イスラームという生き方Eハラール食品を食べる
 
                京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科教授・
                同付属ハダーリー・イスラーム弁明研究聖典長 小 杉(こすぎ)  泰(やすし)
            立命館大学授業担当講師       小 杉(こすぎ)  麻李亜(まりあ)
 
ナレーター: シリーズ「イスラームという生き方」。イスラームの聖典「クルアーン」の一節 を紹介しながら、イスラーム教徒ムスリムたちの生き方を十二回にわたって読み解いていきます。第六回は「ハラール食品を食べる」と題してお送りします。お話は京都大学大学院教授小杉泰さん、そして立命館大学授業担当講師小杉麻李亜さんです。
 
小杉: イスラームで豚肉とお酒を飲むこと。飲酒は禁止されていることはよく知られ てると思います。一九七○年代、私はまだ学生だった頃ですけれども、その頃はイスラームが「回教(かいきよう)」という誤った呼ばれ方をしていた時代ですけれども、その時でも豚肉、それからお酒が禁じられてる、そういう宗教だということはよく知られていました。そしてこれがイスラームというと、戒律がとても厳しいという印象をもたれる理由の一つになってきたと思います。今日はそうしたイスラームの戒律について考えてみたいと思います。喰べ物や飲み物について、イスラーム法が定めている戒律を「食事規定」―食べる事についての規定というふうに言います。クルアーンでは、肉を食べる事について次のように述べています。「雌牛章」一七三節、
 
汝らに禁じられたのは、死肉(しにく)、血、豚肉、アッラー以外[の名]が唱えられたもの。
 
とこうなっています。「死肉」というのは、死んだ肉―自然死した動物ですね。お酒についてはこういうふうに言われています。「食卓章」九○節ですね。
 
信仰する者たちよ、酒と賭矢(かけや)と偶像と占い矢はけがれた悪魔の業(わざ)であるゆえ、それから遠ざかりなさい。
 
こういうふうにも言われています。これは「食卓章」の九一節です。
 
悪魔が欲するのは、酒と賭け事によって汝らの間に敵意と憎悪が生じ、汝らがアッラーを祈念し、礼拝することを妨げることである。
 
つまりお酒を飲んだり賭け事に夢中になったりして、神を忘れたり、礼拝を怠けたりするのがいけない、と言っているんですね。その意味で言えば、お酒でなくても、ドラッグもダメです。イスラームでいけないこと、つまり禁じられている、あるいは「違法」という意味を表すアラビア語は「ハラーム」と言います。お酒を飲むことはハラーム、賭け事はハラーム、ということなります。反対に「許されている」「合法である」を示すのが「ハラール」。食べて良いものは「ハラール」であり、そこからムスリムが食べて良い食品という意味で「ハラール食品」という言葉も生まれました。今日はこの「合法」「適法」「許されてる」ということを表す「ハラール」という言葉に焦点を当てていきたいと思います。イスラーム圏からの観光客が増えて、飲食店や観光産業を中心にハラール食品の提供が今推進されています。日本へ来るとやっぱり観光どころもそうですけども、もしも食べたいと。その時に豚が入っていちゃ困る。こういう話になるわけですね。ただその話を聞いていると、「ハラール」とは何かということが必ずしもきちんと理解されていないな、って感じることもあるんです。というのは、ハラールというのを禁じられている豚肉とかお酒などを排除したものというふうに捉えると、イスラームの最も根本的な考え方が分からなくなってしまうように思うんですね。単に戒律でいけないものはのぞけばいいんだというそういう感じになっちゃうと思います。クルアーンでは、じゃあ食事をどういうふうに言っているのか、もう少し見てみましょう。「家畜章」一四五節 に、このようにあります。
 
[ムハンマドよ、信徒たちに]言いなさい―「私に啓示されたものには、食べたいのに食べることが禁じられているものはない。ただ死肉、流れる血、豚肉―これらは汚れである―、そしてアッラー以外の神に捧げられたもの、これらは例外である。
 
四つ例外が挙がってるわけですけども、これをよく読むと、まず「啓示されたもの」というのは、ムハンマドに神が示しているということですけども、クルアーンは、「神が与えたものの中で、食べたいのに食べられるものはないんだ」と言っている。つまり何でも食べていいんだということ言ってるんですね。まず「食事規定」の第一の原則は、特に指定されない限りハラール。で禁止されてるのは、あくまでも例外だという考え方です。その例外的な禁止を除けば、なんでも食べていいんだよという、こういうことですね。そうすると、そこには神の恵みであるハラールの食べ物で、お腹が一番になるのは良いことだという、食欲を肯定するイスラームらしい理念があるんですね。さらにその根底には、ハラールなものを食べる自分いう存在の肯定。自己肯定があります。これ までこのシリーズでも、何度かこのことを触れてきました。ムスリムの自己肯定観。生きてていいんだというこの感覚ですね。これを私は、「ハラール人生哲学」と呼んでみたいと思います。でこれがイスラームの人生観の根本にあると思うんです。このシリーズの第一回で、「イスラームは帰依。ムスリムは帰依する者だ」というふうに紹介いたしました。彼らが帰依するのは、唯一絶対の神。世界の創造主であり、人間の創造主なんですね。その神は、「在れ!」という命令によってすべてを存在せしめるという。そういうふうにして、創造すると言われています。クルアーンを見てみましょう。「イムラーン家章」の五九節を見てみましょう。ここでは人間のことを言っているんですけど、
 
かれ[アッラー]は土からそれ[人間]を創造し、「在れ!」と命じると、彼[アーダム]が在った。
 
この「在れ」というのがアラビア語では「クン」という命令形なんですね。私たち人間は、生きてるといろいろ人生の意味が分からなくなったりしますので、「自分はなぜ存在してるのか」と自問したりすることもあります。これに対してムスリムは、神が「在れ!」、アラビア語で「クン」と言ったので、自分がここにあるんだ、と考えるわけですね。その命令が実現している。つまり神という究極の存在人が、自分の存在を創ったんだという。そうしてそれによって自分の存在が肯定され、で、存在が肯定されてるわけですから、生きるための自然の欲求―食欲とか、性欲も肯定されるというふうにイスラームでは考えます。ただそこに例外的な禁止事項があるわけですね。「美味しいものをどんどん食べなさい」っていうんですけれども、ちょっとダメなものがある。「死肉や豚肉などはダメですよ」とこういうふうに言ってるわけです。ここで戒律とは、そもそも何かということをちょっと考えてみたいと思います。「戒律」という言葉は、仏教からの借用語ですけれども、イスラーム法では「法規定」というのが元の意味です。ただ「法規定」を「法」というふうに言いますけど、この「法」は宇宙の原理、人生哲学、倫理的な原則、礼儀作法などいろんなことを含んでいますので、日本語の「法」という、この国家が関わる法とは、ズレる部分がたくさんあります。その意味ではむしろ「イスラームの教え」というふうに表現する方がわかりやすいし、的を射ているかなと思います。食―食べることに関わる具体的な教えとして広く知られていうのが、ラマダン月の断食です。断食ですから食べてはいけないという原則ですけども、アラビア語では「サウム」といいます。飲食や性に関する欲望を断つことを意味するんですね。そうすると、断食の最中は、食事をとることはおろか、水を一口飲むこともいけないし、性的な行為も禁じられています。ラマダン月になるとムスリムは、日が昇って、日がある間日中ずーっと断食をします。そして日が暮れて日没になると断食を破る。それをおよそ一ヶ月。でこのラマダン月が一年のうちでいつになるかというのは、イスラーム暦というのは純粋な太陰暦なので、太陽暦より十一日間短いです。そうすると、毎年季節がずれていくんですね。そうすると、夏の時もあれば、冬の時もある。夏だと日が長くて、まあ暑い。当然水を飲めないのはつらいということなると思いますけれども、じゃ逆に冬は一日が短くて楽なのかというと、一見楽そうですけど、北国の人に聞くと、寒さが非常に厳しく感じられる。食べていないんでエネルギー源がないわけですね。まあそういうことも起こります。今年二○一七年は、イスラーム暦のラマダン月が五月下旬から六月下旬にあたりました。ちょうど夏至(げし)もある時期なわけですから、昼間がいちばん長い時期なんですね。そういう時期に一カ月間、一日の半分以上断食してるということ、いかにも厳しい戒律に見えます。ところがラマダン月でも、日が暮れると光景が一変するんですね。日没後というのは断食を破りますから、結果として飲食や性の自由時間が来る。性というのは夫婦のセックスということになりますけれども、クルアーンにはこういうふうに言われています。「雌牛章」の一八七節ですけれども、
 
断食の[後の]夜は、妻たちと交わることがハラールである。
 
許されていると、こういうことですね。同じ節に、食べ物についてはこういうふうに言われています。
 
[日没後は]暁の黒糸と白糸が見分けられる[地平に黎明の兆しが現れる]まで、食べて飲みなさい。
 
そうしますと、イスラーム圏ではラマダンの夜が毎日お祭りのようになるんです。十何時間も断食した後に、食事が美味しく感じられるのは、当たり前といえば当たり前ですよね。断食明けの食事するのは、家族や友人と、あるいは場合によっては、見知らぬ人も招いて一緒にするんで非常に楽しいわけです。ビジネスマンもラマダン月は出張するのを嫌います。というのは、毎日夜になると、お家に帰ってご飯食べる。これが人生上の慣例なんですね。湾岸のアラブ諸国などでは、夜はティー・パーティ、お酒は飲まないので、お茶とかコーヒーということになりますけど、それをはしごします。大きな邸宅があると巨大な客間があって、友人知人がひっきりなしに訪れて、コーヒー飲んだり、甘いお菓子を楽しむんですね。ラマダンの月には、喜捨―貧しい人のために施しをするということも奨励されるので、皆さんが食事を振る舞うと。貧しい人たちにどうぞという、そういうことも盛んになります。カイロとか、そういう大きい街に行きますと、よく見られるのは歩道にテーブルが出ている。あるいは歩道にテーブルクロスをパッと敷いてですね、誰でもそこへ座って断食明けの食事がとれるんですね。これを「神の食卓」と呼んだりします。このシリーズの第五回で、ムスリムの九十三パーセントが断食月の断食をしているという数字を紹介いたしました。日中の辛い断食を思うと、九割以上というこの数字は驚異的ですけれども、逆に夜の飲食の楽しみが待ってるというふうに思うと、日中頑張る気持ちもわかりますね。断食をしなければ、断食明けの食事が極上の 美味しさという訳にもならないわけです。「戒律」というふうに言うんであれば、日中の断食はまさに戒律ですね。しかし「イスラームの教え」というんであれば、日中の断食も夜の食べる喜びも教えの一部です。「日が沈んだら、仲良く大いに食べなさい」というのが、クルアーンが命じているところなわけです。実はムスリム自身がですね、聞くと、この夜の飲食、楽しく食べるところをイスラーム法の規則だというふうに思っていないんですね。自分たちも戒律というと、断食する方を思うんですけど、夜の教え、「食欲のままに美味しい物を食べていい」っていう、これも教えの一部なんですね。彼らは無自覚にそのことを知っていますけれども、頭で考えると、戒律というとつい断食の方を思ってしまう。外から、日本なんかから見てもやっぱりそっちが戒律に見えるわけですけども、そうではないということです。断食がお酒の禁止ということを話題にしていると、抑制的な面ばかり目についてくるんですけども、イスラームの教えの原理は「自己肯定、欲望の肯定、ハラール、すなわち良い物を求めなさい。そして例外事項としての禁止事項があります。やっちゃいけないことがありますよ」という仕組みになってるのです。
ここで娘の麻李亜に、日本に暮らすムスリムが、教えをどのように守っている のか。インタビュー形式で紹介してもらいましょう。
 

 
麻李亜: 小杉麻李亜です。私たちが住む京都は、大学と学生がとても多い街で、様々な 国や地域から留学生や研究者がやってきます。近年ムスリムも増えています。日本で暮らすに当たり、ムスリムの人たちには戸惑うことも多いようです。今日はそんなムスリムの日本での生活について、シリア人の研究者、ハシャン・アンマールさんにお話を伺います。アンマールさん、よろしくお願いします。
 
アンマール: よろしくお願いします。
 
麻李亜: アンマールさんは、シリアのアレッポご出身で、六年位前に日本に留学して来 られました。現在は京都在住です。ご専門の研究分野はハディースです。ハディースは、預言者ムハンマドの言葉や行動を集めた言行録ですね。ハディースというのは、ムスリムにとってはどのようなものですか?
 
アンマール: ハディースというのは、具体的に信仰生活で守るべき規則、又はアラビア語で 「スンナ」と呼ぶ慣行が具体的に書かれています。クルアーンの理解するために必要不可欠なものであります。例えば礼拝とか、巡礼、喜捨、これはいずれの義務としてクルアーンで定められていますけど、やり方としてその詳しいいきさつはスンナによって知ることができます。
 
麻李亜: そうしたクルアーンとハディースを守る信仰生活を、故郷シリアでは普通に送 っていらっしゃったと思うんですけど、日本ではいかがですか? 戸惑ったり、困ったりしたのはどんなことですか?
 
アンマール: そうですね。一番困ったのは礼拝する場所。シリアだったら、どこでもモスコ があります。なので、一日五回の礼拝の時間が来たら、どこでも礼拝、モスコ見付かって、礼拝することできますけど、まあ日本ではそんなことはないので、最初は日本語学校に通ってたんですけど、まぁその時礼拝の時間が来たら、空いてる教室でやってたんですけども、空いている場所は無い時もあったんです。その時は家に帰って礼拝してからまた戻ります。そしてもう一つ、食事につい てもすごく意識しました。
 
麻李亜: 食事はどんなことが実際に困りましたか?
 
アンマール: 一つは、豚が材料として使われている飲食と、そしてアルコールの使われてい る飲食も意識してきました。
 
麻李亜: 豚が材料に使われてたり、アルコールが入っている食品というのは結構あるん ですか?
 
アンマール: けっこうあると思います。例えばコンビニのおにぎりにも、豚の材料も入って いるけども、最初は知らなかったんですけど、材料表記をちゃんと読むことができたところで、いろんな豚の材料入っていることが判りました。なので、自分で自分の食事を作るようになりました。
 
麻李亜: どんなものを作るんですか?
 
アンマール: 普通にご飯を炊いて、それと一緒に魚とかほうれん草とか、
 
麻李亜: 野菜や魚ならハラールですか?
 
アンマール: 勿論、そんなに禁止させた物は凄く限られているので、そんなに意識しない。 豚ぐらい避けたらそんなに困ることはないと思います。
 
麻李亜: 豚じゃないお肉は食べませんか?
 
アンマール: もちろん食べます。牛肉大好き。牛肉、鶏肉、いろんな全部食べるんですけど、
 
麻李亜: アンマールさん、日本でラマダン月の断食をしてらっしゃいますか?
 
アンマール: はい。もちろん断食してます。
 
麻李亜: 今年のラマダンはどんな感じで過ごされましたか?
 
アンマール: そうですね。最初は朝早くて、日中の断食に備える食事をとります。この食事 を非常に大切なハディースの指示でもすごく大事な食事なので必ずとります。今年だったら夜中の二時ぐらいでとります。
 
麻李亜: それを取って断食に備えて、
 
アンマール: はい。食事をとって、そして朝の礼拝をして、一回少し寝て、そして、普通に 日中は仕事をやったり、勉強したり、いろんなことを普通にやります。
 
麻李亜: それは本当にその間は飲み食いは一切しないんですか?
 
アンマール: しないです。
 
麻李亜: お腹空きますよね?
 
アンマール: 勿論空きます。お腹空くことはありますけども、私だったらお腹空くよりもコ ーヒー止めることが非常に大変です。特に最初の一週間で非常に大変なものです。
 
麻李亜: 周りが食べてるのとか、ちょっと気になったりはしませんか?
 
アンマール: 勿論最初は凄く気になっていたんですけども慣れました。
 
麻李亜: 慣れましたか? それは周りが食べていても?
 
アンマール: 全然大丈夫です。
 
麻李亜: 夜の食事っていうのはどんな感じで食べるんですか?
 
アンマール: まぁ夜の食事は、今は私一人住んでいるので、一人で取りますけど、シリアだ ったら家族みな集まって食べるんです。家族だけじゃなくて、できるだけ多い方で集まって食べることがすごくあります。日本でも家族居ない人でも、集まることがあります。でもこれは毎日は大変なので土日、結構楽しい時間です。
 
麻李亜: 夜のご飯を食べた後はどんなふうに過ごすんですか?
 
アンマール: 食事が終わったら特別な礼拝が、普通の礼拝より長い礼拝があります。これも イスラーム世界でみんな集まってやる礼拝です。ラマダン月は、一般的にクルアーンの月と言われているんですけど、クルアーン全て三十部に分かれているんですけど、できるだけ毎日礼拝に一部読んだら、ラマダンの一か月でクルアーン全部読むことになります。
 
麻李亜: それはラマダンの夜に、毎晩毎晩クルアーンの三十分の一ずつを礼拝の中で読 んで、一ヶ月で全部読み終わるということで、
 
アンマール: できるだけ頑張るようにみんな頑張っています。この礼拝が終わったらみんな 一般的に寝ますけど、最近はこういうテレビの番組がいろんなことがありますので、みんな寝るより、
 
麻李亜: 夜更かし、ちょっと楽しい、
 
アンマール: はい。
 
麻李亜: ラマダンの断食ってアンマールさんにとっては何のためですか?
 
アンマール: そうですね。断食ということはもう飲食と性行為を断つこと、この二つのこと は人間にとっていちばん大事なことであれば、そして快楽でもあります。この二つの大事なもの断つことできれば、アッラーのためにどんなことでも、義務であったら従うこともできるという意味です。なので、まあアッラーに近づく方法として考えているんです。
 
麻李亜: やっていて、食べないよと言ったら、何か言われたりとか?
 
アンマール: 「飲食を断つことによって、アッラーのためにどんな利益がありますか?」と いうことは多分言われたと思います。
 
麻李亜: あなたが食事食べないことで、「神様は何か得でもしますか?」ということを日 本人に聞かれたことがあると。
 
アンマール: そういう感じ。
 
麻李亜: 何と答えたんですか?
 
アンマール: 断食は人間のために。こういう礼拝とか、全部人間のために、自分のためにや ることです。アッラーの教えは全て人間のため、アッラーの命令だけど、人間の幸せ、この人生を幸せに送るためにこういう教えに従うことになります。
 
麻李亜: 神に捧げる行為としてやっても、良いことは全部人間―自分に返ってくるとい うことですね。
 
アンマール: その通りです。
 
麻李亜: 毎年ラマダンやって、終わった後は、パワーアップした感じとかはしますか?
 
アンマール: はい。もちろん最初にもそういう気持ちはあります。けども、時間とともにこ の感じが弱ってきましたら、また次のラマダンでもう一回こういう気持ちを強めることができる。
 
麻李亜: 日本で断食したりするというと、苦労話がいっぱい出てくるんだろうなと思っ たら、そうではなくて、どんなに難しい環境でも、自分ができる形を必ず見つけて、その中でやればやるほど自分に良い事が返ってくるっていう道を見つけてるんだな、というのがすごく面白かったです。アンマールさん、今日は貴重なお話をどうもありがとうございました。
 
アンマール: こちらこそありがとうございました。
 

 
小杉: イスラームでは、豚は別として大抵の家畜を食べます。牛や鶏はもちろん、羊、ヤギ、ウサギ、あるいは日本人にはちょっと珍しいと思うんですけど、鳩、ラクダも食べるんですね。イスラーム圏では、どこの国の料理も肉が必須です。私がズーッと見てきた体験だと、ムスリムは肉食だと断言できるんじゃないかなと思います。これらの家畜を堵畜(とちく)する際にはイスラーム式のやり方があります。今、私、「堵畜」という言葉を使いましたけども、イスラームでは家畜を屠(ほふ)ることを、「犠牲(いけにえ)に捧げる」というんです。犠牲に捧げる際には、アッラーの名を唱えて、その動物の頸動脈(けいどうみやく)を素早くカットするのが基本の作法とされています。クルアーンを見てみましょう。「巡礼章」三六節ー三七節にはこんなふうに言われています。
 
ラクダや牛、羊を汝らのために、アッラーへの儀礼用とした。それは汝らに有益である。それゆえ並べて、アッラーの御名を唱えなさい。・・・その肉も血もアッラーに届くわけではない。ただ、汝らの篤信(とくしん)が届くのである。
 
この章句を見るとわかるように、神が肉を必要としてるわけではないんですね。家畜は神の恵みで、それを屠って信仰心が届けるわけですけども、肉は人間がみな食べてしまうわけです。家畜を屠るのは、年に一度の巡礼月いうのがありますけれども、その中にある犠牲祭。でこの時、一家の大黒柱たるお父さんは、羊なら一軒で一頭、牛なら七軒で共同で一頭屠って、その肉の三分の一を自分たちで食べる。次の三分の一を近所に分ける。最後の三分の一を貧しい人たちに分けます。知人のファフミーさんに言わせると、「どんなに貧しい人でも、少なくとも一年に一回はお肉を食べられる。これがイスラームの良さなんです」というんですね。如何にもお肉好きの言いそうな感じのことです。それにしても、肉の中でなぜ豚肉は禁止なのでしょうか。イスラーム圏での出版物や説教では、豚肉がいかに害をもたらすか、という議論が盛んです。中には医学的・科学的な見地からの説明を試みる論調もあります。もともと豚というのは、雑食ですので、清潔じゃない、という主張もされたりします。しかしどれもイスラーム圏の外から見ると、必ずしも説得性はありません。先ほどのファフミーさんは、イスラームに関することは大抵のことを「恵みと試練」という言い方で解釈します。これなかなか面白い解釈だと思うんで、この「恵み」という考えから言えば、ハラールなものは神からの恵みです。それに対して豚肉が禁止されているというのは、ムスリムがイスラーム法を守れるかどうかを試す試練なんですね。ファフミーさんの言葉を借りると、「すべての食べ物が許されていたら、來世の楽園と同じになってしまいます。試練があってこそのこの世の人生じゃないですか」というんですね。ということは、その試練のために禁止物があるということになります。その観点から、もう一回番組の最初に紹介したクルアーンの豚肉を禁止している章句を見てみますと、あれは実はその前の部分があります。「雌牛章」の一七二節はですね、最初に、
 
信仰する者たちよ、われ[アッラー]が汝らに与えたよきものを食べなさい。そしてアッラーに感謝しなさい。
 
こうなっているんですね。その後に、「汝らに禁じられたのは…」というふうに禁止事項が出てくるわけです。食べ物を神の恵みとして示して、アッラーに感謝しなさいと命じた後に、死肉とか、血とか豚肉はいけないという話が続くわけです。そうすると、鍵となっているのは、「神に感謝する」ということなんですね。で食べ物が神の恵みがあることを意識するのが一番重要だということになってきます。ここからですね禁止物があることでムスリムが食について鋭敏になるという仕組みが見えてきます。なんでも食べていい状態であれば、漫然としてしまうわけで、漫然と食べていれば、神への感謝の念も薄れてしまうと。ところが意識的に禁止物を避けることで、ハラール食品がいよいよ良きもの、美味しいもと、ということなるんですね。そしてそういう禁止物を避け、よい 恵みを食べていると、神が自分の願いを叶えてくれると、ムスリムは信じています。自分と当分の欲望を肯定し、その上神に愛されてると思えるムスリムは、神からもっと愛されるために、もっと糧を頂ために、禁止物を避けて神に感謝すると、こういうふうな教えの仕組みになっているわけです。
 
これは、平成二十九年九月十日に、NHKラジオ第二の
「宗教の時間」で放送されたものである