念仏の道一歩一歩
 
                僧侶・仏教大学客員教授 小 島(こじま)  康 誉(やすたか)
一九四二年、愛知県名古屋市生まれ。高校卒業後、宝石卸会社などに勤めた後、一九六六年に宝石店「宝石の鶴亀」(その後ツルカメコーポレーションに社名変更、現あずみ、本社名古屋市)を創業。約160店を展開し、一九九三年名古屋証券取引所に上場。四十五歳で得度、浄土宗の僧侶。一九九六年社長を退任。中国の古代遺跡の調査、修復に尽力し、新疆ウイグル自治区政府顧問、日中共同ニヤ遺跡学術調査日本側隊長などを務める。
                き き て       上 野  重 喜
 
ナレーター:  今日は、「念仏の道一歩一歩」と題しまして、僧侶で仏教大学客員教授小島康誉さんにお話頂きます。小島さんは、昭和十七年(一九四二年)のお生まれ。実業家として活躍されましたが、四十五歳の時得度。その後仏教大学を卒業。五十四歳で会社社長を辞め、念仏行脚での日本縦断やシルクロードの仏教遺跡保存にも努め、仏教大学客員教授もなさっています。小島康誉さんのお話「念仏の道一歩一歩」、聞き手は上野重喜ディレクターです。
 

 
上野:  今日は、小島康誉さんに、「念仏の道一歩一歩」ということでお話頂きますけれども、小島さんは、今もこうしてお宅に伺っているんですけれども、こちらはマンションの中ですが、阿弥陀様の絵があって、ここでいつも念仏をお唱えになっているんですか?
 
小島:  そうですね。私は、念仏の一僧侶ですけども、やっぱり念仏中心の生活ですから、昼も夜も朝も、というふうに、機会がある毎に詣っているわけですね。
 
上野:  ここにお座りになって、鉦を鳴らして、あるいは木魚を叩きながら、念仏、どのくらい称えられるんですか? 朝昼晩。
 
小島:  一日にすると、やはり数万回になるんですかね。
 
上野:  じゃ、閑さえあればお念仏を称えていらっしゃる?
 
小島:  いや、それがね、そうでもなくて、ああだ、こうだという、いわゆる仕事がありますから、閑さえあればというわけにはいかないんですけど、なるべく機会を作ってという。
 
上野:  それでも数万回に、
 
小島:  なりますですね。つまりここで座っている時だけでなくて、例えば品川の駅へ行くとか、その途中も歩きながらも称えていますから。
 
上野:  小島さんが、元来は二十歳過ぎから企業を興されて実業家として、会社の社長さんとして、経営者としてご成功なさったということですが、大変大きな企業をまさに起業されたようで。
 
小島:  そうですね。初めは一人で始めたんですけども、多くの方々―社員さんやお客様、あるいはもっと広い社会の方々の協力で随分大きくなりまして。
 
上野:  そしてその企業を立ち上げられて、三十年後にはすっぱりと社長をお辞めになったということですけれども、その前からこの仏教の道に入られたということですが、これは何かきっかけがございましたんですか?
 
小島:  ある時ある方に誘われて、インドの仏跡の巡拝に行ったんですね。そこで一つの宗教的体験がありまして、それで宗教の道へ入ったわけです。お釈迦様が、いろんな説法された場所はたくさんあるんですけども、そのうちの一つ鷲霊山(りようじゆせん)という岩山があるんですね。そこをずっと上がって行きますと、大体日本から行った巡拝たちは、そこで日の出が迎えられるように暗いうちに登り始めるんですね、麓の小さなロッジを。朝、日が昇る頃に、そこへ行くと。そうすると、そんな大きくはないんですけど、そこへ台座がありまして、そこでお釈迦様が約二千五百年前にいろんなお経を説かれたんですね。で、みなさん、それぞれ周りをお勤めしながら回れるんですけども、僕はその時に二千五百年前にお釈迦様が説かれたお経を、多くのお弟子方と一緒にですね、自分自身が聞いたというふうに実感して、涙が流れて止まらないわけですね。勿論二千五百年前に僕がいるわけじゃないわけですから、そんなことはないんだけど、〈お釈迦様の教えを自分自身が聞いた〉と思ったのはほんとのことですね、涙が流れてしょうがないわけです。それで〈自分は仏教に縁があるんだな〉と思って、帰って来てから仏に道に入ったわけですね。
 
上野:  なるほど。「仏縁(ぶつえん)」と言うんでしょうか、そういう非常に不思議な体験をなさったわけでございますね。
 
小島:  ええ。自分でもよくわからないんですけども、僕なんか去年亡くなられた松原泰道(まつばらたいどう)(臨済宗の僧侶。東京都港区の龍源寺住職を務める:1907-2009)先生という方に大変教え頂いているんですけども、その方にそんな話をしたら、「あ、時たま、そういう人がいるよ」と。いわゆる宗教的体験をする人は、なんかの縁があってするんだ、ということをおっしゃっていましたですね。
 
上野:  松原泰道先生は、百歳を越えて長生きなさっていたんですけど。
 
小島:  ほんとに立派な方ですね。
 
上野:  松原泰道先生は、禅宗の方で、念仏の方のご宗旨は違いますけど、やはりいろいろご指導を仰がれたわけですか?
 
小島:  ええ。宗門は違うんですけども、仏教という意味では、結局一緒のことですから、あの方はほんとに尊敬できる方で、ほんとに日本中を説法して歩かれて大変たくさんのフアンのあられる方でしたよね。
 
上野:  そういうことで鷲霊山でご縁があって、涙を流して仏教の道に入られることを決意されたのかと思いますけれども、その後仏教大学の方で仏教を本格的に学ばれて、これは社長業をしながら学ばれて、そして得度もなさるんですね。
 
小島:  はい。初めは大学のことですから、教えて頂いたのは仏教学で、お経の文字が「こうだ」とか「ああだ」とかという、いわゆる仏教学なわけですね。ところが途中から自分が学びたかったのは仏教だと。仏教であって、決して仏教学を学びたいわけではないと。仏教と仏教学というのは微妙に違うわけですから。で、先生に相談したら「あなたがそこまで言うんなら、得度してお坊さんになるしかありませんよ」と言われて、得度して、また僧侶としての修行を始めて僧侶になったわけですね。僧侶になったのが四十五、六(歳)だと思うんですね。その前インドに行ったのは数年前だから、四十前後ですかね。
 
上野:  四十五、六で得度されて、そして社長業はその時はまだ続けられて、その後すっぱりと社長をお辞めになるんですね。
 
小島:  そうですね。社長を辞めたのは、五十四(歳)の時ですね。
 
上野:  企業の方では宝石関係で非常に手広く全国的に支店も作られて発展していらっしゃったようですが、社長をすっぱり辞められるというのはなかなか決心がいるかと思うんですが。
 
小島:  よくね、それは多くの方から質問されるんですけども、一代で興して、まあ上場会社までしたんですけど、そんな大きくした会社をパッと辞めるという方はほとんどいないんですね。結局僕は三十年間社長をやったんですけども、やはり三十年間も一人の人がズッとやってきて、またさらに続けるというのは、やはり社会のためにもならないと。新しい人がやった方がもっと会社も発展するし、社会のためになるし、社員のためになると思って、ほんとにすっぱり五十四の時に退任したわけです。
 
上野:  やっぱりすっぱり辞められるのは、宗教的というか、念仏への信仰とか、そういったものも大きく関わったんじゃないでしょうか。
 
小島:  それはあると思いますね。やっぱりものに執着しない。物を自分の物として捉えるんではなくて、すべてのものがやっぱり社会のものだと。人のものだという、いわゆる宗教的な考え方があるわけですから、ですから自分で作った会社だけども、自分のものではないという考えがベースにありましたから、そういう三十年という区切りで退任できたと思うんですね。
 
上野:  小島さんには、『念仏の道ヨチヨチと』という絵と文章で描かれた随想がございますけれども、この中に戒を受けて―受戒されて、
 
戒うけて心はればれ秋の空
 
ということが書かれておりますけれども、これは受戒された、僧侶になられた、得度される時、やはり大きく心境が変わるものですか?
 
小島:  そうですね。やっぱりなんか生きているとみんなそうですけども―僕だけかもわかりませんけども―なんかもやもやもやもやとしたものが、悩みというか、矛盾というかあるわけですけども、京都のお寺さんで受戒をしたわずか三日間の機会でしたけども、まったく気持ちが変わりましたですね。それは大きな力ですよね。
 
上野:  「心晴れ晴れ秋の空」というのを実感されたわけですね。
 
小島:  ほんとにそうです。ほんとに今までの心の中にあったもやもやが一気にパッと消え去ったというか、社長としての経営の悩みもありますけど、同時にそれは人間として生きている上の悩みがありますよね。それをトータルして、そういうものがまったく無くなって、分かり易くいうと、なんか前屈みになって下を見てトボトボ歩いていたのが、それからはもう胸を張って深呼吸をしてですね、遠くを見て歩くようなそういう感じですよね。
 
上野:  得度される、出家されるというその儀式があった途端にそういう心が晴れ晴れという感じに。
 
小島:  そうですね。僕はそれまで長髪だった。頭がない髪にしていたんですけども、得度して剃髪、つまり頭を丸めると、まったく自分自身の形も変わるし、心もコロッと変わるということができましたですね。
 
上野:  今は衣をお召しですけれども、普段のお姿、あまりこの頃は洋服も召されないですか?
 
小島:  ええ。得度して僧侶になった後も、暫く社長もやっていましたから、社長時代は必要上背広を着ていましたけど、社長を辞めた、つまり今から約十五年ぐらい前に辞めたんですけども、その時からすべての背広とかネクタイというのは、人にあげたり、売ったり、リサイクルに出したりしていますから、一着も持っていないです。
 
上野:  それは大変な決心だと思いますけども、頭を丸められて、そして服装は僧侶の服装をされ、衣を着けられて、そうするとまた気持ちが変わるものですか?
 
小島:  そうですね。よく頭を丸めることを「剃髪(ていはつ)」と言いますけど、別の言い方だと「落飾(らくしよく)」というんですね。飾りを落とす。落とす飾り。それは衣服の飾りという意味ではなくて、心の飾りを落とすという意味だと思うんですね。ですからすべてのものが受け入れることができるようになったというか、前向きに対応できるというか、そういうふうに変わりましたですね。
 
上野:  小島さんと言えば、話が変わりますけども、中国の新疆(しんきよう)ウイグル地区、いわゆる西域というんですか、シルクロードの敦煌(とんこう)の辺りですね。あの辺とのご縁が非常に深くて、もう百回以上あちらへいらっしているそうですが。
 
小島:  そうですね。敦煌よりズッと向こうのトゥルファンとか、クチャとか、ホータンとかという一帯ですけども、百三十回ぐらい行っています。
 
上野:  そして現地のために非常に多額の寄進をされたり、中国の方からは数々の表彰も受けられたりしてですね、日本の政府からも受けていらっしゃいますけれども、そうした向こうの仏教遺跡の保存に非常に力を尽くしていらっしゃるんですね。情熱を燃やしていらっしゃる。
 
小島:  そうですね。キジル千仏洞(キジル石窟寺院とも呼ばれ、新疆では最大の石窟である)とか、ニヤ遺跡(中国新疆ウイグル自治区ニヤ県の都市遺跡。紀元前1世紀〜紀元4世紀に栄えた精絶王国(チャドータ)の遺跡と考えられている。ニヤ河の下流で、タクラマカン砂漠の中心に位置する)とか、ダンダンウイリク遺跡(タクラマカン砂漠の奥深くに残るダンダンウィリクは、シルクロード学の原点ともなった古代仏教都市の遺跡。古代ウテン王国の重要な町として唐代には「傑謝」と呼ばれ、東西約2km、南北約10qの範囲内に寺院や住居跡など数多くの遺構が分布し、8世紀に放棄されたものと推測されている)という世界的な文化遺産があるわけですけども、これは勿論中国の文化遺産でありますけど、同時に人類共通の文化遺産というぐらいの価値のあるものですから、やはりそれはみんなで保存しなければいけない、研究しなければいけないということで、一九八六年からそういうことをやっているんですね。
 
上野:  そして今百三十回、毎年向こうへ行っていらっして、新疆大学の名誉教授といった肩書きもお持ちですけれども、やはり向こうの方々との接触も深く、交流も深く持っていらっしゃるんですね。
 
小島:  そうですね。新疆大学では、二十五年前からそこに奨学金を作りまして、やはり結局は人間を育てることが最大の仕事というか、一番大事なことですから、新疆大学、あるいは他のところへも奨学金を作ってですね、一生懸命人の育成をお手伝いする。育成自体は本人がやることですけども、そのお手伝いをするということをやっています。
 
上野:  向こうの方は、新疆ウイグル地区あちらの方々は、いわゆる勿論念仏というか、仏教徒ではないと思うんですけど、仏教への関わりというのは、どんな感じですか?
 
小島:  一部の方はイスラム教ですよね。他の方は無宗教と言ったらいいと思うんですけども、ですから僕がやっていることは、文化財の保護ということは、別に分かり易いんだけど、その他やっていることも、彼らからすると別に仏教の精神でやっているという理解は、僕はあるんだけど、向こうの人は全然ないわけですね。
 
上野:  小島さんも別に仏教を説くとか、そういうこともなさらないわけですね。
 
小島:  ええ。人の道は説きますけども、仏教の、「ああだ、こうだ」ということを、彼らに説くことはないですね。
 
上野:  しかしあちらはシルクロード、まさに仏教の来た道ですけれども、やはり小島さんからご覧になっても、貴重な文化遺産がまだまだ眠っている感じですか?
 
小島:  やはり大きな国ですから、新疆ウイグル地区だけでも、日本の四・四倍ありますから、それは凄い文化財が眠っていまして、やはりこれはみんなで力を合わせて保護・研究する必要があると思いますね。
 
上野:  そこの仏さまに向かっても、小島さん自身は、そこへいらっしゃるとやはり「南無阿弥陀仏」念仏を称える。
 
小島:  勿論そうですね。キジル千仏洞、ニヤ遺跡、それからダンダンウイリク遺跡も全部仏教遺跡ですから、そういう意味でいうと、ダンダンウイリク遺跡ではほんとに仏縁がありまして、もともとは二○○一年に行く予定だったんですよ、そこはね。ところが、二○○一年は新疆の隣のアフガニスタンで戦争が始まって、新疆政府の方から、ちょっと来て貰っては困るということになって、二○○二年に行ったんですね。その二○○二年に行ったことによって、偶然壁画が砂から出ていたわけです。それが素晴らしい仏さまのお顔で、ほんとに優しい眼差しの仏さまが偶然風の悪戯で出たんですね。まさしく仏縁としか言いようがないわけですから、我々はそれを「西域のモナリザ」と称したぐらい良いお顔だったんですけれども、やはりそれは仏縁だと思いますね。その時そこへ行った日本人は、みんなそこで簡単なお勤めをしまして、涙を流しましたですね。ほんとこういう仏縁というのは、方々で―僕の場合はよくありますですね。
 
上野:  そして発見されたのは、テレビなんかでも拝見した覚えがありますが、まさに世界的な宝でございますね。
 
小島:  そうです。日本で展覧会もやりましたですね。NHKさんの主催で二○○五年に「新シルクロード展」として。
 
上野:  そういったことで、いろいろ新疆ウルグアイ地区―西域の仏教遺跡の保存にご尽力なさっているんですけれども、そして新疆ウルグアイ地区シルクロードへ百三十回以上もいらっしているんですが、一方小島さんは、日本においても鹿児島の南端、南の端から北海道の北端、いわゆる佐多岬(さたみさき)(鹿児島県南大隅町)から宗谷岬(そうやみさき)まで念仏行脚もされたという、
 
小島:  はい。今からいうと、約十年ぐらい前になりますけどね。一人で八十日掛かってお念仏を毎日何万回しながら一人で南から北まで三千二百キロ念仏しました。その野宿ということを考えましたから、夏やったんですね。冬の野宿は大変ですから。ところがこの夏場は当然暑いわけですね。途中で熱射病で倒れたこともありますし、しかし良い修行というか、勉強になりましたですね。
 
上野:  こうした苦行をされて得られるもの、信仰が深まる面というと、どういうことですかね?
 
小島:  自分一人で、自分の右足左足で歩いて行く。歩くというより、念仏をして歩いて行くんですね。歩きながら念仏するんじゃなくて、念仏しながら歩く。主語は、主体は「念仏」なんですけども、ズッと歩いて行く。一人んですけども、実は一人でなくて、例えば流れている雲ですね。それから吹いている風、それから飛んでいるチョウチョウ、鳥、あるいは行き交う人々というようなものがみんな助けて頂けるわけですね。チョウチョウなんか寄って来て、これほんとに不思議なんだけど、寄ってズッと付いてくるとかね。風はそよいでこう優しい言葉を掛けてくれるとかね。勿論人間の方々も、時にはお布施を頂けるし、というようなことで、一人なんだけど、実は社会の中の助け合いの中でこう生かさせて頂いているということがよくわかりますですね。
 
上野:  そうすると、外から見たところ、お一人で歩いていらっしゃる感じなんですが、ご自身は、先ずは念仏と仏さまとも一緒、そして大自然とも一緒、人や動物とも一緒、そんな感じですか?
 
小島:  そうです。もう人にも動物にも空気にも助けられ、分かり易く言えば、道路にも助けられ―道路がしっかりしているから歩けるわけだし、朝どっかで顔を洗うのも、水のお蔭で顔を洗えるわけですし、等々ということで、ほんとにおっしゃったように大自然と一体の中で自分があるんだということがわかりましたね。
 
上野:  このご本にも、
 
雲が行く水が流れる破れ笠
  ゴロリ大(だい)の字(じ)南無阿弥陀佛
 
とありますけれども。
 
小島:  そういう心境ですね。やはりこう行脚して行きますと、お布施が頂けるんですね。お金の場合もありますけども、時には大根だとか、パンだとか、ジュースだとか頂けるわけですけども、そんなのを頂いて、おにぎりなんかを頂いてほおばって食べて、それで疲れますから、ゴロッと草原でひっくり返って、荷物を下ろして、そうしますと、雲がほんとに悠々と流れてきますよね。それから風が流れる。チョウチョウが飛んで来る、ほんとですね、まったく大地と一体になってですね、念仏と一体になるという感じがそれこそ毛穴一つ一つわかりますですね。
 
上野:  そういうところがやはり昔もお坊さんたちは行脚され、お釈迦様もされたと思いますけれども、そういったことがやはりそうした行脚を体験して初めてわかることでしょうね。家の中で、お堂の中で念仏称えることも勿論大事ですけれども。
 
小島:  両方だと思いますね。結局坐ってやっていましても、雑念、僕みたいな小僧ですからもう雑念、いろんな考えが次から次へ出てくるんですね。だけど念仏ズッとしていますと、いつのまにやらそういう雑念がスーッと消えていって、お念仏、仏さまと一体になっている自分というのがいるんですね。またすぐ雑念が出てくると。これ人間ですから、その悟りなんていうことはないわけですから、絶えず悟ったり、迷ったり、また悟ったり迷ったりの繰り返しだと思うんですね。だから迷うからこそ念仏をしなければいけないと。迷うからこそ仏の道を―別に念仏でなくっても、南無阿弥陀仏でなくっても、南無妙法蓮華経なんでもいいんですけども、そういうことが大事だと思うんですね。
 
上野:  こうしてお坊さんになられて、そしてシルクロードの旅も百三十回もされて、全国行脚されて、ほんとに「感謝と有り難い毎日」ということをお書きになっていますけども、やはりそれだけ修行されても、煩悩というのは尽きないもんでしょか?
 
小島:  いや、もう朝から夜まで煩悩の塊ですよね。
 
上野:  今でも?
 
小島:  ええ。ですからそれを否定することはないと思いますし、それがあることが生きていることだと思うんですね。雲の上の偉いお坊様は違うと思いますけど、僕らのようなまったく普通の小僧は、悩みの中、煩悩の中に時たま悟りがある。それで十分だと思うんですね。結局南無阿弥陀仏というのは、いわば仏さま、阿弥陀様に自分をお委せする。阿弥陀様に感謝する。阿弥陀様から教えて頂く。阿弥陀様に導いて頂くというのが「南無」という意味ですから、迷う、迷う、迷う中で助けて頂くということだと思うんですよね。
 
上野:  そうしますと、煩悩は尽きせぬものというのが人間の常でございますか?
 
小島:  もう百パーセント煩悩は、朝から晩まで、一秒毎に煩悩は出てくると言った方が正解だと思いますね。ただそれにまた拘ってはいけないわけですね。煩悩に拘ってはいけない。放っとけば煩悩も消えていきますから、それでいいと思うんですね。
 
上野:  煩悩が出ること自体は、人間としてそれほど悩むべきことではなく、それに拘ることがいけない。
 
小島:  そうですね。そう思いますですね。
 
上野:  現在の日本の世の中は、「無縁社会」というふうな言葉もあって、自殺する人も増えていますし、また家族のコミュニケーションというのも薄くなってきている。地域社会も冷たくなってきたと言われますけれども、現在のこの日本の世の中の人々に対してアドバイスがあるとすれば、
 
小島:  人々に対してアドバイスするなんて烏滸(おこ)がましいことは言えませんけれども、自分で考えていることは、「感謝が足りない」と思うんですね。結局自分中心の人々が多すぎて、感謝というのが足らないことが、そこで問題が起きていると思うんですよね。先ず感謝すると。先ず感謝して受け入れる。その中で自分が生きていくということが足らなくて、先ず今は自分が生きている自分の「あれがほしい、これがほしい、ああだ、こうだ」というのが中心で、感謝は関係ないという考え方が多いと思うんですね。先ず感謝ということだと思うんです、僕は。
 
上野:  感謝が足りない現在の日本、どういう時にそれを一番感じられますか?
 
小島:  いや、もう普段のそれこそ街を歩いている時でも、なんだかんだでも非常に多いですね。テレビを見ても新聞を見ても、次から次へなんでこんなことが起きるんだということがあっちこっちで起きていますよね。やっぱりどういうのかな、ちょっと日本がそういう意味では道徳というのが下がってきているような気がしますですね。
 
上野:  確かにちょっとぶつかっても謝るとかそういうことがなくなってきておりますし、挨拶というふうなことも、同じ会社の中でもなかなか挨拶を交わさないというような時代になっていますけれども、やはりその辺がいけないんでしょうか。
 
小島:  だと思いますね。やっぱり一人で生きているんではないと。日本の中でいうと、一億二千何百万の人と一緒に生きている。世界でいうと、六十五億ですか、六十七億ですか、その人たちと一緒に生きている。それから人間だけでなくて、動物や植物や空気や鉱物や、そういうものと一緒になって生きているという、その中でいるから自分が生きていけるんだという、そういう立場のことを忘れて見える方が多いような気がするんですね。
 
上野:  小島さんご自身いろんな活動をなさっていますけれども、これからの願い・抱負というのは、どういったことでしょうか?
 
小島:  今は、さっきの話に続くんですけども、「ありがとう一日百回運動」というのをやっているんですね。「ありがとう」というのを、一日に百回言おうと。これなかなか百回言うのは大変なんですね。僕なんかは自動販売機で百二十円入れて何か買う時も、自動販売機にも「ありがとう」というと。これ毎週京都へ仕事に行くんですけども、その時も改札口を通りますよね、通る自動改札機というんですか、あれにも「ありがとう」と言っていくと。そういうことはみんなに一生懸命PRしているんですけどね。
 
上野:  何か「ありがとう」と言う時には、対象がいるわけですね。自分自身に対してお祈りする感じではなくって。
 
小島:  そうですね。周りの人に全部「ありがとう」と。周りのものにもですね。ですから良いことの場合はみんな「ありがとう」というわけですよ。例えばなんか貰ったとか、美味しいものを食べたとか、褒められたという場合は、みんな「ありがとう」というのは、自然に出るんだけど、逆にいうと、悪いものに対しても「ありがとう」ということが必要だと思うんですね。だから「ありがとう。すべてのすべてありがとう」。つまり「すべてのすべて」というのは、良いことは悪いことも含めて感謝で受け入れるということが、僕は非常に大事じゃないかなと思っているんですね。それがやはりちょっと今足らないんじゃないかなと思うんですね。それがやはり仏の道で、やはり念仏なんかも日々申していますと、普通でいう有り難くないことも、〈あ、これも有り難いんだ〉というふうに思えるようになるんですよね。
 
上野:  どうも今日は貴重なお話をありがとうございました。
 
     これは、平成二十三年一月三十日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである