3・11≠ェ問う日本の宗教と社会
 
           上智大学グリーフケア研究所所長・教授 島 薗(しまぞの)  進(すすむ)
一九四八年東京都出身。一九七二年、東京大学文学部宗教学科卒業。東大入学時は理科三類に所属し、父の跡を継いで医師になろうと考えていたが、ある時そんな自分に疑問を持ち、進学振り分けの最終段階で宗教学科に進路を変える決心をした。筑波大学研究員、東京外国語大学日本語学科助手、東京大学大学院人文社会系研究科・文学部宗教学科教授を歴任。シカゴ大学宗教学部客員教授、フランス社会科学高等研究員招聘教授、テュービンゲン大学日本文化研究所客員教授。二○一三年、東大を定年退任、名誉教授。上智大学神学部特任教授・グリーフケア研究所所長。宗教を基盤に幅広い社会的・文化的事象に興味を持ち、多数の著書・論文等の業績があり、フィールドワークも積極的に行っている。
 
ナレーター:  今日は、上智大学神学部教授の島薗進さんに、「3・11≠ェ問う日本の宗教と社会」についてお話頂きます。島薗さんは、身近な人の死に接して深い悲しみにくれる人に活動を、グリーフケア(grief-care:子どもだけでなく、配偶者、親、友人など大切な人を亡くし、大きな悲嘆(グリーフ)に襲われている人に対するサポートのこと)に力を注ぎ、上智大学にあるブリーフケア研究所の所長を務めています。東日本大震災の直後、二○一一年四月一日には、島薗さんが代表となり、宗教者災害支援連絡会を成立。宗教者たちが、宗教や宗派の違いを越えて相互に連絡し、それぞれの経験から学び合うことで被害者への多様な支援を続けてきました。島薗さんは、その三年間に及ぶ活動を通して、日本の宗教のあり方や社会との関係が見えてきたと考えています。
 

 
島薗:  私は、社会の中で、宗教がどういうふうな働きをしているかということに関心をもってきたのですが、二○一一年の三月十一日に東日本大震災が起こりまして、自分自身個人としても何か被災地の方々のために働くことが出来ないかということを考えまして、そういうふうに考えている宗教者の方、あるいは宗教研究者の方たちと連絡しあって「宗教者災害支援連絡会」というものを始めました。これを略して、「宗援連」と言っております。キリスト教、仏教、神道、いわゆる新宗教、あらゆるタイプの―これは海外の方たちも含めてですが―宗教がそれぞれに支援活動をしている。でもそれぞれの団体がそれぞれに支援活動をしているよりも、お互いに連絡しあって、よりよい力を発揮することができないだろうか。お互いが情報を提供しあい、足りないものを補い合うというふうな、そういうことで宗援連を始めました。現在まで二十回近く情報交換会ということをやったり―これは東京で数十人の方が集まって、お互いに語り合うという会ですが―またシンポジウムとか、コンサートとか、あるいはボランティア活動などにも参加するというふうなことをやってまいりました。そういう活動に携わりながら感じたことですが、この二○一一年三月十一日は、日本の社会と宗教との関わりという点で、一つの転機になったかも知れない。そういうふうに感じております。と言いますのは、3・11を転機に、日本が宗教の大切さを思い出したと言いますか、あるいは大切さに目覚めたというふうなことがあるような気がするわけです。例えば石巻とか気仙沼(けせんぬま)とか、大変な津波の被害を受けた場所で、家を失った方たちが身を寄せる最初の避難所として、お寺が大変な重要な役割を果たした。お寺によっては何百人という方をお堂に泊めする。あるいは神社などにも物資を集めて地域に配る。その場所として神社が大いに役立った。そういうようなことが強く意識されたわけですね。お寺の役割としては、避難所として機能するというのは、考えてみれば地域社会の中で、宗教施設というのは、そういう役割を持っていたんだと。人が困った時に身を寄せる場所ということですね。そういうことが今回強く認識されました。そして多くの方が亡くなりましたので、その亡くなった方たちのために慰霊の儀式をする、お葬式をするというふうなことが欠かせないわけですけれども、その時にみなで共に祈るということが、如何に苦悩を和らげるうえで重要かということも感じられました。そういう意味で、宗教が大変身近に感じられたということがあると思います。またそれは津波、あるいはその後にきた原子力発電所の事故に続く災害ですが、こういうものを通して人間の力で自然を支配しようとして多くのものを作ってきた。それで良かったんだろうか。そこに何か過信があったんじゃないか。そういう自覚ですね。人間の力の限界を知るということですが、そういう経験があったということとも関わっていると思います。人間が如何に自然の恵みによって生かされているか。そしてそのことを忘れるかのように、人間の力で自然を支配する。こういう考え方に何か足りないものがある。こういうことを感じたということもあると思います。こういう中で宗教者の支援ということが、一定の意義を認められたのではないかと思うんですが、他方で宗教者による支援活動というものを受け入れにくいというような状況もあったと思います。例えば阪神淡路大震災が一九九五年に起こりましたが、その時には宗教者が大事な役割を果たすということは、それほど意識されなかった。心のケアというふうなことが強く称えられるようになったのも、阪神淡路大震災の頃からですが、その場合に心のケアを行う人というのは、精神科医であったり、臨床心理士であったり、そういう医学や心理学、あるいは保健公衆衛生というようなことを学んだ人たちがやるべきもので、そしてそれは行政が手配をして行うものだと、こういうふうなことでありました。勿論ボランティアの方たちも協力するわけですけれども、しかし中心は公的機関がそれを行うと。心のケアについてそういうイメージがあったと思います。しかし人が生きていくうえで、辛いこと、解決が付かないような深い苦悩に関わるようなことというのは、どこかで宗教的な次元を必要としているわけですね。ところが宗教者が、避難所とか仮設住宅などへ支援活動と言っても、行政の担当者は、「宗教の布教は止めてほしい」ということで断ると言いますか、受け付けないと言いますか、そういうふうなことがしばしばありました。3・11の後にもそういうことが起こりました。行政は宗教と協力してはいけない、というふうに受け止める向きもあったわけです。しかし実際には人々のニーズというものがあり、それに応えようとする宗教者の活動もあったわけです。次第にそういう事実が認識がされるようになりまして、新しいタイプの宗教者の支援活動というものが行われるようになってきたと思います。宗教が人々を助けるとか、援助するというと、何かその宗教の教えを説いて仲間に加わらせる。これが援助だと、こういうふうにイメージされがちであるわけですが、そういうタイプの支援ではない。むしろ人々が求めているものを受け止めて、それに応じてその必要なものを提示すると。上から人を導くものを提示する。これがまあ宗教の普通のイメージであるわけですが、むしろ下から関わって、相手から示されるものを受け止めていくと。こういうタイプの活動が行われるようになってまいりました。そしてその場合に、宗教教団や宗教団体の枠を越えて横に連携していく。こういうことが重要な特徴になってまいりました。支援活動の中心になった仙台市で、震災後早い段階で心の相談室というグループができました。これは宮城県のほとんどのタイプの宗教団体が協力して、初めは葬祭場で供養する。これを宗教宗派を超えて、求めに応じて行う。その点での協力を行っていたわけですが、それから広がって心のケアにも関わっていくと。「傾聴(けいちよう)」という言葉がよく使われますけれども、話を伺うと。とりわけ辛い思い、悲しい思いを聴く。聴くこと自身が支援活動になると。そういうような活動を行うようになっていったわけです。一つのよく知られている例は、「カフェ・デ・モンク(Café de Monk)」という宮城県の栗原市(くりはらし)の通大寺(つうだいじ)住職の金田諦應(かねだたいおう)さんという方が中心になって、仏教の僧侶、キリスト教の牧師、神道の神職の方、あるいは宗教学者の方、それから医療関係の方、いろんな方たちが協力して、あちこちの避難所や仮設住宅などを回ってカフェを開くと。ケーキを持って、コーヒーを飲みながらお話をする。その中で辛い思いを受け止めていく、というふうなことが大変力になった、というふうに評価されております。このような状況というのは、どうして生じてきたのかということを、少し歴史的に振り返ってみますと、第二次世界大戦後の日本というのは、経済発展を中心に、幸せな社会をつくっていこう、ということで発展してきたわけですけれども、どうもそういう目標ですね経済発展を通してより幸せになる、というふうな目標では、足りないのではないか、ということを多くの人が感じるようになっていた、ということが背景にあるように思います。それは考えてみれば、日本が富国強兵ということで発展をしてきまして、大きな力を持つ国になる。最初は軍事力に頼ったところがあり、第二次世界大戦で富国強兵の、強兵の部分は放棄をしたんだけれども、その後は経済発展で強い国になり、物質的な富を増していって、それでよい幸せな社会をつくっていくと、こういうことが暗黙のうちに、共通の価値観になっていた。高度経済発展の時代というのは、そういうところがあったわけですね。その中に何か精神的な価値が欠けているんじゃないか、という思いはありましたけれども、それを補うに足りるような経済発展があると感じられた時代がありました。しかしこの段階にきて、富国強兵の、富国の方ももはや我々の目標ではないんではなかろうか。そういうことを感じるようになっていた。今そのことが、我々が生きている基盤になるような精神的な価値は何だったんだろうか、ということを見直す姿勢を日本人に悖(もた)らしていると、こういうっふうに言うこともできるかも知れません。これは大きな堤防を作ったにも関わらず、身を守っていた筈だったのに、津波の力にはそれは及びも付かなかったと。原子力発電所―これは絶対に安全なんだ、というふうに言われて、それを受け入れてきた。それに頼ってエネルギーをたくさん使って、より快適な生活を求めてきた。そういうあり方に対する反省ということにも繋がっていると思います。これはしばしば原発災害について言われることですが、地域社会にいろいろな危険が及ぶ、リスクが及ぶことを承知したうえで、そこに多くの援助金を注ぎ込んで地域社会を納得させ、そしてそこで得た電力を大都市に運ぶというふうなことをやってきた。それはまたいわば富の基本であるお金を重んじるあまり、それによって生きる筈の命をどこか軽んじてきている。こういうあり方を見直すということでもあったかと思います。従って、津波から生じた被害者に対する支援活動と原子力災害で生じた放射能の被害に苦しむ人たちへの支援活動というのは、重なる点がありますけれども、そこに少しずれも生じております。津波被災地については、まだまだとは言え、新しい生活環境に気持ちを切り替えるということが、少しずつなされているわけですが、福島の原発の被災地というのは、今後どういう方向へ向かっていくかが不透明であると。そして将来どうするか、ということについて、住民同士の考え方が異なると。そのために「分断」という言葉がありますが、お互いが共通の話題を話すことができないような、そういう状態も生じてしまっている。政府や県、行政の側は地域社会を復興するために住民に帰って来てほしいと。しかしとりわけ子どもを抱えている親たちはなかなか帰りたくない。しかし帰って欲しいという人たちはいる。解決が付かないような泥沼のような状況をきたしている。先日もある宗教者の方から、放射能の比較的高い地域―数十パーセントの方たちは帰還しているけれども、なかなか帰ることができない人たちがいる。こういう地域の方からお話を聞いたのですが、多くの方が自分の思いを語れない、そういう状況があるということでありました。不安があるけれども、それについて語ると、復興を妨げるというふうに受け止められて嫌な顔をすると。やむを得ず黙っている。そういうふうにして、多くの人が自分の中に悩みを抱え込んでしまう。そういう中で宗教者にこそできる支援があるんではないかと、こういうことも語られております。例えばお寺にいる時ぐらいは、思うことを自由に語られるようにしたい。そういうお話も伺いました。一人ひとりの被災者の心に寄り添っていく。そしてどこにでも明らかにすることができないような思いを受け止めていくと、こういうことも宗教だからこそできることではないかと思われます。私が理解しているところでは、宗教者ならではの支援活動というものに、いくつかの特徴があると思います。これは必ずしも宗教の教えを説くということではない。心のケアという側面で、いくつか重要な特徴があると思います。一つには、自分自身を顧みるということが常に入っている。このような状況をもたらしたのは、いろいろこう批判すべき点はありますし、日本の政府や電力会社の安全管理の問題であったり、そういうことは公共的な場所で議論をしていくべきことでありましょうけれども、そういう社会をつくってきた一人ひとりとして、自分のことを顧みる、というふうなことも、宗教者の方からよく伺うところです。この災害を通して、自分自身の生き方を見直していくと。その中にはエネルギーを使いたい放題に使っていく。もっともっと多くの富を得ようとする。そうい社会のあり方を支える一人ひとりのあり方が、そういう特徴をもっていたと。そのことを考え直していく、というようなことも説かれています。もう一つの点として、今多くの点で対立が生ずるわけです。どのような対策を取ったらいいか、ということについて考え方が違う。住民の間でも対立が生じてしまう。そういう場面で、宗教者はどこかにこの対立を越えたものを求めていく。これは簡単に得られるものではないんだけれども、本来対立すべきでない住民同士が、対立するような状況に追い込まれている。そのことをよく自覚したうえで、どこかでそれを越えていくようなあり方を求めると。そういうことを少なくとも祈るようにして支援活動をする。地域の中で生じてしまう気詰まりなことを、心の中に閉まっておかなければならないという思いを、数日間の間でも放射能のことを心配せずに忘れておられるようなそういう日々。そして子どもたちにも豊かな自然の中で遊んで貰える。こういう雇用プログラムですね。これも多くの宗教団体が計画して、その中にはいつか今生じてしまってる分断というものが和解に至るような、そういうあり方というものを展望している。それからもう一つですが、これは津波に関わる問題としてもあるし、とりわけ原発の問題に関わって宗教者なりではの支援の姿勢ということで、私が気が付くことですが、先ほど富やお金と命ということを言いましたが、命を尊ぶ―命の尊さということを普段から考える。神とか仏ということを言わなくても、命の恵みを感じるというところに宗教らしいものがあると思いますが、震災や原発災害の支援活動の中には、その命を尊ぶ姿勢というものがよく現れているように思うんですね。これは東北地方であるからこそ、そのことが強く感じられたという面もあると思います。大都市で大きな組織の中で生きている。大きなシステムを上手に動かすことに力点がある。そういう社会のあり方では、その中に生きている一人ひとつの命のあり方に近いところからものを発するよりも、全体のシステムが上手くいっているかどうか、ということに気持ちが向かいがちです。そのことから生ずることは、物事を量で見る。量的に上手くいっているどうか、ということを判断の材料にする、ということですが、宗教に関わりにある人が尊ぶのは、一つひとつ一人ひとりの命が、そこで本来のあり方をしているかどうか。それぞれに尊ばれているかどうか。それぞれが違うままに、その違いに則して尊ばれているかと、そういうことではないかと思うんですね。考えてみると、農業や漁業、林業や畜産業、これも命に関わっている生業のあり方です。それから特に小さな子どもを育てている親は、命を育むということを毎日のように実践している。その命をケアするということが、第一次産業にもあり、子どもを育てるということにもなりますが、そういうところで考えられることと、宗教者が考えていることには大いに繋がりがある。命の現場に近い、そこから発想する。そしてそれを通じてよい命の継承がなされるようにいつも配慮している。宗教者というのは、大体地域社会に根を下ろしております。その点では、第一次産業や子育てをしている親に近いとも言えるんじゃないかと思うんですね。そういう中で命を尊ぶ場の声を代表すると、こういうことがこの度の震災の後に目立つようになってきたことではないかと思います。そういう意味では、地域社会に根を下ろした活動をせざるを得ない、地域社会の命により添わざるを得ないという、そういうことでもあったと思うんですね。考えてみれば、災害で顕わになった困難の中には、普段からそうであったものもあります。弱い立場の高齢者や障害者、病人などが大変弱い苦しみの状況に追い込まれるということが、災害の時には起こりますが、そういう方たちは普段から辛い立場にいるわけですよね。そういう方たちを支援する際に、従来の日本の考え方では、それは国が世話をするべきであり、病院や公共機関が世話することでしたが、震災を通じて明らかになったことの一つは、そのように国や行政、あるいは病院や学校などの公共機関でやれることには、当然ながら限界がある。一人ひとりの命を見つめる。その世話をするというようなことは、宗教者に大いにそこに役割があるということだと思います。そしてそういう宗教に命をケアする役割があるということを、改めて行政の方も認めるようになっている。例えば災害がこれからも起こることを予想せざるを得ないわけですけれども、その時に宗教施設が避難所になる。宗教団体によって提供される支援活動を大いに活用すると。こういうことを行政の側も考えるようになってきた。その場合に、特定の宗教団体が個別的にそういうことを行うというよりも、できれば宗教宗派の枠を越えて協調して行うと。そういうことによって、行政と宗教団体とのよい関係、信頼関係というものも作られていくと、こういうことが想定されております。これまで私は、東日本大震災を通して、日本社会が宗教に目覚めたと言いますか、宗教の力を思い起こしたという、そういうことを述べてきたんですけれども、確かに伝統的な仏教教団が見直されたとか、地域社会の神社を中心とした祭で現れるような絆の重要さが思い起こされたというふうなことがあると思いますが、日本人はそれぞれに無自覚のうちに自分が大事にする価値観というものを養ってきている、と言えるかも知れませんが、それが纏まった教えとか、価値観とか倫理観として自覚的に述べられていないと、こういう特徴があります。これは西洋社会で言えば、キリスト教の教えでは、こうであると。聖書にはこういうふうに書いてあるというようなことである。あるいはタイやスリランカのような仏教国であれば、僧侶を通して社会に守るべき教えが説かれる。勿論イスラムであればコーランという立法のようなものを通じて、何が大切かということを明らかにすることができるということですが、日本の宗教では、そこら辺が一つ明確化しない。じゃ、それはどういう宗教ですか?と言われると、なかなかこうはっきりとした答えは返って来にくいような気がします。その宗教が大事にしている価値観は何ですか?と言われると、必ずしもハッキリしないということになるかと思います。私の話の中では、命を尊ぶということに力点をおいて述べてきましたが、それだけでは何か漠然としていると、そういうことかも知れません。例えば原子力発電を巡って、何が大事な問題なのか、ということについても、じゃ、宗教の教えではどうなるんですか?ということが明らかにされにくいという、こういうことがあるかと思います。しかし二○一一年三月十一日以後ですね、日本社会では、「倫理」という言葉をポジティブ(positive)に用いることが多くなってきたと思っています。持続可能な社会を作るために、原子力発電が必要かどうか。エネルギーの未来をどういうふうに構想するか。これは経済的な問題であり、科学の知恵をどういうふうに利用していくかという合理的な考え方の問題であると同時に、そこに生き方の問題がかかっている。倫理観がかかっていると、こういうふうにも言われております。ドイツでは、脱原発を決める委員会が、二○一一年の四月、五月に開かれまして、脱原発を決めたわけですが、その委員会は「倫理委員会」という名前が付いておりました。こういう中で改めて日本人は何を大切にする。どういう生き方を尊ぶのかということを、反省するようになってきている。それは難しい哲学の理論や偉大な思想家の教えということを、必ずしも求めているわけではないと思います。むしろ我々が持っている価値観を、公共生活、公共的な場面で練り直して判断をしていく。その場合に宗教団体、あるいは宗教者というものが一定の力を果たせるんではないかと。これはある意味では、多様な宗教団体があり、宗教伝統も複雑に、日本では仏教があり、神道があり、儒教の影響もあり、キリスト教の影響もある。どの宗教に入らないような民間信仰の影響もあると。こういう社会でありますが、これは必ずしも欠点として考えるばかりではないと思います。考えなくてもよいと思いますね。つまりある明確な宗教伝統から出てくる答えというものは、必ずしも多様な考え方を持っている人たちに簡単には受け入れられない。ですから多様な考え方を、如何に調整しながら共通の理解を持っていくかということが問われている時代ですね。先ほど支援活動においても、宗教宗派を越えた支援活動を有効になっていると申しましたが、価値観や倫理観ということについても、必ずしも明確ではない、曖昧とも言っていいような日本の宗教文化のあり方というものを、逆にポジティブに受け止めて、現代社会に創造的に応答していくと、こういう可能性も、この3・11を通して見えてきた。3・11以後の宗教界の活動の中から見えてきたことではないかと思います。これは宗教間の対立をなかなか克服できない、自分たちの宗教伝統こそが譲ることができない唯一の正しい道である、という考え方が、世界の中では相変わらず強いわけですけれども、そういう世界の宗教が抱えている困難に対する新しいタイプの応答を、日本の試みの中から提示していくということも、もしかしたら可能なのかも知れない。そういうふうに考えてもよいかと思います。今なお心の傷が癒えない多くの被災者の方たちは、この痛みを忘れないでほしいということをおっしゃいます。そのことを我々は肝に銘じて、今後も支援活動を、あるいは宗援連の活動を続けていきたいと思っておりますけれども、そういう活動を通して、宗教と社会の新しいよい関係のあり方を探っていくと。そういう意味で、これは「人間の復興」という言葉で言うことができるような、産業の復興も大切かも知れないけれども、一番根本は、それぞれの人間の復興ということだと思いますが、そういうことを願うと同時に、社会における宗教のよりよいあり方ということも考えながら、活動を続けていきたいと、そういうふうに思っている次第です。
 
     これは、平成二十六年六月十五日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである