いのちに寄り添う仏教者として
 
いのち臨床仏教者の会副代表・願生寺副住職 大河内(おおこうち) 大 博(だいはく)
一九七九年、大阪市生まれ。二○○二年、法政大学 法学部 政治学科卒。二○○六年、佛教大学大学院文学研究科浄土学専攻修了。二○○九年、桃山学院大学大学院社会学研究科応用社会学専攻修了。二○○一年より病床訪問、二○○六年より死別体験者の分かち合いのサポート活動を開始。二○○三年に有志と「ビハーラ21」を設立し二○○五年にNPO法人化。ビハーラの啓発、ビハーラ僧の養成・実践活動に取り組む。同会事務局長を経て、二○一一年「いのち臨床仏教者の会」を設立し、副代表に就任する。現在、公立病院緩和ケア病棟、死別体験者の分かち合いの会「ともしび」などで活動中。二○○九年第1回浄土宗平和賞、二○一三年第37回正力松太郎賞青年奨励賞受賞。
き き て                浅 井  靖 子
 
ナレーター:  今日は、「いのちに寄り添う仏教者として」と題して、「いのち臨床仏教者の会」副代表で、大阪願生寺(がんしようじ)副住職の大河内大博さんにお話を伺います。大河内さんは、現在三十三歳。大阪のお寺に生まれ、大学を卒業後は、新潟の病院で末期癌の患者さんを支える僧侶ビハーラ僧として活動するなど、現代の仏教者としての生き方を模索してこられました。去年十二月に「いのち臨床仏教者の会」を立ち上げ、仏教チャプレンとしてスピリチュアルケア(spiritual care:「生きがいを持ちやすい人生観」への転換を推奨し、人生のあらゆる事象に価値を見出すよう導くことにより、人間のスピリチュアルな要素(心あるいは魂)の健全性を守ることである)やグリーフケア(Grief care:子どもだけでなく、配偶者、親、友人など大切な人を亡くし、大きな悲嘆(グリーフ)に襲われている人に対するサポートのこと)に関わる活動をなさっています。今、仏教者は何をなすべきなのか。若き僧侶としての模索の歩みをお話頂きます。聞き手は浅井靖子ディレクターです。
 

 
浅井:  大河内さんは、今「いのち臨床仏教者の会」の副代表でいらっしゃって、そして仏教チャプレンとして活動していらっしゃるということなんですが、この「仏教チャプレン」というのは、どんな役割をする方のことなんでしょうか?
 
大河内:  僧侶というのは、一般的にと申しましょうか、普段は法事であったり、法要であったり、あるいはお葬儀の場で檀信徒の方に関わることが多いかと思いますけども、その中で社会に出て、苦しみや悲しみの中にある人と関わっていこうとするような仏教者も見られます。例えば病院という場において、患者さまであったり、ご家族の方の心の悩みに耳を傾けるといった方であったり、あるいは路上で生活されている方の支援、そういった社会に出て仏教者として活動していく人たちを総称して「仏教チャプレン」というふうに呼びたいなというふうに、私は考えております。
 
浅井:  昨年の十二月に設立された「いのち臨床仏教者の会」ですね、その会の目的というのは?
 
大河内:  そうですね。仏教チャプレンとして、既に活動しているメンバーが中心になって、この会を立ち上げました。今の社会の中で、どういったことが仏教者に求められているのか。あるいは仏教者のあり方とはどういうものが望ましいのか、というようなことを、自分の問いとして見つめながら、いわゆる「生老病死」の苦しみや悲しみの中にある人たちに向き合うための仏教者として実践、仏教者の生き方として大切なんだろうということを、我々の共通認識としてもって、ある者は病院に行こう、ある者は路上生活者のところに行こう、ある者は自殺を考えている人の心に寄り添う、いろんな原点があって、活動の形があると思います。それぞれがほんとに苦悩しながら、自分にできるんだろうか、無力感を感じながら活動している。それは私自身もそういった経験がありましたので、そういう仲間が集まって、お互いに相互ケアをしながら現場に戻っていけるような、あるいはこういう活動が広がっていく動きができるような、働きもできるだろうなということもあって、こういう会を立ち上げました。
 
浅井:  一般的な僧侶というイメージ、そこから生み出した形で社会の中に、というような気持ちが、どういうところから始まったんでしょうか?
 
大河内:  少し私の幼い頃からのお話をさして頂くと、私はお寺に生まれ、そして育って、今僧侶になっていますので、日本の僧侶が一番多い形かと思うんですけども、姉が二人居ておりますので、お寺の跡取りとして、いわば待望の男の子として誕生して、九歳で得度さして頂きました。九歳ですからそれほど記憶が全部あるわけではないんですけども、お盆なんかに住職と一緒にお檀家さんのお参りをして、近くのお寺さんの法要なんかにお手伝いに行かして頂いて、そういった時に、僧侶のほんとに勉強さして頂いて、果たしてこのままで僧侶になっていいのかどうか。あるいは私の父である住職が、これまでお寺を守ってきたようなことでいいのかどうか。ほんとに漠然とですけれども、なんとなくそうじゃないんじゃないかな、というようなことも思って、何かできることはないか、あるいは自分がしたいことは何か、ということを考えた時に、今の活動と出会うことになりました。
 
浅井:  「九歳で得度された」ということなんですが、いまだ遊びたいさかりのお子さんですから、なかなか複雑な思いでもあったんでしょう?
 
大河内:  夏休み他の友だちは、いろんなところに出掛けて、夏休みの思い出を作って、たくさん日記に書くことがあるわけですけども、私は来る日も来る日も檀家さんのお参りのことしかありませんから、日記にも書きようがなかったので―今だから時効で言えるかも知れませんが―私の絵日記なんかは嘘を書いていると言いましょうか、行ってもいない「プールに行った」と言ったり、そんなことも書いていたような記憶を思い出しました。友だちに言われる言葉で傷ついたこともありました。「おまえは、いいな。将来が決まっていて」という友だちの言葉で、なんか面白くない人生だ、というように言われている気がして、反発したいなという思いもありましたし、「坊主丸儲け」なんというふうな言葉を、友だちから掛けられた時に、お寺というのは、そんなに世間から非難される仕事なのか、というようなことも思ったりして、自分が仕事をほんとに好きになって、僧侶になられるかどうか、というようなことも悩んだりしました。できれば避けないな、ということは、何度も何度も考えましたし、違う選択も考えたりもしましたけれども、やはり根本的なところでお檀家さんの期待は、最後の最後は裏切れない自分というものがどっかで気付いていたように思います。
 
浅井:  檀家さんの期待というのは、それはどういうことですか?
 
大河内:  そうですね。小さい時から、私がお盆にお参りなんかをした時に、ほんとに喜んでくださり、「ちゃんと私が死んだ時にはお葬式で送ってくれや」というふうに言われるということ、これはほんとに大きなことと言いましょうか、大変な関係性でして、生きている間だけではなくて、その後も頼まれているということは、そのお方を弔い続ける、それが未来永劫続いていくという感覚になった時に、その中でお寺を継がないという選択はありませんでした。単純な話、生きていれば直接「嫌だ」と言いますけれども、亡くなった方に、「実は嫌なんだ」ということは、卑怯な感じもしましたし、失礼なことなんだと、小さい時から感じていたことだと思います。高校生になった時に、僧侶というのは、あるいはお寺というのは、いわば特殊な世界だなということを、そこで生まれ育ちながら感じていました。お檀家さんは、一般社会の人たちです。そうすると、僧侶にストレートになることが、サラリーマンをしたり、自営業をしたり、あるいは子育てをしたりという人たちの、ほんとに苦しみや悲しみや悩みといったものがわかるかどうかを考えた時に、やはり一度お寺を出て社会の荒波と言ったら格好良すぎるかも知れませんが、社会の苦しみや悲しみを経験して、お寺をもっていった時に、ほんとの意味でお檀家さんの目線でいろんな物事を考えることもできる僧侶になるんではないのか。先ずは就職しなければならないので、普通の大学に行こうということを決めて、法学部で政治学を専攻しました。
 
浅井:  その大学を出られてからは、一般企業に就職するという、当初の目的を果たされたんですか?
 
大河内:  いや、そうはならなかったんですね、実は。大学に入って、政治学を勉強していましたけども、僧侶になることを決して避けたわけではありませんので、夏休みに養成講座というものがありまして、
 
浅井:  それは僧侶の資格を取るための講座ということですか?
 
大河内:  そうです。一般大学に行ったりとか、普通の在家に生まれながら、僧侶を目指される方なんかが受けられる養成講座で、初めて私にとっては仏教の奥深さを知ることになりました。住職はよく私に、「先ずは身体で覚えろ」その一点で私は住職に育てて頂きましたので、お寺で過ごした仏教の教えというのは、まさに身体でお念仏を称える、お経を称える法要のあり方、そういったことでした。ですので、いわゆる学問的なものであったり、経典の中の意味というものは、後から付いてくるということだったので、それを深く知ることは、今までなくて、養成講座が、私にとってはその最初の機会だった。そこで自分がこれまで身体で覚えてきたものを、どういう意味があるのかということを見つめていく機会になった時に、これはとんでもない作業だ、というふうに感じました。とにもかくにも、仏教というのは、経典を読んで漢文さえ読めれば、あるいは現代語訳されたらば、すんなりと入ってくるものなんだろうと思っていたら、決してそうではない。これが答えなんだ、と頂けるものではなくて、それはいつまでも自分に対する問いとして投げ掛けてくる、いわば哲学的な営みなのかも知れません。なんかそういうものが仏教なんだ、と考えた時に、「はい。じゃこのテキストを読んで読み終わりました。現代語訳できました。はい、次」ではなくて、そこに書かれているものを、自分で問うて問うて問い続けて、自分で答えを見出していく作業が、仏教の経典の中にあるんだということを知った時に、就職なんてしていられないという思いが強くなったんだろうと思います。大学編入して仏教系の大学へ行って、仏教を学び直すことが必要なんではないのか。そういったことを悩んでいたのが、大学一年生から二年生にかけてでした。その大学二年生に一先ずは政治学科のままで進級して、そこで生命倫理学という分野に初めて出会いました。いのちのあり方であったり、死生観が問われている非常に難しい問題があって、もしかしたら自分が政治学科にきた中で生命倫理学を学んで、そして仏教者としてそれに応答していくということが、自分にとってのご縁なのかなというふうに感じました。その生命倫理の中で、特に私が関心を持ったのが、ターミナル・ケア、癌の末期の人が亡くなっていくその医療のあり方であったり、ケアのあり方、そしてその中で実はちゃんと仏教も応答していて、「ビハーラ」というものが実践されているということに出会った時に、私はほんとに大きな衝撃を受けて、〈あ、これだ〉という思いで飛びついた次第です。
 
浅井:  「ビハーラ」というのは、仏教の教えを基礎としながら、病の苦しみにある人たちに寄り添うという、そういうケアをしている病棟ですね。
 
大河内:  はい。「ホスピス」というのは、キリスト教系の流れを汲むと言われていますので、それと対になるものとして、仏教が独自性を持って癌の患者の方に関わっていくものとして、今日まで広がりを見せているものです。大学時代に友人から「キリスト教は愛で、仏教は死だよね」という何気なく言われた言葉がありまして、それが私にとって、とても大きな一言になりました。そして仏教と言われているように、お坊さんに対しては、死がすぐに連想される。でも一方、キリスト教の愛というのは温かいもので、いのちそのものに寄り添っているもの、そういったイメージがある。で、死んでから呼ばれる僧侶というものが本来の僧侶のあり方がどうか。生きているからこそ関わる仏教というものが必要なんじゃないのか。そこでターミナル・ケアという現場は、少し死から生の方にいった中で、でもそこはほんとに大変な時期で、ここに関わることが仏教者の使命の一つではないのか、ということを強く感じたので、〈これだ〉というふうに感じたんだと思います。当初は研究として、ビハーラも勉強していたんですけども、〈これだ〉というふうに思った気持ちというものが沸々と現実になってきて、ビハーラ僧になりたい。ビハーラで実際に活動したい、という思いになりまして、大学四年生の時に、当時日本で唯一のビハーラの病院を持っていた新潟県長岡市の長岡西病院ビハーラ病棟にお邪魔さして頂いて、実際にビハーラ僧としてボランティア経験をさして頂く機会を頂きました。
 
浅井:  「ビハーラ僧」というものの役割が凄く重要であり重い。それを実際になされるとなると、そんなに生やさしいものではなかったんじゃないかという気持ちがするんですが?
 
大河内:  そうですね。今自分で振り返ってみて、今の私もそうですけども、特に大学在学中、あるいは大学を出てすぐの若造が、よくもまあ癌の患者の方々がお過ごしになられるところに出向いたな、というふうに思いますけども、とにかくたくさん失敗を重ねる中で自分が今何をしなければならないのか。これから何を先ず大切にしなければならないのか。そういったことを、ほんとにいのちをもって、患者さんが教えてくださった。それを私は頂きに行ったんだろうなというふうに、今になっては振り返っています。
 
浅井:  その中でも、ご自身にとって凄く大事な出会いだったという患者さんとのエピソードは?
 
大河内:  ある八十代の女性の方で、とても仏教に熱心な患者さんでした。私が病室をお訪ねすると、いつも快く迎えてくださって、たくさんのお話をしてくださる方でした。また不安がとても強くて、あまり病室から出たがらない方でして、ビハーラ病棟には、仏像があるんですけども、そこにお詣りすることも避けられるという方でした。その方がある日夕方に、一人お部屋から出て、談話室で座っていらっしゃったんですね。私がいつもお誘いしても、出られなかったその患者さんが一人で座っていらっしゃったので、私はほんとにそれが嬉しくて、てっきり気分が良いものだと思って、「いやぁ、珍しいですね。こんなところでお一人で」ということで、世間話がそこで始まりました。私はちょうどその日の活動を終えて帰る途中だったので、もう足を自分の家に半分傾けながら、「じゃ、明日またお会いしましょう」というふうに言ってお別れしようとしたら、その方がこそっと「明日まで生きていられるかな?」とおっしゃったんですね。一瞬ドキッとしたんですけども、私はすぐさまその方に、「明日まで生きていられるかは誰もわからないんですよ。私だってね」ということをお話しました。それはその時に咄嗟に出てきた言葉ではなくて、予め用意していた言葉でした。ターミナルの患者さんと関わる中で、きっとこういうことを言われることはあるだろう。そう言われた時に、自分はなんて答えようということをシュミレーション(simulation)して、マニュアル(手引書、取扱説明書:manual)化して、その言葉をその時にその方に伝えました。「明日まで生きていられるかはわからないんですよ。私だってね」まさにその言葉を言った時に、その方は「そういうことを言っているのではないんだよ!」と一喝されました。私はもう返す言葉はありませんでしたので、しばらく沈黙をして、その場から逃げるように帰りました。この方の一喝というものは、私にとって今の原点になっていまして、やはりしっかりと腹から出る言葉で対話をしなければ、ご自身のいのちと向き合っていらっしゃる患者さんとの対話やお心のケアなんていうものはできないんだ、ということを痛感させられる、そんな有り難い失敗経験でした。
 
浅井:  「そういうことを言っているんじゃないんだ」というのは、どういう意味だったと思われますか?
 
大河内:  今になって思いますのは、決してその方は、調子が良かったから部屋から出たんではなくて、部屋にいることさえもできなかったから、お部屋から出ていらっしゃった。そのことに私は先ず気付かなかったことが、何を言ったって私はその方に許されなかったことだと思います。そのことに気付いていたならば、きっと私は言葉を掛けるわけではなくて、存在でその方に関わる以外なかったんではなかったんではないだろうか。つまり部屋にいることさえもできなかったその方の不安や居所のなさがあった。その方の横に、私は帰ろうとしていた足を止めて、腰を下ろすことだけで良かったんではないのか。決して答えを私に求めたわけではなくて、誰か横に座ってほしい、そこにいてほしい。そのことを、ただただ求めていらっしゃったんではなかったのかな、と、今になっては反省しているところです。
 
浅井:  みなさまの苦しみに寄り添う僧侶でありたいということは、ほんとに簡単なことではないんだ、というふうになった時に、大河内さんはその後の生き方をどういうふうに転じていかれるんですか?
 
大河内:  そもそも私が、「ビハーラ僧になりたい」と言って、長岡西病院にお邪魔さして頂いた時に、ビハーラ運動の提唱者の田宮仁(たみやまさし)(淑徳大学総合福祉学部教授)先生が、「大河内さんは、大学でちゃんと学んでないから、大学院へ行ってしっかり仏教を修めてから、それからうちに来ればいい」と言われたんですけども、その頃私は鼻息が荒かったもんですから、先ず実践だろうということがあったので、「いや、ボランティアさしてください」と言って、半ば強引に入れて頂きました。ただそれが先ほどの女性の経験からも感じたことですけども、やはり自分自身が依って立つところが、仏教であったり、死生観であったり、生き様であったり、そういったものをしっかりと見つめた上で、初めていのちの限りにある方々とのお声を、自分の胸に入れることができるんだ、ということを気付かせて頂きましたので、やはり自分に足りないものは、しっかりと自分の信仰を見つめること、自分の仏教者としての原点を見つめることだ、というふうに思いましたので、大阪に戻って仏教大学の大学院に進学しました。
 
浅井:  そこで、じゃ、仏教をもう一回、ほんとに本格的に学ぶことになられた?
 
大河内:  そしてまた病院での活動も実践さして頂きながらの勉強でした。
 
浅井:  その患者さんに近づいていく手立てというのは、見出していかれたんですか?
 
大河内:  僧侶としての原点で、医療の現場に飛び込みましたが、アメリカではチャプレンとう方が、患者さまのケアをしている。そのチャプレンとは、スピリチュアルケア((spiritual care)というケアの専門家であるということを知りました。例えばアメリカなどですと、そもそもキリスト教の牧師になるためには、病院でのプログラムを最低三ヶ月大学院の時に受けなければならない。そのようになっているようでして、さらにそこから病院で専門的にチャプレンとして働く者は、一年そのプログラムをする。それがスピリチュアルケアの専門職なんだ、ということが、国際基準になっている。それでスピリチュアルケアというのは、どういうものだろうか。あるいはスピリチュアルケアのトレーニングを受けるとは、どういうものなのか、ということを、大阪で「臨床スピリチュアルケア教会」というところと出会いまして、教会が提供する病院での実習プログラムを受けさして頂きました。
 
浅井:  そこでは、どういうふうに患者さんに接するかとか、そういうものを学ぶということなんですか?
 
大河内:  実はあまりそういう方法論であったり、スキルというものを学ぶ場というわけではなくて、むしろ患者さんとの時間を通して、あるいはグループの中での時間を通して、自分の奥底にあるものを見つめる。もしかしたら自分が持っている差別意識であったり、自分の人生の中で傷ついた経験、あるいは課題にしていたこと、今まで見ないでいたもの、そういったことを吐露(とろ)しながら、しっかりとそれをグループにケアして貰う経験をしました。
 
浅井:  それも一緒に学んでいるグループの他の方々にですか?
 
大河内:  そうです。というのは、患者さまをまさに自分自身の傷や苦しみを吐露される中で私たちと関わってくださる。同じことが自分にでないのに、人にしろ、というのは、おこがましいことでして、ましてやケアの専門家であるならば、自分自身がどういった価値観や信念をもっていて、それがもしかしたら患者さんには、マイナスの影響があるかも知れない。あるいは自分には言えない話があるかも知れない。そういった自分の限界も含めて、しっかりと見つめて、自分もちゃんとケアされる経験を通して、ケアをしていく人間になっていく、専門家になっていく、ということが、第一の主眼に置かれているプログラムであるというふうに、私は理解しています。
 
浅井:  それと「私は僧侶ですから」ということだけではとても足りない?
 
大河内:  そうですね。丸裸な人間と人間のお付き合いができるかどうか。語り合いができるかどうかが問われてくるんだろうな、というふうに思っています。
 
浅井:  ご自身の信心であるとか、仏教理解は、病院などでもボランティアされつつ深まってきたこともあったんでしょうか?
 
大河内:  おそらく私が、臨床現場でのご縁がなかったら、今私にとってお念仏が必要だというふうな思いには、まだ思えてなかったんではないのかなと思うところがあります。要は癌の患者さんの方や、癌と闘っていらっしゃる方のお話を聞かして頂く中で、私にとって仏教が必要なんだ。私にとってお念仏が必要なんだ、ということは、ほんとに感じることの連続でした。むしろ私に宗教がなかったら、もっと早くに押しつぶされていたかも知れない。例えば医学的にもう治らないことがわかっていらっしゃる。でも本人もご家族も奇蹟が起こらないか。何かの間違いじゃなかったのか、ということを願われます。私自身も、関係を深めていく中で、間違いであってほしい。この方に奇蹟が起こってほしい。そうやって実は阿弥陀さんにお願いしたこともありました。で、言うまでもなく、それで病気が治るわけではなくて、やはり医学が示したように、いのちの限りがあってお別れをしてきました。そういった時に、無力感であったり、挫折感であったり、いろんな私自身の悲嘆がある中で、私は自然と阿弥陀様にお念仏をお唱えして、その方を思いながら、またお浄土で―私の信仰ですけども―またお会いできるその日まで、あなたのことを忘れないで、この活動を頑張っていきます、と言える。そのたくさん苦しみから悲しみの中で亡くなって逝かれる、どうして私たちの世界はこれほどの苦しみの中で死んでいかなければならないのか、と思うわけですけども、最期の最期には、私の信仰の阿弥陀様は、そのままで救ってくださる。その最期の最期には、阿弥陀さんが、その方も救ってくださることを、私は気付かして頂いた。だからこの世では、一緒に悩みながら、一緒に希望を持ちながら、でも適わなかったとしても、ありのままでいいんだ、と。ちゃんと丸印を付けてくださる方がいらっしゃる、ということが、私がこの活動を続けていける源なんだろうなと思っています。
 
浅井:  最初は、「このままではダメなんじゃないか」というところから始まった模索の旅は、途中経過かも知れませんけども、どういうところに来ていると感じていらっしゃいますか?
 
大河内:  これまでで、仏教者だけでなくて、キリスト教の牧師さんやシスターやいろんな方がお出会いさして頂いて、いろんな言葉を頂く中で、当初の私の思いから変わってきたりするところがあります。一つは、お寺を出てする活動こそが、これからの仏教者に求められるんだ、という思いでビハーラに飛びつき、臨床現場として、私は病院でのご縁を頂いてきましたけども、例えばお檀家さんが百軒あれば、百の家族があって、その中にたくさんの苦しみや悲しみがある。それを蔑(ないがし)ろにして病院で患者の人、癌の患者さんの人のケアをしていて、「それこそが仏教者なんだ、僧侶なんだ」と言っていたら、それはまた本末転倒のことなんだ、ということに気付かせて頂くことになりました。ある牧師が、「病院で患者をケアできないものが、教会の信者を癒やすことなんかできない」というふうに、逆説的にお話をくださったことがありました。医療現場に出ることの方が何か大切なことであったり、専門性があって、一部の人しかできないんだ、という見方がありますけども、だからと言ってお寺での活動が、その下にあるというような構図ではないんだろうと思います。よくよく考えていくと、お檀家さんというのは大切な人を亡くしたからこそ、お寺と繋がりがあって、ご先祖さまや大切な人の供養をなさっている。そういう意味で、自分もお檀家さんの苦しみや悲しみと向き合えるかどうか。一周廻って、それこそがやはり厳しい修行が待っているだろう、というふうに思っています。それぞれの経験が、両方に橋渡しされていくような、そういうダイナミックス(dynamics:力学)が、きっとこれからお寺に求められていること、あるいは僧侶が社会の中で役割を頂くことになっていくんだろうということを期待しながら活動をしているところです。
 
浅井:  今日はどうもありがとうございました。
 
     これは、平成二十六年十一月二十三日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである