迷いから目覚めへ
 
                  蓮福寺住職 菅 原(すがはら)  信 (しんりゆう)
一九五三年、北海道函館市に生まれ。室蘭工業大学工業化学科卒業。北海道大学文学部史学科研究生。中央仏教学院本科卒業。龍谷大学文学部仏教学科卒業。現在、浄土真宗本願寺派蓮福寺(佐賀県)住職。
                  き き て 金 光  寿 郎
 
 
ナレーター:  今日は、佐賀市の蓮福寺(れんぷくじ)住職菅原信驍ウんに、「迷いから目覚めへ」というテーマでお話頂きます。聞き手は金光寿郎さんです。
 

 
金光:  菅原さんは、大学に入られて、大学に入った方は大体「意外につまらない」というようなことで、失望なさる方が多いようですけれども、最初は学校の講義よりも、クラシックギターに夢中になっていらっしゃって、それでそれに一生懸命やっていらっしゃったのが、その後で随分「何となく自分自身の生き方についての疑問が湧いてきた」というようなことをご本に書いていらっしゃるんですが、そのクラシックギターをやっていらっしゃるところからの心の転換というのは、どういうことだったんですか?
 
菅原:  大学二年生終わりましてですね、春休みですよ、一番甘えた先輩たちがみんな東京に就職して行きました。一人取り残されたわけですね。それがきっかけですけども、だんだん寂しさが込み上げてきまして、部屋におられんことになったわけですよ。あんなに楽しかったギターが全然楽しくなくなってくるわけです。だんだん落ち着きが出てこなくなりまして、昼間どこに居ていいかわからんわけですね。昼間も落ち着き場所がない。部屋に居ってもそわそわして、何か襲ってくる感じで部屋におれない。外に救いを求めました。それじゃ喫茶店に行ってコーヒー飲んで、マンガに没頭しようとするわけですね。これも落ち着き場所がない。面白くないんですね。今度は週刊誌の官能小説に目を向けることで誤魔化そうとするわけです。これもダメだったですね。何とか昼間はマンガの本にかじり付いて、週刊誌のそういうものにかじり付いておりました。何とか誤魔化しましたですけども、夜は今度は誤魔化しようがない。酒を飲んで誤魔化すわけですね。だけど酒も美味しくない。店が閉まりますと、今度は行く所がないもんですから、部屋に帰ってくるんですが、現実を忘れさせるものにズラッとすがったわけですけれどもね。ところがそういうことをしましても、結局逃げれんわけですね。だんだん気持ちがおかしくなってきて、最後には電気の光が襲いかかってくる状態になりましたですよ。いろんなものにすがるわけですけども、そういう時に。自分が今まで「これだ」と思って一生懸命やってきた道ができないもんですから、結局生きる道を失ってしまいました。そこでいろんなものにすがりましたけども、全部崩れていくわけですね。まったく生きる道を失ってしまった。
 
金光:  どのくらいの期間ですか? 年月にしますと。
 
菅原:  おそらく必死だったのは、二ヶ月ぐらいだったと思います。夜も寝られんかったですよ。一番問題だったのは、後から振り返って思いましたけども、〈自分はこの世に一人しかいない〉ということですね。これに気が付きましたです。先輩が全部出て行った。それがきっかけで、〈俺は一人しかいなんだ〉と。これが寂しさに変わりましたけどね。寂しさが込み上げてきて、何もかも手がつかなくなった。元気を失っていろんなものにすがった。全部崩れていきました。ところが全部崩れていって、持ち物が何にもなくなってしまったわけですね。そこで初めて少し落ち着きましたけども、もう落ちるところがなくなりましたですよ。全部奪われました。落ちるところまで落ちてしまいました。ですから少し落ち着いたんですね。
 
金光:  それだけ夢中になってたものも、何もないとなると、その後どうなるんですか?
 
菅原:  何にもないですから、ですからゼロからまたやり直ししようかと。こういうものがきっかけですね。
 
金光:  それはもう無いなということに、何も無くなったということの中を、しばらくの間、そこにいらっしゃって、気が付いてみたら、これからスタート―スタートというとちょっと気分的には違うかも知れませんけれども、これから新しい道が開けるというような、そういう感じでございますか?
 
菅原:   いいえ。全然道は開けないですね。ただ何をしていいかわからんもんですから、何かしてみましょうと。ですから今まで全然本なんか読んだことないもんですから、初めていろんな本を読み出しました。当時中央公論社から出ています『大乗仏典』というのを初めて読んだわけです。生まれて初めて読んだ仏教書でございますけれども。長尾雅人(ながおがじん)(仏教学者、チベット学者。京都大学名誉教授:1907-2005)が書いていらっしゃるんですね。その難しい本を生まれて初めて読みました。
 
金光:  現代語訳ですね。
 
菅原:  現代語訳ですね。
 
金光:  難しいですけれども。初めてお読みになった印象はどうでした?
 
菅原:  仏教哲学の深さですね、感じましたですけども。
 
金光:  何かあるという感じですか?この世界には。
 
菅原:  何かある、それも感じましたけども、全部失いましたですから、初めていろんなものに耳が傾いたということですね。それでお寺に生まれながら仏教を勉強したことないもんですから、それにも耳が傾いたということですね。
 
金光:  ご本の中に、どこかに「枠にとらわれた世界」のことが書いてありましたね。枠が壊れたら、もっと広い世界が見えてくる。言葉を換えると、そういう感じでございますかね?
 
菅原:  そうですね。全部壊されました。
 
金光:  その時は気分はどうなんですか? その大乗仏典を読んで、ここには何かあるかも知れない。こういうところを聞いてみよう、というふうなお気持ちになられましたね。その頃の気分は、その前の手も足も出ないというような感じとは大分変わってきていますか?
 
菅原:  少し落ち着きが出てきましたですね。落ち着いて本を読めるような状態になってまいりました。それまで一時間机に座ることができなかったわけですよ。
 
金光:  ああ、そうですか。
 
菅原:  何かしようと思った時には、一時間先ず机に座る練習から始めました。貧乏揺すりして、全然本が読めないんですね。
 
金光:  そうですか?
 
菅原:  机の前に座ることがなかったもんですから、だから先ず机の前に座る練習から始めましたですね。だんだん落ち着いてきて本を読めるようになりました。
 
金光:  それ以外にも随分仏教の解説書なんかございますけれども、何か多少そういう方向のものをもう少し広く読もうというようなことは?
 
菅原:  それはなかったですね。『大乗仏典』を読み終わりました。ただ私を一番引き付けたのは、日本の歴史ですね。当時まだ三年生に成り立てですから、いろんな本を読む中で日本史に興味を感じましたですね。ちょうど四年生になりましてですね、四年生の六月から北大病院に入院したわけですね。北大病院に一ヶ月半ですね、後は登別国立病院に二ヶ月ぐらいおりましたですけども。三ヶ月半の入院生活の中で、日本史の書物かなり読みましたです。
 
金光:  その中にも日本の歴史の中には、当然仏教のいろんな方の紹介なんかもあるわけですけれども、やっぱりそこで仏教へという形にいったわけですか?
 
菅原:  全然そこへいかないんですね。歴史に興味を抱きましてね、〈これならば自分の全人生を捧げても良かろう〉というふうに思ったもんですから、そこで工学部を卒業してから文学部にいこうと思ったわけですね。但し勉強しないもんですから、まともに受けても入れんわけですよ。そこで当時北大にはS先生という古代史に有名な方がおられましたですから、真っ直ぐ電話しまして、お会いして、そして「研究生として勉強さしてください」と。そこでそっちへいったわけですね。
 
金光:  それで史学から勉強されて。その後京都の龍谷大学へ行っていらっしゃいますね。その歴史からもう一つ専門的に変わられたのは、これは何かあるんですか、きっかけは?
 
菅原:  北大へ行きまして、二年半必死に勉強すればなんとかなるんじゃなるんじゃなかろうか、と思ってやったわけですよ。大失敗したわけですね。大失敗致しましたですよ。
 
金光:  何が失敗なんですか?
 
菅原:  真っ直ぐ大学院受験したわけですね。ところが当時よくわからなかったんですけども、私は文学部の卒業論文を書いていないもんですから、それでやっぱりダメなわけですね。
 
金光:  それで「ここでダメか」という感じになると、また普通だったら落ち込むことになるかも知れませんが、そうはならなかったんですね?
 
菅原:  二年間歴史勉強してみましてですね、私の目的と違いましたもんですから、これ以上これ続けてもあまり意味はなかろうと、これがありましたですね。そして二十四歳になっていましたですから、これ以上勝負をするとなると非常に危険なわけですね。就職しようと思っておりました。どんなところでも食べていこうと思っていましたですけども、たまたまその時に父親が、「京都に仏教専門学校に行かないか」というふうに誘ってくれたもんですから、それで仏教に関心はなかったんですけども、ここは父の意見に従っておいて、京都に行って一年勉強して、後は就職してどっかの大学の夜学に行こうと思っておりました。また別の道を探そうと思ったんです。仏教に関心なかったんですね。
 
金光:  それで龍谷大学へ入られた後は如何でした?
 
菅原:  龍谷大学の前に、中央仏教学院に行っているわけですね。そこで初めて仏教を習いましたけどね。それまで「人間の苦しむのは社会が悪いから」というふうに、我々は習ってきたわけですね。ところが初めて「煩悩」ということを教わりましたですよ。初耳ですね。「自分の中に自分を苦しめる原因がある」ということを教わったのは初めてなんですね。ビックリしたと申しますか、驚いたことがありますけどね。非常に新鮮に聞こえてきました。そこで初めて自分自身を振り返ることになりましたですけどもね。それがきかっけで自分自身を振り返るようになりましたですよ。
 
金光:  ただよく聞くのは、「自分は悪かった」とか、「自分はダメだ」とかという、それだけだと「落ち込んでしまうんじゃないか」ということをいう人がいるんですけども、その辺は如何でございましたですか?
 
菅原:  「落ち込む」というよりも、自分の苦しみの原因がだんだんわかってきましたですわ。それでその世界に今度は興味が出てきましたですね。中央仏教学院というところは、仏教の基本を教えますけどね。基本でありながら、一番大事なことを教わった感じが致します。その後ですよ、専門的に勉強しようと思って、龍谷大学の三回生に編入致しましたですけども、専攻しましたのは唯識学ですね。インド唯識です。サンスクリット語、チベット語をやりましたけども、二年間必死になってやりました。書いた論文は最終的には先生から褒められ、「大学院に来なさい」というふうに言われたもんですから、行こうと思っていたんですけども、二年間してみて、こんな勉強続けて何になるんだろうか、というふうな気持ちになりましたですね。仏教の授業が、自分自身を振り返るんじゃなくって、ものを対象化して教え学んでいくという姿勢ですけどね。自分自身を振り返る、こういった縁があったのに、今度はそれを無視して、外に目が向いておると。こんなことをして何になるんだろうか、というふうな疑問が非常に湧いてまいりましたですね。
 
金光:  方向としては一番大事なところですね。外にいくら求めたって我が身の問題の解決にはなりませんでしょうから。
 
菅原:  そして四年生の八月から、一月(ひとつき)に一本ずつ論文を書いていきましたけどもね。十二月に提出致しましたけども。十一月に龍谷大学の図書館の一番上のホールで、龍谷大学の名誉教授で、退官してから二十年間大学に呼ばれたことがないというK先生の講演があったわけです。この方に中央仏教学院で習いましたけども、この方が一番優秀であることを、私はわかったわけですね、話を聞いたおって。ところが白い目で見られておりましたですよ。退官して二十年ぶりに講演に来られたわけですね。そして居並ぶ先生方の前で徹底的に批判なさいましたですよ、この先生が。それで当時は、上にいくどうか迷っていたものですから、先生に手紙を書きまして、先生から返事来たわけですね。山科(やましな)の自宅に伺いました。三時間半、話しておりました。先生は、当時八十過ぎております。私は二十七歳だったですけども。三時間半話しておりました、炬燵に入って。この先生のところには三島由紀夫(みしまゆきお)(小説家・劇作家・評論家・政治活動家・民族主義者:1925-1970)が割腹自殺する前に来ているんですね。三島由紀夫は晩年唯識を勉強していますけども、あの方がK先生の自宅に訪れているんですよ。そんな話とかね、要は映画の中で、「今の浄土真宗には念仏がない」というふうに言われておりましたけども。そして学校からも退けられた形だったんですね。でも、「私はどうしても絶対辞めない」というふうに言われまして授業されましたそうですけども。この方の迫力は凄かったわけですよ。よう授業はわからんですけども、迫力に惹かれまして、ジッと聞いていましたけどね。その先生と話しておって、「お前、龍大、止めなさい」とはっきり言われました。それで止めることにしましたですね。論文を一番最初に提出致しまして、正月まで時間があったもんですから、その時読んだのが暁烏敏(あけがらすはや)先生の『わが歎異鈔』上中下です。あの先生は、自分の問題を解決なさいましたですね。あれでグッと引き付けられましたです。
 
金光:  あの本は迫力がりますものね。
 
菅原:  迫力がありますね。あの先生のお蔭で自分自身を振り返る道がズーッと深まってきましたですけどね。
 
金光:  それはそういう方向で進んで来られますと、学生時代に虚しかったこと、「生きるとはどういうことか」とか―これは誰でもある時期はそういうことを考える時期があるようですけども、菅原さんみたいにとことんお考えになった方はわりに少ないんじゃないかと思いますが、その問題はどういうことになりましたですか?
 
菅原:  生きる目的ですか? 生きる目的をズッと考えましたですね。ところがいつの頃からか、そういう問題が問題じゃなくなったんですね。
 
金光:  面白いですね。大問題があったのが、いつのまにか問題では無くなったですか?
 
菅原:  自分でも説明がつかなかったんですけども、何も分かっておらん。生きる目的は何にもわからないわけですよ。でもその問題が無くなったんですね。
 
金光:  普通は問題があって、その問題の答えがわかると安心するみたいに、常識的には考えるわけですけども、そういうことではなかったんですね。
 
菅原:  何もわかりません。何もわかりませんですけども、「世の中ってこうなっておるんだ」と見えてきましたですよ。
 
金光:  それで見えてきますと、問題が消えて、で、そこに展開されている世の中というか、人間界を含めてすべての自然を含めた世界が、それまで見えなかったところが見えてくるということですか?
 
菅原:  はい。「世の中ってこうなっているんだな」と。見えてきましたら、特別疑問が湧かなくなりましたですね。
 
金光:  それはしかし自分でどうこうしたからということではないわけですね。
 
菅原:  ないですね。「人間というのはこういうふうになっている。世の中ってこうなっているんだ」と。これが見えてきましたらですよ、何も問題じゃなくなりましたですよ。
 
金光:  浄土系の場合ですと、お念仏を称えますよね。普通はお念仏によって、そういう世界へ導いて頂けるとか、そういう世界に救われるというとかという言葉があるわけですけども、そこでのお念仏というのはどういうニュアンスで受け取られますか?
 
菅原:  「念仏」ということを意識したことはないんですね。念仏でも禅でも何でもかまわんわけですよ。お寺へ入りますと、みんな念仏にいかならんという形でもって、どうもそっちに念仏者になろうなろうとするんですね。私の場合にはもともとが仏教関係じゃないわけですから、生と死の問題を解こうと思ったわけですね。解けてしまったら、念仏であろうが、禅であろうが真言であろうが一切かまわんわけですね。その頃はまだ念仏がどうのこうのという気持ちにはなりませんでしたね。自分の心の解決はある程度できました。だんだん時間が経って、心の整理してくるんですけどね。二十年以上経ってですよ、お釈迦様は、「念仏一つ」というふうに言われたことがピタッと胸にきましたけども。
 
金光:  でも、そうやってご自分で念仏云々というようなことを考えるよりも、世間の様子が見えてくるようになってくると、その念仏をズッとお釈迦様以来伝えてきた方のお書き残された言葉とか、そういう中に今菅原さんがピッタリきたような、そういう世界のことに触れている言葉も当然あるわけじゃございませんか。例えばどういう方のどういうのが、「こういうことだったのか」というのが、お気づきになったことがおありじゃないかと思いますが。
 
菅原:  一番心にピタッときましたのは、清沢満之(きよさわまんし)(1863-1903)先生の『我信念』ですよ。
 
金光:  明治の頃四十代で亡くなられた方ですよね。四十歳ですか?
 
菅原:  「知らざるを知らずとせよ、是れ知れるなり」とは実に人智の絶頂である。
 
こう書いていますけどね。知らないことがほんとにわかった。これが人間が得ることができる一番智の最高峰であると。これがピタッときましたですね。問題がありましてですよ、勉強して百点取るのが普通でございます。これが普通いう「自力の道」ですね、百点取るのがですね。私の場合には、問題そのものがなくなりましたですから、だから取る必要ないということですね。
 
金光:  それでいて、自分はわからないということだと、不安になるんではないかと思いますが、それは違うわけですね。
 
菅原:  不安にはなりませんですね。だから自分が生きているのは、草とか鳥とかこの変と何も変わらんわけですよ。他の生き物は、考えないですから精一杯生きております。人間だけ考えますから、いろいろ考えて「理解できなければ生きていけん」とかという気持ちになりますけども、こういった人たちが自殺をしているわけですね。
 
金光:  しかし考えれば考えるほど、人間の頭で分別すればするほどこんがらがってきて、答えどころかだんだんおかしくなってきますよね。そういう必要なかったわけですか? 気が付いてみたら。
 
菅原:  気が付きましたら、仏教用語の中に「無分別」とありますけども、分別がないこの世界でしょうね。
 
金光:  分別のない世界が、現実に私たちの、あるいは菅原さんの目の前に展開しているわけですね。
 
菅原:  ですから、勿論人間は分別致しますけども、人間だから分別するだけで、私が鳥に生まれましたら分別しないわけですね。周りの生き物は自然のまま生きているわけですね。「自然のまま」ということは、「生かされているまま」ということです。生かされている生き物は精一杯生きております。自分の分別でなんかして、解決して生きていこうという人間が精一杯じゃないですね、どちらかと申しますと。
 
金光:  なんか余計なあがきをしているみたいなことかも知れませんね。
 
菅原:  そんな感じがします。だから今自分が生きているのは、ご飯を食べることも、トイレに行くことも、勉強することも、次元はみな同じなんですよね。昔は無理がありましたけども、今は全然無理がありませんですけどね。
 
金光:  ただ、こういう話を聞かれると、じゃ日常目が覚めて、お腹が空いてご飯を食べて何かするというような、あるいは「あれをしたい、これをしたい」と思うのも、これは自然ではない?
 
菅原:  自然に出てまいりますね。
 
金光:  その自然を押し通してどこが悪いか、というようなことを考える人がお出でじゃないかと思いますが、その辺ちょっとニュアンスが違うところがあると思うんですが。
 
菅原:  若い頃にはそういったすべてレベルでもって、理解できなければ生きていけないというふうな感じになりましたですけども。それこそが全部―道元(どうげん)(鎌倉初期の禅僧。曹洞宗の開祖:1200〜1253)じゃないですけどね―「身心脱落(しんしんだつらく)」ですね。要するに精神的には一皮剥けたんでしょうね。そうしましたら力が黙って湧き上がってまいりますから。
 
金光:  不思議ですね。
 
菅原:  不思議なことですね。
 
金光:  道元禅師さんも、「仏道をならうというは、自己をならうなり。自己をならうというは、自己をわするるなり」とおっしゃっていますね。
 
菅原:  そうですね。『歎異抄』の第二章の
 
親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。 念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてやはんべるらん、また、地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもって存知せざるなり。たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。 そのゆえは、自余の行もはげみて、仏になるべかりける身が、念仏をもうして、地獄にもおちてそうらわばこそ、すかされたてまつりて、という後悔もそうらわめ。いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。
 
なんておそらくこの境地だと思いますけども、
 
金光:  「親鸞におきては地獄へ堕ちようとどうしようといっこうに後悔はございません」というような、
 
菅原:  そうですね。
 
金光:  それでやっぱり考えるように人間できていますね。それで考えて分別するようにどうもできているようですけども、その分別で行き詰まって手も足も出ない時に、それまで手も足も出ないということは、「自分のその枠の中では処理できなくなっている」ということでしょうから、「その枠が壊されると、その起因によって目が開ける」ということがあるということでしょうか。
 
菅原:  そう思いますが、これはどういうふうにしたらその道が開けるかという道は先ずないと思いますね。
 
金光:  話を聞くと、何とかそういう世界へ行きたいと思うでしょうけども。
 
菅原:  たまたま藻掻いておったらですよ、相手がいなくなりまして、気が付いたら無分別の世界に立っておったという感じですね。
 
金光:  ただ今の日本ですと一年間に三万人も自分の命を絶つ方がいらっしゃるということですけれども、その方たちはおそらくもうこれ以上生きていてもしょうがないと。自分の生きる意味はないというところで、おそらく踏み切られるんじゃないかと思いますけれども、そういうご相談をお受けになることはありませんか?
 
菅原:  たまにはありますよ。それはあります。
 
金光:  そういう時はどういうふうに?
 
菅原:  相手にしないですけどね。「道がないんだ」ということは、「自分が決めている」わけですね。私もこれで「もう生きていけん」と思ったことがありますけれども、後から振り返りましたら、前だけが道じゃないわけですね。前が詰まっていたら、右があるわけですよ。右が詰まったら左があるわけですね。文明社会と申しますのは進歩しか許しませんけども、後退を良しとせんわけですね。後退しないわけですよ。どっかに道が付いているんですけども、それが見えないんですね。私の友だちに、山登りの専門家がおるんですけども、彼は言っていましたですよ、学生時代ですね。山に登ったら山の奥には全然道がないそうです。ところが彼らたちは登って行くわけですね。道がないところを自分たちで道を付けて登って行くわけです。道がないのに道があるということですね。要するに「道がないところにいっぱい道がある」ということになりますけども。山登りの人たちはそれを知っていますですね。山で遭難する人間の話を聞きますけども、山の専門家じゃないんですね。しょっちゅう登っていますけど、専門家じゃない。こんな人たちがよく登っていますけども、人が行った道を行けば登れるわけですよ。ところがそれを行って少し外れると遭難しているんですね。山の専門家は全然道がないところへ行って遭難ほとんどしていませんです。いろんなところに道を付けていくわけです。地図と磁石と経験だけですけども。人間世界を生きるにしましても、物が見えてくればいろんなところに道があるんだ。これがわかりますよ。これを教わったことが一番の大きいところですね。
 
金光:  そういう意味では、お釈迦様以来二千五百年、その間にその時代時代でそういう道を見付けてきた方がけっこうたくさんいらっしゃるということでございましょうか。
 
菅原:  そうですね。みんななだらかな道を行こうとするわけですけども、その人は少し外れて遭難していると。でも道なき道を行っている人は、いろんなところに道をちゃんと知っていますから。親は子どものために金を残すとか、会社を残す。いろいろありますけども、結局子どもはけっこうダメにしているわけですね。親は子どものためにと思って道を授けるわけですよ。ところがその道を行けば大丈夫だろうと思ってみんな行く。そうじゃないんですね。私、次男坊でございますけども、ポーンと放り出されるわけですよ。誰からもあてにされないですよ。どこに道を付けるか、自分で考えるわけですけどね。それでいろいろ壁にぶつかってみて、目が開けてみたらいろんなところに道がありました。今、昔一番したくなかった仕事しています。
 
金光:  でもやっぱりそこに自分のこの世に生かされている意味を見付けていらっしゃるとことでございましょうか。
 
菅原:  二十七(歳)になっていましたけどもね。その龍谷大学を卒業する時ですね―K先生に会った時ですよ、卒業する時にその時の心境と申しますのは、〈何をしてもいいな、どんな仕事をしてもいいな〉と思いました。何故ならば、一番嫌な世界に入ってみて、そこに来ましたら、またいろんな出会いがあるわけですね。そして喜びがあるわけですね。そんなこと見えてきて、世の中と申しますのは、いろんな嫌な道もありますけども―外から見たら嫌な道ですけども―入ってみたらいろんな喜びがあるんだな、出会いがあるんだな。何の仕事をしてもいいと思ったですね。だから世界がパッと広がりました。〈何をしてもいい。どこへ行ってもかまわない〉と思いましたですよ。私なんか北海道から養子に来た者ですから、九州までですね、たった一人で来ましたけども、どこへ行ってもかまわんと思ったですけども。
 
金光:  これはしかし面白いお話。自分の思い込みで、これは仏教のことはわかっているとお考えの人がけっこういらっしゃるわけですけども、じゃなくて、自分の思い込みで嫌だと思っているところへも行って見ると、非常に広い道がいろいろあると。これが仏教が昔から説いている道であるということも言えるかも知れませんね。
 
菅原:  そうですね。その通りでございます。
 
金光:  どうも有り難うございました。
 
     これは、平成二十一年二月二十二日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである