私の身心調整法
 
                   薬師禅寺住職 樺 島(かばしま)  勝 徳(まさのり)
一九四九年、福岡市生まれ。一九八一年、指圧師資格取得。八二年、鍼師資格、灸師資格取得。八四年、臨済宗天龍寺派・薬師禅寺住職。自坊で健康道場開設。八七年、大阪千里アサヒカルチャー「坐禅と整体」講師。場所を自坊に移す。九二年、ソックスメーカー(株)岡本、新商品開発室顧問、九八年退職。実用新案特許一件取得。九六年、花園大学仏教学科・東洋医学非常勤講師。九七年、日立家電と健康器具に関する顧問契約(一年間)。生来の難治性ぜんそくを克服する中で、独自の整体法や呼吸法を開発し、中心軸機能の覚醒と高度化によって、身心両面からの人間理解を深めている僧侶・鍼灸指圧師。人気著作「和尚さんの健康シリーズ」冊子16種は、400万部以上を発行。また、健康雑誌・新聞等で多数紹介されている。
                   き き て   金 光  寿 郎
 
ナレーター:  今日は、京都市の薬師禅寺(やくしぜんじ)住職樺島勝徳さんに、「私の身心調整法」というテーマでお話頂きます。聞き手は金光寿郎さんです。
 

 
金光:  樺島さんは、京都の嵐山にあります薬師禅寺のご住職ですし、それからここでは禅寺ではありますけれども、一種の東洋医学に基づく健康法みたいな道場も開いていらっしゃいますが、いろんな本をお書きになっていらっしゃいますけれど、それを拝見しますと、樺島さんは、お小さい時から随分身体が弱かったようですね。それが現在は非常に健康な様子に窺えるわけですですけれども、だんだんとそれが今のような状況になられた、そういう経緯の中から、ご自分で「あ、こういうことが良かった。これが良かった」というふうに、お気付きになった点を時間は短いんですけれども、その一端をご紹介頂けばと思ってお邪魔しているわけですが、坐禅と、それから東洋医学という経絡(けいらく)、この関心というのは、これが終わってこちらというんじゃなくて、両方ともなんとなく関連があって興味をお持ちになったんでございますか?
 
樺島:  そうですね。経絡というのは、身体の表面を走っているような―絵を見ますとね―そういう感じなんですけれども、それを坐禅の時に内部感覚として感じ取るという。要するに、一番酷い時は腰痛、肩こりが起こりますからね、坐り方が悪かったりしまと。そういうところから実践的にどうすれば治っていくのか。どうすれば痛まないように坐れるのかという、そういう工夫をズッとやっていましたから、それで経絡というのを、自分の内部感覚として捉え直していくということが始まりましたね。東洋医学の言葉で言えば、胃系が働いていなくて、膀胱系が働いているとかね、それから腎系が弱っているのとか、そういうようなことがわかってきますから。簡単にいうと、神経医学でいう腎系―大腿部の内側とか、そういうところの生命力がしっかりしている時というのは、背筋も伸びますし、それから妄想があまり湧かないんですね。そういうことがわかってきたもんですから、鍛なくちゃダメだなという。一人整体(ひとりせいたい)とかで短時間腎系の活力を増幅させるということはテクニックとしてはできるんですけども。
 
金光:  「一人整体」という言葉を使っていらっしゃいますけれども、仰向けに寝て、それで腰はそのまま付けたままで、足と頭を持ち上げて、緊張しているのをストンと落とすと、これを一人整体というんだ、というふうに、私は理解したんですが。
 
樺島:  それで一人整体で短時間腎系の活力を増幅させるということはできるんですけれども、だけどほんとに生命力がなかったら、すぐ元の木阿弥(もくあみ)になりますのでね。そうすると大腿内側、昔の言葉で言えば腎系というのを鍛え上げていく、鍛え直してというのが大変だし、必要なんだということがわかってきたわけです。
 
金光:  なんか小さい時から、喘息(ぜんそく)気味で、かなり後年まで喘息に悩まされたようですが、その辺とのお付き合いはどういうことで?
 
樺島:  かなり酷かったんですしね。小学校の頃はよくチアノーゼ(cyanosis:皮膚や粘膜が青紫色である状態をいう。一般に、血液中の酸素濃度が低下した際に、爪床や口唇周囲に表れやすい)で唇がまっ青になっていましたね。半年ほどトレーニングするようなところに入院したりして、かなり本格的な喘息だったですけども。
 
金光:  喘息療法のところ
 
樺島:  風邪療法教室みたいな感じで、九州大学へ行っていましたけども、治らないし、高校に入っても卒業しても、大人になっても治らないし、だから自立できないですよ。頑張れば、その時は頑張れますけども、すぐまた喘息が出ますから。だから大学も中退していますし、会社も勤まらないし、というので。
 
金光:  じゃ、喘息との付き合いは、それほど深かったというか、
 
樺島:  深かったですね。
 
金光:  好みじゃないけど、好まないにしても、とにかく離れられなかったわけですね。それはどういう形でだんだん切れてきたんですか?
 
樺島:  これが結局大学病院でも治らないですし、漢方薬でも上手くいかなかったですから。起こってしまった発作は止まるんですけどね。だけど自分の人生を作りあげていくというのには、やっぱり足りないですからね、発作が起こらないというだけでは。それでそういう病院の医療というのは、発作が起きた時だけ、それをお願いするけれども、基本的には自分の生命力を上げるしかないなという、そういうふうに思いましたね。喘息のような病気は、良くなったり悪くなったりしていますから、つまり良い状態があるわけです。調子の良い状態があるわけです。ですから調子の良い状態が続けばそれで良いんです。だったら調子が良い状態を続かせるにはどうしらたいいか。治すとか治るんじゃなくて、調子の良い状態が続いていればそれでいいわけですから。それでどういうことをした時に調子がよくなるかということを、いろいろ自分の身体を観察し始めたんですね。
 
金光:  その次の段階としては、観察した次はどういう格好で?
 
樺島:  一つは、身体の歪み―運動系ですね―身体の骨格。骨格の歪みを取ることによって、体調の良し悪しが平均化されてくるんです。ちょっと分かり難いかも知れないんですけど、疲れやすくなるんですね。疲れやすくなると頑張らないですから、疲れが溜まらない。溜まらないと発作はそんなに起こらない。
 
金光:  「疲れやすくなるとダメだ」というんじゃなくて、なった方が疲れを溜めないから、身体が本調子になると。
 
樺島:  そうです。だから生命力、低いレベルのまんま鳴かず飛ばずで生きていれば、それでいいんですよ。なかなかそうもいかないので、無理をするから、その時はできても、後で発作になる。
 
金光:  そういう意味では、「我慢をする」と言いますけれども、「我慢」というのは―仏教の方では「我慢はよくない」と言いますけれども、身体の方も本来の調子を取り戻すのには、下手な我慢はしない方がいい、ということですか。
 
樺島:  そうだと思いますね、身体の方に関しては。白隠さんとか、「忍一字」とかと言ってね、頑張らせますけれども。でも禅の古典の中には、「今日もぶらぶら、明日もぶらぶら」とかね、「腹が減った飯を食え」とか、そういうのがありますでしょう。疲れていても眠くならない身体がおかしいんであってね。だから骨格の歪みを無くしていくことによって、疲れたらすぐ疲れたとわかるし、お腹がいっぱいになってきたら、お腹がいっぱいになってきたとわかるし、そうするとそれに従っていると、徐々に喘息の発作が薄れていった、ということですね。
 
金光:  それで「骨格」というのは、骨格だけが自立しているわけではなくて、周りの筋肉が支えているわけで、お書きになったものを拝見していて、非常に今まで私の知らなかったことが、面白いなと思って拝見できたのは、白隠さんなんかは、よく「上虚下実(じようきよかじつ)」と言いますか、上を空にして、軽くして、下の方は丹田に気を置くということを言われて、「上虚下実」(虚とは広がりがある、無限である、というような意味。実とは、充ちている、有限である(そこに実像がしっかりある)というような意味。身体の状態で上虚下実というときは、頭、肩、手に力みがなく、足、腰がしっかりとしている時のことです)、私なんかそれをできないと思っていたら、樺島さんは、「上虚下実」の体質を本来持っていらっしゃるというんで、へぇ!そんな偉い人がいるのか、と思って拝見したんですが、それと上が実があって、下の方が虚であるという「上実下虚(じようじつかきよ)」(首は背骨の中で比較的弱い所です。そこを起点にして動くということは、より筋肉を固めて動くということです。肩や首を固めていると、呼吸が浅くなり脳に行く酸素の量が少なくなります。さらに、首を固めていると脳への血流も少なくなります。重心が肩の辺りにあると、腰が抜けてきます。力が骨盤から抜けていくためです。腰が抜けてくると仙骨を腸骨が挟む力が抜けるため、動くと軸がブレるようになります。肩を大きく左右に揺らしながら歩いたり、首を前後に動かしながら身体全体が前後運動をしながら歩く人は腰の弾力がなくなってきて上虚下実でなくなってきているのです)というそういう体質、両方あるわけですか?
 
樺島:  だと思いますよ。東洋医学の―漢方医学で言葉で言ったら、「少腹満(しようふくまん)」というような言葉があるんですけどね。それは下っ腹が膨れているという。ここがいつも下っ腹が動いて呼吸しているんですね。
 
金光:  「少腹満」というのはいいことなんですか?
 
樺島:  そういう人は、喘息になりやすいよ、という。そういうことが書いてあるんです。『傷寒論(しようかんろん)』という本にですね。そういうのからいくと、〈俺の体形はこれだな〉と。ということは、逆にいうと、もうちょっと上半身―鳩尾とかがもっと活発になるような体形に作り替えていかないと、喘息は治らんのだろうな、というようなことがわかってきたんです。だから白隠さんの坐禅をそのまま真似していると、私は体調が悪くなるんです。
 
金光:  やっぱり自分の身体で実験してみて、自分の身体に合った方法というのはやっぱり自分で探さないと、白隠が偉い人だからって、いきなり真似すると、かえって調子が悪くということがあるわけですか?
 
樺島:  だからあの人とは、相性が悪いですね(笑い)。
 
金光:  体質的にね。面白いですね。それと私なんかがまったく知らなかった言葉で、樺島さんの独創だろうと思うんですが、身体の歪みを治すのに「骨盤おどり」というような言葉が使われていらっしゃるんですね。要するに骨盤を中心にした歪みを治すことによって、全体の身体のバランスが取れてくる、というようなことを書いているんですが、これは理屈からいうと、どういうことになるんですか?
 
樺島:  骨盤にへばり付いているような筋肉があるんですね。だから外から触れるような筋肉ではないんですけれども、それがしっかりしていると、ほんとに全体の調子良くなるんです。それを実験的にわかってきたもんですから、これを鍛え直していかないとダメなんだな、ということが、この五、六年ですかね、ほんとにわかってきましたね。
 
金光:  これは具体的には、言葉で簡単に言ってもすぐにはわからないと思いますけれども、これはなんか片足で立って、その浮いている方の骨盤を上げるという、それを繰り返す。
 
樺島:  そうですね。動きとしては、フラダンスの動きに似ているんですけども、もうちょっと身体の中心に近いところの筋肉を使いますから、ちょっと難しいですね。できる人は簡単にできるんですけどもね。できない人がやるのはかなり難しいですね。
 
金光:  また下手に真似するとまたおかしくなる可能性がある?
 
樺島:  無理してやると、腰痛が起こりますね。身体というのは、二重構造になっていまして、身体の表面の筋肉と奥の方の筋肉と二種類あるんですね。その奥の方の筋肉を主に使うというような運動です。これはちょっと難しいですね。
 
金光:  いろんな樺島流の工夫された「頭上安頭(ずじようあんず)」とか、頭の上に、
 
樺島:  砂袋を置いて、
 
金光:  「頭上安頭」という、それ自体の言葉の意味は、その本来の自分の身体があるのに、外からいろんな知識によって自分の頭の中に妄想をいっぱいしているみたいなのを頭上安頭の漢(かん)と。頭の上に余計なものをくっつけている男、というようなことで、これは決して褒めたことではないわけですけれども、それを樺島流の体操ですと、頭の上に砂袋を載っけて―あんまり重くない適当な自分なりの重さの砂袋を載っけて―載っけることによって、背筋が伸びてくるし、姿勢がよくなる、というような方法だとか、随分いろんな工夫をされているようですが。
 
金光:  やはり身体の反射ですね。膝の下を叩くとピンと跳ねるとか、ああいう無意識の反射を発生させて、無意識を鍛えていくというかな。意識によってこの身体を鍛えていくんじゃなくて、無意識を鍛えていく。あるいは内蔵の力も無意識の力ですから、そういう無意識の力を鍛えていかないと、ほんとに生命力は強くならないですから、そのためにああいう砂を載せたり、いろいろやって意識の部分じゃなくて、無意識の部分に登場してもらう。それを育てあげていく、ということを、今やっているんですね。
 
樺島:  その本来の坐禅が狙っていたと思われる人間が意識であれこれできるところではない無意識の段階のところまで育てるというか、活力を与える与え方というのを工夫なさっていらっしゃるようですね。
 
金光:  そうですね。やっぱり無意識のところがしっかりしていないと、ものの役に立たないですからね。やっぱりどんな技術にしたって身に付いていないと、ものの役に立ちませんでしょう。そういうふうに、身体も無意識のところがちゃんと身に付いていないと、ほんとに幸せにはならないですよね。だから無意識のところに着目して、すぐ意識というのはしゃしゃり出てきますから、なるべくしゃしゃり出てこないようなポーズを考えて、そして無意識のところを選択的に動かしていく。他のところがしゃしゃり出てこないような工夫をしながらやっていく。それが「頭上安頭」だったり、「骨盤おどり」だったりというふうになるんですけどね。そしてこの大切な中心軸の奥の方にある筋肉たちを働かせるのは、やれる人はやれるんですけど、やれない人はやれない。それが何回も道場に通って来ている間に、だんだんできるようになっていくんですね。だからなんとなくの雰囲気で、何回も何回も繰り返していくと、だんだんできるようになっていくんです。そうすると、「あ、これって良いよね」というふうな。
 
金光:  なるほど、
 
樺島:  「ほんとに良いよね」で、月に一回坐禅会をやったりしていますから、遠くから来るんですけどね、そういう人たちは徐々に自分の身体に惚れ込んでいくんですね。身体の味わい方がわかっていく。「今、中心軸が働いている」とかって。
 
金光:  そうですか。
 
樺島:  そういうのがわかってきて、だんだん自分の身体が愛おしくなってきますよ。
 
金光:  なんか「聖なる中心軸」というような言葉も使っていらっしゃるようですけれども、これは「中心軸」というのは、言葉でいうと、どういうことになりますか? ちょっと難しいかも知れませんが。
 
樺島:  だから筋肉の名前でいうと、「大腰筋(だいようきん)」(哺乳類の胸椎〜腰椎の筋肉で股関節の屈曲(わずかに外旋)、脊柱の屈曲を行う)とか、そういう骨盤にくっついているような筋肉とか、
 
金光:  「大腰筋(だいようきん)」というのは、骨盤にくっついているわけですね。
 
樺島:  それから「脊柱起立筋(せきちゆうきりつきん)」(長背筋のうち、脊柱の背側に位置する筋肉である)とかね。
 
金光:  これは脊髄を立てている「脊柱起立筋(せきちゆうきりつきん)」。
 
樺島:  はい。それで背骨を前後から挟んで真っ直ぐしていますから。これはほとんどもう反射で動いていますよね。「反射」ということは、無意識のうちに動くという。
 
金光:  意識の世界でないところで動いていると。
 
樺島:  ええ。それらが強(したた)かであれば、ちゃんと立ったり坐ったりしていますけれども、それが強かでないと、自分の意識によって姿勢を作り変えたりしなければいけない。昔の人が―兵隊さんが寝ながら歩いたとか、そういうふうな極限状態だからというのもあるでしょうけれども。
 
金光:  昔よく戦争中の話ですけれども、何日も歩き続けていると、「寝ながらほんとに隊列を組んで歩いた」というような話をよく聞きますからね。
 
樺島:  人間というのは、そういうことできるんですけども、我々戦後の軟弱者は、そんなこと全然できないですから。
 
金光:  でも、面白い言葉だと思ったのは、「病気ができるほど丈夫な身体」というような、ちょっと違っているかも知れませんけれども、人間の身体というのは、いろんなことができるように作られているもんですから、少々歪んだ方向でも、それができるように作られているということも言えないことはないわけですね。
 
樺島:  そうですね。人間生きている間には、いろんな老廃物とかできますから、それを姿いい形で排泄する。それが基本ですけれども、東洋医学では「汗吐下(かんとげ)」というふうに言います。「汗(かん)」は汗ですね、「吐(と)」は吐く、「下(げ)」は下痢ですね。この三つの姿によって毒を出してしまうと健康になれる。その力が弱いと、いやいや喘息が出しているんですね。喘息が出している。
 
金光:  そういうことなんですか、喘息は。
 
樺島:  だから「汗吐下」という内臓の力、皮膚の力が強くなるように、身体を仕向けていくと、喘息はでなくても済むんです。身体はいやいや喘息を出していたんですね、私の身体で言えば。そういう身体の願いみたいなものを感じ取れるようになって、それを邪魔しないというか応援するというか、そういうふうな生活をし始めると、徐々に徐々に喘息というのは薄れていきますね。
 
金光:  昔から人間には、アレルギー的な要素みたいな、なんか身体の中にあるようですけれども、現代はどうも昔よりもむしろいろんなアレルギーを持つ人が増えているような気がするんですが、樺島さんもアレルギーをお持ちだったのがだんだん良くなってきたということをおっしゃっていますが、アレルギーというのは、どういう形で、これもよくなってきたんでしょうか?
 
樺島:  アレルギーは、西洋医学の概念ですけれども、私が治していった一番最初の実践としては、これやっぱり呼吸法ですね。「呼吸によってアレルギーが変わる」と言ったら、なんか不思議に思われるかも知れないですけれども、呼吸を少し腹圧が掛かるような呼吸をするんです。それによって腹圧が掛かりますから、内臓の血行がよくなるんですね。内臓の血行がよくなると、内臓の力が増してきます。そうすると、アレルギーの症状というのは減っていくんですね。内臓が基本ですから。
 
金光:  「一人整体」という言葉を使っていらっしゃいますけれども、仰向けに寝て、腰はそのまま付けたままで、足と頭を持ち上げて緊張しているのをストンと、これを「一人整体」と言うんだ、というふうに、私は理解したんですが、これによってもその微腹圧(びふくあつ)と言いますか、腹圧が少しは強くなるんでしょうか?
 
樺島:  まあ多少はよくなります。ですけれども、あんまり長い間効いてないんですから。ですから長い間効いているような呼吸法。簡単に言いますと、正座をして、少し身体を後ろに倒しまして、その状態でゆっくり腹式の呼吸をする。これでもう少し腹圧が掛かっています。ですからそれを根気よく何回も何回も繰り返していく間に―そうですね、私の喘息は三分の一はこの呼吸法で治っていますね。ですけども、完全にアレルギーの体質を克服するところまではいかなかった。それをいかしたのはやっぱり発酵食品ですね。発酵食品を自分でサプリメント(supplement:食事によって十分に摂りきれていない栄養素を補うための補助食品を総称したもの)を作ってやり出してから、ほんとにアレルギーの体質は消えましたね。今、若い人たちはあまり身体を動かさないですから、ですから内臓の力も実は弱いんだと思いますね。それは意識的に強くしていくという知恵が是非と主必要だと思いますけどね。
 
金光:  そういうご自分の場合の、そういう発酵食品というようなのは、自分の身体をいつも観察なさっていて、それで何かの情報が入ってきた時に〈あ、これが良いかも知れない〉というふうなことでお気付きになった、ということでしょうか?
 
樺島:  そうです。それで試してみる。とにかく自分の身体で試してみて、Yes かNoかを決める。大体いろんな情報は尾鰭がいっぱい付いてますからね。素直に信用できないですから、自分の身体で試してみる。で、OKだったらそれを畳み掛けてやってみる。
 
金光:  それと同時に、自分の意識と言いますか―さっき無意識の話が出ましたけども―自分の意識で何でもわかるみたいなところで判断していると、もう一つ多くのところに問題がある場合は、なかなか取り付き難い。それは解決し難いわけですけれども、それを坐禅のような坐って、呼吸のことが随分喧しく昔から言われているようですけれども、それを実践する魅力というか、それがあったということは、やっぱり意識の世界だけではない生き方、いのちというか、いのちの活力みたいなものを、そこで感じられた方が多かったということなんでしょうか?
 
樺島:  だと思います。気持ち良いです。気持ちいいから二千五百年とか、一説では五千年続いているんだと思いますね。
 
金光:  そうやってご自分の身体でやってみて、試みてみて、ああ、楽になったとか、ああ、良かった、というのが少しずつ積み重なってくる間に、まあ生まれて六十年経っていらっしゃるわけですけれども、アレルギーで喘息持ちで困っていた方が、だんだん健康になってきた実証の見本みたいなものですね。
 
樺島:  だから、予防医学とかいうのはバカにできないですね。治療を何回やってもマイナスからゼロまでですけれども、予防医学を本気で極めていくと、ゼロからプラスになるんですね。だからなんぼ良い名医に出会ったって、マイナスからゼロまでですけれどもね、自分でやっていくとゼロからプラスになった。それなんぼ上にいけますからね。
 
金光:  いろんなご自分で工夫された言葉が、昔の言葉を樺島流に言い直された言葉でしょうけれども、例えば道元さんの言葉で、これは面白いことをおっしゃるなと思ったのは、「身心脱落(しんじんだつらく)して脱落身心のまま思量底を思量する」という言葉をおっしゃっているんですが、わかったようでわからんようで、わかる人にはわかるしというようなものがあるのかも知れませんが、これは「身心脱落」というのは、道元さんの有名な言葉ですけれども、こういうのはもう意識を超えた世界になるわけですね。
 
樺島:  そうでしょうね。遊びで書きましたけどもね。
 
金光:  だからこうなってくると、意識でどうこうするというようなところでないところで、
 
樺島:  そうですね。やはり今は意識が出過ぎているところがある。歳というのは意識で作れますから、全部設計をして。だから意識が通用するんですけれども、私たちの身体も心も自然のままですからね。自然そのものですから、それは意識ではカバーできないですし。
 
金光:  今日、今お話伺っている薬師禅寺は、お部屋の外は、ガラス窓いっぱいに嵐山が迫っていますし、自然の中に埋もれているような寺なんですね。
 
樺島:  そうです。今は見えなかったと思いますけれども、猿が上に上がって行きましたね。
 
金光:  そうですか。猿の仲間みたいなものですね。
 
樺島:  仲間ですよ。あちらさんが先住民ですから「お邪魔しています」という感じですね。
 
金光:  やっぱり本来のそういう自然によって生かされているというか、自然によって生かされている、生きているのが自然の中でそのまま生きていると、あんまり変なくよくよする必要もないところでいけるんでしょうけれども、なまじ知恵が人間付きすぎましたもんですから、地球自体が怪しくなるようなところまでいっちゃっていますし、その辺のところはやっぱりもう一度本来の自分に具わっている意識だけではなくて、無意識によって生かされているいのちを、我が身体で感じるような生き方をする。そこに東洋医学であり、あるいは禅の世界の大事なところがある、と言えるのでしょうかね。
 
樺島:  そうだと思いますね。
 
金光:  そういう意味で長い間、自分の身体を調節、調整しながら、今のような肉体の見本を作っていらっしゃる樺島さんの体験なされたこと、これまた鵜呑みにしてしまうと具合が悪いわけでしょうから、我が身体でもう一度味わい直してみると、また新しい世界に気が付くとうこともあるだろうと思いますが。
 
樺島:  私の体操教室に長年来ている人は、私が命令しても自分に合わない体操しないですよ。
 
金光:  あ、そうなんですか。
 
樺島:  ここは樺島体操教室だから、あんたなのは知らないよと。だからこれやると気持ち悪いからしない、というのか、そういうふうにして自分に合った体操をやっていくんです。
 
金光:  樺島流であると。どうも有り難うございました。
 
     これは、平成二十二年一月二十四日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである