私の道しるべ
 
                 絵本編集者 末 盛(すえもり)  千枝子(ちえこ)
1941年東京生まれ。父は彫刻家の舟越保武。慶應義塾大学卒業後、絵本の出版社である至光社で働く。皇后美智子様との出会いもこの頃だった。8年間、主に海外版の編集に携わり、結婚を機に退社。結婚から11年後に夫が突然死する。夫の死後、G.C.PRESSで再び絵本の出版を始め、最初に出版した本のうちの一冊『あさ One morning』が1986年にボローニャ国際児童図書展グランプリを受賞、ニいうヨーク・タイムズ年間最優秀絵本に選ばれる。国内でもサンケイ児童出版文化賞を受賞するなど、話題となった。1988年には株式会社すえもりブックスを立ち上げ、独立。2002年から2006年まで、国際児童図書評議会(IBBY)の国際理事を務め、2014年には名誉会員にも選ばれた。
                 き き て 浅 井  靖 子
 
ナレーター:  今日は、「私の道しるべ」と題して、絵本編集者の末盛千枝子さんにお話を伺います。末盛千枝子さんは、「長崎二十六殉教者記念像」や「ダミアン神父」などで知られる彫刻家船越保武(ふなこしやすたけ)(1912-2002)さんの長女として、一九四一年にお生まれになりました。大学卒業後、絵本の編集者となりますが、幼い二人の息子を遺して突然お連れ合いが亡くなるなど、数々の困難に直面してこられました。闇の中に小さな光を待ち望むクリスマスの季節、岩手県八幡平(はちまんたい)のご自宅をお訪ねして、末盛さんを導いた人生の道しるべについて伺います。聞き手は浅井靖子ディレクターです。
 

 
浅井:  今日はちょっと小雪が舞っていますけれども、ここに東京から越してこられて何年になられますか?
 
末盛:  二○一○年に引っ越してきましたから、まる七年ですかね。
 
浅井:  ここから窓の外を見ると、末盛さんが手がけられたとしてターシャ・テューダーの『すばらしい季節』の絵本の舞台のようですね。これは自分の身の回りの季節が巡っていくことを描いていって、「最後に幸せのもとはすべてここにある」というふうに書かれていますけれども、ここにいるとやっぱり季節の移り変わりというは五感で感じられます?
 
末盛:  そうですね。本当に面白いですよ。田んぼに水が入ったとたんに、カエルが鳴き始めて、「あんたたち、いったい今までどこにいたのよ」という感じだったりとかね。雪が晴れた日の朝なんて本当に美しいですからね。
 
浅井:  クリスマスの季節を迎えるわけですけれども、末盛さんにとって忘れられないクリスマスというのは?
 
末盛:  子どものときにはいつでも何かあんまり何もプレゼントなどもあんまりなくてですね、ろうそくを点けて、みんなで知っている限りのクリスマスの歌をうたったりということがあったりしましたね。いつでも家はお金ないアレですからね、彫刻だけでやっていこうと思っている子沢山の家ですから、きっと父がどこかに作品を画商か何かに持って行って、お金を作ってくるということをしていたんだと思いますけどね。まぁ父が帰ってくるのを待ちながら、母と私たちで「きよしこの夜」だったりとか、いろんなそういう歌をいくつも何回も繰り返して歌っていましたね。そして忘れられないクリスマスというのは、子供たちが六歳と八歳の時に、彼らの父親である夫が亡くなったんですけどね。その年のクリスマスには一生懸命お料理をしたりして、私たちの住んでいるところの隣が教会だったので、神父様達を夜にお招きして、息子達にとっての従兄弟達にも来てもらってとか、なるべくにぎやかにしたという記憶がありますね。
 
浅井:  末盛さんのご一家というか、船越さんのご一家が、カトリックの信仰をお持ちになったというのは、これはもともと昔からの?
 
末盛:  祖父は盛岡でカトリックだったんですよね。でも父は洗礼を受けたわけではなくって、ただ終戦直前に盛岡に疎開して、盛岡で生まれた一番下の弟がですね、八ヶ月で急性肺炎で亡くなったんですよね。それでその時に両親が教会でお葬式をしてもらいたいと思って、そして教会でお葬式をして、そしてそれからですよね、教会に行くようになったのは。それから一年か二年経って家族みんなで洗礼を受けたと思います。
 
浅井:  それからはずーっとご家庭の中には、そのカトリックの信仰というか、祈りがおありになった。
 
末盛:  まぁそうですけど、あんまり私たち真面目にきっちりと必ずミサに行くとかね、そういう人種じゃないもんだから、わりとだらだらしていると思いますけどね。でもだんだん私は、祈らないではいられないところに追い込まれていったなという感じはあるんですけどね。例えば子供たちが小さいのに、夫(末盛憲彦:NHKのディレクター)が突然死するとかですね、それから長男が生まれて一歳の時に「難病がある」というふうに先生に―見たところは全く私達にはわからないでしたけど―「難病がある」というふうに言われたりとかですね、何か次から次へとありましたし、それと結婚する前にも、私が結婚しようかなと思っていた学生時代の友達がお風呂のガスの不完全燃焼で死んだということがありましてね。なんか呆れるほどに次から次へといろんなことが起こるんですよね。で何か私が、神様の方を向くようにするために、そんなに次から次へとしなくてもいいんじゃないですか、と言いたいようでしたよね。
 
浅井:  去年出版なさった『「私」を受け容れて生きる』というご自身のこれまでを、お書きになったものを読ませていただくと、実にいろいろなこと、難しいことと直面されてきた。「おそらくとても円満なご家庭であった」というふうにご本に書いておいでになりましたけれど。
 
末盛:  本当に子煩悩な夫でしたのでね。そしてなんかなんでもしてくれようとする人だったので、亡くなったとき―私結婚したのは、もう三十過ぎた頃だったんですよ―だけど、〈え、私結婚する前、どうやって生きていたんだっけ〉というほどに、何でもしてくれる人だったんですよね。結婚は十一年でしたけど、〈なんだ結局神様は十一年私に貸してくれただけだったのね。それを取り上げちゃったのね〉という感じがしたんですよね。こんなに絵に描いたような幸せがいつまでも続くはずはなかったというような思いですかね。ちょっとそれとは違うかな、少し。やっぱり何か神様の予定があって、これだけの間貸してあげるから、後は頑張ってやりなさい、と言われているような、そういうことですかね。
 
浅井:  でも、まだお子様方は小さくていらっしゃいましたから、このあとどうやって生きていこうかということもそうですし、それだけやはり頼りにされていた方が、突然いなくなってしまうというのは、どれだけお苦しかったかというふうに思うわけですけれども。
 
末盛:  本当にそうですね。だからやはり今考えても、立ち直るのにたぶん三年ぐらいはかかっただろうなとは思うんですよね。その頃のことで忘れられないのは、例えば夫抜きで、夫がいないのに自分だけがどんどん移り変わっていくということがものすごく苦しいというか辛いと思いましたね。でも同時にお通夜の日にですね、お通夜から帰ってきたときに、自分で考えたというよりも、自分の胸の中に聞こえてきたという感じなんですけど、〈これからもまだたくさんいろんなことがあるだろうけれども、その度にそれを乗り越える力を与えられるに違いない〉って思ったんですよね。思ったというよりも、聞こえてきたんですよね。で、〈あ、どうしてこんなこと考えているんだろう〉とは思いましたけど、でもその後のことを考えると、確かにいちいち何か起こったときには七転八倒はするんですけどね。やっぱりそうだったなと思いますよね。
 
浅井:  その一番大変な時に、いろんな方がおそらく支えてくださったと思うんですけれど、その中でご自身がご自身を見失わずに済む何か道しるべになったことというのはありますか?
 
末盛:  それはですね、一つには、夫の仕事をきちんと残してやりたいというふうに思ったので、夫の仕事についての本―夫のことを息子達に伝えるために本を作りたいと思ったんですよね。それでそれは一番最初にしたことでしたね。
 
浅井:  何か支えになった言葉というのはあったんですか?
 
末盛:  私の妹の夫―ベルギー人ですけれどね―お手紙をくれて、「あなたにはまだわからないだろうけれども、もうすでにあなたには新しい人生が始まっているんです。これからあなたは何事をするにも、自分自身ではっきりと意識して、自分で決めて生きていくのが、あなたの道です」というような手紙をくれましてね。
 
浅井:  それはご本の中にもありましたけれども、新しい人生が始まっていると同時に、「失われたものはもう戻らない」という、すごくはっきりした言葉もお書きになっていらっしゃいますね。
 
末盛:  そうですね。そういうことってやはり日本人はあまり直接言わないと思いますよね。
 
浅井:  それは冷たい言葉ということではなくって。
 
末盛:  全く違いますね。そして彼自身も、最初の奥さんを交通事故で失ったという経験がありましたのでね。なおのことですよね。
 
浅井:  男の子二人をお育てになるように、お一人で担っていかれるようになりますけれども、ご長男はお小さい時に「難病がある」というふうに告げられていたんだそうですね。思春期になられて、学校でのお勉強とか、それはそんなにお得意ではなかったというふうに伺いました。
 
末盛:  そうですね。下の子はともかくとして、上の子は、今だったならば、いわゆる学習障害だとか、ディスレクシア(読解)というふうに当てはまると思いますけどね。
 
浅井:  識字障害というふうに呼ばれますか、字をお読みになるのが難しい?
 
末盛:  そうですね。一体これは何だろうと、私がすごく不思議に思っていたんですよね。その頃先生方も、学校の先生方も全然わからないし、学校の先生は数字で出してきますでしょ、成績とかね。だから学校の成績ではほんとに低空飛行ではあるけれども、例えば彼がすごく好きだという社会科の授業を参観することがありましてね。 そうしたらそれが本当に大人が聞いても面白い授業だったんですよね。そしてこういう授業をこんなに面白いと思えるということは、学校の成績でどうだこうだということと全く違う次元の話だなというふうに思ったんですよね。その頃に、でも私が本当に助けられたなと思うのは、永六輔(えいろくすけ)(ラジオ番組パーソナリティ、タレント、随筆家。元放送作家、作詞家:1933-2016)さんのお母さんが、永さんが子供の時に学校から通信簿をもらって帰ってくるじゃないですか。そうすると、「これは学校の先生が、お前を見ていることで、私と関係がないから」って御覧にならなかったというんですよね。私はそれはねすごく助かりましたね。そのことを知ったことがね。そして本当にね学校の国語だとか社会だとか理科だという、そういう目じゃなくって、本人を丸ごとで見るということをするようになったんじゃないかなとは思いますけれど。本人が留年をした後で、もう一度ちょっと難しいという状況になったとき、「学校はもういい」というふうに言いましてね。
 
浅井:  高校生の時ですか?
 
末盛:  高校ですね。それでその時、私はきっとたぶんあの子は小さい時から学校は好きではありましたけれどね。やっぱり辛いところもずいぶんあったんだろうなと思って、結局人類が始まってから学校というか、義務教育だとか、そういうものって本当に上澄みのところでしかない訳じゃないですか。そういうことのために人間をダメにしてしまうようなことがあってはいけないんじゃないかというふうに、その時思いましたのとね、「学校はもういい」と、彼が言った言葉の重みを感じましてね。決然としたものを私は感じましたのでね。もちろんとりあえず、お弁当持って学校に行ってくれれば、親としてはどっか気楽というか、そういうふうに思うとは思ったんですけど。私の母とか妹とかも、「途中からでも入れてくれるこういう高等学校があるみたいだから」とかって、いろいろ調べてくれたんですけどね。でも私は、「本人がこういうふうに言っているから、もちろんそういうところにとりあえず入ってくれれば、私としてもとりあえずは気が楽かもしれないけど、それが必ずしも良いことじゃないと思うから、様子を見ることにするから」と言って断ったんですよね。自分の好きなことに関しては非常に集中して、いろいろできるということがわかってきましたのでね。それは今なおそうですけどね。今もそうですけれども、自動車のF1なんていうものはとても好きで、集中して見てみたりとかですね、そういうことのためには友達のお父さん、全然知らないおじさん達と一緒に見に行ったりとか、手紙を書いたのは最初はF1のチャンピオンだったと思いますけれど、あれほど学校の授業で大変だったはずなのに、自分の興味のあることに関してだと、ちゃんときちんと英語の手紙が書けて、そして私が見たら、〈えっ!これって学校で習う英語じゃなくて、本当の英語じゃない〉と思ってびっくりしたことがあったんですよね。
 
浅井:  そしてご自身なりに生き方を見つけて、
 
末盛:  そうですね。
 
浅井:  欲しいこともしていらっしゃった時に、今度は車椅子になられるという、そういうことにも見舞われたんですね。
 
末盛:  本当にそれは大変でしたけれどね。スポーツしているときに、人とぶつかって折れた肋骨が肺の動脈に刺さったんですよね。それで本当に出血多量で、ほとんど死ぬとこだったと思いますけれど、十八リットルとかも輸血をして、でもその時にはもう既に脊髄の途中に出血した血液が入ってしまって、そこが壊死してしまったということがあって、だからそれから下はもう一切動かないし、感じないということになってしまった。
 
浅井:  それはおいくつの時でいらっしゃった?
 
末盛:  ええと二十五歳だったですかね、彼は。その時、私は初めて知ったのは、結局人間って、例えば今私たちがこう椅子に座っていますよね。座るということだって、体の全部を使わなければ座っていられないんですよね。胸から下が一切動かないし、感じない人って、ベッドの脇に座らせてもグタッ〜となってしまうだけで、それをその座るという姿勢をキープするためには、体を足の方や何かを全部使わなければ、それはできないことなんですよね。そういうことはその時初めて知りました、私も。それがだんだんリハビリをしながら座れるようになって、それからベッドから車椅子に動き移れるようになって、その時に二年ぐらい入院しましたかね。
 
浅井:  でもその時、自分ではなくて、大事な息子さんの身に起こったことだということで、本当に心中はいかがばかりかと思います。
 
末盛:  大変ものすごく私も、ちょうど再婚してすぐだったということもありますのでね、自分で自分を責める思いもありましたし。だけどよくほら、「代われるものなら代わってやりたい」というじゃないですか、親が。私はあれはね、本人に対してずいぶん失礼な話じゃないかなと思うんです。「私ならこれ耐えられるけど、あんたには無理よ」と言っているような気がするんですよね。それで息子が必死で頑張っているときに、「代われるものなら代わってやりたい」って、やっぱりとてもその人の人格を無視した言い方じゃないかなって思うので、できるだけのことは手伝うけれども、それは違うって思うんですよね。それでリハビリの病院に転院したときにですね、看護婦さんが「私があなたの担当です」って言ってこられて、「あなた、これから一生歩けないって自分で分かっている」って、面と向かって聞いたんです。そしてその時に私はもう「お願いだからそんなことを言わないでください」と言いそうだったんですけど、息子がうっすらと涙をためて、「はい。わかってます」って言ったんですよね。そしてその看護婦さんが、「それなら話が早い。リハビリは本当に厳しいけど、私たちができるだけ手伝うから一緒に頑張ろうね」って言ってくれたんですよね。これはね本当に立派な看護婦さんだったなと今でも思いますね。気休めじゃなくてね。大事なことだと思いますね。病院から帰りの車で運転しているときに、ラジオの放送大学の哲学の時間を聞いていて、そしてそこでニーチェ(ドイツの哲学者)だと思いますけど、渡辺二郎(わたなべじろう)(ドイツ哲学の研究者。東京大学名誉教授:1931-2008)先生という方が、「人間の幸せは自分の運命を受け入れることである」という話をしていらっしゃるのを聞いて、もう飛び上がるほど驚きましたね。それで〈あ、そういうことか〉って思ったんですよね。それ誰にでも当てはまることだと思いますけれど、本当に重要なことを聞いたって思いましたね、その時。
 
浅井:  聖書の中にもありますけど、できればこの苦い灰を取り除いてほしい。自分にとって過酷だと思われる運命に見舞われた時は、できればそれを遠ざけたいというふうに思うのが人間だなぁ、というふうに思うんですけれども、それとは逆ですね。
 
末盛:  そうですよね。でもね「これは取り除いてください、ああしてください、こうしてください」ということで、要するに神様を自分の好きなように使うような話じゃないですか。私それは結局違うんだって。自分がクリスチャンで考えをあるのならば、やはり文句は言いながらも随って生きていくしかないんだなということを、これでもか、これでもかということを通して分からせられたかなというふうに思いますけどもね。
 
浅井:  それはその後のご長男の生き方を見ていても、そこから教えられたことでしょうか?
 
末盛:  もちろんそうですけども、それだけじゃなくって、私の出版の仕事をしていたのが、それがうまくいかなくなって、それを閉じなければならなくなって、代々木にあったマンションを手放して、この岩手に引っ越してきた。それしたらば、一年もしないうちに東日本大震災が起こって、被災した子供達が父親に死なれた時のうちの息子達とすごく重なるような気がしましたのでね。そういう子供たちに絵本を送る運動をするということになって、そのことについては次男が、「母さんって、それって絵本じゃないか」と言われて、絵本を集めて届ける仕事をこちらの人達と始めて、そして本当に思いも掛けないほど人のつながりが出来てきて、そしてその時に昔の友達が手紙をくれて、「結局神様は北の海で一緒に働いてくれって、あなたを呼んだのね」という手紙をくれたんですよね。それは本当にありがたかったし、私がずーっと昔から絵本に興味を持って、絵本の仕事に関わってきたのは、このときのためだったのかもしれないなというふうに思いましたよね。だからそういう思い掛けない展開ということがすごくあると思うんですよね。それで私すごく好きな歌の「サンタスティック」というミュージカルの中の歌の一節ですけどね。
 
なぜ実った作物が刈り取られなければならないのか
なぜ春は冬の厳しい寒さを通ってしか来ないのか
そして人がもう一度生き直すためには
なぜ少し死ななければならないのか
私にはその理由がわからないけれども
それが真実なのだということだけは知ってます
 
という歌があって、それは私は若い時からすごく好きだったんですよね。だから本当に何が幸いになるかわからないというふうに思いますね。やっぱり「すべてに時がある」という言葉がとても好きなんですけどね。何かがこう成就するというか、何かが動き出す時というのは、やはり人間にはわからない。「ここ」という時、人と人との出会いとか、そういうことで物事が動いていくとか、そういうことがあるんじゃないかなと思いますけれどもね。「これをこうして下さい、ああしてください」ということではないんですね、私が思っているのは。ただ何か自分がするべきことが見える時までちょっとじっと待っているというか、そういうことですかね。
 
浅井:  それは真っ暗闇の中にいるなというふうに思える時であっても、ジッと待っていると何かやるべきことというのは見えてくるのでしょうか? ご経験からすると。
 
末盛:  真っ暗闇と言ってもですね、例えば今こちらに私引っ越してきてから、初めて気がついたんですけど、曇りの日、曇っている夜でもですね、満月のときには、雲の上で月がどこにあるのかはわからないんだけれど、空全体が確かに少し明るいんです。そういうことって東京にいるときには全く知らなかったんですけれどね。そういうことがありますしね。やっぱりその春になるときだって、今までと全く同じように雪なのにどっか春の気配、表現できないけど何か春の気配があるって。要するに希望っていうのは、そういう本当に微かなものじゃないかなぁって。そしてそれをじーっと待っていることによって、少しずつ見えてくるというような、そういうようなものじゃないかなぁというふうに、自分がとりあえず目の前にあることでしなければならないことをしながら、待っているというか、こういうことをしたいとか、こういうふうになりたいとかということはとりあえず忘れて、そして待っているということですかね。そしてその中から、〈あ、これって自分が昔から求めていたことって、これだったんじゃないか〉ということに気がつくことが時々ありますよね。
 
浅井:  こんな大回りをしてという思ことがあっても。
 
末盛:  そうですね。大体いいことって大回りです。例えば「屋根の上のバイオリン弾き」というミュージカルがありましたけれども、その中で東ヨーロッパの貧しい農民たちが、荷車に荷物を載せて逃げていく時の話ですけどね。物事がうまくいかないときに、主人公が神様に向かってすごく悪態をつくというか文句をいうんですよね。「だって、あなたの大切な聖書という本の中にはこう書いてあるじゃないですか。それなのにこれは一体どうしたことですか」というようなことをしょっちゅういうんですよね。私はそれがすごく好きでね。いいなぁと思って。
 
浅井:  ご自身も悪態をつきたくなることも?
 
末盛:  しょっちゅうついています、神様には。「どうしてください」とは言わないんですよね。ですけど、これが一体どういうことなのかがわかるようにして欲しいとは思いますよね。
 
浅井:  どういうことかというのは、ある時を経て思いがけず現われてくる?
 
末盛:  だから例えば、息子が怪我をしたときには、本当にどうにかというふうに思いましたし、やがて医学が進歩して、何かいろいろなことが治るようになるかもしれないというふうに思ったりしたんですけれど。大切なのはどうやらそういうことではなくって、どうやってそのことを受け容れていくかということだったなというふうに思いますしね。私自身は、たぶん今ああいう息子と生きているということが、自分の人生としては一番大切な核になる部分じゃないかなというふうには思いますよね。だから、それがなければ、もう腑抜けのような人間だったろうと思いますけれどね。だからそういう意味では、本当に息子には申し訳ないかもしれないけど、息子には感謝していますね。その息子が自分のそういう状況を嘆くというか、文句をいうことがほとんどないんですよね。親としてもすごいなぁと思って見ていますけれどね。コンピューターがすごく得意なので、どんどんいろいろ発信したり、そして私たちもやっている絵本プロジェクトのほうのホームページの更新とかですね、そういうこともしてくれているので本当に思いがけないことばっかりですね。
 
浅井:  どうもありがとうございました。
 
     これは、平成二十九年十二月二十四日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」に放送されたものである