隣る人≠想う
 
                     映画監督 刀 川(たちかわ)  和 也(かずや)
一九六六年、熊本県生まれ。アフガニスタンの「誤爆」被害者を取材。その後、主にテレビドキュメンタリー制作に関わる。カメラマンやディレクターとして参加した作品に、「アジア人間街道〜イスラムに生きる(NHK)」「心の傷はいえるのか〜インドネシア・宗教抗争から一年(NHK)」「なぜ路上で暮らすの〜インドネシア・リアの四○日(NHK)」「故郷の村は津波に消えた〜インドネシア人がみつめた復興の記録(NHK)」等がある。二○○四年から、児童養護施設での子どもたちの暮らしを通して、いまの日本社会の歪みを捉えかえそうと試みる自主制作ドキュメンタリー映画制作をスタートし、現在も撮影継続中。同時に、「格差社会」に関するドキュメンタリー企画のための取材も始めている。
                     き き て 横 江  広 幸
 
ナレーター: 今日は、「隣(とな)る人≠想う」と題して、映画監督の刀川和也さんにお話頂きます。「隣る人」とは、刀川さんが初めて監督したドキュメンタリー映画のタイトルです。昨年度の文化庁映画賞・文化記録映画部門の大賞を受賞しました。刀川さんは、一九六六年生まれ。この映画の製作に取りかかる前は、フリーの映像ジャーナリストとして、主にアジアの子どもたちに関わる貧困や宗教問題などをテーマに、テレビ番組の製作に参加してきましたが、一般公開の映画を目指したこの作品では、タイトルを「隣(とな)る人」としました。何故「隣る人」としたのか。そのタイトルに込めた思いとは、どのようなものだったのでしょうか。大阪にある「隣る人自主上映事務局に刀川和也さんをお訪ねしてお話を伺いました。聞き手は横江広幸ディレクターです。
 

 
横江: 刀川さんが監督されたドキュメンタリー映画「隣る人」、去年の五月(2012年)に一般公開されましたけれども、私もその時拝見して大変感銘を受けました。この映画と言いますのは、舞台になったのは、埼玉県にある児童養護施設なわけですが、この映画のストーリーについて、刀川和也監督の方からざっと概略をお話して頂けますでしょうか。
 
刀川: はい。今おっしゃったように、映画の舞台は児童養護施設なんですけども、その児童養護施設にやって来る子どもたちというのは、何らかの事情で親御さんやご親族、保護者の方々と暮らせなくなって、児童養護施設に来るわけですけども、「光の子どもの家」という、私が焦点を当てた児童養護施設の中で、そこでは子どもたちと一緒に寝食を共にしながら暮らしているという施設なんですけども、その暮らしを通して、子どもたちが成長していく、もしくは職員たちと、また親御さんも一緒に含めながら人間関係を培っていく。お互いにとって掛け替えのないような関係になっていける、そのような関係を紡(つむ)いでいこうとする八年ほど撮影をしたんですけども、そういう話です。
 
横江: 今おっしゃいましたけども、この児童養護施設というものは、他の施設と比べるとかなり違った運営をやっているように思いますね。
 
刀川: そうですね。児童養護施設が、今日本の中に約五百九十―増え続けていますのでもっとあると思いますけども―いろんな形も規模もさまざまで、その中でも「光の子どもの家」というのは、小舍制(しようしやせい)と言われる施設の一つで、小さな家族の単位に近いと言いますか、小さなグループ単位で暮らしを賄っているというような施設なんですね。特殊といえば特殊なんですけれども、職員の方々、主に子どもの担当となった保育士さんですけども、ほんとの意味で子どもたちと寝食を共にしながら暮らしている、といっても過言ではないような働き方をされている施設の一つなんです。
 
横江: この映画のタイトルは「隣(とな)る人」。言ってみれば「隣会(となりあ)う人」と言ったような意味かと思うんですけれども、これを映画を見る前に、このタイトルを聞くと、言葉としては少し変だなという感じがするんですが、このタイトルを付けたのはどういうふうな意図があったんでしょうか。
 
刀川: 「隣る人」という言葉は、「光の子どもの家」の―撮影当時は施設長でしたが、今は理事長である菅原哲男(すがわらてつお)(1939年秋田県生まれ。大学卒業後、婦人保護施設「いずみ寮」、児童養護施設「城山学園」「愛泉寮」を経て1985年、児童養護施設「光の子どもの家」を設立。施設長を務める。現在は聖学院大学 足利短期大学 日本社会事業大学講師を兼務)さんという方がいらっしゃるんですが、その人が作った言葉なんですね。菅原さんは、クリスチャンでもありますし、勿論キリスト教の「隣人(りんじん)」という聖書に書かれているものに繋がっているとは思うんですけども、菅原さんからこの話を聞いた時に、「隣(とな)る」という動詞になっている。つまり意志があるんだ。隣に居ようという意志があるという「隣る」という動詞。「隣る人」という言葉を作ったと。それは菅原さんが子どもの家で福祉の現場で働いていった中で、児童養護施設にやって来る子どもたちというのは、安心して安全な場所で暮らせるその家庭というのを失って来るわけですよね。その時に子どもたちにもっとも保証しなければいけないというのが、もっとも失ったもの―家庭的であり、家族なようなもの、というその中に人がいるわけですよね。その「隣にいる」ということは、物理的にというだけではなくて、生活をしていく中で、その子どもにとって人格をもった特定の誰かが、その子どもにとって内在化する。この人は消えない、ずっといる、というものを内在化できた時に、その子どもは一人で立っていけるという、最も人間が人間になる基盤のようなもの、そういうものを「隣る人」となる人が必要なんだ、ということを、菅原さんが、「隣る人」という言葉に籠めたわけですけども、僕はその場所に行って、最後にその映画を形作っていく時に、映画の中身としても、そういうもの―「そういうもの」というのは、隣る人というのが必要なんだというか、とっても貴重なものなんだというようなことを、映画にしようと思った時に、それはそのまま「隣る人」という言葉を使わせて貰う。それをタイトルにするのが一番いいというふうに思ったんですね。
 
横江: この映画は、構成や表現方法が他のドキュメンタリー映画と比べてちょっと違っている点がありまして、何故違っているのか。是非そのことについて少し伺ってみたいと思うんですが、先ずこの映画は、取材開始から完成までに八年ほどかかって、ロケもかなり長くかかったというふうに聞いているんですが、普通長期取材の場合は、作品の構成としては、成長の記録と言いますか、ある人物がいろんな試練の中でだんだん人間的に成長を遂げるというものが多いように思うんですけども、この映画の場合はそうではなくて、描かれている期間も短く、それも先ほどご紹介して頂きましたけれども、ストーリー的にはそれほど複雑なものになっていないわけですね。こういうような構成というのは最初からこういうふうに考えていらっしゃったんですか。
 
刀川: いや、全く少し始めた時には何もなかった、と言いますか、最初に「隣る人」ということの関係がひかれていく、その暮らしを通してという、どの暮らしを撮りたいというだけは思って行ったわけですけど、何をどう撮って、どうしたらそのものが見えるか。それは何だろう? それは八年間という時間の中で、映画の形というものも、自分の中で見えてくるようになったんです。最初は―二○○三年から行き始めているんですけども、「虐待」というような言葉が多くニュースでも語られるようになったりとか、あるいは虐待防止法みたいなものが、二○○○年の初めぐらいにできてきた頃というのは、その頃は僕もここに行き始めているわけですが、当然そういう社会問題としての家族の崩壊ですとか、そういうのが念頭にあって行き始めているんですね。当然それは現実としてはあるわけですけれども、でも長く行き始めて八年という時間の中で、そのうちの二年半ぐらいは、僕は週の半分を過ごしているんですね。それは最初の頃撮り始めた頃、こんなものという言い方をしてはあれなんだけども、日常の風景ばっかりを撮っていて、何か映画になるんだろうかということを迷い始めるわけですよ。でもやっぱり継続的にいろんなことが起こった些細なことかも知れないけども、それに対して暮らしの中で、大人たちがどうしていくのかという、そのことをちゃんと撮らなければ、「光の子どもの家」のやっていること、当初菅原さんが言っていたこと、最初の頃は頭で理屈としてわかっているわけですけど、それがこう自分に頭だけでっかちでなくて、ちゃんと肉体に落ちてくるという感覚になるまでに、時間がかかったんですよね。もう一つは、企画に稲塚由美子(いなづかゆみこ)という女性がいるんですけど―この映画の中に―その女性から多く教わったんですよね。僕より一回り違うんで、子育ての経験もあり、東京に住んでいますけども、地域の民生指導員でもありという、いろんな家族の諸相を知っている。その彼女が、僕が最初の頃には、日常のありふれた風景としか見えなかったものの中に、「とっても大切なものがいっぱい詰まっているんじゃないか」ということを懇々(こんこん)と教えてくれた。それが、僕がぐちゃぐちゃと体験をしながらそこにいた中で、無意識に思っていた経験とがクロスしていく中で、〈あ、そうなんだ。このぐちゃぐちゃの日常些細なことの中に大切なものがいっぱいあるんだ〉と、僕の中でもう一回確認できて、その二年半―二○○七年から十年半ばぐらいまでを、できるだけいるんだ、と。そこに職員さんほどにはいかなくても、同じような暮らしの中に加えさせて貰って、その中で撮るんだ、というようなことを決めていったわけですよね。その中で踏み込めなかった子どもたちのプライバシーの部分とか、そういうところに踏み込んでいく勇気というか、居るということで関係も変わり、勇気も持てるようになり、そうやってその経験の中で、僕の中でいろんなものが変わっていった。僕自身が、もしかしたら一番子ども以上にその時間成長していったのかも知れないと思う。それは、ほんとに毎日毎日朝ご飯食べたらそこに居て、そこになんか喧嘩が起こったら喧嘩を撮り、そこでとっても温かい風景が起こったらそれを撮りという、その日常の突然のように起こる、一瞬見過ごしたらほんとに日常の風景しかないその些細なことに凄く大事なものがあるという、そういう視点を失わないようにずっと居て、そういうものにカメラを向けていったんですね。それをどういうふうに作品にするかというふうに―通常は時系列で、この人がこうなって、ああなって、そうなって、こうなりました、という話になるのが一番わかりやすい。僕もそういうものが、最初の頃はありました。けども、僕一人で撮影が四百五十時間、あと二人で撮影が―大澤一生君という人と小野さやかさんという女性が居て、撮影は三人で、僕が多く四五○時間ほど、彼ら二人で一五○時間あるんですけども、もう一回撮ったものを見直していく中で、一体どんな映画にするんだ、ということになるわけですね。その時に、そういう成長物語ということではなくって、とっても普遍的なこと、それは「何が大事で、何が大切なんだ」ということを、映画に落とし込んでいくということ。それはシンプルな構成とおっしゃいましたけども、それこそ朝が来たらご飯を作り、一緒にご飯を食べて、学校へ送り出して、帰って来たら「お帰りなさい」というふうに迎えて、一緒に宿題をやったりしてあげたりしながら、夕食がきたら夕食を作り始め、子どもたちも一緒に準備をして、一緒にご飯を食べて、それで一緒にお風呂に入ってあげて、寝る前には本を読んであげて、一緒に寝ちゃうというような、その繰り返しですよね。その繰り返しの日常の風景ではなくて、その断片断片に大切なシーンがあるんだ。そういうものの貴重さ。そういうものとして日常の風景を切り取っているんですね。切り取って見せているわけですけど、そういう見せ方といいますか、構成の立て方。もう一つの大事だと思ったのは、多分見た方は思われると思うんですけども、抱きしめるシーンが多い。言語ではなくてというか、理屈ではなくって、子どもがこういうものによって生かさせているんだな。子どもだけに限らないというふうに、今思うようになっているんですけども、より完璧なもの、それは「触れ合う」という言葉がありますけども、直接的に肌が触れあう。映画のシーンの中でも、多く描いている女の子が担当の保育士さんの布団の中に入って、「世界で一番いい匂い」ということを言ったりするんですけど、そういうもの―そういうものがとっても人間を安心させ、人間はそれを求めていて、それによってこう自分というのを確信できるというか、安心できる。そういうものを映画の中に落とし込んでいきたかった。それが生活―強いていえば毎日の暮らしのサイクルと言ってしまったら―でも同じものはないんですけどもね―その中にそういう貴重なものがあるんだ、というようなことを映画にしたかったというので、成長物語にはならなかった。そういうことです。
 
横江: もう一つ、他のドキュメンタリーと違っていたことは、ナレーションにある状況説明とか、あるいは説明的なテロップなんかがほとんど入ってなかったんですけども、その狙いはどういうものだったんですか。
 
刀川: 最初からそのようにしよう、それをまったく外すということは、当初考えていなかったんです。でも先ほどのように、ストーリーじゃない。全部が全部説明しなければいけないというような―じゃない映画の中身になってきたわけですよね。それは誤解されてしまったら困るんですけども、児童養護施設を撮ったけど―児童養護施設を撮っているわけじゃないというか、舞台は確かに児童養護施設なんだけども、そこにもうちょっと広い目で見れば、偶然に出会った大人と子ども、子どもたち同士も偶然出会うわけですよね。子どもたちは、「あそこへ行きたい」と言って児童養護施設に来るわけじゃない。職員さんたちは、自分の意志で基本的にはそこの職場と言いますか、働きに行ったわけですけども、でも来る子どもたちは選んでいるわけじゃない。偶然に出会った大人と子ども、もしくは子ども同士が暮らし合う中で、お互いにとって兄弟とまでいかなくても、それこそ掛け替えのないというような関係になられるようなものというものを、そういう見え方をしてきて、そういう視点で見つめた時には、こう多くを逆に説明しなくてもいいんだ、というふうに思えてくるわけです。情報がなくても、そこに映っている。そこで行われているやりとり、関わり、人間関係のありようというのを見ることによって、多くを感じ取ることができるはず。そうすると、何だろう、見る人に任せるというか、情報がないが故に、それを真っ直ぐに見ることができる。情報を入れないことが、プラスに見えるようになってきたんですね。
 
横江: さてこの映画は、昨年度に文化庁映画賞・文化記録映画部門の大賞を受賞して、さらに今年になって六月に、第三十七回日本カトリック映画賞を受賞されていますが、カトリック映画賞の受賞理由というのは、どういうふうなものだったんでしょう。
 
刀川: カトリックの映画賞なので、キリスト教的なものと繋がる、何かということだと思うんですけども、それは保育士さんが一緒に、隣につきるということで、掛け替えのない関係を紡いだというものを丹念に撮った、と。そういう本来的な家族愛を丹念に撮ったということを表彰する、というようなことが書かれていました。
 
横江: この映画の舞台になった「光の子どもの家」、これは先ほどもお話がありましたが、一九八五年、菅原哲男さんが、この施設を設立された、ということで、運営の方針の一番根本的なところでは、菅原さんご自身もキリスト教徒でもあるということで、キリスト教的な考え方があったと思いますけども、映画の中であんまりそういうふうな宗教的なことにはほとんど触れられてなかったような気がしますけども。
 
刀川: 日常の暮らしの中に、今おっしゃったように、いっぱいキリスト教的なことをやっている場所なんですね。ご飯の前にはお祈りをしたり、職員の方々は毎日朝の会議の前には、聖書を読み、賛美歌を歌い、ということを、クリスチャンであろとなかろうとやっておられるし、子どもたちも当然クリスチャンであろうとなかろうと、そういうことを基本的には暮らしの中に取り込んでおられるんですね。なので行事でも、クリスマスなんていうのは、一年間で一番大事なことの行事としてあるわけです。なので映像としてもいっぱい撮っているんですね。ただ今回見て貰った人たちの中にあるんですけど、「何であそこまで献身的なんだ」という問いかけがあるわけですよ。映画の中でも、一瞬だけ部屋に飾られたキリストの絵を見て、「やっぱりキリスト教の施設なんだ。だからね、そうなんだ」という感想を述べられた方もいらっしゃるんで、それは逆に避けたかったんですよ。「キリスト教を信仰している人たちだから、ああいう献身的な仕事ができるんだね」というふうな見られ方はしたくなかった。それを僕一人だけではなくて、「光の子どもの家」には―二十四人かな―職員の方がいらっしゃるけど、全員がクリスチャンじゃないですよ。半分もいないと思いますよね。映画の主人公のマリコさんという職員の方がいますけども、クリスチャンじゃないですし、だから「クリスチャンだから」というような見られ方に、どうしても取られてしまいがちだ、ということで、それはやっぱり映画としても、僕としてもプラスに思えないし、「光の子どもの家」のやっていることも、「クリスチャンだから」というふうに見られてしまうと、そうじゃない。もっと普遍的な宗教の枠組みを越えて、と言いますか、まあもう一つ言えば、キリスト教というのは、それほど普遍的な何かをもっているというか、あるのかも知れませんけども、僕としてはそっちへ、見た人たちが、「あんなふうにできない」というふうになってしまうのは避けたかった。逆に言うと、日常の、いわゆる子どもたちと暮らしている保護者の方々というのは、ある面やっているわけですよね。でも仕事として、あそこまでやるのが凄いというのは、あるのかも知れないけども、そういうふうには映画がおちついてほしくなかったということです。
 
横江: 言葉の「隣る人」ということをいうのは簡単なんですが、非常に難しい言葉ですね。
 
刀川: 難しいです。だから例えば血縁のある家族―普通はそのことをイメージするわけですけども、僕自身に限っても、そんなに簡単に関係がうまく保てているわけじゃないんですね。「隣る人」と言えば、まさに育てて貰ったりとか、我が家にも僕は十八まで実家にいたわけでね、でも生活を共にした、育ててくれたという関係の中にあったって、うまくいかないことがあるんですよね。血縁だからこそ、ぐちゃぐちゃになる時も、真っ直ぐに相手と向き合うことができずに、いろんな恨み辛みとかが重なったりとかして、逆に他者である―他者というのは、血縁でないところで出会った人、例えば老人介護施設で働いていれば、その人には優しく接してあげることができても、自分の親にはそうはできないとかね、あるんですよね。だから今思うのは、血縁だからということがなくていいというか、多様な人間関係の中で救われるということがあるんですよ。「光の子どもの家」にも担当者というのがいるんですけども、担当者とその子どもという中で、どうしても関係が近いが故に行き詰まっていく瞬間てあるわけですよ。そうすると第三者というか、外側にいる大人がスーッとその間に入っていくとか、そういうことによって、関係がこう担当の保育士さんにとっても、子どもにとっても、風通りがよくなってうまくいくということがあるんですよね。その「隣る人」というのは、なんかべったりでなくちゃいけないということではなくても、そういう多様な人間として、いろんな人間にいろんな隣る人がいるということが一方あると思うんですね。でも暮らしの凄さというのは、ある時フッと「ごめんね」と言ったりとか、子どもの方が先にフッとこう謝ってくれたりとか―マリコさんが映画の中で言っていますけど、ほんとに毎日毎日に「こんちくしょう!」と思うことがあったとしても、一方「可愛い」と言った瞬間に、それがスポンと抜けていくというような、そういうようなものの繰り返しで、関係が紡がれていく。だから大半はこの人は煩わしいことの連続なのかも知れないんだと。でも煩わしいということの中に大切なものがあるんだな。それ以来自分は、何かできるとは思わないけれども、そんなことをもう一回思い直していますね。
 
横江: それからもう一つですね、ちょっと不思議に思うのは、映画の「隣る人」のチラシの中に、あまり目立たないんですけども、小さな文字で、英語で「Never Let Me Go」と書いてあるんですが、これはどういうふうな関係があるんですか。
 
刀川: 映画祭に出す時に、英題を付けないといけないということがあったんですね。「隣る人」という言葉を、そのまま直訳しようとなるとなかなかピンとこない。その中でこの『Never Let Me Go』という、イギリス人のカズオ・イシグロ(石黒一雄、1954年生まれ。長崎県出身の日系イギリス人作家である。1989年に長編小説『日の名残り』でイギリス最高の文学賞ブッカー賞を受賞した。ロンドン在住)さんという小説家が書いた『Never Let Me Go』―日本題では「わたしを離さないで」という小説のその原題を思い付いたというか、教えてくれたのは、先ほど言った企画の稲塚由美子さんが、この本のことを、ずっと作品を作っていく中で教えてくれていたというのがあるんですよ。僕もその本は読みましたけども、先ず「わたしを離さないで」というタイトルが繋がるわけですよ、隣る人と。カズオ・イシグロさんの小説の子どもたちというのは、存在の不安というか、いつも誰かが消えてしまうかも知れないという不安を持っているという意味では共通していますよね。その「わたしを離さないで」という、先ずそのことがもうピッタリくるというものが一つあったという。中身は、カズオ・イシグロさんの「わたしを離さないで」という小説は、児童養護施設の話ではないわけですけども、簡単に説明すると近未来と思うんですけども、小説の中では寄宿学校で暮らす子どもたちの生活がずっと描かれるわけですけども、実は寄宿学校というのは、実はクローンで作られた子どもたち―もともとの大本(おおもと)の人間がいるわけですけども、その人間たちが病を持っている―例えば腎臓とか心臓とかの病の時に、そういう移植のためにクローンであれば同じ心臓であり、同じ腎臓なんですよね。そういうものを提供するクローンとして作られたクローン人間たちだったんですね。それを子どもの頃から寄宿学校の生活の中で閉じ込められて生活している子どもたちがいるんだけども、成長するにしたがって、「何で私たちはここにいるんだ?」「私たちにとって存在って何?」「親って何?」という、こういろんな成長しながら不安を抱えていき、それが持ち主がわかってくるわけですけども、児童養護施設にやって来る子どもたちも、いわゆる普通のお父さんやお母さんがいて、そういう家庭生活を送ることができずに児童養護施設に来たということになれば、それが基本的には自分の当たり前の日常として成長が始まるわけですよね。それが幼稚園へ行き、パパやママがという存在がいる。いわゆる住んだ家がある。でも自分は「光の子どもの家」といういろんな子どもたちが集まった集団生活をしている。何で私のお父さんお母さんは、ということを考え始める。その中でどこかで本当のことを知らなければいけない時がくるわけですよ。それは真実を伝えていくという時期がくるわけですけども、その存在のあり方というのが、僕にはその小説と近しいものに思えた。もう一つは、「わたしを離さないで」というシーンの中で、主人公のキャシーという女の子が、まだ十歳、十一歳ぐらいの時に、何かわからないんだけども、「Never Let Me Go」というスタンダードジャズの歌なんだけど、そのテープを彼女は持っていて、それが何故か好きかわからんけど、好きで、それを聞きながら枕を子どもに見立てて抱きしめて、その「わたしを離さないで」という曲を口ずさみながら踊るというシーンがあるんですね、小説の中で。それがとっても僕にとってみれば、こう繋がるというか、何かわかっていないか知れないけど、子どもに見立てて「わたしを離さない」というのは自分かも知れない。わたしを離さないでという自分がこの枕にいるのかも知れないし、その小説の中には何かわからずに彼女はやっているわけですけども、その感じというのが、僕が時間を一緒に過ごさせて貰った子どもたちが抱えている不安と凄く共通しているというか、それをもっと強いて言えばみんなが持っている存在の不安、みんなが持っている「わたしを離さないで」というものにインパクトをもって読んだシーン、そんなのが絡み合って、〈あ、英題になるんだったらNever Let Me Go≠セ」というふうに思ったわけです。
 
横江: 今おっしゃられたように、この映画は、今現にある問題の取り組みとしては、「光の子どもの家」の血縁を超えた家族になる。いわゆる「隣る人」となる、そういう実践を描いているわけですけども、しかしこの実践というのは、その養護施設のあり方というだけでなくて、何度か出てきましたけども、もう少し普遍的な問題提起に繋がれているんじゃないかと、そういうふうな映画として見ることができるんだろうと思うんですね。刀川さんご自身は、信仰者じゃないんだけど、もう一つ普遍なることを最後に纏めて頂けますか。
 
刀川: 児童養護施設のお話であり、でも児童養護施設ではないという意味では、今おっしゃって頂いたように、ある普遍的な思いを込めているということなんですけど、それをどう見て貰えるかと言ったら、とっても不安だったんです。説明もないですし、それが多くの感想として、多くは女性―お母さんと言っていいのか―感想として多かったのが、頑張っている職員とかという視点でもなく、可愛そうな子どもたちという視点でもなく、映画を見ながら自分のことを見ておられたんですね。終わった後出て来られて、涙を流される、思いをパッと語られる人もいらっしゃいますけども、それは自分が子どもだった時のことを回想して感動されたんではないでしょうか。
 
 
     これは、平成二十五年八月十八日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである