イスラームという生き方D結婚力、子作り力の源泉
 
                京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科教授・
                同付属ハダーリー・イスラーム弁明研究聖典長 小 杉(こすぎ)  泰(やすし)
            立命館大学授業担当講師       小 杉(こすぎ)  麻李亜(まりあ)
 
ナレーター:  シリーズ「イスラームという生き方」。イスラームの聖典「クルアーン」の一節を紹介しながら、イスラーム教徒ムスリムたちの生き方を十二回にわたって読み解いていきます。第五回は「結婚力、子作り力の源泉」と題してお送りします。お話は京都大学大学院教授小杉泰さん、そして立命館大学授業担当講師小杉麻李亜さんです。
 
小杉:  イスラーム世界は何処へ行っても、子供と若者が多いという印象です。エジプトもトルコもインドネシアも、行き交う人々の全体的な若さに圧倒されます。世界でムスリムが増えているようだという認識はかなり前からいましたが、実は最近まで正確な統計はありませんでした。宗教別の人口は意外とわからないものです。というのも、国によっては、宗教別に人口を論じると宗教対立を煽ると言って、調べることを禁じてるところもあるんです。日本でも宗教別の人口は、それぞれの宗教法人が自分で申告している信者の数を合わせますけれども、そうしますと、全体で日本の人口よりもずっと多くなります。世界のムスリム人口も長らく信頼しきれない数字が流布していました。そこでアメリカの調査機関が数年前に、人口の専門家を動員し、世界中の国を調べあげたんです。それによって科学的な調査結果として、初めてムスリム人口が人類のほぼ四人に一人、二十三パーセントになっていることが明らかになりました。この時の精度の高い調査結果から、ムスリム人口の増加についてもう少し詳しく見てみたいと思います。まず出生率です。ムスリムとムスリムでない人―非ムスリムの出生率の違いを調べてみますと、ムスリムの出生率は三・一パーセント、非ムスリムは二・三パーセントと、ムスリムの方が高いんですね。出生率の違いは当然ながら生まれてくる子供の数に影響して、その子供が大人になって結婚して子作りをする時にも、人口増加の差が生じてきます。その結果としてどういうことが起こるかというと、今世紀後半に入ると、宗教別人口でキリスト教を抜いて第一位になり、人類の三人に一人がムスリムになると予想されています。さらに二○一二年には、この同じ調査機関は、ムスリムがどの位宗教的な義務を守っているか。三十九カ国での調査結果を発表しました。イスラームには、信徒の義務として五柱―五つの柱と呼ばれる重大な義務がありますけれども、それについて質問をしたところ、平均値で七十九パーセントが唯一神と預言者ムハンマドへの信仰を公言―公に口にしてると答えました。九十三パーセントが、ラマダン月の断食を行い、七十七パーセントが貧しい人たちの喜捨(アラビア語「ザカート」)を支払い、六十三パーセントが毎日五回の礼拝をしているという結果でした。世俗化が進んでいるはずの現代で、これほどまで宗教実践が行われているということは大きな驚きです。五柱の五番目は、マッカ(メッカ)への大巡礼ですが、これは九パーセントと低い数字でした。しかしこれは生涯に一度の義務で、しかも行ける人が行きなさいという条件がついていますから、十人に一人行っているということは十分に高い数字だと思います。私が留学していた一九七○年代のエジプトや他のイスラーム諸国での実感としては、九割以上が断食をし、六割以上が日々の礼拝をしているという印象はありませんでした。当時のムスリム社会は、今よりも世俗的な感じがしました。この調査結果からは、明らかに近年宗教復興が進んだということが見てとられます。そうだとすると、イスラーム的な考え方は、近年になって再び力を持つようになり、それが人口増加にも影響を与えていると考えることができます。結婚などの男女の交わりや子作りについて、イスラームの聖典「クルアーン」は、どう言ってるのでしょうか。「女性章」第一節には、このようにあります。
 
人びとよ、汝らの主を畏れなさい。かれ(アッラー)は一つの魂から汝ら(人類)を創った。その魂から配偶者を創り、彼ら二人から多くの男性と多くの女性を(世界に)広めた。
 
とこうなっています。また「蜜蜂章」七十二節では、
 
アッラーは汝らの間から汝らに配偶者を定め、汝らと配偶者との間に子どもと孫をなし、汝らによき恵みを与えた。
 
とあります。「相談章」十一節では、
 
(アッラーは)天地の創造者。かれは汝らを夫婦(対)とし、家畜を雌雄(しゆう)(対)となした。かれは汝らをおおいに繁栄させた。
 
とこうあります。こうしたクルアーンの言葉から、神が人間を男女として創り、男女が互いに惹かれ合うように創ったということがわかります。彼らは結婚によって夫婦となり、そこから子供や子孫が生まれるわけです。エジプト人の友人に言わせれば、「それがアーダムさまとハウワーさま(いわゆるアダムとイブ)の時代からの決まりなんだ」というんです。アラビア語の「アーダム」と「ハウワー」は、いわゆるアダムとイブ。つまり人類の祖のことです。友人曰く「これにより人類が継続してきたのだから、男女関係の基本、人類の原則なんだ」ということです。このように人類の存続と個々人の結婚観がつながっている。ここがイスラーム的ですね。アダムとイブも、象徴的な人類の祖というよりは、ムスリムにとっては血のつながった実際の祖先のように感じられます。イスラームでは結婚は、一組の男女の民事契約とされています。民事である理由は、必ず婚資金(マフル)を明示しなければいけない。これは男性が女性に上げるもので、女性の財産となります。ちなみに、イスラームでは男女の夫婦になってっも、財産は別です。場合によっては、結婚するときにお互いに持ってきた財産の目録を作ったりもします。このように財産の移動を伴う婚姻契約ですので、民事に属し、そこには聖なる性質はありません。婚姻契約は、イスラーム法に通じた専門家が仲介することが多く、モスクで行われることもありますが、集会場やホテル、あるいは新郎の自宅で行われることもあります。民事契約ですから、必ずしもモスクである必要はないんです。契約には新郎と新婦、そして新婦の保護者―これは父親か他の男性の親族が普通ですけれども、保護者が隣席し、二人以上の証人が立ち合います。証人が二人いれば、社会を代表したことになるというのが、イスラーム法の考え方です。新婦の男性親族が契約にかかわるのは、女性を保護するという観点からです。前近代ならともかく、自立した女性が増えた現代でも親族の保護者が必要か、という議論がありますけれども、結婚すれば子供もできますし、夫が無責任な場合に、母親と子供を守るのは女性の側の血縁者という考え方は今でも根強くあります。また民事契約ですから、契約解消、つまり離婚も少なからずおきます。そのことも保護者の必要性を補強してるかと思います。ただ保護者を立てずに、女性が自ら婚姻契約を結ぶことを認める法学派もあります。さて、イマーム(導師)が契約を仲介する場合には、契約に先立って、イマームが女性に、「あなたの父―あるいは他の男性でもいいんですけれども―を代理人としますか、と確認します。でそれが終わると、イマームが新郎と新婦の父に契約の言葉をなんというか教えます。婚姻契約を書く場合でも、契約の本体は口頭の部分なんですね。ですから契約が有効となる正式な表現をちゃんと口にするかということが重んじられます。それはムハンマド時代に定められた表現で、一番単純な場合は、新郎が「あなたの娘さんと私を結婚させてください」というと、新婦の保護者が、「その申し込みを受け入れます」といいます。申し込みと同意という形態が民事契約の基本です。その応答が終わると、新郎が、マフル(婚資金)を渡します。婚資金といいますけれども、お金に限らないんですね。指輪や金の腕輪とかの現物もよく使われます。預言者ムハンマドの時代には、貧しい男性が自分の記憶しているクルアーンの章句を女性に教え、それをマフルとしたという記録もあります。ただこれは、クルアーンが誰でも手に入る現代では使えないですね。当時はムハンマドから直接聞いて覚えた章句を弟子たちが教えあっていたわけですから、暗誦している人が少ない貴重な章句もあったわけです。イマームは、ここで証人たちに契約が成立したことを証言するかということを聞きまして、彼らが「確かに見届けました」と答えると、契約が成立したことになります。契約の後に、どんな披露宴をするかは、国や地方によって、あるいは民族の習慣や社会的な階層によって異なっています。西洋にならって白いウェディングドレスを着て、ホテルで披露パーティーを開く人たちも増えています。西欧的なウェディングドレスは、女性の肌が結婚露出しますね。その為、一昔二昔前だと、そのドレスを着た結婚式の写真をタンスの中にしまっている家族もいました。ごく親しい人にしか見せないわけです。時代が変わると、今度はイスラーム復興に伴い、西洋式のウェディングドレスを着た上で、髪や首、腕まですっぽり隠すファッションが流行すようになりました。この番組のガイドブックの表紙の写真がまさにそれです。ちなみに日本とは違い、イスラーム圏では結婚式への飛び入りでの列席も歓迎されます。最初は、「今日は友達の結婚式だから一緒に行こう」と誘われて、えっ!無関係の外国人なのに、と驚きましたが、行ってみると立食パーティーで、祝ってくれる客なら誰でも歓迎というスタイルでした。エジプト・カイロの庶民は、自宅のアパートやビルの屋上で披露パーティーをやります。その時は屋上から壁に華々しい電飾が垂らしてつけられので、外から見ても、パーティーをやっているのが一目でわかります。しかも列席者が夜通し騒ぐんですね。ドンチャンドンチャン、とっても近所迷惑な感じもしますけれども、誰も文句を言わないのは、結婚を社会全体にとってめでたい善事―善きことと思うイスラーム社会ならでは、と感じました。
ここで娘・麻李亜に、インドネシアでのイスラーム式の結婚式の様子を紹介してもらいたいと思います。
 
麻李亜:  小杉麻李亜です。イスラーム圏の結婚式というと、決まりに則って、どこでも同じことが行われていると思うかもしれませんが、時代によって、地域によって、流行の流行り廃りがあるんです。実はイスラーム圏でも、二十年くらい前までは、地域ごとの民族主義や近代化による西洋ファッションが流行っていました。ところが最近では、またイスラーム色が強まっています。私には、アメリカでイラン系の人たちの結婚式を手掛けるウエディングプランナーの友達がいます。彼女が仕事で使う備品を見せてもらった際に、「最近はアメリカのイラン系の人たちも、イランの民族的なモチーフやアイテムではなく、クルアーンを使ったイスラーム式の結婚を求めるようになってきたので、用意しておかなければいけない備品が変わってきた」と話していました。東南アジアでも、民族風のドレスに、髪を隠すためのジルバブというイスラームの被り物をして、その上から豪華な民族風の頭飾りをします。結婚式にはさまざまな婚前儀礼と結婚契約式、そして披露宴があります。その中からイスラームと地域の特色が合わさった面白い例をご紹介したいと思います。これからお聞きいただくのは、インドネシアで行われた結婚式の前に行う婚前儀礼の様子です。新郎新婦とその家族、親しい友人達が集まった場に、クルアーンの朗唱家三十人が呼ばれています。この朗唱家たちが、全部で三十巻あるクルアーンを、一人が一巻ずつ分担して同時に朗唱します。この朗唱家たちのリードを取るのは、インドネシアで一番と言われる女性朗唱家です。どうぞお聞きください。(朗唱が流れる)これをなぜ結婚の時にやるかというと、クルアーンを全巻読み通せたように、人生も幸せなうちに歩み通せたらいいよね、という縁起担ぎなんです。クルアーンを言葉ではなく、聖なる呪文のようなものとして捉える東南アジアならではの感覚でしょう。さらにこのときの婚前儀礼では、新郎新婦もクルアーンの一番よく読まれる巻を朗唱します。新郎は、人生における善行と忍耐の重要性を説く章句を読み、みんながアンナを称える合いの手を入れます。同じように新婦も続き、また合いの手が入ります。(朗唱)それ故婚前儀礼が済めば、今度はアクドミカと呼ばれる結婚契約式です。大体披露宴と同じ日にモスクで、親族や仲の良い友達や同僚など、親しい人だけ参加して行います。三十分もかからない、食事もでない会なので、来てもあまり楽しくないので、当事者だけでこじんまりと行います。契約の締結を取り仕切ってくれるイマームが来ますが、インドネシアの場合、宗教省に結婚の申請をすると、イマームのおじさんが契約のために派遣されてきます。彼らは公務員なので時間制限があり、二十分から三十分くらいで一つの結婚契約を完了させます。人気のモスクでは、三十分おきに予約が入っているので、三十分交代で入れ替わらなければなりません。契約が済むと、「Buku Nikah」と呼ばれる結婚証明書がもらえます。その後披露宴のパーティーとなります。とにかく来る人数が多いので、お金がない若い夫婦だったら、体育館を借りたり、お金に余裕があればモスクに併設された会場やホテルを使います。パーティーでは、参加者は好きな時間に来て、屏風の前に座る新郎新婦とその親族一同に挨拶して、後は好きなだけ食べてさっさと帰ります。日本人の感覚からすると、流れ作業のようで面白いです。結婚する二人に関わりのある人たち全員が、二人とその家族にお祝いを言って、祝福の気持ちを伝えるのが大事で、招いた側にとっては、来てくれたからにはおいしいものを食べていってもらうという、とてもシンプルなものです。招待した数百人から数千人が、自分たちの都合に合わせて来場できるように、披露宴はある程度長い時間開かれています。その間中新郎新婦は、お客様を迎えるために、着飾って鎮座していますが、その一番長いのがベタビーの場合です。ベタビーはインドネシアの首都の地元民にあるジャカルタっ子のことで、江戸っ子のようなものです。ベタビーの文化では、披露宴は自宅で行われ、二十四時間続きます。ですから、新郎新婦は眠気をこらえて、お客さん達が来るのを待っています。さて婚前儀礼の最後には、預言者ムハンマドを称える伝統的な歌をみんなで歌います。お聞きください。(歌が流れる)
 
小杉:  「イスラームという生き方」その第五回は、「結婚力、子作り力の源泉」と題してお伝えしています。結婚を強く勧めるイスラーム社会ですが、実は結婚難もかなりあります。ある時、友人のエジプト人女性が、「大学で知り合った男性と婚約したのに、もうまる五年も過ぎてしまった」と怒っていることがありました。大都会カイロの若者は、就職難ですし住宅難です。婚資金を貯めるのも、新居を用意するのも大変です。愛し合っていても実際に結婚生活を始める条件が整わないのですね。結婚を好み、結婚を推奨する社会であるはずなのに、それができないとなると不満が溜まり、若者は社会が悪いと考え、社会問題となってしまいます。イスラームでは、婚姻契約に基づかないセックスを「ズィナー」と呼んで禁じています。日本語では「姦通」と訳されることもありますが、若い独身の男女が愛し合い、セックスをしても、契約外なわけですから「ズィナー」となってしまいます。その意味で日本語の「姦通」とは違いますね。クルアーンは、「夜の旅章」三十二節で、ズィナーに近づいてはならない、とはっきり言っています。「近づくことさえいけない」というのは、「してはならない」よりも強い表現です。その為、イスラーム法学者は、ズィナーにつながる道を手前からふさぐべきと考えてきました。例えば男女が二人だけで部屋の中にいてはいけないし、さらにその手前で、男女が一緒の職場で働くと知り合う機会ができるのでいけない、などいろいろな制限を設けてきました。湾岸のアラブ諸国では、婚約者といえども、デートはできません。ただエジプトでしばしば見られるのは、女性が妹を連れて三人で婚約者とデートしているシーンです。妹は、お姉さんとその婚約者を「二人だけにしない」保証として同伴しているんですね。親密に語り合う二人のそばでつまらなさそうに従っている妹の姿は、私たちから見ると本当に不思議な光景です。イスラーム社会も、近代化、産業化が進んでいて、昔ながらの親族や知人を通じた紹介で結婚相手を探すのは難しくなっています。と言って、男女が自由に出会うのは、イスラーム的な問題で、自由恋愛にも踏み切れません。そのはざまでの結婚難が生じているわけです。それを解消しようと、最近あちこちに出来てるのが、結婚を助ける「結婚協会」とか、「結婚基金」と呼ばれる組織です。サウジアラビアの場合、「若者の結婚支援と家族的指導のための慈善協会」という長い名前の協会がありますけど、そこが例えば物質的な援助を行っています。無利子の資金の貸与とか、あるいは喜捨らの支援金―これはお金くれるわけです。それから家具を無料で提供してくれたり、結婚に向けての講座プログラムもあり、若者達にイスラームの結婚倫理と夫婦生活のコツを教えてくれたりします。湾岸のアラブ産油国では、一九七○年代以降、経済水準が急激に上がり、婚資金がとても高くなってしまいました。その為、男性が婚資金の高くない、非産油国の女性と結婚することも増えました。すると、産油国の女性たちの結婚相手が不足してしまいます。その為アラブ首長国連邦が設立した結婚基金は、優先的に国民同士の結婚を推奨しています。イスラエルによる占領や封鎖が続くパレスチナは、イスラーム圏でも出生率が高く、平均的に一組の夫婦に八人の子供がいると言われます。しかしその一方で、イスラエルとの対立や紛争が続き、多くの男性が死亡し、父親のいない子供たちを抱える寡婦が増えています。そこでパレスチナの結婚協会は、寡婦の再婚を積極的に支援しています。このように、本人たちも社会も、結婚子作りに非常に前向きです。これは一体どういうことなのでしょうか。それを理解するカギの一つは、このシリーズの第四回で論じた「契約」ではないかと思います。ムスリムは、神に帰依する契約をしっかりと結んだ上で、その契約に従って生きていると確信しています。契約で一番大事なのは、自分が神の僕であると受け入れていること。いざとなったら、神に仕える覚悟をもっていることです。そしてその契約をアッラーも必ず守ってくれる。自分が差し出した分、必ず返してもらえるという確信があるんですね。クルアーンは、神が約束を決して違えることは無い、とはっきり言っています。またムスリムは、差し出すべきものをちゃんと差し出している自分は、神に愛されているに違いないと信じています。その時々にもらえる糧が多いと思うかどうかは、本人の気持ち次第だろうと思います。私たちは、糧というと、物質的な豊かさを思い浮かべがちですけれども、人生の安心や安全を絶対神に受け持ってもらえる。このこと以上に心安らかなことは無いかもしれません。そして子供は、アッラーも御許からきた授かりもの。生命そのものが善きところから来た善きものということですね。そこから始まり、ムスリムとして正しく育った結果である自分は、全知全能の神に愛され、その人生はいつも見守られているという、あっけらかんとした大きな自信につながっています。その自己肯定は、とても根源的で、生きていく力、人生を乗り切る力の源になっているのではないでしょうか。結婚を奨励するイスラーム社会では、結婚している人は一人前と高く評価されますし、子供もいると人間的社会的な信用度はいっそう高まります。結婚し子作りをすることは、男女どちらにとっても自分の価値を高める効果があるのです。さらに親孝行―アラビア語では「親への善行」というふうに言いますけども、親孝行はムスリムの基本的な美徳の一つとなっています。親は子供から宗教的原理に従って、親孝行を期待することができるわけです。クルアーン「夜の旅章」二十三、二十四節では、両親に対する礼節を細かく述べています。両親には孝行しなさい。もし両親または親の一人が、汝のもとで年老いたときには、決して舌打ちをしてはいけません。荒い言葉を使ってもいけません。彼らに優しい言葉をかけなさい。そして両親に対して、慈愛を込めて謙虚の翼を低くたれなさい。そしてアッラーに祈って言いなさい。両親が幼い私を養育してくれたように、二人にあなたのお慈悲をお授け下さいと。こういうふうに言われています。イスラームでは、親孝行は唯一神の信仰と直接的に結びついた概念です。人間がどこから生まれてくるのかということを考えると、直接的原因はもちろん親なんですが、根源を探っていると創造者としての神に至るというふうに考えるのです。親をきちんと認めることもできないようでは、神を主と―創造主と認めることもおぼつかないということになります。そしてムスリムは、母親のいうことをよく聞きます。もう大人になったおじさんになっても、お母さんのいうことをよく聞くんですね。両親とも大事なんですが、どちらがいっそう大事かと、もし問うならば、母親の方です。イスラームの子作り力の秘密はここにもあるんですね。女性にとって子供を持つことは、神からの恵みを素直に受け取るだけではなく、自分を敬ってくれる人たちを増やすということになるからです。
 
     これは、平成二十九年八月十三日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」に放送されたものである