イスラームという生き方F切れ目のない宗教と世俗
 
                京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科教授・
                同付属ハダーリー・イスラーム弁明研究聖典長 小 杉(こすぎ)  泰(やすし)
            立命館大学授業担当講師       小 杉(こすぎ)  麻李亜(まりあ)
 
ナレーター:  シリーズ「イスラームという生き方」。イスラームの聖典「クルアーン」の一節を紹介しながら、イスラーム教徒ムスリムたちの生き方を十二回にわたって読み解いていきます。第七回は「切れ目のない宗教と世俗」と題してお送りします。お話は京都大学大学院教授小杉泰さん、そして立命館大学授業担当講師小杉麻李亜さんです。
 
小杉:  今日のテーマは、「切れ目のない宗教と世俗」です。このシリーズの第四回で商売について取り上げたとき、イスラームは宗教と経済がひとつ続きだというお話をしました。今回はそれを社会全体に広げて、宗教と社会全体がつながっているという点について、さらに考えてみたいと思います。そのために三つの地域から、ドバイ、イラン、トルコに注目したいと思います。それぞれの国の近代以降の歩みをたどりながら、イスラームならではの宗教と世俗の関係についてお話をしていきます。まずはドバイです。アラビア湾に面したドバイは、昔から商業都市として栄えてきました。アラブ首長国連邦を構成するドバイ首長国の首都でもあります。今では世界一高いビルや砂漠の国なのにそこに作られたスキー場。人工衛星からも見えるほどの人工の島々などが話題を呼び、中東屈指の観光都市としても名を馳せています。私が初めて訪れた時―もう二十年以上前になりますが、とても不思議な感覚を覚えました。街を歩いていても道行く人、商店の店員さん、ホテルの従業員、みな外国人なんですね。ほとんどがいわゆる出稼ぎできている人たちで、ドバイの人に会う機会といえば、役所に行ってそこで働いてる人くらいです。ただドバイには巨大なショッピングモールがいくつもあります。そこへ行くとドバイ人を見かけます。男性は白い長衣を着て―長い服ですね―ズドンとしたワンピースになってますけども、そういう服を着て、頭に布の被り物、女性はアバーヤと呼ばれる黒い外套で全身を覆っています。色々とイスラーム圏を回りましたけれども、役所かモールに行かないと現地の人に出会わないという体験は、強烈な印象が残りました。ドバイは商業立国です。原油も産出しますけれども、隣にアブダビ諸国という大きな産油国があって、そこから回ってくる資金をショート―ビジネスの都ですね、として全面的に活用しています。モールでは何でも売られてますけど、ほとんど全部が輸入品です。これはドバイに限らず、湾岸の産油国ではどこも同じような印象です。グローバル化時代には、自国に農業や工業の力がなくとも、経済力さえあれば何でも買ってくることができることですね。立ち並ぶ高層ビル群も、モールのなかの多種多様なお店とその商品も、それを売ったり、ビルを作ってる外国人労働者も、ドバイが産業化、工業化の段階を飛び越えて、グローバルで高度な消費社会となっていることを物語っています。近代的な消費社会が広がると、社会が急速に世俗化するいうのが従来の味方です。世俗化というのは、それまで伝統的なイスラーム社会だったものが、世俗的な空間が拡大し、宗教の役割が次第に限定的なっていくということです。消費社会の広がりという点では、湾岸以外のアラブ諸国でも、東南アジアでも、最近はその傾向がはっきりと出ています。伝統的な住居が高層ビルのマンションや戸建てにしても近代的な建築となり、車社会になって、国中にハイウェイが張り巡らされ、自家用車に乗った家族達が巨大なショッピングモールに出かけるというイメージからは、生活のなかの世俗的空間の拡大が感じられます。しかし実はショッピングモールもよく見ると、どこも礼拝所(ムサッラー)が付属しています。でこれは考えてみると、モールの利用者が礼拝の時刻になって、他に―モスクとか外にあるところだったら、そこに行かなくても済むように便宜を図ってるってることから言えば、顧客を施設内に留め置くためのビジネス用の配慮ともいえます。その一方で、伝統的なイスラーム都市というのは、街の真ん中にモスクがあって、その周りに市場が広がっているというふうに考えると、商業施設に礼拝所があるというのは、まさにイスラーム都市の現代版ともいえます。それから広大なスーパー、もの凄い大きいスーパーがあるわけですけれども、そこは商業がそのものなんですけれども、売られている商品は全てハラール、イスラーム法に適合したものじゃないといけないわけですね。そうすると、現代的な消費の場にも、イスラームが浸透しているということがわかります。社会が近代化すれば、必ず世俗化も起きるという通念を「世俗化論」と呼んでいます。必ずそういうふうになると考えるのは、近代が西欧でそのような形で進んだという歴史的な経験に根ざしています。二十世紀前半には、この見方で世界を見ても、あまり間違いはありませんでした。というのも、アジアやアフリカの国々も、近代化を世俗化を含んだものとして理解して、自分たちの社会がそうなるように必死で努力していたからです。そうした世俗化論に正面から異議を唱えたのがイスラーム世界でした。一九六○年代後半からイスラーム復興が起きてきたからです。最初は目につきませんでしたが、六十年代にはアラブ諸国でモスクの数が急速に増え始めていました。イスラーム復興がはっきりしたのは、一九七三年の第四次中東戦争のあたりからです。この戦争はイスラームの断食の月―ラマダン月ですね―それに行われたためにラマダン戦争とも呼ばれました。日本では祖国を失ったパレスチナ人を助けるというアラブの大義を掲げた戦争、つまりアラブの戦争と理解されましたけれども、実はイスラエル軍に占領された東エルサレムの聖地を取り戻すという悲願があり、イスラーム的な主題が強く盛り込まれていたのです。さらに一九七五年、初めての商業的イスラーム銀行がドバイで開業しました。このことはシリーズ第四回でも触れました。これは今日につながるイスラーム経済の始まりを告げる大事な出来事でした。そして一九七九年、イランでイスラーム革命が勃発して非常に強力なパフラヴィー王朝が倒されてしまいました。当時は、「この現代に、神による革命」と、欧米でも日本でも驚きの声が上がりました。ただ、もはやイスラーム復興が起きていることは、誰の目にも明らかとなりました。イスラームを宗教とするならば、イスラーム革命とは宗教による革命ということになります。これは近代的な政治の理解から大きく外れています。その理由は大きく分けて二つあります。一つは、近代国家は政教分離に基づくということです。近代国家は世俗国家でなければならない。宗教と政治を混ぜてはいけないということですね。それが近代を主導してきた西欧で起きたことです。それなのに二十一世紀まであと二十年ほどに迫った一九七九年になって、宗教的理念に基づく国家が誕生したわけです。時代錯誤のような感じがしますから、みんなの困惑の種となりました。もう一つの問題は、革命とは民族主義―ナショナリズムか社会主義に基づくと考えられていたことです。フランス革命、アメリカ独立革命は、民族主義の流れで国民国家というものをつくりました。ロシア革命、中国革命は、社会主義国家をつくりました。十九世紀から二十世紀に世界の各地で起きた革命は、基本的にこの二つの類型のどちらかに属しています。しかしイランでは、宗教による革命という、これまでにない類型が登場してみんなを驚かせました。何故イランでイスラーム革命起きたのでしょうか。大きな原因の一つは、王政時代に西欧的な近代化を強力に推し進め、イスラーム法を解体する動きが強まったからです。それをイスラーム法学者たちが好まないのは当然だろうとしても、それ以上に国民が嫌がったんですね。その為近代化を進めるのか、イスラームを守るのか、という対立が生じ、ついには王政が打倒されることになりました。イラン・イスラーム革命に私も驚きましたけれども、一方でエジプトでの体験から、ムスリムの社会的生活の根底には、イスラーム的な価値観や理念が生きてるいう認識がありました。現代社会の動きの中で、海を見るとですね水面にはこう見えなくても、深海に強い潮流が動いてるというのと同じように、深い所でイスラームが伏流をなして動いてるんだというふうに感じたわけです。イスラームの政治論では、正義が大事だとされます。クルアーンはこう述べています。「女性章」五八節、
 
汝らが人びとを裁く時は、正義をもって裁くよう[神は]命じている。
 
それから「部屋章」九節では、
 
もし彼らが[聖典の教えに]返ったならば、いずれに対しても正義と公平をもって調停しなさい。まことに神は公正な者をめでたまう。
 
とこうなっています。クルアーンのこうした理念は、そのまま社会で実現するとは限りませんが、ムスリムの心に正義の観念を植え付けます。普通の人々は、正義とは何かというようなことを語らなくても、自分たちが酷い目に遭っている時、それが不義だというふうに実感するんですね。イスラーム社会を見ている、そうした教えが革命の背景にあることがわかります。革命後のイランは、政治と宗教が一緒になる「政教一致」で時代遅れの体制を現代に復活させたと言われていました。「神の主権」ということを掲げているため、国民主権を否定してるんだと、欧米から批判されたわけです。しかし、イスラーム社会に親しんでいる目から見ると、このような言い方は西欧的なバイアスがかかっているように思います。「政教一致」つまり政治と宗教が合体する体制は、西洋にも昔ありました。国家を統治する皇帝や国王が、キリスト教の頂点に立つ教皇と結びついた時代ですね。そのような時、世俗の王権を「俗権」、宗教代表する権力を「教権」というふうに呼んで、両者の結合を「政教一致」というふうにいうわけです。近代になって、両者が分離するのが当たり前なると、今度は政教分離が原則となりました。つまり「俗権」と「教権」という政治と宗教を代表する二つの存在を前提として、その関係を一致してるのか、分離してるのか、というふうに分けるのが西欧的な形です。ところが、イスラームの歴史を見ると、「俗権」と「教権」というふうに区分けできないことはすぐにわかりますね。預言者ムハンマド自体は、彼が人生についても、宗教生活についても、さらに国家運営についても、モデルの役割を果たしていました。彼の死後は、弟子たちがそのモデルに従い、社会の運営に携わったわけです。そのモデルのあり方からすれば、人生や社会を区分して、政治はここまでとか、宗教はここだけなどというふうに言わないのがイスラーム的ということです。そのことは第三回でも少しお話ししました。西欧と比較していうと、イスラーム方式ではそもそも「俗権」とか「教権」とかですね、政治・宗教というふうに分かれていないんですね。でイスラームのこういう区分けをしない発想法を私は「政教一元論」と名付けました。すべてを一元的に考えるということですね。でそれと比べていうと、今度は西洋は「正教二元論」ということなります。「俗権」と「教権」、あるいは政治と宗教、国家と教会、二元的にあった上で合致したり分離したりすると。最初から区分をしないイスラーム的な発想と、西欧のように二つを認めた上でそれをつなげている場合とを一緒くたに政教一致と呼ぶのは、私を大雑把過ぎると思います。ただイスラーム的な正教一元論と言って、具体的にはいろいろな形がありますから、必ずイランのようになるというわけではありません。イラン革命の時も、エジプトの友人たちは、「イスラームといってもあの方式には賛成できない」としきりに言っていました。「法学者が、統治するのはよくない」と力説していたのです。友人のムハンマド氏は、「統治は、統治の専門家に任せないといけません」というんです。彼は、「例えば素人が軍事を指揮して負けたらどうしますか。だから法学者が統治者に助言する仕組みがいいのです」と言っていました。確かにイスラームの歴史を見ると、王権を握るものと宗教学者ウラマー(法学者などの宗教学者)が連携する体制が千年前位に姿を現しました。王権を握るものは、軍事力を持って支配能力があるわけです。ウラマーはその王権者に対してイスラーム法を守ることを条件に、その権力を承認し、擁護し、そしてイスラーム法について助言をしたり執行させたりします。実はイランでも、ずっと王朝があって、法学者が王様に助言したり批判したりするという時代が続いてきました。法学者が自ら権力を握って、統治権を振るうというのは、一九七九年の革命によって始まった新しい事態だったのです。
宗教と世俗の社会が一繋(ひとつな)がりのイスラーム。その中でムスリムはどう生きているのか。娘・麻李亜に日本で働くイスラーム教徒の女性―アラビア語では、女性は「ムスリマ」と言いますけれども、そのムスリマの奮闘ぶりを紹介してもらいたいと思います。
 

 
麻李亜:  小杉麻李亜です。今日はインドネシアのスマトラ島ご出身で、京都の会社で働くウインナーさんにお話を伺います。嵐山にあるウインナーさんの職場にお邪魔しています。ウインナーさんどうぞよろしくお願い致します。
 
ウインナー:  はじめまして。ウインナーと申します。インドネシアからまいりました。二十八歳です。よろしくお願い致します。
 
麻李亜:  ウインナーさんは、五年ほど前に日本に留学し、卒業後に就職しました。お勤め先の会社は、レストランやお土産屋さんを経営しているそうですが、今はどんなお仕事をしてるんでしょうか?
 
ウインナー:  レストランとおみやげの接客をしています。特にハラールプロジェクトもやって、
 
麻李亜:  ハラールプロジェクトというのは何ですか?
 
ウインナー:  ハラールプロジェクトは、最近日本に―ヨーロッパ、アメリカだけではなく―イスラームの国々のお客様も京都に来ますから、そのためにどのようないいサービスしますか、そのことを考えてハラール和食とか、イスラームの方々が食べれるように考えてます。
 
麻李亜:  和食というものもイスラーム教徒の人にも食べられるような形で出して行くというのが、そのプロジェクトの一つということですね。
 
ウインナー:  はい。そうです。ハラール和食だけではなく、ヒジャーブ(イスラム女性の着る、目だけを残して頭から足元まですっぽりおおう薄絹地の服)の販売もします。
 
麻李亜:  ウインナーさん、ヒジャーブというのは、ムスリムの女性の方が好きで、頭につけてますけど、こんなのもハラールプロジェクトで、どんなヒジャーブを作ってるんですか?
 
ウインナー:  着物ヒジャーブです。
 
麻李亜:  着物ヒジャーブというのは、着物の生地を使ってヒジャーブを作るっていうことですか?
 
ウインナー:  そうです。京都は凄い綺麗な着物がいっぱいありますから、その着物の布からヒジャーブを作って、絶対お客様は京都にほんとにフレンドリーのイメージになります。去年から着物ヒジャーブの販売始めて、現在は売り切れです。凄い人気です。
 
麻李亜:  着物の柄をちょっと派手過ぎたりはしないんですか?
 
ウインナー:  それはいいと思います。なんか赤いとか、そんな感じでいろんな色、いいことと思いますよ。もう一つは、京都に来て浴衣、
 
麻李亜:  浴衣に着替える。
 
ウインナー:  浴衣着て散歩します。次のプロジェクトは着物ヒジャーブと浴衣がいいかなと思いますね。
 
麻李亜:  浴衣を着て、着物ヒジャーブで散策をすることですね。素敵ですね。
 
ウインナー:  ハラールのお客様が来たら、例えば挨拶して、京都の場合は、「おこしやす」。イスラーム教のお客様来たら「アッサラーム・アライクム(あなたのうえに平穏を、平和を)という、それは絶対お客様も嬉しいです。
 
麻李亜:  日本でビジネスの経験を積むことの魅力って何ですか?
 
ウインナー:  私、インドネシアから来ましたので、もちろんインドネシアのビジネスと日本のビジネスは違います。ですから、日本のビジネスのことをそれはもっともっと知りたいんですので、勉強しながらイスラーム教のルールにそこのビジネスは、いいか、ダメか、そのことまでも研究しています。
 
麻李亜:  日本のビジネスとウインナーさんの知っているインドネシアのビジネスで、何が一番違うんですか?
 
ウインナー:  違いますね。例えば乾杯の、
 
麻李亜:  乾杯の文化、
 
ウインナー:  乾杯の文化です。ビールとかワインとか、ないかなと思います。インドネシアだけでなく、イスラームの国々もその乾杯という文化は絶対ないと思います。ですから、それはイスラーム教文化と日本のビジネス文化は、どんな感じがいいかなと、そんなことも知りたいです。今までですね、日本のビジネスと私の長いイスラム教のルールと今まで問題がないと思います。何故かというと、例えばこの会社もですね、スタッフは日本人ばかりなんですけれども、例えば断食の時ですね、この会社のスタッフは、「ウインナーさん、今月は断食ですね。申し訳ありません。ちょっと私食べます。私の前に食べて、それは申し訳ありません。それはいいと思います。実はイスラーム教のルールもそんな感じです。断食の方の前に食べるはダメです。ですからごめんなさい。申し訳ございません、と、それは絶対言います。
 
麻李亜:  ムスリムだったら断食している人の前でご飯を食べると言ったら、申し訳ないからごめんなさい」と言わないといけないけど、日本の人も自然にやってくれるから、けっこう似ている。
 
ウインナー:  それ私もビックリしました。へえっ、これはイスラムの基本ルールだと思います。
 
麻李亜:  ウインナーさんの会社の福田社長さんにお話を聞いてみたいと思います。福田社長さんよろしくお願い致します。
 
福田:  よろしくお願い致します。
 
麻李亜:  和食でハラール料理というと、もともと和食はそんなに豚とかアルコール使っているイメージがないんですけど。
 
福田:  そうですね。お料理の内容によりましては、やっぱり出汁を作ります時に、日本酒というものを使いますので、その部分がまず一つと、あとは日本の調味料であったりとか、原材料の中にも豚によるものがけっこうあるんですね。それを使わないということになりますと、少し味としては限定されてくるというところがあるんで、それをどう本来の食の味にするかというところ、非常にこれは学習しましたし、料理人たちも一生懸命やりました。私のイスラム教の友人がきっかけでこの食事をやりたいと思うようになって、その国の文化、そういう宗教を持つ方の文化を知らないと、こちらはなんとも思っていなくとも、失礼があるという場合がありますし、
 
麻李亜:  ウインナーさんが職場にいるということで、ムスリムの女性と一緒に働いてるということだと思うんですけど、文化の違いとかも大きかったと思うんですけど。
 
福田:  彼女の場合、特に大きなことは本当になかったです。かえって宗教を心にもっているということで非常に親切、例えばお年寄りの方が来られたりとか、異国の方が来られたりというときには、非常にその不安を取り除こうとするという、
 
麻李亜:  それは自分がムスリムだから、ムスリムの人に親切というだけでなくって、
 
福田:  ほんとにそういうこと、特に年配の方に、日本語でですねそれも、丁寧にお料理の説明をしたり、お手洗いの場所がどこにあるということも、近くまでついて行ったり、とてもそういうところが親切で、
 
麻李亜:  信仰が彼女の中にあるっていうことが、一つ重要なことだって、ムスリムのすごく親しく友人がいるっていうことでしたけど、
 
福田:  はい。やっぱりその彼女からいちばん最初に教わったことというのが、そういうところで、どんな所でも自分の大切なものというのが揺るがないということを非常に感じまして、イスラーム教だからとか、何教だからというのではなくて、心に信仰を持っているということが、やはりその人を強くさせたり、思慮深くさせたり、思いやりを持ってということでしょうかね、そういうことがとても人間同士通じるという感じがします。よく神さんがどこかで誰かが見ているというようなことを、ほんとにそういう自分のなかの軸があるというんですかね、そういうところがはっきりしているなというふうに感じて、私は一緒にいてそれが気持ちが良かったりするところですね。
 
麻李亜:  では,ウインナーさん、ウインナーさんがムスリムとして、ビジネスでも成功するというのは、どんなイメージですか?
 
ウインナー:  日本に仕事して、私の考えるのは京都だけではなく、他の地方もムスリムフレンドリーに広がって、それはアラー、アラーというイスラム教の神様ですね、嬉しいです。神様も見て、あ、この子はいい子です。それはズーッと私考えてます。ですから毎日どのようないいサービスにするか、それ頑張ります。ほんとに金持ちのためじゃないんです。
 
麻李亜:  金持ちのためじゃないというのは、自分がお金いっぱい欲しいとか、そういうことでなくて、やることで神様も喜んでて、それが嬉しいということですね。
 
ウインナー:  はい。
 
麻李亜:  お祈りちゃんとやってますということだけじゃなくって、ビジネスやってる場面でもやっぱり大事ですか?
 
ウインナー:  はい。それもちろんです。イスラム教の中にもいろんなイスラムビジネスがあって、本当に私の信じるようなことは、世界中に何するか。悪いことか、善いことか。絶対神様が見えますので、本当に善いことをしたいです。
 
麻李亜:  今日、お二人のお話を伺いしていて、宗教とビジネスとか、日本とイスラームと、全然異なるものがそれぞれ対立したり、仲良くしたりいうことでは全くなくって、どの文化にも通ずるような心の中に一つ軸があって、それによって、お年寄りに優しく出来るとか、どこにいても清々しく生きることができる。ちょっとした価値観の中で生きていらっしゃるわけで、異なるものの鬩ぎ合いの中で、それをうまくやろうととか、そういうことではまったくないんだなと。どんどん広がっていく共通する価値観みたいなものがしっかりとあって、そのことによってさまざまな人たちが、いくらでも手を取り合って楽しく生きていくことができるというのを感じました。ウインナーさん、福田さん、ありがとうございました。
 

 
小杉:  「イスラームという生き方」その第七回は、「切れ目のない宗教と世俗」と題してお伝えしています。二十世紀に、アジア・アフリカ諸国では、近代化と世俗化をパッケージとみなす考え方が広まり、近代化するなら世俗化も推進すべきという政策が多くの国で取られました。イスラーム世界で見ると、その代表が一九二三年に樹立されたトルコ共和国です。第一次世界大戦の敗戦の危機からトルコを救ったケマル・アタテュルクは、民族主義などとともに世俗主義を国是として推進しました。アラビア文字を禁じたり、イスラーム法を停止したり、神秘主義の道場を閉鎖するなど、彼が行った徹底的な脱イスラーム化政策は有名です。ケマル・アタテュルクの死後、二十世紀半ばに一党独裁から民主化してくると、イスラーム復興が始まりました。強力な指導者がいくら脱イスラーム化を進めても、イスラームの生き方をしたい国民がたくさんいたんですね。選挙で彼らの票を求めてイスラーム的な線を打ち出す政党や政治家が出てくることになりました。さぁ現代になっても、イスラームの教えに従って生きたというのはどういうことでしょうか。例えば預言者ムハンマドについて論じた第三回で、ムスリムは男の子をムハンマドとたくさん名付けるとお話しました。他にも預言者の名前やアラーの僕(しもべ)という名前も好まれます。世俗化というのは、社会が宗教的でなくなり、宗教が個人の領域や内面に限られてくるということですけど、子供の命名というのはプライベートのことですから、そこで自分たちがイスラームの教えに従って、ムハンマドと名付けるというようなことをすると、世俗化しても社会にイスラーム的な名前を持つ人たちが、たくさんいるということになるわけですね。ムスリムにとって、イスラームは生活のスタイル、生き方、文化です。国家がイスラーム法を実施していても、していなくても、人生の指針にしている教えというのはなくならないわけですね。イスラームが社会や家庭の中で生きていて、それがやがてイスラーム復興があらわになってくると、その流れを支えるようになります。宗教から俗事までイスラームが広がっているということを申し上げてきましたけれども、それは言い換えると、イスラームの多くは実は俗事だということですね。例えば結婚男女はセックスをすると思いますけれども、クルアーンでは通常の性交である限り、どんな体位をとっても良いということも書いてあります。これはまさにプライベートな俗事についての教えですね。イスラーム法の規定はほとんどが俗事に関するものなんですけれども、逆に見ると、そこにたとい俗事であっても、イスラームの名の下で教えを語るのだという強い意識も感じられます。このような特徴は、近代化とも火花を散らしましたけれども、グローバル化時代の現代の生活で見ると、やはり宗教と現代社会ということで、様々な議論を呼んでいます。次回以降、さらにそういうことについて考えていきたいと思います。
 
     これは、平成二十九年十月八日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」に放送されたものである