聖書によむ「人生の歩み」D平和・政治
 
         関西学院大学名誉教授・東京女子大学元学長 船 本(ふなもと)  弘 毅(ひろき)
 
ナレーター:  聖書によむ「人生の歩み」その第五回「平和・政治」。お話は関西学院大学名誉教授・東京女子大学元学長の船本弘毅さんです。
 
船本:  八月は、私たちいつも平和とか戦争といった問題を考えさせる月ですが、平和が脅かされていることを感じさせられる昨今、これは緊急な課題であると言えるでしょう。戦後六十九年になりました。昨年の八月十六日「天声人語」にこのような言葉が載りました。
 
「きのう東京であった全国戦没者追悼式の参列予定者には、三年続けて戦没兵の父母の名はなかった。妻も十六人で過去最少となった。戦後の時を死者と分かち持ってきた人が、いよいよ減りつつある。記憶する人も死に絶えたとき、死者は真に死ぬという。その謂われに従えば、戦没者は続々と『真の死者』になりつつある」
 
心に突き刺さるような言葉でした。敗戦から六十九年を迎える今、戦争のことを知らない人たちが圧倒的に多くなりました。戦争を知る人が少なくなることが、不戦の誓いを失わせるとしたら、これは深刻な問題です。戦争のことを知り、忘れないということは、平和を真剣に考え取り組むことと固く結び付いています。沖縄では、沖縄戦の終了した六月二十三日を「慰霊の日」と呼び、糸満市(いとまんし)の摩文仁(まぶに)の丘にある平和記念公園で、「全戦没者追悼式」が開かれてきました。昨二○一三年の式典で、沖縄県の平和記念資料館が募った「児童・生徒の平和メッセージ」には、一六九○人の応募がありました。そして日本の一番西にある小学校、沖縄県与那国(よなぐに)町立久部良(くぶら)小学校一年生の安里有生(あさとゆうき)くんの詩が最優秀賞に選ばれ、式典で本人がその詩を朗読しました。六歳、やっと平仮名を習い終えた安里くんが、一生懸命読み上げたあどけなくもきっぱりとした詩の言葉は、聞く人々の心をゆさぶるものがあり、大きな感動を呼びました。最近絵本にもなりました。「へいわってすてきだね」という詩は、こんな言葉で始まっていました。
 
へいわってなんかな。
ぼくは、かんがえたよ。
おともだちとなかよし。
かぞくが、げんき。
えがおであそぶ。
ねこがわらう。
おなかがいっぱい。
やぎがのんびりあるいてる。
けんかしてもすぐなかなおり。
ちょうめいそうがたくさんはえ、
よなぐにうまが、ヒヒーンとなく。
みなとには、フェリーがとまっていて、
うみには、かめやかじきがおよいでる。
やさしいこころがにじになる。
へいわっていいね。へいわってうれしいね。
みんなのこころから、
へいわがうまれるんだね。
 
せんそうは、おそろしい
「ドドーン、ドカーン。」
ばくだんがおちてくるこわいおと。
おなかがすいて、くるしむこども。
かぞくがしんでしまってなくひとたち。
 
ああ、ぼくは、へいわなときに
うまれてよかったよ。
このへいわが、ずっとつづいてほしい。
みんなのえがおが、ずっとつづいてほしい。
 
へいわなかぞく、
へいわながっこう、
へいわなよなぐにじま、
へいわなおきなわ、
へいわなせかい、
へいわってすてきだね。
 
これからも、ずっとへいわがつづくように
ぼくも、ぼくのできることからがんばるよ。
 
平和って何だろうと考えた安里くんの目は、自分の周りのいろいろなものに向けられていきます。そしてそこに平和とは何なのか。平和って素敵だね、ということが、曇り無く言い表されています。平和は言うまでもなく、政治的問題であり、国際的な問題です。しかし平和は、優れて、人間の問題であり、人間の生活に具体的に関わってくる身近な問題なのだと思います。聖書において、平和というのは、旧約聖書に一三一回、新約聖書に八七回、合計二一八回も使われており、非常に重要な概念であることがわかります。今月の聖句に挙げたイザヤ書二章四節の言葉は、
 
主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。
 
この聖句は、ニューヨークに聳える国連ビルと会議場の向かい側にある公園に登って行く壁に刻まれている予言者イザヤの預言の一節でした。旧約聖書の平和は、「シャローム」という言葉が使われていますが、これはユダヤ人が日常の挨拶に使っている言葉でした。ですから、彼らにとって平和とは、戦争や争いがないということだけではなくて、人々の生活が、平穏で、物質的にも、精神的にも充足していることを意味していました。人々は、「シャローム」挨拶を交わす時に、相手が健康であり、もめ事がなく、安全で平和であり、幸せであることを望んだのです。これらはすべて平和の中に含まれてることでありました。安里くんが、朗読した詩の中で、「おなかがいっぱい、ねこがわらい、やぎがのんびりあるき、ちょうめいそうたくさんはえ、よなぐにうまが、ヒヒーンとなく」といったのは、まさに聖書が語る平和を言い表しているのです。そして聖書は、その平和の根源は、神にあり、神と正しい関係にある者には、神から平和が約束され、与えられるのだ、と考えられていました。ですから「平和」は「救い」と密接に結合しており、イスラエルの民がバビロンの捕囚から解放されるという、第二イザヤの預言は、「平和を告げる恵みの知らせ」と呼ばれていましたし、「苦難の僕(しもべ)」は、平和をもたらす者であり、主は回復されたイスラエルと「平和の契約」を結ばれると考えていました。新約聖書で平和を表すのは、「エイレーネ」ですが、これは旧約聖書の「シャローム」を受け継ぎながら、さらにそれを深め広めていると言います。ですから平和とは、すべてのことが正常な状態にあること、人類に約束されている終末時の目標としての平和、神との和解としての平和、人間相互の平和、魂の平和などを意味していました。ですから聖書では、単に戦争のないことではなくて、本来的には、平和とは、イエス・キリストにおいて実現された神と人間との和解を意味しています。人間と人間との間の平和、国家と国家の間の平和、それは根源的には神と人間との平和に基づいて語られると考えているところに聖書の平和の特色をみることができるのです。ですから真の平和は、力をもって戦いに勝利するという形で作り出されるものではなく、相手を愛し、許すことにおいて、打ち立てられるものであり、神との平和に生きる者が、他者との平和な生を求めるという仕方で打ち立てられるものだと考えられていると言います。パウロは、エフェソの信徒への手紙の中で、「キリストは私たちの平和」という有名な言葉を記しています。エフェソの信徒への手紙の中で、二章は中心をなす大切な箇所ですが、彼は先ずエフェソの人たちに、「あなたがたは、異邦人に属するものである」ことの自覚をもつように求めています。当時、神の救いの計画は、ユダヤ民族から始まり、次いで異邦人にも及んでいくと考えられていました。神の神であるイスラエルとは区別されていた異邦の民であり、救いからは遠いものと考えられていたそのことを直視するように、パウロは、エフェソの人々に求めたわけであります。
 
また、そのころは、キリストとはかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました(二・一二)
 
二章十二節の言葉は、随分厳しい言葉です。「そのころ」というのは、聖書では特に重要な「時」を表現する「カイロス」という語が使われています。普通は「時」を現すのには、「クロノス」という語が使われているのですが、「カイロス」は一回的・決定的な時を示す時に用いられた語ですから、その頃、即ち聖書の書かれた時代において、異邦人に置かれていた状況は、神の救いからは遠いものと考えられていた、ということは、紛れもない現実でした。そしてそのことをしっかりと心に留めるように、と、彼は語っているんです。パウロはご存知の通り、異邦人伝道となった伝道者でした。使徒言行録の十五章には、第一次伝道旅行の後、異邦人がイスラエルの民と同じように、救いに預かるというのは認められないという考えが、ユダヤ人の間に広くあり、そのためにエルサレムで使徒会議が開かれたということが記されています。モーセの戒めに従って、割礼を受け、十戒を初めとする律法を固く守って生きていたイスラエルの民は、割礼もなく、律法もない異邦の民が、ただ信仰によって同じように救われるのは不都合だ、とする意見が強くあったのです。そして激しい意見の対立と論争が生じ、議論は白熱した、と聖書は記しています。その中でパウロは、「神はイスラエル民と同じように、異邦の民をも救われる」ということを激しく主張して、ついには会議の結論として認めさせ、彼の異邦人伝道が、初代教会で公認されて、第二・第三の伝道旅行へと繋がっていき、キリスト教は、ユダヤの地方宗教から広く当時の世界へと広まっていくことになったのです。そのパウロが、エフェソの信徒たちに、「あなたがたは、もともと異邦人であった。肉によれば異邦人であり、いわゆる手による割礼を身に受けていない。割礼のない者であった」と語って、「この事実を心に留めておきなさい」と勧めているんです。そしてパウロは、そのことを明確にした後で、
 
しかし、救いの民イスラエルと救いの外にあった異邦人とが、今や、「キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となった」(エフェソ二・一三)
 
と語り、この事実に基づいてパウロは、
 
実に、キリストはわたしたちの平和であります。
二つのものを一つにし
御自分の肉において敵意という
隔ての壁を取り壊し
規則と戒律ずくめの律法を
廃棄されました
(エフェソ二・一四―一五)
 
と宣言しているんです。「隔ての壁」と新共同訳聖書が訳したところを、文語訳聖書と口語訳聖書では、「隔ての中垣」と訳していました。「中垣」とは、二つのものの間を隔てる壁ですから、当時イスラエルの民と異邦人の関係を、よりリアリスティックに伝えていると思います。フランシスコ会訳聖書は、この語にこんな注をつけています。「パウロが考えていたものに最も近いと思われるものは、エルサレム神殿内に築かれていた高さ一・五メートルの石の壁である。この壁は、ユダヤ人のみが入ることを許された神殿そのもの、およびそれに続く中庭を、『異邦人の庭』から分離するためのものであり、この境界を侵害した異邦人には、死刑が科せられた」とあります。神殿は本来、人が神の前に出て、神を礼拝する場所でした。創造主の前に被造者である人間が、感謝と畏れを持って立つ場でもありました。しかし、その神殿の中に、人と人との区別する壁、隔ての中垣があり、イスラエルの民と異邦人、男と女とを分けていたのでした。その境界を越えるものは、死刑が科せられた、というのです。神殿の中においてなお、このような区別や差別があったというのですから、一般社会における日常生活における差別が、どんなに酷いものであったかは、容易に想像することができると思います。この頃、イスラエルの民と異邦人との交際は禁じられていました。しかし、イエスという人は、この世に来られ、人々の前に立つ強固な隔ての中垣を取り壊し、二つのものを一つにしてくださったのです。十字架の死を通して、その救いの業はなされました。そして「平和の福音」を語られたのでした。私たちは、社会の一員として生きているのですから、政治と無関係に生きることはできません。私たちは、直接的ではなくても、いろいろな形で政治と関わりながら生きています。他者と共に生きることを願うキリスト者は、正しく政治と関わることを求められています。共観福音書はいずれも、税金の問題を巡って、神のものとカイザル(「カイザル」とは言うまでもなくローマ皇帝、さらにはこの世の最高政治権力者を指します。国民は、国家の政(まつりごと)を通じてさまざまの恩恵に浴しています。そこで自ずと国民として国家に返すべきもの(例えば納税義務)等があるわけです)ものという論争があったことを記しています。「人々は、イエスの言葉じりをとらえてイエスを陥れようとしてやって来た」と、聖書は書いています。「税金を納めるのは、律法に適うことでしょうか」という問いに対して、「イエスは、デナリオン銀貨を持ってこさせて、「そこに刻まれている肖像は誰なのか」と問い、彼らが、「皇帝のものだ」と答えると、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と答えられました。人々は、イエスの答えに驚き入ったというのです。イエスの答えは明快でした。国民としての納税の義務も率直に認め、カイザルものはカイザルへ、と言われてのです。ここで重要なことは、その後に、「神のものは神へ」という強い発言がなされているということです。イエスは、神のものは神に返すということが、明確に行われるところで、初めてカイザルものはカイザルへということがわかってくるのであり、カイザルは、決して神ではないということを強く主張しておられるのです。当時のデナリオン銀貨には、ローマの公用語であったラテン語で「崇拝すべき神の崇拝すべき子、皇帝ティベリウス」と刻まれていたと言われています。皇帝が神にとって代わるものとして、国民に臨む現実の直中で、イエスは、カイザルのものと神のものとはっきり区別されたのでした。神のものは、カイザルのものを内に含み、カイザルもまた、神の支配下にあることを明らかにされたのです。「政教分離」ということがよく言われますけれども、元来、政教分離とは、中世ヨーロッパのキリスト世界において、教会が絶対権を誇り、世俗世界のすべてに関与した時代に、宗教的寛容の問題として提起されたものであり、教会と政治の正しい関係を規定するために生まれた概念でありました。ですから、これが政治と宗教の一面的な分離を説くのではなくて、国家や政治が、その権限を神からの委託を超えて、人間の信仰や個人の良心の領域にまで立ち入ることを禁じ、また逆に、宗教や教会が政府機関をおのれのために利用したり、政府が特定の宗教を利用することを禁じることによって、両者の正しいやり方を明らかにしようとしたものであり、そのことを私たちは、明確に理解しなければならないと思います。キリスト者は、神の支配下にありつつも、同時にこの世の支配下に生きています。キリスト者が、愛において他者と共にこの世に生きようと願うならば、そのことは必然的にこの世の平和に責任を負って生きることを必要とします。国民の一人として、「主よ、み国を来たらせたまえ」と祈りつつ、自分の政治的責任を、自由に、かつ積極的に担っていくことが求められているのです。それが、十字架を負うてキリストに従うキリスト者の、この時と場で生きる証の生活に他ならないのです。イエスが、山上の説教の中で、「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」と言われたことは有名です。イエスは、平和を守る人、喜ぶ人と言われたのではなく、平和を実現する人、平和を作り出す人は幸いだ、と言われたのです。平和はただ待つのみでなく、作り出すことを求められています。六十九年前の一九四五年八月十五日、敗戦という形で第二次世界大戦が終了した後、我が国は、平和と民主的な国家を再建しようとして、新しい歩みを始めました。「平和」「民主主義」は、まるで合言葉のように盛んに語られました。憲法の前文には、
 
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 
と記されています。そして第二章第九条では、
 
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
@前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 
と明記しています。これは戦争の体験の中から、国民が選び取った道でした。憲法九条を守りつつ、支えられつつ私たちは、戦後の歩みを続けてきたのです。六歳の少年が、沖縄県全戦没者追悼式で読んだ詩の最後の二行は、「これからも、ずっとへいわがつづくように、ぼくも、ぼくのできることからがんばるよ。」であったことを、今思い出し、心が熱くなる思いが致します。敗戦を経験し、戦後の混乱と困難な時代を生きてきました。今戦争の体験者も少なくなり、戦争の記憶も薄らいでいく中で、私たちは今、平和を自分自身の問題として正面から対峙することが求められているのではないでしょうか。パウロが、
 
実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。
 
と述べた時、そこには厳しい対立と差別のあったイスラエルの民と異邦の民との間を固く結び付けるキリストの十字架の死による平和樹立の宣言がなされています。平和の問題は、政治的、社会的、経済的、国際的な問題でありながら、真の平和の実現は、根源的には人間の理解、一人の人間のかけがえのない存在の認識、民を真に尊重する精神といったことを抜きにしては、決して実現されないものであることを、深く理解して受け入れねばならないでしょう。昨年ワシントンで、キング牧師のワシントン大行進五十周年の記念式が行われ、八月二十八日あの日と同じ道を、多くの人が小雨の降る中を行進したというニュースが全世界に伝えられました。オバマ大統領は、「この行進がアメリカを変えた。しかし今なお、私たちは行進を続けねばならない」と訴えました。平和と平等への努力を、絶やすことなく続けるという訴えは、大きな反響と共感を呼びました。キング牧師の「私には夢がある(I have a dream)」という演説は、最初の部分のみが覚えられている傾向がありますが、次のように続いていることを忘れては、あの演説は力を失うのです。
 
私には夢がある。それは、いつの日か、『谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現れるのを、肉なる者は共に見る』
 
イザヤ書四十章四節から五節。キング牧師の「I have a dream(私には夢がある)」という訴えは、信仰に根差した確信に基づいた訴えです。私はこの「夢がある」は、「信仰によって確信する」と同義語だと思っています。聖書は、平和は神と自分の間が平和であればそれで良いということではなく、キリストを信じる信仰によって生き、歩むということは、神を愛し、人を愛して生きることにほかならないし、他者と共に生きることを願うことが、必然的に平和を実現を目指して生きることに結び付くのだ、と語っているのです。戦争は、辛くて悲惨だから避けようというのではなく、神によって創造されたものが、創造された世界と人間を破壊することは、決して許されないという信仰に立って、平和への働きはなされていかねばならないでしょう。アパルトヘイト人種隔離政策に反対して、全生涯を平和のために捧げた南アフリカのネルソン・マンデラさんが、二○一三年十二月五日に、九十五歳で亡くなりました。彼はこう語ったと伝えられています。
 
憎むように生まれて来た人間などいない
人を憎むということを、わたしたちは学んだのだ
ならば、愛することも学べるだろう
愛は憎しみよりも自然に
人間の心に根付くはずだ
 
今、世界は、そしてわが国は、どこに向かって歩んでいるのでしょうか。平和を実現する夢を失うことなく、共に生き続けたいものであります。
 
     これは、平成二十六年八月十日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである