人生のよりどころ
 
                  福岡女学院元院長 斎 藤(さいとう)  剛 毅(ごうき)
1936年、東京生まれ。1960年、国際基督教大学を卒業。伝道者になることを志、1963年に西南学院大学神学専攻科卒業後、明石市で開拓伝道を始める。1969年、米国のサザン・バプテスト神学大学院に留学して、バプテストの教会史の研究で哲学博士号を取得。1974年に帰国後、福岡長住バプテスト教会牧師に就任、同時に西南学院大学でバプテストの教会史を教える。1987年より、アメリカにわたり、ジョージタウン大学の客員教授に就任する、1990年帰国して、福岡女学院大学人文学部で教え、後に同女学院院長を務めた。
                   き き て    金 光  寿 郎
 
ナレーター:  今日は、元福岡女学院学院長斎藤剛毅さんに「人生のよろどころ」というテーマでお話いただきます。聞き手は金光寿郎さんです。
 

 
金光:  最近は、団塊の世代も大量に定年を迎えた人たちがおいでになるとかいう話を聞きますと、その人たちの中には、まぁそれまでに身につけられたお仕事を生かして、退職後も仕事をなさっておいでになる方も当然いらっしゃるわけですけれども、会社中心に生活を組み立てていた方が、会社を離れてしまうと、それこそ時間を持て余したり、これからどういうふうに生きようかというふうに迷っていらっしゃる方もおいでだというふうに、ちょいちょい聞くわけですけれども、伺いますと、斎藤先生も二年前までは、福岡女学院の院長さんをなさっていて、それがご病気のために、結局お辞めになって、まぁ団塊の世代の人の定年と同じような時間をお迎えになったと思うんですが、その時どういうふうにこれから毎日を過ごそうとお考えになりましたですか?
 
斎藤:  はい。実際に学院長という大変多忙なお仕事をして、そしてドクター・ストップゆえに退職、辞任したわけですけれども、おっしゃった通りに、私自身かなり時間が自分の前に有り余っているということを発見しまして、どのように時間を有意義に過ごすかということが、問いとして私の前に立ち現れたことは事実でございますね。実は二○○六年三月に、退職して仕事から自由になったんですけども、その年の七月には心臓のバイパス手術という大きな手術が待っておりましたので、その間私は、その時間をどういうふうに過ごせたということでいろいろ考えましたですね。確かに読書という、今までできなかった本を読むという喜びもありました。そして今まで十分聞けなかった音楽を、特にモーツアルトの音楽が好きでしたので、いろいろと音楽の交響楽その他を聴きまして心の糧といたしました。そして近くに比較的素人でも登れる山がありますので、その山に行きますと、本当に爽やかな風、そして美しい自然の風景の中で本当に心洗われるようなところで、自然に接することの喜びですね、それを感じました。私はそういう意味では、自然の中に心を躍らすような美しい風景とか、あるいは本当に心が慰められ浄められる美しい音楽の美しさ、そのメロデーというものに、私は慰められもいたしました。そして本当にあぁ素晴らしい内容だなという小説、あるいは人生の書、あるいは宗教の書に感銘を受けることができたわけですね。そういう時間というものはどのようにでも自分の決断で使っていくことができるということはわかったんですが、ともすると、その与えられた時間が、余り有意義でない方向に流れていくということも十分考えられたわけです。私はかねがねですね、自分はいずれ七十歳になると退職することになるので、できたら自分の退職後の生活を―少し勝手な表現と思いますけども―少しでも質の高い時間の過ごし方、それは神に喜ばれ、人に喜ばれるというような奉仕の場所が与えられたらいいという、そういうボランティア精神ですね、方向に心が向いていたわけです。ですから、私は二○○一年になってから、開拓伝道ですね、私はかつてキリスト教の牧師もしておりましたので、一九六三年には兵庫県の明石に開拓伝道を始めましたし、アメリカに二度目に行きました時に、トヨタの大工場が出来て、日本の企業関係者が次々とケンタッキー州に、この工場その他でいらっした時に、日本人伝道のために開拓伝道したこともあります。それが現在も続いているということは非常に感謝なんですが、最初の留学の時に、六十三年から七十四年までアメリカで学んで帰ってきてからですね、福岡市の南区長住(ながずみ)の教会で牧師をして、そしてその時に教会が大きく年々成長したものですから、西区の野方(のがた)とか、福岡と北九州の間の福間(ふくま)地域とか、あるいは城南区片江(じようなんくかたえ)というところに開拓伝道をするという方向に導かれてですね、開拓伝道というのは大変厳しいことなんですけれども、多くの人々の祈りの支えと協力によりまして、個々の教会ではなくて、いくつかの教会などが力を合わせて、開拓伝道をして、少しでも人の救いのために新しい家庭を作る、救いの場所をつくる。なんとか人の心に希望の光が灯すような、そういう人々に希望を持つような場所を提供するということが、私は出身の大学が、北九州の西南学院大学で、私が学んだのは第四期生でしたので、非常に開拓精神に燃えておりましたですね。学長をはじめ、後の先生方が私たちに対して「開拓精神を持って、パイオニアスピリッツで生きよ」という、そういう精神を吹き込まれておりましたので、私は、聖書の中に登場する使徒パウロは、「人が建てた土台の上ではなく、新しい土台の上にキリスト教会を建てる」という精神で伝道していましたでしょ。ですから私もその精神にならってですね新しい拠点開拓伝道を始めるということに非常に情熱を持って、そしてそこで説教に情熱を抱いたということは事実なんですね。その延長線上にあるんですけども、私は西南学院大学で教えながら、また大学院でも一部教えながら、また学院の大きな責任のある役職が与えられて、中でもどういうわけか開拓伝道という情熱を持っていたんですね。ですから二○○一年にJR原田駅の近くに貸事務所で開拓伝道礼拝をはじめまして、そしてその四年後に土地を買いですね、二○○五年の八月には新しく会堂が建てられたり、私はボランティアとして、それをいたしましたので、それは本当にボランティアというのは、いろんな意味では自由にできることなんですけど、責任があるんですね。責任があるだけにまた無責任なこともできないという。ボランティアというのは、そういう意味では自由な精神はあるんですけど、また責任も重いものです。でもそれは私としては、太陽が熱と光を人類に与え、そしてその熱や光はもう無条件に無償に与えて、与えて与え尽くして、決してお返しを求めないという。そういう与えて悔いなしに、惜しまずに与えて代償を求めないという。そういう精神は、太陽が教えていますし、私はキリストの教えの生き方の中に自分の命を与えていくという。「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」とありますが、そういう自身を人類の救いのためにですね、与え支えていくという、そういう与え尽くしていくその精神の一部を、私が実践できれば、私の退職後の生活は少しでも自分にとって意味のある、有意義なものになるんではないかという期待があってですね、私はそういう読書、音楽、あるいは旅とかですね、そういう登山とか、そういうものの時間を持ちながらも、いかに時間を神様と人のために捧げて、新しい開拓伝道所でも説教し福音を語り、人々の心に希望の光を灯したいという、そういう形で日常を継続したと言えると思います。
 
金光:  そのお話を伺ってますと、斎藤先生の場合には、そういうふうに自分の持っている生き方といいますか、要するに神と共に生きる生き方を、いろんな方たちに伝えるというところに拠り所を持っていらっしゃる。そういう意味では目標ははっきりしていらっしゃったわけですね。
 
斎藤:  そうですね。
 
金光:  人間は個々の人たちは、それぞれ答えを持っているわけですから、斎藤先生が、たといそういうふうにお考えになっても、相手の方が、「はい。さようでございますか」というふうに、「じゃ私の拠り所は、先生のおっしゃる所にします。はい、そうですか」というとこにはなかなかいかないわけでしょう。そこのところはどういうふうな形でお伝えしようと、開拓伝道の場合はその辺は難しいんじゃないかと思いますが。
 
斎藤:  そうですね。私はこのように考えます。これはフランクルの例を少しとりあえあげさしていただきたいと思いますが、第二次世界大戦争中にアウシュビッツの強制収容所に捕えられましたね。それで「本当に恐ろしい目に遭って、飢えと重労働と人生の意味そのものも奪われるというような、人間の尊厳性そのものが踏みにじられ、罵倒され、殴りつけられ、もうありとあらゆる苦しみを体験しますね。そうしますと、それまで自分が築いてきた富も財産も名声も地位も全部奪い取られて裸になってしまって、もはや自分の将来に何の希望も持てないというところまで限界状況に追い詰められられた時、もう自分にはもう将来は何もないというふうに絶望してしまった人は、次々と死んでしまった」というふうに、フランクルが書かれた『夜と霧』の中に書かれていますね。でも後に、『それでも人生にイエスと言う』という書物の中には、そういう絶望的状況の中でも、なおも生きる意味があるとするならば、一体どこにその生きる可能性、喜びを見出すかというところに、フランクルは、「心の自由」と言いますか、「態度の自由」「決断の自由」があるというところに気付くわけですね。ですから、「人はいざとなると狼になる」と言われていますけども、そういう追い詰めた中でも、なおも一片のパンの欠片(かけら)を人に与える。そういう与える愛の自由が決断できますし、それから人に優しい言葉をかけて慰めることもできる。ともに祈り合うということもできるというような、いわゆるヒューマニスティックなそういう生き方が、なおそのギリギリの中でもできるということに気づくんですね。そうすると、自分は自分の人生に何が期待できるかということで失望したけども、いやそうじゃないんだと。実は人生そのものが―別の言葉で言えば、神と言っていいかもしれませんけど、人生そのものは、私に期待しているというか、そういう人生から問いかけられている期待の中で、自分はいかに決断し、正しく応答していくかということが、自分にとっての生きる意味になったという。ですからフランクルは、その中で自分の未来に将来収容所から解放されて、一般の聴衆の前で、いかに自分がこういう体験をしたかという。強制収容所の中のユダヤ人の人々の苦悩の中でのそういう心理的な反応ですね、ショックからその中で絶望に至る。その中でも生きる可能性というものを、どういうふうにして力を得るか。でフランクルは、将来自分がその収容所の体験を語っている、そういう自分の姿を描き続ける。これは希望ですね。未来に対する希望をもつことは生きる力になったわけですね。そういう意味で、たとい現代の人たちは、全く極限状況どころか、有り余る時間の中で、十分な食料もあり、住まいもあり、そういう状況の中で、いろんな趣味にでも生きることができる中で、なんでそこでやはり時間はすべての人に平等に与えられていますから、仕事から自由にされて、有り余る時間の中で、時間そのものが毎日毎日、毎年毎年ですね、人生そのものは、私たちに「あなたはどう決断し、どう考え、どういうふうに態度決定して生きていきますか」という問いは、すべての人に問われていると思うんです。ですから、そういう意味で、私たちが有り余る時間を、どういうふうに使って、それを本当に自分の行いによって満足し、生きがいを感じ、また人にも喜びが伝わるような、希望の灯火をともすような、そういう態度決定、生き方、考え方というものを、フランクルは非常に私に語ってくれた大切なポイントなんです。ですから、私は人生から問われ続けなんです。ですから、音楽の選択においても、読書の選択においても、また説教を人に語るときに、どのようにしてその説教の内容が、人々の希望の光となり、力となっているか。そして本当に自分が、大きな神の愛によって愛され守られ生かされているということに気づきますと、自分は無意味に生まれてきて、無から無に死んでいくんじゃないんだという。自分は大きな大生命という偉大な神の愛に包まれて、生かされているということは、こんな自分のような無に等しい、存在の価値も無いような、そんな自分でも尚も生きることができ生きる。生きることが許されている。また罪も許されて、「生きよ」と言われているという大きなそういう生命力の愛の力に触れますと、希望を持って生きる力となるとなるんですね。そういう意味で、私はボランティア精神を生かし、人々にそういう神の愛、神の希望をもたらす力というものを与えることにおいて奉仕したいと思っているわけなんですね。
 
金光:  そうしますと、今まで生きてきた自分が、何を期待されているか。自分に何を与えられていたのか。その与えられている能力を、どういうふうに周りの人たちに生かすことができるのか、という。今までとはちょっと違った形で、今生かされているという事実が、どういうことを期待されて生かされているのかという、そういう視点でもう一度見直すことによって、新しい仕事と言いますか、目標―拠り所ということができるかもしれませんけれども、新しい局面が開けてくる可能性が十分あるわけですね。
 
斎藤:  そうですね。ですから私は、それが未来の尽きない大指針になっています。ですから私はヴィクトール・フランクルは、極限状況の中で死は刻々と迫る中で、将来に自分の生きて講演している姿を託して、希望を持っているんですね。私自身が、いろんな意味で未来から期待されているんですね。私はいろいろ死の体験を何度もしてますが、死が迫りくる中で本当に病床の中で人々と出会う。先生とも出会い、看護婦さんと出会うんですが、その病床の同室の人達に本当に優しく対処することもできますし、全く不愉快な顔で対処することもできるんですね。ですから、私は仕事の面でも、また病気にして、やがて死に近づいていく刻々の中でも、私の態度、私がどのような笑顔を向けて感謝の思いを人々にあらわして生きるか、ということは、死のギリギリまで私は問われていると思う。ですから私は、できたら本当に死というものが、いよいよ迫ってきたときは、本当に今まで自分を愛してくれた家族、自分の妻、子どもたちですね、そして友人に感謝し、先生に感謝して、そして天と地と、そして天地の創造したもう神に、心から感謝をして、この人生を終わりたいと思うわけです。そういう今、どういうふうに生きるか問われる。その決断決断をズーッと積み重ねていく。やがては死は必ず訪れますから、その死の訪れに対して、死を感謝して受けて、そしてそのキリストが、「主のもとに帰る」とおっしゃったように、私も死んだ後に神の国へ導かれることを信じていますから、本当に死というものは、パッと笑顔で「みなさん、さようなら。また会いましょうね」というような形で、死を迎えて神の国へ帰っていきたいとそう思うわけです。
 
金光:  斎藤先生のお話を伺っていますと、生きているという自体と亡くなるということの境目が、先生の場合はあんまりないみたいですね。
 
斎藤:  ええ。私はかつてはですよ、十八歳の時にクリスチャンになるまでは、人間は偶然に生まれ、偶然に死んで無になる。白骨を残して終わりと、そう思っていたわけですね。そして神など信じてなかったんですけども、私は人生に、私なりの人生計画を捨て、私なりの挫折体験をしているわけです。そのときにですね、いったいこれから生きることに意味があるかと問うた時に、もう自分に勝手に無いと思う傲慢の中で、私なりの自殺をしようと思ったわけです。その中で実は自分が自殺してもですね、単に無になるのではないという。死後の霊の世界があって、自殺をしたならば非常にそこで悔いを残して、非常な悔いの中で死後の世界に失望の中に生きる世界もあるという。そういうことが示されてですね―具体的にハムレットの小説を読んで、映画でも教えられてですね―私は自殺を延期する形で初めて教会に行った時に、死んだ後に、人間はキリストを信じる者は、永遠の命を受けて神の国へ復活するという。その神の国で復活した場合には、本当に愛に過ごす人々との素晴らしい再会があるということを示されたもんですから、私はそれまで死んで無になるという考え方から百八十度転換して、私は神からこの世に使命を帯びて生まれ、遣わされて、宿題・使命を果たしたら神のもとに帰っていくという。ですから、死後はまた神に召されたときに復活するわけですが、その復活の世界ではキリストと再会し、多くのクリスチャン・先輩や素晴らしい私を愛してくださった方との再会ですね、そういう大きな喜びが私に与えられているということを、本当に信じるようになった時に、私の死生観は変わってしまったと思うんです。アメリカから中国に遣わされた宣教師で、義和団事件(日清戦争後、義和団が生活に苦しむ農民を集めて起こした排外運動。各地で外国人やキリスト教会を襲い、1900年北京の列国大公使館区域を包囲攻撃したため、日本を含む8か国の連合軍が出動してこれを鎮圧。講和を定めた北京議定書によって中国の植民地化がさらに強まった)で、多くのクリスチャンが死んでいくんですね。でさらに飢饉が訪れた時に、アメリカからの支援物資をそういう貧しい飢えてる人に与えてしまって、すっかり衰弱して、それでアメリカに帰って行く途中神戸港で亡くなるんですね。その宣教師の方が、神戸港で亡くなる前にですね、何かブツブツ言いながらおじぎをした。中国的なおじぎ挨拶をして、何か言っていると。看護婦さんがそこに耳を当てて、ズーッと聴きますと、それは人の名前だということがわかる。しかも中国人の名前なんです。それは後で調べると、義和団事件で亡くなった人たちの名前だということが分かるんです。それは臨終の間際で何を見てたかといいますと、明らかに義和団事件で虐殺されて死んでしまったクリスチャンの霊が迎えにきているということですよね。すでに死んだ人は神の国にあって、そしてこれから死んで神の国へ行こうとする人をお迎えにきているということなんですから、そういう意味では仏教においても、神道においても、死んでよく先祖の霊がお迎えに来るとかですね、あるじゃありませんか。そういう意味でのものと重なることができると思うんです。ですから私はこの地上で本当にもしキリストがこの世に生まれたら、どういう働きをするかなということを、時には考えますけども。私は、マザー・テレサ(カトリックの修道女。マケドニアの生まれ。1950年「神の愛の宣教者会」を設立。病人や瀕死の人々の保護・孤児救済の施設を、カルカッタ(現コルカタ)をはじめ世界各地に設立。1979年ノーベル平和賞受賞:1910-1997)の働きの姿を見たんです。多くの人が、マザー・テレサの姿を見たときに、何かキリストの姿と重なって見えたという話も聞きますね。ですから、そういう意味では、私は、神という存在が人類を本当に平等に憐れんで、どんなに貧しい人でも、どんなに苦しい人でも、平等に深く愛しておられるという。キリストの言葉の中に、「神は善人にも悪人にも太陽を昇らせ、恵の雨を降らせる」とありますでしょう。そういう意味で、神の老若男女を問わず、人間の才能あるなしにかかわらず、本当にどんなに身体的に障害を負って生まれようとも、もう本当に慈しみ深い、尊い宇宙のたった一つのかけがえのない存在として、人間を愛し守り育てているという。それは本当に宇宙に遍在する神の愛だと思うんです。キリストはそういうことを示していますし、私はやはりブッダの教えの中にも本当に 深い教えがありますし、ですからそういう意味では、キリスト教の犠牲愛も仏教の中にもいろんな教えがありますが、そこにやはり優れた愛、姿、教えがあると思うんですよね。ですから、人類がこの百五十億年前に、ビッグバン(Big Bang:「この宇宙には始まりがあって、爆発のように膨張して現在のようになった」とする説)はあったと言われてますね。そしてズーッと長い歴史の中に銀河系宇宙ができですね、今までの百五十億年の年月をズーッと十一キロに例えるならば、人類がこの地上に生まれて、これまでの時間帯はわずか七センチという。そうすると、この約一万年前ぐらいからですね縄文時代と、あるいはそういう一万年の間にいろんな宗教がこの世に生まれてきているじゃありませんか。ですからその長い永遠的な宇宙の広がりの展開の中で、人類の歴史というものは本当にわずかな、そこにそれぞれ宗教が「我こそ絶対的に正しい」というのは、その宗義の絶対化で、しかもそれを争い合って殺し合い、憎み合って復讐しあって、自爆テロなどになったらば、これは宗教の全く本末転倒だと思います。ですから本当に自分の信じる信仰にこだわるのはいいと思います。だけども、他人のこだわりも大切にするという。大きな宗義という原点の中で、土台が一つの中で、相手のこだわりを大切にし、その平和的な話し合いの中で、そのお互いに受け入れ許し合っていくということになることが、これからの宇宙時代の中でのそういう宗教世界だというふうに考えています。
 
金光:  確かにおっしゃるとおりなんですけども、そういうお考えとそれから現実の世界の、例えば日本なら日本のいろんな毎日のニュースなんか見ていますと、自分がどういうところに生きているのか、生かされているのかということに、全く気がつかないで、しかも刹那的な、ある怒りなら怒りの欲望に任せて行動するような、今おっしゃっているような世界と全くかけ離れた現実が随分こう展開しているわけですね。そういうところに何らかの気づきを、気づいてもらえないかなという気がしてるんですけども。
 
斎藤:  日本の伝教大師最澄(さいちよう)の有名な言葉に「一隅を照らす。これ則ち国宝なり」という言葉がありますね。どんなに立派な財宝を持っていても、それは国の宝とならない。一人の人間が、それぞれ天から与えられてる才能―賜り物がありますね、それを個人の欲望の満たすことのためにだけ用いたら、やはり本当に心霊的に虚しいと思います。ですから、一人一人が自分に与えられている賜―才能をいかに人のために用いるかという。それは人に返らなくてもいいんです。一隅を照らす。もう本当に隅っこでも、そこに光を放って人々に奉仕できる。人のために一生懸命尽くしていることが、だんだんと広がっていくと、世界の輪がなくなる。クリスマスのキャンドルサークル灯はそういう意味があるんですね。小さな灯火をズーッと灯していって、だんだん素晴らしい光になるんですね。太陽のようにギラギラ光っているんじゃなくて、一人一人の心に希望の灯火を灯していく。それがいわゆる「一隅を照らす」。
 
金光:  いわゆる「隗(かい)より始めよ」。みなさん一緒にじゃなくて、自分から始めるというところが出発点ということでございましょうか。どうもありがとうございました。
 
     これは、平成二十一年三月二十九日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである