一所懸命わが道を開く
 
                 壺阪寺住職 常 磐(ときわ)  勝 範(しようはん)
                 き き て 入 江  憲 一
 
ナレーター:  今日は、「一所懸命わが道を開く」と題しまして、お里(さと)沢市(さわいち)の「壺坂霊験記」で知られる奈良県高取町(たかとりちよう)にある壺阪寺(つぼさかでら)住職常磐勝範さんにお話をいただきます。常磐さんは、二十六歳の時アメリカのネブラスカ大学の大学院で植物遺伝学を学んでいる最中に、突然先代の住職である父親が末期癌であることを知らされ、急遽帰国。父の死がきっかけで寺の跡を継ぎ、住職としての道を歩んできました。先代の住職常磐勝憲(ときわしようけん)さんは、お寺の住職としての仕事のほか、眼の不自由な人を対象とした老人ホームの運営や社会奉仕の面にも力を入れていました。そのために住職に就くと同時に、それらの多くの仕事をそのまま受け継ぐ形になりました。常磐勝範さんは、一九六二年(昭和三十七年)生まれ、四十六歳。二十七歳の時、住職に就任。その年に、財団法人アジア・アフリカ国際奉仕財団を設立。平成十二年には、特別養護老人ホーム・ケアハウスを新設。そして去年の秋に、石造りの大仏を建立するなど、しっかりとした足取りで住職としての自らの道を開いてきました。住職の道にはマニュアルがないと常磐さんは言います。その歩んできた道とは、どんな道なのでしょうか。今日は、「一所懸命わが道を開く」壺阪寺住職常磐勝範さんのお話です。聞き手は入江アナウンサーです。
 
入江:  常磐さん、住職としての修養と言いますか、準備をされていて継がれるようなことではないように伺っていますが。
 

 
常磐:  はい。一応全然違う道を歩んでいましたので、アメリカの大学院で植物遺伝学の勉強しておったんですけども、母と医師からですね、「父親は末期癌である」ということを聞きまして、それで「決心しろ」ということになりまして、それで急遽大学を休学して、日本に帰ってきて、非常にインスタントな修行をさしていただいて、そして父親の死を僧侶となった自分で迎えさしていただいたような形になっているんですよ。
 
入江:  その遺伝学というのは、一見するとまったく仏教とはちょっと縁遠いようなそういうふうな印象を受けますよね。
 
常磐:  そうですね。まぁただこういうのを選ばさせてくれたのも父親だったんですけども、どういうわけか知りませんけども、「こういうふうな勉強があるからどうだ」というふうなことは父親から一つアドバイスを受けたことはありますけども。
 
入江:  そうですか?
 
常磐:  ただ、僧侶になって欲しかったのかどうか、その父親の深い心はわかりませんけども、たぶん世界中で仕事を出来るのは、こういう仕事のほうがいいんじゃないかという、当時の父親の判断もあったんじゃないかなと思います。
 
入江:  常磐さんのお気持ちの中に、将来この寺を継いでいくんだ。お父さんの跡を継ぐんだという気持ちはその時はどうだったんですか?
 
常磐:  うーん、ほとんどなかったと思います…なかったですね。ただ正直言いまして、一パーセントぐらいは周囲の者がそういう目で見ますので、しないといけないのかなとか、でもその割には父親の跡というのはちょっと難しいなとか、逆に嫌だなとかいうふうな思いは強かったですね。一応好きな道といいますか、いろんなある程度大学も博士課程まで行っていましたし、まぁ自分なりに努力して、これで自分のある程度の職も得られるだろうし、まぁある程度この道で、また大それたことは思いませんでしたけど、一応世界をいろんな形で歩けて、自分の力で生きていけるかなというふうな、一つの目途と言いますか、要するに一つの自分の基礎ができた時でしたので、後ろ髪を引かれるとまでは言いませんけど、嫌だなぁと思いながら帰った覚えがございますね。
 
入江:  自分が思ってたのと、これからと進む方向が変わってしまったわけですね。
 
常磐:  そうですね。予想外と言いますか、そういうふうな道を急に与えられるし、またこういう宗教界という一つの非常に古い伝統をもたれているところですので、全く今までそういうところに―父親がそういうもんでしたけども、全く触ったこともなければ、見たこともなかったので、未知との遭遇と言いますか、未知の体験をしにいくわけですので、またある程度勉強していれば自分の中にもそういう気持ちがあったかわかりませんけど、まったくもう本当に「DNAだ、RNAだ」ばっかり言っていた人間が、急に般若心経(はんにやしんぎよう)の世界になるわけですので、本当にそれはあの時―今だからこそ話せますけど、飛行機の中で何か悶々として帰った覚えがございますね。
 
入江:  お父様の具合がよくない。その跡を継ぐことになった。どんなお気持ちだったですか?
 
常磐:  父は非常にいろんな仕事をしていましたので、またいろいろとこういったらなんですけど、有名人の父親でしたので、この人の跡を継ぐというのは、正直言って本当に雲をつかむ話というのは、こういうことなんだなという思いが、自分の中でどうやってこれを消化すればいいんだろうと。どういうふうなことをしていけばいいんだろうということを、悶々と毎日考えていた覚えがございますけども。
 
入江:  先代のされていた取り組みですね、簡単にお話いただきますと、どんなことをされていたんですか?
 
常磐:  まず一つは、この壺阪寺の伽藍のいろんな復興の事業。それと壺阪寺のご本尊さんというのは目の観音様でございますので、そのご縁から始まった社会福祉事業―盲人福祉事業ですね―を推進していましたので、そのことが一つと。それからまたインドでのハンセン病の患者の救済活動という、この三つの大きな柱がありまして、それを一人でずーっと采配していましたので、そういったことで非常に大きなことをしているなということは、子供としては思っていましたけども。またいろんなご法話と言いますか、全国いろんなところにお説法もしていましたし、ときには海外でも法話の機会があるということで出張もしていましたので、だから、ちょっと皆さんが思う坊さんの枠をちょっと越えていたんじゃないかなというふうに思いますけども。
 
入江:  そうした取り組みも含めて、跡を継がれていったわけですか?
 
常磐:  そうですね。一応そこに父親のそういうふうな事業に頼っている方が、大変大勢おられましたので、またそれを生活の糧にされている。それからそれを非常に精神的な柱にしている方がおられましたので、これを父親が亡くなったからと、これをすぐパッと止めるというわけにもいかないと思いましたので、それでどうにかこうにか自分の全くそういったことを教えてもらってなかったんですけども、父親の遺品の中のメモを本当に刑事のような気持ちになって整理して、いろんなことを、こういうことを考えていたんじゃないか、こういうことを考えていたんじゃないかなと思いながら進んでいたように思います。
 
入江:  やり方だとか、なんとかという全くご経験のないことをいきなりやらければいけなかったことと思いますけれども、一番難しかった、苦労されたというところはどんなところでしょうか?
 
常磐:  いろんなとこあったと思いますが、これは本当に父親の思いに適(かな)っているんだろうかということを考えるときに、一番苦労したように思いますね。だからすべての事業を始めたのは父親でございましたので、その父親の思いに本当にかなっているだろうかと。もし本当にそういう能力があれば、本当に死後の世界で父親に会って聞きたいなと思ったことは何度もあります。非常に目のご不自由な盲人の方々の福祉事業として養護盲老人ホーム慈母園という施設を境内で始めましたので、当時非常に批判も浴びた事業でございましたけど、それを一人やり抜いたわけですので、だからそういう思いが、どういう思いだったんだろうかというふうなことをほんとに考えながら進んでいた覚えがございますけども。
 
入江:  周りの支援者とか、関係者の対応といいますか、いかがだったんですか?
 
常磐:  本当にありがたく思っております。なんか父親が一生懸命お付き合いし、またいろんな人とご好意を交あわさしていただいたおかげで、私もこういうことができるんだなということをつくづく感じさしていただいていましたし、本当に二十代の私を本当に温かくいろんな方が受け止めていただきましたので、本当に父親の「遺徳(いとく)」という言葉がございますけども、「遺徳」という言葉を本当に肌に感じてさしていただいたと思います。
 
入江:  常磐さんご自身も財団法人アジア・アフリカ国際奉仕財団を設立されたり、あるいは新たに特別養護老人ホーム・ケアハウスを新設されたりと、次々に意志を受け継いで新たな事業を取り組まれましたですね。
 
常磐:  本当に父親が生きていたらやっていたんじゃないかなと、やらさしていただいていたんじゃないかなということを、まぁ父の姿を思い浮かべながら考えさしていただいた事業ばかりなんですけども。
 
入江:  平成十九年十一月、つい先日ですけれども、石造りの大仏の開眼法要になりましたですね。
 
常磐:  はい。これもインドでのハンセン病救済活動のご縁から始まった石の事業というのがございまして、そのご縁から大きな観音様も昭和五十八年開眼さしていただいて、そういう一連の流れとして、また今度大きなお釈迦様の像を造らさしていただきました。これは本当に父親のやっていた仕事をできるだけ多くの人に参画していただいて、長く続けさせようと思って始めた仕事なんですけども。
 
入江:  ただお父様が亡くなられて、そういう遺志を受け継いだ事業を、次々に実行されるということは、並大抵のことではなかったかと思いますけども、お父様の遺志に、今になってこんなことに気づくとか、お思いになるということは何かございますか?
 
常磐:  そうですね。遺伝学のことはアドバイスを受けましたけども、他は一切アドバイスというか―忙しかったのもありますけども、非常になんか細かい教えというのは全くなかったんですね。家へ帰っても、ただ「人に優しくしろ。自分に厳しく。優しくされるような人間になれ」と。とにかく「人に優しくするために、お前たちは勉強するんだ」ということを言われましたね。「勉強しなさい。力をつけなさい」ということは常に教えられていたと思います。本当に二、三のことしか教えてくれなかったんですね。中学校の時、それを聞いても、何を言っているんだろうかと。何のためにそんなことを。それよりもっとこういうことを教えてくれと思ったこともあったんですけども、そういうことは一切教えてくれなくて、ただ「優しくしろ、人に優しくしなさい。優しくするために、あなたたちは力をつけなさい。こうしなさい」ということの教えしかなかったものですから。あの時、全然わからなかったんですけども、「人に優しくする」ということを一つの仕事の原点に置けば、父親の考えていたことがすべて分かってくるということが、今はこういうふうにいろんな大きいお仕事をさしていただいていても、そういう人というものを、優しさということを基本においていくと、すべてが解いていけるような感じがいたしまして、これは本当に理屈で、言葉でも教えようにも、教えられなかったんだなと。理屈の世界じゃない。本当にこれは人間の道として、いろんなものを考えていかないといけないことの教えだったんだなということが、今ちょっと分かりかけているような状態だと思うんですけども。
 
入江:  常磐さんご自身は、説法の中で「道を歩く」ということをおっしゃるそうですね。これはどういうことなんでしょうか?
 
常磐:  よく我々の世代で、国語の時間にですね、高村光太郎(たかむらこうたろう)(詩人・彫刻家:1883-1956)の『道程』という詩がございまして、「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」という出だしで、大体期末テストや定期テストの時に、暗唱させられた詩じゃなかったかなと思うんですけども、それをこういう立場になって説法しないといけなくなったときに、この詩をパッと見たんですね。そうしたら、まさしくこの「僕の前に道はない」というのは、本当に私も、父親が亡くなって、本当に父親の背中の後ろで、ずーっときていましたから、家にも帰ってきませんし、海外ばっかり行っているし、本当に父親の背中しか見ていない私でした。本当に父親の指といいますか、教えてもらった記憶というのはほとんどないので、その背中の人がいなくなった途端に、本当に自分の前に道がなかったんですね。何をすればいいのか。この二十後半のものが、何をこの大きなお寺も、あるいは大きな仕事をどうすればいいんだということを考えたときに、本当に自分の姿はこの詩の中にあったんですね。それで、じゃこの道というのは、どういうもんだろうということを考えていくと、道というのは本来あるんじゃないかと思っていても、やっぱりだれも歩いたことがないのが人間の道なんですね。誰も歩んだことがないのを人間の道として、一人ひとりの人生と歩まないといけないことがあるんですけども、今はそういう考え方でない方も大変多いと。非常によくエリートコースだとか、なんとかコースという、そのコース、要するに人が歩いたコースを歩んで、みんな納得しているような世界が非常に今あるので、この私のつたない経験でございますが、本当に自分で道を求め探していく気持ちで歩いていけば、みんながもう少し手をつないで、あるいは苦しい人と一緒に苦しみながら、あるいは喜んでいる人と一緒に喜びながら歩いて行ける道ができるんじゃないですかということを、ご法話で説くようにさしていただいているんですけども。だから「道」という言葉が、今は「方法」になっちゃっているんだと思うんですね。方法論。父親が私たちに教えようとしたことは、人生にはいろんな方法があるでしょうけども、その探し求める心というんでしょうかね、道を求める心をもう少しみんなが持っていけば、本当に手を携えながら、あるいはいろんな人と、苦しんでいる人とも一緒に苦しみながら、また喜んでいる人とも一緒に喜びながら、皆がそういうふうな気持ちになればいいんだろうなということを、仕事の根本にあったんじゃないかなというふうに思うわけです。
 
入江:  「道を求める」といいますと、どうやっていいんだろう。ちょっと大げさに考えてしまったり、悩んでしまったりする人もいるかと思うんですけども、例えばどんなことでしょうか?
 
常磐:  やっぱり些細なことから始まっていくんじゃないかなと思うんですけども。私は、慈母園という、先ほど眼の不自由なお年寄りの施設がお寺の境内の中にあります。父親が開設した施設なんですけども、そこにいろんな方―途中で失明、光を失った方、あるいは原爆の光で視力を失われた方、いろんな方がおられるんですね。その人たちの中でちょっとお話を紹介しますと、先ほど申しました原爆で光を失われたお年寄りの方―女性なんですけど―私にバレンタインのチョコレートをくれるんです。少なくとも六十年以上前に失明された方なので、その当時バレンタインのチョコレートなんかの風習なかったと思うんですけども、でも寮母さんからその風習を聞いて、みんなの男性職員にもチョコレートを配ったりされた時もございますけども、そうやって何か常に人に優しさを与えていこうというふうな、何かをこうされていると思うんですね。本当に些細なことかもわかりませんけど、常に何かを与えて、人に優しくしていこうということを、我々が心がけていけば、人としての道というのは、どんどん開けていくんではないかなということを、いつも私もこうやって道を説く割には、悩みが多い人間でございますので、そういう時にいつも光を失ったお年寄りたちが、何を考えて生活されているのかなと見ていたら、本当に勉強になることがございます。仏教の中に「一所懸命」という、本当に一つのとこを一所懸命頑張るという言葉がございますけど。「一生」でなくて、「一所」一つの所で一所懸命頑張る。そういう姿が、今尊ばれないといけないんですけども、なんかこう違う、もっと楽な方法はないかとか、いやここへ行けばいいんじゃないかとか、そういうなんか違う情報ばっかりが流れてきて、なんか人が、さも他に道があるような言い方をみんな考えてしまいますので、そうでなくて、今生きているところが自分にとって大きな道なんだということを、人間が誇りを失いかけているのが、今の世の中かもわからないなというふうに思いますけども。今のところで頑張る。今の所を感謝するという心を、もう少し皆が考えていくことが必要じゃないかなというふうにいつも思いますけども。その基本になるのが、その人に温かみを与える、人に優しくするということを、一つの自分の大きな、それ本当に小さなことかもわかりません。人に挨拶をする。あるいは人に何かこう声をかける。あるいは笑顔で交わす。そういうことから始まっていくんじゃないかなと思うんですけども。大それたこと、人間出来ないと思うんですね。みんな大それたことが、また楽な方法につながるんじゃないかなと思って、いっぱい今背伸びして、いろんなことをされているような世の中になってしまっている。それも楽な方へ楽な方へということになってしまっているんじゃないかなというふうに思うんです。いつも眼のご不自由な人たちの生活を見ていたら、本当に、あるいは知的な障害を持たれている方のお世話をさしていただいているんですけど、本当に懸命なんですね。今生きていることが懸命。そのとこに姿を見せて、それでなおかつバレンタインのチョコレートをみんなに配ったり、あるいは番犬のお世話をしたり、あるいは花のお世話をしたり、ほんとには自分たちが何か出来ることないか、といつも言いながら、生活されているとこを見ていたら、本当にあの人たちの懸命さというのを、われわれはもっと学ばないと。もう少し人のことを考えていかないと、何かいけない社会になっていくんじゃないかなと常々思っておりますけども。
 
入江:  仏教の教えの中に、そういう道を歩く。どういうふうにしたらいいんだという教えは無いわけですか?
 
常磐:  「八正道(はつしようどう)」と言って、八つの項目を挙げて、いろんな道を説かれている。要するにどういう道を歩け。八つの道があるという説き方でなくて、どういう心構えで我々が過ごしていかないといけないか、ということを、説かれている教えがございまして、ちょっとご紹介さしていただきますと、
 
一、正見(しようけん)―正しい見方(自己中心的な見方や、偏った見方をせず、正しい物の見方を心がけること)
一、正思(しようし)―正しい思い(むさぼる心や怒りの心、我を押し通す心を捨て、すべてを正しく、大きな心で考えること)
一、正語(しようご)―正しい言葉(うそ、二枚舌、悪口、でまかせな言葉のない正しいものの言い方をすること)
一、正業(しようごう)―正しい行為(意味なく動植物の生命を絶つ、盗みを働く、道ならぬ男女の過ちのない正しい行ないをすること)
一、正命(しようみよう)―正しい生活(世の中の為にならないことや、人の迷惑になることをせず、収入を得て、規則正しい健全な生活を送ること)
一、正精進(しようしようじん)―正しい努力(自分がめざす正しい目的や目標に対して、一途に努力しつづけること)
一、正念(しようねん)―正しい記憶(常に正しい心をもち、正しい方向に心を向けつづけること。物事の現象にとらわれないで常に真理を求める心を忘れないこと)
一、正定(しようじよう)―正しい注意(心をいつも正しくおいて、周囲の変化によってグラグラ動かされないようにすること。精神を統一して心を安定させること。心の動揺をはらって、安定した迷いのない境地に入ること)
 
この八つの教えを我々に説いて、我々がどういう心構えで生活しないといけないかということに説かれています。要するにいろんな道―この道あの道じゃなくて、どういう考え方でわれわれは過ごさなければいけません。どういう心構えで過ごさなければいけませんかということを、我々に示している教えでございます。でも、私も、どの道、この道あの道と教えてくれないと、なんか損したような気分になりますけども、そうじゃなくて、常に今を考えて、今の自分の心をどうやってもっていくかということを説かれている教えだと思います。今、われわれもこうやって、いろんなご法話していても、「じゃあどこに行けばいいんですか?」「どういうふうにすればいいんですか?」と、今、非常にみなさん答えを求めたがります。だから八正道の教えでも全部プロセスでございまして、答えを教えずに。でも、答えがないのが、また人間でございまして。父親から本当に全然答えを教えてもらえませんでした。「こうすべきだ、ああすべきだ」と一切教えてもらえません。ただ「人に優しくしなさい。人に優しくしなさい。優しくできたことを感謝しなさい」ということを、常に帰るたびに言われていましたので、今このお釈迦様の説かれた八つの教えを、全く父親が私に姿として、行いとして、また一つの言葉として、「人に優しくしなさい」という言葉で、何か私を導いてくれたんじゃないかなというふうに思います。また、この教えをこうやってお話している間にもまたそういうことを思い出せるようになってきますけども。
 
入江:  伺った「人に優しくする」というのも、それは当たり前と言いますか、それは正しいことでしょうし、さっき伺いました八正道の一つ一つについても、それだけを聞くと、それは当たり前じゃないかということですよね。それだけ聞きますとね。
 
常磐:  でも当たり前で、すぐわか忘れてしまうのが、当たり前だと思っちゃうから、また当たり前になって忘れちゃうんじゃないか。あまりにも身近なことで、つい人間というのは、なんかこう答えといいますか、何かの救いを求めている時というのは、必ず何か答えを求めたがります。どうすればいいんだ。ああすればいいんだということの救いを求めたがりますけども、本当に些細なことで本当に身近なこと過ぎて、すぐ忘れてしまう教えなんですけども、これが「人に優しくしろ」という父親が言ったことも、本当にそれが仕事を通じて優しくしないといけいけないという、本当に大きな理想だったと思うんですけども、それが今本当にあまりにも当たり前のこと過ぎて―私常々すぐに忘れちゃう方の人間なので、大それたことは言えないんですけども、それはやっぱり人に優しく、あるいはお釈迦様が説いた八つの教えというのは、当たり前すぎるけども、それをもう一つ基本にして、我々が生活を律していかないといけないじゃないかなというふうに思いますけども。
 
入江:  私なんかも、自分に何か足りないことがあると常々思っているんですが、そうすると、新しいことが何かないかとか、別のことを始めなければいけないんじゃないか何ていうふうに思ってしまうんですが、むしろ今のお話を聞いていますと、今自分がやっていることで、何か本当の目的を忘れていないかとか、何かできるんじゃないかというような気持ちに少しなってきます。
 
常磐:  それ一番大切じゃないかなぁというふうに思うんです。だから人間、新しい目標を掲げなければいけない。いろんなことあると思いますけども、でも今のことを忘れて次は無いわけでございますので、今現代の社会はいろんなものが流れてきますので、どうしても「今」というのも忘れてしまっている。今の自分がどれだけありがたいか。どれだけ感謝すべきものなのか。どれだけこれができるんだ、ということの誇りというか、自信というのが、われわれが取り戻さなければいけない道じゃないかなというふうにいつも思いますけども。
 
入江:  そういうことを考える中で、自分だけの道という。「僕の前に道はない」と高村光太郎さんの詩を引用されましたけども、それはそういう意味にも受け取れるんでしょうかね。
 
常磐:  そうですね。本当に自分がそういうふうに思っていかなければ、自分の道は絶対生まれないんだと。たぶん高村光太郎も偉大なお父さま高村光雲(たかむらこううん)(仏師、彫刻家:1852-1934)を持たれて非常に悩まれた詩じゃないかなと、私は勝手に思っているんですけども。それでそういうふうなことの思いに至れて、お父さまを見ていて、私も父を見ていて、本当になんか雲のような上の存在で、たぶん上ばっかり見ていたんだろうなというふうに、今、思うわけですね。だから自分の手前というのを全く見ていなかった。だから父親を見ていたら、父親の背中さえ見ておけば、自分は生きとけばよかった。要するに一つの「甘え」という言葉に片付けられると思うんですね。だから何かにしがみついていた。何かにこだわっていた自分がそこにあった。パッといなくなったとたんに、本当に何も無かったわけです。それは今我々が、どの社会に生きていても、どんな職に就かれていても、何かに甘えていないかということを、常に考えていかなければ、何か自分の力に甘えたり、肩書きに甘えたり、いろんな人がいると思いますけども、何かに自分以外の何かに甘えていないということを考えていただいて、それを取り外していただくことによって、また新たな自分の人に本当に優しくできることができ、また自分の道が歩めることができるんじゃないかなというふうに思います。
 
入江:  今日はどうもありがとうございました。
 
     これは、平成二十年一月二十日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」に放送されたものである