童話で伝えたいブッダの物語
 
                 京都光華女子大学非常勤講師 渡 邊(わたなべ)  愛 子(あいこ)
一九四六(昭和二一)年、神奈川県生まれ。大谷大学および同大学院で原始仏教を学び、京都光華女子大学非常勤講師。著書に「ジャータカ物語」「仏典童話」ほか
                 き き て         大 福  由 喜
 
ナレーター: 宗教の時間です。今回は「童話で伝えたいブッダの物語」と題して、京都光華女子大学非常勤講師で仏典童話作家の渡邊愛子さんにお話を伺います。渡邊さんは、一九四六年香川県のお生まれ。ブッダの前世にまつわる物語を集めた経典を、童話として執筆してみないかという誘いを受け、『ジャータカ物語』として纏めました。以来、渡邊さんは、他の経典を含めて仏典童話を書き続けていらっしゃいます。またその作品は、英語やエスペラント語にも翻訳されて、国内外に広くブッダの心を伝える物語として読まれています。聞き手は大福由喜ディレクターです。
 

 
大福:  それでは今日はよろしくお願い致します。
 
渡邊:  こちらこそ。
 
大福:  先ず初めに渡邊さんがこれまで取り組んでこられた『ジャータカ物語』についてご説明頂けますか。
 
渡邊:  はい。『ジャータカ物語』というのは、お釈迦様の過去世の物語集なんです。「ジャータカ」という言葉は、直訳しますと、「生まれてあった時のこと」というような意味で、つまり過去世の物語、そういうことでございます。古代のインドでは、輪廻転生(りんねてんしよう)ということが信じられていました。お釈迦様は、初めからお釈迦様だったのではなくて、過去世には、ウサギとか小鳥とか、そういう動物の姿であったこともありました。そういう物語を集めたのが、「ジャータカ」として伝えられているのです。日本では特に早くから翻訳されて伝えられておりまして、『今昔物語(こんじやくものがたり)』とか、『宇治拾遺物語(うじしゆういものがたり)』とか、そういうものの中に『ジャータカ物語』が入っております。「月のウサギ」というのがありまして、日本人はかなり早くから、お月様にはウサギさんがいるとズーッと思ってきました。そのルーツには、実は「ジャータカ」の中に書かれているということなんです。
 
大福:  この話と渡邊さんとの出会いというのは、どういった出会いだったんでしょうか?
 
渡邊:  それが不思議なことで、横浜の小学校一年生に入学して、秋の学芸会の時に、六年生の人がこれを劇で上演してくれたんです。それが私にとって生まれて初めて生で見る劇でした。大変感動致しました。私、戦後の辛い時期におりましたから、何か真っ直ぐに生きる元気・勇気みたいなものを、子どもながらに感じたのではないかと思います。それから間もなく父親が病気で寝た状態が長いし、兄弟が多いし、母は大変生活の苦労しておりました。ご縁があって、近くにも仏教のお話を聞きに行くことが始まりまして、私もそれに妹や弟の子守の係で毎週毎週付いてまいりました。スピーカーが庭にも通じておりまして、ある時、「お釈迦様は」というお話が、何故か不思議に沁みていったんですね。それが高校ぐらいまで仏教の考え方を自然に養ってくれたと思っております。それから何も批判する気持ちを持たずに、素直に素直にお話を聞けていたよい時代も長くあったのですけれども、高校三年生ぐらいの頃から遅い自我の目覚めと申しますか、教えて頂いてきたことに対して、自分の中に疑問が頭を擡(もた)げ始めて、それに対する解決を求めて、お釈迦様は一体一番最初何を説いているんだろう、ということが非常に強い、知りたいことになりまして、大変な無理をして、それもご縁に恵まれて京都の大谷大学で原始仏教を学ばせて頂くということになっていったのです。そこで「ジャータカ≠一年間連載しなさい」という話を頂きまして、びっくりしました。でも「ジャータカ」は何だかその時知らなかったんですね。
 
大福:  おいくつぐらいの?
 
渡邊:  高校でしたから、十九だったと思います。でも躊躇していたのですが、『南伝大蔵経(なんでんだいぞうきよう)』二十八巻から三十五巻まででしたかね、ドンと本を置かれまして、恐る恐る読んでみました。五四七話のうちの三一六巻目だったと思うんですが、それを読んだら、あの一年生の時に見た「月のウサギ」の話だったので、大変驚きました。「えっ!あの時見たあれはお経の話だったのか」という、大変な感動がありまして、もう読むのを止めまして、第一作が「月のウサギ」ということになったんです。「ジャータカ」との出会いなんです。
 
大福:  では朗読をお願い致します。
 
渡邊:  はい。
「月のウサギ」
お釈迦さまがこの世にウサギとして生まれた時のことです。
とある森の中に、ウサギがサルとヤマイヌとカワウソの三びきを友として、仲良くくらしておりました。ウサギは努めて正しい生活をしていましたが、それでもわたしの行いはこれで十分だ≠ニかわたしの生活はだれよりもすぐれている≠ネどと考えて自慢したり、気をゆるめたりしたことは一度もありませんでした。それどころか、かえってもっと良い生き方があるにちがいない。だれかそれを教えてくれる人はいないものか。なんとかして最高の道を歩みたい≠ニいう願いに燃えていました。ウサギはこのような強い願いを持ちながら、同時に森の仲間たちに対しては、自分と共に正しい生活をするようにすすめていました。最高の道を求めて努め、はげみながら、苦しみなやんでいる人々を救う、そのような人を菩薩と呼びますが、このウサギも菩薩でした。
ところで、この三びきの仲間たちは、毎日夕ぐれになると、自分たちが心から敬っているウサギのところに集まって、その話を聞くことを楽しみにしていました。
「道を求めて修行している人があったら、その人のためにほどこしをしようどんなに小さなことでも、良いことなら実行しよう。悪いことだったらたとえ針の先ほどのことでも、絶対にやめよう。今日一日をふり返って、足りなかったことを反省しよう。」
ウサギからいつも語り聞かされていたこの言葉は、生きた力となって三びきの心をしっかりと支えていました。
さてある満月の前夜のことです。ウサギは空をあおいで、明日がウポーサタの日であることを知りました。ウポーサタというのは正しい生活をするために、良いこと悪いことをまちがいなく区別できるように、人々が集まって確かめ合い、反省し合う会のことで、満月の夜ごとに行われていました。そこでウサギは三びきの仲間たちに話しかけました。
「明日はウポーサタの日だ。良いことをすればそれだけ良い報いがある。托鉢にこられたら、ぼくたちの食べものを分けてあげよう。」
三びきは良いことをする喜びを知っていましたから、そろって快い返事をしました。
一夜明けてウポーサタの日をむかえました。三びきはそれぞれにえさをさがしに出かけました。ウサギは自分の食べ物であるダッパ草をじっと見つめて考えこんでいました。
「ぼくにはこのダッパ草のほかに何も差しあげる物がない。さてどうしたものだろう・・・・。そうだ! こうしよう。」
ウサギは心の中で一つの決心をしました。その時、天上の神々の世界には不思議な変化、つまり、赤黄色のもうせんでおおわれた帝釈天の石のいすが、とつぜん暖か味をおびたのです。それは地上に何か特別なことが起きた印でしたから、帝釈天はさっそくそのわけを調べ、ウサギの決心を知りました。
そこで帝釈天はそれを確かめてみたいと思い立ち、みすぼらしいバラモンの姿をしてその森へ出かけて行きました。
バラモンはウサギと三びきの仲間が住んでいるすぐ近くの木の下に行き、暑い上にお腹がすいて弱りきった体を休めようとこしをおろしました。ちょうどそれを見つけた四ひきは大喜びでバラモンをむかえ、用意しておいた品物を持ってきました。
カワウソは七ひきの赤魚を差し出して言いました。
「川岸でこの魚を見つけました。漁師(りようし)が置き忘れたのかもしれないと思って、三度大声で呼んでみたのですが返事がなかったのです。泳いでいるのを殺したのではなりませんからどうぞ安心して召しあがってください。」
続いてヤマイヌが肉一切れと牛乳とを持ってきてバラモンにささげました。
「これは道ばたで見つけました。きっと旅人の残り物だと思ったのですが、念のため三度持ち主をたずねましたが、だれも答えませんでした。ぬすんだ物ではありませんから、どうか快くお受けください。」
今度はサルがよくうれたマンゴーの実と冷たい水をくんできて言いました。
「ぼくは、もっと涼しい木かげにご案内したいと思います。どうぞそこで十分にお食事をなさって、体を休めて下さい。」
こうして三びきからほどこしを受けたバラモンは、やがてそれを料理しようとたき火をはじめました。するとウサギはうれしそうに、たき火のそばに寄り、うやうやしく頭をさげて言いました。
「バラモンのお坊さま、ぼくには何も差し上げる物がございませんが、あなたのような尊いお方にぼくの持っているただ一つの物をお供養できますことはこの上もなくうれしいことです。どうかぼくの心からのほどこしをお受けください。」
言い終わるがはやいか、ウサギは赤々と燃えさかるたき火の中におどりこんだのです。すると不思議なことに、その炎はウサギの毛一すじをも焼かず、ちょうど金の雲のようになってウサギの体を包みました。
うさぎの真心に打たれたバラモンは、たちまち輝かしい帝釈天(たいしやくてん)の姿を現して、まばゆいばかりの両の手にウサギを抱きあげました。
「このウサギは私をもてなす物が何もないからと自分の体をぎせいにした。このような行いは世界中に知らせなくてはならに。」
それで今でも満月のたびに、帝釈天がえがいたウサギの姿が月の面に現れて、私たちに慈悲の徳を説いてくれるようになったのです。
〈316 兎本生物語(うさぎほんじようものがたり)
 
大福:  ウサギが自分の命を捧げるという心の尊さを説いたお話ということなんですね。
 
渡邊:  そうです。「ジャータカ」の五四七話は、全部こういうお話というのではなくって、とても疑問に思ったりするものも中にはありました。もうそれは私の若い学生時代の感想だったかも知れませんけれども、例えば物語の中に善い人と悪い人が出てきますと、悪い人の物語は大抵提婆達多(ダイバダツタ)の過去世ということになっているのが多いのです。提婆達多というのは、お釈迦様の従兄弟(いとこ)なんですけども、お弟子さんでもあります。大変優秀な方だったので、お釈迦さんの代わりに自分が教団を率いようとなさって、ついにはお釈迦さんを殺そうとまでなさった、そういう方なんです。ですから「ジャータカ」の中で、悪い人が出てくると、「これは提婆達多の過去世であった」というのがたくさんありまして、私としては、自分は勿論お釈迦様より提婆達多の方がズーッと近い存在ですから、そういう人が救われない話、過去世にいっぱい悪いことをした話が続くとしんどくなりまして悩んだ時期もございました。書き始めた時は、大学の一回生、二回生の頃ですから、原始仏教というものが何なのかも何にもわからない、五里霧中の中で、専門的に習うのが専攻三年生になってからですんで、それまでにサンスクリットやパリー語や、そういう語学の習得ということがありましたし、漢文のお経を読むクラスもありましたし、多分もう無我夢中で授業にしがみついていたというような時期でした。だから有り難い、嬉しい仕事ではありましたが、大変軽くない作業でした。
 
大福:  「月のウサギ」との出会いをきっかけに、作品を創られるわけですけれども、五四七あるお話の中から、渡辺さんが選ばれたものを、最終的には三冊の本に纏められた、ということだったんですね。
 
渡邊:  はい。そうです。
 
大福:  その後にまた大きな先生との出会いというのがあったそうですね。
 
渡邊:  はい。もう結婚致しましてから、自分はどの道に進むべきか、悩んでいた時に、仏典童話の泰斗でいらっしゃった花岡大学(はなおかだいがく)(童話作家・小説家・児童文学作家、仏教の僧侶である。本名は、花岡大岳。浄迎寺の住職を務めた。京都女子大学名誉教授:1909-1988)先生のところにご紹介を頂きまして、花岡先生は、「仏典童話というのは経典の筋書きを伝えるものではなくて、読んだ感動を人々に伝えることが大切なんだ」という立場でいらっしゃいました。そのことをはっきりさせるために、「仏教童話」と言わないで、あえて「仏典童話」というお名前を付けておられまして、「仏教」の「教」という「教える」という、上から下に教えるというような位置ではなくて、同じ地平に立って、「私はこのお経に感動した、この感動を人に伝えたい」というようなことであったように記憶しております。私、そのことに感動したのです。
 
大福:  その花岡先生に出会ってからの感動をもとに選ぶというのは、どういう思いで?
 
渡邊:  仏典童話を四年間連載させて頂いたのが四十代ですね。今までの育児時期を過ぎて、親の介護とか、いろいろな問題も抱えながらの時期でした。子どもも誕生についても、それも帝王切開ということがありましたし、生まれるということは、決して簡単なことではないということを、自分の出産の時に思いましたし、それ割合に初期の癌を三回経験することになりましたけれども、心配しながらも何かどこか底の方ではしっかり支えられているような、どういう結果になろうともいいようになる筈だというような、まあ楽天的と言えばそうですけれど、でもそれには周囲の方々のもの凄い協力と言いますか、手助けがありましてね、そういうものによって、癌になってからさあ大変だというようなこともあんまりなくって、わぁあんまり無茶をして自分の身体を壊してはいけないなというような、ちょっと熱いお灸を据えられたというような程度で、お陰様で今元気に過ごさせて頂いております。それから非常に活動的だった母が寝たっきりになった六年間という、母は大変に信仰の篤い人でしたから、私が何か悩み込んで、話を母は嫌な顔しないで聞いてくれましたね。「それ全部阿弥陀様、神でしろしめしますよ。もう仏様はズッと前からその言葉ご存知だから心配することありませんよ」って、母はそういうふうに言ってくれました。
 
大福:  ここで仏典童話の中から、一つご紹介頂けたらと思います。
 
渡邊:  はい。「白い小鳥」という作品を読ませて頂きたいと思います。これは実は、五十代で癌で亡くなってしまった大学時代の同級生なんですけれど、これの原点になるコピーを送ってきてくれまして、「これ一回作品にしてくれない」と言って送ってきてくれたんです。それで、こういう話があるんだと思ってビックリして、作品化したものがこの「白い小鳥」なんです。
 
「白い小鳥」
美しい森がありました。無憂(アソカ)の木はオレンジ色の花をいっせいに開き、閻浮(ジヤンブ)の木のまだ固いつぼみが細長い葉かげにみえかくれしていました。どちらも高い木でしたが、ひときわ高くそびえ、広い木かげを作っていたのは菩提樹(ぼだいじゆ)でした。
木々の下で子どもたちが遊んでいました。手の届くあたりに、ジャスミンの白い花が良い香りを放っていました。少女たちはジャスミンをつんで髪にさしたり、一つ一つ香りを楽しんでは花輪作りに熱中していました。
木々の枝をとびまわっていたシマリスやサルも降りてきて、少年たちと遊びました。おだやかなひとときがゆったりと流れていました。
そのとき、どこからか美しい鳥の声がしました。子どもたちはだれも、手を休め、足を止めてその声に耳をすましました。澄んでよくとおる珍しいさえずりでした。ひとりの少年が声の方へかけていきました。少年は菩提樹が続くあたりをふりあおいでいました。
「何の鳥かしら」と、だれもがおぼろに思いながら、美しいさえずりに耳をそばだてていました。
その声がピタリと止みました。
少女たちがいっせいにふり向くと、少年たちが、木の下のしげみをかきわけていました。
「どうしたのかしら」
不審(ふしん)におもった少女たいが花輪をおいて立ちあがったときでした。
「見つけたよ」
少年が真っ白いものを、両手でそっと持ってこちらへかけてきます。その後から、大声でどなりながら追ってくる少年がいます。
「待て―、泥棒。それはぼくのだぞ―」
少年が持っていたのは白い小鳥でした。
翼を傷つけられて、そこに赤い血がにじんでいました。
追いついた少年が、肩で息をしながらいいました。
「それ、ぼくのだよ。返してよ」
いわれた少年は、体を固くして背を向けました。
「返せよ、返せったら」
力づくで取り戻そうとする少年に、年かさの少女がいいました。
「待って、わけを話してちょうだい」
少年は口をとがらせて、後から来た仲間の少年たちにいいました。
「なあ、みんな、この鳥はぼくのだよな。ぼくが石を投げて落としたんだから」
「そうだ、そうだ」とざわめく声の中に、「ちがうよ」というはっきりした声がありました。
「見つけたほうのものだよ。だってあんなにわかりにくい所にいたんだからね。そうだろう」
「そうだな、ぼくたちみんな、ずいぶん探したもんな」
白い小鳥は打ち落とした方か、見つけた方か、どちらのものなのか、少年たちは声をはりあげていい争いました。
「早くしないと、この鳥、死んでしまうよ」
今までじっとだまって小鳥をだいていた少年が必死で叫びました。
一瞬、静まった子どもたちでしたが、また激しくいいつのりました。
「あのね、ちょっと待ってて」
ジャスミンを髪にさした少女が、森の中へ走ってゆきました。
やがて少女は老人の手を引いて戻ってきました。
老人の瞳(ひとみ)は、小さな窓のようにそこだけあいて、あとは白い長い髪と、髭(ひげ)とにおおわれていました。
「話は聞いたよ、おじいさんの話を聞いてくれるかね」
子どもたちは老人の優しい瞳とおごそかな声の調子に、黙ってうなずきました。
「生きものの命はだれのものか。それは命を傷つけようとする人のものではない。命を育(はぐく)もう、いたわろうとする人のものなのだよ」
子どもたちの瞳はいつの間にか、老人のそれと同じになっていました。
(本生経(ジヤータカ)
 
大福:  「いのちは誰のものか」という物語なんですね。
 
渡邊:  「いのちは誰のものか」ということですね。そんなこと普段考えないで暮らしていましたから、どうも私たちは、「何でも自分のもの」と言って、我執に駆られそうなんですけれども、この物語はいのちを尊ぶ・育むそういう思いが一番大切なんだ、ということですね。それは多分いのちの大切さとか、意味とか、長いいのちの歴史とか、それをそのおぎゃっと生まれて死ぬまでなんていう、そんな短いスパンではなくって、まあ極端に言えば、宇宙開闢(かいびやく)以来のというか、滔々たるいのちの流れの中の一セクションではありませんが、大河一滴として存在している私たち。そういう私たちも、いのちをどう見るべきなのか、ということを、この物語は教えてくれていて、いわゆる仏教の言葉で言えば、慈悲の精神の向けられるべきものこそがいのちであって、「慈悲」というと少し固い言葉ですが、お釈迦様の慈悲というのは、相手の痛みをそのまま自分自身の痛みという。相手のいのちを自分のいのちと同等に感じられて、相手の苦しみを何としても救わずには、お釈迦様ご自身が辛くて仕方がないんだから、考えられる限りのことをする。最終的には、自分のいのちでも捧げて、その人を助ける。いのちをあげることであっても、それで嬉しいという、そういうところが「ジャータカ」の大事なところかと思います。いろんな悩みのたびに他を傷つけたり、自殺に至ったりという、このいのちを育めなくなっているというこの時代にとって、この物語はとても大きなメッセージを送ってくれているという気が致します。
 
大福:  しかも友達の思いというのは?
 
渡邊:  そうなんです。彼女はこんなことを言っていたことを今思い出しました。「愛子さん、毎月の新聞を読んでいるわよ。うちの寺の日曜学校で、子どもたちとみんなで何回も何回も読むの。物語の筋がわかったら子どもさんたちにその登場人物の役を振り当てて、台本なしで自由に再演しているの」そういうふうに言われたんですね。私、ビックリしまして、まあ親友というものは有り難いものだと思いました。彼女は早く逝きました。でも彼女はいいものに触れてから逝かれましたからよかったと思います。人生は長さだけではありませんからね。
 
大福:  渡辺さんが広く執筆をなさった後、ご講演なさったりという中で、新潟県にある長岡西病院のビハーラ病棟へ―仏教ホスピスというような言い方もされていますけれども、そちらでターミナルケアを受けている方々へのお話という機会もあるということなんですが。
 
渡邊:  仏教ホスピス、つまりビハーラというものの存在を知った時から、とてもこれは素晴らしいと思っておりましたが、なかなか自分から進んで行く勇気はなかったのですが、年に一度来させて頂いているんですけれども、私は最初それを始めなさった先生に、「どういうことに気を付けて物語を選んだらいいですか?」と質問致しましたらば、「何にも考えないで、この人たちを特別な人と思わないで、自由に選んでください」と言って頂いて、〈あ、そうなんだ〉と思いました。つまり私の質問が愚問で、死というものは、いつ誰に来るかわからないんで、末期癌の方だけの問題でないんですね。そのことに気付かされて、私はそういう思いを外して、あ、これは聞いて欲しいと思えば、どれでも読ませて頂いています。聞いてくださる方は、はっきりと声に出して感想を述べられるということ、非常に少ないんです。むしろ読ませて頂く私の方が、ほんとに一瞬一瞬貴重なこの生きている時間を同じ場に居て、仏典童話を読ませて頂く、共にさせて頂くという、そういう時間なんですね。相手の方に対してよりも、私自身が夢中というよりも、改めて深く味わうという機会を頂いているという、そういう気が致します。
 
大福:  そういうことで、「ジャータカ」仏典童話というものは、渡辺さんの人生にとって何を与えてくれたものなのか?
 
渡邊:  自分のこれまでの人生を振り返ってみて、自分の意志で自分からこうしたということはたった一つなんですね。生まれ育った地を離れて、京都に行って原始仏教を学びたいという―勿論自分の力だけではなくって、支えてくださる先生方やそういうお蔭もあったのですけれども、それから後はすべてその与えられるご縁の中で、みな与えられてきました。で、与えられたお仕事をさせて頂いている間に、それは非常に長い年月でしたから、知らず知らずのうちに自分の中に仏教の教えと言いますか、生き方と言いますか、目指していく方向と言いますか、そういうものを与えて頂いたというふうに思います。生きるということだけではなくて、生きるということの、この世的に言えば一番先に死があるということ。その死を嫌なもの恐れるものというのではなくって、最後の花道と言いますか、「ごくろうさん、もう還って来ていいんだよ」と言って貰えることのような、いざとなればまたじたばたするのかも知れませんけれども、人生は死というものは安らかなところに還っていくべき故郷と言いますかね、そういう感じにさせて頂いているということが、だんだん歳を取っていく自分としては、これは有り難いことだというふうに思っています。まだまだ書いていきたい、こんないい話があったと思うことがあるのですけれども、また一つでも多く書き記していけるといいなと思っております。
 
大福:  どうもありがとうございました。
 
     これは、平成二十五年七月七日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである