暮らしの言葉に宿る仏の教え
 
                  明善寺住職 辻 本(つじもと)  敬 順(けいじゆん)
一九三四年、京都市生まれ。龍谷大学大学院修士課程修了。京都女子高校・同中学校教諭、龍谷大学短期大学部兼任講師、龍谷大学文学部講師など歴任。京都・明善寺住職。
 
ナレーター:  今日は、「暮らしの言葉に宿る仏の教え」と題しまして、京都の明善寺(みようぜんじ)住職辻本敬順さんにお話頂きます。日頃私たちが使っている言葉の中には、元を辿れば仏教の専門用語に行き渡るものがたくさんあるのをご存知でしょうか。「挨拶(あいさつ)」とか「我慢(がまん)」とか「縁起(えんぎ)」は、どれも元は仏教で使われる言葉なのです。ところが今、私たちが暮らしの中で使っている仏教の言葉は、仏教本来の意味とは懸け離れた意味で使われているケースが多くあります。辻本さんは、仏教の専門用語が、その意味が変わっても今の暮らしの中でたくさん使われているのは、仏教がそれだけ深く民衆の間に根付いていたからだと考えています。辻本敬順さんに、暮らしの中で使われている仏教の言葉のいくつかを例に、その言葉に宿る仏教の教えについてお話を頂きます。辻本敬順さんは、一九三四年(昭和九年)京都市に生まれ、龍谷大学大学院を修了してから、京都女子高校と中学校の教諭、龍谷短期大学部の兼任講師を経て去年まで龍谷大学文学部の講師を勤めてきました。今回は、暮らしの中で使われている仏教の言葉のいくつかを例に、その言葉に宿る仏教の教えについてお話を頂きます。それでは「暮らしの言葉に宿る仏の教え」京都明善寺住職辻本敬順さんです。
 
辻本:  おはようございます。私は、京都の二条城の前の寺に住んでいます。昔は友禅の職人さんたちがたくさん住んでいたところですが、現在はホテルやマンションやガレージなどが多く、時代によって町並みが変わってきました。さて、只今「おはようございます」とご挨拶を申し上げました。「こんにちは」とか、「こんばんは」とか、この挨拶が仏教の言葉なのです。「挨拶」の「挨(あい)」は「おすこと」。「挨拶」の「拶(さつ)」は「せまること」を言います。禅宗では「一挨一拶(いちあいいつさつ)」と言って、師匠が門下の僧に、または修行僧同士が、あるいは軽く、あるいは強く、言葉や動作でその悟りの深さ浅さを試すことがあります。これが挨拶なのです。そこから転じて優しく応答とか返礼、儀礼や親愛の言葉として使われるようになりました。このように私たちが普段何気なく使っている言葉の中に、仏教語がたくさん使われているのです。しかし町並みが時代と共に変化してきたように、私たちの暮らしも時代と共に変化しています。仏教語も随分変化します。今日は、日常使っている仏教語のいくつかを紹介し、元の意味を辿りながらお話を進めたいと思います。私は、昭和三十四年に京都女子高等学校兼中学校の宗教科の教員として赴任しました。もう五十年も昔のことになりますね。私は最初社会科の担当だと思っていましたが、宗教科をやってほしいと頼まれて驚きました。私は中学校も高校も公立の出身なので、宗教科はありませんでした。一体今の中学生や高校生は、宗教、特に仏教をどう考えているのだろうか、まったく想像が付きませんでした。そこでいろんな方法で生徒たちの仏教への関心を調べることにしました。その結果は悲惨なものでした。生徒たちだけでなく、世間一般にとってもそうかも知れませんが、仏教は多かれ少なかれ暗い、じめじめして、陰気なもので、具体的にはお葬式、お墓などが連想されるもののようです。その意味では、明るく快適に生活していこうとしている生徒たちにとっては、あまりにも懸け離れたもののようです。やがて学校が次第に進学校化していくと、受験科目でない科目を勉強することは、さらに困難なことでした。そのような状態の中で、どのような宗教の授業を行ったらいいのでしょうか。だから、せめて宗教と言われるものが、自分の生活にとって無縁なものであるという考え方から、自分の生活になんらかの関わりをもっているものである、という方向に進めたいと考えたのです。つまり宗教への入り口ですね。そこで仏教の思想と生徒の生活との具体的な結び付きを大切にすることにしました。その中に宗教科への入り口として、暮らしの仏教語があります。お釈迦様の物語を話している時、その中にたまたまテレビに登場した言葉があれば、生徒たちは関心を持ちます。授業で三蔵法師(さんぞうほうし)の話をしました。生徒は、孫悟空(そんごくう)と共に登場する西遊記(さいゆうき)の話もよく知っていました。だから「三蔵法師は多くおられたんだよ」と言ったら驚きました。「へぇ! どうしてですか?」という質問は、当然多くでます。お釈迦様の説かれた教えを纏めた「経蔵(きようぞう)」。お釈迦様が定められた戒律を纏めた「律蔵(りつぞう)」。弟子たちが体系づけた論律―「論蔵(ろんぞう)」。この「経蔵、律蔵、論蔵」を「三蔵(さんぞう)」と言うのです。いわば仏教聖典のすべてです。この「三蔵」に精通し、インド語の経典を中国語に翻訳した僧を「三蔵法師」と言いました。だから多くおられたのです。その中の一人である玄奘(げんじよう)という三蔵法師は、唐の時代の学僧で、経典を求めてシルクロードを経てインドに入り、帰国後多くの経典を翻訳しました。そしてその旅行記を書きましたが、それを『大唐西域記(だいとうさいいきき)』と言います。この本がモデルになって『西遊記(さいゆうき)』が作られたのです。私たちが何気なく使っている日常語の中に、元々仏教語であったり、仏教思想と深く結び付いている言葉、つまり暮らしの仏教語が案外多くあるのです。例えば最初に言ったように、「ご挨拶を申し上げる」の「挨拶」とか、「我慢(がまん)して苦難を乗り越えよう」の「我慢」とか、いろいろあるのです。「我慢」というと、辛抱することや、堪え忍ぶことを指し、良い意味に使われていますね。ところが仏教では、「慢(まん)」とは、他人と比較して驕り高ぶることや侮(あなど)ることを言うのです。そしてそれは七種類あって「七慢(しちまん)(慢(まん)・過慢(かまん)・慢過慢(まんかまん)・我慢(がまん)・増上慢(ぞうじようまん)・卑慢(ひまん)・邪慢(じやまん))」というのです。「我慢」はその一つで、自分中心に「我(が)」「我(われ)」があるとの考え方から、我を頼んで自らを高くし、他を侮ることを説明しています。それが「我が強い」「負けん気が強い」「頑張る」「辛抱する」と変化してきたようです。本来は悪い意味の言葉だったのが、現在は良い意味に使われているようになった少ない例の一つです。「縁起(えんぎ)」という言葉があります。ちょっとしたことにも、「縁起が良い」とか、「縁起が悪い」とかと、気にすることを「縁起を担ぐ」と言います。この「縁起」が仏教の言葉です。でも意味は違います。例えばチューリップの花は、その球根から咲きます。球根が原因で花は結果です。原因は「因」、結果は「果」と略しますから、この関係は因果(いんが)関係です。しかし球根だけでは、花は咲きません。温度、土質、水分、肥料、日光、そして人間の手入れなど、さまざまな条件が球根に働いて、花は咲くのです。この条件を「縁(えん)」と言います。つまりすべてのものは、さまざまな原因である「因」と、条件である「縁」とが寄り集まって成立しているのです。これを「因縁生起(いんねんしようき)」略して「縁起(えんぎ)」と言います。ですから本来は他の多くのものの力、恵み、お蔭を受けて、私たちは生かされているという仏教の基本的な教えなのです。このような授業を続けている時、昭和五十六年、西本願寺の旬刊新聞から、そのような話を書いてほしいと頼まれて連載を始めました。二十八年も前の話です。以来、暮らしの仏教語は、二二五項目を紹介しました。その他仏教の名言を集めたり、『阿弥陀経(あみだきよう)』から言葉を頂いて解説させて頂きました。このようにして長い間勉強させて頂いたのですが、その作業中にこんなことを感じました。先ず第一には、私たちが日頃何気なく話している言葉の中に、元は仏教語であったり、仏教思想に関係があるもの、あるいはお経から出たものなどが、そうとは知らないままたくさんあるということです。仏教は、六世紀頃朝鮮半島を経て日本に伝えられました。日本では、その教理が研究され、諸学派が形成されます。平安時代には、伝教大師と弘法大師が中国へ渡り、天台宗と真言宗を伝えました。これらの宗派は、日本の実情に合わせて修行を重んじ、日本独自の宗派になりました。鎌倉時代には、日本人の宗教心が高まり、日本的な独自性をもつ庶民仏教が成立しました。そして室町時代には、より一層庶民に浸透していったのです。江戸時代には、寺檀(じだん)制度により、庶民はすべて仏寺の檀家となり、寺院と庶民の家々との関係が深まりました。このように日本の仏教は、中世から近世にかけて民衆化が進み、人々の暮らしの中に仏教思想が深く入り込んでいったのです。第二には、その仏教語があらゆる分野に見出されるということです。例えば政治、経済、文化、あるいは建築、料理、芸能等々、いろいろな世界の言葉に見出されるのです。先ず政治の世界からいきましょう。選挙演説の「演説」、県知事の「知事」などがそうです。演説は、本来お釈迦様が真理や道理を人々に説き明かそうとして伝えられたことです。「知事」は、仏教では、諸相の雑事や寺院の庶務を取り扱う重要な役割をもつ僧の役目でした。禅宗寺院には、六知事が設けられ庶務を分担しました。この知事が中国の地方長官の名称に転用され、それが日本の知事の語源ともなったと言われています。次は経済です。経済では、「利益(りえき)」「投機(とうき)」などがあります。「利益(りえき)」同じ言葉でも「りえき」と呼べば経済用語ですが、「りやく」と呼べば神仏の力によって授かる幸福のことで、「御利益(ごりやく)」と呼ばれていますね。「投機」は「speculation」という英語を、日本語に訳す際に、禅宗の言葉である師匠の心と弟子の心とが一致し統合するという意味の「投機」という言葉に使ったのです。経済用語の「投機」というのは、チャンスを上手く捉えて大きな利益を狙う売買取引のことですから、禅宗の用語の「投機」とは共通点がありますね。「いろはにほへと ちりぬるを」の「いろは歌」は、「諸行無常(しよぎようむじよう)」を説いた『涅槃経』の四句の偈を和訳したものです。元はお経の文句だったのですね。「玄関(げんかん)」という言葉があります。私たちは、家の正面の入り口という建物の名前だと思っています。しかし本来は玄妙(げんみよう)な道に入る関門。玄妙(げんみよう)な道に入る関門―玄関という意味で、奥深い教えに入る手始め、糸口を指す仏教語だったのです。それが寺の客殿への入り口となり、書院作りを経て一般の建物になりました。学校関係では、「学生」「教授」「講師」「志願」「知識」など仏教語が多く見られます。元々現代の学校生活の母体になっている組織的な教育は、キリスト教の教会や仏教の寺院という宗教団体の教化教育から始まったと言われていますので、学校関係で仏教語が多く見られるのは当たり前のことかも知れませんね。料理には「精進(しようじん)料理」や「懐石(かいせき)料理」もありますね。精進料理は魚や肉類を使わない料理ですね。「精進」とは、仏教の実践徳目である六波羅蜜(ろくはらみつ)(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)の一つで努力することです。懐石料理は、茶の湯で茶を出す前に出す簡単な食事で「茶懐石(ちやかいせき)」とも言います。インド仏教では、修行僧は戒律によって正午から翌日の暁まで食事を禁止されています。仏教が北方地方に広がってくると、温めた石を布に包んで腹に入れ、飢えや寒さを防いだのでした。その程度に腹の中を温め、空腹を凌ぐ粗末な食べ物が懐石料理でした。芸能関係も、落語を初め、仏教との関係が深かったようです。辞書で「落語」を調べると、江戸初期に安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)の滑稽話から始まったとありました。安楽庵策伝とは、京都の浄土宗誓願寺(せいがんじ)のご住職です。このご住職がおられた当時の世の中は、戦国時代末期から江戸時代初期で大変荒れた時代だったのです。ですからお説教も滑稽な話が良かろうと思われて、お経をずっと調べて面白い話を出してこられたそうです。そして最後にオチを付けられた。大変な人気でお寺にお詣りする人がいっぱいだったと聞きました。どんな話をされたのでしょうか。実はご住職が纏められた『醒睡笑(せいすいしよう)』という本が残っています。これには短編ばかりが千編ほど収録されています。現代語版がありました。平凡社の東洋文庫にあります鈴木棠三(すずきとうぞう)訳『醒睡笑』です。その中の一つを紹介しましょう。
 
無上の仏果を得られた釈尊でさえも、二月十五日の夜の雲とともにお隠れになった。その有様を教えるために涅槃像を掛けて、寺々では涅槃会(ねはんえ)が行われ、善男善女が後世安楽の願を掛けて陸続(りくぞく)と参詣する。その中に殊更ものの道理もわからぬようなお婆さんがいて、しきりに頷いていうには、釈迦も果報な人だ。今日の涅槃にお死になさった
 
と。お釈迦様が亡くなった日を「涅槃会」と言っているのに、勘違いというオチが付いていますね。今仏教語が入っている話を紹介しましたが、この他にも現代、落語で聞く話がこの本には随分出ています。このようにお説教から落語が出たのですね。私の小さい頃、本堂に一メートル立方ほどの台があって、その台の上に半畳ほどの畳が敷いてありました。そしてお坊さんがその台の上に座ってお説教しました。その台のことを「法座(ほうざ)」と言いました。この「法座」の源は、お釈迦様が悟りを開かれた場所のことを言いましたが、お釈迦様に代わって、お坊さんがお説教をする場所をいうようになりました。しかし現在のお寺は、ほとんど演台式になりましたから、法座はお寺にはなくなりました。現在法座は寄席にあります。他にも諺などいろいろな分野で、元仏教語が見られるのです。「他力本願(たりきほんがん)」という言葉があります。スポーツでこんな話を聞きました。「この一敗で自力優勝は絶望ですね。残り全勝してもダメです。後は相手が負けるのを待つ。他力本願に頼るしかないですね」。このように、「他力本願」は、専ら他人の力を当てにする他人任せという意味でいろんな場面で使われているのです。これは大変な誤解です。先ず初めに知っておきたいことは、「自(じ)」と「他(た)」との関係です。人間の世界だけでは、「自」は自分で、「他」は他人。「自力」は自分の力、「他力」は他人の力です。しかし宗教―仏教の世界、絶対の境地との関係では、「自」は人間、「他」は仏。「自力」は人間の力、「他力」は仏の力なのです。親鸞聖人は、『教行信証(きようぎようしんしよう)』に、
 
他力というは如来の本願力なり
 
と明示されました。如来は阿弥陀仏のことで、本願力は人々を救いたいという本願の働きのことです。だから「他力本願」とは、阿弥陀仏のすべてのものを救われずにはおれないという慈悲の働きをいうのです。このように本来と違った意味で使われている場合も多く見られます。これは私たちの暮らしが変わり、時代と共に言葉も変化するのは当然のことでしょう。しかし大切なことは現代使われている仏教語の本来の意味を理解することで、仏の教えに気付いてほしいと願うのです。日常語、元を辿れば仏教語。そんな仏教語がこの世に多く使われていること、そしてその仏教語があらゆる分野に見出されるということを話しました。それはどうしたのでしょうか。私はこのように考えているのです。それは日本人の心と生活の奥底には、地下水が流れているのではないか。仏教思想という地下水が脈々と流れているのではないかと思うのです。それは日本の仏教の話の時に、中世から近世にかけて、仏教の民衆化が進み、仏教思想が人々の暮らしの中に深く入り込んでいったと言いましたが、それが地下水になったと思ったのです。そしてその地下水が地上に沁みだしてきて、地上生活に潤いを与えてきたのではないかと感じるのです。だから例えば、「ありがとう」とか、「お陰様で」とか、「勿体ない」という気持ち、これはわざわざ「仏教の思想ですよ」という教えを受けなくとも、日常生活そのものの中に溶け込んでいたのです。「頂きます」も、「ご馳走様」も、自然に身に付いたもので、研修会で習ったものではありませんでした。このように、日本の心と生活の奥底には、仏教思想という地下水が脈々と流れていて、地上の生活に潤いを与えて来たのです。数年前に「水フォーラム」という世界の水問題を扱う国際会議が京都で開かれました。そこでこの京都盆地の下には、凄い量の地下水が溜まっている。琵琶湖と同じぐらいの量の水が貯えられていることを教えて頂きました。そして平安時代には、その水がかなり湧き出ていて、貴族の屋敷には、みな池があり、通りには小川が流れていたそうです。京都盆地の豊かな地下水が都の文化を生み出したのです。茶道、花道、友禅などがそうです。しかし現在では街は開化され、地下鉄、高層ビルの建築などにより地下水が汲みにくくなっていると報告されています。仏教思想の地下水も同じようです。地上の生活に潤いを与えてきたのです。しかし現代では、土地の上にアスファルトやコンクリートが敷き詰められました。それは科学至上主義というのでしょうか。経済中心主義というのでしょうか。実生活は凄く便利になり、そして合理的な生活ができるようになりました。しかし地下水は上がってこなくなりました。心の中までアスファルトやコンクリートに覆われたら、心の潤いがなくなってしまいそうです。地上に湧き出なくなった地下水は、葬式を中心とした仏教行事というマンホールに流れ込んでいます。もう一度仏教思想の地下水を地上に戻さなければならないと思っています。
 
     これは、平成二十一年十一月十五日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである