日本人の葬送儀礼
 
                 聖徳大学教授 長 江(ながえ)  曜 子(ようこ)
聖徳大学児童学部教授・同大生涯学習研究所所長、SOA(聖徳大学オープンアカデミー)校長、明治大学兼任講師、日本葬送文化学会会長。(株)加藤組・石匠あづま家代表取締役社長。高齢者支援NPOあかね理事長を務める。明治大学大学院日本文学専攻博士後期課程修了(修士)。共立女子大学大学院人間生活学専攻博士後期課程修了(博士・学術)。アメリカICCFA(国際火葬霊園葬儀協会)大学留学卒業。墓石・霊園行政の研究で世界45カ国を旅し、文化人類学的視点で比較研究するとともに、個人のお墓から霊園設計、納骨堂設計等、ライフプランニングの葬送アドバイザーを務める。日本のお墓研究の第一人者。
 
ナレーター:  今日は、聖徳(せいとく)大学教授の長江曜子さんにお話して頂きます。長江さんは、近代日本文学がご専門ですが、死者を葬るお墓や葬送儀礼についても詳しく、その研究を続けておられます。今日は、「日本人の葬送儀礼」と題してお話頂きます。
 
長江:  近代文学を専攻した私が、ぜお墓に関心を持ったかについて、お話をさせていただきます。家が墓石業で、その三代目に生まれたから、ということが一番の原因かもしれません。都立八柱(やはしら)霊園、千葉県松戸市(まつどし)にあり、昭和十年に開設された墓地です。約七万五千基の家族の墓石が建立されています。そこに三十九軒の石屋があり、その中に女性しか生まれなかった石屋が六軒ほどあります。その一軒が私の実家です。女性の三代目は、しかし私だけです。子供の頃は墓石業が嫌でした。家を継がなければならないということが宿命だったからです。石屋は男の仕事ということであり、死に近い仕事でもあります。そんな私が、二十二年前、一九八六年社団法人全日本墓園協会の欧州墓園使節団に参加することになりました。父、石屋の二代目が病気になり、右足首切断、左目失明で墓園協会の視察団に参加することができずに、「代理で参加するように」と言われたからです。欧州墓園視察団は、十日間の間、イタリア、オーストリア、スイス、イギリス、フランスの五ヵ国を見て回りました。毎日毎日、それこそお墓と火葬場を見る研修でした。ヨーロッパに行けるというような安易な考え方で参加したのに、実はお墓に魅せられてしまいました。そこでは土葬、火葬に違いがある葬られ方、宗教、文化、歴史の違い、そしてヨーロッパの人たちがお墓を大切にしている点、様々な点で興味がありました。その二年後、アメリカ合衆国へ単身赴いていました。世界に墓地を視察して、目から鱗の落ちる思い、お墓の研究は大変面白く思いました。先人の研究者のいない分野でしたので、夢中で調査研究を進めていくと、気がついてみると、世界四十カ国をまわっていました。特に現地調査は、アジア、南北アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリア、アフリカ等、それこそ世界中を回りました。そして日本全国は、一九九三年、社団法人日本青年会議所石材部会長をして北海道から沖縄まで全国各地を調査することができました。お墓を研究することによって、文化、宗教の違いがよく見えてくる。人々の死生観に深く関わる問題が、お墓の問題だと考えることにもなりました。現代日本のお墓事情や葬送儀礼は、少子高齢化や非婚化などの影響を大きく受けることも十分予想されます。現在は少子化によって、お墓の跡取り、承継者難が人々の不安をかき立てています。形態の違う永代供養墓や両家墓がそこに現れてきます。都市は墓地不足、そして地方は墓地の過疎という問題があります。戦後になって長男、長女が都市に流入した人々は、家族を作り、そしてお墓を作る時代になりました。地方のお墓の過疎というのは、お墓の引越し問題で、改葬や移転、そういうものが問題となってきています。家族の形が変化すれば、当然お墓も変わってくる。特殊出生率が一・三となり、二○○五年以降、五十歳以上の人口が五十一パーセントとなった現代、お墓について考えなければならない時代がやってきたのです。それでは外国のお墓との比較をしてみたいと思います。ヨーロッパでは、実はギリシャ、ローマの昔から、墓地は私たちが暮らすまちづくりそのものなのです。都市計画上、絶対必要な祭祀施設として、墓地が計画の中に組み込まれています。ヨーロッパは、福祉・行政サービスとして位置づけられています。アメリカ合衆国では、墓地はビジネス、デスケアサービス(Death care services:死への準備とお世話)、デスケアインダストリー(Death care industry:アメリカでは葬儀産業)でありますが、各州の墓地法によって使用者の権利を守る。墓地が破綻に対応するシステムがある。十分考えられた墓地システムを作っています。アメリカにおいては、墓地の永続管理に関する墓地の管理基金制度があります。しかし日本は都市に必要な祭祀施設といった位置づけが今一歩薄いのではないでしょうか。流入人口は受け入れても、その人たちが出口である亡くなった時に、お墓に対する不安がどうしても残ります。世界中を歩いているうちに、人類はお墓をつくる文化も、作らない文化もあることに気がつきました。バリ島のトルニャン、風葬の村の話をしたいと思います。一九九四年、バリ島にある休火山の湖。美しい湖の周辺の小さなトルニャンという村に参りました。そこには小さな墓地ですが、バティック(Batik:インドネシア、マレーシアのろうけつ染め布地)に包まれた風葬の遺体が、十一体になったら、一体目を洗骨し、頭蓋骨と大腿骨を祭壇に祭り、後は土に返す。自然の循環のシステムとも言える環境にやさしい墓地がありました。死者は村を守り、村のために後々の人々を守って、見守っているのです。ノルウェーのオスロ市にアルファセット墓地というところがあります。一九九○年と二○○五年に十五年の時間差を持って二回訪れました。ノルウェーのオスロ市は、死者の三パーセントの埋葬地を用意することが墓地法で決まっており、二十年の有期限の制度があります。自然石エリアは、土を掘ると七十センチで岩盤にあたってしまいます。それがために火葬した自然ではない葬法を行ったものを自然に返すような、沢庵石の可愛らしい墓石を、点々と置いた墓地を作りました。二十年後に承継者がいなければ、その沢庵石の墓石を取り払い、遺骨を中から出し、行政が祭祀をするという無縁にしないシステムです。そして十五年経った二○○五年に訪れましたら、墓石がそのようにいくつか取り外され、そして次に使う方に墓地をリサイクルしている姿を見ることができました。世界中には、土葬・鳥葬・風葬、弔いの形は様々あります。しかし死者を弔う心は一つだと思います。土葬の事例をお話したいと思います。ヨーロッパのイタリアは未だ八十パーセントが土葬です。それは宗教上の理由です。キリスト教の肉体を伴った復活のために土葬します。墓葬地に埋葬しまして、十年後改葬して小さな棺に骨を入れます。その骨を壁に、そして地下の墓地に改葬します。小スペースを心がけています。日本と同じく小さな国であるのに、土葬していても、墓地だらけになることはありません。鳥葬を行っているチベットの事例です。亡くなられた方が、一瞬でも早く魂が昇天するようにと願い、遺体をできるだけ細かく刻みます。鳥がそれを啄み、魂が昇天します。送る側の人々の家族の願いというものが、そこに現れています。散骨も一つの葬法と言えると思います。弔いの形は様々でも、死後の世界に安らかに旅立ってほしいという送る側の願い。心はひとつではないでしょうか。お墓はとらえどころがないようなものですが、世界中の人々がかけがえのないものとしているということを、世界四十カ国を回り、実感させられました。かけがえのない家族、人間関係の形が現れる場所が墓地なのだと思います。墓参の風景を少しお話したいと思います。イタリアのローマ市営墓地の門前に、多くの花屋さんがあります。イタリア人は、頻繁に墓参する民族でもあります。切り花、生花が非常に美しく、日本と同じく菊が売られています。その切り花は、墓参の際にたくさん手向(たむ)けられています。ドイツやオーストリアは、墓地の門前に切り花だけではなく、プランターが売られています。その花屋さんで、四季折々のプランターを買い、ガーデニングを楽しむように墓地に植え替えています。墓地に如雨露(じようろ)が置いてある事例も見ることができました。それではお墓とは一体なんだろうか、という疑問が浮かんできます。実に難しいテーマですが、本当はシンプルな答えが返ってくるのではないでしょうか。「人間だけがお墓を作る。お墓は文化行為である」この言葉は、養老孟(ようろうたけし)(解剖学者。東京大学名誉教:1937-)さんという解剖学者であり、そして様々な多くの著述をなしている先生ですが、『脳と墓』という本の中に書かれた言葉です。動物はお墓を作りません。当たり前の真理なのですが、思い付かない本当に大切な言葉だというふうに思います。死者と生者が交流する空間。命を感じる空間。命を感じるそういう時間を、私たちに教えてくれるのがお墓であるというふうに思います。私の恩師・大岡信(おおおかまこと)さんは、墓碑銘という墓石に刻まれた言葉をとても大切に思っておられます。墓地は死者と生者が語り合う空間で、癒しの空間です。日常から離れたところで、自分の心に向き合います。そこでは命を感じる空間でもあります。墓石には実に多くの墓碑銘、メッセージが語られています。洒落た墓碑銘でなくても、なんのへんてつもない和型三段墓(三段墓は下から「天・地・人」を表し、それぞれに一族の繁栄を願う意味合いがある)であっても、正面に家の名前、家名が彫られ、脇には亡くなられた先祖の名前が彫られ、そして戒名が刻まれています。亡くなられた時期もわかります。裏には建立者と家の歴史がわかるように書かれています。現代では、自分らしい文字、生前に、あるいは亡くなる前に自分の墓について刻んでいただきたい言葉を、遺言のように残している人たちがいます。現代のお墓が、例えば和型でなく横型の洋型墓石とか、デザイン墓石になると、言葉とか形が自由になります。辞世の句を彫ったり、個人詩を書いたり、あるいは「お参りありがとう」という言葉を彫られた方もいます。「お参りありがとう」と彫った事例ですが、実は生前におばあさんが自分自身の墓を建てるときに、こう思いつきました。私のかわいがっている孫たちが、私が死んだ後にお参りに来てくれた時に、私はお墓の中にいる。声が出ない。それだったら、お墓に「お参りありがとう」と刻んだらどうだろうか。思いついたことを実行されました。形の自由さという中に、ただデザインを、奇(き)を衒(てら)ったものにするとか、そういうことではなくて、自分自身の思いを形に変えた人たちもいます。自衛官でファントム戦闘機に乗られているいた夫が事故で亡くなりました。奥さんは、亡くなった夫が、とても大好きだった空をイメージした墓石を作りたいと考えました。下総航空基地にある、すぐ側にある墓地を選びました。ファントムがいつも飛んでいます。墓石にもファントムを飛ばしてほしいという要望がありました。横型の墓石ですが、そこに石で形を作り、下のところの基石に三本の線があります。妻と二人の子どもたちの思いがそこに刻まれています。空をイメージするために、墓石はランヘリンというフランスのブルーの色味がかかったとても美しい墓石を作ることができました。お墓はお参りしてやっと完成するものではないでしょうか。お墓は大きいとか小さいとか、高いとか安いかなどの世間的な価値観よりは、お参りをして完成すると、あたしは考えています。どんな立派なお墓を作っても、亡くなられた方に会いに行くことがなければ完成しないのではないでしょうか。お墓は心の交流の場と考えられます。その上で、遠方ではなかなかお参りにいけない。病気中ではいけないとすれば、お墓を自分の居住地に近いところに改葬し、墓参するようにできるように変えることも、一つの方法ですし、毎日仏壇や目を閉じて心の中で手を合わせることも、故人に会うという一つの方法ではないでしょうか。亡くなられた方の思い出話などを通じて、先祖を敬ったり、命の大切さを背中で示せる場でも、お墓はあるのです。子供にその心を伝えるためにも、是非家族で行ってほしいと思います。海外のお墓参りの事例の二つを紹介したいと思います。一つはイタリアの例です。イタリアのお墓に調査に行った折に、こういう光景が目につきました。写真を陶板に焼き付けたものがお墓についているのです。お参りをされているおばあさんに、「何故ついているのですか?」と伺いましたら、「おじいさんの死後生まれた顔を知らない孫もいますので」と言っておられました。写真を示して、おじさんの顔を教えるということではないでしょうか。もう一つは、アメリカの事例です。アメリカは、未だに約七十五パーセントから八十パーセント土葬の国です。土葬と言っても、壁に棺をそのまま入れる形のものがあります。モーソリウム霊廟形式といいます。遺体を血液と防腐剤を入れ替え、エンバーミング(embalming:遺体を消毒や保存処理、また必要に応じて修復することで長期保存を可能にする技法 。日本語では遺体衛生保全という)します。そして棺を壁の中に入れます。私がそのモーソリウム、ニューヨークのある墓地に行った折に気が付いたことですが、クリスマスの時期でありました。モーソリウムの石の壁のところにクリスマスカードが付けられていました。「亡くなられた方なのに、なぜクリスマスカードをつけるんですか?」。あるいはポインセチア(日本では11月から12月ごろに茎の上にある葉が赤や桃色や乳白色に美しく色付く。クリスマスが近くなると花屋に鉢物が出回ることから「クリスマスフラワー」とも呼ばれる)が置かれていましたので、「どうしてですか?」というふうに伺いましたら、「亡くなられた方に対するクリスマスカード送ってもいいのよ」。あるいは「父の日、母の日に墓参するんだ」というようなことを伺いました。亡くなっている故人に対しても、「自分の大切な家族である。先祖である」という気持ちで生きているかのごとく、会いに行く空間が出来上がっています。特にその墓所は、室内型の霊廟形式の墓所でしたので、中にベンチが置いてあり、ゆっくりと墓参を楽しむことができます。なんと素敵なことであるだろうか、というふうに思いました。日本の私たちも、近年お墓参りに行っていないと、多くの方々が思われると思うのですが、都立八柱霊園で墓参についての調査をしてみたことがあります。春・秋のお彼岸、新旧のお盆、そういった時に、シーズンが終わった後、五日ぐらい経ってから調査をします。お花をあげてあるもの、樒・榊をあげてあるもの、お線香あげた形跡のあるものをカウントします。平均すると、六十五パーセントから七十パーセントの方々がお参りに来ています。ただ残念なことに、子供連れというのは年々少なくなっています。核家族化の現れでしょうか。子供たち、あるいは孫たちと一緒に住んでいない、墓参する方々の高齢化というのが、そこには表れていました。私自身二十二年間、お墓の研究を続ける中で、昨年やっと「人間の死後生活空間としての墓地の永続管理に関する研究」という博士論文を纏めることができました。文学的な視点と都市祭祀施設という二つの学際的な研究をまとめることができたのは、人間が亡くなられた先人を大切に思い、お墓に人々の死生観を表現してきたからという、実に深い真理がそこにあったからです。お墓を研究して、初めて実は近代文学を専攻していたのに、二十二年もお墓を研究し続けてしまった。脇に逸れたかと思ったのですが、文学が別の角度から読むことができることを、気が付くことにもなりました。実は夏目漱石の『こころ』という作品についての読みが違ってきました。夏目漱石の『こころ』は先生が主人公でありますが、先生と私の視点で読まれることが多いです。先生が、実は自殺した「K」のために血が繋がっていないにもかかわらず、雑司が谷(ぞうしがや)に「K」のお墓を作り、お墓の意味、心の絆、相手を大切に思うそういう気持ちを持って「K」のお墓に毎月命日になると、墓参をし続ける、そういった場面が出てきます。相手を忘れない、メモリアリゼーション(追悼)の意味が、そこの中に込められていると思います。先生はその後、数十年後に自分自身の死を決意する。そこに至るまでの心の軌跡というものが、「K」とのお墓を仲介しての、お墓を装置としての心の交流というものが、ベースになっているのではないかということが、初めてお墓を研究し続けてきて、墓参ということの意味がわかって、その文脈が読めるようになりました。墓を通して文学が違って読めたのです。人間は誰でも生きている間に自分の生まれてきた意味を知り、死によって次なる世に旅立っていく存在です。そんな存在であることを、自然に教えてくれるものがお墓であると思います。ぜひみなさんもお墓参りということをもう一度考えてみていただけたらと思います。さらに文学がまた違った形で、お墓を通して読むことができる、そんな体験をしました。私の修士論文は、正宗白鳥(まさむねはくちよう)(明治から昭和にかけて活躍した小説家、劇作家、文学評論家。本名は正宗忠夫(ただお):1879-1962)という自然主義作家の修士論文でした。明治大学大学院で学んでいた頃には、文学と宗教の関係しか目に見えませんでした。しかし、その当時から不思議に思っていたことが一つありました。正宗白鳥は長男なんですが、岡山出身で、岡山に墓を持ち、そして多摩墓地にもう一つの墓を持っています。それは何故なんだろうかということがわかりませんでした。しかしお墓について研究を進めていく中で、白鳥の気持ちがわかってきました。白鳥はいくつかの短編小説の中で、肉親の死、父親の死、そして母親の死、そして自分より年下の弟二人の死を、四つの作品に描いているのです。その中で一番年の近い正宗敦夫(あつお)という研究者、日本の古典文学の研究者の大変有名な人なんですけれども、弟は岡山の実家を守るために、岡山を出ることができずに終わります。白鳥は、自分自身が若い時にキリスト教帰依し、そして自らキリスト教を捨てたと書きながら、最後に八十四歳で癌で亡くなる時に、キリスト教に立ち返ります。自分より二年ほど前に敦夫が亡くなるのですが、敦夫の墓を白鳥自身が見ながら、様々なことを想像します。弟もキリスト教に帰依し、亡くなっています。白鳥は、その岡山にある少し小高い所に位置する寺墓地なんですが、そこに立つと、目の前に瀬戸内海が美しく見えます。白鳥自身は、家族と一緒に眠る場所をとてもこよなく愛し、自らがお金を出して、正宗忠夫・つ禰の墓という夫婦二体で一つの夫婦墓を作ります。しかしそれより前に、白鳥自身は、多摩墓地に正宗忠夫家の墓という、大変珍しい名前の墓を作ります。これは妻が白鳥自身の実家に馴染めなかった、そういうような思いをちゃんと受け止めて、妻と自分の墓を多摩墓地に作ります。一人の文学者が二つの墓を作っているのです。
 
     これは、平成二十年十一月三十日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである