね。そうすると、物語の前半の方は、痛み苦しみにさいなまれるヨブというのは、遠藤さんの三分の二以上が病気の人生ですから、それに合うわけですね、重なるわけですよ。でも後半の方で、病気が治って百四十歳まで生きましたとさという後半の方のストーリーにはならなかったですよね、遠藤さんの場合はね。
 
平位:  病気で最後まで苦しまれた。
 
原山:  最後まで苦しまれた。そういうふうに考えると、様々な病で苦しんだ真面目なキリスト教者であるパウロ・遠藤周作の実人生は、後半の奇跡は起こらなかったというふうに考える、そういう人が多いと思うんですが、果たして本当にそうなのか。パウロ・遠藤周作にとうとう奇跡は起こらなかったのか、というのが、私が今考えている大きな課題なんです。
 
平位:  と言いますと?
 
原山:  これは遠藤さんの病床を見舞った元聖心女子大学の教授の鈴木秀子(すずきひでこ)さんという方が、まずこういうふうに書いているんですね。
 
遠藤氏は、ヨブが体験したような辛い病を次々と背負いました。ついには、どんな痛みより耐え難いと言われる、全身の激しいかゆみにさいなまれました。ヨブと似た状況に、順子夫人がふと洩らされされました。「あなたはヨブと同じね」。その一言に、遠藤氏は目を大きく見開きました。私は遠藤氏の目に力がみなぎるのを凝視していました。それは深い感動の一瞬でした。遠藤氏はぽつりと、「そうだ、私のヨブ記を書こう」と、ひとり言のようにつぶやきました。それ以降痛いとか、かゆいとか、ひと言も口にしなくなりました。病は昂じていましたから、かゆさはどんなに辛く、耐え難いものであったか知れません。それから遠藤氏の病状は悪化し、ついに遠藤周作著、『私のヨブ記』は書かれません でした。しかし遠藤氏のこの世での最後の日々は、神の前におのれの小ささと、起こってくることを謙虚に受け容れ、神の愛を信じて耐え抜くことでした。
 
というふうに書いているんですが、私はこの深い洞察にもとより異論を唱えるつもりはないですけども、でもキリスト教神学や西洋社会に衝撃を与えた『沈黙』であるとか、最晩年には東洋思想の禅に迫る『深い河』を著した小説家が書く「私のヨブ記」はどのような作品になったのかというふうに思うんですね。私は『旧約聖書』に「申命記」というのがあるんですけども、これでは、「悪魔がイエスを神殿の屋根の端に立たせて、神の子ならここから飛び降りたらどうだ。もし神がおられるなら、きっと助けてくれるはずだ」と。神の存在を試すように誘惑するんですね。すると、「イエスは、主を試してはならない、と書かれています」というふうにお答えするんです。これをもうちょっと考えてみると、「神は人間の信仰を試したりなさらないはずだ」というふうに、先ほどの「神は愛の行為しかなさらない」という言葉を読み換えることができるというふうに私は思うんです。
 
平位:  「神様は、愛の行為しかなさらない」という遠藤さんの言葉を下に考えれば、「人間を試したりはしない」。
 
原山:  だから人間を心に合わせる神様であるとか、罰を与える神様というのはありえない、というふうに、私はそう思うんです。で例えば『沈黙』では、「踏み絵の前に立った司祭ロドリゴに踏むがいい。私はお前たちに含まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ってたのだ、と囁く神様を描き、自らは様々な病に苦しみながらも、神様は愛の行為しかなさらないという堅信、ゆるぎない信仰を捨てようとしなかった遠藤さんは、没後二十年の今、三十四年前には想像もできなかった素晴らしい奇跡を起こしている」というふうに私は考えるんですね。
 
平位:  つまり文章では書かれなかったけども、ということですか?
 
原山:  そうですね。それは例えば病院に隣接する患者や家族のための宿泊施設が全国各地に今たくさんどんどん作られています。
 
平位:  遠藤さんが始められたことが、いま全国に広がっていると。
 
原山:  さざ波のようにね、そういう奇跡を起こしつつある。このことこそがパウロ・遠藤周作に起こった奇跡である。
 
平位:  つまり「ヨブ記」を書きたいとおっしゃっていて、文章では発表されなかったけど、
 
原山:  「ヨブ記を書こうと思ったその瞬間に、そういう奇跡がもう起こっていた」というふうに、私は考えているんです。それが遠藤周作さんの「ヨブ記」なんですよ。「すでに書かれている」と言った方がいいのかな。言い方はちょっと難しいけど。遠藤さんの「ヨブ記」はそういうふうに書かれていて、書かれつつあると。
 
平位:  全国の病院で心温まる医療が広まっていくことが、
 
原山:  遠藤さんの「ヨブ記だ」という。
 
平位:  そうしますと、原山さんが、遠藤さんの意志を継いで、今もボランティアグループを続けておられることもその一つ。
 
原山:  まあ小さな奇跡の一つかもしれませんね。これはだから遠藤さんの三十年前の呼びかけから、一緒にやろうという呼びかけから始まって、それはだから本当にさざ波のように全国に広がっていっているというふうに、私は思います。
 
     これは、平成二十八年十二月十八日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである