常不軽菩薩の受難
 
                立正大学教授 (はら)  慎 定(しんじよう)
1959年、神奈川県生まれ。立正大学仏教学部宗学科卒業、同大学院研究科博士課程(仏教学)修了。
                き き て  金 光  寿 郎
 
ナレーター:  今日は、立正大学教授原愼定さんに、「常不軽菩薩(じようふきようぼさつ)の受難」というテーマでお話いただきます。聞き手は金光寿郎さんです。
 

 
金光:  今日は、『法華経』の中の常不軽という菩薩さんが、相手の人を尊敬している形での言葉を、出会う方におっしゃっていらっしゃるのに、迫害を受けているということで、一読しただけでは何で「あなたを尊敬します。あなたには仏様になる素質がありますから」というようなことを言って、迫害されるのか解りにくいところがあると思うんですが、原先生は、常不軽菩薩という方のそういう行動をどういうふうに解釈していらっしゃいますでしょうか?
 
原:  はい。『法華経』において「如来寿量品(によらいじゆりようぼん)」第十六、そしてこの常不軽菩薩が登場するのが、第二十章「常不軽菩薩品(じようふきようぼさつぼん)」でございます。簡単にそのあらましを申し上げた方がいいかと思いますけれども、十六章の「如来寿量品」で仏様のいのちが永遠であるということが明かされまして、その教えを信じた人々の功徳について順次説かれてまいります。六根清浄(ろつこんしようじよう)の功徳が得られた一例として、この第二十章「常不軽菩薩」の物語が説かれます。これは久遠のいのちを持たれた釈尊の過去世における菩薩行の一コマとして語られるものです。すなわち釈尊は、得大勢(とくだいせい)菩薩に対して、次のように語られます。
 
遥か過去世の離衰(りつすい)時代に大成国(だいじようこく)という国土があり、その中に威音王(いおんのう)如来という仏が出現して衆生を導きました。この仏の入滅後、正法(しようぼう)、像法(ぞうぼう)が滅した後には、また仏が出現し、次々に同じ名前の仏が二万億もの仏が出現されました。常不軽菩薩は、この最初の威音王如来が入滅して、像法の時代に入り、増上慢(ぞうじようまん)の比丘(びく)らが勢力を得ていた時代に登場しました。常不軽という名は、比丘(びく)、比丘尼(びくに)、 優婆塞(うばそく)、優婆夷(うばい)の四衆(ししゆ)、すなわち出家、在家の男女たちに出会うごとに決まって礼拝讃歎(さんだん)して、次のように説いたことに由来します。私は、あなたを深く敬います。決して軽んじることはありません。なぜなら、あなたは菩薩として生きる道を全うして、必ず仏になる尊い存在だからです。
 
この菩薩は、経典を読誦せず。もっぱら礼拝のみを行じて、遠くに人を見つければ、ことさらに出向いて礼拝したために、常不軽というあだ名がつけられたといいます。ところが、拝まれた側の四衆の中には、彼に対してかえって怒りの心を生じ、悪口(あつく)や罵(ののし)りの言葉を吐く人たちが出てきます。一体この無知の比丘は、どこからやってきて、「私はあなたを軽んじません」などと言い、「必ず仏になることができる」という記別(きべつ)を授けるのか。われわれはそんな虚妄の授記など信用しないと。けれども、常不軽菩薩は、どんなに罵られても杖や棒で殴られたり、石や瓦を投げつけられても、怒りの心を起こすことなく、「私はあなた方を深く敬います」と唱え続けました。こうして常不軽菩薩は、他者からの迫害には屈することなく、ただ礼拝のみを行ずる但行礼拝(たんぎようらいはい)の菩薩行に徹して、すべての人々に成仏の道が開けていることを強調したわけです。やがていのちが尽きようとした時、虚空の中に過去の威音王如来が説かれた『法華経』の二十千万億の偈が聞こえてきました。これを聞いて、教えを受持すると眼耳鼻舌身意の六根清浄を得て、寿命を二百万億にさえ延ばし、さらに多くの人々のために『法華経』を説き続けたのではあります。一方常不軽大迫害した比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の四衆、増上慢(ぞうじようまん)の四衆は、その罪によって二百億劫の間は、仏法僧に値遇(ちぐ)(仏縁あるものにめぐりあうこと)せず、千劫の間阿鼻(あび)地獄に堕ちて大苦悩を受けた後、再び常不軽菩薩の教化(きようけ)に遇い、その説法を聞いて信伏することができたと言われます。そして釈尊はこの常不軽とは、自身の過去世における菩薩行の姿であり、迫害を加えた四衆とはまさしく現在の法華経の会下にあって不退転のくらいに入った四衆であるという因縁を明かされるのであります。
 
金光:  でも、なんで「あなたを尊敬します」と言われた方が、怒って迫害するんでしょうか?
 
原:  お経品(常不軽菩薩品)には、「四衆の中に瞋恚を生じて心不浄なるあり」とあります。瞋恚はいかりですね。
 
金光:  不浄とは、清らかでないわけですね。
 
原:  そうです。心が不浄であるということの意味として、お経品には、「増上慢(ぞうじようまん)」という表現が出てまいります。「増上慢」とは、一般的にいいますと、慢心を起こすこと、思いあがりの心にとらわれて自己を省みることのできない状態を指します。仏道修行の過程においては本当の悟りをまだ得ていないのに、自分はもう悟ったと早合点して自惚れてしまうことがあります。仏様の教えを自分に引き寄せて自分勝手な解釈に安住して、自己満足に陥る危険性があるわけです。まだまだ途中の段階なのに、自分の思い込みにとらわれて、他者を軽蔑してしまうというのは、誰もが陥りがちな過ちだと思います。常不軽菩薩は、ただ礼拝のみを行ずる但行礼拝の菩薩行によって、あくまでもすべての衆生が成仏することを強調したのですが、増上慢に陥っている人たちにとっては、自分では気づいていない心の内の慢心が刺激されて、仮面が剥(は)がされることになったわけです。見せかけの出家者であったことが暴露されては都合が悪いので、常不軽菩薩を迫害したわけです。このように仏道修行において迫害や法難が起こるということは、実は『法華経』の教説の中で大きなテーマとなっております。ご承知のように『法華経』全体で二十八章からありますが、前半の十四章が「迹門(しやくもん)」、後半十四章を「本門(ほんもん)」といいます。前半の「迹門」の大きなテーマは、「一仏乗(いちぶつじよう)」ということで、娑婆世界のすべての衆生を等しく仏と同じ境界に導きいれたいという、釈尊の本願と大慈悲心が明かされます。その中で釈尊による衆生教化の一貫性が説かれ、釈尊入滅後の衆生に対してもその道筋が変わらないことが示されています。また「本門」の大きなテーマは、「久遠実成(くおんじつじよう)」ということで、如来のいのちの永遠性と諸仏を統一する論理が開顕されます。その中で衆生はまた菩薩として永遠の教化を受けながら、なおかつ仏道を成就することができると説かれています。そして「迹門」と「本門」に通じるもうひとつのテーマが、「如来使(によらいし)」仏の使いということで、釈尊滅後においてその精神を受け継ぎ、社会の中で実際に活動していく存在が求められてまいります。このことを少し具体的にいますと、第十章の「法師品(ほつしほん)」以降では、釈尊は特に滅後の衆生に一仏乗の精神を伝えるため、『法華経』の担い手を観法され、その心構えが説かれます。そこで強調されることは、例えば「法師品(ほつしぼん)」に、
 
(しか)も此の経は、如来の現在すら、猶(なお)怨嫉(おんしつ)多し。況んや滅度の後をや
 
とあります。
 
金光:  「怨嫉(おんしつ)」というのは、「うらみ」ということですか?
 
原:  そうです。「うらみ、ねたみ」というようなことですね。それによって法難をこうむるであろうという釈尊の予見的な言葉が示されます。次の十一章の「見宝塔品(けんほうとうほん)」では、虚空に多宝塔が出現して十方世界から分身諸仏が来集し、仏滅後の布教者の募集とともに、その課題を遂行することがいかに困難であるかが強調されます。続く第十二章「提婆達多品(だいばだつたほん)」では、釈尊の従兄弟でありながら、慢心を起こして釈尊に敵対し、五逆罪(ごぎやくざい)を犯して阿鼻地獄に堕ちたとされる提婆達多について、釈尊にとっての存在意義が明かされることによって救いの道が示されます。さらに第十三章の「勧持品(かんじほん)」では、仏滅後に法華経仏の担い手となるべき人が、必然的に受けなければならない法難のありさまが予見され、俗人や僧侶たち、中でも名僧・高僧と仰がれる人たちが増上慢になると、どのような迫害が起こるのか、極めて具体的に説かれてまいります。日蓮聖人という方は、こうした法難迫害を受けること、それが釈尊が未来を見つめた未来記として残された経文であると。それにわが身を当てて、それを顕正する。そして『法華経』を真実の経法として末法の時代に蘇らせようと申されました。『法華経』の教えに身を捧げる覚悟を持ってその精神を社会に具現化しようとする時、まさにモデルケースとなったのが、常不軽菩薩であったわけです。そんな中で日蓮聖人は、特に自己の受けた法難と常不軽菩薩の受難とを重ねあわせながら、法華経の行者としての共通性を指摘しています。このことは例えば、「日蓮は、是れ法華経の行者なり。不軽の跡を招継(しようけい)するが故に」と表明されますように、極めて自覚的に捉えられています。両者の共通性には、いくつかの側面がありますが、受難と滅罪というテーマは非常に大きなものがあります。
 
金光:  そうしますと、迫害を受ける受難だけでは救いがないわけですけれども、その受難というのは、滅罪―罪を滅ぼす滅罪とまた結びつくわけでございますか?
 
原:  はい。この滅罪ということにつきまして、先ほど常不軽菩薩のあらましを述べましたが、それは前半の長行(じようごう)という散文で記された部分でありまして、その後半には偈頌(げじゆ)という形―詩の形ですけれども、その部分もあります。鳩摩羅什(くまらじゆう)訳の『法華経』は、前半の長行(じようごう)(散文)部分には、常不軽菩薩を迫害した増上慢の四衆の罪について、「千劫(せんごう)阿鼻地獄に堕ちて大苦悩を受けることにより、其罪畢已(ございひつち)―その罪畢(お)え已(おわ)って」と記されます。すなわち増上慢の四衆は、罪の報いを受けた後に、再び常不軽菩薩の教化に遭遇することができたというのです。一方後半の偈頌には、通常同じ内容が繰り返されて説かれることが多いわけですが、そこには常不軽菩薩が法難を忍受(にんじゆ)したことを踏まえて、「其罪畢已(ございひつち)―その罪畢(お)え已(おわ)って」と記されています。すなわち常不軽菩薩は、法難を忍受することによって自己の罪を滅し、臨終の時に六根清浄を得て寿命を増益(ぞうやく)することができたと説かれているのです。
 
金光:  「増益(ぞうやく)」と申しますと?
 
原:  寿命を延ばすことができたということですね。つまり前半の部分では、増上慢の四衆の罪のことが言われていますが、偈頌では常不軽菩薩自身の過去世以来の罪が問題とされているわけです。日蓮聖人は、この後半の「其罪畢已(ございひつち)―その罪畢(お)え已(おわ)って」の文に着目して、常不軽菩薩の受難の理由を過去世の謗法罪(ほうぼうざい)に求めています。
 
金光:  「謗法(ほうぼう)」は仏法を誹謗する。仏法の悪口を言うことでしたね?
 
原:  このことを、『転重軽受法門(てんじゆうきようじゆほうもん)』という御遺文には、
 
不軽菩薩の悪口(あつく)罵詈(めり)せられ、杖木(じようもく)瓦礫(がりやく)をかほ(被)るも、ゆへなきにはあらず。過去の誹謗(ひぼう)正法のゆへかとみへて「其罪畢已(ございひつち)」と説かれて候は、不軽菩薩の難に値ふゆへに、過去の罪の滅するかとみへはん(侍)べり 
 
と説かれています。このように日蓮聖人は、常不軽菩薩が増上慢の四衆から法難を受けたのは、過去世の法華経誹法の罪によるものであり、法難を忍受したことによってその滅罪を果たすことができたという解釈に立っています。要するに常不軽菩薩の受難という宗教体験は、敵対する相手の罪を顕すとともに、自己の罪を炙り出す行為として意味づけられているのであります。
 
金光:  そういう立場で日蓮聖人は、現実の娑婆世界で鎌倉時代にいろいろ活動されるわけですけれども、その根本にあるのは、今の常不軽菩薩の行動なんかと結びつけるとどういうことになるんでございましょうか?
 
原:  日蓮聖人は、しばしば他の宗派の指導者の教義解釈のあり方を批判したことで有名ですけれども、単に他者の過ちを糾弾して排除すれば良いというような発想ではありません。末法の時代の人々が仏法を受容しようとする時、ややもすれば自分勝手な解釈をして、都合のいい部分だけを取り込んだり、自己満足的な信仰に安住してしまう傾向があるわけです。日蓮聖人は、当時の日本の社会全体が、仏法を自分本位な形で受け止めたために謗法という罪の状態に陥っていると主張しました。
 
金光:  「謗法(ほうぼう)」という言葉が、初めて聞かれる方もおありかもしれませんが、法を謗(そし)ると言いますか、法の悪口を言うという意味で、さまたげる、謗るという字に法を書いて、それを謗法と読むようでございます。
 
原:  国土が荒廃の一途をたどり、さらには他国からの侵略の危機にも直面していることを深く憂慮した日蓮聖人は、苦難にあえぐ人々を救いたいという願いから『立正安国論(りつしようあんこくろん)』を幕府に建白しました。国のリーダーとなるべき為政者が、自ら率先して仏法受容の根本姿勢を正さなければならないと訴えかけたのです。国政を批判し、既成宗派の教義解釈の過ちを糾弾したことの代償は、法難迫害の連続であり、このことは日蓮聖人自身がもとより覚悟していたことでありました。常不軽菩薩が、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の四衆、増上慢の四衆に対して、ただ礼拝のみを行ずる但行礼拝に徹したのは、あえて迫害というリアクションを受けることによって、相手を真の仏道に立ち帰らせたいという願いに基づいていたはずです。謗法の罪の状態に陥っていながらも、そのことに気づいていない人たちを救うためには、敢えてその罪を顕して目覚めさせなければならないのであり、日蓮聖人の立脚点もここにあったと考えられます。他者への批判は必ず自己批判を伴わなければなりません。『法華経』の教理によれば、自己と他者は不二相即(ふにそうそく)の関係にあり、あなたと私は一如であるという世界が開かれています。日蓮聖人は『法華経』を明鏡として、他者が陥っているのと同じ謗法の罪を自己の過去世以来の罪として深く受け止めていました。日蓮聖人の内面的意識における罪の問題につきましては、『開目抄(かいもくしよう)』という御遺文に書かれておりますので、ご関心があればご参照ください。
 
金光:  常不軽菩薩の行動と自分の行動との結びつき方と言いますか、その辺はどういうふうに考えていらっしゃったんでしょうか?
 
原:  日蓮聖人が、この常不軽菩薩の行動をある意味で模範としているということが言いますけれども、そのことを表す御遺文がいくつかありますので紹介いたしますと、
 
不軽菩薩は上漫の比丘らの杖に当たりて一乗の行者と言われたもう。今日蓮は末法に生まれて妙法蓮華経の五字を弘めてかかるせめにあへり
 
ですとか、
 
或は所を追い出され、或は流罪等、昔は聞く不軽菩薩の杖木(じようもく)などを、今は見る日蓮が刀剣に当ることを
 
ですとか、このように常不軽菩薩の受難を日蓮聖人は、自分自身の受難と対比して、その共通性を認識されています。さらに具体的な表現としまして、『顕仏未来記(けんぶつみらいき)』には、
 
例せば威音王仏の像法の時、不軽菩薩・我深敬(がじんきよう)(わたしはあなた方を深く敬います)等の二十四字を以て、彼(か)の土に広宣流布し、一国の杖木等の大難を招きしが如し。彼(か)の二十四字と此の五字と其の語、殊なりと雖も、その意是れ同じ。彼の像法の末と是の末法の初(はじめ)と全く同じ。彼の不軽菩薩は初随喜(しよずいき)の人・日蓮は名字(みようじ)の凡夫なり。
 
と説かれます。すなわち威音王仏の謗法の末(まつ)に於ける常不軽菩薩の二十四字による受難と釈迦牟尼仏の仏法の初めにおける日蓮の妙法五字による受難とは、宗教的な時間の認識においては同質であると言われます。つまり日蓮聖人は、受難体験の共通性に立脚して宗教的な同時性の認識に達していたと考えられるのであります。
 
金光:  先ほどのところで「彼の不軽菩薩は初随喜の人・日蓮は名字の凡夫なり」という。この「初随喜の人」というのはどういうことなんでございましょうか?
 
原:  これは『法華経』の十七番目の章に、「分別功徳品(ふんべつくどくほん)」というのがございますけども、その中でこの『法華経』に説かれます仏様のいのちの永遠性ということを、受け止めた、信じた人がどのような功徳を得られるのか。それを段階的に説かれまして、その最初の段階と言いましょうか、はじめにその教えがありがたいというふうに感じるその段階を初随喜というふうに申します。
 
金光:  「日蓮は名字の凡夫なり」と。この「名字」というのは、どういうことなんでございましょうか?
 
原:  その初随喜によりは、もう少し下の段階といいましょうか、この経典の名前といいましょうか、それだけを知っている、あるいは受け止めるというような意味かと思います。
 
金光:  その「常不軽菩薩品」と、それから他の『法華経』の章との関係はどういうことになっているんでございますか?
 
原:  同時性ということを、日蓮聖人が主張する背景にもあたるわけですけれども、『法華経』の教理の中で非常に壮大な時間論があるわけなんです。このことにつきましては、日蓮聖人は『寺泊御書(てらどまりごしよ)』という遺文の中で次のように示されています。
 
法華経は三世説法の儀式なり。過去の不軽品は今の勧持品、今の勧持品は過去の不軽品なり。今の勧持品は未来に不軽品たるべし。其の時は日蓮は即ち不軽菩薩たるべし
 
とあります。『法華経』には、過去、現在、未来の三世を貫く説法の儀式があるとされます。初めの過去の不軽品は今の「勧持品」。今とは釈尊を中心とした時間論に立つわけです。すなわち釈尊は過去世に常不軽菩薩として法難を受けたことによって、今世に仏の悟りを得たのであり、今は「勧持品」を説いて未来の法華経仏を勧める立場になっているという意味です。続いて今の「勧持品」は過去の不軽品なり、の今とは、日蓮聖人を中心とした時間論です。すなわち日蓮が「勧持品」の経文を身を以て読むことによって体験している現在の受難は、ちょうど釈尊の過去世の菩薩行、これは因位(いんい)と申します。因位(いんい)としての常不軽菩薩の受難と同じ意味を持つという理解です。そして「今の勧持品は未来の不軽品為る可し」とは、日蓮が身を持って読んでいる「勧持品」が、未来世において説かれるであろう『法華経』では、不軽品の位置にきて、日蓮の活動が物語として登場するであろうという予測であります。このように常不軽菩薩、釈尊、日蓮聖人の三者は、過去、現在、未来の三世を一貫する『法華経』の壮大なドラマの中で、受難体験の同一性を基軸として、極めてダイナミックな同時性があると認識されているのです。日蓮聖人が、常不軽菩薩の受難を、自己の宗教実践の模範としていたのは、こうした『法華経』の時間論に立脚していたからであり、『法華経』の絶対精神を歴史の場で具現化するためには、まさしく受難が重要な意義を持っていたわけであります。
 
金光:  そうしますと、私どもの場合には、『法華経』というのは、昔に出来た物語だという形で、自分の今とは離れている感じで読むのが普通なんですけれども、日蓮聖人が、「勧持品」を読まれたときには、自分の現在の行動とぴったり一緒になっている。昔の物語ではなくて、生身の自分の生き様と、「勧持品」に説かれている生き方がピッタリ一緒だというふうに受け取っていらっしゃるように感じてよろしいわけでしょうか?
 
原:  はい。まさに『法華経』は、今人間がどう生きるかということを説き続けている。それを受け止める人がいる限りですね、その今というのがズーッと繋がっていくわけだと思います。
 
金光:  お話を伺っていると、迫害されること、あるいは迫害した相手も、その受難によって、あるいは相手に難行を与える行為によって、それでお前はダメだということじゃなくて、その迫害した人もまた救われるという、そういう展開になっているわけですね。
 
原:  そうなんですね。常不軽菩薩がこの四衆を導いたという、そういう側面に注目する必要があるわけです。『法華経』の教説では、常不軽菩薩に迫害を加えた増上慢の四衆は、罪の報いとして千劫阿鼻地獄において大苦悩を受けた後、再び常不軽菩薩に会って無上菩提の教化に浴することができた、と説かれています。この点について中国の天台宗の第六祖の妙楽大師(みようらくだいし)湛然(たんねん)は『法華文句記(ほつけもんぐき)』という中で、次のような問題提起をしています。
 
常不軽菩薩は、なぜ増上慢の四衆の怒りを買うような行為をして、あえて謗法の罪を犯させることによって地獄に堕ちる業縁(ごうえん)を造らせたのか
 
という問題です。これに答えて、
 
罪に気づかないものは、堕地獄が決定的であるが、法華経を誹謗して悪道に堕ちた者は、必ずまた法華経によって得脱する。それは例えば地につまずいて倒れたものは、 地に手をついて立ち上がるようなもので、正法を誹謗されることによって、いったんは悪道に堕とすけれども、必ずそこから立ち上がらせるだけの力を法華経は持っている
 
と説かれるのであります。日蓮聖人はこの『法華文句記』の解釈に基づいて、『観心本尊抄(かんじんほんぞんしよう)』では、妙法蓮華経の五字の題目には、逆縁(ぎやくえん)による救い、その逆縁下種(げしゆ)という論理が内在していることを論じています。また『法華取要抄(ほつけしゆようしよう)』の一節には、
 
末法に於ては大小・権実・顕密共に教のみ有つて得道無し一閻浮提(いちえんぶだい)皆謗法と為り畢(おわ)んぬ、逆縁の為には但妙法蓮華経の五字に限る、例せば不軽品の如し。我が門弟は順縁、日本国は逆縁なり
 
と論じられます。つまり常不軽菩薩は、我深敬等(がじんきようとう)(私はあなた方を深く敬います)という二十四字を以て、増上慢の四衆の罪を顕し、やがて罪からの立ち直りを実現させました。これと同様に日蓮聖人も、妙法蓮華経の五字の題目を以て、末代衆生の罪を顕すことによって、日本国に逆縁による救いの世界が実現されることを願っていたのであります。常不軽菩薩という方とこの日蓮聖人は、『法華経』に基づきます宗教実践のあり方において、極めて深い連関性があることにお気づきいただけるかと存じます。日蓮聖人の宗教実践は、表面的には、他者の謗法の罪を顕在化させ、その一方で自己の滅罪を得ているように見受けられるかもしれません。しかしながらその内実は相手の罪の中に自己の罪を見出し、それを時代社会に共通する罪として背負いながら、菩薩行に徹していく道筋を開こうとするものであると考えられます。日蓮聖人は、『諌暁八幡抄(かんぎようはちまんしよう)』という御遺文の中で、
 
涅槃経に云く、一切衆生異の苦を受くるは悉く是如来一人(いちにん)の苦なり」等云々、日蓮云く、一切の衆生の同一苦は悉く是日蓮が一人の苦と申すべし
 
と述べています。ここには代わって苦を受けるという代受苦の思想が示されておりまして、釈尊があらゆる人々の個別的な苦を悉く引き受けようとされたのに対比して、日蓮聖人は末法の社会に生きる人々の同一の苦を引き受けようとされていたことが告白されています。これを罪という言葉に置き換えるならば、日蓮聖人はまさに他者の罪を自己の身に引き受けようとされたわけで、罪を贖(あがな)うという意味での贖罪(しよくざい)の思想に類似しているとも考えられます。『法華経』の教理によれば、自己と他者は不二相即の相互関係にあり、自分一人の滅罪というのはありえないわけで、自己の滅罪は、同時に他者の贖罪を伴わなければなりません。日蓮聖人の法華経の行者としての生き方は、このような論理に立脚しながら、妙法蓮華経の題目によって社会全体に救いをもたらす道を開こうとするものであったと考えられるのであります。
 
金光:  どうもありがとうございました。
 
     これは、平成二十一年二月一日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである