観音信仰の旅
 
                  法制大学教授 川 村(かわむら)  湊(みなと)
1951年、北海道網走市生まれ。1974年法政大学法学部政治学科を卒業し、株式会社大中入社。1978年株式会社水産社入社。1980年、「異様(ことよう)なるものをめぐって─徒然草論」が群像新人文学賞の優秀作に選ばれ、文芸評論家として活動を開始。1982年韓国・東亜大学校文科大学日本語日本文学科専任講師、1985年同助教授、1990年法政大学第一教養部助教授を経て1994年教授、1999年法政大学国際文化学部教授。国際文化学部長。1991年、湾岸戦争への自衛隊派遣に抗議し、柄谷行人、中上健次、津島佑子、田中康夫らとともに『湾岸戦争に反対する文学者声明』を発表した。1993年から2010年3月まで17年間にわたり毎月、毎日新聞に文芸時評を連載。平野謙の13年の記録を破った。
                  き き て  金 光  寿 郎
 
ナレーター:  今日は、法政大学教授川村湊さんに、「観音信仰の旅」というテーマでお話いただきます。聞き手は金光寿郎さんです。
 

 
金光:  川村先生が、お書きになったご本を拝見しますと、観音様のお浄土である「補陀洛(ふだらく)浄土」、補陀洛浄土に関係ある霊場、これを日本だけじゃなくて、韓国、それから中国、さらにはインドの方まで足を伸ばしていらっしゃるようですけれども、そもそもはどういうところから関心をお持ちになったんでございますか?
 
川村:  私は、さほど宗教的というか、仏教的な人間ではなくて、ただ旅行したり、本を読んだりするのが好きということで、特に古典―日本の古典であったり、中国や朝鮮の宗教的な仏典のようなもの、経典のようなものを読むのが好きだったということが一つあると思います。それから直接的なきっかけというのは、和歌山県に遊びに行ったと言いますか、そこのところで補陀洛寺(ふだらくじ)というお寺がありまして、私が一番最初に行った時は―もう二十年以上前、三十年近く前になるんですけれども―その時に補陀洛寺というのは廃寺になっておりまして、もう見る影もない。住職さんもいらっしゃらない、そういうお寺だったんですけども、その補陀洛寺の目の前に海が広がっていて、そこからいろんな補陀洛渡海ということで、補陀洛浄土に、補陀洛寺のご住職さんが、何歳になったら船に乗って補陀洛へ渡海するという、そういう伝承といいますか、これは事実あったことですから、単なる伝説ということではないんですけれども、そういうことがあったということを、井上靖(いのうえやすし)さんの『補陀落渡海記(ふだらくとかいき)』を読みまして、
 
金光:  そうですね。それに書いていらっしゃいますね。
 
川村:  あれをかなり前に読んだんですけども、それが頭にあって、そこへ行って海を見て、あぁここで昔そういうことがあったんだなという、こういう関心を持ったということがあります。
 
金光:  それでその辺のところからしかし、次にまた関心が広がったわけですか?
 
川村:  その後、私はちょっと韓国に住んでいたことがありまして、韓国江原道の束草市から、海岸沿いに少し南に下ったところに「洛山寺(ラクサンサ)」という、「らくさんじ」ですね。
 
金光:  京都の「洛北」の「洛」に、「山の寺」ですね。
 
川村:  はい。韓国語でいうと「ラクサンサ」というんですけれども、その洛山寺(らくさんじ)に遊びに行きまして、そこで海に面して、洛山寺の一つの庵ですよね。庵がちょうど海の上にはみ出すような崖といいますか、そこに庵があるんですね。その庵の中に入ってみたら、その庵の床に穴が開いてまして、そこから真下を見ると、海が、波が見えるという。
 
金光:  その穴というのは、人間が落ちるぐらいの穴ですか?
 
川村:  もっと小さいです。
 
金光:  危なくない?
 
川村:  危なくはないです。大丈夫です。そういう小さな穴が空けられてあって、覗き込むと、そこから遙か下に海水が見えるんです。海蝕洞に入り込む海水が、真上に作られた庵の床の遙か下に渦巻いているんです。ここでいわゆる海を見ながら、ある意味では床下一枚下は、まさに海であり、地獄なのか、浄土なのかわかりませんけど、
 
金光:  かなり高いところにあるんですか?
 
川村:  ええ。高いもんです。
 
金光:  高所恐怖症の人なんかだと。
 
川村:  だめですね。
 
金光:  そんなに高いところですか?
 
川村:  ええ。それはただ見てきて、遊んでいたわけなんですけど、その後ちょっと調べてみたら、洛山寺というのは実は義湘大師(ぎしようだいし)(新羅の僧で、新羅における華厳宗の祖:625-702)という古代朝鮮の華厳宗の宗祖で義湘という坊さんがいますけれども、義湘がそこに洛山寺というお寺を作って、海に向かって庵を作って、一種の補陀洛渡海のようなイメージで、そういうものを作ったということがわかって、その時に初めて、あ、韓国にも補陀洛の伝承というか、話があるのかということと、それから和歌山の補陀洛寺とが結びついて、そうか、これは日本、朝鮮、中国に、そういった伝承というのは、あるといえば当たり前のことで、そういうことに気がつかなかったこちらが迂闊なんですけども、そういうものがあるということになって、だったらちょっとそこを巡ってみたいないうふうに思ったのがきっかけというか始まりになります。
 
金光:  その義湘の場合は、日本だったら明恵(みようえ)(鎌倉時代前期の華厳宗の僧。明恵上人・栂尾上人とも呼ばれる:1173-1232)上人が、義湘を追いかけてきた女性の善妙(ぜんみよう)さんの物語なんかを絵に描いていらっしゃいますね。
 
川村:  あれはもちろん朝鮮の古代の義湘さんの絵なんですけれども、韓国には残っていないんですよ。つまりあれは明恵が高山寺(こうざんじ)でうまい絵師に描かせて、日本でできた絵巻(『華厳縁起』の略称で知られる『華厳宗祖絵伝』という絵巻物。日本の高山寺に伝わるもので、その開祖である明恵上人が関わって描かせたものである。明恵は『宋高僧伝』を基にして、新羅の華厳宗の祖師である元暁、義湘の二人の行状を絵巻物として作らせた)ということで、私も高山寺まで善妙さんの像を見に行ったんですけれども、それで一番最後に絵巻の中にある浮石寺(ふせきじ)(韓国語でブソクサという)というのが韓国にあります。
 
金光:  今もあるんですか?
 
川村:  今もあるんです。ここに善妙堂というのがあるということで、それを見に行きました。ところがそこにあった善妙さんの像というのは、実は高山寺にある像をそのまま模写したものです。だから逆輸出みたいなものですね。そういう古いものは韓国に今ないんですね。だからそれがちょっと残念なような気がしますけれども。
 
金光:  でも義湘にしても、大体中国の五台山だとか、あるいは中国の仏教の盛んなところへ行って、そこで仏教の修行をして帰ってきたという、そういう日本にしてもそういう関連があったわけですけれども、本場の中国の方へ行くと、どういうことになるんですか、その観音霊場というのは?
 
川村:  私が行きましたのは、つまり日本で補陀洛渡海をするということで、和歌山県であるとか、四国の高知県の足摺岬、室戸岬辺りから船に乗って渡って行ったということが、『発心集(ほつしんしゆう)』とか、そういうものに書かれているわけですけども、
 
金光:  『発心集』なんかにのっかっているわけですか?
 
川村:  ええ。鴨長明(かものちようめい)が書いていますけれども、あれは足摺岬だったと思いますけども。「足摺岬」の「足摺」というのは、補陀洛渡りをするお坊さんを惜しんで、家族が足摺をして泣き悲しんだという。
 
金光:  別れるのを悲しんで、
 
川村:  「足ズリヲシテ哀(カナシ)」んだから「足摺岬」と。「足ズリ」しても甲斐がなかったので、この岬を「足摺岬」と呼ぶんだという。これは一つの説ですけどね。それもあるわけで、それも足摺岬自体が、補陀洛渡海と非常に関係性があると思っております。そこから南の方の海を見ると、そしてまぁ海流の関係とか、いろいろなことがあって、大体どの辺にたどり着くかなというのがあるんですよね。これは遣唐使なんかもそうなんですけれども、遣唐使が出て行った対馬とか、筑紫(つくし)─北九州ですよね─あの辺りから出て行いくと、大体上海(シヤンハイ)とかあの辺りにたどり着くというか、下手したら漂着すると。だからちょっと足摺岬や紀伊半島はちょっと違うような気がするけども、大体そちらのほうに漂着するということになると、そこに舟山(しゆうざん)列島の、もっとも陸地に近い、普陀山という小さな島と言いますか、お山といいますか、そこにお寺があるんですね、中国に。その「普陀山」というのは、これは「普通」の「普」に、「阿弥陀仏」の「陀」で、「普陀山」と書きますけども、私もじゃ行ってみようということで、普陀山に行きました。ここは今、もうすっかり仏教の観光地化されていまして、大きな観音様の像であるとか、お寺のなんかも再建されていました。
 
金光:  揚子江の入り口辺り、舟山(しゆうざん)群島ですか?
 
川村:  はい。そうです。舟山(しゆうざん)列島の一番日本よりといいますか、入り口に近いところで。ですから行くときは、寧波(ねいは)から、確か渡し船とかフェリーで三十分もすれば行けるような島なんです。上海や寧波、鎮海や福州からフェリーや高速艇が出入りして観光客がひっきりなしで、観光地化されているということで、島の中にお寺がたくさんあって、
 
金光:  お坊さんもたくさん?
 
川村:  おります。昔は文化大革命とか、その頃の中国は宗教が禁止されていたので、仏教寺院なんかでも壊されていたようですね。でももうそれが終わった後、今むしろ観光地として、これは日本人も来るし、中国の国内の観光客というか、すごくお金が豊かになったので、観光ということがあって、普陀山はかなり賑わっているというふうに思いました。
 
金光:  華僑の人なんかも割にお金を中国の南の福建省の方には大きなお寺建てたりしているようですけれども、普陀山なんかも、やはりある程度華僑の人なんかの寄付なんかもあるんでしょうか?
 
川村:  香港とか台湾から、あるいは日本の華僑の方が、シンガポールだとかというふうなのはありますけれども、やはり中国の中の方が、
 
金光:  じゃ結構そういう昔ながらの観音信仰そのままではないにしても、やっぱり観音様に対するご信心というのは、今も生きているわけですか?
 
川村:  生きていたようですね。文化大革命の時も、表面的には禁止されていましたけれども、やっぱり裏では庶民の信仰というのはやはりあって、特に観音様と言ったら女性とか子供とか出産とか、そういうのをお祈りをするわけですから、こういうのは本当に庶民の中にズーッと根強くあったと思いますね。それが改めて息を吹き返したというふうなものではないかなと、私は思いました。
 
金光:  それと海ということになると、漁師さんなんかもある程度関心を持ってということが、
 
川村:  それは普陀山ではなしに、割合とその近くにあるんですけども、舟山列島よりももっと南の福州(福建省)の方に?州島(びしゆうとう)(馬祖島)というのがありまして、これ媽祖(まそ)信仰のメッカなんですけれども、そちらの方にはいわゆる漁師さんたちが、媽祖(まそ)というのは、航海の、船の神様ですから、こちらの方には、私はそちらにも行ったんですけども、そちらの方が多かったですね。やっぱり仏教ですので。
 
金光:  媽祖というのは観音様とは関係ないですか?
 
川村:  いや、十分関係あります。媽祖の伝承というのは、中国で林默(りんもく)(媽祖(まそ)の俗称)という女性が生まれて、その女性が何歳かの時に、その観音経を手に入れて、観音信仰に目覚めると。それで本人自身が女の神様になるということで、ある意味では観音信仰の一部のバリエーションになっているというふうに、私は思っています。観音信仰が元々はもちろんインドですけれども、インドから中国に渡ってきて、それがちょっと変化した形で、道教化したのが媽祖であるというふうに、私は自分の本に書いたんですけども、?州島(びしゆうとう)は媽祖の生まれた島なんですが、そこに行ったり、普陀山に行ったりして非常にある意味で似た雰囲気であり、また女性神である出産とか、旅の平安とか、そういうものを守るという意味では、非常に似た性格を持っているなと。日本でもそうですが、観音経の場合は、海で遭難した場合に、観音経を唱えると、観音様が助けてもらえるということがありますから、その辺はかなり重なっているというか、重層化しているんだというふうに思います。
 
金光:  なにせ、観音様は三十三身で、何にでも変わりますから、少々変わっても観音様という。
 
川村:  どんな姿をなさっていても。普陀山で面白かったのは、その島に「洛迦山(らつかさん)」というやっぱり島があるんですね。普陀山もそんなに大きな島じゃないんですけれども、それよりもっと小さなもう島というより、なんか岩山みたいなとこなんです。これは先程の洛山寺の「洛」、それからお釈迦様の「迦」、それから「山」と書くわけで、つまり「普陀山」と「洛迦山」があって、両方の二つの島の名前を合わせて「普陀洛迦山」になる。「普陀洛」になるという、そういったような。そうすると洛迦山も絶対行かなきゃければいけないと。
 
金光:  その辺が要するに「補陀洛浄土」というイメージになってきて。
 
川村:  こう合わさって。普陀山に行って、それから船で洛迦山へ、これも本当にすぐ側なので、もう十分か十五分ぐらい、
 
金光:  そんなに近いんですか?
 
川村:  船に乗って、ただ島というよりも、岩山なので、階段がすごいんですよ。その階段を、石段を上っていって、
 
金光:  五段や十段じゃなくて、結構何百段ぐらいもあるわけですか?
 
川村:  ありますね。もちろん平らなところもありますけど。でもその島はもうお寺しかないんです。その階段、いわゆるそれが参道になっていて、両脇にお寺があって、そこをお参りして帰ってくると。お土産屋さんなんかありましたけれども、いわゆる本当に旅館というのは―宿坊みたいなものはないことはないんですけれども、基本的には普陀山で泊まって、半日かけて、その洛迦山の方をお参りして帰ってくると。私はそちらの方の島に行って、お寺のないはずれの方まで、つまり島の向こう側と言ったって大したことないんで、島の向こう側の港というか、もうほんとに小さな船着き場みたいなところまで行ったんですけど、そうするとここ誰もいないんですね。普陀山から渡っていくところの港にも今はもちろんいろんなお店があったりするんですけども、向こう側の行くところの港には、今はいろんなお店があったりするんですけども、向こう側の船着き場には誰もいない。そこでぼんやりしていると、あ、そうか。日本の補陀洛山の浜から、あるいは足摺から、室戸岬からだったのは、こういうところにたどり着いたのではなかろうかと。一生懸命周りを見渡しても風景というか、雰囲気がほとんど変わらない。だからあそこから出て行った人は、何か元に帰った気持ちになるんじゃないかなぁなんていうふうに思ったことがありました。
 
金光:  確かにあそこじゃなかったですか、日本のお坊さん(慧鍔(えがく))が五台山から観音様を持って帰るときに、その船が日本になかなか帰れなくて、観音様が日本へ行くのをストップさせているんじゃないかと思って、止まったところが普陀山という、そんな伝説があるようですね。
 
川村:  ええ。行かざるの観音(不肯去(ふこうきよ)観音)≠ニ呼ばれているんですが、私は「行かずの観音」と、「行きたくない観音」と言ってるんですけども。ですからその観音様のお像があるのかなと思ったんですが、今そこには大きな観音様の像がありますけれども、
 
金光:  日本には行きたくないというか、行かずの観音ですか。
 
川村:  それでそれと同じようなものがやはりありまして、先程申しました韓国の洛山寺の庵とやっぱり同じようなものが崖の上にあるんです、。中国の普陀山の場合は、二重三重の層になっていて、二重三重にこれがいわゆる日本に行かなかった観音様だというのもあるんですよね。そういうのを見て歩くと、まさに日本との関わり、韓国との関わりというのは、まざまざとつながっているんだといういうふうに思いましたね。そういう繋がりとか見られるのが非常に面白い。観音様自体の信仰なんか日本のものと本当にまさに何も変わらない。観音像にしてもそうですし、周りの―ちょっと拝み方とか、線香の立て方とか、ロウソクの大きさとか、そういうのは違っていても、しかしだけどやはり仏教は、あるいは観音信仰というのは、まさに東アジアの一つの大きな精神的なベースになっているんだなというふうに思いました。
 
金光:  それで御本を拝見して私びっくりしたのは、日本だと観音様は、千手観音なんていうのは、よく各地のご本尊様にありますけれども、あの千手観音とヒンドゥー教のドゥルガー女神ですか、繋がりがあるんではないかというようなことを、これは「へえっ!」と思ったんですが。
 
川村:  これは今私の説で、必ずしも証明されてはいないんですけども、だけど手が何本もあるとか、眼がいくつもあるとかという、いわゆる異様な肉体というか、身体というのは、日本だけでなく、もちろん千手観音は中国にもありますし、ベトナムにもありますから、当然日本には伝わってきたわけで、やっぱり中国発生でもないような気がします。そうしますとやはり一番は、ヒンドゥー教。元々バラモン教からつながって伝わっていますから、当然仏教はバラモン教、あるいは初期ヒンドゥーの影響を非常に大きく受けていますし、観音様にしても、 青頸(しようきよう)観音というのがありますけども、この観音は、ヒンドゥー教のシヴァ神が奥さんに頸を締められちゃうんですよね。夫のシヴァが毒をのみ下したので、奥さんが毒が胃に達する前に夫の頸を締め、救おうとした。青色の毒がそれ以来頸の辺にとどまって、外部からみても青い色になり、それ以来、青頸と呼ばれるようになったわけです。それを青頸観音として観音様の一つの姿にしてしまうというのは、これは私勝手にというだけではなくて、研究者も、青頸観音というのはもともとシヴァ神であるということが明らかでですから、そうするとシヴァが三つの眼を持っていたり、手を三つ、四つもあったりというような、あるいはドゥルガーという女性神が、手がいくつもあったり、あるいは象に乗ったり、虎に乗ったり、牛に乗ったり、乗り物なんかもあるんです、。
 
金光:  インドの神様、今でも本当に異様な神様がいっぱいお出になりますから、しかもシヴァ神の奥様のパールヴァティ女神やドゥルガー女神、いろいろ変身なさいますし、ずいぶん弁慶の七つ道具どころか、いろんなものを持っていらっしゃるし、そういう意味では日本の風土とか、日本人の考える神様、仏様とは全く桁違いにバラエティ(variety)に富んだ姿で現れていらっしゃいますから、その辺のところとの関連で千手観音も、これにつながるということ十分考えられますでしょうね。
 
川村:  私は、三年前、ちょっと呼ばれてインドのデリー大学にしばらく三ヶ月間ぐらいいたんですけれども、その時に暇にまかせてインドの寺院を廻っていって、インドはなかなか信心していない人間は入っちゃいけないというところもあるし、見せてやってもいいかというところもあるんですけど、ただいずれにしてもカーリ寺院であったり、ヒンドゥー寺院であったり、ベナレスという宗教的な都市に行くと、様々な姿の異様なというと怒られちゃうんですが、グロテスクと言ったら更に叱られれんですが、つまりそれらも聞いてみると、姿を変えることによって人々を救うと。つまり千手観音が千の手を持って様々な衆生の信者達のいろんな悩み苦しみ、あるいは要求に対して千の手をもっていろいろな形で功徳といいますか、御利益といいますか、そういうものを与えるのだという意味で同じ発想なんですね。ですからいろんな手を持って、それで死を断ち切るものであったり、悪を懲らしめる。だから刀とか、ちょっと恐ろしいものを持っているんですけれども、これは千手観音だって同じことであって、お不動産だって鎖を持ったり、刀を持っていますから、すべてそういうように欲望を断ち切ったり、悪いものを懲らしめるというそういう意味ですから、そういう意味ではヒンドゥーのそういうちょっと姿の変わった神様と千手千眼観音とか、あるいは十一面観音にしてもそうなんですけども、顔が、頭が十一あるというのは、それだけいろんな方向に向いて、すべての方向にいる人々を救ってあげようということであって、あえてそういう奇妙なお姿をしているんだということですからね。ただそういう発想が同じだということは、基本的にやっぱり同じ根のものであるというふうに考えていいと思います。
 
金光:  それでインドの人たちの、ヒンドゥーの人たちの生死としては、バナラーシですか、あそこへ行くと、要するにあそこで死を待つ人たちがいて、ここで死んで、焼いてもらって、ガンジス川に流してもらうというのが、一生の願いだというような、しかも観音様の観音のサンスクリット名であるアヴァローキテーシュヴァラ(観自在菩薩、観音菩薩)に、シヴァ神の異名であるイーシャ(自在者)という名称自体が含まれているのであり、観音信仰とシヴァ神信仰との深い関連性を示しているというのを聞くと、随分インドと日本は離れているようだけれども、インドが発祥の仏教の流れというのは、やっぱり今も繋がりがあるんだなという印象を受けたんですが。
 
川村:  ですからガンジス―これはガンジスだけでなしに、他の河でもインドの河では、その畔で焼いて、川に流すということはありますけれども、あるいは基本的にガンジーの場合は、ヒマラヤの雪解け水が流れてきて、ヒマラヤ(サンスクリット語でヒマーラヤ、ヒマ「雪」+ア−ラヤ「すみか」)から「雪の住みか」の意)という聖なる山、そこから流れてくる水、それがガンジス。最終的に海にということが重要なんです。ですからそこにということで考えれば、これはこじつけになるようですけれども、補陀洛渡海の方に、つまり海の彼方の方に浄土を求めると。川を流れて海にたどり着くという、ヒンドゥーの考え方というのも、これもまた重なる、似ている。私は、インドの一番、インド大陸と言いますか、半島の一番の先っぽというか、南のコモリン岬(カニャークマリ)という、そういう岬があって、そこまで行ってきたんですよ。あそこでは海に浸かるんです。ベナレス、すなわちバナラーシの街ではガンジスのガート(沐浴場)に行って、そこで皆さん水に浸かって、
 
金光:  水につかって水浴びしていますね。
 
川村:  私が、見たら濁っていて、あんまり沐浴したいな、という気持ちにならないけど、もうあそこはインドの方たちがいらっしゃって、女性はサリーを着たまま水に浸かりますし、男性はふんどしみたいなので、子供は真っ裸でやってますけど、あれと同じように、コモリン岬では海の中でやっているんですよ。つまり一種の沐浴というのか、禊ぎというのか。この岬はちょうどインド洋とアラビア海といいますか、ちょうど海と海とが交わる部分で、あそこにやはり女神が、カンニャークマリという、ヒンドゥーの神様で、これは女性神なんですよ。それのお寺がありまして、しかもそこから離れた島にあるんです。そこから船に乗って、これもそんなに遠い島ではなくて、せいぜい十五分かそこら乗って、その島全体が聖なるヒンドゥーの聖なる地というところで、あそこにも行ってきましたけれども、何かそういう海の近くの島ばっかり廻っていて、結局それが全て補陀洛渡り、補陀洛渡海という信仰のあり方と非常によく似ているんです。ですからつまりヒンドゥーだとか、仏教だとか、道教だとかというようなことじゃなしに、東アジア―東ともいう必要がないぐらいに、アジアの精神の基底の中に、そういう女性神、それから海、それから死んだら海の向こうの女性神、母なる浄土に行くというような、そういう非常にプリミティブ(primitive:原始的な)といえば、プリミティブなんですけど、そういう信仰が共通して重層化してあるんじゃないかなというふうに、今私はそういうふうに思っています。
 
金光:  でもむしろその方が、いろんな理屈をくっつけるよりも、素朴な形であるだけに、しかも自然と直結しているだけに、余計なことを考えないと、昔の人と現代の人と気持ちがそういうところでかえってよく通ずるかもしれませんですね。
 
川村:  私もそう思いますし、例えばイスラムというようなものを考えると、インドイスラムにしても、土着化すると、結構みんな似たような海の向こうとか、山の上とかという、いわゆる土地に対するアニミズム(animism:生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方)のようなものとか、母性に対する信仰とかというのは、結構イスラムの中にもずいぶんあるんですよね。だからあんまり宗教対立というようなことが言われるけれども、もうちょっと宗教の元になるようなところを探っていけば、表面上のちょっとした違いとか、そういうことではないものというのは、もっと大きくたくさん浮かび上がってくるんじゃないかと思いますね。
 
金光:  そういう意味での観音信仰というのは、非常にバラエティーに富んでいますし、それぞれのお聞きの皆さんの近くにある観音様の霊場とか、そういうところにももう一度目を向けてご覧になるのも面白いことかもしれませんね。どうもありがとうございました。
 
     これは、平成二十一年三月一日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである