自然の慈悲≠ノ目覚める
 
                  正福寺住職 林 寺(はやしでら)  脩 明(しゆうめい)
 
ナレーター:  今日は、「自然(じねん)の慈悲(じひ)≠ノ目覚める」と題しまして、大阪市にある正福寺(しようふくじ)住職林寺脩明さんにお話頂きます。仏教では、「自然(しぜん)」と書いて「じねん」と読みます。「自然(じねん)」とは、「独りでにそうなること、人為が加わらない」という意味で、林寺さんは、「自然(じねん)には人の力を超えた不思議な真実の働きがある。この自然(じねん)こそ人間の存在を超えた仏の慈悲であり、人の心だけでなく、宇宙のすべてのものに働く」と言います。林寺さんは、今こそ自然の慈悲に気付くことが大切だと考えています。仏教でいう「自然(じねん)の心」とは、どんな教えでしょうか。詳しくお話頂きます。林寺さんは、昭和十年(1935年)富山県に生まれ、龍谷大学を卒業した後、京都市市立中学校の教諭を二十八年勤めてきました。そして平成三年から正福寺の住職を務めています。それでは「自然の慈悲に目覚める」、大阪の正福寺住職林寺脩明さんです。
 
林寺:  私は、北陸は富山の田舎のお寺―浄土真宗のお寺ですが、男ばっかり四人兄弟の一番末の―末弟として生まれまして、大学は龍谷大学に学びました。勉強しましたのは、仏教史学―日本の仏教史を勉強致しまして、で、卒業する時に、「もうちょっと大学に残って勉強しなさい」と、こういうアドバイスを受けたんですが、どうもこの男四人兄弟の一番末というようなことが影響するんでしょうかね、なにか私は反旗を翻すと言うんですかね、そういう習性がありまして、先生のアドバイスに反しまして、京都市立中学校の教師ということになりました。何を教えていたかと言いますと、英語を教えておりまして、歴史を学んだのに、何で英語かと、こういうことになろうかと思いますが、実はその頃は英語の先生少なかったですね。大分昔以前の話ですから、二十八年間英語の教師をして、それで終えるつもりでおったんですが、定年まで。ところがですね、私の妻も、実は大阪のお寺の生まれでありまして、その父親が寺の住職で、龍谷大学で教えてもおったのでありますがね、これが急逝しまして、急に亡くなりましてですね、後なんとかならないかという相談がございまして、実は五十三歳で退職しました。ちょうど平成元年でありましたがね。それで得度(とくど)しまして、普通得度と言いましたら、もっと小さい時と言いますか、若い時にやるのが通例なんでしょうが、そのつもりがありませんでしたから、五十三歳で得度をしまして、それで平成元年ですが僧侶になりました。実は大学で習いました二葉憲香(ふたばけんこう)(京都女子大学元学園長。龍谷大学名誉教授・元学長.専攻は仏教史学(日本古代仏教史):1916-1995)先生の教えは、私はこれ非常に大事なところを学んだと思って、私、今もその先生のおっしゃったことを伝えていこうという思いでおるんでありますが、二葉憲香(ふたばけんこう)という先生ですね―龍谷大学の学長とか、京都女子大学の学園長などをなさった私の恩師でございますが、簡単に言いましたら、二葉先生の教えは、日本の仏教史と言いますか、歴史を紐解くと、「仏教にも本物と偽物がある」と、こういうことでございました。私も勉強してですね、まあその通りやなという思いがございました。それで折角こういう立場になったらですね、その本物の仏教というものをやっぱり説いていかないと、という思いでおりました。そこで本日のテーマは、「自然の慈悲に目覚める」と、こういうことでございますが、それに則りまして、私は先ず「土徳(どとく)」ということを最初にお話さして貰おうかと思うんですがね。この「土徳」という言葉は、大きな辞書を引きましても載っておりません。「土の徳」ですね。しかし私は、今この言葉が非常に大事な言葉だということで、あちこちで話をさして貰っておるんですがね。みなさんもご存知だと思いますが、版画家で棟方志功(むなかたしこう)(板画家。20世紀の美術を代表する世界的巨匠の一人。1942年(昭和17年)以降、彼は版画を「板画」と称し、木版の特徴を生かした作品を一貫して作り続けた:1903-1975)という方がお出でになりましたわね。この方が戦争中、私の故郷の富山へ疎開をしていました。砺波(となみ)平野というのが、富山の私の故郷にあります。まあ広い、だだっ広いとこですがね、一面田圃があるというようなとこですが、そこの一角に疎開しておりました。実は私の母親の里の寺もそこにございましてね―今もございますがね―私の甥が住職をして、母親の弟がもう九十歳過ぎて健在でございますがね―この棟方志功は、時々その寺―私の母親の故郷の寺へ訪れておりましてね。実はそのお婆ちゃんと母親の母親ですね、お婆ちゃんと親交がございましてね、よく来ていて、お寺でも絵を描いたりしておったようです。現在も本堂にですね「二河白道(にがびやくどう)の図」という大きなお浄土へ向かう様を描いた大きな絵が掲げられておりますがね、美術の本にも載ったりしておりますが、まあそういうようなご縁が、棟方志功と私の祖母の寺とあったわけですが、この棟方志功をめぐって芸術家ですが、河井寛次郎(かわいかんじろう)とか濱田庄司(はまだしようじ)とか、それから柳宗悦(やなぎむねよし)ですが、この民芸運動なんかを志している芸術家がたまたま訪れていたようです。そして棟方志功は、そこの北陸の地に脈々と伝わっている念仏の教えに触れて、そしてこの作風が非常に変化して、伸び伸びとしたものになった、ということを志功自身も書き残しておりますがね。その様をいろいろ見たり聞いたりして、柳宗悦が、「土徳」という言葉を作ったんですね。そういう風土の力というんですかな、そういう大きな力が脈々と続いて働いているということですね。実は私の寺も、砺波平野からそんなに遠くないところにあるんですがね。実は私の小さい時の思いを言いますと、こういう言葉がございました。私のところでは「初物(はつもの)はお寺へ」という、そういう風習がございました。周囲は私のとこの門徒さんなんかみんな農家がほとんどです。自分のところで作った野菜とか、お米とか、あるいは果物とか、初めて採れたものはお寺へ持って行くと。「初物はお寺へ」。で、「仏さんにお供えしてください」ということで持って見えるんですね。これはやっぱり「土徳」という、「土徳」の具体的な姿なんでしょうね。一生懸命に自分が働いて作ったんですけれども、「土から頂いたものだ。仏さんから頂いたもんだ」と、こういう思いなんでしょう。だから私の母親も、ともかく何であろうと頂いた物は必ず仏さんに供えるという、この風習はしっかりしていましたね。私ら子ども心にそれがもどかしく、すぐ欲しい食べるものでしたらね。だから本堂へ走って行ってですね、そして手を合わせて「頂きます」と言って、仏さんの前から貰ってきて食べた、という思いがございますがね。すべてはそういう仏さんからの頂きものだと、「土徳」というね。私は今こそこの「土徳」という言葉の大切さを思うんですね。これが見えないんです、この現代社会は。今、本当の値打ちが見えないというたらいいんでしょうかね。それはスーパーへ行ったり、市場へ行けば綺麗なものが並んでいますわね。大根や人参にしても、もう形が調うた立派なものが並んでいますね。しかしこれが「土の恵み―土徳なんだ」という思いを持つ人が、果たしてあるんでしょうか。みんな値打ちはお金なんでしょう。お金の値打ちなんです。しかしなんぼお金があっても、土が生み出してくれなかったら手に入らないんですね。「私のいのち」と、こういうておりますが、みんな土が生み出してくれたお米にしろ、麦にしろ、野菜にしろ、果物にしろ、それを頂いて「私」とこういうているんでしょう。「私のいのち」。だから日本の古い風習で「頂きます」というのは脈々と続いていますね。「頂きます」というのは、「いのちを頂きます」というんでしょう。だから本当の値打ちというものが、「頂きます」の中にあるんでしょうね。ところがそれが見えなくなっているんですね。お金の値打ちに変わる。しかもどうですかね、先ほど言いましたが、もう綺麗に並んでいる規格品ばっかりでしょう。なんか企画に外れた曲がったような人参とかキュウリとか、なんか捨てられてしまうそうですね。企画品ばっかりなんですよ。本当の値打ちは見えていないんでしょう。曲がったものにも値打ちがあるでしょう、同じ味わいがあればですね。だからこれは野菜とかそういうものだけでなくて、今は人間にも及んでいるんですね。企画品ばっかり。点数が高いであるとか―私も長い間教育の場にいましたからね。そういうものを何かの企画で測って、そしてそれに合わないものは捨ててしまうという。本物の値打ちを失っておるんですね。仏教で、お経がございますが、お経の中に『阿弥陀経(あみだきよう)』というお経がございます。前半は、お浄土とはどういうところかという絵が描かれておるんですね。その中に大きな池があって、蓮の花が車輪のような、大きな蓮の花があって、それを形容して、「青色青光(しようしきしようこう)黄色黄光(おうしきおうこう)赤色赤光(しやくしきしやつこう)白色白光(びやくしきびやつこう)」こういうふうに描かれておりますね。青い色が青い光を、黄色い色が黄色く輝いている。赤いのは赤く輝いている。まあ当たり前なんでしょうね。それぞれの色がそれぞれに輝いていると。これがしかし仏教―お浄土の世界。先ほども言いましたように、規格品だけで測って、自分の色に染めようとだけ躍起になって苦しんでいるんでしょうね、人間は。欲の色なんです。人間が染めようとしているのは、欲の色に染めようとしてですね、そして自分で苦しんでいるんですね。私は、この『阿弥陀経』の「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」というこういうことが、「教育では要である」と、こういうふうに思っているんですね。子どもはそれぞれの色を持っておるんですね。それぞれの色、それはよく勉強できる子もおれば、勉強はできないが、掃除をさせたら隅々まで綺麗にするとか、優しい子であるとか、人の面倒を見る子であるとか、それぞれに輝いている筈なんですよ。ところが、それを見ようとしない。自分の色、点数の色で染めようとするんですね。そこに一番の問題があるんでしょうね。そういうことを、特に長い間学校にいましたので感じております。この「土徳」ということ、「土の恵み」というものは、仏教で「自然(じねん)」―「自ずからの働き、自ずからの働きが生み出してくれるんだ」と思いますですね。私とこのビルが連立しているような、今、新大阪の近くに私の寺がございますが、私のとこの今お寺の前に大きなビルが建っております。実は私が、その寺へ―今の家内の寺ですが―入寺しましたのは、平成元年です。ちょうどバブルの時でしたね。今、そのビルが建っているとこは、大きな屋敷で、ごっつい樹木に覆われ屋敷でした。私のとこの檀家さんやったらしくて―私はその頃は事情はよく知りませんですが―姉さんと弟さんでしたかね―大分年老いた姉弟(きようだい)で住んではりましたがね。まあ驚きましたね。その屋敷が一晩で無くなったんですね。朝起きて見たら―何か夜ぐらいから音がするなということはあったんですが―朝起きて見たら、何にもないんです、樹木も建物も。まあこれには驚きましたね。凄いもんですね。機械の力、人間が作り出した力、凄いもんですな。しかしこれがそこにあった樹木の命ですね、そしてそのいろんなものを土が生み出すその土の働きですね。先ほどから「土が生み出す」と。いろいろ土が生み出すのも、土の中にいろんないのちがあるんでしょうね。それこそ目には見えないけれども、微生物もあるとか、細菌もありますとかね、ミミズがいるとか、いろんないのちの複合体があって、そしていのちを生み出す。こういうことなんでしょう。だからそういういのちを根こそぎそれこそ削り取ってしまって、そして立派なビル―人間の象徴的なもんですね。まあしかしこれは大変なことなんでしょうね。豊かで便利になったこの人間社会。しかしこれは一面危ない。豊かで便利というのは危なさを伴っていますね。下手すると、人類がだんだん破滅していく方向ではなかろうか、という思いに駆られることがあります。だから今こそ「自ずからの働きに手を合わす」。これが「自然(じねん)」―「自然(じねん)の慈悲」という。「自ずから頂いているこの働きに手を合わせていく」こういうことであろうかと思いますですね。親鸞聖人に、「正真偈(しようしんげ)」という七言の言葉で百二十個の文言がございますが、その中に、
 
憶念(おくねん)弥陀仏(みだぶつ)本願(ほんがん) 自然(じねん)即時(そくじ)入必定(にゆうひつじよう)(弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即のとき必定に入る)
 
という文言がございます。私はこれが仏教の鏡だとこういうふうに思っておるんですが、「憶念(おくねん)弥陀仏(みだぶつ)本願(ほんがん) 自然(じねん)即時(そくじ)入必定(にゆうひつじよう)」これ中学生にわかるように言いますならば、「憶念弥陀仏本願」阿弥陀仏の本当の願いを、「憶念」というのは、よくよく考えてみると、慮ってみると、「自然(じねん)即時(そくじ)入必定(にゆうひつじよう)」―「自然(じねん)」自ずから然らしめることが、「即時」というのは、そのままの時ですね。自ずからの働き、そのままの時、もう一つ言い換えるなら、「そのまま」というのは、形でいうと「手を合わす、合掌する」んですね。自ずからの働きに合掌の時に、「入必定」というのは、「悟りに入る」ということです。「真実に目覚める」ということです。だから「阿弥陀仏の本当の願いというのは、自ずからの働きに、手を合わして生きることなんですよ」とこういう。この「自然(じねん)」ということは、非常に私は「仏教の要だ」と、こういうふうに思っています。ちょっと驚いたことがありますのは、私が、得度しました時―得度というのは十日間ほど合宿しまして、一緒に修行するわけですがね。そこで北海道の方と同じ部屋でですね、老年配ぐらいの仲良くなりまして、得度が終わった後ですね、北海道のお寺へ報恩講(ほうおんこう)という集いに話に来てくれないかというので、一回行かしてもらったことがあります。それでお話さしてもらって帰りですね、千歳空港から飛行機で帰るんですが、その千歳空港のすぐ近くに「千歳サケのふるさと館」というのがございました。そこへ時間があったので、ちょっと見に行ったんですね。ここで大変驚きことがあるんです。鮭と言いますのは、みなさんご存知かと思います。これも驚きと言えば驚きなんですが、川で産卵をしまして、それが海へ行くんですね。そして四、五年経ったらその川へ戻って来て、また産卵するんですね。こういう習性があるんですね。これもまあ不思議ですがね。それでその産卵に戻って来る鮭の雌の鮭は卵を産みますね。産んだら全部母親は死滅するんだそうです。亡くなっていく。これが鮭ですね。そして卵を産みますね。で、孵化しますね。その孵化したものを、私は見せてもらって、話も聞いたんですが、針金ぐらいの形の鮭があるんです、細いね。その下に大きな袋が付いているんですよ。そしてまだその大きな袋が付いて泳ぐこともできないです。それで一ヶ月近く―その袋は何かと言いますと、母親から頂いた栄養なんですね―その栄養の塊です、袋が。その中の栄養を頂いて大きくなっていって、一ヶ月ほどすると自分で泳ぎ出す、こういうことなんです。私はそれを見た時に、まさに驚いて、「いや、これこそお袋さんだな」とこう思いましたね。母親のことを「お袋さん」と言いますがね。これがまさに「お袋さんだ」と。母親はいないんですよ、鮭には。一匹の母はいないんです。その代わりにお袋を頂いているんですね。これが鮭というものの自然(じねん)ですね。鮭の自ずから頂いた姿の鮭なんですね。私のとこには、猫が好きで、猫を今も二匹、猫を欠かさず同居しているんですが、猫なんかはどうですかね。猫とか犬とか産まれると、ヒョロヒョロと立ち上がりますよ。立ち上がって母親のおっぱいを吸いに行きます。これが猫の自然(じねん)なんですね。そういう自ずからの働きを頂いているんですね。さてそこで人間に至るとどうなんでしょうか。ここが私は大事なとこ。人間は母が産みおとしますね。立ち上がれませんわね。ヒョロヒョロと立ち上がれませんでしょう。袋も頂いていませんね。どれぐらい立ち上がれませんか。一年間は立ち上がれませんわね。誕生ぐらいで漸くヒョロヒョロでしょう、立ち上がるのは。そういうことになると、人間というものは、母親が抱いて育てる。これが人間というものの自然(じねん)なんですね。母親が抱いて育てる。抱いておっぱいを与えて、立ち上がるには一年かかるんですからね。だから一年間は抱いて育てる。これが人間が人間となるということの一番の大事なとこなんと違いますかね。私はこのことも強調しておきたいんですね。今、本当に母が抱いて育てるでしょうか。なんか「赤ちゃんポスト」とかいうのが作られたということが話題になったことがありますがね。それでは人間は人間になれませんよね。これが大変大事な自然(じねん)という働きなんですね。それから続いて封印して言いますと、みなさん私は英語を学校で教えておりましたが、なんぼよく勉強できる子でも、三年間勉強して英語が自由に使えませんよ。話せませんよ、聞けませんよ、なかなか。教えている私もそうなんですがね。ところがどうですかね。この日本語―私が今喋っている言葉―自由に使っておりますね。これはどうなんですかね。私は昔の人は素晴らしい知恵をいろいろ教えている。「三つ子の魂百まで」という言葉がございますが、これは凄い人間の自然(じねん)だと思っている。自ずからなる働き。何故かと言いますと、私も孫がちょうど似たような年齢でおりますが、本当に可愛いんですね。三つ子ぐらいの時が可愛いんですよ。だから見たら自分の孫や子でなくとも、声を掛けずにおれないというのが自然(じねん)なんですね。声を掛けずにおれないんです。だから声を掛けるんですね。そうしたらそれに応えて、それこそ赤ちゃん言葉でいうんですね。私の今の孫は猫見たら、ニャンニャンと鳴いた時、「ニャンニャンニャンニャン」と、それが身に付いてくるんでしょう。この三つ子の魂というものは自然(じねん)でしょうね。自ずからそうなっている働きなんですね。それで言葉が身に付いたんでしょう。大変なことなんですね。こういう働きに手を合わせて生きていくということが自然(じねん)。「自然(じねん)を生きる」ということなんでしょうね。これが「仏さんの願い」なんですね。仏教というのは、私の願いを聞いて貰うんじゃないですね。本物の仏教は、「仏さんの願いに生きる」んです。「仏さんの願いを生きる」んですね。「仏さんの願いを生きよ」と、これが本物の仏教なんですね。仏教というものは、当たり前のことに不思量で、日常の当たり前と思っていることが大変なことなんです。「有り難うございます≠ニ手を合わす世界である」と、こういうふうに言って良かろうかというふうに思います。
 
     これは、平成二十一年十月十八日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである