亡き人と共に生き
 
                ライフ・ターミナル・ネットワーク代表 金 子(かねこ)  稚 子(わかこ)
                き き て               浅 井  靖 子
 
ナレーター:  今日は、「亡き人と共に生き」と題して、ライフ・ターミナル・ネットワーク(「死ぬことと、生きることは、同じ」という死生観の下に、死に関するあらゆる情報提供とサポートを行うネットワーク)代表の金子稚子さんにお話を伺います。金子さんは、二○一二年十月に、夫で流通ジャーナリストの金子哲雄(てつお)(流通ジャーナリスト、プライスアナリスト、中小企業診断士。各種メディアに登場する際には、肩書きを「流通ジャーナリスト」に統一していた:1971-2012)さんを自宅で看取られました。夫・哲雄さんは、四十歳の時、肺カルチノイド(肺に発生する腫瘍。癌に似た性質を持つ悪性腫瘍で、進行が遅く転移の可能性が低い「定型カルチノイド」と、進行が早く転移の可能性が高い「非定型カルチノイド」がある。肺の気管支側に発症した場合は咳や血痰など肺癌と同様の症状が見られるが、末梢側に発症した場合はほとんど症状が現れず、健康診断の胸部レントゲン写真やCTなどで発見されることが多い。癌と同様に、手術、化学療法、放射線療法による治療が行われるが、発症率が10万人に1人という珍しい疾患であることから、効果的な治療法は明らかにされていない)という病で、余命わずかと宣告されましたが、死の間際まで仕事をし、また葬儀の段取りなどもすべて自分で決め旅立たれました。その生き方は、当時大きな話題となりました。稚子さんが、そんな哲雄さんの生と死をつぶさに見つめ、その経験をもとに、生と死を考える場―ライフ・ターミナル・ネットワークを主催していらっしゃいます。聞き手は浅井靖子ディレクターです。
 

 
浅井:  今、稚子さんは、「人が死んで逝くというのはどういうことなのか」という、「死に向かっていく人の体と心がどう変化するか」ということなどを学ぶ講座を開いていらっしゃいますですね。夫の金子哲雄さんは、四十歳の時でしょうか、「肺カルチノイド」というとても珍しい病気、それで「余命幾ばくもないということを告げられた」ということですね。それから一年半ご一緒にその死に向かって生きるということをなさった。今回の講座というのは、そのご経験を踏まえての、ということなんでしょうか。
 
金子:  はい。勿論そうです。多くの方が、突然死ぬということではなくて、死ぬんだなということがわかってから過ごす時間が必ずある。私たちの闘病の時に、それはそうだと知ったわけで、死ぬということを考えた時に、一体どういうことが起こるのか。肉体はどうやって変わっていくのか。心の中のものもそうですし、本人、そして家族がどういう状態になっていくのか。あるいは在宅で亡くなる時に、どういうことが起こるのか。そういったことも情報提供とお伝えしています。ですので、私たちの経験が、ちょっと烏滸(おこ)がましいかも知れませんけれども、参考になることがあるのではないかなと思っております。
 
浅井:  働き盛りというか、お仕事もほんとに軌道に乗っていらっして、テレビやマスメディアで活躍もされていた四十歳の時に突然病を宣告されて、
 
金子:  夫は、八十代まで人生の計画があった人で、何歳の時に何をやり、何歳の時に何をやり、というその目標に向かって頑張って、達成したら「はい、次ぎ」、ゴールという言い方もあれなんですけども、八十代の時に、これをやっていたいがために、今こうする。そういう人生設計があった人なんですけども、それが病気が確定したのと同時に、それが一切白紙になってしまったわけですね。カルチノイド自体は、早期発見できれば、手術が通常の治療法で、癌みたいなものなんですけれども、夫の病気が発覚した時には、肺に九センチの腫瘍がありました。九センチの腫瘍というのは、癌であれば生きていない大きさ。そうなってしまうと、事実上打つ手はなかったですね。抗ガン剤は効かない腫瘍でして、放射線を使うかどうかということで、セカンドオピニオンを取ったんですけれども。意見が割れて、主治医はもうやるんではない。むしろQOLが下がるので、止めた方がいいという。
 
浅井:  ということは、八十歳までのいろんな計画があった方、それも四十歳になったばかりの方に、死というものが突然目の前に現れるという事態が起こってしまったということですね。
 
金子:  そうですね。仕事も凄く順調でしたし、たくさんご依頼を頂いている状態の中で、疲れかなと思っていたところに、突然「今、目の前でも死んでもおかしくない状態です」と言われた。ですので、その衝撃はですね、ほんとに口では言い表せないほどの衝撃でしたし、一方で咳は確かに出ているんですけれども、肉体は至って元気なので、「ほんとに自分は死ぬのか」と自覚できない。実感できないんですね、死を。よく考えてみると、死というものは、未知の体験。夫などは八十代まで人生の計画があった人ですので、目標を設定して、そこに向かって生きていく。そういう生き方を生きてきた人に対してですね、死というのは、その生き方ではとても通用しない経験・行為だったんだと思います。つまり目標は一体なんなのか、ということですね。死ぬということに関して言えば、目標を立てることもできない。死の先に一体何があるかわからない。そういうところに直面しているわけで、しかもそれは誰にも理解されない。何故なら、死ぬのは自分一人だから。その圧倒的な孤独の中で、死ぬということは、大変な壁になって迫ってきていたんだと思います。そこに圧倒的な苦痛があるわけですね。「今生きる」とよく言いますね。死に向かっていく中で、特に今この瞬間というものを積み重ねて、そこまで進んでいくんですけれども、実際夫もそうでした。「今日、今、これをやる」ということを積み重ねて生き抜きましたけれども、その苦痛は常にあるわけですね。「今しかない」というのが非常に苦しいと。非常に苦しいと凄く言っていました。それがスピリチュアルペイン(死が間近に迫った患者の方が、自分が生きる意味や価値を見失ったり、死後の不安や罪悪感などで苦しむ痛みのこと)の苦しみだと思うんですね。「あなたは死にます」と言われている状態で、そこに向かって生きている、その苦しみですね。私たちみんな死に向かって生きているんですけれども、その先が見えていないから、ある意味生きられる。この本でも「自殺したい」と。「この苦しみから遁れられるんだったら自殺したい」。それは「ほんとに辛い、何とも言えない苦しさなんだ。死にたくない、でも死ぬんだよね」とか、「僕の人生って何だったんだろう」とか、「これまでやってきたことが全部無意味だったということがわかったよ」と呟いていました。ずっとほんとに何度も、何回も、何も答えることができません。もう咽(むせ)び泣く夫の背中をさすっているしかできませんでしたけれども。けれども、余命宣告含め、あと肉体的にもおそらくそうなんだと思うんですけれども、「死ぬんだな」ということがわかってくるんだと思うんですね。
 
浅井:  だんだんできることが少なくなってくる。
 
金子:  はい。できなくなる。先ず歩けなくなってしまいますけれども、起き上がれなくなる。トイレ、風呂、こういったことも事実上―肺も悪くしていましたので命懸けなんですね。そういう中でほんとに自分は死んでいくんだ。けれども、今生きている。その苦しみは非常に特殊なものではなくて、多くの方が感じていらっしゃる。この私たちが経験していく中で、「僕だけじゃないよね」そういう話もしました。ですので、少しでもお知らせしたいというのも、一つ私がこういう活動を始めている大きなきっかけでもありますね。こういう状態にこの人はいる。よくこういう苦痛を感じている方に、例えば「今日は元気がいいわよ」とか、気をそらすような声がけをなさる方が時々いらっしゃるんですね。人によると思うんですけれども、少なくとも私の夫のようなタイプの人間にとっては、酷く残酷な行為で、「あなたと私は違う」という断絶を突き付けることであったり、事実上命懸けの苦しみに直面している人に対して、「がんばれ」という言葉をですね、まったく安全圏にいる人が気安く掛けられている行為のような状態なんです。「あなたと私は違う」ということを、何度も何度も突き付けられるような、そういう意味合いに聞こえています。
 
浅井:  それでもお二人で、ほんとに辛いことですけれど、体験してみなければわからなかったことでしょうか。
 
金子:  わからなかったことです。
 
浅井:  そうすると、そういうもの凄く、おそらくいろんな意味でも敏感にもなっていらっして、その周りの人の断絶の深さというのを凄く敏感に感じていらっしゃったと思うんですけれども、哲雄さんご自身が、それにこう一人で向き合っていらっしゃる哲雄さんに対して、稚子さんや周囲の方々ができたことというのは、何だったんでしょうか? あるいは哲雄さんご自身のそういう中での支えというのはなんだったんでしょうか?
 
金子:  そういう中でも夫の支えとなっていたのは、やはり仕事です。圧倒的な孤独の中に生きているわけですね。夫の死もですね、病気を隠しておりましたので、「急死」というふうに受け取られて、さらに「こんな病状だったのに、一切周囲に病気のことを知らせずに、非常に男らしい」と言ってくださる方もいたんですけれども、実はその圧倒的な孤独だったが故に、夫はやっぱりテレビとか雑誌とか新聞といったメディアの中に健康な自分を作っていたんですね。
 
浅井:  置いておきたかった?
 
金子:  置いておきたかった、コピーというか。虚像ですよ。虚像なんですけれども、孤独じゃない自分をそこに置いておきたかったんですね。ですから二つ、実態は孤独の中に生きていますけれども、孤独ではない自分をメディアの中にいることでバランスを取っていたということがあると思います。
 
浅井:  それも社会の中で、何かの役に立っているご自身であったり、あるいは何ができているご自身の部分を、最後まで残していく、ということが大きな支えてあった。
 
金子:  大きな支えです。ほんとに大きな支えでした。ですので、夫のマネージャは、その部分を支えてくれていました。ですので、夫が亡くなった後は、「哲雄さんに逆に労りが足りなかったんじゃないかと。ほんとに申し訳ありませんでした」と謝られたんですけども、病気ではない金子を支えてくれている。それができたのは、彼一人だけですので、感謝の気持ちしかありませんでした。医療者は、医療の専門家として接してくださっていたと思います。在宅医療になってきますと、完治を目指した治療というよりも、亡くなっていく方を「見守り療」という形に変わっていきます。その中でお医者さまにわかるというのは非常に重要で、私の夫などは、「死ぬ時に苦しかったり、痛かったりするのは嫌だ」と。「それだけは耐えられない」というふうに言っていたんですけども、「絶対大丈夫だ」ということを、お医者さんが何度も何度も太鼓判を押してくださることで、そういう不安を軽減していくことができます。看護師さんというのは、またお医者さまと別なアプローチで、非常に細かなコミュニケーションを取ってくださいました。夫が亡くなってからわかったんですけれども、彼女は夫と千通以上のメールのやりとりをしてくださっていました。呼吸が苦しいですので、電話して話したりすることができないという配慮も前提にあって、考えてくださったのはメールという形だったと思います。スピリチュアル・ペインがよくわかっていらっしゃいますので、一人ではない、と。あなたの周りにはこんだけいるということを、ほんとに携帯の数行のメールのやりとりも含めて約千通。その時に、私も未だに聞いていませんけれども、プライベートの話も、彼女には吐露していたようです。家族だからこそ言えないことというのは非常にありますので、亡くなって逝く方が一番よくわかると思うんですけども、「自分が死んだら、この人はどうなるだろう」。自分が死んで、人生が激変するのは家族なんですよね。その苦しみを家族にもぶっつけられないわけです。苦しんでいるのもわかるから。ただ、その苦しみを溜めておくことも苦しい。ですので、それを引き受けてくださっていたのが、夫の場合は看護師さんだったということですね。後ですね、実はお坊さんもいらっして頂いていました。骨を納めさして頂いているお寺のご住職もそうですし、昔の知人がご住職だったと、そういう形もあったんですけども、彼らが何をしていたかというと、普通の話です。趣味の音楽の話とか、盆栽の話とか。焼き肉パーティーを二、三回やりましたかね。でも呼吸が苦しくなっていましたので喋れないんですね、苦しくて。でもほんとにリラックスして、よく笑っていましたね。これ以外にも、知人が突然お見舞いに来てくださいまして、その方々からは、実は「がんばれ」と言われたんです。でも全然嫌じゃなかったんです。そういうことを繰り返していく中で、夫と何故この人から言われる「がんばれ」は良くて、この人には自分の苦しみを話せて、この人には話せないんだろう。何が違うんだろう、ということを話し合っていたんですね。その時に話していたのは、死は日常にある人―お坊さん、そうですね、亡くなった方ですけども。医療者も勿論在宅医療やっていますから、亡くなっていく方をたくさん見ておられます。亡くなっていくのは当たり前だと思って、その人と接している。金子を区別していないんですね。
 
浅井:  区別しない?
 
金子:  「死に逝く人だ」と区別していないんです。「最期の別れだ」なんていうのは、区別でしょう。
 
浅井:  誰もいつかは死んでいくというふうなことが、どこか底流に流れているから区別しない。
 
金子:  区別しないんです。今、金子さんが死に向かっていっているけれども、それだけのことなんですね。
 
浅井:  私たちもいずれ逝きますよ、ということが実感としてある方々、
 
金子:  ベースにある方なんです。ですので、「がんばれ」と言われても聞けるんですよ。今はあなたかも知れないけど、いずれ私かも知れない。それぐらいの親しい関係なんです。絶対区別がない。ですから孤独じゃないんですね。あなたと私とどこが違うの。そういう立ち位置に立っている方の声というのは、全然違うんです。亡くなっていく方、死が近い方はほんとに敏感です。どんなにやりたいと思って、そういう人のケアをしたいと思って来てくださる方がいらっしゃるかも知れませんけれども、ハッキリとその違いがその人には伝わってしまいますね。
 
浅井:  稚子さんご自身は、やはり一番長い時間、哲雄さんの側にいらっしゃったわけですね。そうすると稚子さんご自身は、どのように一緒に過ごされたんでしょうか、その時間を?
 
金子:  そうですね。一緒に歩いている感じ。今もそれは変わりませんけれども、併走しているという感覚です。夫は夫の道を歩き、私は私の道を歩いているという感覚です。ですので、夫のお世話をしている感じでもなかったですし―勿論やっていますよ。やっているんですけども―夫がやっぱり自分の身に起こっている、自分が今経験していることを、私に伝えてきてくれるということがよくわかりましたので、それを世話しているという感覚でしたので、絶対にわかり合えないんですけれども―私はその時死に向かっているわけではないので、絶対にわかり合えないんですけれども、夫が伝えてきていることを全面的に聞いている、勉強させて貰っている、そんなような感覚でした。ですので、夫が死の未知の経験に、逃げずに面と向かって歩いて行くのに、一生懸命横に私も共に歩こうとしていた。違う道だということはわかっているけれども、そういう感じでそのまま気が付いたら、夫はあの世側に移っていて、私はこの道をやっぱり歩いているという感じがしますね。
 
浅井:  ご本人が「こうしたい」ということを実現できるように、稚子さんが力を合わせていらっしていたように思うんですけども、その不安とか周囲の思いということに変化が訪れた時というのはあったんでしょうか?
 
金子:  亡くなる二週間ぐらい前でしょうかね、フッと変わった感じが、何かを切ったという感じを夫から受けました。実はその前に、十月二日亡くなっているんですけれども、八月二十二日に危篤になりまして、危篤から医学的には説明が付かない快復をして、八月の終わりぐらいから、『僕の死に方』という本を書き始めるんですけれども、大体それぐらいから、「お迎え」というのが、夫のところに頻繁に来るようになりまして、不思議なことに、夫のところは既に亡くなった人は来ませんで、非常に変わったお迎えがさまざまなバリエーションでやってきました。対になって配達しに行ったりとか、そのうちに言い出したんですけど、それまでは恐怖の中で「死んだらどうなるのかな?」「死の先はどうなっているんだろう?」という恐怖の言葉でしたけれども、それぐらいになってくると、「死んだらどうなるのかな」まるで「明日の天気は何か」というぐらいの気軽な感じで聞いてくるようになったんですね。それは私は、夫の死のことを勉強して、医学的にはそれは「譫妄(せんもう)状態」と言いまして、いわば肉体がスイッチをオフ(off)にしてきていますので、循環が悪くなって、脳が酸欠状態になってくることから起こる妄想なんですね。ですけども、その妄想が死の先を教えてくれている。そしてそれを見て、近くにいる私も、そうなんだと。楽になっていったんですね。その人間の人体のプログラムはほんとに良くできているんだと。勿論それ以外にはスピリチュアリティ(spirituality:霊性)な問題で、そういって受け止めている部分もありますけれども、在宅で死に向かって人体が一つひとつ終わっていく中では、そういうこともプログラムされているのかなと。そしてその死の恐怖は、最後まであるんですけども楽になっていったんですね。その時分に死後の約束を、夫と私はしていますので、あの世での待ち合わせ場所です。「ここでこういうふうに、僕はこうやっているから間違いないで来てね」。それが脳が見せる酸欠による妄想だということがわかっていても、一方で、「あ、そこで夫と会える」そういう希望という言い方だとちょっと強すぎるんですけれども、死の先の―非常に語弊のある言い方で言えば「楽しみの一つ」に変わりました。
 
浅井:  そういう体験を、お二人で共になさったことによって、新しく開かれていった世界というのもおありになったのでしょうか?
 
金子:  先ずですね、夫の場合から言いますと、病気が確定しまして、死に直面して、事実上治療方法がないという状態の中で、先ず最初からやっていたのが、食事療法で―ニンジンジュースですが―それをやっていたんですけども、その時はまだですね、夫は私の買い物に付き合ってくれて、手伝ってくれていました。ほんとにしみじみですね、「僕は流通ジャーナリストを名乗っていたけれども、流通というものがどういうものかまったくわかっていなかった」というふうに言い出したんですね。つまりこのジュースによって、自分は生かされている。産地から食卓にあがるまで、一体どれほどの人の手が掛かってきているのか。例えば、土とか、そういうものも入れればですね、肥料もそうですし、植えてくださった方、その植えて方の農家のご家族、流通であればトラックもそうですけども、そのトラックの運転手さんのご家族、子どもさんがいれば「お父さん頑張って!」と言っているだろうと。そういう思いまですべて乗せて、きっとニンジンとなって自分の体の中に入っている。このほんとにこう繋がり、奇跡的な組み合わせ、それがそこを自分はわかっていなかった。これが流通だ」と言いました。ですので、死は目前になって、自分が今この状態だからこそ伝えられるものがある。だから仕事を続けたいというモチベーションにもなってきましたし、「この一言」ということに、思いがのっていったんだと思います。伝わっているかどうかはわかりません。亡くなった後は、本の出版とか、さまざまあって、私も非常に忙しくしていたんですけれども、それがすべて一段落付いた後、祭の後のような、何にもないということに改めて直面しました。子どもいませんので、ほんとに何にもないんですね。痛さに近い悲しさがべったり貼り付いているような感じで、何も考えられないし、息もできなくなるという状態がズッと続いていました。そんな時ですね、当時散歩をしていて、三月の半ばぐらいでしたでしょうか、桜の木を―毎日その前を通り過ぎて眺めていると、そういう日を過ごしていたんですけれども、その桜の蕾を見ていた時にですね、フッと悲しみが浮いた。べったり貼り付いていたものが、自分から浮き上がったというのを―「浮いた」という感じがしました。その時に、「ああぁ・・」と思ったんですけども、「私の身にどんなことがあっても―夫が亡くなろうが、どうしようが、こうやって季節がめぐって、桜が咲くんだな」そう思ったんですね。それは何かの諦めとか諦観とか、そういうことではなくて、何があっても絶対にぶれないリズムがここにあることがわかったんですね。「あ、ここに戻ればいいんだ」ということがわかったんですね。闘病中でしたら、死んで欲しくないので、未来が来てほしくないから、時が流れていくことに堪え難いものがあったんです。
 
浅井:  むしろ止めたい?
 
金子:  止めたい。だから今を生きていたわけですけども。でも一つそれが区切りが付くと、その変わらないリズムは、今度とてつもない優しさを私に運んで来てくれていることに気が付いたんですね。だから一方で非情ですし、死に向かっていっちゃいますから、どんなに止めたくても。でも今度はまた尊い優しさを運んで来てくれる。それが両方なんだな、と思ったんですね。凄い「厳しさ」と、もの凄い「優しさ」が、両方同時にいつもある。だから死がわからなければ、夫は自分の目の前へ運ばれてくるニンジンジュースの本当の奇跡的な価値がわからなかった。だから厳しさと一緒に、仕事の深さというのもほんとに深まったんですよね。こういったものは両方セットにあるというものが、もの凄く納得したというか、ほんとの意味で深く、文字通り腑に落ちたんですね。そう思ったらですね、一秒一秒というのが非常に重いというか、厚くなった感じがしました。ただ流れていくものではない。そこに込められているものはほんとに深い分厚い何層にもなっている。
 
浅井:  そこには生だけではなくて、死にみたいなものも層の中に入っているんでしょうか?
 
金子:  はい。ですので、夫とは共に生きています。併走が変わらない。死ですべてが終わるというのは、全然考えられない感じがします。大きな流れの中の単なる通過点で、もっと大きな目で見れば、私たち一つひとつのいのちも、ほんとに無数にある一つ。ですけども、たった一つのいのちの中にも、非常に深くて重層的なものがあるし、それは時の流れも同じ。その深いものを感じて生きる。それ一頻(ひとしきり)泣いた後は、またそこに戻っていけばいいんだという。この圧倒的な安定感のあるものは、実感としてある。それは夫であるとも、またちょっと違うんですけども、夫もその中の一部である、という感じがあります。
 
浅井:  今日はどうも有り難うございました。
 
     これは、平成二十七年三月十五日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである