今夜、十二時までのいのち―仏教研究と信仰
 
                  大正大名誉教授 福 田(ふくだ)  亮 成(りようせい)
1937年、東京都生まれ。1960年、東洋大学卒業。1965年、東洋大学大学院文学研究科博士課程満期退学。1973年、大正大学助手に。1992年、大正大学教授。1997年、智山伝法院長。2007年、大正大学名誉教授。2011年、智山専修学院長に就任。2012年、種智院大学客員教授に就任。真言宗智山派の成就院前住職。大正大学名誉教。
                  き き て   鈴 木  健 次
 
ナレーター:  今日は、「今夜、十二時までのいのち―仏教研究と信仰」と題して。成就院(じようじゆいん)前住職で大正大学名誉教授の福田亮成さんにお話を伺います。福田さんは、中学卒業後定時制高校に通いながら会社員として働いた後、東京の上野駅に近い真言宗智山派の寺成就院に入り、東洋大学で仏教学を学びました。同大学の助手などを経て、寺の住職を継ぐとともに、二○○七年まで大正大学で真言学の研究と教育に当りました。聞き手は鈴木健次ディレクターです。
 

 
鈴木:  福田さんがお住まいになっている東上野の辺りというのは、下町的雰囲気というのがかなり残っているように思いますね。
 
福田:  最近変わってきましたけどね。ビルがいっぱい、マンションが建ったりして、寺の位置は江戸時代とあまり変わらないというかな、
 
鈴木:  お寺がたくさんあるんですね。
 
福田:  あるんですね。あそこは地域的に仏教が二つ重なっていて、下谷(したや)仏教会というのが―僕のところがそうなんですけども、中谷の方にかけて、入谷とかあっちの方にかけて下谷仏教会。それから観音様の方にかけては浅草仏教会があって、両方合わせると三百位の寺がありますね。
 
鈴木:  福田さんはお寺の子としてお生れになったんですか?
 
福田:  いや、そうじゃないんですね。私は十六歳の時に寺に入ってきました。その前は普通の家庭のせがれでして、父親も早く亡くなったんですが、兄弟十二人もいるんです。僕は十二番目ですね。四人死んでいて、大体八人でズーッと生きてきて、今は姉が一人と私だけで、あとはみんな亡くなってしまいましたですね。
 
鈴木:  お寺に入られる前は、中学生、高校生ぐらいですかね?
 
福田:  高校ですね。僕は昭和十二年生まれですから、終戦後は小学校二年生。その後の十年間は敗戦直後の大混乱の時期ですね。その辺から中学卒業して会社に勤めました。あの当時はですね、僕が行っていた中学の中で、同じクラスの中で、昼間の高校へ行くのは二人ぐらいでしたかね。後はみんな就職です。町の工場に働きに行く。早く家を助けるというかな、私もそういうふうに思ったんだけど、だから昼間の高校は断念していたんだけども、ある場所に就職をすることができて、そこから夜の高校に通うことになって―夜間高校ですね。
 
鈴木:  昼間のお仕事というのはどんなお仕事だったですか?
 
福田:  それはですね、中学校の元の英語の先生あたりがそこの会社へ勤めていて、で「誰か」というんで話があったんですけども、英国系の保険会社のグループがブランチを出していて、横浜にも、神戸にも、東京にもブランチがあって、東京ブランチに私は勤めることになったんですね。船の積み荷の保険ですね。ですから外回りの人が、丸の内とか日本橋とかあの辺の貿易会社に行って仕事を取って来て、書類を作って、昔ですから今だったらコピーができるんですが、カーボンを入れて複写をして、僕の仕事はですねその各契約をした会社に複写された書類をお配りしてサインしてもらう、そういう仕事でしたね。
 
鈴木:  英語を使われたですか?
 
福田:  普通の日本の会社だったら「給仕さん」というんだけども、僕は「ボーイさん」と呼ばれていましたね。英国人が四人おりまして、後は二人日本の官庁を定年になったような大物が二人いて、それぞれ秘書がいて、それで外回りの人が五、六人、タイピストが十五、六人いたかな、そういう規模の会社でしたね。今は東京にないみたいですね。そこで二年間働いて、私もその会社の先輩のように、高校の夜間、大学は夜、この仕事を勤めてなんとか行こうと思っていましたですね。確かに先輩がいて、日大とか早稲田とかの夜間へ通っていて、英語を勉強するためYMCAに通ったりして、そういうルートもあったわけですね。だから自然と私もそういうふうに行くことになるかなと思っていたんですね。
 
鈴木:  お寺に入られるというのは偶然なんですか?
 
福田:  そこで二年目になったときに、今の私の寺に関わることになったんですけども、直接血液のつながりはないんですけども、縁をたどると遠い因縁のあるお寺で、そこには弟子がいないというようなことから、「どうだ」という話になって。私も大決心をして寺に入ってきたことになるんですね。完全に方向転換ですからね。こう行こうと思ったのが、別の方向に変わってしまったから、それを決心するまでには、十五、六歳でしたけどもよく考えて、自分なりに決心をしたんですね。周りの私の母親も兄弟も「行きなさい」という人は誰もいなくて、「お前の問題は自分で決めなさい」ということで、考えに考えて自分なりに決心して、そこへ入っていったということですね。ですから完全に方向が変わって、生活環境も完全に変わってしまったんですね。
 
鈴木:  そうすると、この世の無常を感じて仏門に入ったとか、そういうこととはだいぶ違いますね。
 
福田:  そうじゃないですね。だから終戦直後の大混乱の時代ですから、自分なりには方向を決めていたけれども、絶対それが成功するとは限らなかったですからね。そういうこともあったりして、まぁ二年間の十五、六歳のお勤めの経験ですけども、人間一生こういうことをやって生きているのかなと、子供心に疑問を持ったことは事実ですね。こんなことをやって人間一生生きていくのかと。事務所の中には意地悪な人がいたりですね、独りよがりの人がいたりして、十五、六歳なりにそういうものを観察していたということがあったわけですが、それが直接の原因じゃありませんけどね。師匠の言だと、「寺へ来ればお前の好きなだけ勉強させる」というようなことも言われますし、漠然ともっと勉強したいなという思いがあったからですね。一つの原因だけじゃなくて、いくつかの原因が重なって決心したことになりますけどね。だから高校の夜学も大変楽しかったですね。みなそれぞれ仕事をして集まってくるわけだから、本を読みあったり―時間がなかったですけどね―いろんな話ができて、ぼくは大変いい経験をしたというふうに思いますね。夜学の先生もなかなかユニークな人で人格的に尊敬できる人だったということもあってですね、今思い返しても楽しかったなと思いますね。
 
鈴木:  夜学高校から大学に進学するというのはかなりのケースがあったんですか、その頃?
 
福田:  いやなかったんじゃないですかね。みんなやっぱり働かなければいけない状態の人ですからね。
 
鈴木:  福田さんは、東洋大学に進学されていますよね。
 
福田:  寺に来てですね、昼間の高校に転校しましたですね。そうしたら同じクラスの人たちがもう受験勉強真っ盛りですね。完全にドロップアウト(dropout)してしまってですね、今までそんなことやっていなかったわけだからね。そこへ突然来たわけですから。家の環境も変わりましたし、学校も変わったし、ということで十六、七ですからね。いろんな思うことがあったり、悩んだことがいっぱいありましたね。それでたまたま大学へ行くということになって、私の師匠が「東洋大学へ行け」と。私の師匠なりに、「一般仏教を研究してから、宗学―真言学、大正大学へ行け」というようなことで、「まずは東洋大学へ入れ」ということでやっと受かったというかな、それで入ったわけですね。そうしたら今までドロップアウトで悩みに悩んでいたのが、大学に入ってきたら横に一列でしょう。大体同級生は浄土真宗の人が多かったですけど、みんな寺のせがれですね。禅宗の人がいたけど、この人は雲水をやっていた人ですから、こういう人たちと一緒に勉強しだしたわけですけど。まあ何というかな僕の寺の状況だと、四時半に門を閉めるんですね。朝早いんですね。だから部活をやっていられないでしょ。遅くなっちゃうでしょ。で小僧でしょ。弟子でしょ。だから門を閉める前に帰って、家族と一緒に食事をする。家族というのは師匠夫婦ですけども、私と。それが鉄則だから。大学へ行っても行き場所がないからもっぱら研究室にいた。研究室にいたら助手のお手伝いをすることになって、掃除したり、先生にお茶を出したり、そういうことをやっていたんですね。それで先輩たちとの交流もできたし、勉強の方向づけもいろいろ教わったりして、勉強始めたという状況ですね。楽しくてしょうがなかった。大学の勉強ようやくここで勉強できるという感じでね。教えられる本をどんどん読んだりしてですね、知識も広めることができて、他の同級生よりは少し勉強進めたというかな。
 
鈴木:  成績が良かったわけですね。
 
福田:  まぁね。もう三年の時に大学院の授業に出ていましたから。というのは、もちろん研究室にいるから大学院の先生もこいつ大学院と思ったらしくて、ダメだと言わなくて、僕出ていましたですね。もう先輩たちも人数が揃った方がいいわけでしょう。だから「出て来い」と言われて、全然わからなかったけれども、いろんな先生の授業に出ていたということがまぁ勉強を少し進めたということになるんじゃないかな。
 
鈴木:  そこから僧侶への道は一直線につながったと。
 
福田:  まぁね。先程言いましたように、僕、会社へ勤めたことがあったという経験ですね。給料は二十五日に頂けるんで大変楽しかったんだけど、坊さんになってお布施というのはどうも貰いづらいというかな、そういう雰囲気があってですね、もらう資格があるんだろうかというような、それだけの僕は力を持っているんだろうか、というようなことで悩んでいましたですね。幸いにですね、師匠は朝早くきちっと起きて、掃除をして、お勤めをするというのは、きちっと決めておったことだから、割合と寺の生活というかな、掃除を徹底的にやるとか、そういうのを仕込まれましたからね。一日一日の時間の使い方というかなぴっちりしていたということが逆に良かったかと思いますね。寺の中でもそうでない寺があると思うんだけど、私の所を場合は朝早く起きて掃除をして、ということから始まりましたから、そういうことが身に付いたというかな、そういうことでだんだんと慣れてきたというかな、そういうことがあるんじゃないかな。
 
鈴木:  大学で仏教学を修めると。特に成績も良かったというようなことがですね、僧侶としての自信につながるもんなんですか?
 
福田:  いや、そこですね。まぁ他の方はそういうことがあるかもしれませんけども、僕は、仏教学を勉強するということが、僧侶としての自分の自信につながっていくんじゃないかな。もっと言えば、自分の信仰の問題に関わってくるんじゃないかなというふうに思っていたんだけど、なかなかそうはいかないというかな。研究論文もチベット文の『理趣経(りしゆきよう)』というのを取り上げて卒業論文を書いた。修士論文もその延長線で書いたんだけれども、これは何か文献として読むというようなことで、その成果を客観的に論文にするということをやってたわけですね。いわゆる仏教学というのはみんな客観的に文献を正確に読むというのが鉄則だから、そういうことに終始してしまって、信仰者としての自分ということに―そういうことをやってますよということは言えるかも知れないけども―それが「お前にとってどうだ」と言った時に、なかなか答えが見出せなかったというかな。ただ研究論文をいくつか書いて積み上げていったというかな。僕はある短期大学に講師で行ったことがあるんですが、その時に明治大学の経済学の先生と知り合いになって話をしたことなんだけども、その先生は曰く、「経済学をやっていたって金持ちにはなりませんよ」って。そうすると、自分に引き比べて「仏教学やったって、信仰は深まりませんよ」ということと同じように。そこでこれ以上、対象が経典ですからね、経典を研究するということが、経済学のようなものとは違うんじゃないかと。経典というのはある悟りの境界を禅定の中から述べたものなのに、それを読んでいて、こっちが全然それに感化されて、信仰が深まるというのは当然だと思うんだけど、今の仏教学のやり方ではなかなかそれはできないんじゃないかと。詳細に見てみると、大学者は全く信仰を語っていない、ということに気がついたんだね。立派なすごく研究書があって絶対読まなければならないということがあるんだけども、自分の信仰を吐露するというかな、極めて少ない。それが日本の真言宗の教学者、ずっと鎌倉時代から江戸時代にかけて教学者の書いたものの中にも、「このことについて、あんたはどういう意見ですか?」と言わないんだよ。いろんな註釈から証拠を出すだけなんですよ。集めるだけの。今までの仏教学はそういうことだったんだね。親鸞とか道元とかというあの人たちは独自の世界を読み取ったわけだけど、本当はそうでなければいけないのに、それ以外のそれ以降の人達というのは、経典の注釈とか、そういうことに明け暮れていたというかな。空海さんは、それを厳しく注意しているんだよね。「私は註釈を書かない」と言っていますからね。確かに空海さんの著作の中に註釈書はないんですよ。
 
鈴木:  そうですか。
 
福田:  註釈というのは、お経の文句がどうだという、これはないんですよ。だからこういうことでなければいけないんじゃないかなと思ったんだけども、なかなかそれは難しいことですね。
 
鈴木:  福田さんは一方で、仏教学を修められると同時に、下町的な上野のお寺の住職を継がれますよね、後にね。住職として檀徒に信仰を説くわけですよね。こういう学問と信仰というのがどういうようにして結び付くようになったんですか?
 
福田:  それですね。確かに私のところは檀家寺ですから、お葬式とか法事とかという場面が多いですね。その時に自分がやっている研究なんていうのは全く使いもんにならないですから。いわゆるその研究成果をその人に話したって、何の意味もないわけですからね。その人には直に真言宗なら真言宗、仏教なら仏教のもっと身近な問題を提議していくというかな、そういうことをしなければなりませんね。それを家(寺)が―私、大学生の時から門前に掲示板をズッと書いてるんですけども、その時にですね近所のおじさんが居るんですが、早く起きて仕事をしているおじさんが、彼が僕にですね、「お前の言葉で書いたらどうだ」というようなことを言われたんですね。今までは、「弘法大師はこう言っている」とか、「何とか経にはこう言っている」と書いていたんだ。「それちっとも響かないと。かえって抵抗を感じると。だからお前の言葉で書いたらどうなるんだ」と言われた。それからそうだなあというふうに思ってですね、それがやっぱり住職であるというそういう世界を片面では―研究者としての世界もあるけど―こういう世界は大きな世界ですからね。そこを何か自分なりに手を打っておかなければしょうがないわけですね。そういうようなことから始まって、説法の場が与えられれば一生懸命やりますし、それからまあその当時いろんな講演会があって、講演会に聞きに行くというか、それは真言宗だけでなく、浄土真宗とか禅宗とかの講演―講座ですね―いろんなとこでやってましたね。そういうのになるべく好んで参加をしましたですね。まぁ浄土真宗は大変盛んでしたね。禅宗でも臨済系の組織でやっている。毎年やってる近所にお坊さんがいたもんだから、そういうこともあって聴聞に行ったことがあるんですけども、その時に―それは浄土真宗の主催の講演会でございましたけれども、二人の方が話をなさる。真宗のお坊さんと、それから真宗の信者の方がお話をなさる。まぁ名前を具体的に言いますと、真宗の信者は亀井勝一郎(かめいかついちろう)という人ですね。
 
鈴木:  文芸評論家ですね。
 
福田:  この方の講演がありまして、冒頭で、「ここに集まっている諸君は、今晩、十二時に死ぬであろう≠ニ。そういう気持ちで聞いてもらいたい」というようなことが開口一番にあって、それがバカに僕の心に大きな響きになって圧倒されましたですね。どんな話をしたかもう忘れましたけれども。そういうことがずーっと尾を引いて、自分の中に響いていた状態になって、それをいろいろと考えて、いや人間死ぬって誰だって死ぬんだから、ただ今晩十二時と時間を切ったって死ぬということは変わらないんだから、だけども具体的に十二時までに死ぬということを起点として思い返すと、ここに大変宗教的な世界が求められてくるんじゃないかなぁ。単なる世間的な範疇では答えられるものがなくて、それにこそ宗教的な世界が広まっていくんじゃないかなというふうに思いましたですね。それと前後して、誰でも読んでいるんだけど、トルストイの『懺悔』という、その中に仏教をトルストイは通過した人なんだけども、取り上げた問題が大変有名な譬え話なんですけど、そういうことも結局は人間死ぬんだということを切実に述べたものをトルストイは取り上げたわけですけど。そういうようなことがあって、さてというような局面に立たされた時に、どうするかという。あと何時間しかない、という状況にすると、その当時の僕の友達は、「お前おかしいんじゃないかと。死みたいなものばっかり考えて、それでお前おかしいと思わないのか」って言われたことがありましたけども。僕は執拗にそのことを問題視していろいろ考えてみますと、仏教という教えはその辺に大きく展開をしている教えだというふうに―仏教だけじゃなくてキリスト教も全くそうだと思うんだけど―そこにこそ宗教の世界がバーッと広がっている。普通の人たちはそこまで到達しないんじゃないかと。だから「宗教はわからないとか、古臭い」とかと言っているわけで、それを当人のいかに深く生きるかというテーマをかざしてないから、そこまで行かないんじゃないかと。十二時までいかに生きるかという、そういう状況に至ったときに、初めて釈尊の言葉、イエスの言葉が響いてくるんじゃないかなというふうに、僕は漠然と思って、それ以来ですね仏教というのは面白くなってきたというかな。だから今までは「空」とか「般若」とかという、まあなんか抽象的なものとして、仏教の哲学、哲理として考えられていたんだけど、それ実際十二時までの命をどうするかというところに、空とか般若とかがあるんだと。こういうふうに問い直したときに、これだと思ったんですね。それ以来、信仰と研究というかな、そういうものをなるべく重ねるようにして考えるようになった。「信仰を前提として文献を読むことは、文献を偏った私見でしか見ないということだから、学問的におかしいんだよ」という人がいるんだけれども、それはそういうふうにやっている人はやっている人でいいと。僕自身の問題は、信仰と絡めて考えていきたいと、こういうふうに思って大正大学に関わるということが弘法大師の文献の授業を行うことを通して、弘法大師の書かれたものは難しいと。それをなるべく現代語訳にしたいと。こういうふうに思ったわけで、営々とその後それを続けているというのが、僕が研究と信仰といろいろやっと重ねる。これまだ完成していないんですね。途中だと思うんですけど。研究も途中だし、信仰も途中だと思うんだけど、やっとそこであまりに矛盾を感じなく、空海のものを読むことができるし、もっと学問的なことにも新たな興味が持てたということがあるんじゃないかと、私は思っているんですけどね。
 
鈴木:  キリスト教会でも、特に戦後は日本で新約聖書学なんかは、世界的な業績をあげた学者が輩出しておりますけれども、そういう成果というのを、じゃ教会の、例えば礼拝の時にすぐ取り入れているかというと、なかなかそうはいかない。難しい問題がそこで起こるんだろうというふうに私は思うんですけど、仏教でもさっきお話があった学問をしている人は、信仰を語らず、信仰の人はなかなかその勉強はするんでしょうけど、それを咀嚼して説教とか布教活動に生かすということは難しい状態にあるかなと思うんですけども。
 
福田:  本当ですね。そこが仏教学が盛んでも、仏教は下火だと言われる原因だと思うんですね。日本は仏教が全部覆っているかというと、仏教学は確かに盛んだけれども、仏教自体はどうなんだろうというふうな問い直しをしなければいけないんじゃないかと思うんですね。果たして現代の日本人を仏教が救えるのかと。そういうところまで立ち入った時に、教えとしては僕は完璧に救えると思いますけど。そういう方法を持っていないというかな、これは大いに反省しなければいけない。ある時ですね「弘法大師と空海は別人だ」という人と出会ってですね。その人の無知を批判するんじゃなくて、真言僧侶の責任じゃないかと。これは真言の空海を初祖として崇める我々真言の僧侶たちは、もっと頑張らなきゃいけないんじゃないかというような思いがしましたですね。
 
鈴木:  弘法大師以降というのは、思われている四国から東北の方まで、あるいは九州の方まで本当にいろんな足跡を巡る伝説に彩られていますが、それだけにですね、その伝説が大きくなっているだけに、空海という一人の体形を持った密教の僧の実像というのが見えにくくなっているというような、
 
福田:  いいますね。だから親鸞や道元みたいに、それぞれが言っている深い世界をもっと一般の人にわからすようにぶつけていく。それには空海の文章はすごく難しいんですね。だから鎌倉期の道元や親鸞は、文化人の信者もいるし、執筆をしているが、空海についてはいないんだよ。かろうじて司馬遼太郎(しばりようたろう)の『空海の風景』を読んで、あれで空海が分かったという人が大部分であって、それ以外にないんですよね。
 
鈴木:  福田さんは、空海コレクションというようなことで、空海の書いた言表をですね難しいですから気をつけて出版されるとか、あるいは空海が使った言葉、大切な言葉を辞典という格好で編纂を続けていらっしゃる。すでにもう三冊出ていますね。まさに今おっしゃったような形でのお仕事を、今も盛んにやっていらっしゃると思うんですけど。
 
福田:  そうですね。僕は大学を定年になった後ですね、もっぱらそれを完成しなければいけないということに集中しているんですけど、これはもう最初一巻目が出て、もう四十年も経っているわけで、なかなからちが明かないということもあるんですけど。
 
鈴木:  『空海要語辞典』のことですね?
 
福田:  はい。『空海要語辞典』ですね。今、やっと最後の巻の再校が出てきたところですけど、元気なうちになんとか形にして世間に問いたいというふうに思っていますけど。これも実に限界がありましてですね、弘法大師の文章を現代語訳にしても、それがどれだけ綴るかということがなかなか難しい。それはでも突破しなければいけなくて、本を書くというのは、本来の意味での弘法大師信仰を訴えていかなければいけないと思うんですけどね。それにまあ遅々とした努力を続けているというのが現状ですね。
 
鈴木:  お元気でお仕事をお続けになられますようにお祈りします。
 
福田:  ありがとうございます。
 
鈴木:  ありがとうございました。
 
     これは、平成二十九年十一月五日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」に放送されたものである