西国観音巡礼の心
 
                  那智山青岸渡寺住職 高 木(たかぎ)  亮 享(りようきよう)
 
ナレーター:  今日は、「西国観音巡礼の心」と題しまして、和歌山県那智勝浦町(なちかつうらちよう)にある青岸渡寺(せいがんとじ)住職高木亮享さんにお話いただきます。四国八十八箇所と並んで有名な西国三十三所は、奈良時代に始まったと伝えられている観音霊場の札所巡りです。その第一番の札所が、那智山青岸渡寺です。「西国三十三所」または「西国三十三箇所」とも言われる巡礼の道は、青岸渡寺のある和歌山県から大阪府、奈良県、京都府を経て、滋賀県に至り、もう一度大阪府を通り兵庫県を経て、再び滋賀県に入った後、岐阜県の谷汲山華厳寺(たにぐみさんけごんじ)に至ります。青岸渡寺のある熊野一帯は、古くから修行の道場として知られたところでもあります。高木さんは、交通機関の発達により短期間で三十三所を巡ることができるようになったけれど、できるだけ時間を掛けて巡る方が良いと考えています。ゆっくりと廻ることで巡礼を通して大切なものが見えてくるはずというのです。最近寺を訪れる人々の中で、自分を見つめ直すために巡礼を始めた若い人たちや、団塊の世代の人が増えていると、高木さんは感じています。高木亮享さんは、一九三八年(昭和十三年)生まれ。龍谷大学文学部を卒業し、昭和二十九年に出家得度。昭和四十年、滋賀県にある教林坊(きようりんぼう)の住職を経て、昭和五十九年に青岸渡寺住職になりました。また昭和六十二年に補陀洛渡海(ふだらくとかい)で知られる補陀洛山寺(ふだらくさんじ)の住職にも就任し、現在に至ります。巡礼の道は全国各地にありますが、巡礼を通して私たちは何を求め、何を得ればいいのでしょうか。「西国観音巡礼の心」青岸渡寺住職高木亮享さんです。
 
高木:  那智山は、西国三十三箇所第一番の札所、那智山青岸渡寺、如意輪(によいりん)観音さんがお祀りされています。そうして境内から昔から修行の地―那智の滝がよく眺められて、そうしまして那智のお寺の隣には熊野那智大社、神様をお祀りして全国から沢山の方々がお越しになり、あぁいい所だな、美しいところだな、心が洗われたな、と感激をして帰られるところでございます。西国三十三箇所の観音霊場は、今から千二百年前、長谷寺(はせでら)の徳道(とくどう)上人が、閻魔様のお告げによって生き返り、「三十三箇所を廻ってきなさい」と言われて、それがまだ伝わらなかったわけでございます。しかし二百年経って、六十五代の花山(かざん)法王が寛和(かんわ)二年にお城を抜け出して、京都の山科(やましな)の元慶寺(がんけいじ)でお坊さんになり、出家のお名前は入覚(にゆうがく)と申されました。その花山法王が姫路の円教寺(えんぎようじ)、また比叡山延暦寺にお参りされ、その後那智山に来て那智の滝の奥で五百メートルほど上流でございます。その二の滝の前の岩の上で千日間お経を唱え、写経し、瞑想し、満願お礼として、観音さんが、三十三に身を変えられて、私たちをお守りくださる数をとって、仏眼(ぶつげん)上人、証空(しようくう)上人の修験者の先達によって、那智山を一番に、二番紀三井寺(金剛宝寺)、三番粉河寺、和歌山県、大阪府、奈良県、京都府、滋賀県、京都、大阪、兵庫、京都の北部、滋賀県の竹生島(ちくぶしま)、そういうところを通って、岐阜県の谷汲山(たにぐみさん)華厳寺を満願の道場としたわけでございます。近畿一円と華厳寺まで歩いて廻ると、だいたい千二百キロと言われております。廻る方は、西国巡礼は春の彼岸から秋の彼岸まで、半年掛けて、家の軒先を借りたり、お寺のお堂を借りて、そうしてお参りされたわけなんです。観音さんは、どこでも、だれでも喜んで迎え入れてくれるので、宗派を超えて何宗の人でも「観音さん、観音さん」とお詣りされたわけでございます。観音さんは、、慈悲のお姿で大変優しい方でもございます。女性のように見られるけれども、性別は問わない。男も女も、若い方もお年寄りも、みんな「観音さん、観音さん」とお参りされ、お慈悲を頂いて喜び感激を受けておられます。西国三十三箇所のお寺のご本尊は、十一面観音さん、自分のお顔を含み十一面。病を治し、罪を浄めて幸せにしていただく仏さま。正(しよう)観音(聖(しよう)観音とも)さんは、立像のお姿。お手を組み合わせ、壺を持ったり、お花を持ったりした優しい方でございます。不空羂索(ふくうけんさく)観音さんは、一般に一面六臂(ろつぴ)で私たちを不空(ふくう)(むなしからず)という糸、羂索(けんさく)(鳥獣等を捕らえる縄のこと)によって悟りの領域に引っ張っていただく、導いていただく仏様さんです。千手(せんじゆ)観音さんは、千本の手を持ち、それぞれの手に目があり、我々を守って下さり、四十二本の手を持って合掌。中央の合掌している手(本手)以外の四十本の手が、それぞれ二十五の役割、働きをするところから、それを掛けて千本(40x25=1000)―千手観音と言われます。馬頭(ばとう)観音さんは、怒りのお姿で邪悪を取り除き、我々を美しい世界へ導いていただきます。准胝(じゆんてい)観音さんは、三つの眼を持ち、災難を取り払い、清浄を実現し、お子さまのない両親に子供さんを、子宝を授けていただく仏さんです。如意輪(によいりん)観音さんは、すべての人の願いを叶えてくださる笑顔円満なお姿の観音さんでございます。その七体のうち、一体がご本尊として祀られております。観音様は世の音を感じると申しまして、我々の願い事「南無観世音菩薩(なむかんぜおんぼさつ)」をお詣りしているその声を聞いて、よいところ―浄域へ導いてくださる仏さんでございまして、観音さんをお詣りしたならば、三毒(さんどく)の煩悩―貪(とん)=むさぼり(欲深く物をほしがる、際限なくほしがる)、 瞋(じん)=怒り(自己中心的な心で、怒ること、腹を立てること)、癡(ち)=迷妄(物事の道理に暗く実体のないものを真実のように思いこむこと)、そういうものを観音さんに預けられて、「六根清浄(ろつこんしようじよう)、六根清浄(ろつこんしようじよう)」と、西国三十三カ所を回っている。これが巡礼でございます。お観音様のお姿を―共に夫婦でお参りするのは、同行さん三人、一人でお参りするのは同行二人として、よく描かれております。それは観音さんと一緒にお供してお参りしていることを指してるお姿を表してのであります。お参りする巡礼さんの衣装は、腰までの襦袢を背中に「南無観世音菩薩」と書きまして、袈裟、念珠、杖、菅笠、そういうもの身に付けて清浄な気持ち、「六根(ろつこん)」と言って、眼とか、鼻とか、口、耳、身(からだ)、意(こころ)ですね、それを綺麗なお姿で巡拝を続けていただきます。お参りするときに、みなさん方が刀のような長い筒を持っております。これは西国三十三箇所お参りした巡礼さんが、各お寺で、昔はお経を納めて、お寺が受け取りましたというので「納経印(のうきよういん)」と言います。今はお参りしたということで「奉拝(ほうはい)」と書いております。そういう帳面とか、帳面には参拝の日にちが入って、いつどこどこへ私が参ったということがよくわかる。お参りすることは、お寺と山門は、階段で随分離れてますからね、そこで山門で一礼し、そうしてお寺の境内には、お手洗いの口をゆすぎ、手を洗い、そうしてそれを自分の体を浄められたならば、線香、ろうそくをお供えし、そして合唱して般若心経、観音経、十句観音経、御詠歌等をお唱えして帰られるわけでございます。それだから那智山は、
 
補陀洛(ふだらく)や 岸うつ波は 三熊野(みくまの)の 那智のお山に ひびく滝津瀬(たきつせ)
 
と詠われてございまして、今でも節をとって、鉦を鳴らしながら、御詠歌を唱える。補陀洛(ふだらく)とは、観音さんの浄土でございまして、その浄土がこの那智山が浄土と見立てられて、皆さんが補陀洛と覚えている。「岸うつ波」太平洋の波が浜辺に打ち寄せるように、たくさんの人がお参りして、その声が「三熊野(みくまの)の」本宮、新宮、那智と。その三つに響きわたっている姿。那智のお山に響く滝。那智の滝の響きも負けないように、お詣りした人が声を大きくしてお参りしている姿を御詠歌に表されておりまして、この御詠歌は、六十五代の花山天皇さんが、西国をお参りされた時に、各お寺に奉納したのが、三十一文字の歌が御詠歌と言われております。御詠歌を唱えると心が落ち着き、身も安らぐ。またお経唱えると。身も心を浄められたような気持ちになって、参拝の記録と参拝したという気持ちと一緒になって一致してくるわけでございます。現在はお参りされる方は、家族連れ、団体、会社を辞めた団塊の世代の方々や若い方が多いです。巡礼を発心(ほつしん)する人たちは、自分の思っていることを観音さんに願をかけて巡拝されます。巡礼を発心する方は、一遍ここへいって西国三十三箇所の一番だな、と行って感じとって初めて心を起こす人もあります。そうして詣っているうちには、やはり歴史、文化、環境、そういうものを感心しながら感激を持って西国三十三箇所をお詣りした、その喜びを日常生活に反映されていったら、私は嬉しく思うわけでございます。那智山では、みんな来たら、「あぁいい所だ」と言って感心して感激を持って帰っておられます。そういう喜びを持つことによって生命の大切さ、共生といって自然と我々はうまくあわして、生活させていく。そうして人に感謝しながら善いこと―「一隅を照らす」。我々の宗派は天台宗でございます。伝教大師が、今から千二百年前に天台宗を開いた発願の『山家学生式(さんげがくしようしき)』というのがあります。
 
一隅を照らす、これ則ち国宝なり(照于一隅此則国宝) 
 
という文句がある。我々はそれをもって社会のため、世のために頑張っているわけでございまして、観音さんの化身と思っております。今の家庭は、核家族で昔だったらおじいちゃんおばあちゃん、お父さんとお母さん、子供、孫、そういう方にして三家族ぐらい生活なさっていたのが普通であったわけでございますけれども、今は核家族がだんだんと離れていって、おじいちゃんとかおばあちゃん、お母さんとかお父さんが、家の仏壇に先祖を感謝し、朝は「今日はよろしく」。夕方は「今日はありがとうございました」とお詣りしている姿をあまり見かけないわけですから、世の中がこのように自分の欲望とか怒り、小言を持っていれば、人の命をお粗末にしたり、お寺の壁に落書きをしたり、お宮さんの壁に落書きをしたり、いろいろと文化財を壊していったり、傷をつけたりしておられます。那智山も、四百二十年前の建物でございまして、祈願寺を本宮、新宮、那智が熊野三山でございまして、そのなかで一番古い建物でございます。屋根はこけら葺きで、この那智の山の杉の木の材料を使って本堂が出来上がっており、四年前には世界遺産になりまして、熊野三山の霊場と熊野古道、そうして広い範囲では、大峯山と高野山と熊野三山がみんな含まれております。それが信仰の、和歌山県の信仰、吉野の信仰に繋がっているわけでございます。熊野三山は、千年前から神仏混合になりまして、那智は観音さん、新宮はお薬師さん、本宮は阿弥陀如来と言われてきました。阿弥陀さんは未来浄土へ引っ張って、引導を授けていただく仏様。観音さんとお薬師さんは、現代を守っていただく仏様で、平安時代、白河法王、後白河法王、亀山天皇まで三百年の間に、天皇さんであった法王の方々が、また皇后さんであった女院の方々が、二百回近くこの熊野三山へお参りされ、全国でも一番多くお詣りされたのが熊野でないかと言われております。昔は京都に都がありまして、宇治の中書島(ちゆうしようじま)から船に乗って、淀川を下り、大阪で船をおります。そこから九十九の王子をお参りをし、宿を取りながらお参りした熊野古道。それを田辺から新宮の方に向かって海側の方を歩くの大辺路(おおへじ)、田辺から山の中へ入って本宮へ向かうのが中辺路(なかへじ)。高野山から熊野三山へ参る、今の一六八号の道が小辺路(こへじ)。山岳の七十五の大峯山の行場が大峯修行の道場でございます。今でもうちの副住職が、二十年前に先代から言われて、「ここの山も修験道の行場の山であったから、君も吉野に向かって山の行をしてきなさい」。それが二十年経ちまして、最初は四、五人だった行者さんが、現在では二百人近く、一行で行をしながら七十五の行場をお詣りし、般若心経を唱えて供養しております。今その行者さんには、京都の聖護院(しようごいん)さん、大津の三井寺(みいでら)さん、醍醐の三宝院(さんぼういん)さん、三つの講の方々が来られて、八日には聖護院の山伏さんが六十人、お詣りされておりました。そして法螺貝を吹き、般若心経を唱え、九条錫杖経をお唱えして、那智の観音さんのお名前を唱えて、また次の別の道場に移るわけでございます。那智にはいろいろと滝があります。四十八の滝がある。その四十八が修行の道場になっております。修行の道場で那智のお寺の副住職が、今、寒に入りますと、那智四十八滝を二日半で、水に浸かり、身体を浄め、そして四十八を廻って、あぁ今年も詣れたなと喜んでおります。私も、西国三十三箇所をお参りしたのは、高校時代、比叡山の麓、坂本でお寺に下宿をさせて頂いて、土曜日、日曜日は休みでございました。「余所のお寺にお参りして来よう」と行って、西国三十三カ所のお参りのきっかけを作ったわけでございます。それだから、大津に居られた時は、三井寺(みいでら)、石山寺(いしやまでら)、岩間寺(いわまでら)(正法寺)、観音正寺(かんのんしようじ)、長命寺(ちようめいじ)、京都の方に行きますと、醍醐の十一番の札所上醍醐准胝堂(うわだいごじゆんていどう)、今熊野観音寺、六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)、清水寺(きよみずでら)、鳳凰堂(ほうおうどう)、行願寺(ぎようがんじ)、穴太寺(あのうじ)、まあそういう所をお詣りさしていただいて、ご縁を結ばして感謝をしております。西国三十三箇所のお寺さんは、昔は山の頂上が十一箇所。山の中腹が十一箇所。平地の楽なところに十一箇所と言われて、大変な行であった。その行をすることによって、楽あり、苦あり、やはり大変であって、われわれは西国三十三箇所をお詣りさして頂いて、良かったな、嬉しかったなぁと思い、家の中、家の周りに明るい灯をもしたわけでございます。そうしてその後京都の、私は三十三間堂の妙法院の本坊に下宿をさしてもらって、そしてまた京都の方でお参りし、家に帰って、昭和四十年に一度タクシーで一週間ほどで西国三十三箇所をお詣りさして頂きました。その時には、今まで行ってないお寺さんもありますし、お参りしたお寺さんもありまして、なかなか歴史、文化に感激をし、観音さんに般若心経を唱えて、あぁ良かったな、先ほど申しました、「六根」―眼とか、鼻とか、口、耳、身、意、浄めたなと帰ってきた。ところで、観音さんがお祀りされるところは、補陀洛山と言われまして、大変環境の良い場所でございます。周りの木が青々とし、那智山だと、那智の滝が目の前に現れてきます。サンスクリット語で「ポータラカ」と言いまして、「補陀洛(ふだらく)」と訳すわけでございます。インドにも、中国にも、日本にもあるわけです。インドはマラヤ山、そこが昔から「補陀洛山」と昔から言われてございます。中国では、上海の沖に「普陀山(ふださん)」という離れ島がございます。そこに観音さんがお祀りされて、そこも「補陀洛山」と言われている。ネパールでは、ポタラ宮殿ですね。そこにも観音さんがお祀りされてございます。インドの方も、中国の方も、ネパールの方もお詣りされている。巡礼することは、世界に巡礼がずっと執り行われて、日本では西国三十三箇所、四国八十八箇所、那智山とか、栃木県の日光は補陀洛山と申され、そこは観音さんのお住まいの場所で、日光も那智山も観音浄土。観音浄土として、観音さんのお住まいの場所でございますから、全国からお詣りさんが多いわけでございます。補陀洛とは、観音浄土へ目指し船出したとこが、四国の室戸(むろと)、足摺(あしずり)、熊野の那智の浜、房総(ぼうそう)半島、そういうところから、海の南方の彼方に、観音さんの浄土を定められて、そこに船に乗って、補陀洛渡海でございます。平安中期から江戸中期までの間に、大体千年の間に、この熊野地方の記録は、二十五回渡っておりまて、それにはたくさんのお供を連れて行ったときもあります。一人の時もあるし、そういうふうにして船で、熊野灘の沖に引っ張られて、綱切島(つなきりじま)という島がある。そこで綱を切られて、観音浄土を目指されたわけでございます。そういう補陀洛渡海に関するものは、この補陀洛寺のお寺に「熊野参詣曼陀羅」があります。「熊野参詣曼陀羅」の下の方に、小さい船で船出してる姿が描かれています。「熊野参詣曼陀羅」をもって那智山の説明とか、新宮の説明とか、本宮の説明を、その参詣曼荼羅でもって日本全国に回って熊野の信仰を弘め、また熊野へお詣りくださいと勧めて、そういうふうにして死者を仰ぎ、信仰を勧め、熊野三山へお詣りしてくれと。一生懸命熊野三山から絵解きで廻られたわけでございます。現在でもその絵解きをなさってる方があります。大変地元の方が勉強なさって、絵解きを説明して頂き、楽しく笑って帰っておられます。西国巡礼の観音様の心は、那智山は昔から聖地として、また修行の道場としてたくさんの方々がお参りしてます。その中でも信者さんの中で申しますと、朱印帳が真っ赤になるまで何遍もお参りして御印を受けている。そうして朱印帳に参拝の日にちを入れてもらってから、あぁ良かったな。今日もお参りできたらな。何回もお参りできた。そういう人が病気平癒とか、自分の体が丈夫で、観音様お守りくださいと言ってお参りする方、またご先祖様に感謝して、ご先祖の菩提を願う方々が、巡礼さんとしてお参りされてございます。巡礼さんは、いろいろな目的をもって、あぁよかったな、嬉しかったな、楽しい景色だったな、昔は旅行なんかできなかったもので、巡礼が旅代わりになったわけでございます。巡礼さんは、そういうことで、紀州の熊野へ参っていった。播州の円教寺へ参っていった。丹後の松尾寺、成相寺(なりあいじ)へ参っていった、という方が多かったのでございます。そういうことで、家に帰ってからの自慢話になるんですね。あぁ良かったで、楽しかったで、嬉しかったで、感激の話ばっかりで、苦しいことは一つも言わない。階段上ってえらかったとか、山を登ってえらかった。そういうことは一つも言わない。喜びのことを家族一同が話し合って、そういう良いことを学んで、そういうふうにして命を大切にし、それを守る心を取り戻していたものです。最近は、命を見失い、粗末にする傾向にあって、秋葉原の事件とか、親が子を殺したり―昔は親が子供を殺したり、子どもが親に逆らったりすることはなかったわけでございますけれども―そういうことが日本の中でも起こってきて、やはり私は、観音さんとか神様をお詣りして、感謝の気持ちをもって、「ありがとう」と手を合わすことが、巡礼の第一歩じゃなかろうかと考えている次第でございます。今、花山天皇さんが、お亡くなりになられて一千年でございます。花山天皇さんが、西国巡礼の中興として崇められいる。その西国三十三箇所のご本尊、普段扉が閉まって直接お参りすることはできません。今、九月一日から二年間で西国三十三箇所のご縁に合わして、ご開帳がされて、直接秘仏の仏さんがお詣りできます。また奈良の博物館では、西国三十三箇所のお持ちの信仰的なもの、技術的なもの、そうして寺の持っている国宝とか、重要文化財を出品し、西国三十三箇所の展覧会を見に行かれ、そうして三十三箇所をお詣り頂いたならば、嬉しく思うわけです。でそれが済ますと、今度は名古屋の市立博物館で西国三十三カ所の展覧会を開催しておりますから、そちらの方でまだご縁ある方はお詣り方々、出品物を見に行って、西国三十三箇所を是非お参り頂くことを念願している次第でございます。
 
     これは、平成二十年九月に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである