桃源郷が伝える理想的な生活
 
                   東京大学、国際日本文化研究センター名誉教授 芳 賀(はが)  徹(とおる)
1931年、東京府(現・東京都)生まれ。幼時より山形県で過ごす。1953年、東京大学教養学部教養学科フランス分科第一期生として卒業、続いて大学院比較文学比較文化専修課程第一期生。島田謹二に比較文学を学ぶ。修士修了ののちフランスへ留学、1957年帰国、1963年東大教養学部専任講師、1965年助教授、1966年プリンストン大学研究員、1977年東京大学教授。1983年から1988年まで比較文学比較文化研究室主任教授、1991年国際日本文化研究センター教授(東京大学併任教授)、1992年東京大学定年退官、名誉教授。1997年国際日本文化研究センター定年退官、同名誉教授。大正大学教授、98年岡崎市美術博物館館長(-2012年)、1999年京都造形芸術大学教授、学長を歴任し、2008年名誉学長。新しい歴史教科書をつくる会の理事を務める。2006年11月1日源氏物語千年紀の呼びかけ人となる。2010年、静岡県立美術館館長(-2017年)。
               き き て       鈴 木  健 次
 
ナレーター:  今日は、「桃源郷が伝える理想的な生活」と題して、比較文化学者で日本芸術院会員の芳賀徹さんにお話を伺います。桃源郷とは、老子や荘子を愛読した中国の詩人陶淵明(とうえんめい)(中国の魏晋南北朝時代(六朝期)、東晋末から南朝宋の文学者:365-427)が書いた『桃花源紀(とうかげんき)』に由来する理想郷を意味し、中国三大宗教の一つ道教とも関係があります。芳賀さんは昨年『桃花源紀』をめぐって、四十年以上にわたって書き続けてきた数多くの論文をまとめた『桃源の水脈』を刊行しました。聞き手は鈴木健次ディレクターです。
 

 
鈴木:  せめて正月ぐらい雑務を忘れてゆっくりと過ごしたいと思う人も多いと思うんですけども、今日は桃源郷という俗世間を離れたのどかな理想郷について、芳賀さんのお話を伺いたいと思っております。まず初めに「桃源郷」という言葉の大元になった陶淵明の作品や桃源郷をどんなふうに表現しているのか。そこからお話をしていただけますか。
 
芳賀:  はい。陶淵明というのはね、中国でもたくさんの偉大な詩人が出てきましたけども、その中でも最高峰の大詩人ですね。李白(りはく)(中国の盛唐の時代の詩人:701-762)、杜甫(とほ)(中国盛唐の詩人:712-770)よりももっと二世紀ぐらい前にね、西暦四世紀から五世紀にかけて、六十年七十年位生きた詩人です。その陶淵明が、皆さんよくご存知の「田園将(まさ)に蕪(あ)れなんと 胡(なん)ぞ帰らざる」。あの詩を書いて官職を一切捨てて自分の故郷に帰ったんですね。自分の故郷というのは、中国の真ん中を流れている揚子江(ようすこう)の上流の方にある大きな湖らしいです。私、まだ行ったことありません。その側に日本で有名な廬山(ろざん)、その山麓にある小さな村、そこでいわば地主だったんですね。自分で小さい荘園(しようえん)を持っていた。そこに帰って行った。それから死ぬまでそこで暮らすわけですね。農民たちと付き合いながらね。帰って来てから田園生活というのは、いかに大事であるか。人間本来の生活を保障する最も基本的な、最も豊かな、最も美しい、最も楽しい生活を保障してくれたのは農村であるということで、田園に住みついて、その田園の生活の楽しさを語って、その極めたのが桃源郷の物語である。その当時からずっと中国も朝鮮も日本も大体稲作を始めていたでしょう。そういう農村社会である。そこを讃えたわけですね。それが陶淵明が五世紀の初めに田舎に引っ込んで、しばらくしてから書いた『桃花源の詩并(なら)びに記』というのがあります。それによって語っている。それがね桃花源記は素晴らしい作品ですね。もうシェークスピアもかなわない。ゲーテも及ばない。ボードレールもとっても及ばない。日本だったら柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)とか芭蕉。天下の名品ですよ。桃源郷を湖南省(こなんしよう)の漁師が発見するんです。湖南省というのは揚子江の中流に潘陽湖(はようこ)よりもずーっと上っていくと洞庭湖(どうていこ)がありますね。洞庭湖はまぁ中国で最も美しい湖とされていて、李白、杜甫の昔から何回もみんな詩に詠まれてきた名勝ですね。その洞庭湖の西側に武陵(ぶりよう)という高原地帯がずーっとあるんです。その武陵の谷川のどっかの村に住んでいた漁師、それが主人公。漁師というのは本当に風流な人。まさに風の流れるままに、水の流れるままに動ける人。農民とも違う。自由自在。中国のこの頃の物語はいろんな怪奇物語がある。その主人公は大概漁師か、あるいは山の中に入っていって薬草を探す男。ちゃんとそれは理由がある。で漁師はよく絵にも描かれていますね。それが武陵の高原の、谷川と言ったって、日本の谷川と違って、最もゆったり流れる川ですけどね。そこでいつも漁をして暮らしている漁師が、ある日いつものように自分の縄張りに仕事に出かける。その日に限ってね、どうしたわけか漕いでいるうちに、自分はどこまで来たか分からなくなっちゃっている。「路(みち)の遠近を忘れる」。なんか夢中になって魚捕れて、忘れちゃって分からなくなったのか。それとも春の日がポカポカ照ってね、暖かくて、ポッと一瞬居眠りしたのか。だからね、別世界に入るには、そういう条件が必要なんです、必ず。世界のどこの文学でも―ロシア文学でも、ヨーロッパ文学でも、日本文学です、中国でもね、ちゃんと入っている。漁師がいつもの縄張りに出てふっと我を忘れる。一瞬ですよ。そうすると、見知らず不思議な川に入っちゃってるんです。川の両側に一面に桃の花が満開なんですよ。いいでしょう。それで桃の花はね、風が吹かないのにハラハラ散っている。桃の花の下には若草が青々と萌え出ている。それに花びらが散り続けている。竹林というのも大好きでしょ。陶淵明は松の木なんかも大好きでした。でもそういう道徳的エール(yell)を持ちあわせるような植物じゃない。それが見渡す限りずーっと川の上流まで咲き続いている。素晴らしい光景でしょ。で漁師は、変だなと思いながら漕いでいた。どこまでこの桃の林が続くんだろう。シーンとして川の音だけ、そこに桃の花びらが流れ込んでね、それずーっとさかのぼっていく。でとうとうその大河が尽きる。ふっと見上げると、滝があってその上に洞穴があるんですよ。で漁師は好奇心旺盛なんです。あれ変だな。こんなのがあって、ちょっと覗き込む。そうすると、これはまた陶淵明の見事な言葉でね「髣髴(ほうふつ)として光あるがごとし」。薄らと光をにじませた闇なんだ。こういうのだったら二千年前であろうと、千五百年前であろうと、今日であろうと、誰でも若きも老いも皆入ってみたくなるでしょ。真っ暗だったら怖くて入れない。すっぽんぽんのトンネル、幼稚園のお庭にあるような、あんな中に入って見る気もしない。ただうっすらと光を帯びている。そういう闇が込めている洞窟。誰でもそこへ誘い込まれる。特に人間の深層心理ね、ユングとかフロイトが出る千何百年昔よ。もう陶淵明がちゃんとそこを押さえている。こういうところ見事でね、私初めて読んだときびっくりしました。これはとんでもなく意味の深い不思議な世界だ。漁師はその中に入って行く、手探りでね。七十歩か入ってくる、体をよじらすように。そうすると、目の前がパッと明るくなる。「豁然(かつぜん)として開朗(かいろう)なり」パッと竹を割るように、パッと明るくなる。おやおやと思ってね。ふっと下を見ると、下に今まで聞いたことも見たこともない村が広がっている。それが桃源郷なんだ。で桃源郷というのは、中国によくある神仙郷(しんせんきよう)ね。仙人が住んでいて、霞を食って、シダと葉っぱで葺いたような屋根の下に暮らして、一日お経か何か読んでいる。ああいうのかと思ったら全然違う。「屋舎儼然(おくしやげんぜん)」というから、農家ががっちりと建ち並んでいる。土地は平らかに広い。この土地、陶淵明が土地は広いという。五世紀の人間にとって?陽湖の畔の廬山の山麓に住む詩人にとって、広いというからどのぐらい広さか。これはちょっとわからない。それで私、絵を見始めたんですね。日本の画家たちは割合谷間に描いている。狭い谷間に。中国の画家は広々とした関東平野ぐらいありそうなふうに描いているところがある。桃源郷というのは、一種の平等社会なんですね。村長さんはいるらしい。青年と四十五十ぐらいまでは、みんな田畑に出て、田んぼも畑もある。そこで働いている。それから老人たちね、みんな仲良く集まって、その桃の花の咲く下でおしゃべりしているわけです。それから子供たちは全く気兼ねもなしに、「怡然(いぜん)として自(みずか)ら楽しむ」と書くんですがね、何の気兼ねもなく一日好き勝手に駆け回りながら歌いながら遊び回っている。その間に鶏がコケコッコーと鳴いている。それから犬があっちこっちでワンワンと吠えている。それから大きな池がある。灌漑用水池がね。だからそこに魚のいるでしょう。鳥も飛んでくるでしょう。桑畑があって、竹林がある。ちゃんと陶淵明は書くんですよ。驚くべきだね。桑と竹と田んぼと畑もあれば、で灌漑用の池があれば、農耕民は完全に自立できる。外の交通なしに暮らせるでしょう。織物ができる。それから竹があればね。竹は何でもできる。家が建てられる。柱になる、床になる、机になる、椅子になる、筆になる、壁になる、車になる、筏になる。全部食べるでしょう。完全自立自営のできる村で、そこに今武陵の漁師は初めてきたわけです。村人たちびっくりするわけですよ。「お前さん、どうして来た」「これこれしかじかで迷い込んだんだ」と。「へぇっ!」と言ってね。村長さんらしき男も、村人も、みんな鶏を一羽ずつ殺して、「自分の家でご馳走するから来て話してくれ、外の世界のこと。我々はここに引っ込んで五百年以上経っている」。だから秦(しん)の始皇帝の時代なんだな。あの時の圧制を嫌って村長さんが村民を引き連れて、あの洞窟をくぐって、ここに来て、それ以来外の世界と一切の交通を絶っていた。そこに「お前さんは初めてきた。珍しい一体外の世界はどうなっている」。そこで漁師は散々そうやってご馳走になり、珍しがられてね、でも何日かいてね、やっぱり村に帰らなければいけないなと思って引き上げようとする。そうすると、村長(むらおさ)さんが出てきて、村長(そんちよう)さんが出てきて、「ここの村のことを外へ出てからは、一切話してはいけませんよ」タブーを出す。浦島太郎にもタブーがあった。出口にタブーがあるというのはよくある。で漁師はまだまだ下司(げす)な心があるからね。外へ出たらやがてここの村の発見を郡長さんに報告しよう。自分の手柄にもなると思いながら、自分の乗り付けておいた船でもって元へ戻る。途中、あっちこっちで木の枝を折ったり、リボンを結んだり、花を摘んだりして、印を付けて行くんです。もう一回来られるように。それで村に帰ってから桃源の村の発表を郡長さんに報告する。郡長さんは大喜びですわ。新しい植民地ができると。でこの漁師に案内させて、役員と兵隊をもう一度その川に遡らせて行く。そうすると、不思議なことに、自分が付けてきた目印は全部なくなって、で川へ行っても、川の桃の花も咲いてない。どこが入り口だったか全くわからない。杳(よう)として再発見できなかった。それ以後、老荘の学問・道を修めた立派な劉子驥(りゆうしき)という人がいて、その人が漁師の発見の話を伝え聞いて、あ、これは私の理想とする国だ。つい行こうと思って計画したんです。病気になって死んじゃった。漁師は二度と行けない。それ以来誰もあのトンネルを潜って、桃源村に入った人はいないそうだ。見事でしょう。そう言われると、我々今の中国でも、まだどっか山の奥にこんな村はあるんじゃないかと思っちゃうでしょう。めちゃくちゃ忙しい、全く機械的な生活をするようになった現代人にも忘れかけている、その深層心理の平和な懐かしい、そして土地に密着して自然について、反文明の、反近代の、反管理の、反合理主義の、その生活の豊かさ。人間が人間らしく暮らしている。しかも一種そこには豊かな土がある。そういう社会へのノスタルジア(nostalgia:異郷にいて、故郷を懐かしむ気持ち。また、過ぎ去った時代を懐かしむ気持ち。郷愁)ですね。殊に閉ざされちゃってるというから。こういうところは見事ね。こういうところから、もうヨーロッパのトマス・モアのいう「ユートピア」と全く違う世界なんです。この桃源郷をユートピアなんて呼んじゃうと間違う。ヨーロッパではもともと「ユートピア」って、「どこにもない場所」という意味だった。そんならいいんですよ、桃源郷もどこにもないんだから。今いくら探したってありそうもない。ただ何かありそうな気がするだけでね。そこは魅力があるんだね。十六世紀のトマス・モアの『ユートピア』、次の世紀の十七世紀の初めの頃のイタリア修道僧が書いた『太陽の都』という、やっぱりユートピア物語。それからそれは十八世紀になると、いろんなのが出てきて、十九世紀になると、空想社会主義というのができて、十九世紀の後半になると、それはマルクスレーニン主義になって、ソ連革命になって、もう社会主義の国は合理的なユートピア。管理で、統括で、合理主義で、一切無駄なしに人民を使う。上には偉い人がいるんです。トマス・モアの『ユートピア』も『太陽の都』も、神官に近いような、神様に近いような、独裁者が出ている。それで命令の下に、官僚支配ができていて、人間が完全に日常生活も管理されている。朝昼晩の飯の入れ方から。生まれて十一歳になると、もう保育は終わって、お前は農民、お前は兵隊、お前は学者、お前は天文学者、そのように分けられる―十一歳よ。そういう完全管理で無駄がない。
 
鈴木:  ジョージ・オーウェルの『一九八四年』、それがもっと進んだ。
 
芳賀:  どっかから見られている。ですぐに召喚されたりする。どっかに送り込まれたりする。再教育される。ジョージ・オーウェルの『一九八四年』はそうなんだ。あれもまたすごい小説なんだ。あれユートピアの極みよ。
 
鈴木:  ユートピア小説というよりも、反ユートピア小説、
 
芳賀:  そうね。ソ連崩壊が一九八九年、九○年、あれで共産的社会主義の国の理想は、夢は終わったわけですよ。ソ連の人間残されているのは桃源郷しかない。本当に大事なんです、この桃源郷というのは。宗教も人間を救済するだろうけども、この桃源郷への一種の道教的な、老子、荘子的な偉大な夢ね、これを我々の中に培うことは非常にこれから大事です。いっそう大事だ。AIだの、ITだのばっかり広がっていく社会の中にあって、人間はロボットになっていくんじゃないか。
 
鈴木:  桃源郷というのは、道教と関係があるんだとありますが。
 
芳賀:  道教というよりも、陶淵明自身が、老子、荘子が大好きだった。老子の中にある一種神話的なイマジネーション(imagination:想像、想像力)ね、それはちゃんと捉まえているんですよ。大体谷間だろう。谷間というのは、老子にとってはあらゆる生命を生み出す谷間なんだ。つまり女性そのものなんだ。そう言われるとね、桃源郷の話はまるで女性なんだ。そういう形で老子も荘子も生かされている。それから陶淵明は、『山海経(せんがいきよう)』(中国の地理書。中国古代の戦国時代から秦朝・漢代(前4世紀-3世紀頃)にかけて徐々に付加執筆されて成立したものと考えられており、最古の地理書(地誌)とされる)という中国の古代の奇怪な動物が住んでいる山や川の話。それも絵を見ながら読んでいるのが好きだったんだ。そういう人だったんだなあ。会いたかったね(笑い)。
 
鈴木:  話が少し戻るかもしれませんけど、そもそも芳賀さんは、どんなきっかけで桃源郷に興味を持たれたですか?
 
芳賀:  一番最初はね、一九六○年、留学から帰ってきた頃に、島田謹二(しまだきんじ)という主任教授だった比較文化の大先生。佐藤春夫(さとうはるお)(近代日本の詩人・作家。艶美清朗な詩歌と倦怠・憂鬱の小説を軸に、文芸評論・随筆・童話・戯曲・評伝・和歌とその活動は多岐に及び、明治末期から昭和まで旺盛に活動した:1892-1964)の大正時代の小品をゼミで扱っていた。私は『美しき町』とか、『西班牙(スペイン)犬の家』とか、面白い商店街の空想のあたりを読んでいくと、そこにいろいろ理想郷が出てくる。不思議な世界が出てくる。『美しい町』はね小さい町単位のユートピアを造ろうとする。その中にテオドル・ブレンタノというアメリカ人の父と日本人の母との間に生れたハーフの若い男がアメリカに住んでいる。莫大な遺産をもらった若い男が、東京のどっかに一角に素晴らしい美しい町を、小さいユートピアを造ろうという話なんです。彼はいつもウイリアム・モリスの『ユートピアだより』という本を、それをブレンタノという莫大な遺産をもらった若い男は読んでいるわけよ。ウィリアム・モリスを読んだり、さかのぼってトマス・モアも読んだ。カンパネルラも読んだ。そうすると、ウィリアム・モリスがかなり面白くなってくる。あとのは、もう要するに、管理主義ですからね。人間の生活は、朝から晩まで無駄なく管理されている。次々に効率的に働かされる、そういう社会。それがユートピアなんですよ。トマス・モアの中でもカンパネルラの中でも、男女は結婚するのさえ、いちいち裸になって審査しあって、それから今度は結婚も委員会にはかって許可を得ると結婚できる。すぐ一緒にベッドインなんかできない。天文学者が一番いい星めぐりのよい時刻にドアを開けてくれるのを待って、すいすいと男と女が出てくるという。しかもベッドの周りには偉い聖人とか政治家とか、天才の胸像が置いてあって、それを眺めながら(笑い)、大変な、あんなユートピアなんて人が息できないよ。
 
鈴木:  桃源郷はまさに対照的な世界、
 
芳賀:  のびのびとしてね。ヨーロッパでユートピア文学ね、ことに十六世紀以来の近代のユートピア、大体ゴーギャン(ポール・ゴーガン)の中に、石造りである城塞都市がユートピアなんですよ。トマス・モアのユートピアは、小さな半島の先を切って、島にして、ちょうどシンガポールに似ているんだな。そこは東から西まで二百マイルかな、かなり大きいんですよ。そこに百位の都市がある。人口十万か二十万ぐらいあって、で、農村も持っていて、ということは、決まった服を着て、男女の違いだけはあって、町内会に行ってご飯食べる。その町内会の席には偉い老人いて、お説教する。わりとちょっと食後の消化のためにトランプをするとかね、カードを切ったりする。終わると今度は家へ帰って仕事をする。全部規制されている。まあそういう社会が十六世紀以来の近代のユートピア。だから桃源郷の話というのは、ものすごくインパクトがあった。中国でも唐代の王維(おうい)から始まって、唐(とう)・宋(そう)・元(げん)・明(みん)・清(しん)、最後は魏晋に至るまで、まともな資料みんな桃源郷が出てきます。みんなちょっと道学風に詠んでね、最後に偉くなるとか、あるいは全く田園牧歌の桃源郷、時代が下るほど、田園牧歌風になっていくんです。日本でも平安朝の漢詩人たちが、「桃源」という言葉を使って詠んでいます。
 
鈴木:  今年、芳賀さんが、ずいぶん若い時から桃源郷のことを、いろんな機会に論文にしていらっしゃいますけど、それをまとめて『桃源の水脈』とご本を出されましたよね。あれを見るといかに陶淵明の詩が大きな影響を与えているか、具体的な例があがっていて、とても面白かったです。
 
芳賀:  私もあれ書いててね、おやおやと思いながら、ビックリしながら、日本では江戸時代というのは、荻生徂徠(おぎゆうそらい)(江戸時代中期の儒学者・思想家・文献学者:1666-1728)―あんな偉い堅物の哲学者も桃源郷の詩を書いている。鎌倉時代に入ると、五山禅僧たちね、鎌倉、京都で、いくつもいくつも桃源郷を書いている。それから新井白石(あらいはくせき)、生真面目な官僚、あれも吉宗(よしむね)になって幕政の中から追い出されて、新宿に引っ越すんですね。しかし新居を来て見ると、なんか青々としててね、桃の花が咲いている。おや、ここは桃源郷じゃないかなんてという漢詩を作っている。それからさらに下がって池大雅(いけのたいが)(1723-1776)、蕪村(ぶそん)(1716-1784)、それから呉春(ごしゆん)(江戸時代中期の絵師:1752-1811)、ああいう人たちの十八世紀の後半、あの頃になると、日本列島全体が、いわば桃源郷みたいなんだな、徳川の平和で。その中にいて、京都にいた蕪村は、おそらく日本で最もよく陶淵明を理解しているんですね。絵もいくつも描いているし、それから桃源郷の俳句もたくさん書いています。「桃源の路地の細さよ冬ごもり」細い道を辿っていくと奥に桃源郷があって、そこで私は一冬冬ごもりする。その冬ごもりする家も大きな建物じゃなくてね立ち上がると頭が天井に好きそうな、円い木の屋根なんだ。その中で火鉢で暖を取っている。その火鉢のように丸くなっている。屋根の上に雪がどんどん積もっていく。積もるほど中はあったかくなる。そういう俳句。三好達治(みよしたつじ)がそれを見て「太郎眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。次郎眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ」と。あのシーンになっていくんですね。我々はそういう自分が太郎次郎であったほんと幼少の時代、そういう時代へのノスタルジア―郷愁ね。人間にとって一番大事な感情はノスタルジアだと。まだ幼い頃は楽園にいたんですよ。あの世界を忘れちゃいけないんだ。それを忘れるともうただの相手人間になっちゃう。それを絶えず蘇らせているのは陶淵明であり、そういう画家たちであり、中国、韓国、日本の。例えば夏目漱石の『草枕(くさまくら)』、あれも長い春の道を絵描きは、あんまり人間臭い西洋の小説や絵画が嫌になって、やっぱり陶淵明とか、王維とか、ああいう中国の古代の詩人たちを思い出しながら、春の山道をずーっと行く。すると、途中で嵐が来たり、雨になったり、で下を見つめながら黙々と歩いたりする。そうすると、桃源郷へ行くのと同じような過程。どこに桃源郷があってというと、その峠を越えて行った先が那古井(なこい)温泉でしょう。湯気がもうもうとこもって、ひっそりとしている温泉場。ところが漱石の桃源郷には女がいるでしょう。「那美(なみ)」さん。あれ主人公の絵描きが温泉に入っていると、那美さん、男湯と女湯を間違えて、ふっと入ってきたりする。あれはちょっと珍しい桃源、女がいる桃源郷。
 
鈴木:  そうですね。
 
芳賀:  ところが桃源郷は、さっき言ったように、全体がいわば女性的なんです。それは今更そこに女の人いなくてもいいんだ。漱石の『草枕』は、やっぱり漱石は偉い作家で、近代の作家だから、陶淵明みたいに円環を閉じて、完全に平和の小世界を作るわけじゃなくて、破れちゃう、綻びちゃう。那美さんの甥が、日露戦争で満州に出征するので、見送って舟で川を下り、海辺の町に出る。すると、そこに鉄道という野蛮な近代が走っているわけよ。人間をみんな同一にみなしてしまう。強引な乱暴者―真っ黒い煙を吐いてね、それがやってくる。そこへ甥を乗り込ませる。ふっと目を上げると、随分前に別れた夫が髭ボサボサで見ている。那美さん、初めてそこでものの哀れを感じて顔に出る。そこで絵描きは、あ、那美さんもようやく人間らしい顔になったと言ってね、それで終わる。あれは非常に面白い。綻びた桃源郷の話ね。同じようにもういっぱいあるんですよ。佐藤春夫もあるし、上田秋成(江戸時代後期の読本作者、歌人、茶人、国学者、俳人。怪異小説『雨月物語』の作者として特に知られる:1734-1809)もあるしね。
 
鈴木:  しかし、芳賀さんね、今日たくさんお話いただいた桃源郷というのは、農業共同体―農業中心とした共同体。農法主義と言ったらいいか、そういうもんでしょう。どんどん今の世界では、桃源郷は遠くなっていると。
 
芳賀:  遠くなっている。で桃源郷を否定している。上から、わざと、故意に、強引に。非桃源的ユートピアに住もうとしている。だから我々はこの桃源郷を思い出し、桃源を通して自分の緑の楽園であった幼年時代、それを思い起こして、それによってようやくかすかに希望を持つ。希望を養うには郷愁がなければだめなんだ。郷愁を味わうというのも、今大事だね。大体独り郷愁、ノスタルジアがなくなってきてるね。農村というのは、日本社会にとっては、本当に基本的な、日本文明の基礎条件、
 
鈴木:  現代社会みたいな社会だからこそ、桃源郷的な生き方を大切にしなければいけない。
 
芳賀:  ユートピアも失墜した、瓦解して、もうあれが理想にはなり得ない。人類に残されたのは、東アジアが生んだ桃源郷だけなんですよ。アジア人に限らず、人間の郷愁の対象、宗教の最後の信仰―信仰よりもっと深いんだ、人間の心は。郷愁―ノスタルジア。私もね、子供の頃ね、小学校で一年生から三年生まで、山形市の町外れの母方の祖父の家に預けられてたんですよ。それが私の桃源郷だな。屋敷が広くて、周りずーっとサクランボの木があって、外へ行けば桑の木の垣根でね、よく桑の木の葉っぱをとってヤギに食わす。それからサクランボの木に上って一生懸命食べていると、遠くでカッコウが鳴くのよ。「カッコーカッコー」。向こうへ蔵王山(ざおうさん)。奥羽(おうう)山脈がグッと見えている。八歳九歳の子供が、ああ、いいなと思った。日記に書いてある。カッコウがなく頃の、それが私の郷愁の対象だな。爺さん婆さんがよく働く人でした。山形の祖父の家には、ヤギもいて、鶏が二百羽、三百羽いて、豚いてね、もも畑があって、すもも畑があって、栗の木があって、竹林があって、それからチューリップとヒヤシンスが咲いて、向こうにはボタンも石楠花も咲いている。秋になると桔梗が咲いている。そういう所でした。ああいう経験のあるのは、非常に私にとってはありがたいことでしたね。親元を離れて行っているわけで。
 
鈴木:  今は東京に住んでいらっしゃいますけども、大学の学長とか、美術館の館長とか、いろいろおやりになったりけど、そういう公職からすっかり引退されて、長年のご研究も『文明としての徳川日本』というのを一昨年におまとめになって、今度は今年『桃源の水脈』をおまとめになって、芳賀さんご自身桃源的日々を最近は過ごしていらっしゃるんじゃないかと思うんですが。
 
芳賀:  でもね、まだ書き残しの本があるんで、ユートピアに近いぐらいちんぷらに仕事をしているんじゃないかな。もっとのんびりとしてね、やっぱり博物館へ行ったり、美術館に行ったり、どっか田舎に旅をする―そうしたいと思っています、孫を連れてね。
 
     これは、令和二年一月五日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」に放送されたものである