ほんに今まで知らなんだ
 
           西恩寺住職・同朋大学名誉教授 池 田(いけだ)  勇 諦(ゆうたい)
一九三四年、三重県桑名市出身。真宗大谷派の僧侶(西恩寺前住職)。元同朋大学学長、現特任教授、大谷大学大学院講師(専門は真宗学)。真宗大谷派講師。専門は真宗学。
 
ナレーター:  今日は、「ほんに今まで知らなんだ」と題して、念仏の篤い信仰に生きた松岡なみ(晴雲寺門徒)さんについて、三重県桑名市の西恩寺(さいおんじ)住職で同朋大学名誉教授の池田勇諦さんにお話頂きます。
 
池田: 
一つには 必定(ひつじよう)地獄と聞きながら
うぬぼれ心にだまされて
(お)ちるわが身ということを
ほんにいままで、知らなんだ
 
二つには 不定(ふじよう)のいのちをもちながら
よもやよもやで日を送る
今宵も知れぬいのちとは
ほんにいままで、知らなんだ
 
三つには 皆さん後生(ごしよう)は大事やと
ひとには言うて聞かすれど
わが身の大事ということを
ほんにいままで、知らなんだ
 
四つには よくよくお慈悲を聞いてみりゃ
たすける弥陀が手をさげて
まかせてくれよの仰せとは
ほんにいままで、知らなんだ
 
五つには いつもお礼はいそがしく
浮世ばなしに気が長い
かかる横着者(おうちやくもの)ということを
ほんにいままで、知らなんだ
 
六つには 難(むつ)かしむつかしと歎いたが
おのれが勝手にむつかしく
していたものということを
ほんにいままで、知らなんだ
 
七つには 泣いて笑うて地獄をつくる
浄土の中の地獄とは
ほんにいままで、知らなんだ
 
八つには 役にも立たぬ雑行(ぞうぎよう)雑修(ざつしゆ)
すてもせず 親さま泣かせていたことを
ほんにいままで、知らなんだ
 
九つには 光明(こうみよう)摂取(せつしゆ)の網の中
逃げても逃げれんおひかりとは
ほんにいままで、知らなんだ
 
十には となえる称名(しようみよう)そのままが
親のよび声ということを
ほんにいままで、知らなんだ
 
この一連の数え歌は、私、三重の桑名ですが、随分古いことながら、桑名市に松岡なみさんという、とても篤信(とくしん)な人がおられまして、その人からよく聞かせて頂き、大変印象に残っているものなのです。松岡なみさんは、桑名市の真宗大谷派晴雲寺(せいうんじ)というお寺のご門徒で、実に仏法を聞くために生まれてきたことを身をもって生きられた人、そんな人でありまして、多くの人々を啓発してゆかれた方でした。昭和二十年代の半ば、敗戦後間もなくですが、名古屋の息子さんの所に移られたため消息が定かでありませんが、おそらく昭和三十年前後に八十何歳かで亡くなられたのではないかと思われます。桑名在世のご生前、私の祖母も親しくして頂き、私も随分可愛がって頂きました。それというのも、私がこの道に入れて頂けたのは、まったく祖母の導き感化によるものでしたから、子どもの頃から祖母と一緒に桑名の「ごぼうさん」(桑名御坊とも称し、俗に「ごぼうさん」と呼ばれる)へご法話を聴聞に行くということが日課になっていました。そんなことで松岡なみさんにもお会いしたわけで、大変こう目に掛けてくださって、可愛がってくださいました。そんなこともありまして、家にもよく来てくださって、特にお内仏報恩講(ないぶつほうおんこう)には必ずお見えになりまして、一緒に正信偈(しようしんげ)、念仏、和讃のお勤めをして、終わると後できっと聞かせてくださったのが、今のこの一連の歌でした。私がこれを最近ある小冊子に紹介しましたら、早速石川県珠洲市(すずし)の西山郷史(にしやまさとし)さんというご住職でもあり、しかも宗教民族の研究者でもあられるお方からお手紙を頂きました。それによると、「この歌は古くから能登地方の浄土真宗のお説教の中に語られてきたもので、かなり各地に伝えられている。そして例えば加賀の白山麓の地域などでは、民謡となって人々がいろいろな機会に歌っているという、そういう形にまで広がってるものです」と教えてくださいました。そうしたこの歌のルーツからすると、今の松岡なみさんも、おそらく能登地方から来られた布教師の方のお説教で聴聞されたであろうことが思われるのです。しかしルーツはルーツとして、それが単にオウム返しに口真似されていたという借り物の印象ではありませんでした。まったく松岡なみさんの身体から溢れ出ている言葉として、聞く者の胸を打ちました。私も子ども心なりに、凄いお婆さんだなぁと感じたことは、今も私の中に深くインプットされています。それは松岡なみさんの人並み外れた求道に裏付けられていたからだと思います。よく松岡なみさんと祖母の会話から聞いた言葉ですが、「人並みに仏法を聞いていたら、人並みの仏法しか聞かれん。人並み外れて聞かなければ、人並み外れた仏法はわからんでなぁ」。その意味で松岡なみさんの聞法求道によって、この一連の歌もまったく主体化されていたという他はありません。
「一つには、必定地獄と聞きながら、うぬぼれ心にだまされて、堕ちるわが身ということを、ほんにいままで、知らなんだ」。これは結局自分の今日の足下に気付かせて頂く、それこそ地獄行きだと聞かされながら、自分の自惚れ心に騙されて生きておる今日の自分だ、ということを、ほんに今まで知らなんだ。
「二つには 不定(ふじよう)のいのちをもちながら、よもやよもやで日を送る、今宵も知れぬいのちとは、ほんにいままで、知らなんだ」。これを読みます度に思われることは、私たちは、生は必然、死か偶然、そんなふうな気持ちで生きておるんです。ところが事実は逆なんですね。死は必然であり、生は偶然である。たまたま今日もまたいのちを頂いた。ところが私たちの日常意識というのは、まったく逆さまで、生きているのは当たり前、死ぬのはたまたまだと。私たちは錯覚してしまっておる。そういう自分のあり方というものが、仏法を聞くことによって、今宵も知れぬいのちとは、ほんにいままで、知らなんだ。
「三つには 皆さん後生(ごしよう)は大事やと、ひとには言うて聞かすれど、わが身の大事ということを、ほんにいままで、知らなんだ」。いやぁ、これはほんとに厳しいと言いましょうか、これは松岡なみさんから言えば、ほんとに仏法を深く聞かせて頂いていくと、無意識のうちに今度は人に聞かせ屋になってしまうんですね。自分の問題ということを何か忘れてしまって、自惚れと言いましょうかね、教え手になっていく、そういう自分を懺悔していらっしゃる言葉でもないかと思うんですね。
「四つには よくよくお慈悲を聞いてみりゃ、たすける弥陀が手をさげて、まかせてくれよの仰せとは、ほんにいままで、知らなんだ」。これは阿弥陀如来のお心というものを表しているのですが、任せよと聞かされておりながら、任されない自分の分別・はからいの日常生活があるということなんですね。親鸞聖人のお言葉に、「念仏をしながら、他力を頼まぬなり」というお言葉があるんですけど、ほんとにそうだと思うんですね。そのことに気付かれたところで、いよいよ任せてくれの仰せを聞いていかれた姿じゃないかと思いますね。
「五つには いつもお礼はいそがしく、浮世ばなしに気が長い、かかる横着者ということを、ほんにいままで、知らなんだ」。これもほんとに耳の痛い厳しいお言葉です。この「いつもお礼はいそがしく」ということは、朝晩のお詣りをすることです。それは忙しく、せかせかと急いで、そして浮き世話に気が長い、と言うんですね。ほんとにこれは身に摘まされることですわ。手を合わせるのはチャカチャカとして終えて、どうでもいいような世間話には時間忘れてうつつぬかしておるという、それを懺悔しておるんですね。
「六つには 難かしむつかしと歎いたが、おのれが勝手にむつかしく、していたものということを、ほんにいままで、知らなんだ」。自分の分別・はからいで、私たちは聞いていますから、だから仏法を聞くと言いましても、自分の考えを押し立てておるのであって、仏様からどう願われておるのかという、それ全然聞いていないんですね、聞こうとしないんですよ。これがいつもすれ違うわけですわね。だから難しいということで、わからんということで、結局自分と自分で難しくわからんようにしているんだという、そういうことをおなみさんは痛んでおるんだろうと思うんですね。これを読みますと、松岡なみさんの真剣な聞法体験、わかりたいし、わからんしという、そのジレンマを潜られたことが滲み出ている響きが致します。ところで私がこの一連の歌に、何故注目するのか。それは誰しもが本気になって仏法に向き合いますと、必ず通る道行きですけれども、仏法は難しい、分からんという問題の壁です。その確信の一点として私は、仏法がわかるということは、如何なる質の出来事なのか。その一つを問わずにいられないのです。その点がこの松岡なみさんの歌から、一筋の光を感ずるところであり、またその点を子ども心なりに感じた私自身の子どもの頃の嬉しさだったようです。近代の科学的実証主義の洗礼を受けた現代人は、この目で見ることができるもの、この耳で聞くことのできるもの、この手で触れることができるものだけが実在して、そうでないものは存在しないし、また価値もないとしているようであります。人間が理性を持つものである限り、合理性は尊重されねばならない基本であることは言うまでもありません。かと言って逆に、合理性を至上とする人間中心主義の発想には、それ以上の問題を感じるのは現代であります。それは現代のあらゆる領域での危機的な状況がそれに由来していることを否めないからであります。そうした人間中心主義の発想、傲慢さを問い返す時、「不合理なるが故にわれ信ず」というこの言葉が、かえって極めて謙虚な宗教的姿勢を語るものと感じられてなりません。その意味でこの不合理は、親鸞聖人の教えに照らせば、むしろ私たちの分別・はからいを超えた新合理の意味で用いられたものと言われずにいられません。その「超えた」と今申しました、その内実は、私たちの理性の立場、つまり理性至上のあり方と、反対の理性無視のあり方との両極をどちらも主とするという理性の立場の外に立つことを意味しています。ここに私たちは、親鸞聖人が「自力のはからいを捨てて、他力に帰せよ」と言われるいる一点をよくよく聞かねばならないのです。では「はからいを捨てる」ということは、どういう体験なのでしょうか。およそ私たち人間が、言葉を持つ存在であることは、すべての経験が言葉によることを意味しています。その意味で私たちの分別・はからいとは、言葉だと言いましょう。であれば、「はからいを捨てる」とは、必然的に言葉を超えることでなければならないのでしょう。言葉を超えるとは、かえって言葉以前の事実に立ち返ることでしょう。私たちは、分別以後で生きていますけれども、現前のいのちの事実は、分別以前に根差した生、生きてある現実であります。ですから私たちが、本当に積極的に生きる原点を先輩は、「思い一心で事実に生きよ」と喝破されています。そうした言葉以前の事実に回帰した、立ち返った自覚を、親鸞聖人は、「不可称不可説不可思議の功徳は行者の身にみてり」(高僧和讃)と歌われています。今、不思議とは、ああかこうかと、いろいろ頭で思案、はからっていたことが、実際事実そのものに触れた時、今までの自分の思いが吹っ飛んで、ああそうか、と驚く・感動、それを不可思議と説かれるのです。ああなったら、そうなったらという分別をしている限り、確かな歩みは出てまいりません。今こうなっている、これだったという事実に気付く時、初めて現前の事実と向き合っていく確かな歩みが始まるのではありませんか。
「七つには 泣いて笑うて地獄をつくる、浄土の中の地獄とは、ほんにいままで、知らなんだ」。これもほんとに味わい深いと思うんですよね。私たちは、浄土の中に置かれておりながら、自我・分別・はからいいっぱいで地獄に作り替えておるわけです。それをいうわけですね。だから地獄というのは、浄土を限りなく人間の自我で汚している、そういうことです。地獄と浄土というものは、平面的ではないんですね。こちらに地獄があって、向こうに極楽とか、そこの平面的じゃなくて、立体的だということなんですね。重なっている。重なっていると言った場合に、その下になっているもの、根底になっているものこそが浄土なんですよ。それをいつも自我で汚して、汚染して、作り替えておると、そういう構造をいうているわけですね。
「八つには 役にも立たぬ雑行(ぞうぎよう)雑修(ざつしゆ)を、すてもせず 親さま泣かせていたことを、ほんにいままで、知らなんだ」。真宗ではご本尊・阿弥陀如来を「親様」と、昔からこう言い慣わしてきておるんですよね。阿弥陀を親とする。阿弥陀如来によって私たちは仏(ぶつ)にならしめられるんですから、阿弥陀の子になることですからね。だから子に対しては、親ですから、阿弥陀を「親様、親様」とこう言うわけですね。この「雑行(ぞうぎよう)雑修(ざつしゆ)」ということも、要は今言っている我々の自我の分別・はからいを言っていることなんですね。自分の分別・はからいの満足を追求して生きておる。あるいは仏法も聞いておる。だから、はからいを捨てよ、とこう言われたけれども、雑行(ぞうぎよう)を捨てよ、と言われるんだけれども、捨てもせず、仏に限りなく背き続けている自分だということを、ほんに今まで知らなんだ。親様泣かせていたことを、ということは、背き続けてきた自分だということを、今気付かされたと。
「九つには 光明(こうみよう)摂取(せつしゆ)の網の中、逃げても逃げれんおひかりとは、ほんにいままで、知らなんだ」。この光明摂取ということですが、字の通り光、摂取は収め取るわけですけども、この光というのは、阿弥陀如来の働きなんですね。私たちを抱き取る、摂取する、その働き。それを光と、いわば喩えですわね。知恵の働きを光と表現するわけです。だから知恵の働きですから、阿弥陀に会うと言っても、先ほど第一の歌詞からズーッとそれが表れておるんですけど、今日の自分のあり方が照らし出されるということですわね。だからその意味では、仏法が分かるということは、結局自分を知らされるということなんですね。だからこの阿弥陀仏というと、なんか私たちは実体的にどこかにそういうものを思い描くんですけども、じゃないんですね。特に親鸞はこのことを重視していますけども、光明摂取なんですね。知恵の働き、光の働き、我々を追っ掛ける。どこどこまでも追っ掛け、どこどこまでも照らす、という形をとるわけですね。光明摂取の網の中、逃げても逃げれんお光とは、ほんに今まで知らなんだと。そして最後に、
「十には となえる称名(しようみよう)そのままが、親のよび声ということを、ほんにいままで、知らなんだ」。これはほんとにそのままで、称名(しようみよう)は「なんまんだぶつ」と口に称えるこの念仏ですね。この念仏は、実はそのまま阿弥陀如来の呼び声なのだ、ということなんですね。私たちの口に、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と現れ出る、そういう形をとりますけども、それはそのまま阿弥陀仏が、我々を呼ぶ声なのだ、ということです。だから私たちは称名(しようみよう)念仏ということは、聞くということなんですね。この口に現れてきてくださる、つまりここまで呼びかけてくださっておる「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」という呼び掛けを聞く。それしかないということになるわけですね。それをこの言葉は表しておるわけですね。仏教が分かるということは、私たちの分別の心の延長上での出来事ではありません。まったく分別の物差しの他なのです。ほんに今まで知らなんだ。これはまさにその一言として私には響くのです。私たちの生き方は、常に現前の事実、なっている事実を棚上げして、自我の分別心で、ああなったら、そうなったらと夢を追い掛けて振り回されているのではないでしょうか。今は亡くなったのですが、福井に前川五郎松(まえがわごろまつ)という方がおられました。この人も一生懸命仏法を聞き抜かれたお方です。その人がこんな告白をしています。
 
うらの仏法は、(うらは北陸の方では自分のことを表す方言)
極楽探し、十万億まで探してみたが、
今が今とで見つからん、
分からんはずじゃも近すぎて。
 
ほんとにそうですね。思いを超えて、なっている今、ここのこの事実に回帰してみれば、道は近きにあり、既に道ありです。現前の事実と向き合っていく歩みに、運命が開かれてゆく不思議さがあります。今「運命」と申しましたが、仏教ではそのようなことは説きませんが、今は文字通りいのちが運ばれているという意味で使わせて頂きます。その意味で運命はまことに開かれていきます。ほんに今まで知らなんだ。これは自分の方向違いが知らされた懺悔の言葉と言いましょう。ですからこの懺悔に常に自分の見当違いと真の方向を知る知恵を習い続けていく歩みが始まるのです。松岡なみさんの仏法の聞き方の確かさを強く感じますと同時に私たちの課題がなんであるかということを、私は改めて学ばせて頂いているような次第です。
 
     これは、平成二十年十月二十六日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである