この最後の者にも
 
               牧師・青山学院大学名誉教授 関 田(せきた)  寛 雄(ひろお)
一九二八年北九州小倉に生まれる。五四年青山学院大学文学部キリスト教学科を経て五七年同大学大学院を修了。五七年から九七年にかけて青山学院大学でキリスト教学の教鞭をとるかたわら、二年間の米国留学を経験する。その間神奈川県川崎市において開拓伝道、二教会を設立。現在、日本基督教団神奈川教区巡回牧師として活躍中。
               き き て         浅 井  靖 子 
 
ナレーター:  今日は、「この最後の者にも」と題して、牧師の関田寛雄さんにお話を伺います。関田さんは、青山学院で神学の研究をされると共に、労働者が多く暮らす川崎の下町の教会の牧師として、在日韓国朝鮮人やホームレスとなった人たちの現実と向き合って来られました。その中聖書の言葉がより切実に聞こえてきたという関田さんに、「マタイによる福音書」で、イエスが、神の国のありようを示した「ぶどう園の労働者のたとえ話」についてお話を伺います。聞き手は浅井靖子ディレクターです。
 

 
浅井:  今日は、関田さんにとっても非常に重い意味があるという「ぶどう園の労働者のたとえ話」についてお話を頂こうと思うんですけれども、これは『新約聖書』「マタイによる福音書」の二十章の第一節から第十六節に書かれているものですね。先ずはこのたとえ話の内容を簡単にお話頂けますでしょうか。
 
関田:  「マタイの福音書」は、「天の国のたとえ話」というふうに語っておりますけれども、これは「神の国のたとえ」と同じことなんでありまして、「神の国」というのは、神様の愛の支配が及ぶところ、それが「神の国」というふうに表現されているわけです。内容を少し簡単に申しますと、ぶどうの収穫期の時に、ぶどう園の主人が、労働者を雇うために広場に出掛けていくわけです。朝早く出掛けて行って、六時頃に雇った人、九時頃に雇った人、十二時に雇った人、三時に雇った人、人手が足りないものですから、次々と雇ったわけですけれども、ともかく朝早く雇った人には、一デナリオンという、その当時労働者の最低賃金を約束したわけです。そして収穫のためにぶどう園に送ったんですけども、まだ人手が足らない。もう誰も居ないだろうと思って広場に行って見たところが、そこにやっぱり立っている人がいた。雇い主が、「何故何もしないでここに立っていたのか?」と尋ねますというと、「何もしないでいたわけではない。誰も雇ってくれないのです。一生懸命仕事を探し回ったんだけれども、誰も雇ってくれないのです」という。この言葉がほんとに深刻な深い意味を持っている―後でまたお話致しますけれども―やがて賃金を支払う時がやってまいりました、日が暮れまして。ところがこの雇い主は、不思議なことを二つ致します。一つは、一番最後に雇われた人から一番先に賃金を払う、ということが一つです。そしてもう一つ不思議なことは、朝から十二時間働いた人も、やっと仕事を見付けて一時間しか働けなかった人も、同じように一デナリオンという賃金が支払われたことです。当然朝から働いた人は、もっと貰える筈だろうということで、雇い主に文句をいうわけですけれども、雇い主はハッキリ申します。「あなたと約束したのは一デナリオンだった。不正はしていない。自分の賃金を貰って行きなさい」と、断固とした答えが返ってくるわけです。そして「この最後の者にも、みんなと同じように支払ってやりたいのだ」というのが、この雇い主の最後の言葉であり、この聖書の箇所のたとえ話の一番大事な点だと思います。このようにして、後なる者が先になり、先なる者が後になる、という逆説。このことがほんとに深い意味をもっていることを、これからお話したいと思います。
 
浅井:  私たちの普通の感覚で言えば、やはり「働いたら働いた分だけ賃金が貰える」といのが、私たちの常識なものですから、朝から働いた人が、どうして私たちも同じなのか、と言って、怒るのは何か当然のように思ってしまいますけど。
 
関田:  おっしゃる通りですね。いわゆる普通の常識から考えるならば、まったく不合理な取り扱いを雇い主はしたと思います。しかし考えてみれば、一デナリオンというのは、さっき申しましたように、労働者の最低賃金なんです。いわゆる経済合意制に従って、それじゃ時間給にしましょう、ということで、一デナリオンを十二分の一にすると致しますと、最低賃金の十二分の一なんですから、まったく生活の足しにはなり得ない。今日はどこで泊まって、何を食べようか、ということについて、何の足しにもならないものでしかないわけです。この一デナリオンというのは、いわゆる単なる賃金を指し示すよりは、むしろその日を生きるための命の値だ。命の値としての一デナリオンに分割することができるか。命の値に差別を付けることができるだろうか。このたとえ話の深い意味だろうと思います。
 
浅井:  なるほど。そのように知識として一デナリオンが最低賃金だというふうに伺うと、そういうこともあるかも知れないなというふうにも思うんですけれども、関田さんご自身は、この言葉とどのように向き合ってこられたんでしょうか。最初から、そのように「命の値だ」ということで深く納得する、ということがおできになっていたんでしょうか。
 
関田:  私の神学校の学生時代には、いわゆる聖書の研究の対象として、あ、なるほど、イエスのたとえ話というのはほんとに素晴らしいなという、そういう印象で学んできたわけでありますけれども、ほんとに「この最後の者にも」というこの言葉が心に響き、神の国のこのたとえ話が、本当に現実の生活にピッタリと填まるんだということをしみじみ感じたのは、やっぱり牧師になって、伝道者になって、川崎の下町に開拓伝道に入ったと。その時に、いわゆる在日韓国朝鮮人の方々とたくさん出会いました。そのお一人お一人が、本来ならば市民としての権利を与えられるべきところを、民族の違いのゆえに差別を受けている。その悲しみを堪えながら生きている。学校では虐めを受ける。子どもたちの痛みに触れている時に、このたとえ話が近いものとして迫ってきて、イエスさまがこのたとえ話の中で、「この最後の者にも同じように」ということをおっしゃる、そのことの意味が、現場に出て、そういう方々との出会いの中でしみじみと迫ってきた、ということがございます。
 
浅井:  関田さんご自身は、牧師のご家庭にお生まれになった、というふうに伺っておりますので、聖書を読むということは、おそらく小さい頃からあったのであろう、というふうに思うんですけれども、それがまた日常のいろいろな生活の中で、あるいは現場の中で、その聖書の言葉が響いてくるというのは、聖書というものはそういうものだということなんでしょうか。
 
関田:  そうですね。実は私は、八歳の時に、母が病気で亡くなっているんですね。そして太平洋戦争の前ですから、小学校でのクリスチャンの牧師の子どもだということで、アメリカのスパイ呼ばわりされて―はっきり申しまして、暴行されたわけですね。鼻血を出しながら泣いて帰ったことがあるんですけども、そういう幼い時のこの悲しみ。人が生きるということを巡って、こんなことがあるんだ。彼奴が母親に去っていかれた、あるいは理由もなく暴行を受けて血をながさなければならなかった。この幼い時にそういう痛みを経験したということが、私の宗教に向かっていく一つの素地をつくったかも知れません。
 
浅井:  少年の頃からキリスト教に対しては、敬虔な気持ちを、その戦争中も持ち続けていらっしゃったでしょうか。
 
関田:  いいえ。むしろ何故自分は、牧師の子どもになんかに生まれたんだろうか、という運命的な呪いのようなものを感じて、それから父親とも背を向けた生活に入ってしまいましたし、普通の日本人よりも、人一倍日本人的にならないけない、という思いに駆られて、必死になって軍事教練に励んで、「陸軍士官学校に行け」というふうに言われたこともあったくらいなんですね。そういうところで敗戦を迎えたわけです。必ず勝つ戦争だと信じてきたし、「西洋植民地主義からの解放の聖なる戦争なんだ」そう教えられてきたし、戦争が終わって、しかし「真相はこうだ」というラジオ番組が始まりました。その中でどのようなとこの中で、どのような欺瞞の中で、歴史が営まれてきたか。そのことをつくづく知らされた時に、自分自身の青春の虚しさをほんとに思わせられて、生きる意味を失ってしまって、それこそ当時の闇市をぶらぶら彷徨(うろつ)き回るような生活しておりました。勿論戦後は、キリスト教ブームでありますから、「これからはアメリカの神様の時代だ」なんて言ってですね、キリスト教の教会にドッと集まるわけです。そんな状態に対してとても耐えられない。そんな教会に行けるか、という思いで、ずっと教会にも行かず、礼拝にも行かなかったわけです。心配してくれた教会の友人が、「自分の教会に行きたくなければ、この教会に行って見たらどうだろうか」と言って誘われたんですね。座布団の四隅が破れて綿がはみ出ているような、ほんとに貧しい教会でしたけれども、その教会の牧師さんは、数年間獄中生活をしてきた人です。天皇陛下も人であられる限りは、キリストの救いをお受けになる。世の終わりに神の国は必ず現れる。その国へ聖書の信仰を告白したために、いわゆる治安維持法違反に問われて、獄につながれ、教会が解散させられた、という事件がございます。戦後になって、獄中から出てきたその牧師が、小さな教会でございましたけれども、「どんなに時代が変わっても、変わらない真理は聖書にこそある」ということを、繰り返し繰り返し言ってくれたのです。他に何言われたか覚えておりませんけども、そのことが深く心に残りました。「どんなに時代が変わっても、変わらない真理は聖書にこそある」。私は、家に帰ってまいりまして、栄養失調で床に就いている父親に向かって初めて、「お父さん、聖書のどこを読んだら、時代が変わっても変わらない真理がある。聖書のどこを読んだらそれがわかるんですか?」と聞きました。そうしたら、半身を起こした父親が、「それじゃ、聖書を読んでみよう」というので、「詩編」の五十一篇というところを一緒に読みました。この「詩編」は、ダビデというイスラエルの王様が、大変大きな罪を犯して、ほんとに申し訳ないという思いで神様に、悔い改めの歌を歌ったというのが、「詩編」の五十一篇であります。こういう言葉が出てまいりました。「詩編」の五十一篇の十二節に、
 
神よ、わたしの内(うち)に清い心を創造し
新しく確かな霊(れい)を授けてください。
 
敗戦の後、何にもなくなってしまって、ずたずたになった自分の心、これからどう生きていったらいいかわからない。何もなくなった私の心に、「神よ、わたしの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください」という、このダビデの祈りがですね、私の祈りのように響いてまいりました。「そうだ、そうしてください」という思いが溢れてきたわけですね。さらに続けて読んでまいりますというと、十八節に、
 
もしいけにえがあなたに喜ばれ
焼き尽くす捧げ物が御旨(みむね)にかなうのなら
わたしはそれをささげます。
しかし、神の求めるいけにえは打ち砕(くだ)かれた霊。
打ち砕かれ悔いる心を
神よ、あなたは侮(あなど)られません。
 
という、ここにきまして、砕かれてずたずたになった心を、神は決して軽んじられない。侮(あなど)られないという、この言葉に触れて、思わず知らず涙がこぼれました。私は、聖書の言葉に打たれて、涙を流したというのは、これが初めてでございました。これがきっかけで、改めてそれじゃ学校に通って勉強しようという気持ちになって、学校へ戻りました。その時に戦争中には、「予科練に行け」とか、「戦車兵になれ」とかと言った、ある先生が―英語の先生でしたけども―その先生が一生懸命英語を教えてくれるんですが、勿論教科書もありませんから、黒板にミルトン(ジョン・ミルトン:イギリスの詩人で共和派の運動家:1608-1674)という人の言葉をずっと書きまして、英語の訳読してくれるんですね。でも二年以上も学徒勤労動員に行っておりましたから、みんな英語をすっかり忘れているもんですから、ポカンと聞いているだけですね。先生が途中でもって、「それじゃ今日は英語をここまでにして、ミルトンの話をしよう」というようなことで、ミルトンがどんどん自分自身の視力が無くなってくるに関わらず、一生懸命英国の「清教徒革命」のために協力して、文章を書き続け、『失楽園』という英文学の歴史では金字塔のような偉大な作品を作る。失明してから書いた。そういうことを英語の先生が話してくれました。「大いなる目的に生きることは尊いことなんだ」と、おっしゃってくださるもんですから、私はその先生に手紙を書きました。「先生は、戦争中に、この戦争のためにみんな働け、と。戦車兵になれ、と言ったじゃありませんか。日本は戦争に負けました。先生は今一体何を信じて生きていますか。私はわかりません」という手紙を書いたんですね。いつもはすぐに返事をくれる先生なんですけれども、なかなか返事をくれなかった。二週間目ぐらいに、英語のクラスの中で、「実はこのクラスのある人から、斯(か)く斯く然々(しかじか)の手紙を貰った。けれども、この手紙に私はまだ返事を書けないでいる。というのは、僕自身が今迷っているからだ。これから先どうするか、私はわからなくなってしまった」。その言葉を聞いた時に、あ、この先生は、私と同じ苦しみをやっぱり苦しんでおってくださったんだ。その先生に対する誤解と言いましょうか、それがスーッと解けるような思いが致しました。その時にその先生が一言ですね、「でもね、君たちよりも少しは長く生きた者として、言えることがあるとするならば、『新約聖書』の中のイエスさまの言葉の中で、こういう言葉がある―これは「マタイの福音書」の十章二十六節なんですけれども、
 
覆われているもので現(あらわ)されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。
 
本当のことは、今はわからなくなっている、隠れている。だけど必ず現れてくる。覆われているもので現れてこないものはないと、イエスはおっしゃっている。このことを信じて本当のことが、納得できることが現れてくるまで、今は忍耐して勉強続けようじゃないか」と言われたんですね。どさくさ紛れの混乱に満ちた戦後の社会を、それでも生きていこうという気持ちにさせられたのは、この二つの聖書の言葉との出会いでありました。そして聖書の言葉というのは、こういう時に、人の思いを越えて、不思議にもその心を揺さぶり、その人の心を新しくし、力を与え、希望を与える言葉になって迫ってくるんですね。それが聖書との出会いということと思います。
 
浅井:  聖書の言葉に出会うというのは、その方その方にとって非常に特別な体験である、ということなんですけれども、そういう意味では、最初にお話を伺おうとしていた「ぶどう園のたとえ話」というのに、お話を戻しますと、「ぶどう園のたとえ話」というのが、関田さんご自身にとって切実に感じるようになったというのは、それは具体的に言えば、どういうことでしたんでしょうか。
 
関田:  それこそ数え切れないくらいたくさんの出会いがあるんですけれども、具体的な一つの出会いを申し上げますと、私の教会は、たまたま川崎の多摩川の河川敷に教会を造りました。その河川敷の中で生活していたホームレスの方ですけれども、その方との出会いがあります。その方は九州の出身で、貧しい家庭の中で育ってまいりました。三歳の時にお母さんが亡くなって、小学校にも行けないままに、五歳年上のお姉さんのお世話で生きてきたんですけれども、そのお父さんに連れられて―朝鮮戦争の時だと思いますけれども、街中の鉄くずを拾い歩いた、という経験もあったと話していました。そういう生活をして、貧しさの中で炭鉱に入って働きながら、しかしその炭鉱は潰れてしまった。二十いくつかになってやっとの思いで川崎までやって来たと。日雇い労働に入ったわけですけれども、彼自身の身分保証する何の証明書も公的文書がありません。
 
浅井:  例えば戸籍であるとか、住民票であるとか、そういう基礎になるものが何もなかったということですか。
 
関田:  何もない。だから潜りで働いた。ズーッと二十年。それ最底辺の仕事をしながらですね。けれども、とにかく雇われるままに毎日日雇い労働で働いたわけですね。働いているうちに、身体がだんだん弱ってきて、そして仕事をちょっと失敗したことが理由で、手配師から仕事を貰えなくなってきて、いよいよ身体も悪くなって、仕事ができなくなった時に、私を訪ねて来られたわけです。私は、生活保護のことをお話致しまして、福祉事務所にお世話しようと思ってまいったんですけども、「この人は保健所から問題が出ています。届けもなく犬を飼っています。生活保護費を貰う時には、犬は保健所に渡して貰えます」。その時にこの人は、頭を下げてしまって、涙ぐむんですね。「どうして俺が生きていくのに、犬を殺さなければいけないんだ」と言って、涙を零すんです。飼っていた六匹の犬。これはみんな河川敷に小さい時に捨てられていた犬たちなんです。捨てられた犬が、キャンキャンと母親を求めて鳴き声をたてている。堪らなくなって彼は、その子犬のところへ行くわけですね。目と目が合ってしまうと放っておけない。懐に入れて帰って来る。そういう捨て犬が六匹、彼に養われているわけです。日雇い労働者として仕事を失って、何もなくなった人間でもあるにも関わらず、六匹の捨てられた犬を、自分が食べることさえもやっとのことなのに、養って、そして命の尊さと言いましょうか、命を慈しんで生活している。この男の優しさと言いましょうか、その姿勢の尊さと言いましょうか、ともかく「人間は俺を裏切っていったけれども、犬は俺を裏切らない。ほっぺたを舐めてくれるんだよ」。彼の言葉が忘れられません。彼は、保護費を貰って生活し始めていたんですけども、非常に深く肝臓を痛めているわけですね。「お酒は絶対いけないよ」と言われて、間もなく肝臓の病気で亡くなって逝きます。で、それこそ身内もわからなかったんですけど、福祉事務所のお願いをしまして、お姉さんが小倉にいるということがわかったもんですから、連絡しましたら、お姉さんが飛行機で飛んできてくれました。それこそ犬の糞だらけのような小屋の中へ入って行きまして、弟の名前を呼んで、「病院へ行かんとダメだよ」「いや、俺はここで死ぬんだ。犬と一緒に死ぬんだ」「何言っているの! あんたこれだけいろんな人にお世話になっているのに、恩返ししないで死ぬって、とんでもないことだよ!ちゃんと病院に行って、立ち直って、恩返ししなければ意味ないよ」。そのお姉さんの言葉に励まされたんでしょう。「わかった。じゃ、病院に行くわ」というんで、私たちは急いで救急車を呼んで、彼を大学病院に連れて行きました。翌々日が日曜日で、教会の方々がこの人のところへお見舞いにまいりました。とても喜んでくれたけれども、それが最後でございました。深夜心臓に不調が起こって、彼は生涯を終わってしまいました。その時の葬式を致しましたけれども、まさにその葬式の時に、私が選んだ聖書の箇所は、「この最後の者にも」というところでした。
 
浅井:  そのことは非常に乏しい生活をしていらっしゃったわけですけれども、それでも河原に捨てられている子犬を見て見ぬふりができずに、犬たちと食事を分け合っていたんですね。
 
関田:  そうですね。そのような命に対する慈しみと言いましょうか、それを思う時に、私はやっぱりこのイエスの思いと言いましょうか、たとえ話に現されているイエスの教えの方向性と言いましょうか、リアルな形で見ることができたと思って、彼との出会いをほんとに感謝しています。何にも無くなって、生活保護でしか生きられない、そういう最後の者だったかも知れない。この人にこそ、なんと尊い魂が与えていたんだろうか。それこそ神様から尊い一デナリオンを受け取った方に違いない。何人も傷つけることを許されない。その人その人としての尊い命が与えられている、ということですね。さらに申しますと、もう一つの「最後の者から支払われる」という、そこには雇い主の思いやりがあると思うんです。朝から働いた人は、ちゃんと仕事を得ていますから、夕方になったら一デシリオンを貰えるという約束を信じて生きているわけですね。保証されている人生です。ところが一番最後の人は、「誰も雇ってくれないからです」という、一日のうちの十一時間、仕事がなくって、あちらこちら彷徨(さまよ)い歩いて、探し回って、そしてもう絶望のうちにポツンと広場でもって立たざるを得なかった。あと一時間しかないという時に、「その苦しみ、その焦り、その孤独感、情けない思いね、それを雇い主は深く洞察しているわけですよ。どんなに苦しかっただろう、どんなにか寂しかっただろう、辛かっただろう、焦っただろう、さあさあ先ずお前から支払ってやるから、先に来い」というのが、雇い主の最後の者に対する慈しみだと思うんですね。それこそ神様の愛というのは、ほんとに平等の愛です。等しく与えられる愛です。だけども、痛んでいる人、傷ついている人に対しては、特別に注がれるという。等しい、この遍き愛であるからこそ、時と場合によっては特殊な愛の対象に集中するわけです。それがこのたとえ話の「後なる者を先に」ということの意味だと思います。そういう世界が神の国の世界だ、ということですね。私は、このたとえ話が、一つの大きな社会的な発信をしていると思います。
 
浅井:  今、私たちが暮らして世の中というのは、相当努力したものがその報酬を得るのが当然であって、努力しなかった者、あるいは努力できなかった者は、それなりのもので仕方がないんだという、そういう考え方が非常に一般的になりつつあるというふうに思うんですけれども。
 
関田:  そうであればこそですね、宗教の世界というものは、このような平等と正義と慈しみの世界、それがどう実現されるのか。現在の政治・社会状況というものに対して、問いを投げ掛けている。発信している。それが今日における宗教の役割だろうと思います。本当のあり方と言いましょうか、人間のあり方、社会のあり方、本当のものを求めて宗教者が、自ら励むと同時に、問いを発するということに宗教者の使命があるんじゃなかろうかと思っています。
 
浅井:  今日はどうもありがとうございました。
 
     これは、平成二十六年四月二十日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである