福祉と信仰の現場から
 
               ルーテル学院大学前学長 市 川(いちかわ)  一 宏(かずひろ)
一九五二年生まれ。一九七六年、早稲田大学法学部卒業(法学士)。一九七七年、日本社会事業学校研究科修了。一九八○年、東洋大学大学院社会学研究科社会福祉学専攻、博士前期課程修了(社会学修士)、一九八三年、同博士課程単位取得満期退学。一九九二年より一九九四年、ロンドン大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミックスに留学。帰国後、国および都道府県、市町村の行政及び民間団体において、計画策定・評価・研修・を担当。専門分野は、社会福祉・地域福祉政策・高齢者福祉政策。ルーテル学院大学学長(2002-2013)。現在同大学学事顧問・教授。
               き き て       上 野  重 喜
 
ナレーター:  今日は、「福祉と信仰の現場から」と題しまして、ルーテル学院大学教授で前学長の市川一宏さんにお話頂きます。市川さんは、早稲田大学法学部を卒業後、東洋大学大学院やロンドン大学で社会福祉を専攻され、福祉の分野で幅広くご活躍。二○○二年から昨年まで十一年間、ルーテル学院大学学長もお務めになりました。『知の福祉力』や『「おめでとう」で始まり「ありがとう」で終わる人生』などの著書もあります。市川一宏さんに上野重喜ディレクターがお話を伺います。
 

 
上野:  今日は、ルーテル学院大学に市川一宏先生をお訪ねしておりますけれども、市川先生は、社会福祉の道に進まれたのは、どういうきっかけでございますか?
 
市川:  はい。十八歳の時に、友人の代わりに日本キリスト教団阿佐ヶ谷(あさがや)教会が実施するワークキャンプというボランティアに参加したことがきっかけでございました。そこで大島藤倉学園の子どもたちに出会って、その子どもたちは知的障害を持っておりましたけれども、その子どもたちに出会って、私は人生観を変えたわけであります。特に十八歳の時ですから、今から四十数年前です。その時には地域に知的な障害を持っている方がいらっしゃらなかった。いわゆる収容主義が中心である福祉が実施されていたというふうに思います。しかしその現場に行き、その生活を見て、私は、その人たちが、一人ひとりが輝いている。そしてまたそれぞれが歩んでいることを学びました。その大きなきっかけは、糸賀一雄(いとがかずお)(日本の社会福祉の実践家である。知的障害のある子どもたちの福祉と教育に一生を捧げた。日本の障害者福祉を切り開いた第一人者として知られ、「社会福祉の父」とも呼ばれる:1914-1968)先生の福祉の思想を勉強したことにもなります。糸賀一雄先生は、「この子らに世の光を」ではなく、「この子らを世の光に」とおっしゃっていました。「この子らを世の光に」この子らが生きていける社会を目指そうという、これは今で言いますと、ノーマリゼーション(normalization:高齢者や知的障害者などハンディキャップを持っていても、ごく普通の生活を営むことができ、かつ差別されない社会をつくるという福祉や教育のあり方を示す基本的理念)これの考え方と一致しますが、当時において、先生はそれをおっしゃっていた。私は、ある意味で労働能力がない、劣っているという方たちに対して、いわゆる上から下目線で見ていたかも知れない。しかし、「その人たちは生きている。そしてその人それぞれにいわゆる能力があって、発達している、輝いている」ということをおっしゃった。それを私は、その方々が生活する場で学んだ。それが大きな転換期になりまして、その翌年阿佐ヶ谷教会で洗礼を受けたということになります。私が、高校時代に出会った辛い経験がございました。それは家が倒産しまして、さまざまなものを失いました。そしてたくさんの暴力団の方たちが来た。そういう経験をしまして、私はそういう集団と闘おうと思って、大学の法学部に入ったわけであります。その原点は、憎しみだった。しかし憎しみで生きることはできない。憎しみではなく、理解を求めようという、それは確かに苦しいことかも知れません。しかしそこから一歩一歩歩むことによって、私たちの希望が生まれる。人を理解することによって、自分が養われる。このことを学び、その原点が聖書にある、ということを知り、私は教会の一員となったわけであります。私自身が、初めて大島藤倉学園に行って学び、それ以降何回かもボランティアで学びました。そこではっきりと自覚したことは、子どもたちが「世の光に」となっていない。つまり施設の中に閉じ込められているんではないか、と思った。ここに私は大きな間違いを感じました。と言いますのも、大島藤倉学園に来て、そして亡くなり、それからそこで葬られている。でも私は、もっと地域でその人の力を伸ばせる、そういうような社会をつくりたいと、私自身思ったわけであります。
 
上野:  そうしますと、基本的にはそうした障害のある方々の施設というものは、地域と密着しなくちゃいけない。隔離されてはいけないというのが基本的なお考えですか?
 
市川:  そうです。そこに閉じ込めるということは、糸賀先生の言葉を借りれば「偏見」です。そしてその子らの可能性を奪っている。即ち「いと小さき者に為したるは、我に為したるなり」(マタイ25:40)と、聖書に基づいて申し上げますならば、「いと小さき者にしたのは、私たちでして、その方たちの可能性を無視し、軽視したのは、私たちであって、そこに立って、もう一度社会を見直すことが大事だ」というふうに思ったわけであります。直接糸賀先生にはお会いしていません。既に糸賀先生は亡くなっておられました。ですけども、そこで教えでくださった精神は、私にとって一生涯忘れることができなかった。因みに今年は糸賀一雄先生生誕百周年でございます。糸賀先生が洗礼を受けた日本キリスト教団鳥取教会でお話をさして頂きました。その時、私は足が震い、感銘を覚えました。
 
上野:  その糸賀先生の教えとの出会いが、先生をこの道に導いたということなんですけれども、イギリスなんかへもいらっしゃって福祉の道を深められたんですが、あちらで何か特に学ばれたことは?
 
市川:  一つは、文化の違いでございまして、日本はどちらかというと、「集団所属(group belonging)」という特徴があるかと思います。集団の中に個人がある。しかしイギリスは、個人の中で個人の成長の中に集団がある。こういう個人を尊重した姿。これは明らかに違っていたというふうに思っています。二点目は、「老いを迎える」ということ。「老いを生きる」ということでございますけれども、私はイギリスの方々の老いを見てみて、やはり家族は大事、そして家族の中で生きることも大事だということは、言うまでもありませんけれども、一人ひとりがどう生きていたのか。人生の歩みを一歩一歩頂きに向かって歩んでいく。一歩一歩高く上っていく、こういった生き方が、イギリス・西欧の老いにあるということを学んだのは、私にとってもいいことでございました。今は日本の社会福祉も、個々の尊厳、生き方を大切にしています。そして個々の幸せを、それぞれの幸せを大切にしていこうとしている。これを目標としている社会福祉法人や、社会関係者多いです。しかし「Life」を日本語に訳すと、いわゆる「生活」と訳しますと、これは福祉がある。「いのち」と訳しますと、これが「医療」がある。しかし「人生」と訳した時に、一人ひとりの人生をどのように大切にして生きるのか。新たな課題が、今私たち社会福祉の担い手に求められていると思います。取り分けイギリスと日本の社会福祉を比べますと、とても似ているところはたくさんあります。しかし個々の生き方や個人の人生を大切にしようとする、そういった生き方、そういった処遇、こういったものを大切にする。これが今もっとも求められていることじゃないかというふうに、私は思っています。例えばその方の信じている宗教をどれだけ大切にしているか。これにつきましては、多くの施設でもそれを認めているし、また大切にしていることは事実でありますけれども、もうイギリスでは、「あなたの宗教は?」と聞かれます。そして病院でも聞かれますし、また施設でも聞かれます。そして取り分け「葬儀」ということに関しましては、その信仰に基づいた葬儀を行おうとしてくださる。
 
上野:  そうしますと、イギリスで葬儀される時は、その亡くなった方のご宗旨というか、宗教、信仰に従ってなされるんですか?
 
市川:  はい。それは当然のことだと思います。
 
上野:  日本は、今高齢社会に突入しているわけでございますけれども、高齢者になりますと、誰もが障害者になるわけでございまして、福祉の対象になる時代ではないかと思いますが、現代の日本の福祉の現場をあちこち歩いていらっしゃる先生におかれまして、いろいろお感じになる具体例をお上げ頂けますでしょうか。高齢福祉、それから東日本大震災、あるいは地域福祉いろいろございますけど。
 
市川:  私は、例えば自分がどこで亡くなるのか。自分自身はどこで最期の時を迎えるのか。またそのためにどのような働きを求めるのか。これはいつも考えるところでございます。と言いますのも、この「老い」というのは、一歩一歩―キリスト教的に申しますと、「天国に向かって歩んでいく、その過程だ」と、私は思っているわけであります。「人生に定年はない」と、私は思っています。人それぞれの生き方がある。しかし過去すべてが納得いくものでないことは事実であるかと思います。過去の後悔に押しつぶされそうになることがある。私も経験していることでございます。しかし、今の生き方によって、「過去の事実は変わらなくても、過去の意味が変わる」ということを、私はたびたび経験しています。ある方は、自分の後悔をたくさん述べている。しかし今、祈りを持って歩もう。そう決意し、人のために祈り続けた人。そのことが、振り返る過去は、事実は変わらなくても意味が変わっている。こういう神さまの導きを、私は大切にしていきたいし、そういう意味では、自分自身の信仰や自分自身の祈りを絶えず守られていること、祈りを絶えず大切にしてくれること。これが私は、人間としての原点だと思っているところであります。人に言えば、愚痴になるかも知れませんけれども、神さまに言えば、私は、「祈りになる」こう思っているわけでございまして、「その祈りの時を大切にしてくれる、そういった人生を歩むことができる」そういった施設であったり、そういった福祉サービスであったり、こういったことを望むのが一点でございます。またできれば、今まで住んでいた地域で長く留まりたい。衰えても、さまざまな援助を受けて、そこで生き続けたい。これは当然思うことでございます。しかしなかなかそれが十分できるかどうか、これは課題であることは確かでございます。というのは、高齢の方が多くなって、そしてまた担い手がやはり少ない、十分でないということを考えますと、自分自身も不安なことがございますので、私はルーテル学院大学で、その担い手をたくさん育て、そして働き人を社会に出して、共に老いを看取る人、共に老いを生きる人、その方たちを育てていきたいと、私は思っています。
 
上野:  先生は、今「祈りの心の大切さ」ということを、そして先生ご自身が「祈りを実践していらっしゃる」ことをおっしゃって頂きましたけれども、その祈りの心と先生の福祉の精神というものとは、両輪相まっているわけでございますね。どちらが欠けてもいけない。
 
市川:  はい。これは明確にしておく必要があるのは、老いた方々、障害を持っておられる方々、その方々と歩む自分自身が問われているということから考えておかなければなりません。全部の方に祈りの議論をする必要はありません。それぞれの宗教もあるでしょう。それぞれの生き方もあるでしょう。それは大切にしたいし、そのことを私たちは忘れてはいけない。まさに違いがあることを忘れてはいけないと、私は思っています。しかし私ならば、ということのあくまでも限定であれば、私は祈りを持って人生を歩みたい。祈り続けていく。その中で私の終末を迎えることになると思いますし、また私は自分が亡くなる時に、「ありがとう」と、私のケアをしてくれた人たち、世話をしてくれた人たち、そして家族や友人に「ありがとう」と言いたい。私は最期の言葉を、「ありがとう」で終わりたい。そういう意味では、今、私のことを申しましたけれども、多くの人たちに「ありがとう」と言って頂けるような援助をすること。「あなたが居て、私は今老いを迎えられる。最期を迎えられる」と、そう言って頂けるような援助をすること、これが社会福祉の担い手に求められていることだと、私は思っています。「真の福祉」とは、ということでございますが、私は絶えず模索中でございまして、それぞれの福祉がある。それぞれに対しての福祉があるというふうに思っております。相手のことを理解する。私の尊敬する横須賀基督教社会館の名誉館長の阿部志郎(あべしろう)(米国ユニオン神学大学院留学。明治学院大学助教授を経て、1957年より横須賀基督教社会館館長に就任。2003年〜2007年神奈川県立保健福祉大学学長、日本ソーシャルワーカー協会会長、日本社会福祉学会会長、国際社会福祉協議会副会長、明治学院理事長などを歴任)先生は、こうおっしゃっています。
 
「靴に足を合わせるのではなく、足に靴を合わせなさい」。
 
ということは、そのお年寄りならそのお年寄り、また子育てで困難に思っている方なら、その方。その方に合った援助をすること。これが「足に靴を合わせる」ということであり、福祉サービスは、まさに相手に合わせて援助を組み立てること。それが基本的原則だというふうに、私は思っています。なかなか上手くいかないんです。これがいいかなと思っても、なかなか難しい。私が、石巻に今被災地へズーッと行っております。そしていろんな悲しい出来事にも出遇います。例えば大川小学校、そこでたくさんの子どもたちが亡くなりました。教員も亡くなりました。ある時訪問しました―これ夏でしたね―そうしたら、記念碑にたくさんのヒマワリが飾られていました。私は、そのヒマワリの意味を後で知ったのでありますけれども、この後ヒマワリを植えた八人のお母さんの絵本が出まして、ちょっと読ませて頂きますと、
 
ひとつぶの小さな種が、
千つぶもの種になりました。
そのひとつぶひとつぶが、
ひとりひとりの子どもたちの、
思い出のように思えました。
また、夏がきたら 会おうね。
ずっとずっと
いっしょだよ。
 
『ひまわりのおか』という本でございましたが、お母さんたちの思い、このことを考えますと言葉になりません。どうしたらばその方たちの救いになるか。それもなかなか見出せません。石巻に行きましても、まだまだ復興ができていない。復旧もできていない。こういった中で希望を持って歩もうと、いろいろな活動をしている人たちがいるわけです。私は、何ができるかわかりませんけれども、「そこにいつも居る。必要な時に居る」ということを伝えるしかできないけれども、それが私の人生の役割だと思いますし、福祉の専門家としての役割でもあるというふうに思っているわけであります。そういう意味では、福祉はある意味で目標でございまして、一人ひとりの幸せを求め、一人ひとりと共に歩む。こういったものが福祉であると。本来の福祉の精神であるというふうに、私は思うところであります。
 
上野:  今、福祉と言いますと、広く国家の福祉予算を高めてとか、あるいは地域地域に施設を充実させて、ということを、あるいは地域社会の福祉精神を高めよう、と言われますけれども、結局はお一人おひとり福祉を受ける方、個人個人違うわけございますね。先生はその辺の大切さもおっしゃっておられる。
 
市川:  はい。基本的な枠組みと言いますか、制度はございます。そしてその制度の、いわゆる法律もあるわけです。しかしその適用においてさまざまな工夫ができると、それを計画立案の方々、その方々と一緒に考えていくのも私の仕事でございます。運用はいくつかある。また地域のさまざまな資源がある。これは住民関係でもあったり、場所でもあたったり、サービスでもあったり、ネットワークでもあり、専門家でもあり、こういったさまざまな資源がある。それをその土地に合わせてどう組み立てていくのか。そこに計画を作る方々のやり甲斐と言いますか、思いがある。それをお助けするのが、もう一つの私の仕事だと思っています。ですからそこにいらっしゃるその住民の顔が見えて、そしてそれに相応しい制度設計をしていき、運用において血の通った運用していく。こういうことを目指したいなと思っているのが、私の今の気持ちでございます。
 
上野:  先生は、こちらのルーテル学院大学で、そうした福祉の現場で働く人たちも、学生たちも、これまで大勢教えてこられたんですが、そういった福祉の世界に飛び込んだ学生さんたちの具体例として思い出されるようなことございますか?
 
市川:  はい。もうそこら中に、と言いますか、いろんな分野で、いろんな地域で活躍している、そういう卒業生もいますし、またボランティアをやっている学生もいます。一つは、そこで私が学ぶことは、彼らが利用者の方々と接する中で成長していく。そしてさまざまな可能性を見出していく。こういった姿を見て、私自身がはじめ励まされることが一つであります。二つ目は、卒業しても戻って来て貰いたいと思っておりまして、近々勉強会がございます。今、社会福祉の現場は、人数が十分確保されないで、やっぱりケアの難しさに直面している、そういった現状もあります。そして条件は、決して悪くないと、私は思うんでありますけれども、しかし仕事においては、苦労も多い。そういう苦労を一人で抱えるんではなくて、みんなで考え、みんなで情報交換をし、助けあっていくこと、これが共に生きるという原点ではないかというふうに思っています。
 
上野:  こちらのルーテル学院大学の卒業生の皆さんとしても、学生時代のみならず、卒業後も先生との触れ合いの場がある。これは大変な力になることだと思いますけれども。
 
市川:  ある学生は、児童養護施設に勤めています。「児童養護施設」とは、親や親族が子どもを育てられずに、その子を預かる施設でございます。私は、そこの訪問をしまして、帰る時に、「さようなら。またね」と申しました。その時にその子は、「じゃ、いつ来るの?」と私に問うたわけであります。私は、声を詰まらせました。英語であれば、「see you」とは、「またね」という日常用語でございます。しかしそのようなつもりで言ったその言葉を、その子は、「じゃ、いつ来るの?」と返してきた。そこにその子が待ち続けていた親や迎えに来る人を待ち続けていた。その事実を知ったわけであります。その子どもたちと共に歩んでいるたくさんの福祉の現場がありますし、卒業生もおります。私は、原点に立つならば、子どもは神さまから祝福していのちを与えられたのでありまして、この事実を、この現実の大切さを決して忘れてはならないし、この真実これに疑問の余地を挟むことはできません。その子の生き方、どんなに障害を持っていても、その子は神さまからいのちを与えられたという「おめでとう」という原点に立ち続けているたくさんの人たちがいる。このことを私は覚え、敬意をもって感謝していきたいと、今思っております。
 
上野:  どのお子さんも、みなさん、「すべて神に祝福されて生まれた大切ないのちである」ことを、先生は強調されるわけでございますね。
 
市川:  そうです。イザヤ書の四十三章四節にこう書かれています。
 
わたしの目にあなたは価(あたい)高く、貴(とうと)
わたしはあなたを愛し
 
この箇所の「わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛し」この言葉に、どれだけの人が励まされたでしょうか。もし自分に障害を持った子が生まれたならば、親は迷います。しかしみなそれぞれの中で、それぞれの困難な中で一歩一歩歩んでいく。その時に、「わたしはあなたを愛し」という言葉、この言葉の意味は深いと思っています。自分の子どもが、障害を持った方がたくさんの活動を踏み切っています。その子どもたちを育てるため、もしくは他の悩みを持つ親を助けるために。被災地に行きますと、親を津波で亡くした子どもたちもたくさんいるんです。しかしそこの中で、とても大切な役割を果たしているボランティアがいますが、それは神戸淡路大震災で、自分が親を亡くしたそういう経験を持ち、そしてここまで一歩一歩歩んできた、そういう方たちが傾聴(けいちよう)ボランティアをしてくださる。これは私の言い尽くせぬ大きな意味を持った活動だと思っています。そこには「共感」がある。その原点を忘れないで一歩一歩歩んで頂きたい。これが私の気持ちですし、「一人では生きられないし、一人で生きているのではない」このことを是非いつも思い出して頂きたい。これが私の今申し上げたい言葉であります。私は、制度をどのように使うのか。その運用をどうするのか。また具体的な介護やソーシャルワーク(social work:社会的な問題の解決を援助するための社会福祉の実践的活動)、福祉援助の現場で、どのようにその方を大切にし、靴に足を合わせるのではなく、足に靴を合わせる。こういったやり方をすることができるかが、私は問われていると思います。ですから「ゼロか百」なんてよく言いますけれども、「ゼロか百」なんていうのはあり得ないんで、ゼロか百の間に一から九十九の援助の方法があり、工夫があるわけでありまして、その工夫をしていくことが、社会福祉を担う者たちの使命であるし責任であると、私は思っています。
 
上野:  どうもありがとうございました。
 
     これは、平成二十六年十二月二十一日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである