争いから交わりへ―宗教改革500周年
 
                ルーテル学院大学名誉教授 鈴 木(すずき)  浩(ひろし)
                き き て        鈴 木  健 次
 
ナレーター:  今日は、「争いから交わりへ―宗教改革500周年」と題して、ルター研究所所長の鈴木浩さんにお話を伺います。ルター研究所はルーテル学院大学と日本ルーテル神学校の付属研究機関として一九八五年に開設され、日本におけるルター研究の拠点になっています。聞き手は鈴木健次ディレクターです。
 

 
聞き手:  鈴木さんは、ルーテル学院のルター研究所長として、宗教改革500周年の今年は特にお忙しい一年でいらっしゃるんではないかと思うんですけども。
 
鈴木:  そうですね。予め覚悟はしていましたけれども、率直に言って想像以上に忙しくしております。数年前からいろんな準備をしてきました。特に日本ではルーテル教会とローマ・カトリック教会の合同の礼拝が予定されていますので、私はもう引退しましたので直接そういった準備にかかっているわけではありませんけれども、これも初めてのことになりますが…
 
聞き手:  共同委員会というんでしょうか、そういうこともやって、資料などの翻訳にもご活躍なさったようで、私なんかルターというのは、免罪符を売ったカトリック教会を批判した。そのことから宗教改革が始まって、ヨーロッパのキリスト教がカトリック教会とルーテル教会などのプロテスタント教会に分裂したというふうに習っておりまして、ルーテル教会とローマ・カトリック教会が、その二つが今度は合同で宗教改革500周年を記念する礼拝をするんだということを聞きまして大変驚きましてですね、ぜひ鈴木さんにお話を伺いたいと思ってお願いをしたわけなんですが、その前にちょっとですね、宗教改革そのものについて基本的なことを伺っておきたいんですが、ルターという人はどういう人だったんですか?
 
鈴木:  一言でいいますと、修道士でして、アウグスチノ修道会という修道会の修道士でありまして、修道士ですから当然当時は独身だったわけですね。この修道会は、修道士たちに聖書を持たせ、修道士たちも日頃の勤行に加えて聖書もよく学んでいたんだろうと思います。その中でルターはあまり自分のことを自慢する男じゃないんですが、「自分は模範的な修道士だった」と言っているぐらいですから、本当に修道士としての生活を懸命に生きていたんだろうというふうに思います。その背後にあったのは、つまり若い時にいろんな出来事があって、大きな不安を抱えているわけですね。宗教的な不安ですね。どうしたら私は救われるんだろうかと。その確信がいられない。それで修道士になったら何とかなるんじゃないかといって、で修道士になったらその不安が余計強くなったと。そういう面があるんですよね。
 
聞き手:  もともとは何か大学の法学部に行ったんだそうですね。
 
鈴木:  そうです。父親の希望もあったんでじゃないでしょうかね。
 
聞き手:  お父さんは何か農民の出で、
 
鈴木:  自身のことは、「農民」と言っているんですが、鉱山で働いていた。そしてそれなりに成功して経営者みたいになったんですね。ですから自分の息子を大学に送ることもできたと。そういう背景があるんですね。
 
聞き手:  まさか修道士になると思っていなかったんじゃないでしょうか、お父さんは。
 
鈴木:  そうですね。それはビックリしたでしょうね。法律を勉強すれば当時の社会では出世する可能性が大きいですから、父親の期待は大きかったと思いますね。それが修道院に入ったというから、なかなか父親とルターとの関係が難しかったですね。やがてルターにも子供ができると。そうすると孫ができると。そうすると少し穏やかになってきたようなんですけど。
 
聞き手:  修道士で結婚するというのも非常に珍しいケースだと思いますが。
 
鈴木:  ですから、密かな結婚というようなものはあったかもしれませんけれども、奥さんは修道女をでしたから。
 
聞き手:  スキャンダルですよね。
 
鈴木:  大スキャンダルだと思いますね。修道士と修道女の公然とした結婚というのはおそらく初めてじゃないでしょうかね。詳しく調べたことはないんですけども。
 
聞き手:  修道女と結婚する。しかもカトリック教会に対する疑問と言いますか、批判を九十五箇条ですか、ぶつけたというと、非常に戦闘的な人間を思い浮かべるんですが、今のお話を伺うと敬虔な戒律をよく守る修道士であったというんでちょっと意外な気もしますね。
 
鈴木:  個人的な手紙が残っておりましてね、そうした手紙を読みますと、神学論文で伺えるルターのパーソナリティは、「攻撃的で戦闘的で先鋭で」というイメージとはずいぶん違った感じは受けますね。ですから宗教改革者、あるいは神学者というイメージが強いんですけども、やっぱり牧師としての自覚があったんじゃないでしょうかね。
 
聞き手:  鈴木さんにご紹介いただいて、ルターの著作選集というものをほんの一部しか読めませんでしたけど、この九十五箇条というのを読んでみると、私がちょっと想像していたのとは違ってですね、非常に神学学的なものなんですね。
 
鈴木:  そうですね。
 
聞き手:  自分がもった疑問を一緒に議論しましょうという誘え文みたいな感じですが。
 
鈴木:  そうですね。 九十五箇条はですね、一五一七年の十月三十一日に市内にありましたヴィッテンベルクの城教会と呼ばれているそれほど大きくない教会なんですけども、北側のドアに張り出した一枚の文章―一枚のビラですね。で箇条書きが九十五、ズラッと並べてありますので、「九十五箇条の提題」と、その文章を指してよく使われている名称なんですけども、本当の名称は「贖宥(しよくゆう)の効力を明らかにするための討論」というのは、これはもともと贖宥状、つまり免罪符。「贖宥状」というのが、要するに「免罪符」なんですね。「その効力を巡る討論」というのがこの九十五箇条なんですよ。そもそもこういうものが意味があるのかと。最終的にはこれ我々の信仰をゆがめるもんだと。もう一歩言えばこれは民衆かからの搾取だと。お札を売って、それが教会の収入になるとそういうことですから。
 
聞き手:  非常に厳密な宗教生活を送っていたルターにとって、贖宥状というんですか、免罪符というのは、やっぱり彼の考えるキリスト教、彼の信仰の核心に触れるような矛盾だというふうに受け取ったんでしょうか?
 
鈴木:  そうですね。つまりいわゆる免罪符というのは、罪を犯しますでしょう。そうするとその人は司祭のところに行って、その罪を懺悔すると。そうすると司祭は、罪の赦しを宣言すると。しかしながら罪の償いが残っているわけですね。つまりガラスを割ってしまったと。まぁそれは「いいよ、いいよ」と言われても、ガラス窓を元に戻す責任があると。これが償いですね。この贖宥状というのは、この償いをチャラにすると言いますか、償いしなくてもいいと、こういうお札ですね。
 
聞き手:  彼自身は、いわゆる原罪というんでしょうか、キリスト教でいう罪深さ、人間の罪深さ、そういうものが簡単に赦されるというようなことが許されない行為だというふうに感じたんですかね。
 
鈴木:  罪認識といいますかね、罪の深さというのを感じた人、歴史の中でおそらく三人挙げるとすれば、使徒パウロ、アウグスティヌス、そしてルターでしょうね。ですから罪が持つ力、それに怯えているわけですね。普通の人はまあ時に気になっても、大概は忘れて―仕事忙しいですから―彼は真面目な人ですし、修道院に入ったら余計そうなりますから、なかなか大変だったと思いますね。精神的と言いますか、心理的にはですね。
 
聞き手:  当時のカトリック教会では、ローマ教皇は、人の罪を赦す権限があるといいますか、そういうような考え方だから、この贖宥状なんかが出てくるんだろうと思うんですけど、さっき鈴木さん、ルターという人は聖書をよく読んだと言いますけど、聖書を読むということは直接イエスにつながるというような考え方が強かったんでしょうか?
 
鈴木:  当時の教会は、もちろん聖書を大切にしているのです。しかし同時に長い間に蓄積されてきた教会の伝統。ですから、聖書と伝統なんですよね。そういうふうになりますと、聖書の権威といいますかね、それが時には埋没していくというようなことがあって、聖書の教えよりむしろ時々の教会の教えの方が優先するというのようなことも時にはある。そういう事態の中でルターは、最終的には「聖書のみ」というんですね。「我々が依拠すべき究極的な神の言葉は、聖書だけだ」と。つまりその聖書を教会がどういうふうに理解してきたかというのは、もちろん大事なことだけれども、しかしギリギリ推し進めていけば、それは神の言葉としての聖書の権威の問題だと、そういうことなんでしょうね。
 
聞き手:  「聖書のみ」と言われると、ローマ教皇を頂点にするヒエラルキー(階層制や階級制のことであり、主にピラミッド型の段階的組織構造のことを指す。元々は、聖職者の支配構造であった)からすればですね、やっぱりこれは問題にせざるをいなかったんですかね。
 
鈴木:  そうですね。つまり当時の人々にとっては、ルターの発言は、やっぱり過激に聞こえたんだと思いますね。「聖書のみ」とか、「信仰のみ」とか、ルターの発言の先鋭な部分には「のみ」が出てくるんです、いろいろ。他のものを排除して「ここだけだ」と。ですから当時の人が言いましたように、聖書とその聖書をどう理解するのかという、解釈の伝統といいますかね、そういったものは二本柱だと。信仰ということだけでなくて、信仰に基づいた良い働き、良い行為が必要だと。「A+B」の、これが当時のカトリック教会の基本的な、そんな時に「Aのみだ」と、こういうふうに言った。「聖書のみ」もそうですし、「信仰のみ」もそうです。
 
聞き手:  最終的に彼は破門されるわけですよね、カトリックから。彼の前にもローマ教皇の体制を批判した人がいて、火あぶりになったりなんかしていますね。
 
鈴木:  そうですね。
 
聞き手:  彼の場合には、命は奪われなかったですね。
 
鈴木:  そうですね。例えばヤン・フス(ボヘミア出身の宗教思想家、宗教改革者。ジョン・ウィクリフの考えをもとに宗教運動に着手し、ボヘミア王の支持のもとで反教権的な言説を説き、贖有状を批判し、聖書だけを信仰の根拠とし、プロテスタント運動の先駆者となった:1369-1415)とか、宗教革命以前の改革者たちは教会からの圧迫を受けるわけですね。つまり当時の既成の教会に対して、何らかの意味で批判的な言論に及んでいくと。総じて圧迫されてくると。これ大体十世紀ぐらいから、そういう運動がズーッと続くのです。総じて押さえつけられてくるのですね。そうしたつまり教会を批判した系列の最後の人に宗教改革者たちが出てくるんですね。ルターもそうですし、彼らもそうです。時代が変わっていますから、既成権力も、ルターもカルバンも押しつぶすことができなかったと。それが宗教改革になっていったと。そういうことだと思いますね。
 
聞き手:  それにしても、破門されたルターが先鞭をつけた宗教改革というものが、燎原の火のようにドイツの中だけじゃなくて、北欧諸国とか、スイスとか、ヨーロッパ各国に広がってまいりますね。これは何故だったんでしょうか?
 
鈴木:  これ私も謎のところがいろいろあるんですけれども、例えば今そういう言葉使えますかね、今「ヒット曲」というんでしょうかね、昔は「流行歌」と言って、ある歌が流行すると、ヒットすると。他の曲は同じように名曲なのにあんまりヒットしないと。ここはなんだろうか。それはやっぱり基本的には大衆の共感だと思いますね。つまりそこで言われていることに自分の思いと言いますかね、自分の心が共鳴するかどうかと。なんでも共鳴現象というのは、大きな事柄へ広がってきますが、宗教改革も一つの共鳴現象だと思いますね。その発端になったのがルターの発言や行動だったと。彼自身は、教会を改革しようなんていう思いはなかったんですよ。しかし大きな運動になっていく中で、彼の一石が波紋を広げて、そうすると彼自身もその波紋の中に巻き込まれていきますから、で結局「宗教改革運動」と呼ばれる大きな運動の中に、彼も投げ込まれて、その運動の指導者になっていくと。最初からなろうとしているんではなくて、そういうふうになっていったということだと思うんですね。
 
聞き手:  民衆の共感という意味では、例えば「聖書のみ」と言われても、ルター以前はカトリック教会で用いているのは、ラテン語の普通の民衆にはわからない聖書、
 
鈴木:  そうですね。
 
聞き手:  それでミサが行われているわけですよね。そういう時に彼がドイツ語の聖書を作ったとか、それがたまたま印刷物の進歩によって、普通の人でも相当高かったと思いますけれども、買えない訳ではないような形で聖書が手に入るようになったということも大きいんでしょうね。
 
鈴木:  そうなんです。大きいんですが、でも聖書を読める人は限られている人ですね。そしてラテン語を読んで理解できる人も少ないんですよね。だけど教会が、つまりルターの考えに賛同するようになって、そういう各地の教会がルターの主張、そういったものを民衆に語っていくわけですね、様々な機会に。まあ礼拝の説教の中でとか、まあなんかの集会の時に。それが当時の人々の明確なものでなくても、ぼんやりしたものであったにしても、人々の思いに当たったと言いますか、そういう人たちの心を揺さぶったと。ですからルターも予測できなかったし、望んでいた訳ではないけれども、あんなに大きな動きになっていった。多分そういうことだろうと思いますね。
 
聞き手:  宗教改革に成功して、いわゆるルネッサンスというような歴史の照明が変わってくるところと重なっているということも大きいんですね。
 
鈴木:  そうですね。宗教改革は宗教面におけるルネッサンスですね。つまり原点に戻れと。
 
聞き手:  「聖書に戻れ」と。
 
鈴木:  そう、「オリジナルに戻れ」と。これがルネッサンスの基本精神ですから、「源泉に戻れ」というんですね。ですからルターにとっては正(まさ)しく「聖書に戻れ」ということ。で聖書に戻っていくと。教会の伝道はいろんなことを語ってきたけれども、語ってきた中にはいろいろ矛盾もあるし、混乱もあるし対立もあると。そういうものがあったときには、そもそもの源泉である聖書に返って、そこで事柄を検討しろと、そういうことだろうと思うんですね。ですから宗教改革は何か新しいことを引き起こしたということよりも、「元に戻れ」と。源泉復帰の運動なんですね。中世の間にいろいろ付け加えられた飾り物を全部剥ぎとれと。元に戻れと。そうするとこれは聖書だと。そういうことだろうと思うんですね。
 
聞き手:  ルーテル教会の鈴木さんには、多少申しあげにくい点もありますが、確かに原点に返って、聖書に戻って純粋な信仰ということを主張した。少なくとも当初は本当にそうだと思うんですけども、やっぱりルネッサンスの時代、ローマ教皇の支配から各国の支配者が離れようとすると。そういうことがルーテルが火あぶりにならない背景にもあるんではないか。そういう世俗の政治権力と結びついてルーテル教会というものが、あるいは宗教改革が発展していくというような一面もあるのではないかと思うんですが、いかがでしょうか?
 
鈴木:  宗教改革は、いろんなことを引き起こしているんですね。混乱も戦いも宗教改革の原因で起こってくることがある。ですから近現代に入ってそういったことをもう一度見直そうという、そういう動きになってきていますね。そうすると、教会の歴史を無視することはできないけれども、ともかく「原点に」と、これが宗教改革の精神でもあったし、我々が立つべき出発点でもあると。そのことを明らかにしたのがルターだと思うんですね。
 
聞き手:  それで私が一番伺いたかったカトリック教会とルーテル教会の合同ミサ、合同礼拝、今月の二十三日ですか、予定されているというふうに伺っておりますが。
 
鈴木:  日本ではその予定だと聞いています。
 
聞き手:  そういう動きは、例えば四百周年というときには全く想像もできないことだったでしょうか?
 
鈴木:  対決色一色ですね。日本のプロテスタント教会は、日本で発足してからいくらも経っていないんですよ。でも四百周年記念のときには、いろんなプロテスタント諸教派が揃って宗教改革四百周年記念を記念したんですね。でカトリック教会もカトリック教会の方で宗教改革を批判するキャンペーンを張るのです、カトリック教会の機関紙の中でね。彼らは「宗教改革」と言っているけれども、我々の観点からすると、これは「宗教改悪だ」と。まあ当時はそんな感じでした。百年前そうだったのに、五百周年にちょっと先だって、スエーデンのルンドというところでカトリック教会とルーテル世界連盟というルター派の教会の団体とが合同の礼拝を開いたんです、宗教改革五百周年を記念して。そこはカトリックの方は教皇様がおいでになって、でルーテルの方はルーテル世界連盟の議長とか総幹事なんかが出てきまして、カトリック二人―教皇様含めて、ルーテルも二人、合計四人の人が司式をする、そういう礼拝が行われたんです。これ初めてのことだと思いますが。
 
聞き手:  そこまで至るには、例えば教義のすり寄せと言いますかね、あるいは歴史の見直しという言いますか、そういうことがずいぶん必要だったろうと思うんですが?
 
鈴木:  そうですね。今二十一世紀に入っていますが、例えば百年後、二百年後という、そういう時代になって二十世紀の教会の動きを振り返ってみたときに、おそらく二十世紀の中で最大の出来事は「第二バチカン公会議だろう」というだろうと思いますね。ここでカトリック教会はすっかりそれまでの古い体質から新しいカトリック教会のあり方へと変わっていくと、それまでは世界中で典礼、礼拝はラテン語で行われるんです、どこでも。でその第二バチカン公議会以降、現地語でやるというのが原則になるんです。だから日本では日本語でやるわけです。
 
聞き手:  今ではカトリックの教会でも、それぞれの国語で、それぞれの国語に訳された聖書を使ってですね、礼拝、ミサをしていると。
 
鈴木:  そうです。
 
聞き手:  しかも 聖書そのものについての研究ですね。プロテスタントの方ではかなり前から盛んだったと思いますが、カトリックでもそういうものを推奨するような雰囲気が出てきているということでしょうか?
 
鈴木:  もちろんですね。日本はキリスト教会が社会的に小さな運動体ですが、例えばヨーロッパ、それから宗教改革が出発点であったドイツなどでは、これはもうカトリック教会も、それからルーテル教会も聖書の学びというのは熱心に続けてきているところですね。
 
聞き手:  そういう中でカトリックに於けるルターという人に対する評価なんかもだいぶ変わってきているわけですか?
 
鈴木:  そうですね。昔ははっきり異端者ですね。今は「信仰の父、信仰の父祖」。教会は最初期の教会―二、三、四世紀の神学者たちのことを「教父(きようふ)」と呼びますね。「教会の父」と。それにつながる教会の父―ルターもその一人だと。
 
聞き手:  敬虔な修道士としてのルターを認めたということですかね?
 
鈴木:  まあそれから彼の主張のメーンポイントを相当認めたということです。それはどういうことかというと、カトリック教会も反省すべき点があったと。しかし同時に、ルーテル教会なら、もうわれわれも同様に具合の悪いことをやってきたし、言ってきたと。で両方がお互いに宗教改革が原因で教会が分裂していったので、この分裂を克服して一つの教会を目指す、その動きの先頭に立とうと。そういう自覚で書かれたのが『争いから交わりへ』という、そういう文章があるんですね。私はその文章を起草したメンバーの一人だったというだけの話なんですが、カトリックの方が十人、それからルーテル世界連盟から十人、合計二十人の委員が練り上げた文章ですね。これが『争いから交わりへ』と。これは日本語訳も出版されていると。
 
聞き手:  鈴木さんが、ルーテル研究ということをずっと続けてこられたそもそものきっかけというのは、何かあったんですか?
 
鈴木:  私はルーテル教会の会員ですが、それは何かというと、いろんな教会があって、それをいろいろ比べて、つまり電気製品を買うときに、A社製、B社製、C社製、どれがいいかって選ぶんじゃなくて、たまたま家に一番近い教会がルーテル教会で、そこでルーテル教会の牧師になると。そのうちに教会の牧師だけじゃなくて、神学教育をしている学校の教師もやれということになって、そうすると、それは端的に言って、ルターを勉強した上でそれをやらなければいけませんから、ですからルターのことを勉強したと。せざるを得なかったというところがあるかもしれませんね。
 
聞き手:  大変謙虚なお答えで。
 
鈴木:  個性の強い男で、ルターは。ですから率直に言いますと、あまりお友達になりたくないという感じではあるんですよ。でも一面、彼の手紙等を読みますと、非常に温かい思いがにじみ出ているような手紙がありまして、やっぱり彼は牧師であったと。いつも戦闘的なルターばっかりイメージしますけど、彼のスタート点と言いますかね、出発点はやっぱり牧師としての自分の使命を自覚して、そこからじゃないかなという気はいたしますね。
 
聞き手:  ずっとルター研究をやっていらっしゃって、いよいよ今月は、日本でもルーテル教会とカトリックが合同で礼拝をやるというような状況になったわけですが、どんなふうにお感じでございますか?
 
鈴木:  十一月二十三日に、長崎でやるという話を聞いておるんです。当初は広島でやりたいというような話だったようですが、ルーテル教会とカトリック教会の話し合いの中で長崎でやろうと。浦上天主堂でやる予定です。ですから感無量と言いますかね、日本でも小さな規模で、例えば一つの都市の中にカトリック教会があると。大きな教会ですからいろんなところであるんですが、ルーテル教会は小さな教会ですから、どの街にあるというわけじゃないんですが、しかし時にはその町のカトリック教会とルーテル教会を含むプロテスタント教会とが一緒の礼拝をするということはあったんです。今度は教会全体としての合同のプロジェクトですから、これは意味合いが全然違うと思いますね。去年の秋に教皇とルーテル世界連盟の指導者とが共同で礼拝をして、一緒の礼拝をする。これ各国に先駆けてそれをやったんですね。日本でも日本独自のやり方で五百周年を記念する礼拝と、それからその意義を話し合うシンポジウムをやろうと、そういう話になっていった。教会が一つというのは、教会の最初期からの確信ですから、ところが様々な理由で目に見えるような一致が無いと。これを誰が見ても教会一つだというようなそういう姿まで回復させようと。これがずーっとカトリック教会とプロテスタント教会が追求してきたテーマですね。部分的には成功していますし、まだ大きな課題もあるわけですけれども、ともかくもにらみ合ってばかりだったのが、百年年前は。今はともかく宗教改革を一緒に記念するという所まで来たと。そういうことを好きな連中がやってるんじゃなくって、教会が教会としての責任でやるということですから、この意味は大変大きいと思いますね。
 
聞き手:  本当にお忙しいところありがとうございました。
 
     これは、平成二十九年十一月十九日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放映されたものである