聖書によむ「人生の歩み」B就職・労働
 
         関西学院大学名誉教授・東京女子大学元学長 船 本(ふなもと)  弘 毅(ひろき)
ナレーター:  聖書によむ「人生の歩み」その第三回「就職・労働」。お話は関西学院大学名誉教授で東京女子大学元学長の船本弘毅さんです。
 

 
船本:  聖書をよむ「人生の歩み」というテーマで、今年度の宗教の時間は、人生の諸相と聖書の関わりを考えていますけれども、今日第三回は、「就職・労働」といった問題をご一緒に考えてみたいと思います。これまで長く「受験」ということが大きな社会問題であった我が国で、二○○○年頃から「就活(しゆうかつ)」―就職活動を巡る深刻な若者たちの悩みが社会問題になってきました。面接を何回も繰り返しながら、どうしても内定を得ることができないという厳しい現実の中で、自分に自信を持てない若者、自分はダメなのではないかという不安や怖れを持つ若者が増加していることが社会問題となってきています。昨年版の『現代用語の基礎知識』によりますと、「就活キーワード」に七ページが費やされています。先ず「就活」については、「就職活動の略。このように略されるようになったのは二○○○年前後だといわれている。学生が情報を集め、自己分析をし、業界・企業研究をし、選考対策をし、選考を受け、内定に至るまでの一連の流れを指す。」と定義されています。この定義が明らかにしていることは、「就活」は初めから終わりまでまさに徹頭徹尾本人の責任だということです。また「就活うつ、就活躁(そう)」という項目があり、そこでは、就活が原因でうつ状態になる人が、七人に一人という調査結果が明らかにされ、何度も落ちると人格を否定された気分になる。また結果発表を待つ間の緊張感や体力的な負担などが原因になると分析されています。逆に選考に通ると、社長や先輩に会って、頑張っている自分に酔うことによって躁の状態になるという問題もあることが指摘されています。就職についての考え方も、随分時代と共に変わってきたように思いますが、日本ではやはりほとんどの人が定年になるまで同じ働きの場で生きるということになりますから、就職は人生の大切な使命であると思います。私たちは働くことに多くの時間を費やしています。理想的には、一日の三分の一を労働に、三分の一を食事をしたり、テレビを見たり、趣味のために使い、三分の一を睡眠のために用いるのが、調和の取れた健康的な生活であるということができるかも知れません。しかし現実には職場に出て、給料を貰って働いている人々は、三分の一ではなく、もっと多くの時間を労働のために費やしています。家庭の主婦でも、個人のために使う時間より遙かに多くの時間を、家事子育てのために用いていることでしょう。歴史的に考えてみますと、職業を持ち、労働に従事するということは、あまり高く評価されなかったと言えるかも知れません。古代ギリシャでは、人間を自由人と奴隷に分けて、二元論的に考えていました。その前の自由人とは生きるための労働をしなくで良い人のことであり、働かなければ生きられないのが奴隷であると考えられていました。ですから労働は強制されてなされる業であり、奴隷の務めと考えられていました。聖書に、使徒パウロがアテネを訪れた際、アレオパゴスの評議所で講演をしたことが記されていますが、そこには「すべてのアテネ人やそこに在留する外国人は、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていたのである」(使徒言行録十七章二一)という言葉が出てきます。これが自由人の生活でありました。しかし宗教改革者マルティン・ルター(ドイツの神学者、牧師。ルーテル教会の創始者。もともと聖アウグスチノ修道会の修道士であったが、運命的に宗教改革の中心人物となったことでプロテスタント教会の源流をつくった:1483-1546)をリーダーとして始まったプロテスタンティズムは、職業や労働を肯定的に積極的に受け止めました。労働することの中に、神の召命(しようめい)(ベルーフ)があることを認め、働くことを通して、私たちは神と人とに仕えることができると考えました。中世の時代は、修道院生活が最高の生であると考えられましたが、プロテスタンティズムは、世俗の労働は、聖職に匹敵する重要なことであり、人は労働を通して、隣人を愛し、隣人に仕えることができるのだと考えるようになってきました。この考え方は、近代の歴史形成に大きな役割を果たしたということができます。しかし、今日、複雑な社会機構の中で、また、さまざまな社会問題を生み出している産業社会、技術社会の只中にあって、改めて働くことの意味、職業や労働の意義について、問い直すことが求められているのではないでしょうか。聖書に聞きつつ、この大切な問題を共に考えてみたいと思います。旧約聖書は、労働をどのように捉えていたのでしょうか。旧約の時代には、労働とは主として農業と牧畜を意味しました。イスラエルは、風土的には決して恵まれた地域ではありませんでした。古典的な名著と言われ、出版以来既に八十年近く読み続けられている『風土:人間学的考察』という書物で、和辻哲郎(わつじてつろう)先生が、「紅海の沿岸、特に歴史的に有名なシナイ山やアラビア砂漠のあたりに至れば、旅行者は死そのものを印象するごときこの風土を生くることによって、旧約聖書を新しく読みなおそうとする衝動を感ずるであろう。選ばれたる民が渡って歩いたのは、かくも物すごい砂の海、岩片(がんぺん)の海であった」と書いておられるのは、よく知られています。イスラエルの民は、このような風土の中で、わずかな耕作できる地に穀物、野菜、果物を植え、また羊の群れを飼って生きていました。ダビデ王も政治部族の指導者モーセも、イスラエルという名を与えられたヤコブもみんな若き日は羊を飼う羊飼いの少年たちでした。その他に多少の手工業もあったようです。時代とともに商業や貿易も行われるようになりました。やがては王や貴族、祭司など、直接生産に関わらない階級も生まれて来ますが、彼らは特別な少数者であって、多くのイスラエルの民は直接生産に関わる労働をすることによって生きていたのでした。厳しいパレスチナの風土、自然条件の下では、多くの収穫を望むことは不可能でしたから、彼らにとって労働とは、顔に汗を流してパンを得る、苦しみ厳しいものでした。人間が労働をするようになったのは、何不自由なく過ごすことのできたエデンの園を、罪を犯したために追われたからであり、労働は人間の罪に対する神の罰であると考え、労働を否定的に受け止める人たちもいます。しかし今回のテキストとして仕上げた「創世記」の二章十五節には、
 
主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。
 
と記されています。ここに使われている「耕す」という言葉は、他の箇所では「働く」を訳されています。また「守る」という言葉は、害虫から木や草を守って保存させることを意味していました。ですから神によって創造された最初の人間であるアダムは、エデンの園で生きるようになったその時から、大地を耕し、守ることによって、自らの食を得て生きるようにと、神によって定められていたと理解するのが正しいと思います。即ち労働は、すべて人間が従事するものであり、罰として課せられたものではありません。また労働に従事するのは、賤しいことであるとか、恥ずかしいことであるといった考え方は、旧約聖書にはありませんでした。一方聖書には、労働そのものを尊いものとして神聖視したり、怠けることを直ちに罪と考えることもなかったことにも、私たちは注意をしなければならないでしょう。旧約聖書の中には、怠惰を戒め、勤勉を勧める言葉が出てきます。例えば「箴言(しんげん)」六章の六節には、
 
怠け者よ、蟻のところに行って見よ
その道を見て、知恵を得よ
 
また十二章の二七節には、
 
怠惰な者は獲物を追うこともしない
勤勉な人は人類の貴い財産だ
 
という言葉が出てきます。しかしこのような勧めは、イスラエルに限らず、どこの国でも行われる一般的な処世訓ですから、そこに特別に宗教的な意味を強調することには、無理があるのではないでしょうか。結論的には、旧約聖書は、労働を聖なる働きとして特別視することも、あるいは逆に賤しいこと、呪われたこととして蔑視することもなく、人間は誰も労働に従事して生きていくものだと考えていたと言ってよいと思います。生きるために、人は労働に従事したのですから、その労働を人から奪ったり、阻止したりすることは、厳しく非難されていますし、他者の収穫や他人の労働の果実を奪うことは許されないことであり、それは主に対する罪であるとされてきました。一方新約聖書は、労働について何を語っているんでしょうか。新約聖書の時代になると、当然のことですが、労働の範囲は旧約聖書の時代より広がっていきます。旧約の農業、牧畜を中心とした働きに加えて、漁業や大工のような職人の存在が現れてきます。イエスはヨセフの家で大工の倅として成長しました。こうしたイエスの幼き日の体験が、有名な山上の説教の中で、「種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない空の鳥、働きもせず、紡ぎもしない野の花」といった表現の中に反映されているとみることができると思います。神の福音を述べ伝えるために専念された、いわゆる公の生涯―公生涯(こうしようがい)に入られると、イエスや弟子たちは、家族や個人の生活を離れて、それぞれのもっていた職業からも離れざるを得ませんでした。具体的には、ペトロたちは船も網も捨ててイエスの後に従って行きました。マタイは徴税所を後にしてイエスに従いました。しかしそのことは職業を軽視したり、労働を軽んじたりしたのでは決してありませんでした。直弟子以外の人たちには、イエスは元の場所に帰って労働に従事し、この世の生活に忠実に生きることを勧めておられます。イエスの譬え話には、農夫、羊飼い、漁師、地主、雇い主、門番、裁判官、徴税人などさまざまな職業に従事し、労働に励む人々が登場していることは十分注意をする必要があると思います。パウロも日常生活におけるキリスト者の労働を重んじています。彼自身は伝道者としての歩みを始めた後も、天幕作りの仕事を続けていたようで、自分の生活は自分で働いて支えるという姿勢を彼は持ち続け、教会員にも怠けることなく、この世の業に励みつつ、神に仕えて生きることを勧めています。私たちが、職業とか、労働について考えようとする時、忘れることのできない書物にマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』があります。よく知られているように、ウェーバーは、近代の職業観は宗教改革と深く関わっていることを指摘致しました。すなわち労働はギリシャ時代以来、下層階級の者がすることと考えられていたのに対し、宗教改革者ルターは、労働に従事することの中に、神の召しがあると述べて、新しい職業観を展開したと主張したのです。職業を意味するドイツ語のベルーフ(Beruf)、あるいは英語のコーリング(calling)に共通していることは、これらのものが共に神から授けられた使命という意味を含んでいるということです。中世の修道院生活に対して用いられていたポカチオ(vocatio)を、ルターは世俗の職業、また神の召命による天職と考えて、それをボケーション(vocation,vokation)と理解し、人は職業労働を通して、神の召しに応えることができるのであり、神に仕え、人に仕えて生きると共に、禁欲生活に励むことを勧めたのでした。このようなルターの確信の背後には、彼自身の体験があったと考えられます。ルターは、エリートコースを目指して大学の法学部に入学したのですが、雨宿りしていた大木に落雷があったため、目の前で親友が命を落とすという経験をして、彼は人生に悩み、大学を中退して修道院に入りました。こうした背景をもつルターは、他の修道僧たちに勝って、精進して魂の平安を求めたのでした。しかしその厳しい修練を繰り返す中で、ルターは果たして、神はこのような業を通さずには救いは与えるのであろうかという疑問をもつようになり、そして ローマの使徒への手紙一章十七節の「正しい者は信仰によって生きる」という聖句に出会ったと言われています。人を救い、生かすのは、その人のなす業によるのでなく、信仰による。この復員の確信に立って、ルターは、そのことを当時の教会に、九五ヶ条の質問状として、一五一七年十月三十一日にヴィッテンベルク教会の扉に掲示をしました。彼は討論を求めたのでしたが、結果としては宗教改革の運動に展開することになりました。ルターの信仰には、修道院生活が最高の生であるとして、世俗の生活を見下すような考えのあった時代の中で、人は一人の人間として、具体的にはこの世の職業に従事することによって、神の召しに応えることができるという考えがあり、職業には上下関係や貴賤の関係はない。人はそれぞれ自分の就いた職業に励むことによって、世に仕え神に栄光を帰すことができると考えたのでした。ルターの到達したこのような職業観や労働観は、中世の階層的社会に対しては、文字通り革命的な意義をもつ主張でした。ルターは、商人たちの貪欲を批判し、社会の福祉を重視し、職業を神の意思によって、一人ひとりが召された場であると受け止めて、その職業に忠実であることを強く勧めると共に、職業の内容を信仰によって検討したのでした。このルターの職業労働重視の考え方は、カルヴァンの予定説によって決定的な影響を受けることになりました。カルヴァンの予定説によれば、神は永遠のはじめよりある者を救いに、ある者を滅びに予定されておられるということですから、救われるか否かは、まったく神のみ手の中にあるとされたのですが、この考え方は、信仰が広く受け入れられ、来るべき世が重視され、現世よりも確かであると信じられていた時代には、深い意味を持ったのですが、世俗化が進み、一般の人々が、自分は救いに予定されているのかどうか、そのしるしを求めるようになると、人生は救いの確かさを求める闘い、競いの場となり、そこには勤労に励み、質素に生きることによって、生産性の向上が図られ、その結果利益のあがることが、即ち救いの予定のしるしであると受け止められるようになってきました。そしてウェーバーは、このようなプロテスタンティズムの禁欲的なエートス(ethos:社会精神、民族精神)によって、生産性が増進され、それは神の意思に叶うことであり、社会にも貢献し、結果的には資本主義を形成し支える力になってきたと主張したのでした。間違いなく現代社会の発展は目覚ましいものがありました。科学技術の進歩は、産業革命を生んだし、大量生産を可能にし、人々の生活水準は飛躍的に向上しました。経済の発展は、人々の生活を豊かにし、交通機関の発展は遠い夢の国と思われた土地への旅を可能にし世界を狭くしました。こうした社会の発展を支えた資本主義が、多くの人たちの勤勉と努力と献身によって成し遂げられたことは事実であり、そこにキリスト教プロテスタンティズムの信仰と倫理、犠牲と奉仕の精神があったことは認められてよいと思います。しかしやがてこのような職業観や労働観では、処理仕切らない社会経済的事情が発生してきました。現在日本では、原発を巡っての論議が大きな問題になっています。いわゆる3・11以来、大震災による福島原発事故のもたらした被害に対する対応の現実を考えてみても、それは容易ならざる課題だと言わざるを得ません。機械化技術化の進む中で、人間の存在の意義、個の存在の価値の問題が厳しく問い直されています。労働者の心の病の問題は極めて深刻な問題になっています。労働における人間関係は今日の大問題の一つです。職業を通して、神の召しに応えていく倫理観の見直しも要求されています。働くことに、喜びや意欲が湧いてこないという現実があります。労働の問題は、今日キリスト教信仰の生きた問題として、多くの問いを私たちに投げ掛けていると思います。イエスの語られた譬えの中に、「ぶどう園の労働者のたとえ」と呼ばれるものがあります。ある家の主人が、自分のぶどう園で働く労働者を雇うのですが、ある人には夜明けと共にぶどう園に送り、さらに九時と十二時と三時にも、主人は労働者をぶどう園に送りました。さらに午後五時頃、もう日暮れが近く、労働時間もほとんど終わろうとしている頃にも、広場にまだ仕事を得られずに立っている人を見付けると、主人は声を掛けて、自分のふどう園に送り込みました。当時のユダヤでは日が昇り、日が沈むまでが労働時間と定められ、賃金は一日一デナリオンと定められていたのですが、主人は日が出ると働いたすべての人に、同じように一デナリオンずつ支払ったというのです。しかも最後に来た人から支払いを始めたのです。夕方になって働いた人に、一デナリオンが支払われるのを見て、朝早くから働いた人たち、特に夜明けから日没まで、一日をフルに働いた人が、自分は一体いくら貰えるのだろうという期待を持ったのは、ある意味で自然であり、当然でもありました。しかし主人は、彼らにも同じ一デナリオンを支払ったのです。不平不満が生じました。多く働いた人は多くの収入を得るという報酬の考え方からすれば矛盾があります。しかし主人は、「私はあなたに不当なことはしていない。あなたは私と一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。私はこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ」と言ったというのです。一デナリオンは、労働者とその家族の生活をその日支えるのに足るものであったと言われています。賃金をどう払うか。いくら払うかは主人の決めることでした。そして主人は、「この最後の者にも、最初に来たあなたと同じように支払って、この日一日を暮らせるようにしてやりたいのだ」と言ったのです。多く働いた者が多くのものを受け、有能な者がより多くのものを受け取るということには、それなりの論理があり、早くから働いた労働者の不平を、一面的に否定することはできないと思います。しかし主人の、この人にも同じように支払いたいという気持ちを無視すると、労働はただ金銭的な取引となり、労働の持つ積極的な意味、労働を通してそこに生み出す人と人との交わり、コミュニティーの問題、人間生活における愛や助け合いの精神は失われてしまうことになります。人間世界の営みが、労働と報酬、時間と支払額、力ある人とない人との格差容認といったことだけで処理されるところでは、働くことの喜びや希望も湧いてこないでしょう。最後に声を掛けられた人は、「誰でも私を雇ってくれませんでした」と答えています。人間の打算の目の外に置かれていた人にも、主は目を向けてくださったのです。「あなたもぶどう園に行きなさい」という主人の声を聞いた時、呼ばれることなく仕事を待ち続けていた人たちは、どんな思いを抱いたことでしょうか。彼らは全力を注いで働いたに違いありません。今私たちの世界は、思いやりの少ない自分のためだけを追い求める状況になっているのかも知れません。人の命が軽んじられ、すべてが金や物に換算されていく時代の中で、私たちは今生きることの意味、他者と共にあることの意味、働くことの意味、何のために自分の生涯を捧げるのかという問いを、問われているのではないでしょうか。
 
     これは、平成二十六年六月八日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである