ロシア人の信仰と仏教ブーム
 
             宗教学者・清泉女子大学准教授 井 上(いのうえ)  まどか
1971年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。専門は現代ロシア宗教史・宗教社会学。
             き き て          平 位  敦
 
ナレーター:  今日は、「ロシア人の信仰と仏教ブーム」と題して、清泉(せいせん)女子大学准教授で宗教学者の井上まどかさんにお話をお聞きします。井上さんは、ロシアのサンクト・ペテルブルク国立大学へ留学後、東京大学博士課程を修了。ロシアの政治と宗教の関係を研究テーマに現地調査を続けてきました。井上さんに帝政時代からロシア革命を経てソビエト崩壊、そして現在に至る歴史を辿りながら、ロシア人の宗教観の変遷、さらに現在都市部を中心に人気を集めているという仏教のブームについてお伺いします。聞き手は平位敦ディレクターです。
 

 
平位:  井上さん、丁度ロシアから帰って来られたばかりということなんですけども、今回はどんな目的で行かれたんでしょうか?
 
井上:  はい。今回は、宗教教育の導入に関して、どのような議論が今なされてるかっていうことをちょっと調べに行っていたんですよね。いわゆる公立学校で選択必修科目で、ロシアの伝統宗教であるロシア正教―ギリシャ正教という言葉でも日本では親しまれてますけれども―いわゆるキリスト教の正教文化の基礎という、正教とそれから仏教とイスラムとユダヤ教ですね―の四つのそれらの宗教文化か、あるいは世界宗教か、それから日本でいうと道徳に当たる世俗倫理という科目の中から選べるようになっているんですね。選んで―でも実際には生徒が選ぶというよりも、父母会で決定されるんですけど、どの科目を教えることにするか。選択必修科目で。
 
平位:  その中から選んで、学校で教育しようっていう話になった?
 
井上:  ええ。しばらく前からですね、二○一○年代の初頭から始まっていて、でも導入されてるんですけれども、やっぱり賛否両論ありまして、例えば日本の公立学校でもそうだと思うんですけど、ロシア正教会の神父さんを呼んでもいいのかとか、いろんな議論がありまして、やっぱりロシアって多民族国家なので、信仰もさまざまですね。なので正教だけに偏らない宗教文化の教育を、ということで調整が取られたんですね。ソ連時代は、特にその道徳の科目というのはなくて、共産主義的な社会の人間として、立派な人間というのを、全ての教科を通して育むと言いますか、涵養するというような立場でしたので、そもそもそういう倫理にせよ、宗教文化にせよ、教える機会はなかったわけですね。で特に反宗教政策も長らくありましたので、ソ連時代は全く経験してなかった試み。でもソ連が解体(1991年12月のソビエト連邦共産党解散を受けた各連邦構成共和国の主権国家としての独立、ならびに同年12月25日のソビエト連邦(ソ連)大統領ミハイル・ゴルバチョフの辞任に伴い、ソビエト連邦が解体された出来事である)して、で、かといって、ソ連時代の人格形成の理念に代わるものが何もなくて、で大きな課題として、ロシアの歴史をどう教えるかというのと、あとロシアの若い世代をどういうふうな理念で育てていくのかと。ソ連時代は、あまり親の役割って期待されてなくて、社会で、言ってみれば、学校で子供を精神的にも、肉体的にも教育しますということだったので、親の教育に対する役割って求められてなかったんですね。でも、今、親にいきなり責任が来て、じゃ親はどういう倫理と道徳に基づいて子供たちを教えるのかっていう問題に突き当たって、やっぱり何らかの精神に関わる部分についての教育が学校でも必要だというふうな声が上がってきたんですよね。
 
平位:  そういうことがあって、ロシアで学校教育で宗教というのを教えようということが、今手探り状態で続いているということなんでしょうかね。
 
井上:  そうなんですね。でも、たくさんの教科書、そういう認定教科書ですね、国家統一教科書もあるんですけど、それ以外にも副教材もたくさん出版されてまして、宗教に関わる生活文化についての子供向けのわかりやすい本がいっぱい出ているという感じで、今回もほんとにたくさんの本が出ていて、また新たにこういうのが出たなと思いました。
 
平位:  そういったのを改めて考えますと、今年は二○一七年で、ロシア革命から丁度百年なんですね。ソビエトが崩壊して二十五年あまりと。まさにこの百年間のロシアというのは政治的に大きな変化があったと思うんですけど、その宗教でもそれに伴ってやっぱりかなり変化があったんでしょうか?
 
井上:  そうですね。革命が起きてから、やっぱり宗教は人々を搾取する組織だ―宗教なり教会なりがですね―そういうことで人々搾取するような存在っていうのは駆逐すべきだといいますか、「宗教は阿片だ」という言葉は非常に有名ですけれども、結局アンチ宗教政策というのが、革命後すぐではないですけれども、なんらかの形でソ連時代にあったわけですよね。で、一九二○年来からロシア正教会を含むいろいろな伝統宗教―例えばイスラムですとか、仏教ですとか、そういう宗教の聖職者や信仰を持っている人々が迫害されたわけですね。それにソ連時代って何より大きいのは宗教に関する書物が、一般の書店で手に入らなくなったっていうことがすごく大きいですね。ロシア人って非常に本を読む人たちといいますか、今でもそうだと思いますけど、非常に読書家の人たちだと思うんですけれども、一般の書店で、キリスト教の聖書も含めて、宗教に関する本がほとんど手に入らないので、
 
平位:  発行禁止というようなことでしょうかね?
 
井上:  そうですね。なので、本当にその小さなグループで回し読みをするか、地下出版といいますかね、という形で回し読みされるかだったので、やっぱりソ連解体のちょっと前ですね、ゴルバチョフが宗教に対する立場を大きく変えたんですね。ですので、ソ連解体の前―一九八○年頃から状況が変化しまして、ソ連解体直前直後というのは、宗教に関する書物がたくさん刊行されたんですね。特に九○年代なりますと、いろんな宗教の本、それから宗教哲学者の本、それから今日本でいうと、「精神世界」と呼ばれるような「ニューエイジ」(New Ageとは、字義どおりには「新しい時代」であるが、神智学を淵源として1960年代にアメリカ合衆国 西海岸を中心地とした霊(霊性・スピリチュアリティ)的、宗教的思想であり運動)の本もたくさん出ましたので、ソ連解体後一気に宗教に関するいろんな種類の書物が書店に現れたという形ですかね。
 
平位:  ソビエト時代は、百年前はみんな知っていたようなことも、知らない時代が続いちゃって、そこで一気にわぁっといろんなものが、みんな知るようになった?
 
井上:  知るようになったんですね。本もそうですし、それから一九九○年に信教の自由を認める、今から見ても非常に自由な法律が可決されまして、海外からもですね、たくさんの宗教団体が入ってきまして、宗教活動も、いわゆる伝統的な宗教宗派から、いわゆる新宗教と呼ばれる団体まで非常に様々な宗教活動がロシア国内で行われたという感じですね。ですから人々がその中から選ぶことを余儀なくされたといいますか、選ばなくてはいけなかったといいますか、例えばソ連時代のような宗教を拒否するという道を選ぶか、それとも数あるたくさんの宗教活動の中から、何か自分に合うものを選んで、それに参加していくか。ソ連時代の理念、あるいはイデオロギーというのも崩れ去るといいますか、ということですから、人々も模索の時代だと思いますね。
 
平位:  そうした中でですね、仏教というのが一つロシア人の中である程度人気をはくしているというふうにお聞きしたんですが、
 
井上:  はい。そうですね。ロシアには、カルムィクですとか、ブリヤートですとか、あとトゥバですとか、そういうふうに歴史的に仏教を信仰していた民族といいますか、仏教と密接な関係にあった人々がロシアにはいるんですけれども、ただまあここ十年の流れで言いますと、よく「ロシア人って二種類あるんだ」っていうふうにいいまして、「ブルスキー」と、それから「ロシヤーニン」がいるというふうに言われるんですけど。何かというと、「ブルスキー」というのは民族的なロシア人。いわゆる民族的なロシア人というのと、ロシア連邦の一員という意味のロシア人(ロシヤーニン)と両方あるんですね。
 
平位:  民族的なロシア人というのは白人で、いわゆるロシアの元々の民族という意味でしょうかね。
 
井上:  そうですね。東スラブ系のね。いわゆる民族的ロシア人っていうのは、歴史的にはどちらかというとキリスト教。ロシア正教会―正教の教えに親しんできたわけですけど、その民族的ロシア人にも仏教が徐々に浸透していってるというのが、ここ近年の傾向だと思うんですね。仏教と言っていいのかわからないですけど、最初に目に付いたのは、ヨガの教室の広告ですね。あの街中にいっぱいヨガの広告が貼ってあって、よくありますね、一番下の部分に電話番号と名前の書いたものがいっぱいあって、それをちぎって持っていけるようになってる。要するに、外の通りの壁に貼るようなタイプの広告ですね。それが非常に目について、その中にはそういうヨガを実践しているクラスの中には、仏教の瞑想の実践をしているグループもいたりして、相当その仏教的な瞑想というのは浸透しているのかなと思って調べ始めたのがきっかけですね。調べてみますと、欧米人の間にチベット仏教が広まる過程で、そのヨーロッパ人のチベット仏教の指導者が生まれてくるんですけど、そういうヨーロッパ人の指導者を通してチベット仏教に馴染むということが多々あるというのが、主に都市部の調査で分かってきたという感じですね。それから相当多くのヨーロッパ経由のチベット仏教の施設というんですかね、仏教センターっていうのは、ロシア国内にずいぶんたくさんあるんですね。例えばデンマーク人の指導者でカルマ・カギュ派ロシア仏教協会という、それもロシア全土に八十の支部があって、非常に頻繁に瞑想の時間というのがあって、そこに非常に数多くの人が集まるという状況ですし、それからその他にもニンマ派の国際ゾクチェーン共同体というチベット仏教系の団体も、ロシア全土で大体四十位の支部がありまして、そこで多くの信徒を―ちょっと地域によって差があるみたいなんですけど、多くの実践者を集めているようですね。
 
平位:  ロシアの彼等は今ですね、何故そんなに仏教に惹かれているんでしょう? ロシア正教のみなさんの求めるものって言いますかね、そういうものというのは、どこか仏教に通ずるものがあるんでしょうか?
 
井上:  そうですね。仏教に通ずるものとして、私が考えているのは、これはそれこそ二十世紀のロシアを亡命して別の国に行った亡命宗教思想家と言ってもいいんですけど、ウラジーミル・ロースキイという人がいまして、その人が正教の精神として―正教のエッセンスとしてですかね、伝えたといいますか、逆にロシア人たちに教えたというふうに言えることができると思うんですけど、それは何かというと、人間神化(しんか)というんですかね―神化というのは、神と化すると書いて神化ですね。
 
平位:  神様になる?
 
井上:  なるということです。ギリシャ語では「テオーシス」というふうに言うんですけれども、これが東方教父(きようふ)―「教父」って教えの父と書くですけど、東方教父の伝統に連なる者として、正教の中には、神化(テオーシス)の教えがあるということを、ロースキイが説いたんですね。東方教父の伝統として非常に特徴として言われるのは、人間というのは神の御姿(みすがた)として作られた。その神の御姿についての解釈も多種多様なんですけれども、でも神の御姿として作られた人間が、神になれると言いますか、神と出会うことができる。ちょっと神秘主義的な考え方なんですけど、神と出会う、あるいは自分自身が鍛錬して神になれるって考え方がある。正教の中で、特にテオーシス―神化の教えが花開いたのは、ギリシャにあるアトス山の修道院なんですね。そこで十四世紀、十五世紀くらいですかね―に、特にその神化に至る、テオーシスに至るための修行法というのが、考え方が蓄積された時期がありまして、それが「ヘシカスム」―日本語に直すと「静寂主義」というふうに訳される―「ヘシカスム」というのが、花開く時期があるんですね。それが例えばいわゆる呼吸法ですね。感覚的な世界に惑わされる―人間は、感覚的な世界―聴覚、視覚、いろいろ惑わされるので―惑わされて生きているので、そういう感覚的な世界の認識を呼吸法によって追い出して、知性の世界に至る。「知」というのが、「ヌース」というギリシャ語なんですけど、ヌースの世界に至ると言いますか、ヌースを自分の中に取り入れるという。その中で神に出会う。あるいは神になっていく過程。その呼吸法ですとか、あとイエスの祈りと呼ばれるものを、何回も何回も繰り返すとか、いろいろな修行法があるんですけど、主に呼吸法と、その祈りをたくさん唱えるという、そういう修行法がそこで生まれるんですね。そういうような修行の伝統―呼吸法も含めた、あるいは祈りをたくさん唱えるという修行法自体がですね、ロシアで知られるようになるというのは、そうですね、例えばドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に修道院の長老と呼ばれる人が出てきますけれども、そこでもちょっとそういうアトス山の伝統に連なるものが出て来ないわけではないんですけど、でもそういうアトス山で行われていた、そういうような伝統というのが広く知られるようになるのは、やっぱりソ連解体後なんですよね。
 
平位:  そうすると、革命前のロシアでは、まだそのことはロシア人一般には伝わっていなかった?
 
井上:  そうですね。
 
平位:  でも宗教者の間では伝わっていたんでしょうか?
 
井上:  はい。宗教者の間では伝わっていまして、ずいぶんその人間神化―テオーシス(神化)に関する書物というのは、随分ギリシャ語からロシア語に翻訳されていて、なので、教会の中ではですね、あるいは修道院の中では知られていたんですね。あとロシア人のスピリチュアリティ(Spirituality:霊性、精神性)と言いますか、ロシア人の精神的土壌として、一つ取り上げたいのは、革命前や革命直後の宗教を巡る様々な思想ですかね。十九世紀後半から二十世紀初頭にかけてっていうのは、科学技術もだいぶ発達して、科学技術が人間の未来を変えていく。あるいは人間自体を変えていくというふうな、すごく前向きな希望があったと思うんですよね。で、そういうのが入ってきて、それからその既存の宗教批判、マルクス的な考え方というんでしょうか、宗教は阿片であるという。宗教は人々を搾取する前時代的な古いもの。人間の可能性を信じるといいますか、ニーチェ(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ:ドイツの哲学者、古典文献学者。現代では実存主義の代表的な思想家の一人として知られる:1844-1900)の思想なんかも影響を与えていると思いますけど、人間自身の中に神を見るというか、人間の可能性を信じると言いますか、そういうような考え方も広まってくる時代ですよね。そういう中で例えばロシアの中でですね、人間が霊的に、あるいは精神的に、あるいは人格的に完成に至る段階で宇宙エネルギーと一体化するというような思想家が、一人ではなく出てくるんですよね。例えば宇宙のエネルギーと一体化するとか、宇宙の精神と一体化するといいますか、そういうような考え方というのは、今では「ロシアコスミズム」と呼ばれたりして、日本でも多くの研究者がいるんですけれども、その宇宙のエネルギーとか、宇宙との一体化とか、そういうキリスト教的な色彩は薄くなっていると言いますか、キリスト教的な神は出てこないんですけれども、やっぱり発想として、人間の中だけに可能性をみるというのじゃなくて、やはり何かしら大きなものと一体化するというような考え方があると思うんですね。それは人間の可能性を追求する中で宇宙というのが出てくるのかもしれないですけど。そういう中に、例えばソ連時代のロケット工学の理論的な完成者と言われてるツィオルコフスキーという人がいるんですけど、ツィオルコフスキーは、そのロケット工学の分野で非常に有名な人でして、亡くなった時には、ソ連で国葬―国が葬儀を行ったような、非常に有名な人物なんですけど、彼はSF小説なんかを書いていて、小説の形であったりするんですけど、そういうその人間が霊的に、精神的に、人格的に完成して宇宙エネルギーと一体化するとか、そういうような考えを表したんですね、小説の中で。私が、今注目しているロシア人―民族的のロシア人に普及する仏教、あるいは民族的ロシア人に関心を持たれる仏教っていうのは、どういう文脈で見てるかといいますと、ソ連解体後に亡命宗教思想家ですとか、あるいは二十世紀初頭の宗教思想家、あるいはソ連時代に読めなかった様々な宗教的な書物に触れた人たちが、テオーシスのような東方教父の伝統、あるいはアトス山で修行されていたような呼吸法ですとか、イエスの祈りですとか、そういうような修行法に関心を持った人たちが、じゃそれを実際にどうやって日常の中で実践して、自分たちの精神的な次元を高めるか、あるいは自分が人格的完成に向かうかというのを実践するというふうになったときに、身近で信頼できるものとして、仏教の団体に出会う、あるいは仏教のそういう実践ワークショップに出会うということなんじゃないかなと思うんですね。先ほど紹介した、例えばヨーロッパ経由のチベット仏教というのは、単なる新しい団体では、あるいは新宗教運動ではないんですね。確かにその指導者はデンマーク人であったりとか、また存命中のヨーロッパの人であったりとか、するわけですけれども、やはりチベット仏教という非常に伝統のある仏教伝統に接続されたものなんですね。なので、仮にヨーロッパ人が指導者であったとしても、何らかの伝統に接続されているというような安心感もある。単なる新宗教運動ではない。怪しいものではないという安心感もあり、かつですねその具体的な呼吸法ですとか、具体的な瞑想の方法を指導してもらえる。比較的頻繁に行われている。参加も自由であるということで、敷居が低かったといいますか、だったんだと思いますね。ロシア正教会の場合ですと、教会に通って礼拝に参加することはできますけれども、その礼拝で何かしら自分の日常で実践できるような修行法を学べるわけではないですね。教会で、あくまでも教会で神様に出会うといいますか、神の世界に触れることで神父様の話を通して自分の考えを改めるとか、そういうことですので、家に帰って毎日実践できるものを求める人にとっては、それはちょっと難しい。かと言って、じゃ修道院に入るのかっていうと、それも大きな選択ですよね、自分の進路をそちらに大きく舵を切るということですので。そうすると、やはりロシア正教の宗教思想にも関心があるけれども、実践としては仏教のものを選ぶ。あるいは仏教の実践を通して、自分の精神的、人格的完成を目指すという選択をした人たちなんじゃないかというふうに思っています。
 
平位:  今日、いろいろお話をお聞きしてきたわけなんですけども、これからのロシアですね、まあロシア人の宗教というものを、どういうふうになっていくとお考えでしょうか?
 
井上:  これ本当に私の考えということになりますけれども、ソ連解体から二十五年経つわけですけど、ソ連時代のメンタリティと呼べるものは、そう簡単にはなくならないだろうし、なくなっていないというふうに考えています。じゃソ連時代のメンタリティって何なのかっていうことですけど、例えば人間の可能性を信じる。あるいは人間の力を信じる。あるいは超越的なものを何かしら立てる、想定するというのではなくて、人間賛歌の側面がやはりソ連時代にはあったと思うんです。そういう人間の力、人間の可能性を信じる人間によって人間のよき社会を作るというような考え方っていうのは、そう簡単にはなくなってはいない。つまりソ連解体したから、帝政時代のロシアのような国家と教会が分離していないような時代に戻れるわけではない。そうすると、神による救いを待つというよりも、人間の可能性を信じつつ、人間の神化という言葉はあまり使わない方がいいかもしれないですけど、人間が人格的に、霊的に高められる可能性を信じつつ、その完成に向かって進んでいくような、まあそういうような宗教なり、実践なりが、人々に好まれていくのではないかなぁというふうに思います。かならずしも、超越的な存在を否定してるというわけではないですけれども、やはり人間の内在的な、あるいは神、あるいは宇宙とつながるような人間の潜在的な可能性を信じて実践していくような、そういうものが非常に親しまれていくというふうに思います。
 
     これは、平成二十九年五月二十一日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放映されたものである