人生の終末期をどう過ごすか―仏教と医療を考える集いから
 
                 同朋大学教授 田 代(たしろ)  俊 孝(しゆんこう)
一九五二年、滋賀県生まれ。大谷大学大学院博士後期課程を満期退学。カリフォルニア州立大学客員研究員、同朋大学文学部助教授、教授を経て現在、大学院文学研究科長・教授。一九九三年-一九九六年ブラジル南米真宗教学研究所客員講師、サンパウロ総合大学・マリンガ大学特別講師、一九九五年ハワイ大学東西宗教研究所サマーセミナー講師。「死そして生を考える研究会」(ビハーラ研究会)代表。真宗学が専門で親鸞の思想を研究しているが、その立場から、デス・エデュケーション(いのちの教育)やビハーラ(仏教ホスピス)を提唱し、その分野の理論的リーダーである。国内はもとより、アメリカやブラジルの大学で仏教の死生観や東洋の生命観について講義している。
                 き き て  金 光  寿 郎
 
ナレーター:  今日は、「終末期をどう過ごすか」というテーマで、同朋(どうほう)大学教授田代俊孝さんにお話頂きます。先月の一日と二日、宮崎市で、ビハーラ医療団主催の「仏教と医療を考える集い」が開かれ、終末期の医療に従事している医師で僧侶でもある人々や介護士の方々の研修が行われました。この研修会は、今年で十二回目になるということですが、田代さんは、当初からこの会の世話人をしている方です。聞き手は、金光寿郎ディレクターです。
 

 
金光:  今日は、ビハーラ医療団の十二回の研修会ということで、仏教と医療を考える集いの会場にお邪魔してお話を伺っているわけですが、そもそも「ビハーラ医療団」というのは、どういうことで、どういう形で出発して、今になっているんでございますか。
 
田代:  これは今から二十数年前から真宗―仏教の教えを学びながらですね、現実的な問題、社会的な問題にどう仏教が関わっていくか、ということで、「ビハーラ」(サンスクリット語で、僧院とか安息所、つまり「安らかな場所」という意味です)いのちの問題を課題にしてきたわけです。そういった活動をしていく中で、全国各地に仏教の教えをほんとに自分の生き方の上で医療の現場の問題を課題として、仏教を学んでいるお医者さんが結構たくさんいらっしゃったわけなんですね。それでその方たちにお声を掛けて、一九九八年に三重県で第一回の研修会をしたんです。まあそういったことを、私が提案した時に、ちょうど岩手県の県立磐井(いわい)病院の院長(当時)しておられる内田桂太(うちだけいた)先生だとか、九州の国東半島の東国東国保総合病院の院長(当時)田畑正久先生たちが非常に共鳴してくださって一緒に呼び掛け人になって始めたわけなんですね。
 
金光:  「ビハーラ」という言葉は、まだそんなに一般的にはご存知ない方もいらっしゃるかと思うんですが、むしろキリスト教圏の中で使われているホスピスという言葉の方がむしろよく知られているかと思うんですが、それに一応対応している感じで受け取ってよろしいでしょうか。
 
田代:  そうですね。ホスピス(hospice:ターミナルケア(終末期ケア)を行う施設のこと、または在宅で行うターミナルケアのこと)というのは、もともとキリスト教の宗教運動の中で起きてきた言葉、看取りの運動でございますけれども、それに対して仏教というのは、考えてみればもともと生死(しようじ)すべき道―生老病死の道ですから、仏教そのものが、私は「ビハーラ」といってもいいんじゃないかということで、特に現場、要するに臨床の場で死に直面している人たちに宗教的な立場で支援(サポート)するということでビハーラ運動を捉えております。
 
金光:  今、仏教の考え方の根本のところに触れて頂いたわけですけれども、仏教の場合は、常に「生」ということと「死」ということを別のものと考えない視点が一番基本にそもそもあったような気がするんですが、現代という時代には死と生を分ける考え方が一般的になっていますけれども、お始めになった頃の終末期を迎える人たちの病気に対する、あるいは自分の人生に対する姿勢と、その後現場でいろんな方のお話なんかを直接介護の仕事だとか、臨終の看取りをなさった方のお話を聞いていらっしゃって十数年経って大分変化があるもんでございますか?
 
田代:  ありますね。やはり西洋的な価値観で、生はプラス、死はマイナスというふうな価値観で考えておられるような方たちが、やはり仏教の「生死一如」と。生と死は紙の裏表のもののようなものだという、そういう考え方に変わって来つつありますね。私、こういったことをしておりまして、実際に癌で亡くなった患者さんの家族の方たちからよくお手紙を頂くことがあるんですけども、そういう中に「延命・救命も大事だが、死んで逝く人をよりよく送ることも医療の役目だと思う」というふうな、そういうコメントがございまして、そうしますと、従来の「生はプラス、死はマイナス」という価値観に立つ限り、死が敗北になっていってしまうわけですね。ですから死がタブー視されてきた。ところがこういった形で高齢化社会になり、さらには癌なんかで亡くなって逝かれる方が多くなったという現実の中で、その逆に死ということが、非常に自分の身近な問題として捉えられるようになってきました。身近な人の死であればあるほど、その死というのは、より自分事として受け止められるわけですね。そうしますと、そこで自分の死―一人称の死ということを問い始めますと、なんか人生観、死生観が変わっていくような気がするわけですね。ですからそういう問題意識を持ってくださる方が、身近な人の死別体験が多くなればなるほど、多くなってきたような気がします。それがここ十年間ぐらいの日本人の死生観の変化として、私は考えられるんじゃないかな、ということを思いますね。
 
金光:  そういう人生に対する見方が変わってきますと、日本は世界一の長寿の国だとか、そういう年数で何年生きたかということで、その長寿万歳みたいな考え方がかなり一般的だったんですが、その辺のところは多少変わってきていますでしょうね。
 
田代:  そうですね。かつて「豊かな長寿社会を」というスローガンで延命すれば、長寿になれば豊かになる、幸福になるという価値観だったものが、実際に延命になってみたんですけども、やはりそこで果たしてこれで良かったという人生の充足感を得られるかどうかと言えば、その物差しにとらわれている限り、どこまで延命しても、「こんな筈じゃなかった」という、そういう虚しい思いで死を終えていかれるわけなんですね。そういう課題に対して、私たちは仏教の、特に「中道(ちゆうどう)」というような考え方、あるいは「縁起(えんぎ)」というふうな考え方が、そのことをその問いに答えてくれると思うんですね。つまり長いのが良くて、短いのはダメだとか、生はプラス、死はマイナスという、そういう価値観に対して、そのとらわれを離れるという、長短プラスマイナス、そういう物差しのとらわれを離れ、そうすることによって何歳であっても「これで良し」と。特に浄土真宗なんかですと「本願」とか「他力」という言葉がございますけどね、その本願とか他力に乗托(じようたく)すれば、それこそ何歳であっても仏の御手(みて)の中だから、これで良かったんだと。四十は四十、六十は六十、百は百、あるいは癌は癌のままで、死は死ぬゆく身のままで助かっていくと言いますかね、これで良かったという、そういう受け止め方ができるわけなんですね。ですからそういう仏教の考え方が、特にそういった末期の患者さんに対しては、私は非常に心に響いていくんじゃないかなということを、実際に患者さんに対応する中で感じております。
 
金光:  今おっしゃった「中道」という場合に、生があって、死があって、という考え方ですと、生でもない、死でもない、という真ん中辺に、右と左の真ん中というような中(ちゆう)ではないんですね。
 
田代:  はい。政治の中道でございますと、右派と左派とつながる道となりますけども、仏教でいう中道というのは、「あらず―非」ということですから、とらわれを離れる。とらわれを離れた時に本当の意味での安らぎがあるというふうな取り方ですね。
 
金光:  一般的に言えば、人間、例えば百歳まで生きても、百五十歳まで生きても必ず死ななければいけないという現実があるわけですけども、日頃はそんなことは忘れているわけですが、しかし死に直面した人の言葉だとか、そういう方を看取った方のお話なんかを聞いていらっしゃると、現実に、この現代に生きて、しかもこの世を去る前に、今おっしゃったような短い人生であっても、私はこれでよかったというか、苦しいとか、困ったとか、心配だとか、そういう不安の中で亡くなること、そういう形だけではない生き方かをされた方も現実にいらっしゃいますでしょうね。
 
田代:  そうですね。ヨーロッパの価値観ですと、「いのち」というのは、生命というのは科学的な見方をします。そうすると、すべては実在するものであると。有無の世界になるわけですね。ところが仏教の考え方というのは、そういう有無のとらわれを離れるということですね。そうしますと、その有無のとらわれを離れるということにおいて、有るとか、無いとか、ということを離れるわけですから、とらわれを離れる世界ですから、何歳であっても、あっても良し、なくても良しという、仏教の本来的な立場になってくるんですね。そういう受け止め方をなさっていかれた方に、私は以前からよくご紹介さして頂いている鈴木章子(すずきあやこ)さんだとか阿部幸子(あべさちこ)先生とか、例えば北海道の鈴木章子(すずきあやこ)さんなんかは、四十歳過ぎて癌におなりになって亡くなって逝かれるんですけども、「癌は宝です」という言葉を残していっておられますね。「宝」ということは、彼女は四十六歳で人生を終えているんですけども、癌の身のままで助かっているわけなんですね。つまり健康がプラス、病がマイナス、という価値観を離れていますから、あるがままを、あるがままに、とらわれを離れた、有るがまま、有るがままに受け止めていかれた。そうすると生身の身体なんですから、健康な時もあれば、病む時もある。生身の身体だから病んで当たり前だ。そうすると、そのとらわれを離れると、その癌は宝。むしろ癌によって、そういう境地を気付かせて頂いたという。もう一方申し上げれば、岡山大学の英文学の先生をしておられました阿部幸子先生なんかは、ご自身非常に知的な方でしたから、〈自分の命は自分でなんとでもなる〉とこう思っていらっしゃった。彼女は大腸癌におなりになって、その『生命をみつめる―進行癌の患者として―」という手記を残しておられますけどもね。その手記の中で彼女は癌になって「立ち停まらざるを得なかった。これまでの人生をなんでも思い通りになると思って生きてきたけれども、癌になってみたら、何一つ思い通りにならなかった」。まさに自分の自我がというか、我執が、そこで癌を見つめることによって、病気を見つめることによって、砕かれているんですね。そして彼女は気が付いたことは、他力に生かされていたんだ、というんです。その他力に生かされていたんだ。自分の思い通りにならないという我執が破れた時に、その大きなものに生かされていた。まあ先達の言葉に、
 
散る時が 浮かぶときなり 蓮の華
 
という言葉があるんですけどね。散っていく、散っていくという自力の手が離れると、その離れた途端に、そっくりそのままですね、絶対無限の妙用(みようゆう)に生かされていた。仏の大きな御手の中に生かされていたという、そういう出会いと言いますか、実感があるわけなんですね。そこへ彼女は気が付かれて、他力に生かされていたんだ。そこで「私は、何故こんな大事なことを、今まで気付かなかったんだろうか」と、こう自分でおっしゃるんですけども、そして同時に「気付かないまま死んで逝くよりは、本願の終バスに乗車できてよかったんだ」というんですね。気付かないまま、もし彼女は人生を終えていたら、何で私だけ六十歳で死なねばならないのかと。みんな平均寿命八十まで生きれるのに。ところがその本願の終バスに乗車ができたがために、六十歳は六十歳で、長さのとらわれを離れていますからね、これで良かった、という受け止め方をなさっているわけですね。そのように本当に仏法に出会われた人というのは、そういうふうに一切をありのままに、これでよし、と受け止めていかれる。私はそれが救いの世界だというふうに、こう思うんですけどね。
 
金光:  「他力」という言葉で、私は思い出すのは、お念仏の方が他力というのは、これは当然だと思うんですが、一般の方は、それ以外は、「他力」という言葉を、仏教で使わないかも知れないと思っているかも知れませんが、以前お世話になっていた葉上照澄(はがみしようちよう)(天台宗僧侶、大阿闍梨、延暦寺長揩ナ初代印度山日本寺竺主および世界連邦日本宗教委員会会長である。また、ローマ教皇パウロ6世と接見し、平和のために働くことを誓い合う。ニューヨーク大聖堂において法話が実現し、宗教を超えた世界平和を訴え、後に世界宗教サミットを実現させた:1903-1989)という方がいらっしゃいますね。この方は戦後一番最初に比叡山の千日回峰行(かいほうぎよう)を実行なさった方ですが、その方が、要するに「何宗であろうと、修行の入り口が違っても、仏教というのはエゴを越えて他力の世界に身を委ねることができるところが仏教の世界だ」というふうに伺って、あ、他力というのは、随分広い意味があるんだなと伺ったんですが、そうしますと、生と死の問題だけではなくて、例えばこの頭の良い子、頭の悪い子、健康な子、健康でない子、こう序列を付けたりしがちですけれども、そういう自分の都合を離れた大きな目で見ると、この辺が非常に優劣でない目で見ることができる。そういう世界が開けた方もいらっしゃいますでしょうね。
 
田代:  そうですね。私たちはさまざまな物差しを自分で作って、その自分で作った物差しにとらわれて、良ければ良くって、「増上慢(ぞうじようまん)」―優越感ですね。悪ければ悪くて、「卑下慢(ひげまん)」―劣等感ですね。優越感と劣等感に苛まれて、自分色に輝けない。あるいは人をその物差しで裁いて差別をしてしまう。それが私たちの我執の世界なんですね。ところがその自力無効―今の葉上先生が千日回峰をおやりになって、自らの限界が破れたと。そうしたらそっくりそのままそのとらわれを離れた仏の大きな世界に生かされていた。まさに僕もそれが他力ということだ、と思うんですね。そこへ気が付くと、その物差しそのものが、もはやどうでもよくなるんですね。まあ誰かが喩えるんですけども、昼間の電気のようなものだと。それを離れた途端に、なんかそれまで自分がその物差しに縛られていたことが、虚しく思えてくる。と同時にまたその物差しがあったがために、そういう世界に気づけたという喜びもあるわけです。私は、その物差しをすべてを否定しているわけではないんです。成長していくため、人間のあらゆるものの能力を引き出すための一つの便法として、手段としては必要だと思います。しかしそれはあくまで便法なんですね。ソロバンの何級何級というのがあるのも、あれはソロバンの能力を子どもから引き出すための一つの手段であるわけであって、それを絶対化すると、これは差別になりますから、あるいはとらわれになりますからね。そういう一つの手段。だから有無―物差しというものを、あくまで相対化していく。絶対化しないと。そこに絶対化するところに、私たちの苦悩が出てくるんだと思いますね。
 
金光:  私が、随分影響を受けている方に和田重正(わだしげまさ)(明治40年生まれ。東京帝大卒。17歳の頃から人生を深く悩み、死を決意した27歳の春に人生の何たるかを覚る。86歳で生涯を閉じるまで、味わい深い人生の道を著わした著書が多数ある。若き日は東京で一誠寮を、戦争中より小田原ではじめ塾を、昭和42年からは(60歳)丹沢山中で一心寮(現在のくだかけ生活舎)を開き、青少年の人生の師として、在野の教育活動ひとすじ。昭和52年から「家庭教育を見直す会」を組織し、現在の「くだかけ会」に発展している:1907-1993)という方がいっしゃるんですが、この方のお話で、いろんなお母さん方が何々相談なんかなさるんですけれども、子どもさんが知能の発達が少し人より遅れているとか、そういうお子さんを持っていらっしゃるお母さんが、一度はそれで悩まれても、その子どもたちを大きく抱えて生きていこうという世界に目が開けたお母さんは、非常に人間が大きく、人柄が大きな人が、普通のお母さんより多いような気がするとおっしゃっていましたけれども、これ以前チラッと聞いたんですが、平野恵子(ひらのけいこ)さんという方も、自分の苦しみを越えられたご体験を残していらっしゃるようですね。
 
田代:  そうですね。あの方は岐阜県の方でございますけども、三人のお子さんがおらっしゃって、その真ん中のお子さんが重度の障害をお持ちの方でございましたね。その重度のお子さんを抱えながら癌におなりになって、何度か自死を決意されたというようなことを手記の中に書いておられたんですけども、ある日一番上のお兄ちゃんが外から駆け込んできて、「お母さん、由紀乃(ゆきの)ちゃんは、顔も、手も、足も、お腹も、全部きれいだね。由紀乃ちゃんは、お家の宝物だもんね」とこう言われた。その言葉に平野さんはハッとさせられて、言葉もしゃべれない、何もできない、この子が生きる意味はどこにあるんだろうと、善し悪しの物差しでとらわれていたお母さんが、そのお兄ちゃんの言葉で、そのことが誤りだったと、こう気付かれた。つまり役に立つ、立たないとか、良いとか悪いというのは、自分の都合で言っているだけだ。この由紀乃ちゃんは、顔も手も足もお腹も、生まれたまんまに、みんなに大きな意味を与えてくれている。人は存在そのものに意味があるんだ、ということを、言葉なくして教えてくださっていると。そのことに気付かれて、平野さんは、逆にその物差しのとらわれを離れた大きな世界に気付いていかれたようですね。
 
金光:  おいくつぐらいで亡くなったんですか?
 
田代:  あの方は、四十一歳でお亡くなりに、
 
金光:  今の平均寿命からは随分短い方ですが、
 
田代:  ええ。だから長さにとらわれていたら八十歳、人生半ばにして、何故私だけこんな目に遭って死ななければならないのか、というふうに、そう受け止め方をしておられたところでしたね。
 
金光:  そういうお話を聞いていると、そういう告知を受けるとか、ぎりぎりにならないと、そういう世界に目が開けにくいとか、できればもっと健康な時に、そういう自分の自力というか、自我の枠を壊したいと思うんですけれども、その自我の枠というのは自分で気張ってもなかなか壊れないようですね。
 
田代:  これ面白いですね。あるプログラムを、一遍プログラムを消化したら破れるとか気づけるという話じゃないんですよね。ある人はスパークのようにスパーンと裂け切れる人もあれば、なんぼ聞いてもできない。まさにこれがご縁だと私は思うんですけどね。特にそういう期が熟すると言いますかね、そういう出会いというのが、仏教には非常に大事な、つまりこちらの課題と、それから響いてくる法の働きとが一致しないと弾けないわけなんですね。だけどそれを親鸞聖人なんかは死んでからじゃなくって、今だと。先ほどの葉上先生のこともそうですけども、生きている今それに目覚めなさいと。その目覚めるということの、私は一番大きなチャンスが身近な人の死、勿論誕生もそうですけど、身近な人の死。これもやはりどんな人にとっても大きな出来事ですし、自分の存在そのものが重ね合わせて問われる場ですから、死を見つめる。しかもそれも一人称の死―自分の死として見た時に、なんか破れるようなご縁ができてくるんじゃないかなということを思うんですね。
 
金光:  やっぱり第三者として死を、死んだ人が自分と関係のない人だと思って見ていると、割合冷たく、あの人は若いのに気の毒だとか、そんな程度で終わるんですけれども、一人称―自分とかぶさって考えられると、やっぱり我が身の生き方、わが人生がこれからどう生きればいいかという、そこのところと結びつきますでしょうね。
 
田代:  そうですね。自分の死ということを考えますと、すべてのものの見方が、私は変わってくっるように思うんですね。特に自分の死ということを考えたら、私たち自身が、今まで何歳であろうとも、今日まで生きたこと自体が、いつ死んでも不思議じゃなかったんですから、それが不思議に思えてきますし、あるいは自分の死を問えば、まさに生死の一瞬しかないんだというふうな受け止め方になりますし、死を問うとそれが思い通りにならないと。思いを越えたものだ、自我を越えたものだ、というふうなことがですね―これは誕生もそうですけども、気付かされますから、自分の死を問うということが、何か大きな私たちの心の転換をさせてくれる機縁になるんじゃないか、ということを強く思います。
 
金光:  直接は関係ないのかも知れませんけれども、先生がお書きになっていたご本の中に、木が燃えると火になんるわけですけれども、木と火の関係で、全然別のようだけれども、これは関係があるんだというふうな例をして紹介されたと思うんですが、これは生と死の場合でも似たような考え方というのができるのかなと思いながら拝見したんですが。
 
田代:  なるほどね。「木火(もつか)の喩え」という喩えですね。善導大師(ぜんどうだいし)の論中に出てきますけれども、火というのは木から出て、木を離れなくって、火は木を焼いていくわけなんですね。そこに仏の心と凡夫の心をそれに喩えるわけなんですけども、仏の心というのは、凡夫の心の中にあって、凡夫の心を離れないで凡夫の心を焼いていくわけなんですね。そうしますと、いのちということも同じようなことが言えるんじゃないかと思いますね。仏の心を頂くことが、逆に私の持っている凡夫の心を焼いていってくださるという、非常にあれも面白い喩えですから、そういうふうに受け止めることができるんじゃないかなと思います。
 
金光:  そうしますと、自分は反省してみると、自分はくだらんと。碌な仕事もできていない、というふに考えてしまうと、自己の中だけで処理しようとすると、自己嫌悪。どうにもなりかねないところがあるんですが、それだけ切り離して考えると、仏様の世界から離れていると、おかしな方向へいくわけですが、そこのところはやっぱりこういう席でお話を伺ったり、そういう日頃から仏様の世界のお話を伺っていると、なんとなく気付くチャンスもあるということでしょうか。
 
田代:  そうですね。凡夫の心に仏が宿ってくると、その出会いを私たちは常に持っていくところに、私たちの課題が増えてくる、知恵が出てくるというふうに思いますね。
 
金光:  むしろそういう自分たちのそういうエゴに固まっているようなことに気が付くということは、既に自力だけではない世界の繋がりがあるということでしょうか。
 
田代:  もともと私はいつも思うんですけども、大きな仏の世界に私たち生かされているんですよね。ところが大きな手の中にありながら、その手の中でさまざまな物差し―とらわれを作って、それにとらわれて右往左往しているんじゃないか。そのとらわれが破れたらそっくりそのまま大きな世界にもともと生かされていたんだというふうに、もともと助かっていたんだというふうな、そういう受け止め方ができるんじゃないかなと思いますね。
 
金光:  以前名古屋にいらっしゃった花田正夫(はなだまさお)という先生から、その浜田先生の仏法の先生だった池山栄吉(いけやまえいきち)という方が、そういう仏様の世界の気付きは、強いて分けると二通りあるんだと。一つの気付き方は「飛び込み型」―崖からバーンと仏の水の中へ飛び込む「飛び込み型」と、それから「染み付き型」と言いますか、だんだん紙が水に染みるように消えてじわじわと本人気付かないうちに、いつの間にか仏の世界に入れて貰っているという、どうも二つの「飛び込み型」と、「染み付き型」とあるみたいだ、ということをおっしゃっていて、面白いことをおっしゃるなと思っていたんですが、そういう意味では劇的な回心(えしん)と言いますか、心の気付きがなくても、聞いているとじわじわと仏の世界に導いて頂けると、そういうこともあるわけでしょうね。
 
田代:  ありますね。親鸞聖人の御和讃の言葉に、「教えざれども自然に真如の門に転入する」という御和讃があるんですね。要するに聴聞していくことによって、染み込んでいくことによって、いつ敷居を跨いだかわからんけれども、敷居をもう跨いでいるんですよ、というような、そういう意味の御和讃もございますね。
 
金光:  そうすると、自分でわかろう、あるいはわかったと思うという必要もないという、気付かして頂ける時は「ありがとうございます」でいいですね。やっぱり掴もう掴もうとすると、余計伝わっていないという、そういうことがあるのかも知れませんね。
 
田代:  自分でわかった、と思ってしまったら、思った途端に懈怠―怠けになりますからね。自らはどこまでも凡夫であるという問い掛けてある。それが仏の目から見たら、教えざれども自然に真如の門に転入している、ということじゃないでしょうかね。
 
金光:  そういう世界に気付くと、そう致しますと、今生かされて生きているわけですけれども、その状況がどうなろうと、人間の目から、死ということになろうと、自分というのはそういうのを頂けるところを頂いてまいります、という姿勢であれば、別にじたばたしなくてもいいのかなと、頭でそう思っているんですけれども、厳密にどうなのかわかりませんけれども。
 
田代:  生も死も一切が如来の御手の中にあるわけですから、私たちとしては、生きようが死のうが、仏にお委せなんですからね。こちらの計らいでどうにかなることじゃないですからね。そういうところに気が付いたら、もの凄く私は楽なような気がするんですね。
 
金光:  特別終末だからどうこうという、慌てる必要はないということですね。
 
田代:  ただ私たちがこういう活動をやっているのは、より終末の方がそのことについて大きな課題を持っていらっしゃるということで、それに関わっているんですけども、これは普段からの聴聞そのものだ、というふうに思いますね。何歳であろうとも、あるいは終末であろうとも、なかろうとも、まさに今そのことを問うていくということだと思いますね。
 
金光:  名前は世に知られていなくとも、現実にそういう仏様の世界でお迎えを頂いて亡くなる方、けっこうお出でになるわけでしょうか。
 
田代:  私は、三重県の田舎に住んでおりますけれども、田舎の人たちというのは、意外とそういう方が多いんですね。これは普段からよくお寺に法談に聴聞なさるということもあるでしょうし、もう一ついつも思うことは、どうにもならない、思い通りにはならないものと対比しながら生活しておられるわけですね。つまりお百姓さんやっていて、洪水の来る時もあるし、日照りが来る時もある。それは思い通りにならない。我々は小賢しい思いを持っていると、すべてが自分の思い通りになると思っている。ところが、その思い通りにならないものがあるんだ、ということを、肌で知っていらっしゃる方は、病気におなりになっても、それが私の思いを越えたものだ、思い通りにならないものだということを知っておられますから、逆に思い通りにならないものを、思い通りにならない、とこう知っていける世界がありますから、逆に安らいでいかれる方が多いと思うんですね。これから日本の医療というのも、在宅が多くなると思いますね。在宅の緩和ケアに関わっている先生たちは、私たちのビハーラ医療団の中にいらっしゃるんですけども、在宅ということになると、私はいよいよ仏教のそういう意味での果たす役割が多くなってくるんじゃないかなと思いますね。
 
金光:  私なんかも、もう相当の歳ですからいつお迎えがくるか分からないんですけれども、まあ精々今のお話をもう一度思い直しながら日々を暮らしていきたいと思います。どうもありがとうございました。
 
     これは、平成二十六年十月五日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである