わが師、井上洋治南無の心に生きる
 
              ノートルダム清心女子大学教授 山 根(やまね)  道 公(みちひろ)
              き き て          浅 井  靖 子
 
ナレーター:  今日は、「わが師、井上洋治(いのうえようじ)南無(なむ)の心に生きる」と題して、ノートルダム清心女子大学・キリスト教文化研究所教授の山根道公さんに、今年三月に亡くなったカトリック司祭の井上洋治(カトリック教会の司祭。1950年東京大学文学部哲学科卒業と同時に渡仏し、カルメル会修道院に入会。リヨン大学、リール大学で哲学、神学を学ぶ。1960年、東京教区の司祭となる。1986年から、日本人の心情でイエスの教えをとらえようとする「風の家」を主宰:1927-2014)の信仰と晩年の日々についてお話を伺います。井上洋治さんは、作家の遠藤周作(えんどうしゆうさく)(小説家:1923-1996)さんの盟友(めいゆう)としても知られ、ヨーロッパで育まれたキリスト教を、日本人の心に届く形で伝えることに力を尽くされました。その井上さんと学生時代に出会った山根さんは、その伝道の拠点であった「風の家」の活動を支える仕事を長年続けてこられました。聞き手は浅井靖子ディレクターです。
 
浅井:  山根さんは、学生時代から神父の説くキリスト教に身近に接してこられたということなんですけども、井上さんはキリスト教の司祭でありながら、「南無(なむ)の心」という言葉をお使いになったり、あるいは「神」のことを「アッバ」と呼んで、「南無アッバ」「アッバに帰依する」という言い方をなさったり、人々に示した信仰のあり方というのは、非常に日本的というのか、特徴的だったと思うんですね。長年お側に接してこられて、ご自身が感じた井上さんの説く教えというのは、どのようなものだったんでしょうか。
 
山根:  私自身、三十年近く側に接してきたわけですけれども、ほんとに神父さんでありながら、周りから言えば「神父さんらしくない」とも言われるような方ですね。ほんとに自分の実感を大変重んじて、実感できることを話す。自分がほんとに身に沁みて実感として納得できたことを等身大の言葉で噛み砕いて語るということをされていたので、それが大変ほんとに自分に正直に誠実に語っているということがこちらに伝わってきますので、なんか信仰的に上の方にいるんではなく、神父さんも自分の信仰の境地を語る場合も、「まだそこまでは自分では行ってないんだけど」と言いながら、語ってくれるので、神父さんはほんとに大変学識の豊かな人でしたけれども、そう自分を飾ることなく、自分のまだ至らないところなんか正直にさらけ出されながら、そういう自分の実感で語ってくれていたので、私たちも大変そういう意味で身近に感じられる、共感できたということだと思います。
 
浅井:  そういう姿勢がやはり魅力的で三十年に及ぶ付き合いとなったということなんでしょうか。
 
山根:  そうですね。ほんとに私自身もキリスト教に触れながら、教会に行ったりしてもどこか違和感を感じることがずっとあったので、〈あ、これだったら自分も実感できる〉ということで、ほんとについて行きたいと思った、ということであります。
 
浅井:  井上さんについては、しばしば「日本人としてキリスト教を受容したという方」というふうに説明されることも多いかと思うんですけども、そういった信仰のあり方というのも、肌身でわかるものを追求された結果として見出されたものという、そういうことなんでしょうか。
 
山根:  まさにそうだと思います。自分が実感できる信仰ということで、それを求めていく中で、結局自分自身の中にある日本人としての血の中にあるものを自分が見つめて、ヨーロッパに長く行って来られましたから、より強くそれを意識して自分の血の中にあるものに偽ることなく、そこに根差してキリスト教の道を生きるという、その結果が結局日本人としてのキリスト教の受容ということに生涯をかけるということになったんだと思います。
 
浅井:  井上さんご自身が、生涯を懸けることになったキリスト教というものに導かれることになったきっかっけというのは、青年期に抱え込まれた苦しみからだったということですね。
 
山根:  これもやはり実感を重んずるという性格と結局関係すると思うんですね。井上神父自身が青年期に、「何で、何のために生きているのか」というような、そういうことで大変苦しまれたわけですが、生きていることの意味が実感できないという、何のために自分は生きているのかという、それは勿論今の現代の中で病気になるということもあるでしょうから、老いてたとい寝たきりになると、「何でこんな苦しみの中で、私は生きているのに、何の意味があるのか」というような、「生きていても無意味ではないか」というようなことが、絶えず私たちはそういうことを考えてしまうというか、そういう人生の危機に見舞われることというのはあると思うんですね。現代に生きていて、それを同じように苦しんでいる人が今もいるということで、その人たちに、自分がそういう苦しみから救われたことを伝えていきたい、という思いが強くあったようです。神父さんは、例えばこんなふうに言っていますけども、「現代の私たちは、〈人生の主人公は自分だ〉と思っている。〈私が生きているんだ。自分が、自分が≠ニ言って生きている〉と、袋小路に入ってしまうというか、答えが見付けられないで苦しんでしまうと。でも〈人生は私が生きているというよりも、もっと大きな存在は生かされている〉と、それが実感できる道があると、その苦しみから救われる」というのを、自分の経験として、自分が実感できることとして示してくれたんだ、と思います。生きている意味を与えてくれる大きな存在に出会うということが大事なんだ、ということなんだと思います。
 
浅井:  それが井上さんの場合はキリスト教の信仰であったという。
 
山根:  信仰だったということですね。
 
浅井:  そのキリスト教に出会った井上さんは、フランスの修道院で修道生活を続けて来られたあと、ロシアにも行って神学の勉強をされましたけども、必ずしもこれだと実感できる神、あるいは信仰に出会う道はそうスムーズではなくて、いろいろ紆余曲折があったんだそうなんですけども。
 
山根:  自伝的なエッセイで『余白の旅』というので、ほんとに自分の道のりを語ってくれているんですが、それについて、結論を言っていきますと、神父さんは、「神というのは母性的な原理の強い神なんだ」と。父性原理の強い神というのは、どっちかというと行いを問題にする。行いがよければ褒美を与えるけれども、悪ければ裁くという厳しい神―姿ということになりますが、それに対して、「本当は神様というのは、そうなかなか行いがいつもよくできるわけではない。でもそういう弱い人間を、弱い私たちを許して愛して、決して見捨てない。存在そのものを掛け替えのないものとして大切にしてくれる。愛おしんで抱きしめてくれるような、そういう母親のようなということになりますけども、そういう神のイメージをこそ、イエスが私たちに伝えてくれた神、天の父、そしてイエス自身がその父のことを「アッバ」というふうに―「アッバ(Abba)」というのは、イエスが普段話していたアラビア語の幼い子どもがお父さんを呼ぶ時の言葉なんですけれども、そういう「アッバ」―おとうちゃん≠ニ言って、神様を呼べるように親しい間柄の、そういう父なる神なんだ」ということを、そういう神に結局出会っていったということ、
 
浅井:  それが一つの心の救いであったということですね。
 
山根:  それからもう一つこれが一番西洋で、井上神父さん自身が苦しみがこれでもありますけれども、それは「神と人間と自然というものが、西洋のキリスト教の中では断絶している」というところがある。人間と自然ということであると、人間中心主義―大変人間が上にあって、神とまた人間、神と自然という間も凄い断絶がまたあるということもあったわけですが、その中で井上神父自身は、向こうでロシア正教とか、ロストフィスキーなんかの信仰に繋がりますけれども―それに出会う。それでやっと救われていくというか、「息ができるようになってきた」というようなことをいうんですが、それまでの息苦しさから、こう生きとし生けるものもこの大自然すべてが、天の父から愛されて造られた存在であって、その生きとし生けるものと、人間は手を取り合って、そうした天の父―アッバの愛の中にいるんだという捉え方ですね。そういう神の捉え方に出会いて、これだったら自分も日本人としての自分の中にある自然に対する感情を、方向を偽ることなく、実感をもって信仰だったら生きることができるということで、ここは大変大きなことだったと思います。
 
浅井:  その中で井上神父は、「南無の心」という言葉をよくお使いになりましたし、非常に「南無の心」ということを強調された、と思うんですね。それは今お話頂いたような井上さんの見出した信仰というものと密接に関わるということ、
 
山根:  神父さんは、よく「自分は学者ではなく宗教者なんだ」ということも大変強く言っていました。ですから目の前で苦しんでいる人にその人を救うことができる、そういう福音を届けたいんだということですね。今の生活の中でその人が救われていくように。それでほんとに神父さんのところにたくさん手紙が届くんですね。それがほんとに人生の重荷を負って、喘いでいる人たちからの手紙が届くわけですが、神父さんの本を読んだりとか、ラジオで聖書の話をずっとされておられた時があって、その時にはテキストのところに神父さんの住所まで書いていたんで、みなさんわかっていらっしゃったんですね。この神父さんだったら自分のこの人生の重荷をわかってくれるんじゃないのか、救ってくれるんじゃないのか、という思いで、たくさん手紙がきていました。そういう中でほんとに神父さんがよく言われていたのは、現在の私たちは科学の知で学んできているわけですけれども、この科学の知というのは冷たいもので、確かに便利な社会を作って物質的な豊かさを与えてくれているわけですけれども、ほんとに問題になっている生きていることの意味とか、喜びとか、安らぎを与えてくれるわけではなくて、それを与えてくれるのは宗教の心、南無の心なんだ、と言っているわけですね。それでその中で「南無の心、宗教の心というのは何か」ということになりますけれども、それも一言でいうと、「自分というものは、大きな存在に生かされている、その大きな命の一部分であるんだ」と。ですから「自分が生きていることと同時に、自分をまた大きないのちを生きているということ、これがほんとに実感が持てるようになったらほんとに安らぎが与えられ、また自由が喜びが与えられるんだ」というんですね。それでその「自分のいのちの源であるその大きな存在に帰依する、お任せする」という、それが日本語でいうと、「帰依する」のが「南無」という言葉を使いますから、「南無の心」で、「アッバに南無する」ということであると。「南無アッバ」ということになるんだ、ということですね。私自身は中学で病気をして、三年間ぐらい入院をしたりして、あと高校、大学とやはり自分は何のために生きているのか。自分をどのように選んで生きたらいいのかというようなことが、こう大変大きな問題で、何かそれを真面目に考え出していてはだんだん苦しくなってきて、「何が一番いい道なのか。ほんとに自分を実現していくというのはどういうことなのか」と思っていたら苦しくなってしまうんですね。そういう中で井上神父に出会った時に、井上神父が言ってくれたことが救いだったんですけども、「私たちは神様の大きな手の平の上で生きているんだから、こう生けなければ意味がないなんていうことはないんだよ」というふうに教えられたんですね。ですから「私はこう生きなければいけない。なんかそういう生き方を見付け、自分をほんとに生かして生き方はなんなのか」ということを、凄く考えて苦しんでいた、ということがあったんですが、それはほんとに「どう生きてもいいんだ」と言われた時に、なんか肩の力が抜けて、ほんとに自由が与えられたというか、自由と喜びが与えられて、「どう生きても別にいい、神様の手の平の上のことだから、導かれるままに、それに任せながら、置かれた場所で懸命に生きていけばいい」というようになって、振り返ればそれによって一番自分が自分らしく生きることができた、と思います。それでその場合は神父さんの手伝いをして生きていくという道を選ぶことになりましたけれども、例えば今病気をしていて、もう寝たきりであるという場合でも、これは神父さんがよく言われていたんですが、「それは神様の大きな手の平の上での出来事ですから、どんな苦しみにどんなに人が苦しみの中、懸命に生きているかは、神様はよくわかって、いつもそれを見てくれて、それが自分が生きることだけで、何でこんな苦しい病気をしたなら何の意味があるんだということになりますけれども、すべて神様がそれは何か意味があって、その生き方を導いてくれていて、こんなに苦しいのによく頑張っているね、というのも、必ず神様は見てくれているそういう存在。神父さんは、「神様というのはどこにいるか」というと、「自分を背後から大地のように支えてくれている存在が神様だ」ということを言っていましたけれども、ですからそういう存在と出会えることで、それに出会ったという実感が持てることで、生きることに安らぎが与えられて、もっと自由に生きることができるということなんだと思います。これはまた神父さんがよく使われていましたけれども、聖書の中のパウロの手紙の言葉でもあるんですけれども、「私たちみんながキリストの体を生きている」とかという言い方も出てくるんですね。その体の一部を生きていると。それを生きているけれども、もっと大きないのちの一部を生きていることでもあるので、みんな繋がり合っている。それぞれの掛け替えのない役割があって、それでこのいのちが与えられている、生まれてきた。ただ本人がそれが何なのかというのはよくわからないんですけれども、
 
浅井:  それが苦しみのところですね、私たちとしては。
 
山根:  でもそこのところは「自分が自分が」と言って生きていこうとしている限りはよくわからない。ですからよく神父さんが言っていたのは、「大地の中に咲く、大きな大自然の中に咲く一輪の野の花に自分が見えてくるというのも南無の心だ」ということも言っていましたね。いろんな花が咲いたり、いろんな植物がいろんなものがあって、その中の自分の一部であることが、この大自然の美しさをある季節を表現していたりするわけで、「そういう一部を自分が生きていると思えたら、それはもう他と比べることでもなく、その与えられたその場所で自分のいのちを懸命に生きるということでその大きないのちを生きている」ということになるということですね。
 
浅井:  井上さんが亡くなられるまで、井上さんの身の周りのことに接していらっしゃったんですけれども、井上さんが公の場から去られたその後の井上さんは、どのようにお暮らしだったんですか。
 
山根:  そうですね。神父さん自身は大変緑内障が進んでいまして、片眼はほとんど見えなくなって、またほんとに両目ともいつかは、という感じでありましたから、介護を受けられるような施設にも移っていくということがありました。少しでも自分が役に立つことがあれば、そういう場所でもできることがあれば、という思いもあったようですが、結局移られてから、さらにどんどん目は悪くなるし、あと体力がどんどん衰えていきまして、特別何かできるというわけではなかったようですけれども、でもそういう中でも神父さんが一番よくやられていたのは、手紙の返事を書くということでしたね。先ほど言いましたけれども、いろいろと重荷を背負ってほんとに喘いで苦しんでいる人たちから手紙がきますから、そういう人たちに手紙の返事を書くということですね。そしてまたそういう苦しんでいる人たちのことを思いながら祈られる、ということを、最後の日々にできる時にはそういうことをされていたということです。
 
浅井:  ご自分の詩を朗読したものを吹き込まれるということもあったそうですね。
 
山根:  そうなんです。井上神父さんは晩年になられて大変詩をたくさん書かれて、結局詩というものは、一番自分の実感した信仰の境地を伝えるのに詩がいいということもあったんだと思いますけれども、自分のそういう思いを詩にしておられて、神父さん、調子のいい時があったら、それを録音してくださると嬉しいんですけど」と言っていたら、調子のいいと時に少し録音してくれていたものがちょっと残されているということですね。
 
浅井:  その中の一つを聞かせて頂ければと思うんですが。
 
井上:
手紙の返事が書けるのは、
アッバアッバ、南無アッバ。
心で静かに称えてから便箋を開いて返事を書く。
少しずつかすみ方が酷くなってきてはいても、
まだまだ手紙が書けるのは、
こういう時のためにこそ
アッバが目を開けていてくださるからなのだ。
日暮れにそう感じさせられるひとときだ。
青空見上げてもう一度鳥や雀と一緒になって、
南無アッバ南無アッバと称えながら、
手紙をポストに投函する。
南無アッバ南無アッバ。
浅井:  井上さんご自身もご体調がすぐれないということでのお苦しみを晩年おありであったと思うんですけれども、そこにはどのように向き合われていたんでしょうか。
 
山根:  そうですね。ほんとに最晩年は苦しくて、身体がほとんど動かない中で、ほんとに辛かったと思います。特に目が悪くなっていかれると、神父さんは自然を見るのが好きでしたから、一番青空を見て雲が流れるのを見たり、夕焼けを見たりして、詩が生まれていたわけですけれども、どんどん目が見えなくなって、ベランダに出て、来ている鳥も、咲いている花も見えないというような最後の頃はちょっと寂しいというか、辛かったと思います。そういう中でも時間感覚がなくなって、昼と夜が混乱して、夜眠れない時も多かったわけですけれども、そんな中でも私が何かのことでちょっと困っていることというか、何か伝えたりしたら、その後、「昨日は一晩中あなたたちのために祈っていたから」というようなことを言ってくれることもありまして、普段眠れないそういう時に、誰かのために苦しみや辛さを思いながら祈られていたんだと思います。神父さんは南無の心でということで、そういう今辛い人の話なんか聞いたら、その人たちのことを、アッバの手の平の上の光の中にそっと置いてアッバによろしくお願いしますと言って、南無アッバというふうに祈ってくれていたと。最後はそういう何も出来ない中で、そういう祈りを私たちのために称えてくれていたことだったと思います。それからもう一つ神父さんが最後に言われていたことで大変印象に残っているのは、いろんなイエスさまのイメージが聖書の中に描かれていますけれども、最後の頃はいつも「ゲッセマネの祈りを捧げているイエスさまの姿ばかりが浮かぶんだ」ということを言われていました。
 
浅井:  十字架に架かるということがわかって、イエスができればその苦しみを取り除いてほしいというふうに。
 
山根:  でも「私の願いではなく、御心が行われますように」ということで、そこはやはり人間ですから、苦しむのはほんとに苦しい。この苦しみが取り除かれれば、という思いが当然あったと思いますね。それもお願いしながらも、「でも私の願いではなく、天の父のアッバの御心が行われますように」という。これはマルコの福音書の十四章に出てくる有名な言葉ですが、あそこには「アッバ」という言葉も出てきているんですね。「アッバ」と言ってイエスがこの祈りを称えていますけれども、ですから「アッバ、私の願いではなく、すべてお任せします」ということは、まさにそれを一言で凝縮した祈りにする「南無アッバ」なんだということで、特にまた自分が苦しみの中で、イエスさまも苦しみながら祈りを称えていた。そこが重なり合って一致する中で南無アッバを称えていたというのが、最後の心境だったと思います。
 
浅井:  最期というのは、どのようなご様子だったんでしょう。
 
山根:  最期の日に朝方倒れられて、結局脳内出血だということがわかりましたけれども、それで病院に運ばれていく中で意識がもうはっきりしなくなっていく。最期まで「アッバ、アッバ」とこう呼ばれていた。でもその後結局翌日にはお亡くなりになりました。ほんとに神父さまからいろいろ頂いたご恩の最大のものは、「南無アッバという祈りを伝えてくれた」ということです。あと神父さんはいつもこういうことを最期の頃に言われていたんですけれども、「南無アッバを称えるところに、私はそこで一緒に称えている」と。神父さん自身はほんとにいのちの根源に還って行かれて、そしていのちの根源に還って行かれたという、まさにアッバの懐に戻って行かれて、そこで安らぎの中におられると思いますけれども、それと同時にいつでも私たちいのちの根源に向かって祈れば、神父さんもそこから一緒になっていてくれているということで、逆にいつでも側にいてくれているという感覚が日増しにどんどん強くなりますね。そういうふうにアッバのもとに私たちを導いてくれているなと思います。
 
浅井:  最後にもう一つ山根さんが残してくださった詩の朗読を聞きながらお別れをしたいと思いますけれども、今日はありがとうございました。
 
山根:  有り難うございました。
 

 
井上:
秋の訪れ
ベランダにきれいなコスモスが咲いた
秋だ
秋の訪れだ
秋に呼ばれたコスモスが
秋を告げているように
アッバに呼ばれたわたしたちも
アッバを聞いているんだよ
そしていつかコスモスが
秋風に包まれて
秋の懐にかえるように
わたしたちも御風さまに包まれて
アッバの懐にかえるんだね
いのちの源であるアッバの懐に
アッバアッバ南無アッバ
 
     これは、平成二十六年七月二十日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである