日本人の心をつくったもの
 
                  前龍谷大学学長 上 山(うえやま)  大 峻(だいしゆん)
 
ナレーター:  今回は、「日本人の心をつくったもの」というテーマで、前龍谷(りゆうこく)大学学長の上山大峻さんのお話をお伝え致します。上山さんは、これまで敦煌(とんこう)などに遺された文献で、仏教本来の源流を探ることを研究のテーマにしてきました。また故郷の山口県長門市(ながとし)の浄土真宗浄泉寺(じようせんじ)の住職も勤めています。その上山さんの考えでは、日本人の心は仏教によるものが多いと言います。明治維新以降、日本人は欧米の科学技術と思想を取り入れてきましたが、仏教に根差した日本人の心が失われることはありませんでした。しかし経済効率が優先され、格差が目立つようになった今の日本の中では、心の拠り所が揺らいでいると、上山さんは考えています。宗教の時間「日本人の心をつくったもの」、お話は前龍谷大学学長の上山大峻さんです。
 

 
上山:  今、書店をにぎあわせている出版物に「何々の品格」という本がありますが、確かこれがブームになったのは、藤原正彦(ふじわらまさひこ)(1943(昭和18)年、旧満州新京生れ。東京大学理学部数学科大学院修士課程修了。お茶の水女子大学名誉教授。1978年、数学者の視点から眺めた清新な留学記『若き数学者のアメリカ』で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞、ユーモアと知性に根ざした独自の随筆スタイルを確立する)さんの『国家の品格』からではないかと思います。その後『女性の品格』『親の品格』『会社の品格』と続きました。最近『自分の品格』という題の本を見まして、ここまできたのかと実は驚きました。最近日本人は一体どうなっているんだ、というような事件や、政治、社会の混乱の中で、かつてはそうではなかったという思いから、もう一度本来の日本人の心はどうであったのか。あるべき心というものを確かめてみたい、という思いからの流行だと思います。新渡戸稲造(にとべいなぞう)(農学者(農業経済学)・教育者・思想家。国際連盟事務次長も務め、著書 Bushido: The Soul of Japan(『武士道』)は、流麗な英文で書かれ、長年読み続けられている。東京女子大学初代学長。東京女子経済専門学校(東京文化短期大学・現:新渡戸文化短期大学)初代校長:1862-1933)の『武士道』という本もそういう点から注目されました。多くの日本人論が出ましたが、それは戦後アメリカなどからの欧米の思想が入ってくる中で、本来の日本人とは一体何か。そのアイデンティティーを知りたかったからだと思います。今、品格が問われるのも、国際化の進む中で、再び自分たちの持っている心の構造、つまりアイデンティティーが一体何であったのか、ということへの不安が、私たちを襲っているからだと思います。このアイデンティティーは、どこの国でも持っているもので、もともと人間は動物ですから、それが勿論風土にも影響されますが、後天的に宗教や教育によって形成されてきたものです。いろいろ論じられますが、私は日本の仏教の思想を研究し、また自分が僧侶でもあるせいかも知れませんが、日本人の考え方や価値観を作ってきたのは仏教であり、それは今なお私たちの心の基礎になっていると思っています。その仏教について考えてみますと、聖徳太子(しようとくたいし)(飛鳥時代の皇族、政治家。厩戸皇子(うまやどのおうじ)または厩戸王の後世の呼称。推古(すいこ)天皇のもと、蘇我馬子(そがのうまこ)と協調して政治を行い、国際的緊張のなかで遣隋使を派遣するなど大陸の進んだ文化や制度をとりいれて、冠位十二階や十七条憲法を定めるなど天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を図った他、仏教を厚く信仰し興隆につとめた:574-622)が仏教を興隆させられ、奈良時代には聖武(しようむ)天皇の大仏建立、最澄・空海の仏教の輸入・交流、それから鎌倉時代の法然、日蓮、栄西(ようさい)、道元、親鸞などの輩出、そういう経過を経て、日本全土に広がりました。勿論儒教も大きな影響力を持ちましたが、やはり仏教が基礎を作ってきたと思います。戦後随分私たちは、日本的な考え方や人間のあり方、これでいいのかということを、アメリカの思想、いわゆる民主主義とか自由主義とかに比べて自己反省しました。〈もっとはっきりものを言わなければならない〉とか、〈自分に不利なことは、たとい先生であっても、親であってもはっきり言わなければならない〉とか、右往左往しながら戦後の日本人は迷って今日まできました。今果たしてそれが良かったのだろうか、という気持ちを持つ中で、本日は機会を得ましたので、いくつかの例を挙げて、多くの部分で私たちの考え方が仏教の教えから作られたものであることを明らかにしてみたいと思います。私たちは、道で久しぶりに知っている人に出会いますと、「お元気ですか?」と挨拶します。そうすると、「お陰様で」と答えられます。これを「何のお蔭ですか?」と、次にしつこく尋ね直す人は、先ず日本人にはいませんが、別に特定のもののお蔭ではなくして、無限のいろいろな人々、あるいは環境、あるいは動物たちの命によって私が支えられて、今日こうして元気でいる、ということを言おうとしている言葉なんです。仏教では、すべてのものは原因とそれを助ける縁によって網のように成り立っている。独立には存在しないという縁起の思想を語ります。お釈迦様の悟りの中心は、その縁起の真理を発見したことであると言われています。実際考えて見ましても、私たちのすべてが関係性の上に成り立っております。どちらかというと、自分がものを動かしていると思いがちですけれども、すべて他のものとの関係の中で、私が考え、そして生きているということを気付きます。これが「縁起」という言葉なんです。これに気付きますと、私たちにそういうふうに私を生かしているものに対する感謝の念が生まれますが、これも日本人の一つの心情である、と私は思っております。神への感謝というよりも、むしろ私たちを取り巻いているすべてのものへの感謝である、という表現を日本人は取ろうとします。これが、この思想がやっぱり仏教の縁起の思想からきている、と言っていいと思います。それから次のこととして申し上げておきたいのは、いのちの平等という点です。非常に古い経典で、お釈迦様が言われた通りが記録されているというふうに認められておりますお経に、こういうお話が載っています。古代インド―お釈迦様が生きておられる頃です。マガダ国という国の王であるパセーナディとお后であるマッリカーが、ある時お二人で語り合ったエピソードです。お二人がある時お城の高殿(たかどの)に上がって、こういうことを話されたと言います。これは短いお経ですけれども、漢訳のお経でも残っているエピソードです。王様がお后に向かって、「お前はこの世の中で何が一番愛おしいと思うか」と質問されたのです。お后は考えておられたんですが、人民であるか、あるいは宝石であるか、お金であるか、我が子どもであるか、思い巡らせられましたけれども、結局結論は、「一番愛おしいと思うものは、私自身です」と正直に答えられた。「そういう大王様、あなたは何が一番愛おしいですか?」と言いましたら、大王は、「私も自分が一番可愛いし、一番愛おしい」。二人はその会話をして、何かおかしいような気がしますので、お釈迦様のところへ行って、「今、二人でこういう話をしましたが、それでよかったでしょうか」と聞きました。そうしたら、お釈迦様が、「その通りである。生きている者は、すべて自分が一番可愛い。一番大事である。そうであるならば、人もまた自分を一番大事と思っている、ということに気がつかなければならない」ということを教えられた、と、お経に記録されております。このことは簡単にこう書かれておりますが、
 
すべてのものは暴力に怯える
すべての生きものにとって生命は愛しい。
己が身にひき比べて、殺してはならぬ。
殺さしめてはならぬ
 
という短い言葉となって残っておりますが、ここに仏教の肝要がすべて籠もっているように私には思います。先ずお釈迦様が言っていることは、「生きているものは、いのちが一番大事だ」ということです。仏教では、このいのちこそが一番大事であるという、この生命の本能的な価値観、ここに原点を置く。そしてそのいのちをどう生きるかという問題を次に取り組んでいくという方法論を持っているのが仏教なんです。このいのちに反するもの、いのちに害を与えるもの、例えば争いによって人の命が失われること、そういうことを仏教は非常に怖れるわけです。それは防ぎたい。そこに仏教が平和と取り組む精神があります。日本に仏教が伝わってきて、それを非常に高く評価して、日本の生きる指針とした、人々の生きる指針とされたのが聖徳太子(しようとくたいし)であったと理解しておりますが、この太子が出された憲法十七条の第一条がご承知の通り、
 
和を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とす
 
という言葉です。何故争いを戒めるか。それは、争いによって私たちのいのちが失われていくからです。命こそ大事ということ、それは自分だけでなしに、他の命も同じように大事ということ。これに基づいて仏教では、先ず人の命を害してはならない。殺生(せつしよう)してはならないということを第一の戒めにしております。「生命こそが第一の価値である」という思想です。先ずこのことに注目しておきたいと思います。そして先ほどの言葉で見落としてならないのは、「人もまた自分を愛しいと思っている」ということです。経典では、「己が身に引き比べて殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ」と簡潔に言われています。この教えによって、私だけでなしに、すべての生命が同じように大事であるという、平等の思想が論じづけられます。何故人を殺してはいけないのか、という疑問は、このことに根拠をもって答えられると思います。「私が一番大事なものは、人もまた一番大事なものである」という、これが仏教の教えの根底にあります。私は、そういう考え方というものを、「他の者の立場に思考の軸足を移して考えてみる」そういう思考の方法だというふうに理解しております。しかし私たちの本能的な考え方は自分中心です。自分が一番良いように、自分が面白いものはやってもいいじゃないか、という形で進行していきます。これが結局大人の感覚のまだわからない子どもたちの虐めの要因がここにある、というふうに、私は見ておりますけれども、他の人も同じように苦しいということ、この立場に立ってみるということ、ここに日本人の考え方があります。母親は、私たちに「あの子の身になってみなさい。可愛そうじゃないの」という形で、私たちに人を虐めるという、動物的本能を抑えてくれました。新渡戸稲造の「惻隠(そくいん)の情(じよう)」も、他のいのちへの優しさ・思いやりということに基づいて出てくる言葉です。私の故郷が生みました詩人である金子みすず(大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した日本の童謡詩人。本名、金子テル。26歳の若さでこの世を去るまでに512編もの詩を綴ったとされる:1903-1930)の詩に「大漁(たいりよう)」という詩があります。ご承知かも知れませんが、彼女は、鰯(いわし)の命と人間の命とが同じだとみております。
 
「大漁(たいりよう)
朝焼小焼だ
大漁だ
大ば鰯の
大漁だ
 
浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰯のとむらい
するだろう
 
ご承知かと思いますが、ここに日本人の思考の形があります。私たちは、小さい小鳥、あるいは考えがないであろう魚なんかは、人間から見れば自由にしていいと考えがちですけども、彼らにも命がある、というふうに、私と同じような命の尊厳というものをそこに見出していくという心。これは当たり前のようですけれども、実は非常に大切な心であって、アメリカでこのことを申しましたら、ビックリされまして、「鰯の命が人間と同じだとみる考えなんか絶対に出てこない」という返事が返ってきました。こういう日本人の持っている―これは仏教が育てた心ですけれども、それが今非常に懐かしく思われて、金子みすずの生まれた仙崎(せんざき)というところには、今なおたくさんの方々が訪ねておられます。先ほど紹介しました聖徳太子の憲法ですけれども、ここで聖徳太子は、第一条に、「和を以て貴しと為す」という和こそ大事である。「和らぎ」とも読まれますけれども、「みんなが仲良くしていく。争わないということが大事だ」ということが主張されております。これは、先ほど申しましたように、争うと、人の命がなくなっていく。「この一番大事な命を守るためには、どうしても私たちはお互いに和を実現していく必要がある」ということ。今なお世界ではいろいろなところで争っておりますけれども、これはまさしく和に背く行為だと思います。それではどうしたらこの争いを鎮めて、和を実現していくかということ、これを聖徳太子は、この憲法第十条でその方法を書かれておりますけども、それは、
 
共にこれ凡夫(ぼんぷ)のみ
 
凡夫というのに「ただびと」という仮名がふってありますけども、「普通の人間であるということを自覚する」ということ。これが和の実現の基礎である、という言い方をされております。普通の人間―凡夫であるということは、失敗もするし成功もする。人を憎むこともあるし、自分だけが偉くなりたい。自分が偉いと思う自己中心の考え方も持っている。そういう普通の人間であるという考え方です。そのことを自覚するということ、それこそが和を実現する道である、という言い方です。お互いに賢い人間であるか、ダメな人間であるか、愚かな人間であるかということは、「鐶(みみがね)の端(はし)なきがごとし」という例を出しておられますけども、どちらが本当に偉いのか、どちらが本当に愚かなのか、ということはわからないという言い方。偉いと思っている私が、とんでもない失敗をしたり、とんでもない間違いを犯していくことがあると。そういうお互いに欠点のある人間、過ちを犯しかねない私であるという自覚。それこそが争いを鎮める、という考え方なんです。これも日本人の非常に基礎的な思考の底辺にある考え方です。日本人は、いつも人にちょっと道を尋ねても、席を譲って貰う時でも、「すみませんが」という言葉を前に付けます。そしてものを頼みます。最初から謝っているわけです。この考え方の発生は、私はやはり仏教からきていると思います。聖徳太子がおっしゃるように、私たちは如何にも不完全な人間である。過ちを犯しやすい私たちである、ということを自覚して、そしてそういう私でありますが、ということを前提としながら、相手の行為を、あるいは相手の力を依頼する、という形をとっていきます。そして、例えばものを失敗しましても、「お互い様ですよ」という形で、そこに和を実現させようとする。これも日本人特有だと思います。今世界でいろいろ自己主張が、国レベルで行われておりますけれども、これをみますと、日本人が、「私もそういうことを犯しかねない。お互い様です」という考え方というのは、非常に特異かも知れませんが、それが和を実現さしていた秘密であるということに気付くと思います。先ほど仏教の大事な考え方に、「縁起の思想がある」と申しましたが、この思想は、すべてが寄り集まっているということで、固定的に自分だけで存在するものはないということにも通じる思想なんです。ここから仏教が非常に大事にする「無我(むが)」という思想が導き出されます。価値観にしても、物にしても、永久不変なものはない。一人だけで独立して存在するものはない、ということです。考え方にしても、価値観にしても、すべてが相対的であって、違うものをもってくると、そのものが良いと思っていたものが、悪くなったりしてくる。例えば雨が長い間降らずに、お日様が輝いている日に、「良いお天気ですね」と、雨が降らないで困っている干魃(かんばつ)の中で苦しんでいる人々に言ったら大変です。それは良いか悪いかということは、状況によって変わるということです。絶対に良い、絶対に悪いというものは、最初からない、ということ。流動的であるということ、相対的であるということ、これが縁起の思想である「無我の思想」なんです。考えてみますと、彼奴は悪いということが、徹底的に、本質的にそうであるかと言えるかということ。その人もまた大きな意味を持つことがあるし、私たちが、彼奴は嫌いだと思っていた人に、またお世話になることもあるし、その人の行動が反面教師として、私に大きな恩恵を与えてくれる、ということもあるわけなんです。そういうことで、すべてのものはその違い、それぞれが違いのそれぞれが意味を持つということ。それぞれ違っているままでいいではないか。それぞれが違っているままで値打ちがあるんではないか。それぞれの値打ちではないかという思いに至るわけなんです。それを先ほど紹介しました金子みすずがやっぱり詠っております。ご承知の通り、仙崎という非常に仏教信仰の行き届いたところで彼女は育って、その心を自然に詠ったものなんです。
 
「私と小鳥と鈴と」 
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面(じべた)を速くは走れない。
 
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように
たくさんの唄は知らないよ。
 
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい
 
私たちは、かつて戦争中は、「違ってはいけない。みんな偉くならなくてはいけない。みんな立派にならなくちゃいけない」と言ってきました。そして落ち零れる者は排除していこう、という形で、一種の向上心ですが、もっと良いものを目指しての気持ちであったと思いますけれども、そういう考え方を取ってきたことがあります。しかしそのためにどれだけ多くの人々が、それに付いていけなくて脱落したことか。それを彼女の詩は、みんな違ってみんないいではないか。それぞれに良いところがあるではないか。それを育てていこう。そういう形に考え方を変えています。この考え方も、先ほど言ったように、ものにも固定的に良い、固定的に悪いというものはないということを根底として出てくる考え方です。この思想も、私は仏教から出ているものだと思っています。まだまだたくさん私たちの生活の周りに、仏教が育てた考え方、それが日常的な中で、私たちは普通にその考え方に従っている。それが日本人の心なんです。日本人はそうやって千五百年の間に仏教によって心を形成されている。それがあまり目立たない形で、私たちの生活の中に入り込んでいるんですけれども、実は考えてみますと、大変大きな思想的教育を受けて、私たちの考えが今日あるということに気づかれます。仏教学者でありますので、私は仏教に焦点を合わせながら、日本の心を分析してみたわけなんですけれども、戦後日本人は、欧米の思想ということをグローバルスタンダードとして根拠にしなければいけないという思想の選択を迫られてきました。しかしそれだけでよかったのだろうかという思いが、今私たちに強く押し寄せています。それが初めにも言いましたように、自分の品格というところまで、私自身を反省し見つめてみようという風潮を作り出してきたと思います。もう一度私たちは、先祖たちが長い間かかって育ててきた私たちの心のあり方、それを振り返って、そして大事なものは大事として、私たちは遺していき、更に伝えていく必要があるのではないか、ということを、最近強く思う次第です。
 
     これは、平成二十年四月二十日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである