自分というもの
 
               曹洞宗大本山總持寺殿司兼講師 大 童(だいどう)  法 慧(ほうえ)
一九六九年、山口県周南市(徳山)生まれ。二十歳の頃、大切な人を亡くした絶望から「生きる意味」を求め、福井県仏国寺原田湛玄老師のもとへ通い、参禅をつづける。駒沢大学仏教学部禅学科を卒業後、二十七歳で出家得度。大本山永平寺にて安居修行。「仏のものの見方」を広めるべく、さまざまな活動を展開している。総持寺の参禅会「禅の一夜」は多くの参禅者を集めている。
               き き て          金 光  寿 郎
 
ナレーター:  今日は、横浜市鶴見(つるみ)の総持寺(そうじじ)で建物の管理をする殿司(でんす)の仕事と修行者の坐禅を指導をする講師の仕事を兼務している大童法慧さんに、「自分というもの」というテーマでお話を頂きます。ききては金光寿郎ディレクターです。
 

 
金光:  大童さんは在家のお生まれだそうですけれども、どういうきっかけでお坊さんになろうと思われたんでしょうか?
 
大童:  ちょうど二十歳ぐらいだったんですけれども、身近な方を亡くしてしまいまして―事故で。それがきっかけになりました。それまでまったく宗教なんか興味なかったんですね。むしろ胡散臭(うさんくさ)いものだと思っていました。ですが、物言わぬその人を見た時に、何でこう生きていかなければならないんだろうか、と。
 
金光:  我が身のことになったわけですね。
 
大童:  そうですね。何でこんな苦しい思いまでして生きていかなければならないんだろうか、と。どうせ死ぬんだったら早く死んじまった方が楽じゃないかと思った。だけど死ねない自分がいた。そこがきっかけとなって本を読み漁(あさ)ったんですね。
 
金光:  どういう種類の?
 
大童:  自然と仏教的なものに惹かれてきました。剣道をしていたせいか、禅の世界知らなかったわけじゃないんです。また家は浄土真宗ですから、そういったものを手に取ることが多かったですね。
 
金光:  でも、本を読んだだけでは、なかなか我が身の問題というのは、解決できる方向にはいかないでしょう。
 
大童:  いかなかったです。その上で、恥知らずのもので、近くのお寺とかに、どんと訪ねて行ったりして、坐禅ができると聞くと、先ずそこに行ってみたりとか、お話を聞いて貰ったりしながら、その中で出会ったのが、福井県の小浜市にあります発心寺(ほつしんじ)の赫照軒(かくしようけん)という庵ですね。原田祖岳(はらだそがく)(曹洞宗の僧侶で、臨済宗の禅も兼修したことで知られる:1871-1961)老師の隠居所であったところなんですけれども、そこの高橋祖潤(たかはしそじゆん)さんという尼僧の方と出会ったのが、頭を剃る出発点になりましたね。
 
金光:  原田祖岳老師というと非常に有名な方で、しかも曹洞宗(そうとうしゆう)の道元さまの流れを受けていらっしゃる方でありながら、臨済禅の公案(禅の参究課題)も取り入れた方ということで、私なんかもお名前を存じあげている方なんですが、その方の何かにぶつかったんですか?
 
大童:  そうです。それこそ東京の神田でしたけれども、古本屋さんで『人生の目的』という小冊子があったんです。それを手にした時に、「私たちの人生というのは成仏道の過程にある」と。
 
金光:  成仏する道ですね。
 
大童:  ええ。その過程にあると。「吾人(ごじん)は成仏道(じようぶつどう)の過程にある」という一文を読んだ時に、身が震えるぐらい感銘を受けたんです。
 
金光:  成仏する道の過程にある、と。
 
大童:  はい。それを一文を読んだ時に思ったのが、今私がこれだけ苦しいのも、これだけふらふらして道が定まらないのも、また成仏の過程にあるんだな、というところを。だから一筋の光が見えたというか、もの凄く感動したもんですから、その本の裏を見まして、出版社とか書いていますね、電話したんですよ、発心寺(ほつしんじ)赫照軒(かくしようけん)とありましたから。勿論その当時の電話番号とは違いましたから、調べて、まさか出ないだろうと思って電話したら、電話繋がったんです。それが高橋祖潤さんという尼僧さんでした。
 
金光:  で、その方にこういう祖岳老師のこういう本を読んで感銘を受けたから。
 
大童:  「私が、こういうことがあって、今こういう本を手にしました」と。そうすると話を聞いてくれたんですね、電話の向こうでね。凄くその感じが良くて。で、私「川本」という名字なんですけども、「川本さん、今すぐ小浜に来られない?」というふうなことを言われて、その翌々日には小浜に行っていまして、高橋先生とお会いすることができました。そこから赫照軒の原田祖岳老師のお部屋を見せて頂いた時に、祖岳老師が使っていらっしゃった寝室を見せてくださったんです。そうですね、畳三畳でしたかね、それが原田祖岳老師の部屋であり寝室である、というふうに聞いた時に、〈あ、人間というのはこんなふうに生きていけるんだ〉というふうな喜びみたいなものを凄く感じて、こういう世界があるんだな、というところを感じて、そして祖潤先生の師匠である原田湛玄(はらだたんげん)(1924年、新潟県生まれ。当時十八歳で特攻隊志願。その後十年間、原田祖岳老師のもと発心寺で修行を続け、1955年、三十歳で現在の仏国寺の住職となり、以後50年以上にわたり、国内からはもちろん世界各国から修行者を広く受け入れて、真実の仏法を説き、坐禅指導を続けている)老師のところに連れて行かれたんですね。
 
金光:  湛玄老師というと、小浜の仏国寺のご住職さんですね。発心寺も有名ですけれども、仏国寺も非常に諸外国に知られているお寺のようで、外国の人も来られているようでございますね。
 
大童:  法を求めて、志を持って集まる方が多かったです。ですから僧侶の方で二十名ぐらいいらっしゃいましたし、私のような僧侶でないものがまた二十名ぐらいおりました。攝心(せつしん)になると五十名六十名の方が参じていました。
 
金光:  そこでまたご自分の心境を「斯(か)く斯く然々(しかじか)であります」と。
 
大童:  そうですね。今思えば原田湛玄老師も認めてくれていたんでしょう。「斯く斯く然々であります」という話さえも受け付けてくれませんでした。
 
金光:  そうなんですか?
 
大童:  ええ。お客さん扱いでなかったんですね。ですから坐禅のことは、最初に「坐禅をしましょう」と言われました。
 
金光:  湛玄老師がそうおっしゃったんですか?
 
大童:  坐禅の仕方をいきなり教えてくださって。私が思っている心情とか、抱えている事情とかは一切聞かれませんでした。ある公案を与えられました。そして「ひたすら準じていきなさい」と。ここの生活に準じていきなさい、と。
 
金光:  「準する」ということは、慣れ親しんで、という、そういう感じなんですか?
 
大童:  慣れ親しむと同時に、その中で最初に言われたのが、「いま・ここ・自分」と。そして「自分と他人を比べない」と、それだけです。だから私が、まったく禅という世界を知らなかったし、まったく仏教に興味もなかったんだけれども、なんだか知らないうちにこう引っ張られるように、仏国寺(ぶつこくじ)に連れて来られて、坐禅の仕方を習って、「じゃ、坐りましょう」と。
 
金光:  でも、「いま・ここ・自分」というと、そこの自分は苦しんで苦しんで、という、そこへ先ずそれが口から出かかるんじゃないかという気がしますけど、そうはならなかったんですか?とにかく「坐りましょう」と言われると。
 
大童:  口が出せないですね、こちらが。威厳があったというかな、隙がないというか。ただ湛玄老師のような人がいらっしゃる、〈こういう人になりたいな、こういう人のように生きていきたいな〉というのを凄く感じたんです。だから言葉は必要なかったんですね、逆に言えば。斯く斯く然々では。むしろ本当のところは何だろうか、というところでしか問題にされていませんでしたから。
 
金光:  「いま・ここ・自分」というのは、もうそれ以外にないと言えば無いと言えるでしょうけど、いきなり「いま・ここ・自分」で、「坐りましょう」と言われて、その次に大童さん、どうなさったんですか?
 
大童:  随分苦しみました。先ず苦しんだのが、足が痛くて。太っていましたし、身体が固かったもんだから、一?(いつちゆう)四十分の間、半跏趺坐(はんかふざ)でさえできませんでした。何度も何度も足を組み替えて、泣きそうになりながら坐っていました。ただ与えられた公案が、自分の中にとてもとても大切なものになっていたんですね。最初にお会いした時に、〈あ、この人ならば〉という思いが凄く得られたもんですから、そこにこちらも若かったんでしょうね、疑問を差し挟まなかった。その中で折りに触れて湛玄老師が、私たちに行茶(ぎようちや)とか、また提唱(ていしよう)の時にお話をされるんです。「今とはどういうものなのか。こことはどこなのか。自分とは何なのか」それを聞きながら参じていました。だからそうですね、お会いして大学の四年間、時間とお金ができると仏国寺へ行って。その頃東京駅から福井駅の深夜高速バスが出ておりまして、敦賀の駅で降りて、小浜線に乗って小浜に行くというふうなことをしていました。短い時には、たった半日のために行きましたし、長い時には夏休み二ヶ月ぐらいズッと住み込みで。やっぱり湛玄老師のお姿を見たくて、お声に触れたくて。で、坐禅に勿論下宿のアパートでも坐っていましたけれども、やっぱり仏国寺で坐りたいという思いが強かったもんですから、時間とお金の用意できるとすぐに行っていましたね。
 
金光:  それで大童さんの「何で生きなければいけないのか」というような、そういう苦しい状況というのは、その間に少しずつでも解(ほぐ)れてきたものですか? それはどういう形で変化したんでしょう?
 
大童:  実は四年間通いましたけれども、まったく解れませんでした、というか、むしろ苦しかった。坐禅することが辛くなりました。でも湛玄老師の声を聞きたくて、湛玄老師の姿を見たくて行っていましたね。結局大学出て、恥ずかしいことに就職もしないで、そのお寺に入りまして。
 
金光:  一種の発心(ほつしん)というか、「よし、ここでやってやろう」という気持ちがどっかにあったんでしょうね。
 
大童:  いや、やっぱり〈何故生きるか、何故死ぬのかがわからないと、何をしてもダメだ〉と思ってしまったんですよ。それで仏国寺に入って修行を、というふうな道を選びました。修行生活に入る。私は、先ほど申した通り在家の出身ですから、友だちがみなお坊さんじゃないですよ―私の友人みんな。
 
金光:  それまでの友だちは・・・そうでしょう。
 
大童:  ですから友だちが、どこかの会社に就職したとかという話も聞きますし、仏国寺で修行していて、坐っていてふと思うことがあるんですね。〈俺、一体何しているんだろう? この先一体どうなるんだろうか?〉と。泣いたこともありますしね。〈こんなところに居てもダメだな〉と思う日もありました。今思えば、ほんとは坐禅にだけ集中できてとてもとても素敵な時間だったんだけれども、修行することにさえ疑問を持ったりした自分が正直ありました。だからますます苦しくなりましたね。
 
金光:  その場合に、自分は何でこんな苦しい目に遭うのかとか、自分はこんなことしてどうなるんだろうかとか、自分というものが常にありますよね。その自分についてどういうふうに変化したんですか?
 
大童:  よく湛玄老師が、「自分という塊(かたまり)なんぞ、ない」ということをおしゃっていた。
 
金光:  それは日頃からおっしゃっていた?
 
大童:  おっしゃっていたんです。提唱の時とか、行茶の時とかにおっしゃっていた。ですが、仏国寺のあり方として独参(どくさん)(師家の室に入り、一対一で自分の境涯を示し、師家に点検を乞う)というのがあるんですね、日常的に。独参に行った時に、「自分という塊はない」と、また私に言われた。私は思い余っていましたから、この自分を何とかしたいと、どうにかしたいという思いが強くて思い余って、私は、堪らずに湛玄老師の腕を取って、「じゃあ、これは誰の手なんですか?」と言ったんです。その瞬間、私は、老師に警策(きようさく)(坐禅のとき、修行者の肩ないし背中を打つための棒を指す)の短いものでバチッと打たれてしまいました。でも気づけなかったんですね。自分という塊だったから。
 
金光:  自分の塊は取れないですよね。どこまでいっても自分の塊がいろいろ悩みのもとを造っているというのがあるもんですから。
 
大童:  「自分という塊を手放すことはできるんだ」ということに気づけたんですね。
 
金光:  なるほど。それはその時ではないでしょう?
 
大童:  その時ではないです。だから打たれたから、警策で打たれたもんですから、より自分という塊を強くしちゃって(笑い)。
 
金光:  そうでしょう、その時は。
 
大童:  気づけないですね、やっぱりああいうのって。だからさっきも申しましたけれども、最初に湛玄老師が、私に、あれこれ聞かずに、坐禅というものをそのままドッと教えてくださった。そこのお心に最初に気づくべきだったですね。「根元的に解決するところがあるんですよ」と。よくおっしゃっていることは、「何があっても大丈夫な人になれ」ということをおっしゃっていたんです。「何があっても大丈夫」とかというけれども、どうなの?と思うことがズーッとあったんですね、正直。坐禅しても足が痛いし、公案がなかなか自分のものになれないし、だからほんとに大丈夫なの? ほんとに大丈夫なの?と思いながらも、「大丈夫、大丈夫」と。繰り返し、湛玄老師が、「何があっても大丈夫」とおっしゃる。一番最初に「自分という塊がない」と言われたことが、私の中で、何でだろう?という思いが凄く膨らんでいった。自分という塊ってなんだろう?と。それが無いってどういうことなんだろう?と。合わせて、「今ここが一番なんだ」と、こうおっしゃった。これだけ苦しんでいる今が、どこが一番なんだろうと(笑い)。だから私のやること為すこと、先ず正反対のことをおっしゃるもんだから。でもおっしゃるお姿がまさにそのようなお姿であったもんだから付いていけていなかったけど、付いていけたんでしょうね。途中で心折れることなく、この道があるんだ、と。だから最初に申した祖岳老師の「成仏道の過程」というのが、本当に細い糸のところでしたけれども、最初の私の問いかけと疑問とかが、そして湛玄老師が育ってくださったと思っています。
 
金光:  それでその後の湛玄老師との接触された中で、これもご本で紹介されているんで、私、ほんとにビックリしたんですが、あるご婦人が訪ねて来て、その父親の方が飲んべえで、今でいう家庭内暴力を振るうし、お母さんは耐えて耐えて、ついに耐えきれないで、その農薬を飲んで自殺を図られた、と。その後の苦しみの中で、娘さんは、その様子を見ていて、お母さんは、これで回復しても苦労が多いだけだろうから、これは亡くなっていった方が彼女のために幸せなんじゃないじゃないかと思っていて、そのお母さまは亡くなられたんですが、その後ご自分は結婚されて、子どもさんができた後で、自分は、お母さんが亡くなるのを助けたというか、気持ちの上ではお母さんを殺したというふうに、それを気に病んで気に病んで、その悩みを湛玄老師に打ち明けられた、と。これ凄まじい話で、ほんとに凄いなと思ったんですが、その時傍にいらっしゃったわけですね。
 
大童:  勿論ズッと一緒にその場にいたわけじゃないんですけども、お茶を運びながら、また陰で控えておくようにということで、戸障子の後ろで控えて聞いていましたし、その後彼女が変わっていく姿も見ていまして、坐禅を続けていくようになったその姿を見ながら、「人というのは変われるんだ」というふうな思いがありました。私自身も変われたように、彼女も変われていかれたし、その時は湛玄老師が全部彼女の事情を聞いて教化(きようけ)指導の説得されたわけですけれども、彼女に限らずさまざまな方が悩みを持って来られていましたね。
 
金光:  その最初に大童さんが、わが悩みを述べようとした時は全然相手にされなかったわけでしょう。
 
大童:  そうなんですよ。
 
金光:  しかもそのご婦人が見えた時の、最初の言葉が、並の人じゃとても出せない言葉だと思うんですね。「お母様をもう一度殺しなさい」とおっしゃったという。これは凄いことですよね。と言われた彼女は、またおそらくその当時の心境にご自分がなってしまわれたような感じじゃないかと思いますが、目だけ伏されて、暫く時間が経った後で、また優しい声で―これはなかなか呼吸というか、相手の気持ちをどういうふうに、それこそ自分という塊を壊して、新しい自分に気付かせられる。「これからは、お母さんの笑顔を思い出してあげなさいね」とおっしゃったと言うんでしょう。これは信じられないような感じがしますね。
 
大童:  その人に向けて言った言葉が、他の人にもそれが通用するかというと、通用しないですね。やっぱりその人であって、また湛玄老師であったなればこそ、その言葉が響いた。
 
金光:  だから言葉だけが一人歩きするとえらいことになりますからね。
 
大童:  雰囲気の中で、また時期ってやっぱりありますからね。
 
金光:  そういう意味でも、私は二、三度お話を伺ったことがある湛玄老師ですけども、そういう相手に応じての、しかも相手の苦しみの根元を、もう一度ピシャッと取り出して打ち砕かれる。それは凄いなというほんとに驚きで拝見したんですが。
 
大童:  そういう力量を持った素晴らしい師匠だと、私は思っています。
 
金光:  ということで、そのご婦人の場合も、自分という塊がないということに気付かれたわけですが、大童法慧さんご自身の自分という塊はその後どういうふうになっていますか?
 
大童:  いや、日々大変でございます(笑い)。
 
金光:  でも昔と違いますでしょう? 自分に対する見方というか、
 
大童:  随分楽になりました。
 
金光:  その辺どうすればいいんですかね?
 
大童:  坐禅しましょう。(笑い)
 
金光:  なるほど。(笑い)
 
大童:  ただ今思うんだけども、やっぱりここにいますと、たくさんの方が来られます。悩みもっている方、また寝たきりになることだってあるわけだから、そういう方に向かって「坐禅しましょう」とは言えないでしょう。だから今私は、「一息の禅」ということを伝えています。できるだけ身体真っ直ぐにして、一呼吸を実践していくというところで。そういった形で伝えておりますけれども、私も坐禅によってこの道があるということを知りましたから。もし私のところに来る方がいらっしゃるならば、やっぱり同じように坐禅によって、というしか、私は知りません。
 
金光:  「一呼吸」というのは、どういうふうに説明されるんですか?
 
大童:  歩いていても、坐っていても、椅子に坐っていても、身体を真っ直ぐにして、坐禅と同じ要領で、先ず身体の空気をすべて出してください。そうすると、新しい空気が入ってきますよ、と。入ってきたらお臍の下にグッと空気を落として、そこからゆっくりと下に向かって吐きましょう、と。この一息。この一息にすべてがある、と。この一息で自分という塊がないというところまで、気づき育てていくことができる、できた。だからこれを伝えたいと思っています。何で一息かとは思わないでほしい。私たちはこの一息しかないわけですから。私たちはこの過去を生きることもできないし、未来を生きることもできない。私たちが生きているところはこの一息のところです。言葉を換えていうならば、「今・ここ、今・ここ」です。
 
金光:  ただ残念ながら人間には頭というものがありまして、いろんなことを頭の中で考えているんじゃないですか。坐って妄想を止めようなんて思うと、ますます考えるなるようになるんですが、これはどうすればいいんですか?
 
大童:  「坐禅中に起こってきたことは、相手にするな。邪魔にするな」と、私は湛玄老師から何度も教わりました。何が起きてもまた何も起きなくとも、悟りを期待する心とかもありますからね。何が起きても、何も起きなくとも、相手にするな、邪魔にするなと。ですが、やっぱり浮かんでくることは浮かんでくるんです、たくさんのことが。でも相手にしない、邪魔にしない。先ほど私が申した一息の禅。これいいところというのは、この一息の間って、割と浮かんで来ないんです。四十分だから。ただこの一息を次の一息、その次の一息と続けることによって、自分という塊がない世界。何があっても大丈夫な自分というところ。確かに「今・ここ、すべてにすべてがあったんだな」と言える世界。とても自由で温かなところが、湛玄老師が生きてこられたその世界を、私たちもまた生きていけると思うんです。
 
金光:  「身心学道(しんしんがくどう)」なんていう言葉がありますね。身の方が先で、心は後になっていますね。今の話を伺っていると、「一息」というのは、身体の方ですね。呼吸も身体ですから、先ずそれに集中しなさい、と。心の方は放っときなさいと。
 
大童:  放っとけというのは言葉が悪いかも知れませんけど、私たちって、癖で自分の頭ですべて解決できると思いがちなんですね。でもなかなかそうじゃないですね。苦しいなと思う心と、苦しさから逃げたいなと思う心。同じ心ですから、心で心を押さえつけても下になる心はコロコロ転がっていく。だから心で心を押さえつけるようなアプローチの仕方と、もう一つ身体から心にアプローチしていく仕方を心得ておく、覚えておく。だから身体から心にアプローチしていく。それが坐禅になります。
 
金光:  そうすれば、「ほんと」という言葉付けていいのかどうかわかりませんけれども、日頃考えていた自分ではない自分というか、
 
大童:  だけどそれは遠くにあるんじゃないですよ。遠くにある自分じゃないですよ。今の自分ないんですよ。
 
金光:  別じゃないですけども。
 
大童:  ハッと気付きます。あ、塊が無いんだ、というところが、ハタと頷(うなず)ける。それが努力して努力して、修行して修行して、ようやく塊のない自分に届くんじゃなくて、「もともと塊のない自分だったんだ」というところに気付く、そのありようですね。だから日々の中で、例えば仏教に親しみ方多いと思います。こういうラジオとか、宗教のものに関心のある方ならば、その中で思いを正しく育ててほしいなと思うんです。そして正しく育てていく中で、またその思いを共有できるような人、私にとって湛玄老師がそうであったように、また祖岳老師がそうであったように、それを支えてくれた高橋祖潤先生がそうであったように、そういった方々と出会える。それが縁となって自分という塊がないというところまで、私たちは心を深めていける、そう思っております。
 
金光:  どうもありがとうございました。
 
     これは、平成二十五年八月四日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである