死を超える道
 
                養専寺住職 森 重(もりしげ)  一 成(いつせい)
一九三一年(昭和六年)、広島県生まれ。龍谷大学文学部仏教学科卒。現在、浄土真宗本願寺派養専寺住職。本願寺派布教使。中国新聞カルチャーセンター「わかりやすい仏教」講師。保護司。
                き き て 金 光  寿 郎
 
ナレーター:  今日は、「死を超える道」というテーマで広島市の養専寺(ようせんじ)住職森重一成さんにお話頂きます。聞き手は金光寿郎さんです。
 

 
金光:  仏教では、「生」と「死」―「生死一如(しようじいちによ)」というようなことで、生と死というのは別々のものではないというようなことがあるんですけれども、どうも最近の日本の人の様子を見ていますと、「死ぬ」ということと「生きている」ということは、全然別のことだと考えていらっしゃる方が多くて、死んだらもう無くなってしまうと。それで終わりというふうに考えていらっしゃる方が多いようなんでございますけれども、その点については、森重さんはどうお考えでございますか?
 
森重:  私は、終戦目で日本人は大きく変わった。そしてまた次に変わった時がある。それは大体三十数年ぐらい前、田中角栄さんが政権を握った頃からです。ご存知のように東京オリンピック、大阪万博、それから新幹線、高速道路―その頃から日本の経済が非常に進んできました。
 
金光:  列島改造という形で、
 
森重:  ええ。その頃からですね、経済第一主義と。精神的なものは後回し。物質的なものが尊重されるようになった。そして科学で証明できないものは、否定されるようになった。信用できなくなった。私の子どもの頃は、年寄りがよく言ったもんですね、「善いことをせいよ。善いことをしたら極楽へ生ける。悪いことをしたらあかん。悪いことをしたら罰が当たって、地獄へ堕ちる」ということをよく言ったもんですね。だけど、私は、子どもの頃は、極楽はピンとこなかったです。だけど地獄は恐かったですね。全身火傷地獄絵図を見せられましたですね。大変だと。鬼が虐める、ということで、悪いことをしてはいけん。これがやっぱり生きている現在の生活に影響しておったと思うんですね。だけど科学で証明できない。だから極楽もないし、地獄もない。何故ならば証明できない、という人たちが増えてきましたですね、この頃から。その頃から来世を否定するという人が増えてきました。浄土真宗はご存知のように、「仏として浄土に生まれる教え」なんですね。そして今度、「仏として浄土から、また活動すると教え」ですから、非常に存在感がちょっと薄くなったというか、浄土を否定するという人が増えてきたもんですから、宗教としても大変難しい立場に立ったと思うんですけども。で、私、思うのは、来世というか、その次なる世界があるということは非常に大変なことだと思うんですね。何故かと言いますと、命を終わって帰る世界がある。この帰る世界があるというのは、生きている私たちの大きな支えになると思うんですね。と申しますのは、例えば旅行に出るとわかるんですね。旅行が何故楽しいのか。景色も良い、美味しいものもよばれる。またお土産買う。ショッピングも楽しい。だけど旅を支えているものは何かというと、解散して、別れて帰る家があるからですね。帰る家がなかったら、もう旅行大変でしたよ。景色も上の空、食べるものも喉を通りませんし、ショッピングも嬉しいことはない。「ただいま」と帰る家がある。待ってくれる家族がいる。だから旅行が楽しいんですね。今、日本人はそれ持っていない。死んだらお終いですから。だから一つは、この人生は、「この世は生きているうちが花だから、楽しもう」という、ここにポイントがあるんですね、この人生に。「楽しむ」というところにポイントを置くもんですから、小さい子どもから大人に至るまで、その姿勢ですね。
 
金光:  ただ、本当は楽しむにしても、帰るところがない人が楽しむのと、それからいつでも安心して帰れるところがあるという人が楽しむのじゃ、楽しみ方が違ってくると思いますね。
 
森重:  だからまさに現在は、さっき言ったような、楽しむためにはお金が要りますので、だから「お金がほしい、お金がほしい」という「金金(かねかね)時代」になった。それともう一つ、「悪いことをしても、罰が当たらない」。何故ならば、地獄がないんだから。この二つが重なったもんですから、日本は変な方向に向きましてね、金のためには手段を選ばないという。「偽の時代」とか、あるいは「変な時代」とか、というふうな時代になってきたんですね。
 
金光:  考えてみますと、科学にしましても、科学が証明すると言われても、ノーベル賞貰ったような人たちが証明されたことは間違いないだろうと信じてはいますけれども、個々の人がそれがわかっているかというと、それはまったく自分で実証したわけではなくて、あの人がそう言っているから、みんながそういっているから、そうだろう、という程度で、それだったら、「仏さんが待っていらっしゃる」というのも、あの人が言うんだったら間違いないだろうというところで結び付いてもおかしくないだろうという気はするんですけれども、方程式かなんかで証明されないと、「お浄土」というのは方程式で証明されるようなもんじゃないわけですから、ただ現実にお浄土があると信じて生きている人の生き方と、そうじゃない人の生き方は随分違ってきますでしょうね。
 
森重:  違いますね。
 
金光:  理屈以前に、そういう方にお会いすることができれば、やっぱりこの人は違っていると。
 
森重:  それは違いますね。是非紹介したいお婆さんがいるんですね、私の御門徒の中に。阿弥陀さんのみ教えに出会うて、その生き方の中に、まさにお念仏に生きているという人生を送ったお婆さんがあります。このお名前は、滝野ひさよさん。昭和五十九年四月八日、お釈迦さんのご誕生の日に九十歳で亡くなった、懐かしい懐かしいお婆さんなんですね。このお婆さんが、子どもの頃から病弱だった、と。小さい時から、「人間の命、死んだらどうなるのか」ということを非常に考えておった。だからいわゆる「後生の一大事」と申しますか、命の行方の問題を真剣にずっと求めておったんだと。ずっと田舎の方なんですけども、昔ですから若い人、男女がお寺に参ります。お経を読む時に、着物を着てまいっておったというんですね。その頃に、後ろから男の人が袖を引っ張る。いわゆるモーションを掛ける。その時に「男よりも後生の一大事の解決の方が大事だ。何でやったんだ」と袖を払ったんですよ。「私の着物は何遍か袖が綻(ほころ)びたもんです」と、お婆さんは言っておられましたね。一生懸命聴聞しても、どうしてもご信心が得られない。喜べない、ということで、とうとうこのお婆さんは、その村に有り難いお爺さんがおったらしいんですよ。そこへ住み込みのお手伝いとして入る。
 
金光:  そのお爺さんはわかっていらっしゃる?
 
森重:  もう非常に有名なご法友の方です。そのお爺さんなら、ご信心頂けるんじゃないだろうかというので、そこへ住み込みで入った。そして一生懸命一生懸命、ご信心頂けないと焦って聞いたらしいんですね。そうしたら、そうした自分に執着した姿を、お爺さんが懇々と諭しまして、「あんたのように、ご信心が頂けん、頂けんと、こっちからご信心を頼むんじゃないで。阿弥陀様の方から、あんたを助けてやろうというてくださっておるんだから、それに気がつかにゃ。素直にならにゃ」と言われたらしい。それから気分がこう軽うなっていった。そして聴聞を重ねる毎に、お爺さんのいう通りだなと。そのお念仏の心が身に沁みていったという。そういうお婆さん。これはどっかの旅館があったらしいんです。そこのお手伝いに行っておったらしい。そこにうちのご門徒の、まあお爺さん―まあその頃若かったんですけど―なんか行商でその旅館に泊まったらしい。その時にそのお婆さんの顔が何とも言えない和やかふくよかで一番感じがいいんですね。その雰囲気にもう惚れ込みまして、「頼むから儂のところへ来てくれ」というので、連れて帰ってお嫁さんにしたという。ところがこのお婆さんは、四回目だったそうです。それは何遍かご主人が亡くなったようで―よう分かりませんが、弱いから帰らされたりしたのかもわかりません―四回目だった。爺さんの方も四回目だった。これも一番最初の奥さんが、一人娘さん残して亡くなった。二人目の奥さんが、二人、子どもを残して亡くなった。三番目の子どもさんが生まれたんですね、子どもを残して亡くなった。そして四人目と。どちらも、だからそういう状態の中で結婚されたんだそうです。私が、お通夜の晩にまいりました。そうしたら、一人は既に亡くなったという息子さんの方は。あと残った三人の娘さん、いずれも七十代だったんです。それがこのお婆さんの布団にしがみついて「お母さん、ありがとう。お母さん、ありがとう」と、みな義理の子どもなんです。義理の子どもですけどもね、本当の母親以上に義母(はは)を慕うんですね。みんな貰い泣き致しまして、近所の人も泣く。私も涙流しながら、お勤めさして貰ったんですね。だからもう近所の人では、「このお婆さんは、生きながらにして菩薩じゃないだろうか」と慕われておったんですね。このお爺さんの方も、うちの総代をやって貰っておったんですが、有り難い人でして、「なんまんだ、なんまんだ・・・」甲高(かんだか)いお念仏の声が未だ私の耳に残っております。このお爺さんが、また善い人で、お婆さんがちょこちょこ粗相する、失敗する。ニコニコ笑ってお爺さんが、「うん、大したことはないよ、大したことないよ」というて、何でもゆるしてくれた。お互いにお念仏に結ばれて拝み合う夫婦だった、ということなんですね。そのお婆さんが、過去のことは一切話をしません。苦労話は全然しない。だけど一年に一遍報恩講参りというのがあるんです、家の方に。その報恩講に参り来たお婆さんが言うことが、もう三つほどいつも口癖のように言っておりました。ニコニコされて笑えながら、「私はね、仏さんのお話を聞いて、お慈悲に出会うてから、赤の他人は一人もおらんようになりました」。他人はおらん。だからまさに自分の腹痛めていない子どもに関わらずに、本当にこの子どもさんを可愛がったんですね。二つ目、と言っても、「仏さんの前にはみんな同じ。同じだと思うたら、特にへいこら、へいこら―これ広島弁ですが―ぺこぺこする人もおらなくなりました」。だから貧しいけれども、プライドのあるお婆さんでしたね。それから三つ目、「お話に遇えば遇うほど、仏さまの教えに出会えば出会うほど、光に会えば会うほど、恥ずかしいのはこの私、お粗末なこの私、と思うたら、他の人がみんな許せるようになりました。だから悪い人は誰もおりません。従って腹の立つことがなくなりました」と。この三つを、いつも毎年参ったら、口癖に聞かされておりました。淡々としてね―素朴なお婆さんでしたけども、その中にお念仏に支えられた揺るぎない人生、それが教えられた気がしましたですね。
 
金光:  やっぱりそれだけ熱心になんとかお助けに預かりたい、報われたいとか、これはいわばエゴから出ていますよね。我執の塊みたいなもんですけれども、それがあったから、その姿勢が解(ほぐ)されて、だんだん皮を取られちゃって、そういうものがなくなると、それこそお慈悲さまが頂けるようになられた、ということですね。
 
森重:  聴聞というのがそうですね。聴なくして聞なし。求めなかったらやっぱり聞けてこない。だから最初はほんとは一生懸命求めたらしいですね。毎日毎日泣きながら焦りながら求めた、というように言っておられました。
 
金光:  でも、今の境地に到達していらっしゃると、この世であろうと、あるいはこの世の命がおわっても、同じ生き方でいいという、そういう安心を持つことができるでしょうね。
 
森重:  そうですね。まだ他にもいくつかうちのご門徒で、例がありますけれども、この間、ご法事がありましてね、まだ一月になりません。九十一歳で亡くなったお婆さんなんですね。非常に有り難いお婆さんでした。そのお婆さんは、広島の大学病院の前で食堂をやっておりました。うどんやらお好み焼きやっておりました。親鸞聖人のご命日―一月十五日、十六日は、自分はいうまでもなく、お客さんにも訳を話して精進料理しか出さなかったということです。だから学生さんが来たら、「今日はね、親鸞さんのご命日だから、あなたたちも精進するのよ」というたら、「はい」と素直にいうことを聞いておったという。一本筋の入った人なんです。この方が亡くなった時に、四十九日の満中陰(まんちゆういん)の法要、その時に茶の子(仏事の際の供物や配り物)配られたんですね、子どもさんが。その茶の子の中に、お婆さんの生前子どもさんに遺した歌が入っております。コピーを私たちに配ってくださった。それによるとどう書いてあるかというと、
 
ゆく先をおのが心にとわずして
まずみ仏にたずねまつれ
 
こういう言葉が遺したんですね。自分の行く先というのは、自分で考えたらわかりません。不安です。だから、それを私たちの心で問うなよと。阿弥陀様に聞きなさいと。如来さんがわたしたちのために、大丈夫! 心配ない! あなたの命の行く先は私が引き受けた≠ニいうておられる阿弥陀さまのお言葉を素直に頂きなさいよ」という言葉を遺したんですね。その立場に立たないと、お浄土と私は結び付かないというふうに思うんですね。
 
金光:  今のお婆さんなんかは、自分が亡くなるというようなことについても、全く動揺というか、
 
森重:  ありませんね。これ見たらね。
 
わが死なばわれはよかろうされどして
  子どもらはゆくたびぞなく
 
亡くなる四年前に、母親が娘さんを遺した。娘二人ほどですけど、それを遺した。「これ、どういう意味です?」と聞いてみたんです。そうしたら母親が、「私が死んでも、私は問題ない。私は如来さまの国に帰られて頂くんだから、私は問題ない。だけど私が亡くなったら、子どもらが、母ちゃんが居なくなって寂しくなたねぇと、何編か泣くんじゃないだろうかな」というふうな意味なんだそうです。
 
金光:  もうしかしその方は生きているうちから、お浄土に住んでいらっしゃるわけですね。
 
森重:  そうです。
 
たとい罪業は深重なりとも必ず弥陀如来は救いましますべし
 
という。蓮如上人の「御文章」の言葉が横へ添えてありましたね。そしてこの歌を遺してありますね。もう一人これ中野アサコさん。これ凄いですね、ほんとに。平成十一年四月十九日に亡くなった。八十歳で亡くなった中野アサコさんですけども。この方は、十六年ぐらい入院生活。何かと言いますと、両足の皮膚癌だそうです。皮膚癌というのは痛みを伴うんですね。で、何遍か何遍か手術したらしいんです。それでも完治しない。だんだんだんだん痛みが酷くなる。最後は痛み止めを打たないと持てない。しかもそれ二十四時間。だから寝ている間も痛みを打つんですね。そういう状態で八十歳で亡くなったんですけども。その亡くなる十ヶ月前に、なんか病院のベッドから転げ落ちたらしいんです。そして大腿部骨折致しました。それからの間ズーッと寝たきりでなく、寝れんのですね。寝れない。
 
金光:  ギブスかなんかでおそらく固定して、横になれないわけですね?
 
森重:  横に寝れない。ズーッとアルファベッドのLの字。Lの字の格好のままジッと二十四時間、亡くなる八ヶ月ぐらいかな。だから首が動かせたのと、手が動かせた。あとはジッとそのまんま。しかも激痛がズーッと続くんですね。そういう状態の中で、八十歳の人生を終えられたんですけども、これが最後の最後まで、「感謝と優しい心を忘れなかった」というお婆さんですけどね。明るく輝いておるんですよ、その状態が。それでお孫さんが、「うちのおばあちゃんは生き仏さんだね」というふうに孫たちが感動しておった、というふうに言っておられますね。お嫁さんの言葉ですけども、「二十四時間激痛の中にズッと坐っておった。その間、涙見せることなく、私は幸せ者よのぉ≠るいは勿体ないのぉ≠ェ口癖で生き抜いてきた。そのお婆さんの後ろ姿に、まさにお念仏の人生の素晴らしさとか、強さというものを教えられたことでした」というふうに言っておられましたですね。
 
金光:  すべて阿弥陀様から頂いているという形で受け取っていらっしゃるんですね。
 
森重:  そうですね。「わし一人じゃない。一緒になって泣いてくださる阿弥陀様がおられるんだ」と。あれが痛みを癒やしたんじゃないでしょうか。
 
金光:  それがあるからお念仏が常に出てくるということで、阿弥陀様とお念仏―阿弥陀仏さまがご一緒ということでしょうね。
 
森重:  そういうことですね。
 
金光:  やっぱりそこにそれこそ死を超える道があると。生き証人という、今ご紹介頂いた方なんかは、その生きた証人と言いますでしょうね。
 
森重:  だからそのお嫁さんが非常に信心の篤い方になっておられますね。私は、このお婆さんのずっと書いた日記をお嫁さんから見せて貰った。それをこうなんぼかに纏めますと、とにかく昭和五十八年からズッと生傷が絶えない。痛みが続く。平成八年からさらに酷くなって痛み止めの注射が必要。だけど日記のどこを見ても、不平不満がまったく書いてないんですね。愚痴が書いてない。それからまだ教えられたことがあるんですね。先ほどのような大騒ぎしておった状態なんですけれども、毎月ですね、十六日親鸞聖人のご命日、その時は、日記を見ると、毎月どの月でも、「今日は大事な親鸞さまのご命日。聖人様のご苦労を思え出しては勿体ないこと。ただただありがとうございます、ありがとうございます」と書いていますね。それから何冊かあるノートの右側の端に「南無阿弥陀仏」が四つか五つぐらい、「なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ」と書いてある。それから時には、左側も書いてある。全部どの日記もそう書いてあるんですね。それから「慚愧(ざんき)」という言葉が書いてあったんです。私たち人間というのは、二つの姿を持っていると思うんですね。一つは、何かというと、他の動物とあまり変わらない、という姿ですね。欲も多く、あるいはまた異性を求めね、愚痴をこぼし、要するに他の動物とあまり変わらないという姿を持っているんですね、人間は。ところがそれだけでないですね。もう一つは、その他の動物とは変わらないという自分の姿を否定するという。それが人間の尊さだと思うんですね。「あ、このままじゃ恥ずかしい」「このままじゃ他のものと変わりはせんじゃないか」「わしは恥ずかしい」この動物的な生き方を否定するというか、その姿が、私は大事だと思うんですね、この世に。それはなかなか自分自身では出てこないもんです。光に触れて出てくるんですね。「凡夫」ということは、光に触れて出てくる私の姿。「凡夫」というのは、よく私たちは、「凡夫だから仕方がない」と言い分けに使いますね。言い分けに使うけど、あの時の凡夫は、凡夫以下なんですね。本当の凡夫というのは、仏さまの智慧の光に出会って、今まで気が付かなかった自分のお恥ずかしい姿を教えられて、「あ、凡夫だな」そこで凡夫が出てくると思う。それがやっぱり宗教というものの大事な面だろうと。要するに、善導(ぜんどう)大師(中国・唐代の浄土教の大成者:613?-681)は、「経(きよう)は教(きよう)なり、教(きよう)は鏡(きよう)なり」お経は教えである、教えは鏡である、ということを言っておられます。それであって、出てくる姿が凡夫という姿ですね。このままじゃ恥ずかしい。このままじゃダメだという姿が、人間の尊さで、それがやっぱり世の中を大事にしていくというか、立派にしていく大きな原動力だろうと思いますね。
 
金光:  そういう生活を伺うと、やっぱりできれば自分もそういうふうになりたいとお思いになる方もお出でになるかと思うんですが。
 
森重:  私が思うのは、今、日本人は「人生を楽しむ」という。この人生観は私は思い直した方がいい、というふうに思うんですね。何故かというと、「楽しむ」というのは、大きな問題点が二つ出てくるんですね。一つは、何かというと、「楽しむ」というところにポイントを置いたら「裏切られる」。何故ならば、人生というのは、お釈迦さまが言われるように「思うようにならないんです」。「苦」というのが実相ですから。だからそこへポイントを置くと裏切られる。だから今日心の病が増えておるのも、一つは、そこに原因があるんじゃないだろうかと。というのは、私は、「老・病・死」とこう言いますけど、歳取ってきたらそうなりますね。「老・病・死」という姿は異常なんじゃないんだと。これ自然なんだと。それを受け入れるということが、やっぱり人間の人生に大事じゃなんだろうか。だから「無常」というのは、分かり易く言えば、山あり、谷ありで、私は人生は「楽しむ」というところにポイントを置くのは、山のところですね。そこにポイントを置く人生だと思う。あと下がるばっかりですね。人生は「苦なんだ」というところにポイントを置く。それに谷ですから。これは上がっていくんだと。だから私は楽しむというところにポイントを置くのはマイナス思考。だから人生はなかなか思うようにならないところにポイントを置くのは、案外プラス思考じゃないだろうかと思うんですね。
 
金光:  まさにお釈迦さんがスタートされたところですね。
 
森重:  そうですね。そういうところで、私たちの人生というのは、先ず「楽しむ」というところにポイントを置くと問題がある。それからもう一つ、「楽しむ」にポイントを置くと、お金が要りますから。なんと言っても。旅をするにしても、お金が要りますね。だから「金金金・・」と。だから今の日本人の生きておる人生を監視しているのは何かというと、監視カメラ、パトカー、それに縛られておる生き方をしているのが私たちですね。だけどそうじゃない。この仏さんがおられる。また神さんがおられるというふうに、悪いことをしたりできない。もし私たちは子どもの頃言われておったんですね。「善いことをせい。悪いことをしたらいけん。誰も見ておられんと言っても、お天道さんは見ておられる」。「お天道様」ということを言ったものですね。これは太陽ではないですね。神や仏さんが見ておると。それがですね、私の人生の大きな基盤になるということが大事じゃないだろうかと。人生は思うようにならない。苦だけども、その人生をちゃんと支えてくださる神や仏さんがいらっしゃるということです。
 
     これは、平成二十二年三月二十一日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである