父の命を受け継ぐ
 
              京都女子大学教授・行願寺住職 普 賢(ふげん)  保 之(やすゆき)
 
ナレーター:  今日は、「父の命を受け継ぐ」と題しまして、京都女子大学教授で僧侶である普賢保之さんにお話いただきます。滋賀県彦根市にある普賢さんの寺には三本のカリンの木が植わっています。この木は、普賢さんが大分県宇佐市(うさし)の実家から種を持ってきて育てたものです。十一年前に亡くなった父への思いが込められています。親鸞聖人の研究をしている普賢さんは、人の生と死については、十分知識としては理解しているつもりだったそうですが、実の父との突然の死別により、父と過ごした日々の思い出が、走馬燈のように次々と浮かんできて、子どもを思う親心がよくわかるようになったと言います。それだけでなく、人のいのちについて深く考えるようになったということです。普賢さんは、仏教の教えをどのように受け止め、死別の悲しみを乗り越えようとしたのでしょうか。親鸞聖人の教えを基にお話いただきます。普賢保之さんは、一九五五年(昭和三十年)大分県生まれ、龍谷大学大学院博士課程を修了。本願寺派修学院卒業。現在は滋賀県彦根市の行願寺(ぎようがんじ)の僧侶を務めています。それでは「宗教の時間―父の命を受け継ぐ」京都女子大学教授普賢保之さんのお話です。
 
普賢:  私は、今から二十三年ほど前、縁があって滋賀県彦根市の行願寺へ入寺いたしました。私の生まれ故郷は、九州の大分県宇佐市(うさし)です。市とはいっても、日本昔話に出てくるような山間地域で、小さい頃は山の中を駆けまわっていました。行願寺へ入寺する前は、不安と頑張らねばという気負いで一杯でした。しかし、いざ入寺してみると、ご門徒の方々に温かく迎えられました。この地域は熱心な念仏者がたくさんいる地域です。おかげでその方々にここまで育てていただいたように思います。私が僧侶になったのは、最初から僧侶になりたくてなったのではありません。高校生の頃は、むしろ僧侶にだけはなりたくないと思っていました。私は、寺の次男として生まれ、跡を継がなければならないという責任もなく、自由な立場にありました。高校生の頃は、本堂で聞くご講師の話に何かしら違和感を覚え、反発し批判的にしか聞くことができませんでした。僧侶の話がどこか現実離れしているように感じていました。私の側に仏教に対する偏見があったのかもしれません。一方で、当時から自分は何のために生まれてきたのか。自分とは一体何なのか、といった問題意識も抱えていました。そうした問題の解決を、仏教が指し示しているとは思ってもいませんでした。それがいろんなご縁を通して、自分の中で結びつき、気がついてみたら、一番嫌っていたはずの僧侶になっていたのです。入寺してからの二十三年間を振り返ってみますと、いろいろな出来事がありました。その中でも強く印象に残っているのは、入寺早々仏教壮年会を中心にご門徒の方々が、大分の実家まで訪ねてきてくださったことです。その頃は、実家の父もまだ元気で、ご門徒との皆さんにわざわざ大分まで足を運んでいただいたことを大変喜んでいました。この訪問はご門徒の皆さんが、私を温かく迎え入れてくださった証でもありました。入寺した彦根の行願寺には、日曜学校があります。行願寺の日曜学校は私で四代目になります。日曜学校は、毎日曜午前八時二十分から始まり、九時には終わります。まず最初に「正信偈(しようしんげ)」をお勤めし、続いて法話をしています。その間子供たちは正座しています。法話が終わると、友達が楽しみにしている絵本を、私の連れ合いが読みます。絵本は必ずしも仏教に関係するものばかりではありません。最後にみんなで綱引きなどのゲームをして終わります。遠くから車で送り迎えをされている保護者の方もいます。こういった昔ながらの行いがこの地域では、今も続いています。私が入寺した当時の子供が、、今では親になり、その子供たちが日曜学校に通ってきています。しかし、行願寺のある地域も少子化の影響からか、子供の絶対数が少なくなっています。現在日曜学校にやってくる子供の数は、入寺当時と比べると約半数に減っています。寺の行事や学校の行事を除けば、ほぼ毎週行っています。地域に住む年配の方々も、小さい頃は日曜学校に通ったと懐かしく語ってくれます。日曜学校を継続していくには、保護者の理解が不可欠です。家族の方々の後押しがあってこそできることです。寺と各家庭の理解の中で培われた宗教的情操が、子供たちに及ぼす影響は計り知れないと、私は考えています。私が気づいたら、この世界に入っていたのは、実家の父の影響が大きかったのではないかと思っています。父は僧侶と高校の教師という二足のわらじを履いていました。僧侶と教師を両立させることは、並大抵の苦労ではなかったと思います。今から考えると、ずいぶんしんどい思いをしたのではなかったかと思います。しかし、父から私たち兄弟が、お詣りの手伝いを強制されたことは一度もありません。寺のことで、父から厳しく言われたことは、境内の掃除と法要の際に本堂で聴聞することぐらいでした。廊下の拭き掃除をサボった時には、すべてやり直しさせられたこともあります。しかし、こうした経験がなければ、私は決して僧侶になることはなかったと思います。その父も今から十一年前に浄土へ往生しました。当時私たち家族は京都で暮らしていました。週末に彦根の寺へ帰り、法要やお詣りの伝いをするといった生活を送っていました。父が倒れたとの連絡を受けたのは、平成九年五月五日、こどもの日でした。珍しく終日何の予定も入っておらず、家でくつろいでいました。昼から久しぶりに子供たちと桂川(かつらがわ)の河川敷にでも出かけようと思っていました。その矢先電話のベルが鳴ったのです。それは父が倒れたとの知らせでした。「詳しい状況は改めて連絡する」と言って電話は切れました。取り急ぎ荷物をまとめ、京都駅へと向かいました。駅の窓口でチケットを求めていると、再び携帯電話が鳴りました。電話の主である兄嫁の低い声から、すぐにおおよその見当は付きました。病名は蜘蛛膜下(くもまくか)出血、回復の見込みは無いとのことでした。いつかはこの日がやってくると、頭では分かっていましたが、それは現実のものとなったのです。新幹線と在来線を乗り継いで、ようやく父の収容されている病院へ辿り着きました。病院へ着くまでの四時間は、長くも感じましたが、気持ちをある程度整理するには、適当な時間であったかもしれません。私が父と対面した時、父は人工呼吸器の力を借りて、かろうじて呼吸しているといった状態でした。早速家族全員で主治医から病状の説明がありました。主治医の説明によれば、回復の見込みは全くないとのことでした。今晩は山であろうとの説明もありました。私は、父が倒れる二十日ほど前に、たまたま仕事の関係で実家に立ち寄っていました。その時は、父はいたって元気で、帰る際にはタクシーを使うからいいというのに、駅までわざわざ父の車で送ってくれました。いつもは私を下ろすと、すぐに帰ってしまう父が、珍しく電車が出るまで改札口に立って私を見送ってくれました。それは父の元気な姿の見納めとなりました。父が病院で息を引き取ってから、初七日が終わるまで、慌ただしいばかりで、父を偲ぶ時間などありませんでした。父には偏屈な面もあって、周囲に気を使わせることも度々ありました。私が家族を連れてはるばる京都から実家に戻ったというのに、自室からなかなか出てこないこともありました。周囲をいらいらさせることも度々ありました。そんな折には、父を恨みもしました。しかし、私が曲がりなりにもここまで来れたのも、父の存在があってこそのことだと思っています。私は兄と違い、学生時代から親のすねをかじるだけかじってきました。心配もずいぶんかけました。いろいろな思いが錯綜して蘇ってきます。その父もすでに浄土へ往生してしまいました。当時はなんともいえない脱力感に襲われたことを覚えています。今落ち着いて考えてみると、私は浄土真宗の教えに出会えて本当に良かったと思っています。もし出会えていなければ、父の死は後悔と落胆のみに終わっていたかもしれません。良い面も悪い面も持ち合わせていた父でしたが、阿弥陀仏の本願力によって間違いなく浄土に往生し、阿弥陀仏と同じ悟りを開いて、南無阿弥陀仏と共に今、私に働きかけ見守ってくれています。凡常の身にとって、別れはつらいものですが、死んだらお終いの世界とは違う世界があります。しかも、浄土から絶えず見守られているという安堵感もあります。親鸞聖人の主な著書である『教行信証(きようぎようしんしよう)』の教巻には、
 
謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の回向(えこう)あり。一つには往相(おうそう)、二つには還相(げんそう)なり。往相の回向について、真実の教行信証(きようぎようしんしよう)あり
 
とあります。つまり阿弥陀仏の働きには、往相回向、還相回向という二つの働きがあるというのです。まず往相回向とは、私たち衆生が浄土へ往生する因果のすべてが、阿弥陀仏の働きであることをいいます。また還相回向とは、浄土に往生し、阿弥陀仏と同じ悟りを開いたものが、迷いの世界に再び還りきて、苦しむ私たち衆生を救う働きを、阿弥陀仏によって与えられることをいいます。ですから、浄土へ往生したものは、阿弥陀仏と共に娑婆世界で苦しみの中を生きている私たちに向け、あらゆる形を通して働きかけてくれているのです。現代人が陥りがちな考え方かもしれませんが、自分を中心に考える死んだらお終いの世界とは、まるで違う豊かな世界があるのです。父のことを思うにつけ、諸行は無常だとも思います。百ヶ日法要のために実家に帰った際、母から聞いた話ですが、父は亡くなる前日の夕方、母とともに自ら車を運転して外出したといいます。帰りが遅くなったので、夕食を済ませて帰ろうということになったそうです。たまたま立ち寄ったお店が、父が教員時代の教え子の経営するお店だったそうです。その教え子の主人と懐かしく昔のことを語り合いながら食事を済ませ、午後八時前後に上機嫌で自ら車を運転して帰宅したといいます。ところが、それから二十四時間後には、父は棺に入れられて帰宅したのです。まさに諸行無常を実感させられる出来事でした。父はあと一ヶ月あまりで満七十五歳という時の往生でした。父方の祖父もほぼ同じ歳で、しかも同じような病気で往生しています。そんな話を母や兄、家族としていると、我が家の当時小学校三年生だった長男が、私に向かって、「お父さんもおじいちゃんの歳になったら死ぬの?」と尋ねてきました。息子からこのような質問をされるとは思ってもいませんでした。父の年齢まで生きられるという保証は全くありません。明日をも知れぬ命ではありますが、息子の私に対する問いかけは、死をいよいよ自分の問題として考えなければならないことに気づかしてくれるものでした。またこれからの限られた人生をどのように生きていくかということの問いかけでもありました。ある方から、親が元気にしている間は、死を意識しなかったけれども、いざ死なれてみると、突然死を意識するようになった、という趣旨のことを聞いたことがあります。まさにその通りだと思います。私も、これまで死は遠い世界の出来事であるかのように毎日を過ごしてきました。しかし、死こそ間違いなく、この私に訪れるものであることを、父の死を通して改めて思い知らされました。若くして病気や事故で亡くなっていく人もたくさんいます。自分もその中の一人となるかもしれないにもかかわらず、自分に都合よく考えるものです。たとえ百歳まで生きることができたとしても、死は間違いなくこの私に訪れるのです。この限られた人生を、どのように生きていくか、ということを示してくださっているのが、親鸞聖人の説かれる阿弥陀仏の本願です。阿弥陀仏の本願は、私たちのありのままの姿を照らし出してくださり、照らし出された私が、そのまま阿弥陀仏によって救われていくという教えです。「内省(ないせい)」という言葉がありますが、内省はあくまでも、自分が自分を深く省みることです。日常生活においては、内省も大切なことですが、内省では救いは得られません。私たちは自分に都合のいいようにしか自分を見ることができないからです。自分の目では、とてもありのままの自分など、見ることは出来ません。親鸞聖人は、『一念多念文意(いちねんたねんもんい)』という聖教の中で、私たち凡夫の姿を次のように示されています。
 
凡夫というは、無明(むみよう)煩悩われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず
 
つまり私たちの身には、無明煩悩が充ち満ちており、欲望も多く、怒りや腹立ちや嫉みや妬みの心ばかりが絶え間なく起こり、まさに命が終わろうとするその時まで、止まることもなく、消えることもなく、絶えることもない、というのです。これが私達の偽らざる姿だというのです。嫉み妬む心とは、嫉妬心のことです。日常使う言葉の中にも、「隣の家にも蔵が建てば腹が立つ」という言葉もあります。他人の成功を自分の喜びとしてなかなか受け止めることができないばかりか、妬ましく思ってしまうのです。「他人の不幸は蜜(みつ)の味」という言葉もあります。私たちは他人の自慢話を聞かされるのは嫌なものです。ところが、他人の噂話には耳を傾けてしまいます。私たちは、何と自己本意で、醜い心の持ち主なのでしょうか。しかし、阿弥陀仏の本願は、それが私たち凡夫の偽らざる姿と示してくださっているのです。私たちには自分の目を通しては、自分のありのままの姿など見ることは出来ません。例えば、自分のありのままの姿を見ようと思えば、表面に凹凸のない綺麗な鏡の前に立たなければ見えません。ところが、私たちが日頃やっていることは、自分の美しい姿を確認するために鏡を見ているようなものだと思います。美しい自分の姿が前提になっています。このような見方では、ありのままの姿が見えるはずもありません。この鏡の例えと同じように、自らのありのままの姿を映し出すのは、私たちのような真実からかけ離れた存在、つまり凹凸のある鏡によってではありません。真実なるもの、表面に凹凸のない綺麗な鏡でなければなりません。日常、私たちは、自分の姿を美しく映し出すために、鏡に凹凸をつけて、一時的な満足を得ているだけなのかもしれません。しかし、凹凸がある鏡に映し出された姿は、ありのままの姿からは遠くかけ離れた姿でしかありません。そこに本当の安心が生まれることはありません。阿弥陀仏の本願とは、浄土、つまり悟りの世界から、私たちを救うための働きとして姿を現した教えであります。阿弥陀仏の本願は、先程お話したような、自己本意な私たち人間が、作り上げた教えではありません。悟りの世界である浄土を根源とし、私たちを真実へと導く働きとしての教えなのです。その本願に照らされて、初めて私たちの本当の姿があらわになります。自己の本当の姿があらわになるところに、同時に阿弥陀仏によって収めとられている喜びがあるのです。それを親鸞聖人は、『教行信証』の信巻に、
 
悲しきかな、愚禿鸞(ぐとくらん)、愛欲の広海に沈没(ちんもつ)し、名利の太山(たいせん)に迷惑して、定聚(じようじゆ)の数に入ることを喜ばず、真証の証(さとり)に近づくことを快(たの)しまざることを、恥ずべし、傷むべし
 
と示しておられます。このお言葉の意味は、悲しいことに、私・愚禿親鸞は、愛欲の広い海に沈み、名誉欲や財産欲といった深い山に迷って、仏になることが約束された仲間に入れていただいていることを、喜ぶこともなく、真実の悟りに近づくことを、楽しいとも思うことができない。恥ずかしく、嘆かわしいことである、と言っているのです。最初に「悲しきかな、愚禿鸞(ぐとくらん)」とあり、最後にまた「恥ずべし、傷むべし」とありますから、このお言葉は、親鸞聖人がご自身の姿を悲嘆されたものと言えるでしょう。しかし、ここで大事なことは前にも話したように、このお言葉は、親鸞聖人の内省を表した言葉ではないのです。本願と出会い、本願によって照らし出された自らのありのままの姿なのです。しかも、このお言葉は、単なる悲嘆の言葉でもありません。「定聚(じようじゆ)の数に入ることを喜ばず」と言い、「真証の証(さとり)に近づくことを快(たの)しまざる」述べられています。喜ぶことができない自分が、本願力によって、正定聚(しようじようじゆ)の数に入れて頂き、真証の証(さとり)に近づけていただいていると喜ばれている言葉でもあるのです。仏教の目指すところは、仏になることですから、定聚(じようじゆ)の数に入ること、つまり信心をいただいた時に、成仏が決定(けつじよう)する正定聚(しようじようじゆ)の位につくことは、念仏者にとってこの上ない喜びのはずです。また「真証の証(さとり)に近づく」とあります。念仏者はこの生涯が終われば、必ず仏になることが決定している。一生不死の位の菩薩と同じく功徳をいただいているのです。本来喜ぶべきことを喜べない私が、そのまま阿弥陀仏によって収めとられていると喜ばれているのです。これは本願に出会った自身のありのままの姿であります。逆に言えば、本願に出会うことによって、煩悩を抱えた我が身であることが明らかとなり、本来喜ぶべきことも喜べない我が身が、阿弥陀仏の本願力によって、今、間違いなく収めとられていることを喜ばれている言葉でもあります。単なる悲嘆を現した言葉ではありません。本願との出会いには、ありのままの私が阿弥陀仏によって、そのまま収めとられるという喜びのあることを『教行信証』のこのお言葉は示しています。これは浄土真宗の救いと言えるでしょう。浄土真宗の救いは、阿弥陀仏の本願を通して、自身を見つめるところにあります。現代の苦悩は、自己中心的にしか物事を見ることができないところにあるのかもしれません。言い換えれば、自分を確かな存在として考え、他を批判的にしか見ることができないところにあるのかもしれません。浄土の問題についても、同じことが言えるように思います。自分を確かな存在として、浄土の存在の有無を考えているように思われます。親鸞聖人は、「浄土とは、迷いの世界を超えた悟りの世界が、私たち衆生を救うために、形を現したもの」それを浄土と示しておられるのです。私たちがあると思うから、あるといった世界ではありません。またないと思うから、なくなってしまうような世界でもありません。浄土の存在を論ずる場合にも、私たちが本願に出会うことなしに、浄土の有無を議論してもあまり意味がないように思います。今、この私が、本願の教えに出会って救われるという事実を通して、受け止めていく世界でしょう。本願との出会いを抜きに、浄土が存在するかどうかを論じても、本来の阿弥陀仏の浄土からは、かけ離れた議論になってしまうでしょう。実家の父も阿弥陀仏の本願力によって浄土に往生し、阿弥陀仏とともに、今この私を救うべく働いていてくれます。お浄土から今生で散々すねをかじられた我が子を温かく見守ってくれています。「南無阿弥陀仏」を唱えるところには、阿弥陀仏とともに父がいてくれます。父の存在がなければ、私はこの人生をどの方向へ向けて歩いていたか分かりません。彦根の寺の境内には、カリンの木が植えられています。当初は十センチ足らずの大きさでしたが、今では見上げるまでに大きく成長しました。大分の実家には、カリンの木が一本植えられています。その実から種を取り出し、発芽させ、父が渡してくれたものです。仕事で疲れて帰ってきたときにカリンの木を見ると、疲れも癒やされるのです。
 
     これは、平成二十年十一月十六日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」に放送されたものである