釈迦の智慧に学ぶ
 
             奈良西大寺宗務長・浄瑠璃寺住職 佐 伯(さえき)  快 勝(かいしよう)
一九三二年、奈良県生まれ。一九五五年、奈良教育大学卒業(国文学)。公立中学校教師を六年間つとめたあと浄瑠璃寺に入り、一九六八年、父・快龍師の跡をうけて同寺住職となり、現在に至る。「小田原説法」と題した説法誌も出している。一九八○年まで、京都府教育委員をつとめる。著書;「入門・仏教の常識」「入門仏事・法要の常識」「巡礼大和路の仏像」「古寺巡りの仏教常識」「菩薩道」「仏像を読む」「ブラフト神父との対話集・釈迦とキリストとの対話」ほか。
 
ナレーター:  今日は、「釈迦の智慧に学ぶ」というテーマで、奈良西大寺の宗務長で、京都の浄瑠璃寺(じようるりじ)住職でもある佐伯快勝さんのお話をお伝え致します。佐伯さんは、八百年前に南都仏教の復興を目指した真言律宗(しんごんりつしゆう)の叡尊上人(えいそんしようにん)の教えを学びました。叡尊上人は、「釈迦に還ろう」ということを提唱。その心髄は、学問は単に知識を得ることではなく、心を直すためのものである、ということでした。佐伯さんは、今の世はついに末世末法の時代に入ったと感じています。これまでに見られなかったような、心の乱れが原因となった事件が相次いで起きています。この難しい世の中に向かい合うために、改めて「釈迦に還ることが必要だ」と考え、釈迦の肉声に近い言葉を記した『法句経(ほつくきよう)』という仏典を読み返し、仏教の土台になる教えを再確認したということです。宗教の時間「釈迦の智慧に学ぶ」。お話は、京都浄瑠璃寺住職の佐伯快勝さんです。
 
佐伯:  今日は、『法句経』の言葉、いくつかご紹介をしてご一緒に考えてみたいと思います。ご存知の方は多いと思いますが、『法句経』というのは、お経となっておりますけれども、一つひとつのお釈迦様が教えられた短い言葉、それを詩のような形で纏めているわけですが、全部で四百二十三句集められています。先ず、とにかく一つだけ読んでみます。
 
他人(ひと)の過失を見るなかれ。
他人のしたことと しなかったことを見るな。
ただ自分のしたことと しなかったこととだけを見よ。
 
これで一つなんです。実はこの言葉、『法句経』の中で見た時、最初なんか非常に感動しましたが、お釈迦さんというのが、観念のお釈迦さんではなしに、現実そこにいらっしゃる師匠さんのような気がしたのを、今でも覚えています。「他人の過失を見るなかれ」過ちですね。そして過ちだけではなしに、他人の何をした、あるいは何にもしなかった、そういう人のことを見てはいけない。ただ自分のしたことと、しなかったことだけを見よ、と。考えたら非常に厳しい話でして、我々、他人(ひと)のことはよく目に付きますが、自分のことはそう言われてみると、見たことがないような気が致します。とにかくお経というのは、今いろんなお経が日本に渡って漢訳されたものが使われておりますが、一つのお経でも、一通り読むのに相当時間がかかるという、大きなものがたくさんございます。そしてそのお経の初めの方には、「自分はお釈迦様の教えをこんなふうに聞きました」という言葉がよく使われています。勿論お釈迦さんがおっしゃったことを、そこで速記したわけではなしに、聞いた弟子たちが記憶に留め、それを自分の弟子にまた口伝えしていく。何代にもわたってそういうことがやられて、後にそれが文章になり、一つのお経として纏められていくというのが、仏教の経典だと思います。まあいろいろのお経が長い間に次々と出てくるわけですが、その中でももっとも早いものと言われているその一つにこの『法句経』があるんですが、早く出されたものというのは、今読んだような短いものが主になります。ほんとに何かおっしゃっている。実は私が仕事をさして頂いておりますお寺は、真言律宗という宗派の名前を頂いておりますが、これは国の分類では、「奈良仏教」と言いまして、まだ宗派がいろいろ言われる以前のものとして、例えば東大寺の華厳宗(けごんしゆう)。興福寺、薬師寺の法相宗(ほつそうしゆう)というふうな形で、唐招提寺は律宗、そして西大寺は真言律宗。「奈良仏教系」というふうに呼ばれております。ところが真言律宗というのは、奈良時代からあったものではないんで、一旦それが奈良のお寺が、西大寺なんか特に疲弊するわけですが、鎌倉時代に入りまして、例えば法然上人、親鸞聖人、あるいは禅の道元禅師、法華の日蓮上人、いろんな「鎌倉新仏教」と言われる祖師たちが活躍する時代がきますが、その時伝統仏教を立て直すこの運動が、奈良では盛んに行われていました。その時のスローガンと言いますのが、「釈迦に還ろう、お釈迦様の原点に戻ろう」という、これが合言葉であったと言います。それの中心になったのが、西大寺を鎌倉時代に復興した興正菩薩(こうしようぼさつ)叡尊(えいそん)上人であったわけですが、この叡尊上人がやりました一つの象徴的なものは、現在も西大寺の本尊として祀られている釈迦如来像―お釈迦様の姿。これは今も京都の清凉寺(せいりようじ)―「しょうりょうじ」とも言いますが―あそこのご本尊として祀られております。「三国伝来の生身(しようじん)釈迦(しやか)」と言います。生身のお釈迦さんという意味です。例えば如来さんの頭は「螺髪(らほつ)」というので、象徴的に髪の毛を丸いつぶつぶで表しますが、「生身釈迦」と呼ばれる釈迦像は、ウエーブと言いますか、ああいう形式的なものではないんです。そして清凉寺のそれはお腹の中に布で作った「五臓六腑(ごぞうろつぷ)」が入っていたこと、これで有名でございます。この像は東大寺の坊さん、「然(ちようねん)(平安時代中期の東大寺の僧:938-1016)さんが、中国で見付けて感動した生身釈迦を、模刻して貰って日本に持ち帰ったものとされています。中国でもともと「然(ちようねん)さんが感動したという像は、これは伝説ですが、インドでお釈迦様がまだいらっしゃる時に、そのお姿を彫刻した―実際はあり得ないと言われているんですが、そういうふうに伝わっております。いわゆる寿像(じゆぞう)ですね。それを日本に持ち帰って来た。だからインドから中国へ、中国から日本へ、三国伝来の生身(なまみ)の釈迦―「生身釈迦(しようじんしやか)」と呼ばれています。奈良では、他にも生身釈迦はいくつか祀られておりますが、どんどん発展して、次の時代にはもっと広くこの形の信仰が広がったようでございます。そのお釈迦さんが、ほんとに人間の姿でインドで活躍した、その時教えたその言葉をそのまま伝えて、後に文章にした。それが『法句経』四百二十三句なんです。なんかこれはまさにあらゆる経典の原点を示すものであり、お経というより、仏教の考え方の基礎、基本と言いますか、土台がそこにいっぱいあるように思います。例えば、どの宗派―今日でも使われている「仏教とは何か」と言われた時に、これは代々の如来さん―というのも、これも伝説ですが―お釈迦様は、実は七番目に登場した如来さんで、それ以前に六仏いらっしゃった。だから七仏―七つの仏。七代にわたって、如来さんは同じことをおっしゃったというのが、「七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)」という言葉で、漢訳もそれが伝えられております。「七仏通戒偈」と申しますのは、
 
諸悪莫作(しよあくまくさ)
衆善奉行(しゆぜんぶぎよう)
自浄其意(じじようごい)
是諸仏教(ぜしよぶつきよう)
 
漢字四文字ずつ、四つ重ねた詩になっております。これが漢訳です。先ほどの「他人の過ちを見るなかれ」というのもそうですが、中村元(なかむらはじめ)(インド哲学者、仏教学者:1912-1999)先生が、原典のパーリ語を直接日本語に訳して頂いた。今でもそれは出版されておりますが、その「七仏通戒偈」に当たるところを見ていきますと、
 
すべて悪しきことをなさず
善いことを行ない
自己の心を浄めること
これが諸(もろもろ)の仏の教えである
 
我々は、「諸悪莫作(しよあくまくさ) 衆善奉行(しゆぜんぶぎよう) 自浄其意(じじようごい) 是諸仏教(ぜしよぶつきよう)」、これほんとに小さい時分から教えられておりましたが、この今の言葉と言いますか、「すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること、これがもろもろの仏の教えである」こういう日本語訳を見せて頂いた時に、やはりこの『法句経』というのは、あらゆる経典の原点に当たるものだというふうなことをしみじみと覚えておりますが、そういうことのお釈迦様に還ろうと、原点に戻ろうと。当時「南都教学復興運動」と申しますが、奈良を中心に、そういう一つの運動が広がっております。これは日本へ入ってきた仏教が、形の上では華やかになり、綺麗になっていくんですけれども、ところが当時真面目な坊さんたちが非常に気にしたのは仏教の基礎であり、原点である戒律を大事にする、戒律を守っていく、ルールを守っていく。このことがだんだんおろそかになってくる。そして形だけが調え華やかになっていく。それに疑問を頂いた坊さんたちが、奈良の都周辺の大きなお寺に、拠点をおいていたもの、それが少し離れた山の中へ入りまして、そこで真面目な勉強をする、あるいは瞑想に耽る。自然と共に生きていろんな勉強をしている。こういう流れが生まれてきた。言い換えたら、当時いろんな新しい宗派が一方で誕生する中で、鎌倉時代、それまで伝統的に行われてきた奈良仏教を活性化すると言いますか、そのことでこの運動が「釈迦に還ろう」と広がったわけです。その「お釈迦様に還ろう」と言い続けた真言律の我々の宗祖叡尊上人は、それまで弟子に短い言葉でいろんなことを教えておられるのが、今も伝えられております。例えば学問についての定義、これなんかほんとに驚くんですが、
 
学問するは心を直すためのものである。心を直さぬ学問して何の詮(せん)かある
 
というようなことをおっしゃっております。ところが、
 
当世の人は、物をよく読み付んとのみして、心をなおさんと思えるはなし
 
ということで、こういうふうに怒っているわけですね。ものを読んで知識を得て、これが学問だと思っているのは、とんでもないことやと。そういうことを先ずおっしゃった。その後ろに出てくるのが、「学問の拠り所」というのは、というので、こんな言葉があるんですね。
 
足手を安(やす)めず 修行するをば所依(しよえ)と名づく
 
やすまさずに、「修行するをば所依(しよえ)と名ずく」行動すること、実践すること、動くことが学問のすべての拠り所になるのだと。そういうことを鎌倉時代に、叡尊さんが若い弟子たちにこうおっしゃっているわけです。それが『聴聞集』として伝わっておるんですが、その中でおっしゃっていることは、当時も「何宗、何宗」と、宗派の特徴をそれぞれが主張して競争していく、という時代に入っていたわけですが、その宗派の名前を先ずいろいろ並べまして、「顕教(けんぎよう)だ、密教(みつきよう)だ」というふうなことも実際言いますし、そういうことを並べまして、
 
顕密(けんみつ)宗旨(しゆうし)一同(いちどう)のこと
 
というのを教えているんです。顕教であろうが、密教であろうが、いろんな宗旨、これは一つ同じことなんだと。同じこととはどういうことか。
 
所詮(しよせん)(が)を捨て、偏(ひとえ)に他のためにして、私(わたし)を離れるなり
 
これが結論だというんです。詮する所我を捨て―「自分が、自分が」という我(が)です。「我を捨て、偏に他のために」すべて自分以外のもののために働くこと、そして「私を離れるなり」小さな自分を離れて、そして人のために行動する。これが何宗であろうが、仏教の基本の教えなんだ。いろんなことを弟子に教えておられます。これも僕ら見た時に、ごく若い頃でございましたが、なんかお寺で仕事をすることに大きな意味を感じたのは、実はこの短い叡尊上人の『聴聞宗』の文言(もんごん)でありました。特に学問についての「足手を安(やす)めず 修行するをば所依(しよえ)と名づく」これは見事な教えと言いますか、ずばりと心の中まで入ってきたことを覚えております。とにかくそういうことで、仏さんの教えの原点にあたる、基礎に当たるもの、これがこの『法句経』の中にはたくさんあるというより、みんなそうだ、というふうに思うわけですが、二、三ご紹介してみたいと思います。戒律と言いますと、今でも「五戒(ごかい)」というのが、生きとし生ける人間の一番基本になる基礎の教えだと―五つの戒律ですね―これを申します。ところがちゃんと『法句経』の中にそれがございます。訳されたそれを見ていきますと、
 
生きものを殺し
虚言(いつわり)を語り
世間において与えられていないものを取り
他人の妻を犯し
穀酒(こくしゆ)・果実酒に耽溺(ふけりおぼれ)する人は
この世において自分の根本(ねもと)を掘りくずす人である。
 
中村元先生は、こんなふうに訳しておられます。それから別にこういうのがあります。
 
荒々しい言葉を言うな。
言われた人々は汝に言い返すであろう。
怒りを含んだことばは苦痛である。
報復が汝の身に至るであろう。
 
だから人とものを言う時、人にものを言う時に、荒々しい言葉、これはダメなんだよ。言われた人は、その荒々しさを汝―お前に返すだろう。また怒りを含んだ言葉、これは相手も自分も苦痛なんだと。やがてその報復が身に至るだろう、という言い方をしています。ついついそういう言葉が出てしまう。考えてみたら、これは忙しさ、慌(あわ)ただしさ、漢字で書いたら「心が亡びる」というのが「忙しい」。そして「慌(あわ)ただしさ」―「心が荒(すさ)む」というのが、「立心偏(?)に荒(あ)れる」という字を書きます。たまたま新しい年が来ますが、今度は丑(うし)の年です。実は我々若い頃には、お寺の近く、どの家にも牛がおりました。牛が働いて農業を支えておりました。ところが昭和四十年代に入って、丑年が来た時に、はたと気が付いたんですが、一匹も周りの家には牛がいない。牛がやってくれていたことを、今は耕耘機が耕す。そして自動車―小型のトラックが物を運ぶ。牛が消えて機械になった。その時、これだけ便利なものが出てくると、農家の仕事は随分楽になる。ゆとりができる。生活にゆとりができる筈だというふうに、最初は言われておりました。ところが、実はまるっきり逆でした。牛が一斉に消えたのが、昭和四十年前後でございます。ほんの数年の間に一斉(いつせい)に姿を消しました。それから経済の発展は目覚ましかったんですが、農家の人は出稼ぎに行かないととても機械代、燃料代が払えない、と。都市部もみんな機械化されてきて、なんか荒(すさ)んだ時代の幕開けが、ちょうどあの頃だと思います。それから考えてみたら、人々のしゃべり方がだんだん荒々しくなる。また怒りを含んだ言葉が日常の会話に出てくる、というふうな気がしてしょうがないんです。文明が発達する。そして都市化する。それだけ自然が少なくなり、森も林もだんだんと無くなっていくという。そのことに関わって、今一つこんな言葉が『法句経』に出てまいります。
 
人のいない林は美しい。
世人(せじん)の楽しまないところにおいて、
愛著(あいちやく)なき人々は楽しむであろう。
かれらは快楽を求めないからである。
 
それの前によく似た言葉が二つ、これで並んでいるんですが、
 
森でも、林にせよ、低地にせよ、平地にせよ、
聖者の住む土地は楽しい。
 
その聖者の住む土地というのが、林であり森である。そういうところが楽しいんだ。世人の―凡人はそうはいかんので―世人の楽しまないところにおいて、森が楽しい、林は楽しい、美しい、そういうふうな発想は、世人ではないようですね。愛著なき人々は楽しむであろう。彼らは快楽を求めないからである。快楽を求めるものは、ついつい文明の中に入り込んで、都市の中に入り込んで、人々が群れ集まるところが楽しいところ。そうじゃないんだ、ということを言っております。これは昔も今も言われていることですが、文明が発達する、そして都市がそこに造られていく。これは必ず周りの大自然、森林を食い尽くして、そして崩壊する。大自然食い潰す。周りの森林が無くなれば、新しく自然を求め、豊かな自然の土地へ移っていく。人類の歴史はそれであると。その移るたんびに、もともと静かにその土地で住んでいた人たちを追い散らす。あるいは蹴散らすと言いますか、力を用い、武力を持っておりますので、大抵は文明は、そうして栄え、そしてまた滅んでいく。ところが豊かな自然が周りに残っております時には移動で済むんですが、果たして今日どこにそういうふうな自然が残っているのか。わずかな自然まで、今次々と食い尽くしている。人の居ない林、あるいは森、そういうものが楽しいんだ。この言葉に随分深い意味を持っていると思います。先ほどの牛が消えた日本の農家―田舎ですね。それと共に考えてみると、今我々が何をするべきかということが、はっきり教えられているように思います。
 
     これは、平成二十年十二月二十八日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである