六波羅蜜に学ぶ
 
                   大覚寺住職 中 西(なかにし)  玄 禮(げんれい)
一九四一年、姫路市生まれ。龍谷大学大学院修士課程修了。一九八一年、浄土宗西山禅林寺派大覚寺の第42代住職となる。求道精神に燃え、もっぱら修行と学研に精励。仏教に基づく人生論を説き続け、今日に至る。この間「ミニミニ法話」と称し、“三分間テレフォンサービス”による人生相談にも応じ、家族問題をはじめ仕事での人間関係や事業経営問題さらには健康や病気の悩みなど、現代社会のさまざまな苦難をわが身の問題としてとらえ、共に考え、その解決への道スジや生き方などを説く。こうした取り組みからNTTテレフォンサービス・コンクールで最優秀賞を二度にわたり受賞する。一方、月刊「アサヒオーク」をはじめ新聞・雑誌への執筆活動も行う。現在、中小企業大学校、商工会議所、経営者協会、学校、PTA、敬老会などでも、講師として人生と仏の道を説き続ける。二○一○年、総本山永観堂禅林寺管長に就任。
 
ナレーター:  今日は、「六波羅蜜(ろくはらみつ)に学ぶ」と題しまして、兵庫県姫路市にある大覚寺(だいかくじ)住職中西玄禮さんにお話頂きます。中西さんは、一人でも多くの人に仏の教えを伝えたい、そして少しでも多くその教えを暮らしの中に活かして貰いたいという願いから、テレホン法話や講演活動を続けてきました。そうした中で一番大切にしているのが、「六波羅蜜」です。「六波羅蜜」とは、菩薩が人々を救うために行う六つの実践項目であり、現世である此岸から理想郷の彼岸に至るため行うべき事柄でもあるとされています。六波羅蜜は、本来修行僧などが行う行(ぎよう)ですが、中西さんは現代を生きる私たちにも実践できる事柄があり、一部でも実践することで、心の苦しみを和らげることができると考えています。六波羅蜜の心をどのように受け止め実践すればいいのでしょうか。易しくお話頂きます。中西玄禮さんは、一九四一年(昭和十六年)、姫路市に生まれ、龍谷大学大学院を修了。一九六一年、大覚寺住職に就任しました。そして来月から永観堂(えいかんどう)(京都市左京区永観堂町にある)で知られる浄土宗西山(せいざん)禅林寺派(ぜんりんじは)の管長に就任することになっています。それでは「六波羅蜜に学ぶ」中西玄禮さんのお話です。
 
中西:  ご承知のように、仏教の教祖である釈尊が、八十歳まで長生きなさいました。何しろ二千五百年ほど前の時代に、八十年の生涯ということ自体が驚異的ですね。その釈尊が、人間誰もが避けられない苦しみとして「生(しよう)・老(ろう)・病(びよう)・死(し)」この四つの苦しみ―四苦(しく)ということを説かれています。この「四苦」というのを、現代風に置き換えて、次のように示された言葉があります。
 
生―生まれた時は喜ばれ、
老―老いては嫌われ、
病―病んでは厭(あ)きられ、
死―死んでは忘れられ、であってはならない。
 
この最後の一行が大事なんですね。「であってはならない」。私たちがみんな等しく必ず出会わなければならないものとして、一つは、老いていくわたし。二つは、病のわたし。最後は、いつか死ぬであろうわたし。まったく不本意ではあるけれど、これを現実として受け止めなくてはなりません。確かに老いていく身は切なくて、病の身は悲しくて、死んでいく身は情けないことです。そういう不安定な限りある命を私たちは生きていくわけですね。ところで、十五年前の一月十七日、神戸で、あるいは淡路で大きな震災が起こり、あれから十五年経ったとはいうものの、一生のうちに掛け替えのない肉親や友人たちを亡くした被災者の悲しみというのは、今も癒えることがないでしょう。震災から一ヶ月ほど経ったある日の読売新聞の夕刊に、次のような投書がありましたので紹介しましょう。その当時、相生(あいおい)警察署に勤務しておられた吉田輝男(よしだてるお)という警部補さんが、被災地での救助活動の体験を綴った手記を読んだことがあります。今改めてその手記を読むと、あの日の地震の悲惨さと命の尊さとを、今でも深く感じることができます。地震の一週間後、吉田さんは二度目の出動をしました。任務は長田(ながた)署管内の救助活動と遺体捜索でした。「仮の遺体安置所になった学校の体育館は、多くの遺体とそれに付きそう家族で溢れていました。そんな中で、吉田さんは一人の少女と出会います。少女は、焼け焦げた鍋の中に小さな遺骨を入れて、ただジッと見入っていました。「どうしたの?」って、思わず声を掛けると、少女はドッと溢れる涙を拭こうともせず、途切れ途切れに語り始めました。鍋の中は少女が拾い集めたお母さんの遺骨だったのです。あの朝、何が起こったのかわからないまま、お母さんと共に壊れた家の下敷きになっていました。そして何時間も掛けて、彼女は一人やっと脱出しました。ところが迫ってくる火事、「お母さんを助けて!」と声を限りに叫ぶのですが、パニックの中で、誰にもその声が届きませんでした。少女は、火の勢いが迫る中、母を呼び続け、懸命に家具を押し退け、瓦礫を放り投げ、やっと母の手を探し当てました。「お母さん!お母さん!」手を握りしめ続けたんですが、彼女の力では母親を救出することはできませんでした。「ありがとう、もう逃げなさい!」母は娘にそう告げて、握っていた手を放しました。恐かった、熱かった、夢中で逃げました。すぐに母を包み込んだまま我が家が燃え始めます。燃え盛る我が家を何時までも立ち尽くし見続けました。少女は、焼け跡から母の遺骨を拾い集め、それを鍋に入れて、今体育館の中で一人守り続けていたんですね。語り続ける少女の言葉に、吉田さんはただ涙だけが溢れ、慰めの言葉も、励ましの言葉も何にも言えなかったと言います。この少女に神仏の御守りがありますように、生まれて初めて神に祈った」と手記にそう書いてありました。お釈迦様の言われるように、命とは儚いものです。今日という日は二度とないもの。だからこそ真剣に精一杯毎日を生きていく他はない、と知らされますね。苦しみや悲しみに打ちのめされても、いつか必ず涙の乾く日がやってくる。いつかきっと生きていてよかったと微笑める日があると信じたいですね。十五年という悲しみの歳月は過ぎても、毎年一月十七日は、「いのちと自然を思う日」そうありたいと思っています。さて今日の本題ですけど、そういうこの現世、つまり苦しみや悲しみの多い此岸と呼ばれるこの世界から、西方に極楽浄土があると仏教では考えられている、その向こう岸―彼岸に渡っていくために、「六波羅蜜」という仏教の修行方法があります。つまり悟りの向こう岸に至るための六つの実践方法というわけんですね。
その第一番目は、「布施(ふせ)」ということです。布施―人のためにどれだけ尽くせるか。惜しみなく与えることができるか、という。あるいは今の言葉で言えば、「奉仕の心」とでも言えばいいでしょうか。ただ仏道修行である以上、布施というのは、人のためにしてやる、というのではなくて、あくまでも自分のためにしなくてはならないんですね。お礼を求めたり、恵んでやるんだ、というような思い上がった心が少しでもあれば、それは布施にはならないんです。経典の中に一円のお金や、あるいは財産がなくても、人に施すことができる「無財(むざい)の七施(しちせ)」ということが説かれています。財産がなくても、人に与えることのできる「七つの施し」ということですね。
その第一番目は、「慈眼施(じげんせ)」。つまり優しい眼差しということでしょうか。相手を見つめる眼差しの中に愛情が感じられるか、ということですね。
二番目は、「和顔施(わげんせ)」。または「わがんせ」と言います。和やかな、柔和な優しい微笑み、という意味ですね。そして「和顔施」と並んで大切なのが、
三番目の「愛語施(あいごせ)」ということです。つまり相手を思いやる愛情溢れた言葉、ということですね。
四番目は、「身施(しんせ)」と言います。自分の身体を使って誰かに何かをして差し上げる。道に迷った人に道案内をしてあげたり、あるいはお爺ちゃんの肩を叩いてあげたりとか、そういう自分の身体で思いやりを示すことですね。
五番目は、「心施(しんせ)」。心の施しという心施です。現代風な言葉で言えば、「思いやりの心」と言えばいいでしょうか。相手に対する優しい心配り、それが心施。
そして六番目は、「牀座施(しようざせ)」と言います。相手が一番安心していることのできる、そういう座席を提供する。あるいは乗り物などで、自分の座っている座席を気持ちよく譲る。それも「牀座施」といいますね。
そして最後は「房舎施(ぼうしやせ)」。房も舎もともに建物という意味です。宿泊や休憩の場所を提供すること、と言えばいいんですが、これはなかなかちょっと実践するのは難しいことです。広く考えれば、家庭の奥さんが家の庭に花をいっぱい育てて、前を通る人がそれを眺めて心に安らぎを感じるとしたら、その家の花が前を通る人の心に「房舎施」という施しをしておられることになるわけですね。もっと広く言えば、心の中に―家で言えば、軒先や縁側を用意してあげよう。悩んでいる人、寒さに震えている人、心が寒くなっている人、そういう人を縁側に導いてあげる。軒先で雨宿りをさせてあげる。つまりそういういろんな悩みのある人の悩み事を聞いて差し上げるということも、いわば心の中の軒先や縁側―房舎という、建物を用意するというふうに解釈できますね。長く申しましたけれども、私は、中でも「和顔」と「愛語」と「心施」心の施し、この三つが特に大事だと思っています。明るい笑顔と愛情の籠もった言葉、笑顔で「おはよう」「ありがとう」「おつかれさま」そういう言葉が相手の身になって出てきた時に、それは単なる挨拶ではなくて、「愛語」ということが言えるのではないでしょうかね。これなら三歳の子どもでも、あるいは寝たっきりになられた高齢者の方にも、人に与えることができるのではないでしょうか。
六波羅蜜の第二番目を「持戒(じかい)」と言います。戒律を守るということですね。「持(じ)」というのは、「持つ」という字を書きます。「戒」は「戒律」の「戒」。「戒を持(たも)つ」と書いて「持戒」と言います。仏道修行する者が、日常生活の中で守らなければならない「五つの決まり」というのがあって、お釈迦様がたくさんの戒や律を定められましたけれども、特にこの「五戒(ごかい)」という「五つの戒め」は、仏教を信じ生きる者にとっては、基本的な戒律なんですね。それはご承知のこととは思いますが、
「不殺生戒(ふせつしようかい)」―生き物のいのちを取らない。
「不偸盗戒(ふちゆうとうかい)」―他人のものを盗まない。
「不妄語戒(ふもうごかい)」―嘘をついて人を惑わさない。
「不邪淫戒(ふじやいんかい)」―邪なる男女関係をもたない。
「不飲酒戒(ふおんじゆかい)」―お酒を飲まない。
この五つです。さて、どれ一つ取り上げても、いざ実行となると難しいですね。人の命を取らないとか、盗まないとかというのは、普通に生活しておれば物事の努力はできるんですが、私などは「異性に関心を持つな」とか、「酒を飲むな」などと言われると、ちょっと自信がないですね。まあそこはよくしたもんで、ある人が法然上人に、「酒飲むは、罪にて候か」お酒を飲むのは罪になりますか?と尋ねられたんですよ。すると法然上人は、こう言われた。「まことは飲むべきにあらねど、この世の習い」本当は飲まない方がいいんだけれども、まあ世間の付き合い程度はいいだろう。ほどほどにしておきなさいよ。大変寛容なんですね。いや、絶対飲んじゃいけない、とおっしゃらない。もっともこのほどほどに、というのが、好きな者にとっては難しいので困ったものですね。この日本に伝わっている仏教は「大乗仏教(だいじようぶつきよう)」と言われています。この大乗仏教の教える戒というのは強制力を持ちません。つまり自分の意志で守ろうと努力することによって、それが日常的によい習慣となる。持続していく。それを「戒」と呼んでいるんです。もっと分かり易くいうと、その「殺すな」というたった一点においても、物の命を取らないで生きていくということは大変なことで、何よりもその言葉にとらわれる形よりも、その中に籠められた心ということを大切にするんですね。「酒を飲むな」と言われても、どうにも飲まずにおれない人もあるでしょう。だったらせめて人に迷惑を掛けるような飲み方はしないでおこう。「物の命を取るな」と言われても、今日まで蠅やゴキブリをどれほど殺してきたか。彼らを害虫と感じるのは、私たちの勝手な理屈であって、ゴキブリ自身に罪はないですね。草花や虫だけではありません。牛や魚も野菜も米も麦もみんな命を持った生き物です。その命を頂きながら私たちは生きているわけです。その私たちに食べられた米や魚の命は、食べられて死んだんじゃないんですね。私の命を燃焼させるエネルギーとなって生きているわけです。牛や魚や米の命が、私の命を支えてくれているわけです。この私の命を支えている無数の命に対して、「あなたのお蔭だ」と手を合わせる感謝の心、それが「不殺生戒」というものの持つ精神なのだと思います。お釈迦様が、お示しになられた五つの戒律は、どれも難しいのですが、現代に生きるものの目標として、「五つの戒」を、次のように言い直すこともできるんじゃないでしょうか。
命あるものを殊更に殺すことなく、生かしていこう。
与えられないものを手にしないでおこう。
偽りの言葉を口にしないようにしよう。
人を悲しませないようにしよう。
道ならざる愛欲に溺れることのないようにしよう。
酒によって生業(なりわい)を怠ったり、人に迷惑を掛けたりしないようにしよう。
この五つが現代における「不殺生、不偸盗、不妄語、不邪淫、不飲酒」という、五つの戒律ではないかと思いますね。
さて六波羅蜜の三番目ですが、「忍辱(にんにく)」と教えられています。「しのぶ」と読みます「忍耐」の「忍」、「辱(にく)」というのは「陵辱(りようじよく)」の「辱(じよく)」と言えばいいでしょうか。「辱(はずかし)め」という意味があります。辱めを受けても黙ってそれを忍んでいく、という意味で「忍辱」と言います。これは悲しみや苦しみに耐えていく、ということです。悲しみや苦しみをジッと我慢して堪え忍んで生きていく。それは結局消極的な生き方ではないんですね。苦しみや悲しみから逃げないで、これを迎え撃つ気持ちを持つ。この「忍辱」というのは立派な仏道修行の一つでもあります。
四番目は、「精進(しようじん)」と言います。今日では、精進料理というふうに使われます。今風の言葉でいうと、「努力する」ということですが、これも言葉の使い方を間違うと誤解されます。今、病院に入院しておられる人に対して、「頑張れよ」「頑張りなさいよ」と言っても、「頑張りようがないから苦しんでいるんだ」と言われれば、返す言葉がないですね。「精進」というのは確かに努力を意味しますけれど、何が何でもただがむしゃらに努力すればいいというものではありません。正しい努力を心掛けて実行する。これが「精進」という意味でしょう。
五番目の「禅定(ぜんじよう)」。これは心を落ち着かせる、ということでしょか。精神を集中させる。私たちは何か一つのことに取り組んでいても、ついつい他のことに気を取られたりしがちですね。心がいつもふらふらしている。そんな私の心を静めて、精神を集中させることを「禅定」と言います。
六番目は、「智慧」ということ。仏教でいう「智慧」というのは、物事に拘りなく、とらわれず、ありのままに見つめることだ、ということですね。自分の欲望や贔屓(ひいき)の心で眺めたり、あるいは先入観や肩書きなどにとらわれたりすれば、物事の本質を見誤りますね。妬(ねた)みや嫉(そね)み心で相手を歪んで見てしまうということもあるわけです。物事をありのままに眺める。そういう智慧の眼を持ちたいですね。現実になると難しいことですが。NHKのテレビの番組「ためしてガッテン」という水曜日の夜八時からの番組があります。ある時この番組に私のお寺が所蔵している十六羅漢のうちの「周利槃特(しゆりはんどく)」というお坊さんの絵が使われたことがありました。その時の「ためしてガッテン」のテーマは「記憶」ということが番組の構成要素になっていたんですね。周利槃特というお坊さまは、お釈迦さんのお弟子さんの中で一番記憶力の悪い、物覚えの悪いお弟子さんだったんです。ですから他のお弟子さんからバカにされ、虐められ、差別されたり、ある日それが悲しくて泣いておりましたら、たまたまそこをお釈迦様がお通りになって、「周利槃特よ、何を泣いているのか」とお尋ねになった。周利槃特は訳を申しますと、「そうか。そうだったのか。確かにお前は人に比べると、物覚えが決して良いとは言えないが、お前にはお前しかない良いところがあるではないか。愚かと言われようと、これが良いと思えばそのことを一生懸命取り組んでいく。その一筋の努力をするという心が貴いことだよ。ここに箒と雑巾があるから、これを持って毎日掃除をするがいい。ただ黙ってするのではないぞ。心の塵を除かん。心の垢を除かん≠サう唱えながらお掃除をしてごらん」。そう教えられて、周利槃特さんは、毎日毎日「心の塵を除かん、心の垢を除かん」そう唱え続けて掃除をしていくうちに、自らの心の垢がすっかりと取り去られて、人によく思われようとか、彼奴は素晴らしい奴だと褒められようとか、そういう拘りがさっぱりなくなって、十六羅漢という十六人の素晴らしい修行を積んだお坊さんの一人に数えあげられるようになったのですね。何よりも私がこの周利槃特さんを偉いと思うのは、「自らが愚かである、物覚えが悪い」ということを誰よりも自分が一番よく知っていたわけです。だからこそただ掃除をするという、お釈迦様から教えられた心の塵を除こうという言葉を一つ頼りにして一生懸命にお掃除に励んだ。その精進努力が、周利槃特さんに大きな生きていく知恵を授かることができたんですね。仏教の教え「六波羅蜜」―それは、
惜しみなく与える人間であること、
決まりを守ることのできる人間であること、
耐えることのできる人間であること、
常に前向きによくできる人間であること、
心を集中させることのできる人間であること、
これらは日常の生活の中でどれだけ実践できるかということですが、それをコツコツ実践していくことによって正しい智恵が具わってくると教えられています。とはいうものの、与えられない人もあります。決まりを守れない人もあります。「精進」と教えられてもマイナス思考の人もあるでしょう。「禅定」ということが大事だと言われても、心が絶えず揺れ動いて定まらない人もあります。周利槃特さんのように大切なことは、「自分の弱さを認識すること」なんですね。驕ることなく、自らを省みる心を持つこと、そして自分の心をいつも仏さまの教えに照らして、我が身を反省して、真実を求め生きていくこと。真に己を知る、その時人は初めて人生を知ることになります。そこに気付くことが「六波羅蜜の教え」であり、正しい智恵のお蔭なのだと思います。
 
(追記)
一九九五年三月一七日付 読売新聞夕刊
「母の骨を鍋に、少女は・・・」兵庫県警相生署吉田輝男警部補手記
 
1月23日、私は2回目の出動をした。
任務は長田署管内の救助活動・遺体捜査。
そして村野工高体育館における遺体管理と検視業務の補助であった。
仮の遺体安置所になった体育館は、沢山の遺体と、
それに付きそう遺族にあふれていた。
 
そんな中で、一人の少女に、私の目は釘づけになった。
その少女は、膝の前に置いた、
焼け焦げた「ナベ」にじっと見入っていた。
泣きでもなく、哀しむでもなく、身動きもせず、
ただじっと 見入っていた。
 
私は、その少女に引かれるように近寄って行った。
「ナベ」の中には小さな遺骨が置かれていた。
「どうしたの」。思わず問いかけた私の一言がその少女を泣かせてしまった。
どっとあふれだした涙を拭おうともせず、
懸命に私の眼を見つめ、とぎれとぎれに語り続けた。
 
「ナベ」の中は 少女が拾い集めた母の遺骨であるという。
その夜(注・1月16日)も少女は母に抱かれるように、1階の居間で眠っていた。
何が起こったかも解らないまま、気が付いたときは
母とともに壊れた家の下敷きになって、
身動きもできない状態になっていた。
それでも少女は少しずつ体をずらし、何時間もかけて脱出できた。
 
家の前に立って、何が何だか解らないまま、どの家も倒れているのを見た。
火事が近くに迫っているのを見た。
多くの人が、何か叫びながら走り回っているのを見た。
しばらくして、母が家のなかにとり残されていることに気が付いた。
「おかさんを助けて」「助けてお願い」
走り回っている大人たちに片っ端からしがみ付き、
声をかぎりに叫び続けた。
誰にもその叫びは聞こえなっかった。声は届かなかった。
迫ってくる火事に、母を助けられるのは自分しかないと哀しい決断を強いられた。
母を呼び続け、懸命に家具を押し退け、瓦礫を放り投げ、
一歩一歩母に近付いていった。
やっとの思いで、母の手を捜し当てた。姿は見えなっかた。
母の手を見付けたとたん、その手を握り締めた。
その時、少女はの手は血塗れになっていることに気が付いた。
「おかあさん」「おかあさん」「おかあさん」手を握り締め、
泣きながら叫び続けるだけであった。
 
火事は間近に迫っていた。火事の音が聞こえ、熱くなってきた。
母は懸命に語りかけたが、かぼそい声で少女はには聞こえなかった。
「おかあさん」「おかあさん」と叫び続ける少女に 
名前を呼ぶ母の声がようやく聞こえた。
「ありがとう。もう逃げなさい」と母は握っていた手を放した。
熱かった。怖かった。夢中で逃げた。
すぐに、母を抱え込んだまま、我が家が燃えだした。
燃え盛る我が家をいつまでも立ち尽くし、見読けた。
声もでなっかった。涙もでなかった。
 
翌日、何をしたか、どこに居たか、覚えていない。
翌々日、少女は一人で母を探し求めた。 そして見つけだした。
少女は、いま一人で 見つけだした母を「ナベ」に入れ、守り読けている。
語り続ける少女の目から、いつのまにか涙が消えていた。
ただ聞くだけの私は、声もでず、涙だけがあふれ続けた。
母と二人。この少女がどんな生活をしていたか私は知らない。
一人になったこの少女に、どんな生活が待っているか、
私には解らない。「この少女に神の加護がありますように」。 
生まれて初めて「神」に祈った。
 
この少女、慰めの言葉も、激励の言葉も何も言えなかった。
何度も何度もうなずくだけで、少女の前を逃げた。
少女は、最後まで、私の目を見続け、語り、そして語り終えた。
その目は、もっと多くのことを、私に語りかけ、今も語り続けている。
目は生きていた。
哀しいと思った。美しいと思った。
強いと思った。
少女の名前を聞くのさえ忘れていた。
 
 
     これは、平成二十二年一月十一日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである