信心の花―妙好人の教えるもの
 
                  萬福寺住職 佐々木(ささき)  正(ただし)
一九四五年、大分県臼杵市生まれ。千葉大学卒業後、公務員生活を経て、現在長野県塩尻市萬福寺住職。
                  き き て 金 光  寿 郎
 
ナレーター:  篤信(とくしん)の念仏者のことを「妙好人(みようこうにん)」と言いますが、妙好人はまた「信心の花」とも言われます。今日はその妙好人の言葉と行いをめぐって、長野県塩尻市(しおじりし)の萬福寺(まんぷくじ)住職佐々木正さんにお話頂きます。聞き手は金光寿郎ディレクターです。
 

 
金光:  今日は、佐々木さんが最近妙好人についてのご本をお出しになりましたが、篤信の念仏者のことを「妙好人」という言葉でいうそうですけれども、いわば信心の花開いた形を現実の生活に現していらっしゃるような方だと思うんですが、佐々木さんが妙好人について纏めてみようと思われたのは、どういうところからでございますか?
 
佐々木:  はい。私は、これまで妙好人についてまったく関心がなかったんです。それで私たちの真宗の大谷派東本願寺ですけれども、その中でも妙好人を語る方がいなかったということもあって、私も真宗大谷派の僧侶になっていますから、なんか妙好人に関心を持たないままこれまでやってきたんですね。でも十数年前、たまたま柳宗悦(やなぎむねよし)さんの『柳宗悦妙好人論集』という本があります。これをたまたま読んだんですね。そうしたら妙好人という人に改めて出会ったというようなことで急に関心が出てきまして、その後梯実円(かけはしじつえん)という方の『妙好人のことば』という本を読みまして、その魅力に取り憑かれたというようなことで、で、その後妙好人の本を京都の仏教書店に行って買い漁ったというようなことで、それで妙好人に心を鷲掴みにされたみたいなことで、特に柳宗悦さんが纏められている『妙好人―因幡(いなば)の源左(げんざ)』という本があります。これを読んで、もう妙好人のいろんな人たちを知ってみたいということで本を読みました。また最近はその故郷を訪ねて、いろいろ妙好人のことを足で確かめるということをして、これは是非本にしてみたいということで、今回このような本『妙好人の真実―法然、親鸞“信”の系譜』を纏めて出版したと、そういうことなんですね。
 
金光:  念仏、あるいは仏教の深い信心の方というのは、ある意味では現実離れしているように受け取る方もお出でかも知れませんけれども、実は今度佐々木さんの本を拝見しまして、例えば物種吉兵衛(ものだねきちべえ)(大阪府堺の農家の生まれ:1803-1880)という方が、奥さんが「病気に(中風)になって、二百日のあいだ、寝床に床していた。その間、吉兵衛は少しのあいだも離れずに介抱した。仲間が見舞いにいって「長々の病人で、さだめてお疲れでしょう」と声をかけると、「儂は疲れということを知らぬのや、このムツキ(おしめ)いっぺんいっぺん、しはじめのしおさめや。もういっぺん、しなおしということはないのや」と言われた。要するに「その時その時が常に新しい」と。現在介護の問題が随分問題として取り上げていますけれども、もしも吉兵衛さんのように、一回一回が「しはじめのしおさめや」ということでできると、随分受け取り方が違うんじゃないかと思って、これは現代でもいきなりそこにはいけないにしても、参考になる生き方が、妙好人の生き方の中にはあるなという気がして、今日少しお話を聞かせて頂こうと思ってお邪魔したんですが。
 
佐々木:  わかりました。先ず私、ビックリしたのは、源左(げんざ)(浄土真宗の教えを日常に体現した妙好人の一人とされ、鳥取県(因幡国)青谷町(現在は鳥取市に編入)に在住した農民である:1842-1930)さんのエピソードなんですね。これはこの本の冒頭でも紹介していますけども、源左さんはちょうど鳥取県と島根県の境辺り因幡国(いなばのくに)の生まれですけども、多分明治頃だろうと思います。住職と二人で本山のお参りに行った。本山寺は西本願寺だったみたいですね。それで京都駅で降りて、人力車に乗って行った。住職の人力車の車夫は若者、源左さんの人力車の車夫は老人だったんですね。それでよーいドンで行きますと、当然のことながら若者が引く人力車はどんどん先へ行く。で、源左さんの人力車は老人ですからだんだん遅れていく。そうしたら源左さんは、車を止めさして、「くたびれたのだから、あんたが乗りなされ」と声をかけるや、老人を車に乗せて、住職のあとを追った。それを目にして住職は仰天、「金を払っているのに何をする」とその老人の車夫を叱ったという。このエピソードなんかもほんとに好きで、源左さんは自他の区別、近代のいわゆる近代的自我というものをまったく持たないで、それ以上に何か相手のことを自分のこととして考えていくという、これは源左さんの言葉で好きなんですけれども、
 
我が身が大事なら、人さんを大事にせえよ
 
と、こういう言葉があるんですよ。これはやっぱり源左さんの行動の一番根本にある規範というか、横にみんな同じと思いますけども、「自分が大事だったら、人さんを大切にせよ」と。これはなにか妙好人の人たちの一つの生活の一番根本にある受け止め方ではなかろうかと思っています。
 
金光:  私も昔から妙好人の方の生き方というのは、真似はできないにしても、こういう生き方ができればいいなと思って多少関心を持っていたんですけれども、源左さんの場合も、例えば村の人たちがみんなで一緒に仕事をするようなことがあったようですけれども、その時に若い人に向かって、「若い人はのんびりしなさい。私は先が短いけん一生懸命やろう」と言われた。年寄りの源左さんがそう言われたというところなんかビックリしたことがあるんですけれども。
 
佐々木:  他者に対する慈愛の心、これは源左さんの一番の―いろんな妙好人の方おられますけれども―源左さんにおいて一番特徴的なことではないかと思うんですね。もう一つ私が好きなエピソードは、源左さんは農家だったわけですけれども、たまたま歩いていると、
 
若い女が田の草を取っている。かたわらで乳飲み子が激しく泣いている。それを見た源左は「早く乳を飲ませて帰ったらどうか」と声をかける。女は「ここだけはとらないと、明日にさしつかえる」とこたえると、源左は「よしよし、それじゃ、俺がかわりに取ってやるから、あんたは乳を飲ませて帰りなはれ」というや、田の草を取りはじめた。遅くなって家人が心配して探しに来ると、源左は一生懸命、田の草を取っている。「爺さん、他人の田の草まで取らんでいいがや」と言うと、源左は「そげえに気の小さいことを言わんでもいい、仏さんの心の中には、おらげの他人げのの区別はないだけのう」とこたえた。
 
こういうことを言ったという。これも私大好きだなエピソードですね。
 
金光:  ただ難しい言葉でいうと、「自他不二(じたふに)」になって、いまそういうことを現実の生活でさりげなく実行に移されているということでございますね。
 
佐々木:  そういうことですね。まあいろいろ言葉としては、宗教家、仏教者、お坊さんもそういうことを言います。けども、それが具体的に生活の中で証しされているというところに感銘・感動を覚えるんですね。ほんとに源左さんは無学文盲、まったく文字も知らない、学問したこともない。けれども、そういう人にお念仏の信心の生活が具体的に証しされる。そこが私は素晴らしいと思うんですね。なんか勉強した人、学者がいろいろ言ったりする。それはそれでいいんでしょうけども、それがほんとに生活の中で証しされる、これが妙好人の人たちの素晴らしいとこだと思うんですね。
 
金光:  そういう面と同時に、私なんかとても真似ができないと思うんですけれども、非常に大事なことのように思えるのが、例えば因幡の源左さんでは、
 
誰が悪いの彼が悪いのちゅうても、この源左ほど悪い奴はないでのう。
 
と。そんな悪いことをするような人じゃないと思えるのに、「俺が一番(いつち)悪いで」という、これはみなさん「凡夫だ」とか、「悪人だ」とかおっしゃるけれども、この辺の消息というのは、どういうふうに受け取ればいいんでしょうか?
 
佐々木:  「自分ほど悪い人間はない」と言っています。それだけで終わるならば、卑下や謙譲の言葉と変わりません。しかしその言葉のあとに「悪い源左を一番に助ける」から「他の者が助からないわけがない」という世界を導き出しているのです。おっしゃる通り妙好人の方みんな「凡夫の自覚」を持っておられる。これはまったく妙好人に共通した思いなんですね。私も、妙好人の人たちの「悪人の自覚」と言いますか、それは一体どういうことなんだろうということで、この本を書く以前に気付いたことがあるんですね。それはやはり法然上人の教えと繋がっているんです。法然上人は、あの頃「智慧第一の法然房(ほうねんぼう)」ということで大変な知恵の勝れたお坊さんだったわけですけども、この法然上人は「専修(せんじゆ)念仏」、お念仏の教えを明らかにし、そしてそれを受け継いだのが親鸞聖人と言っていいと思うんです。法然上人は、途中から「愚痴の法然房」「十悪の法然房」とこういうことをご自身でおっしゃったんですね。親鸞聖人は、それを受け継いで「愚禿(ぐとく)」愚かな―「禿」というのは、これは「凡夫の自覚」と、こう言っていいと思いますけれども、何故このように法然上人が「愚痴の法然房」「十悪の法然房」とこう言ったかというと、一番底辺の人と同じ場所に立つということなんですね。当時「智慧第一の法然房」とこう言われた時、当時東北の武士・熊谷直実(くまがいなざね)(平安時代末期から鎌倉時代初期の武将)初めいろんな御家人が法然上人の弟子になっています。特に熊谷直実・津戸三郎(つのとのさぶろう)(源頼朝の御家人:1163−1243)という有名な御家人が弟子になっておりますけれども、そういう人たちが、鎌倉で、念仏の教えに頷いて、鎌倉から帰ったら、「熊谷や津戸は、無智の者だから、法然上人は誰でもできる劣った行である念仏を教えたのだ。智恵や学問があれば、もっとすぐれた方法を教えたに違えない」こういう流言と言いますか、噂が流れて、それを聞いて津戸三郎は驚惑(きようわく)したんですね、驚いた。法然上人は、「念仏一つで助かると、こうおっしゃったのに、やっぱり愚かな私たちには劣った行である念仏しか教えてくれなかったんじゃないか」と、そういう疑念を持った。それを法然上人にお手紙で尋ねる。法然上人はそれを見て驚惑したんですね。自分のお念仏の語り方に問題があった。これだけでは足りなかった。自分が愚かなもの、愚痴のものに下り立って、そこで語ることによって、一切の人にそのお念仏の教えが伝わるんだと。こうその時に気付いたんですね。それで「愚痴の法然房」「十悪の法然房」とこうおっしゃった。それがズーッと妙好人さんたちは受け継いでいるんですね。ですから因幡の源左さんもそうです。「自分より悪いものはいない。だから一切の人は助かるんだ」と、こういう言葉があるんですよ。その一番の総決算の言葉が、私は、最期八十歳で亡くなる三日前ですね、一番身の周りをする源智(げんち)(鎌倉時代前期の浄土宗の僧。長く法然に近侍し、法然の臨終の際には『一枚起請文』を授けられた。1234年(文暦元年)知恩院を再興する一方で、百万遍知恩寺の基礎を築いた:1183-1239)という弟子がおりました。この源智に書き与えた最後の法語が有名な「一枚起請文(いちまいきしようもん)」です。これを読むと、ほんとに法然上人の総決算、結論ですね。最後の言葉をちょっと読みます。
 
念仏を信ぜん人は、たとい一代の法を能(よ)く能く学すとも、一文不知(いちもんふち)の愚どん(鈍)の身になして、尼入道(あまにゆうどう)の無ち(智)のともがらに同(おなじく)して、ちしゃ(智者)のふるまいをせずして、只(ただ)(いつ)こう(向)に念仏すべし。
 
これが私は、法然上人の八十年の生涯の総決算、結論だろうと思うんですね。もう法然上人ぐらい智恵と学問に抜きん出た一流の学僧はいないわけですね。『一切経』を五回読んだとも言われている智慧第一の法然房が、「一文不知(いちもんふち)の愚どん(鈍)の身になって、そして尼入道の無智のともがら、もう何も知らない知恵、学問もないそういう人々と同じ場所に立って、智者のふるまい―智慧あるものの振る舞いをしないで、ただ一向に念仏すべし」。これが私は法然上人の総決算、結論だろうと。それを受け継いで親鸞聖人も「愚禿(ぐとく)」という号を名付けられたと、こういうふうにいうことができると思います。
 
金光:  妙好人の人たちは、まさにその法然上人がおっしゃったことを日々実践していらっしゃったと。
 
佐々木:  そういうことですね。それは法然上人のことを、この本の中にちょっと紹介していまけども、法然上人の伝記の一番最後に空阿(くうあ)(平安時代後期から鎌倉時代前期にかけての僧。法然に弟子入りして専修念仏に励むようになったとされる。修行生活に関しては清貧な態度を貫き、経典も読まずにひたすら称名念仏するのみであった。また、極楽の「七重宝樹の風の響き」や「八功徳池の波の音」を想像させるとして風鈴の音を愛していたことも有名で、あちこちの道場で人々から尊敬されていた:1155-1228)という弟子のことを書いています。空阿弥陀仏(くうあみだぶつ)(空阿ともいう)ですけども、この空阿はまったく学問もない、知恵もない。だけど念仏を京の町で唱えて、そして人々から有り難がられたというような人ですね。で、法然上人はその空阿を取り上げて、常々の言葉として、伝記に出ていますけども、
 
上人のつねの仰(おおせ)には「源空は智徳をもって人を化する、なお不足なり。法性寺の空阿弥陀仏は、愚痴なれども、念仏の大先達としてあまねく化導ひろし。我もし人身をうけば、大愚痴の身となり、念仏勤行の人たらむ」と仰せられける。
 
これが法然上人の、私は、この「一枚起請文」の言葉が空阿を引き合いに出して、ご自身をこのようにおっしゃっていると、こう受け止めています。だからこの言葉はほんとにあまり知られていないんですね。だけども、次に生まれ変わったら空阿のような第一愚痴の人になりたい。これが法然上人の最期の願いではなかったかと、こう思っています。源左さんにこういう言葉があります。
 
誰が悪い彼が悪いのちゅうても、この源左ほど悪い奴はないでのう。
その源左を一番に助けると仰しゃるで、他の者が助からんはずがないだがやぁ、有り難いのう。
 
素晴らしい言葉なんですね。これ自分が、「悪人の自覚」自分が一番悪いと。悪いという自覚から「他の者が助からんはずがないだがやぁ、有り難いのう」。こういう世界を導いているんですね。これは単なる「悪人の自覚」自分が悪人だ、凡夫だ、という自覚だけではないんですね。その自覚によって、一切の人々は助かるという世界を開いていると。これはとっても私はこの源左さんの言葉で感銘を受けたとこですね。また他の妙好人の方にも同じ言葉があったんですね。これは讃岐の庄松(しようま)さんというこの方も有名な妙好人ですね。この庄松さんのエピソードで、私非常に好きなのは、この人もやっぱり無学文盲です。それで妙好人と言われるような篤信の念仏者になっていった。
 
その時に、ある僧侶がちょっとからかい半分に庄松さんに聞いた。『浄土三部経』という一番大事なお経を示して、「このお経さんに何が書いているか、お前知っているか。言ってみろ」とこう言ったというんですね。その庄松さんの言葉が素晴らしい。「庄松を助けるぞよ、庄松をたすけるぞよとかいてある」といったそうです。
 
こう言ったというんですね。これはほんとに妙好人が何たるかということを、この庄松さんの言葉は示しているように思うんですね。それで庄松さんも、こういう言葉を述べているんですね。これは庄松さんの語録に出ているんですけども、
 
庄松に向かって曰く「隣村の鉄造は罪を犯して牢屋へ行き、終に牢死したのじゃが、今は何処へ行ったであろう、あんなものでもお浄土へ参られようか」
庄松答に「参れる参れる、おらさへ参れる」と云われた
 
これは鉄造というこの男は大分極悪人ではあったんだろうと思うんですね。牢屋に入って牢獄で死んだと。ああいう者は、まさか浄土へいけないだろうと。こういう思いで、村人は聞いたわけですね。そうしたら庄松さんは、「参れる参れる、おらさへ参れる」こう言ったというんですね。これはやっぱり素晴らしい。先ほど紹介した源左さんの言葉とまったく同一だったんですね。悪人の自覚、どんな極悪人でも浄土へ参れる。この私が参れるからだと。この私というのは、その極悪人よりも悪人である、という自覚の中で言われているんですね。だから「悪人」とか、「凡夫の自覚」というのは、これまでは単に何か自己反省的な言葉として語られてきたというようなことがありますけども、これは悪人の自覚をすることで、一切衆生は助かる世界を開いていると。それを妙好人たちは、生活の中でそのことを確かめ味わい、そうしてこのような言葉を残してくれている。これは私はほんとに素晴らしい。もう妙好人たちが、特に文字を書けた人もいますけど、私はやっぱり源左さんとか、この讃岐の庄松さんもそうです。無学文盲、まったくもう文字も知らない。まして学問なんかしたことがない。そういう人の言葉として語られたところに妙好人の素晴らしさ、これは学問した人以上に私は素晴らしいと、こういうふうに受け止めております。
 
金光:  これは、どなたの言葉だったか―浅原才市(あさはらさいち)さんの言葉だったかと思うんですが、
 
少しでもいいことを自分がしているんだったら迷うだろうけれども、ちっともいいことがないから、迷いがないんだよ。
 
これは偉い言葉だと思うんですけども、やっぱり愚痴とか、そういう自分のやっていることを見ると、決して人様に勧められるような思いは、頭の中に、心の中にはない、こんな人間を、という。そこのところに足がついている、目がついているので、「いいことがない」という言葉が出てくるということなのかと思っているんですけども、そんな感じでよろしいでしょうかね。
 
佐々木:  やはり一番仏教で、特に浄土真宗の教えで大事なことは、「自力をも超える」ということなんですね。「自力の心」というのは、やはり自分に自信があったり、他人よりも評価が上であったりという、そういうことがあると、どうしても自分に変な自信を持ったり、自分の自力に頼ったりとする、そういうことが出てくる。だけども、徹底して、自力が持てない境遇にあることによって、他力のお念仏が味わえると。まあこういうことでそのような今おっしゃったような言葉が語られたんだろうと思うんですね。だからまあお金があったり、学問があったり、人よりも何か凌げるようなものを持つことによって、このお念仏の教えの味わいが失われていくと。何にもない、もう徹底して何も持たないことによって、ますます他力のお念仏の教えが味わわれると、そういう世界を語った言葉じゃないかと、そういうふうにも思っています。
 
金光:  私、今度また読み返してご本を拝見しているうちに、どなただったか、
 
おらにや苦があって苦がないだけのう
 
というこういう言葉があるんで、あれっ!と思ったのは、実は鈴木大拙(すずきだいせつ)(仏教哲学者・文学博士。禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広くしらしめた:1870-1966)さんに、私、九十歳過ぎぐらいの時に、やっぱりお話を伺いに行きまして、その録音が終わった後で、「先生は、困ることはおありでしょうか」と聞いたんです。そうしましたら、「ウ〜ン、わしも困ることはないわけじゃないけれども、困らんところで困っているか」ということをおっしゃったんですね。だから「苦はあるけど、苦があって、苦がない」みたいな同じようなことをおっしゃったのかなと思ったんですが。
 
佐々木:  なるほど。そうですね。多分その「苦があって、苦がない」というのは、源左さんの言葉じゃないかと思います。
 
金光:  源左さんの場合ですと、親様のお力によって、ご恩によって生かされているということになってくると、苦の受け取り方が違ってくることになる。
 
佐々木:  そうですね。それは一つですね、妙好人の人たちは、みんな「浄土往生(じようどおうじよう)、極楽往生(ごくらくおうじよう)」をまったく疑っていない。そこがやっぱり一つそういう問題と繋がっているんじゃないかと思いますね。どのような人を見ても、私一番的確な言葉は、物種吉兵衛さんだと思うんです。他の人たちもみんなそうですけども、物種吉兵衛さんは、
 
本願一実の大道に通入せんと願うべし。お浄土参りの道中や。お浄土参りの道中をするので参れるのや。伊勢参りするのは伊勢道中、京参りするのは京道中。その道中せずにそこへ行こうと思うのは無理や」と申された。
 
「今、浄土往生の道中」と言うんですよ。「道中」というのは、もう目的地に今行っている。その行っている道中にいるということが、もう救われた証明と。妙好人の方みんな、もう今目的地に向かっていること、そのことが「救われている、助かっている」という自覚に繋がっている。ここに私は一つ、妙好人の人たちから学ぶべきことがあるんではなかろうかと思うんですね。だから私たちは、目的地に着くか着かないかが問題で、「道中」というふうに受け止めないで、一生懸命行(ぎよう)をしたりなんかしたりして、そして悟りを開くとか、そういうふうに結果というものを手に入れるか入れないかという、そこだけに関心が集中しますけど、「もう今、その道中である」というとこに喜びを感じている。その問題と今のおっしゃられたことと繋がっているんじゃないかという気もするんですね。
 
金光:  これ佐々木さんがお考えになった言葉じゃないかと思うんですが、その辺の消息を、「現在進行完了形」でしたかね、いい言葉だなと思ったんですが、そういう感じになるんでしょうか。
 
佐々木:  そうなんです。ですから私は、どう言葉にしたらいいかということで、思い付いたのが、この本に書きましたけど、「現在進行完了形」と。これが一番その妙好人の人たちのその往生の自覚ですね、現在において浄土往生できるという自覚が、もうそこで進行していることがもう完了なんですね―ちょっと変な言葉なんですが―「現在進行していることがもう完了形になっておる」と。これがなんか一番言葉として相応しいかなと思ってこの本の中でちょっとそういうふうに言ってみたわけです。まあ私の一番好きな物種吉兵衛さんの言葉ですが、
 
ほんとうに死ぬことがしれたら、毎日勇んで日が送れるのや
 
という吉兵衛さんの言葉じゃないかと、こう思うんですね。
 
金光:  だからそういうところに足場を置いて生きていらっしゃったから、最初にエピソードとして紹介した奥様が寝たきりになられた時に、毎日のおしめの取り替えも「しはじめのしおさめや」と。だから一刻一刻が始であり、終わりである。それを内側から見ると、そういうふうにこの生きていることが受け取れる。
 
佐々木:  そういうことでしょうね。おっしゃる通りだと思います。ほんとに虚心にと言いますか、色眼鏡を持たないで妙好人の人たちのこの言行録読みますと、ほんとに感動を覚える。私はその教義とか、そういうこと以前に「感動を覚えるということが宗教の一番の要(かなめ)」であろうと思うんですね。感動を覚えるところに宗教の真実性がある。だから妙好人の人たちのこういうエピソードは、ほんとにこう生きていて良かったというか、人間って素晴らしいなと、そういうことの感銘・感動が与えられる。そして私は、ほんとに妙好人に心を掴まれたというか、そういう経験の中で今回この本を出したというようなことなんですね。
 
金光:  現在のように科学が発達した時代でも、むしろ科学文化の行く末というのは、かえって混沌としているところがあるようですが、そういう時代でも、こういう妙好人の人たちの生き方というのは、現代の人が生きる上でもう一度反省するというか、その意味をもう一度受け取り直すということにも大きな意味があるような気も致しますが。
 
佐々木:  おっしゃる通りだと思うんです。だから自分がこういうふうになられるか、なれないかというのは、これは二の次なんですね。だからこういう妙好人の人たちがいて、こういう言葉を語ったり、こういう行動をしたり、こういう振る舞いをしたと。それに私たちは、感動すればいいと思うんですよ。それやって自分がそうなれるかなれないか、これは二の次で、それはなれればいいけれど、なれないでもそれはやむを得ないことで、だから私は、そういう一つの宗教の世界、魂というものが、例えば宮沢賢治なんか今でも大変人気がありますけども、宮沢賢治に何でこう感動するかというと、例えば最期の詩と言われる「雨ニモ負ケズ」あの詩もやっぱりあれを読むと感銘を覚える、感動する。で、どこにするかというと、宮沢賢治の最後の詩の言葉ですね、「そういうものにわたしはなりたい」という。「たい」というとこですね。「なった」とか「なれるかどうか」ということを考えること、それより前に先ず「なりたい」という「その願いに私たちは何か感動を覚える」ということだと思うんですね。だから妙好人の人たち、このたくさんいろんな方々の語録・小冊子出ておりますけども、それを読んで「感動する」というこれだけでいいと思うんですね。それをもうこういうふうに自分をなれないと比較して、そして妙好人たちは特別な人たちだ、そういうふうに思う必要は何も私はないと思うんですね。「感銘・感動する」とその一点に尽きると思っております。
 
金光:  どうもありがとうございました。
 
     これは、平成二十七年一月四日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放映されたものである